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2024-03-20

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動、最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをアジアアフリカ中南米でしばしばみてきた。

かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

アウェイといえば、ドラマおしん」(1983年)。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、このドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが、過去を振り返るために原点である山形への旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。(補記:特におしんの夫は軍組織に尽くし、結果として多くの命を亡くした責任を感じて自殺したという筋書きだが、拠り所となる国家、軍などのホームベース敗戦により瓦解したことのショックが実際のところの引き金だろう。)

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じる女性エネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

一方で、男性は芯がないくせに保守的で臆病だ。外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームグラウンドにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものが仕組みとしてもっていた。だからその範囲しか外に出歩かないのだ。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。逆に成功を収めれば、故郷側が自分をほめてくれる。【故郷に錦を飾る】というのは男性的な価値観だ。

女性はというと、嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧されてきた女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

山崎ハコの「望郷」で歌われる故郷は、帰る家もない、戻るに戻れない場所としてうたわれた。これは失敗すれば帰って慰めてくれ、成功すれば褒めてくれる男性故郷観とは対照的だ。これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀の話だ。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、ホームからかい視線旅人である自分に向け続けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。ボヘミアンを気取って出て行っても、いざとなったらただいまといって帰れる場所がある。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。フーテン寅さんのことを考えていたら、そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、さら時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。「おもいでぽろぽろ」の主人公少女時代1970年代)は、都会の夏休みラジオ体操に二人しか参加していないほど、ふるさと田舎そもそも持たない世帯が少なかった。今では想像もできない光景だ。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、(都会で活躍するキャリア女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

補記

上記の書きなぐりをAIが次のように要約したので感心した。ここまで断言できないからゴチャゴチャ書いてたのに。

旅行好きの女性の特徴と男女差

旅行好きの人々は、事前に訪問地の情報をチェックし、SNSでの共有を楽しむ傾向がある。これは、日常からの脱却と、新しい体験への憧れを表している。特に女性は、旅先での関係性を持続させることに価値を見出すことが多いようだ。

歴史的に見ても、男女間で旅行に対するアプローチに大きな違いはないものの、女性はより積極的に新しい環境文化に飛び込む傾向があると言える。これは、社会的な役割や期待に対する反応として、女性自己実現のために旅行を利用していることを示唆している。

一方で、男性はより保守的で、旅行を通じて得た経験故郷に持ち帰り、地域社会に貢献する傾向がある。これは、男性社会的なリーダーシップを担う役割を果たすことが期待されているためかもしれない。

故郷と都会の関係性の変化

現代日本では、故郷と都会の間の伝統的な絆が薄れつつある。かつては、人々は故郷を離れて都会で働き、定期的に帰省することで地方とのつながりを保っていた。しかし、今では都会で生まれ育った世代が増え、地方への帰属意識が低下している。これにより、都会の人々が地方に求める価値は、失われつつある関係性そのものになっている。

この変化は、地方と都会の間の人口流動の安定化を示しており、それぞれの地域価値見出し生活を築く傾向が強まっている。結果として、地方への憧れや関係性の再構築は、新たな形での自己探求や社会的な動きに影響を与えている。これは、女性旅行を通じて自己実現自己探求を行う動機に影響を与えていると考えられる。

旅行は、日常から一時的な脱却を提供し、新しい環境文化に触れる機会を与える。特に女性にとっては、旅行自分の居場所を見つける手段となり、故郷とは異なるアイデンティティを探求するプラットフォームになることがある。

2023-06-24

日本宿場町ってマジで全部おなじだよな。コピーアンドペーストたかのように同じ。」

東海道五十三次ロードサイドを『コピーアンドペーストたかのように同じ』にしか見れない人間宿場町への解像度が不足しているか単に感性が足りないかのどちらかで、旅籠資本茶屋メニュー問屋場の馬など、よく観察すればその土地の特色が見えてくる」

2022-04-21

anond:20220421110822

たまごふわふわ」は静岡県袋井市ご当地グルメ

袋井東海道五十三次のど真ん中の宿場町だった。

この「たまごふわふわ」も、実は袋井宿で朝食のお膳に出された料理なんです。

さらにいえば、将軍徳川家の祝宴料理として登場したこともあり、当時は名のある武士豪商が食したセレブ料理だったとか。

こう見えて、由緒正しい高級卵料理

江戸時代の文献『東海道中膝栗毛』や豪商旅行記に記録が残っていたため、

それを参考にして袋井市観光協会再現したんだと。

2020-09-24

趣味依存狭間

依存症。その定義曖昧なように感じる。

厚労省資料ではギャンブルにより日常生活社会活動に支障が出ている状態ギャンブル依存症定義しているようだ。

まぁ曖昧である。どこからが支障が出ている状態であるのか。

 

今の私は支障が出ている状態なのだろうか。

そう、私はギャンブル趣味としている。趣味なんてものではなく、もしかすると依存症かもしれないという不安を抱えながら。

 

日常生活という意味では支障は出ていないと考えている。

2人の幼児を妻と一緒に育てながらそれなりの企業でそれなりの給与を得て暮らしている。

妻は専業ということもありバリバリ楽勝伝説ではないものの、一定貯金をしながらも節々には旅行もできるぐらいの余裕はある。

 

子を持つ方ならある程度おわかりかと思うが、子育てというもの幸せを感じながらもストレスともお友達にならなければいけない事が多い。

子どもが生まれからは真の休日というものは無くなった。子どもが生まれる前は、妻に許可をもらい稀にパチスロに出かけるなどしたがもはやそんな行為は無理である

休日子どもたちと一緒に暮らすためにほぼ100%を充てている。

 

そんな中でお前はどこでギャンブルをやっているのかと言うと、平日の夜か子どもたちが寝静まった夜中となる。

平日の夜は妻に黙ってのギャンブルである仕事で遅くなる日の1/3ほどはその実パチスロに行っている。

とはいえ大した時間は取れない。早くて20時に会社を出て閉店の23時まで打ってMAXだ。

状況によっては21時か22時に切り上げて大盛りラーメンを食べにいくこともある。

行くのは月に2,3回程度。その短い時間で小銭の行って来いを楽しんでいる。

 

「小銭の行って来い?はい嘘乙!収支計算しないでたまの勝ちでプラスになってる気になってるんデショデショー」

なんて言う貴兄もいるかもしれないがそんなことはない。

私はギャンブルで負けるのが大嫌いだ。若い頃に苦渋をなめながら負けない方法というもの模索し続けてきた。

ここに高らかに宣言する。パチスロは勝てるギャンブルである

パチンコは無理だと考えているがパチスロは正しい手順を踏めば勝てるといって良いだろう。

とはいえ、食っていくレベルで勝てるかというとそれはかなり高いハードルなるのであるが。

 

もちろん負けている人も多い、多いと言うか超多数派だろう。

しかし、意思を強く持って勝ちを目指せば勝てるのだ。負けるのは意思が弱く神頼みする者のみである

ここ数年は正しく打ては期待値100%を上回る台がいくつか出回っている。

中でもディスクアップという台は最低でも機械103%, 一日回せば期待値としては1万5千円程度あるのだ。

まぁ確率なんてものは1日程度では到底収束しないので勝ったり負けたりではあるが。

他にも100%超えの台は多く、さらパチスロには設定というものがあり、打つことによりプラスになる可能性がある台は存在する。

まぁ他にも少しでも期待値を上げる手法はあるのですが結論はこれです。

つべきは"打ちたい台"ではなく、"打つべき台(期待値100%を超える台)"を打つ。これだけです。

 

楽しい楽しくないは2の次3の次かんしゃく玉投げカン太郎東海道五十三次です。

勝つことが楽しさであります。いや大当たりも楽しいだけど負けたらその楽しさ上書きされちゃうので。

そのような台のみを集中して打つことで私は負けていない状況を作っています。意外と現代パチスロで勝つの簡単です。

(技術的なものや、行って来いが落ち着くぐらいの試行回数(=時間)を費やす必要はあるけども)

 

と、ここまで書くと趣味範疇と思われるかもしれない。

私のギャンブルはこれだけではとどまらない。先に書いたもうひとつ、夜中のギャンブルだ。

ここまでの話はコロナ前の話だ。コロナ以降、弊社もリモート化が進みほぼほぼ今日まで在宅勤務が続いている。

そんなコロナ禍により新たな地獄の蓋が空いてしまった。

 

コロナ禍の中、パチスロに行けずギャンブルがしたいなぁとモヤモヤしている日々。

あ、そうだ。と思い出し、一時期ハマっていたネットポーカーアプリを開いた。

 

ポーカーご存知ですか?面白いんですよ。海外ではもっとメジャーなんですが、

テキサスホールデムという形式ポーカーがすげぇ面白んですわ。

もちろん負けたくない私は研究を重ねます本業でこれぐらい勉強すればいいのにね!

そして概ね理解しました。ポーカーとは何か。

ポーカーとは学んだものが学ばないものから金をかっぱぐ!これがポーカーであります

 

ただですね。学びにより一定プラスは生まれるようになったものの、

ポーカー時間あたりの期待値が低いのです。小さい金額をちまちまと稼がなくてはならない。

高いレートは強者だらけで収支は安定しない。高額賞金のトーナメントは平気で10時間とかかかる。

そんな状況に疲れてポーカーからフェードアウトしていきました。

 

でも、パチスロができない状況ではそんなこともってられず通勤時間が減ってちょっと時間も余裕ができたのでポーカー復活と思ってたらですよ。

アプリポーカーのタブの横にカジノがあったので押してしまいました。

そう。手を出してしまいましたオンラインカジノ

 

お前それそもそも違法じゃないのって話は「オンラインカジノ」という存在に法が追いついていないので結論が出せない。

ということでご容赦ください。一定リスク理解した上でやっているつもりです。

どの程度のリスクと捉えるかは人それぞれかと思いますが。

 

閑話休題

 

いやですね。それ抜きにしてもオンラインカジノは基本ダメです。

最低設定の台しかおいてないパチスロと思えば良いです。

RTPと呼ばれる期待値ビデオスロットで96%前後

ルーレットとかは約97%,一番高いブラックジャックで99%超といったところ。

当たり前ですが100%以上はないという状況です。

やればやるほど損をする。それがオンラインカジノです。

 

そんななかでも研究はする私。なんとか勝てる方法は見つけました。

はいはいワロスワロス、クソみたいなオリ攻なんでしょ?とか思われるかもしれませんがそんなんじゃない!!

ギャンブルの楽しさは排して、ただただ期待値を追うだけの方法です。

結局はこれなんですよ、勝つには地味な作業を繰り返すだけ。

そんなこんなでオンラインカジノ界でもなんとか勝つ方法を見つけてしまったのです。

 

しかし困るのは生活が困窮すること無くギャンブルが続けられるということ。

楽しいのだが虚無も結構ある。副業と割り切っても良いかもしれないが、あまり勝っても確定申告必要となる。

結局は多少の生活費と引き換えに時間を失ってしまうのだ。

どうせなら本業勉強子育てに悩む時間に増やしたい。

でもやってしまう。これは依存症なのか!?

 

否!趣味趣味だよね?

誰にも迷惑かけてないもん!ダメお金に手をつけてないもん?

多少家族に嘘ついてるけどこれは許容範囲じゃない?そんなことない?

 

このギャンブルドラマ視聴という趣味だったらどう見えるだろうか。

ゴルフというスポーツだったらどうなるのか。

しろお金的にはこの2つの方が浪費されることになる。

しかしあまりドラマ依存症ゴルフ依存症という言葉は聞かない。

 

という具合になんだかわたしもやもやした気持ちが続いているんですよずっと。

別に診断が欲しいとか、大脳がこわれておる、ワイコーワイコーと言われたいわけでもなくて、

ただなんか、わたしはこのままでいいのかな?もっとやることあるんじゃねーかな。

と思ってるので転機がほしくてこんな増田をしたためているのかもしれません。

 

ちなみに業務中(合間だよ!ちょっとした合間!)にこのような増田をしたためてしまうのも、現実逃避をしているので増田依存症な面もあるのかもしれません。

 

fin

2019-12-01

anond:20191201133833

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/8/82/%E9%A7%85%E4%BC%9D%E3%81%AE%E7%A2%91.jpg

東海道五十三次のおよそ30キロごとに設けられた道の駅の間を飛脚がどれだけ早く走ったか伝説再現するための競争ということらしい。

当時の飛脚は、京都から東京まで、一人でその道を走るのではなく、駅と駅の間で交代して走ったとのこと。

なので、駅間走破伝説の略で駅伝

2019-02-22

anond:20190222180728

A(絵とタイトルと作者が認知されてそう)

ダ・ヴィンチモナリザ

ダ・ヴィンチ最後の晩餐

ムンク「叫び」

ピカソゲルニカ

B(絵とタイトルもしくは絵と作者のどっちかは認知されてそう)

ミケランジェロアダムの創造」「最後の審判

ラファエロアテネの学堂

ボッティチェリビーナスの誕生

フェルメール真珠の耳飾りの少女

ピカソ「泣く女」

ダリ記憶固執

ゴッホ「星月夜」

ゴッホ自画像」(ただし自画像同士の区別はつかない)

ゴッホひまわり」(ただしひまわり同士の区別はつかない)

ミレー「落ち穂拾い」

クリムト接吻

ミュシャ黄道十二宮

葛飾北斎神奈川沖浪裏」「凱風快晴」(タイトルは「富嶽三十六景」として認知

歌川広重東海道五十三次」(ただしそれぞれの区別はつかない)

菱川師宣見返り美人

東洲斎写楽三世大谷鬼次の奴江戸兵衛」

C(絵は認知されてそう)

レンブラント夜警

ヴェラスケス「ラス・メニーナス

ドラクロワ民衆を導く自由の女神

ルノワールムーラン・ド・ラ・ギャレット

モネ日傘の女」

モネ「印象・日の出

マネオランピア

マネ「草上の昼食」

ドガ「踊りの花形

フラゴナール「ぶらんこ」

ゴヤ「裸のマハ」

ゴヤ「我が子を食らうサトゥルヌス」

エヴァレット・ミレーオフィーリア」

2018-07-06

意外と石原さとみ上流階級の間では簡単にヤレる女扱いだったりするのかな

浮世絵の「東海道五十三次」がコレクターの間では入門的なコレクションだったりするみたいな感じで

2012-08-19

40歳

サンデーの増刊だったかと思う、小学生の頃に読んだ漫画が印象に残っている。

とり・みきが描いたオムニバス形式の読み切りだった。

 

いくつかのエピソードのうち、取調室で刑事容疑者が会話するというものがあった。

刑事容疑者つぶやく

「なぁ○○、俺は今年で40歳になるが」

「……」

「まだ童貞なんだ」

ズッコケ容疑者

 

童貞」という言葉意味を知らなかった自分には意味がわからなかった。

それでもそのエピソードけが記憶に残った。他のエピソードは覚えていない。

 

その後、刑事女子高生から手紙を貰ったと語り、

その中身は永谷園東海道五十三次カードだったというオチだった。

 

年月は過ぎ、童貞という言葉意味を知る歳になり、

そして今年、40歳になる

もちろん童貞である

 

女子高生から手紙は来ていない。

 
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