はてなキーワード: 男はつらいよとは
ワイはもう40過ぎたけど「気持ち」なんて変わらないよ。ていうか「その時その時の気持ち」しか人間にはないんだから別に30だろうが35だろうが40だろうが変わんないよ。
変わるのは「感性」だと思う。
感性は経験に影響を受けて変わる。例えばガキの頃に親が見てる隣で見てクッソつまんなかった「男はつらいよ」を最近たまたま見直してみたら、寅さんに感情移入して「つ、つれぇ~」と普通に感じるようになったりする。
それなりに内容覚えている思春期前に見た映画(ドラマでも漫画でも本でもいいんだけど映画が一番違いを感じやすいと思う)で、面白かったやつと、世間的にはウケが良かったはずだがつまんなかったやつとを一本ずつ見直してみると良いぜ。意外と評価が逆転したり、逆転まではいかなくてもガキの当時とは心にグッとくるポイントが全然変わっていたりする。それが感性の変化だよ。
だいたいの人は子供が産まれたらやっぱ他人の子供にも何となく目が行くようになるし、それ以前に他人の子供が騒いでた場合に「うるせえな!」と感じていたのが「お互い大変っすよねー」とか思うようになったりするわけだ。親としての経験を経て感性が変わってるってこと。元増田は事前に思っていたほど劇的な変化が自分に起きていないので戸惑っているのだと思うが、まあゆっくりやっていこうや。
次に、変わるんじゃなくて、変えるべきなのが「態度」だよ。
元増田がもうすぐ30とのことで、例えば今度の春の新卒新入社員とは6歳差とかだったりするわけだ。6歳差つったら新卒が小1の時に自分は中1だぜ。小学生から見た中学生なんて超大先輩だし、自分が新卒のときの30手前の先輩とかすげー「主力」感だったりしたでしょう。
まあこれはアラサーアラフォーのオッサンオバハンがやらかしがちなことではあるんだけど、年長側からするとけっこう年下の相手でもなんか全然気楽に接しがちというか、役職とかの違いはあれども別に気にしないみたいな感じになってしまうのだが、下から見たら全然そうじゃないんだよね。
元増田は今度の新卒の子から既に相当「後輩として、先輩に配慮した態度」を取られる立場なわけで、じゃあこっちも「先輩であること」を前提にした態度に変えなけばならない。
この立場の差をテストするのには、後輩の子に明らかにつまんないダジャレ・ギャグを言ってみるとよい。相手が明らかに愛想笑いしてくれてたり、ツッコむにしても優しいツッコみだったら、自分は相当に配慮されているということである。
自分が若い時に目上の人からどういう風に接してほしかったか、どう接してくれたら嬉しかったか、逆にどうされたらウザかったかを思い出してみよう。あなたの取るべき態度の答えがそこにある。
というか恐ろしい。
いや、その人の中ではその2つは完全に一致しているのだろう。
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いや、やっぱ話すわ。
そんとき勢いで「男はつらいよ とほほ」って言っちゃったんだよ。
そしたら彼女、怒った感じで「いや女の方が辛いでしょ。生理にいくらかかるか知ってんの?」
って。
俺もなんか腹立って。
表情が抜け落ちた。一瞬黙って、ブチギレ大発狂。
いや無い/バカにしないで/あり得ない/だから無い/女の気持ちも知らないで/そんなことだからいつまでたっても童貞なんだよ
…なんでそこまで言われなくちゃならない?
でも、教えてくれてありがとう、とはならないみたい。ググりさえする気配もなかった。
男女間のタブーってまだまだあるんだなあ…
うやむやにして別れたけど、どっと疲れが来たよ。
そういうのがあるならあらかじめ教科書に書いておいてほしい。
ユウヤケヒメーッス
本日は男はつらいよの映画シリーズ第一作が公開された日に因んで、『男はつらいよ』の日となっております。
この男はつらいよってタイトルも、車寅次郎のいろんな何かしらがあってだから男はつらいよってタイトルなんだ〜ってことじゃなくて
元々は『愚兄賢妹』って仮タイトルだったところを、堅苦しいからということで北島三郎の『意地のすじがね』の“つらいもんだぜ 男とは”って歌詞の一部を引用して『男はつらいよ』になったらしいです。
歌詞の内容も
悪い奴が居たらなんで殴ってでも物言わねえんだ、色っぽい話も欲に塗れた話もあるけどその中に人情もあるよな、惚れた女に惚れたって言えねえぜ、おとこはつれえぜ
みたいな内容でした。
なんだかわかるような、わかんねえようなって感じですね。
ということで本日は【意思の疎通よいか】でいきたいと思います。
「男はつらいよ」は「女はつらくないよ」と言ってるわけではないンゴ
お腹空いた感じがして美味しいものを食べる妄想夜ご飯あれ食べたいこれ食べたいって想像するんだけど、
食べていると寝る時間が減って無くなるので、
ってお腹が減りまくりまくりすてぃーって言えないぐらいお腹が空いているのよ。
なんか豆乳だと優しい感じがして
なんだか美味しいわねって。
またリピしよーって
遅く帰ると、
ご飯にするかお風呂にするか卓越した選択肢の中から一択しか選べない、
いや選ばないと言っても言いすぎの過言ではない感じなんだけど、
寝る時間優先でとなると、
そういう感じになっちゃうのよね。
お腹がぐーっと鳴るわ。
ここ最近続けているお昼なんか食べる気力が無い、
別に食欲がないというわけでもないし、
おうどん屋さんの素麺定食でも食べに行こうかなーって思うけど、
なかなかしょっこいしょーいちとは腰が上がらないのよね。
億劫だわー。
そんな時期なのかも知れないわね。
早く帰れるときは本当にゆっくり銭湯でも浸かってとかしないとヘトヘトだわ。
ふー、
もうひと頑張り一旦ここでシーエムを挟みたいところだけど
なんだか
お腹空いている方が頭脳明晰って感じのゾーンに入れるかと思ったけど、
なんか実際これバテ気味なのかしら?って思うほど
何もかもが超億劫よ。
まあとりあえず、
なんだかメロンの取り合いにはなってなかったけど、
あー、
でも沖縄時代に賢秀にーにと豚足の取り合いで争った形跡があるので
やっぱりこれは
って私はそう分析するわ。
すっかりもうイタリアンレストランオーナーが丸くなっちゃってるじゃない。
暢子がリーダーを任されて上手くお店が回らなくても怒られなかったことにも
嵐の前の静けさを感じ得ずにはいられないわ。
あのオーナーが優しいと逆に恐怖よね。
まあそんなわけで、
バテたらだめよね。
バッテラは美味しいけど。
うふふ。
あいにく中のあいにくで品切れだったのが心残りの笹舟にのせて流したいところね。
もうすぐ七夕だしさ。
あのチマキみたいに笹の香りが良いにおいのする
笹の葉ウォーラーが出来るのかしら?
味は想像つかないけど、
何つってそんなことを思いながら水出し緑茶ウォーラーをキメたわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
山内のあれはさすがに良くないイタズラ。
たとえば夜道。
あー、嫌だな。面倒なことになったな。男はそう思ってます。
向こうはすでにこちらに気づいて警戒している様子。
ここでわざとペースを落とすと「私に合わせてる!?」と思われるし、かと言って走って追い抜こうとすると、それはそれで驚くだろう。
仕方ないので自分のペースで歩いていると、じわじわと差が縮まってくる。
あーやっと抜かせる、良かった!
・・・と思ったら、そこで女性はどうするかと言うと、ちょっとペース上げたりするんよ。
おいおいおい。これじゃまたジリジリとした感じになるやん。
あのさ、そんなに気になるなら完全に立ち止まって道を譲るか、あるいはこちらが追い付けないペースで歩いてくれないかな?
こちらが気を遣って驚かせないように追い抜こうとしてんのに、それを微妙に阻止しないでよ。
もしくはどこか途中のコンビニとか安全そうなところに立ち寄ってくれてもいいのに、なんで頑なに自分の帰宅行動を優先すんの?
だから仕方ないのでなぜかこっちが折れて、必要もないコンビニに寄って、無駄に時間潰したりしてる。
少しは相手の身にもなってよ。
安全に気を配るのはいいことだけど、被害者意識が強すぎなんよ。
こっちも最大限に気を遣って疲れ果ててることを分かって欲しい。
映画「男はつらいよ」シリーズには笠智衆演じる「御前様」なるキャラクターが出てくる。〇〇上人と呼ばれる僧侶で、幼稚園経営者だ。
「御前様にお話を伺ってみよう」
となる。
昭和40年代くらいまでは、下町のような「非ニュータウン社会」では、そういう賢人畏敬文化があったわけだ。「キテレツ大百科」におけるベンゾウさんみたいなものである。
三重県伊勢市において、地元団体、ボランティアが地元の農業河川に鯉200匹を放流すると言う暴挙を行った。
「鯉のいる川が自然豊かな川だ」
と思い込んでの愚行である。映像を見るに、20人くらいはいる。それを好意的に報じる地元メディアによる映像もあるわけだから、メディアスタッフも最低2人はそこにいたのだろう。
それだけの人数がいて、誰1人、遺伝子汚染や外来種放出の危険性を知らなかったわけである。
こう言ってはなんだが、相当に偏差値が低い集団である、とみなして差し支えないだろう。
むかしは、そう言う人たちも、事前に「御前様に聞いておくか」とやっていたからそう大過なく過ごせていたのではないだろうか。
一流とされるような大学を出た人なら「絶対に」と言っていいほど常識の知識の水準であるから、鯉放流団体の人たちに自分たちの無知蒙昧さの自覚と謙譲があり、市井の知識人のサポートがあれば、こう言うことにはならないはずなのである。
この一件は、三重県伊勢市と言うごりごりの「田舎」においても、伝統社会が完全に崩壊していることを示した。既に御前様はいなくなり、寅さんたちには自信満々の無知の無知だけが残った。