「塞翁が馬」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 塞翁が馬とは

2020-08-07

anond:20200807132357

勝利条件が明確でなければ勝ちも負けもあったもんじゃないし、自分勝利条件は経年で変わる。結局は塞翁が馬で、死ぬ瞬間になってみないと勝敗の判定などできそうもない。

2020-07-22

anond:20200722071640

本当だよ。信じてくれなかろうが。

それにプロットならもう少し上手く書くよ。フリーター時代自分の書いた小説大手から出版された事もあったくらいなので、そこそこ文才もあるはず。

まぁ売れなかったので就職した訳だが、自分の本が出せた事でやる事はやり切った感があったな。

まぁ人生万事塞翁が馬って事で、今失敗だと思ってても後の幸せに繋がる事も多いと思ってる。

2020-05-22

anond:20200522111638

だが、それが役に立つこともある 人生万事塞翁が馬がごとし

2020-02-27

塞翁が馬

シャツに付いたボールペンのシミ落とし用に買ったアルコール消毒ジェルが有効活用されている

2019-12-01

1月まれ

塞翁が馬人生の幸不幸は予測できないものだというたとえ。)

仕方なし

2019-07-27

ヤマカン監督としてその域に達していなかったから生き延びたんだな…

京アニ事件武本康弘監督の死亡が確認された。12年前、有名なヤマカン監督交代で、らき☆すた監督山本寛から引き継いで5話以降の監督をされた方。

山本寛ことヤマカンは、この後しばらくして京アニを退社。結局、詳細は公表されることはなかったが、ヤマカン京アニトラブルがあったことは間違いない。

ヤマカン監督の域に達していたら、今も京アニに勤めていて事件に巻き込まれたかもしれない。そう考えると、ヤマカン監督としてその域に達していなかった事が幸せに働いたんだな…人生万事塞翁が馬だ。

https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%9F%9F%E3%81%AB%E9%81%94%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84

2019-07-16

anond:20190716145147

指が全部癒着してなかったら医療の道に進んでなかったかもしれんし、塞翁が馬的に正しいかもよ。

2019-03-30

anond:20190329170908

人生万事塞翁が馬

これはほんとによくあるよね

から現状に絶望することはない

2019-03-29

anond:20190329034939

やっぱり合う合わないはあるよね。もっと自分に合ったところなら、ある程度の逆境でも何とかなるものだが、合ってないところだと大変。

僕は京大修士の途中で脱落し、研究会で知り合っていた他大の先生に拾って貰って修士をやり直した。博士課程は海外に行ったよ。

ま、それでも人生万事塞翁が馬だと思ってる。廻り道したおかげで出逢った人たちや物事もあったのでね。

2019-03-05

あるところに売れないマンガ家Bがおりました。

むかしむかし、ではなく現代のおはなし。
学生の頃から友達マンガを見せるのが好きで、マンガを描き続ける学生時代を送った彼は、
首尾よく新人賞を取り、デビューしたものの、連載は打ち切り
辛うじて単行本は出たものの、全く売れませんでした。

編集者に新作のネームを見せるものの、反応は芳しくありません。
Bは学生時代の友人Aに長電話愚痴ったり、ドス黒いツイートをしてみたりと、
失意の日々を過ごしていました。

ある日、Bがツイッターを見ていると、一つのツイートが回ってきました。
それを見たBは驚きました。そのツイートで「××が〇〇する話を描きました」と言ってアップされていた画像は、
自分が描いたマンガだったのです。

Bは激怒しました。
これが自分作品であると示すために、原稿データ画像amazonリンクを貼ってリプライしました。

プロ作品自炊してマンガ家になりすます、そんな卑劣奇行ネット民は飛びつきます
一連のツイートは瞬く間にまとめれられ拡散なりすましアカウント大炎上
ネットニュースにも取り上げられ、なりすましアカウントを消して逃亡。Bには多くの人からかいリプライがよせられました。

これはひどいなりすまし地獄に落ちるべき」「応援してます単行本買いました」「承認欲求は決して満たされぬ地獄恐ろしい恐ろしい」等々。
塞翁が馬、というべきか、結果的にこの炎上騒ぎで電子書籍が売れ、紙の単行本にも重版がかかりました。
もちろん大ヒット、などというにはほど遠いのですが、いくつか読切の依頼なども舞い込み、
Bのマンガ人生は再び動き出しました。

今日もBはマンガを描き続けています


*************************


以上がおれの身に起きた小さな事件顛末だ。
激怒したおれは、ツイッター社になりすまし犯の情報開示を求めた。
あきらかな著作権侵害ということもあり、情報はあっさり開示された。

犯人は、学生時代からの友人A、赤尾だった。
怒り狂ったおれは、あいつのところへ押しかけ、怒鳴り散らし、
自炊の為に裁断されていたおれの単行本だった紙束を投げつけ、
絶交を告げた。赤尾の額からは血が出ていた。赤尾は何も言わなかった。

それから一週間、赤尾の事を振り切るように新作のネームに没頭していたおれに、
ふと一つの考えが浮かんだ。

おれはあいつに酷い事をしてしまったのではないか

いや、作者に無断で単行本自炊してネットにアップする、
これは許されない行為だ。それは確かだ。
あまつさえ赤尾は自作のふりをしたわけで、そこに弁護の余地はない。

だが、無断でアップされなければ、おれはここまで怒らなかったろうし、
そうなれば、ただのツイートとして、ネットの海に埋もれていたのではないだろうか。

承認欲求を満たしたいゲス野郎勝手作品なりすましツイートされた悲運のマンガ家」
という物語があればこそ、あのツイートはバズり、結果としておれのマンガが多くの人のところへ届いたのではないか

そして赤尾はそれを計算していたのではないか
赤尾は、たびたび売れないマンガ家の愚痴を聞いてくれた。
学生の頃からずっとおれのマンガ面白いと言ってくれていた。
言い続けてくれていたのだ。

とはいえ、もうそれを確かめることはできない。
純粋に悪意なら、確かめ必要がない。
また、確かめて、もし赤尾の行動が善意だったとしたら、
おれは赤尾の行為真意を世に示さなければいけない。

そうすると世間は一連の行為自作自演の延長にある恥知らずな行動と受け止めるだろう。
だとしたら、それを明らかにすることは赤尾の望みに反してしまう。


遠い日の赤尾の言葉がおれの頭の中で乱反射する。
「お前のマンガ面白いよ。たくさんの人に読んでもらうべきだよ」
赤尾はあいつなりのやり方でそれを果たそうとしたのではないか

怒りにかられたおれは、あいつがどんな表情をしていたかすらろくに覚えちゃいない。
あのとき
それ以前にあのツイートをしたとき
おれの単行本裁断して自炊したとき
あいつはどんな顔をしていたのだろうか。

おれはどうすればいいのだろう。
どうすればあいつに、報いることができるのだろう。


炊いた、赤尾に。

2019-01-03

anond:20190102063518

北大の人がいたので懐かしくなって自分も書いてみたが、どうやら消してしまったらしい。勿体ない。

だがまぁ見かけたので僕も自分語りなどしてみようと思う。もう20年は前の話なので話半分程度に聞いて欲しい。あ、とくに受験に役立つ話とかは無いです。自分語りのみです。

中学時代

 関東のどこにでもある公立中学に通っていた。

 成績は良い方だったが先生にウケがいい方だったかというと別にそういうわけでもない。虐められていたわけでもないが、自分にはよく分からない理由からかわれることがあった。

 当時は少し不思議がる程度だったのだが、今にして思えばクラスの中でも割と、いやかなり浮いていたのだとは思う。

 成績はトップクラス運動もできた(サッカー部で足が速かった)から大事に至らなかっただけで、先生にも同級生にも興味が無く、他人不快にさせても気付かず、いつもぼんやりとしていて一人遊びが好きな子供だったらしい。昔、母親に「あんたは自分が虐められていても気付かなそう」と言われたことを今でも覚えているが、つまりはそういう子供だったようだ。今でも他人の心が分からないのは変わっておらず、割と苦労することが多い。

 暢気な性格であり、行く高校も学区内で近くて偏差値が高いところ(親が文句を言わないところ)であればいい、と思っていた。滑り止めも受ける気がなかったので調べもしなかった。今なら分かるが、そういうとこやぞ。

 その上適当でも受かるのが分かっていたので真面目に受験勉強もしていなかったところ、みかねた両親からとにかくお前はもっと偏差値の高いところを一校受けろ、と言われ学芸大附属高校を受けることになった。

 自主学習では限界があるということで近くの塾にも行ったが、バイト大学生先生過去問を見せても的確な解説が帰ってくるでもなく困った様子だった。そこで使っていた教材とのレベル差も大概だったしまぁ仕方ない。というかそこはあくま学校の授業について行けない生徒の補習的な個人塾だったようで、よく考えれば筋違いである。高難易度受験校に受かろうとするならそれ相応のところに行く必要があったはずだ。まぁ当時は僕も両親もそんなことはよく知らなかったし、塾ならどこでもいいだろう、という程度の発想しか無かった。

高校時代

 学芸大附属高校には当然かすりもせず、第一希望公立高校入学する。

 世の中には自分と似たレベルあるいはそれ以上で勉強が出来る奴がいるんだなぁ、というのをようやく理解するが、この頃でも生来ぼんやりした性質は変わらずにのほほんと学校生活を過ごしていたらしい。変人の多い学校だったのであまり浮いていなかったようだがたぶん中学の時と余り変わっていなかったはずだ。

 今でも覚えているのだが、廊下ですれ違った先生挨拶をしながら「この人どこかで見た顔だな……」と思っていたが、よく考えたら一年世界史の授業をしてくれた先生だった、という事があった。他人の顔や名前を覚えるのが苦手だと思っていたが、そもそも他人に興味が無いのだ、という事に気付かせてくれる出来事であった。今でも仕事で会う人の顔と名前が一致せずに苦労しているし、これはどうにもならないのだろう。

 大学受験という物に本腰を入れ始めたのは三年からだった。

 といっても例によって「まぁどこでもいいかな……」という感じだったのだが、両親から「国公立」「一人暮らし」「浪人は一回まで」という条件を出され、紆余曲折合って北大を志望することになった。

学校に進路相談をするでもなく、成績とのギャップに悩むでもなく、軽く決めたので相変わらずアレな性格だったらしい。

 友人に東大を受ける奴がいて、そいつ天才だったので自分の分というのはよく分かっていた。数IIIの定期テスト理系コースの学年平均点が30点くらいだった(僕もそんなものだった)のに、そいつだけ満点近くを取っていたし、暇つぶし数学の高難易度問題集をやるような奴だった。世界が違うなぁ、というのが正直なところだったから妬むこともなかった。

 受ける模試はいいとこD判定(一度だけCが出た)、予備校には行ったが授業が身になった気はせず、もっぱら図書室や自習室でひたすら自習する日々であった。

 どこに自信があったのかは知らないが、センター何となく取れると思っていた。実際目標ラインの点数を取れた。

 過去問を解いていても2次試験がイケる自信は全くなかったが、恐ろしいくらい焦ることがなかった。他人事のように淡々勉強をし、まぁなんとかなるでしょ、と楽天的な構えを取っていた。……もっとも、この性質のツケは後で受け取ることになるのだが……

 試験から帰ってきてから溜まっていたエロゲー(年齢がアレだがもう時効だと思うので勘弁していただきたい)をプレイして春休みを過ごし、ネット合格通知を見ることになった。合格祝いに買って貰ったノートPC月姫プレイしたことを良く覚えている。

 勉強自体特別なことは何もしなかった。テキストを読んでもよく分からなかったのでひたすら過去問を解いたことくらいだろうがそれだって目新しいことではないはずだ。

 まぁ、北大程度の人間から画期的な物を期待されても困る。そういうのは東大京大に行った人達に任せておきたい。

【その後】

 入ってからものほほんと過ごしていたところ、4年の時に8割受かるはずの院試に余裕で落ちて途方に暮れるという事になった。人生適当に過ごしていたことのツケをここで受けることになった……が、結果的には塞翁が馬という奴で何が幸で何が不幸かは分からない。

 冬の再試験を受けるかそれとも今から就職活動するか、と教授に言われたが、どうやら自分にはアカデミックな才能は無さそうだ、というのに薄々気付いていたので就職活動をすることにした。人間にも物事にも興味が薄く執着の無い人間にとって研究の道はあきらかに向いていないのでこれは正解だったと思う。

 といっても時期は既に秋、適当一社だけ受けてダメなら就職浪人でもするか、と思っていたところを拾って貰い、そのまま就職して今に至る。

 適当に選んだ会社だったが気付けば海外を飛び回ることになり営業のような技術のようなよく分からない仕事をしている。しんどいしんどいしさっさと仕事辞めたいとは毎日思っているが、給料がそこそこいいので未だに辞められていない。

 ソーシャルゲーム課金し、声優を追いかけ、両親に「あん結婚は」と追い立てられる普通ヲタク人生を送っている。誰か結婚して下さい(

2018-12-05

塞翁が馬、ではないけれど

最近チョコボールエンゼルが出る時よりも、外れた時の方を期待するようになった。

そちらのほうが、無駄な運を消費しなくて済んだ=運気が良い状態にある、みたいな気がするから

逆に銀のエンゼルが出たら、何か悪いことが帳尻合わせに起きるんじゃないか不安になる。金ならなおさら

というか、些細な幸運全般的にそんな考えにつながっていく。単発ガチャとか、懸賞とか、公募の一次審査通過でさえ。


いつからこんな捻じ曲がった感性になったかは分からないけど、生憎と治し方もわからない。

仕方がないので、この感覚と面を突き合せたまま、日々のささやかな運試しに左右される今日この頃である


共感する人はまさかいないと思うが、もし対処法や寛解法があったら教えてほしい。

2018-09-11

anond:20180911221255

違いますね。男側が低所得場合幸福度も低ければ精神疾患率も高く結婚もできませんので塞翁が馬なんてことにはなりえません。

2018-04-26

anond:20180426173305

スティーブ・ジョブズシリア難民の家庭に生まれたやで。でも頑張ってiPodとか成功させたで! だけれど結局癌で早死にしてもうた。これが万事塞翁が馬ってやっちゃな!」

2018-03-07

anond:20180307141035

親が塞翁が馬とか言ってなるようになった結果つらい目にあった人 VS でき婚した人

って感じだ

2018-02-04

塞翁が馬

テレビで先日見た、スーパーで買った刺し身の臭みを無くして高級料亭の味に変える方法というもの実践してみた。

まずは買ってきた刺し身を水で軽く洗ってキッチンペーパーで水気を取る。

次にボールなどに入れて少量の日本酒ひとつまみの塩でもんで再びキッチンペーパーで水気を取れば完成。

かに臭みが取れて、程よく熟成されたような丸みがでた。これはうまい

しかしそれと同時に、安くてうまいと感じていたチェーン店寿司と同じ味だということに気づいてしまって、みんなの前で得意げにそれを絶賛していた自分の舌の馬鹿さ加減が白日のもとに晒されてしまった。こんなこと知らなきゃよかった。死にたい

2018-01-26

塞翁が馬を考えた話

なんかずっともやもやしてることがあって。

旦那のお母さんが調子が悪くなってから通いで家事などを私がしてたりしたんだけど

病気になって、入院してた。

退院のめどがついたものの、義母は今まで住んでいた実家に帰ると言い張ってて

引きこもり家族がいて、義母自分が世話をするべきと強く思っていた)

でも家事はできないくらい体は弱ってるし車いすだし、

かといってヘルパーもそう呼べなさそうな環境だしで

「これは通いで私が家事をするしかないんだろうな」と思っていた。

旦那は同居は絶対ムリといい、

(うちは狭いアパートなんで、物理的に。あと実家田舎子供を通わせられる小学校も近くにない)

施設が一番なんだけど、と言っていたが

退院の前に義母病気が急に悪化して亡くなった。

そしていつも通りの日常になった。

はっきりいっちゃあなんだけど、私はこっそりほっとした。

薄情なことばかり考えていてやっぱり少しは罪悪感があるんだと思う。

ツイッターでよくまわってくる漫画で、

父親死別した女の子叔父にひきとられたら

叔父オカマバーのママだった、ていうのがあった。

女の子はやさしいママとバーの仲間たちと幸せそうにしてて

「ああ、よかったね」といつも思う。

あるとき父親が死んでよかったね」とふと思って、

いやそれは違うだろと自分突っ込みしてしまった。

女の子父親が生きていたほうが、もしかしたらずっと嬉しかたかもしれない。

(嫌な父親だったという描写はないし)

女の子が今幸せなのは

降ってわいたような、与えられた材料で、

女の子自分幸せになろうと頑張ってるからなのかもしれない。

なんか、そういうことを考えて、どうもうまく言えないけれど

「死んでくれてよかった」とか「悪いことあったら次はいいことある」というのでもなくって

因果はいろいろあるけれど、それを幸せ材料につなげるのは自分次第なのかもなあと思ったのです。

まあなんか、こういったことをもやもや考えてしまうのは

罪悪感を感じる自分を、自分で慰めてる、意地汚い心持ちからかもしれないけど。

ああ、それはさておきあれはい漫画です。好きです。

2017-12-05

ジュース中毒治した

甘いジュースを辞めれた 辞めてみればなんで

あんなに飲んでいたんだ思えるくらい

人間喜怒哀楽しかないわけで、その中での喜ぶをなくしてしまったわけだが・・・

塞翁が馬 あの時お金をたくさん失わなかったら自分調子乗って事故で死んでいたかもしれない。

みやぞんも言ってた 失敗なんてないってね。

そもそも金なんて寄付するし。

近代だろうが桃山だろうがどこでもいい。なんでもいい。

2017-09-17

anond:20170917195258

うそう、そうしたほうがいい

塞翁が馬って言葉もあるし人手不足がシャレにならないレベルになったら国挙げて賃金含めた労働環境改善に取り組んで適応できない会社は軒並み潰れて経営者行政も目が覚めてそのタイミング労働に参加したらいいよ。皮肉抜きで本当に

2017-09-09

運を作る方法ってあるのかい

それがあったらそうするけどあるのかなー

運は見えないしなー

人生万事塞翁が馬って言うけど

2016-01-21

第一次就職氷河期のものだが

一部の本当にトップクラス理系は除いて当時はトップ校でも文系は壊滅的だった。

さて…、15年ほど経ちあの時と自分の周りを見てどう思うかの話だが。

自分の知り合いは当時雇用が旺盛だったITに行った人が多かった。ITはその後も躍進し続けて、現在でも人の足りたことがない業界という事で、その頃そういった企業(主にSIだったようなきがするが)に行った知り合い達はその後もそういった会社で長く働いている。充実しているかどうかは別として、忙しそうだ。

ここまではまぁ分かる。

ところが、ここからが本題で当時社名ブランドを優先させた(職種や中身ではなく)上位校の人達はその後どうなったか

これが芳しくない。皆、当時ブランドがあった(社名が知られていた)企業就職していったが、それらの企業新卒維持にかなり無理していたのだろう。よほど堅実な所以外はかれらも皆、そこをいろいろあって(会社がなくなったり、買収されたり、リストラされたりなどなど)四散しているというのが現状だ。

もちろん安定的企業を選んだ人はいまでもあまり変わっていないが。

これを学生時代に見通せというのも酷な話だが、万事塞翁が馬。ですなぁと。久々に知人たちにあって、思う。

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