「レゴ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: レゴとは

2018-01-19

anond:20180119131222

スルーしろとか黙ってればいいとか言う人いるなあ。ブコメにもトラバにも。

どんな出来事にでも賞賛一色の反応しかない世界がお望みなのかしら。

俺もあれ見て「そこまで大騒ぎするほどステキものか?」と思ったうちのひとり。そこそこ優れたプロダクトだとは思うが、騒ぎすぎ、ほめすぎ。

そもそも段ボールなんて廃材の最たるものであって、そんなん自宅にでも転がってるゴミ使わせとけばいいじゃん。型紙だけ配ってさ。

それとも、今時の親は新品の空き缶に説明書がついた「缶蹴りキット」があったらそれ金出して買うのかね。そういう時代なのかね。

クリエイティブな遊び方」とか言ってるけど、段ボールはぜんぶ型抜きしてあって組み立て説明書がついてて、そこで指示されてる遊び方しかできないんでしょ?

あれみたいなもんじゃん、完成図が決まってるレゴ。あれもあれで楽しいらしいけど、あれは作業であってクリエイトではないわな。

作ってる本人にも何ができるかわからなくて、完成したけど何が完成したのかわからない、みたいな投げっぱなしの突き放したコンセプトだったら俺も賞賛したと思う。

でもこれはやっぱり「任天堂さんがおっしゃる通りに遊ぶもの」でしょ。なにがクリエティブ?どこが?もしかして落書きできるところ?ウケル。

2017-12-28

うーんアッコはクズでない友人たちから甘やかされるから駄目なのかなあ

レゴフレンズのメインキャラたちは全員クズお互い様感あるし

anond:20171228031933

ようやくアッコはクズであるということを認め始めたか

しかしアッコのクズっぷりをスルーしてた連中がレゴフレンズを見てクズクズ言ってたのは不思議だったなあ

まあ自分はその逆でアッコは猛烈にムカつくけどレゴフレンズキャラ全然許せるんだよな

どこが違うのかはさっぱりわからない

2017-12-25

ついつい広告の偏りが気になる

まれも育ちも関西で春から東京にきている。東京電車広告がすごいね転職転職脱毛転職。なんなの、東京人はみんなグレゴールザムザなのかい

2017-12-18

anond:20171218103817

レゴは俺もみてない

でもまあ…別にいらないんじゃない

2017-12-07

ニコ動アニ研(研連)の文化の違いをつらつら考えてみた・予告編

アニ研連こと「アニメーション研究会連合」が解散するという情報を見たので、あくまアニ研ゼロ外野立場から

※以下Twitterに投げようと思ったけど如何せん時機を逸したかもなので増田に。


いつぞやのコミケで入手した某まにけんOB作品で、アニ研でのアニメ自作することの醍醐味として「自分で声をあてる」が結構重要ポイントに挙げられていて、ああこの一点だけでもニコ動とは決定的に文化が違うなと。


ニコ動にもそのものずばり「演じてみた」「アフレコしてみた」があって、そっちはまさにギャグネタとして演じてアフレコしてみた風潮が主流だけど、一方でアニ研作品は、ギャグパロディであっても「作った自分たちで声をあてる」ことについては結構真剣に捉えている印象がある。


どんなに拙くても自分で声をあてることに意義があるし、よっぽどじゃないとそれを笑うことはない。一方これをそのままニコ動でやったら容赦ないツッコミの嵐だろう。特にストーリーシリアスだったりすると。


逆にアニ研ゆっくりとか使うのはむしろ邪道って雰囲気も感じる(研連で上映されたのもそういうのは、吉野家パロのゴノレゴさらにパロでTTS使った一本、softalkとか使ってたの二本、これぐらいしか記憶に無い)。


なんというか、同じアニメ制作でも柔道高専柔道ぐらいの違いというか。ちなみにニコ動の流れの元はFlashアニメで、ここからしアニ研とは断絶された全く違う文化だ。


あと短い作品でも結構な人数のスタッフが投入されていて、これもニコ動ではどうなんだろう。こっちはいちいちスタッフロールないとはいえ、基本一人での製作だろうし、だからこそFlashとか「一人でも作れる」ためのツールを使っている。


なぜか思い出したのは「大量の隊員を動員しながらほんの一握りしか登頂できない極地法に疑問を持った」という植村直己さんのWikipedia記事


何事も基礎は肝心で、それこそ柔道とかプロレスとかは受け身は基本中の基本で欠かしたらケガしてしまう。然るにアニ研の方は「受け身の練習と同じように大事なこと」としてコマの描き方から教えていて、ちゃんとした創作はそれがモノになってから、みたいな教育をしているのではないか


で、一枚一枚コマを描くことはそれは大事だろうけど、ぶっちゃけ受け身のようにケガをしないために必須ものなのかというと…?新人の側も「いいから作らせろ、Flash使わせろ」て思ってるところがないかなとも。


研連では「4年かけて精一杯短編作りました」とか「予告編だけで結局本編作られず」とかが多い印象で、そういうのニコ動で受け入れられるかというと疑問符つくしニコ動では「アニ研で4年かけて作られる短編レベルを長くても数ヶ月で仕上げるクリエーターの方が目立つ感じが。


名前は挙げないけど、いつぞやの研連上映会ではアンケート1位だった作品。「アニ研ってとにかく本格的にかっちりやることに拘るんだな、結局『アニメ作りを楽しむ』よりも『アニメスタジオ(というかジブリ)の真似ごと』やるための場所なんだ」というすっごく穿った見方をしてしまった。


ともあれそういうのについていけなくてドロップアウトしてニコ動で一人でこそこそ作ってるって人もいるんじゃないのかな?とも思ったりした。


※後日新しい話題も含め増田でまとめる予定。

2018年6月公開(なんちて)

2017-11-27

anond:20171127211306

そんな陳腐化するような知識を身につけようって事じゃなくて

論理的思考を育てるための手段としてプログラミングを選んだだけだよ

からレゴとかScratchみたいなパズルみたいなやつでいいんだよ

試行錯誤しながら覚えることが大事なだけ

必修化される小学校でもプログラム言語を直接やるところは少ないはずだよ

2017-11-20

そもそも何で子どもを作る必要があるのか俺には分からない

かわいいとかかわいくないとかの話じゃない。

なんで?

子どもが欲しいから?

自分遺伝子を後世に残したい…から

それってどんな意味があるの?

自分が死んで数世代後に血統が途絶えるかもしれないのに?

そもそも世代目には自分塩基配列と似ても似つかないような感じの情報になってるのに?

もっと言えば遺伝情報が似てるってだけで、子どもですら他人でしょ?

生殖細胞を元に細胞分裂を重ねるわけだけど

体を構成する有機質・無機質は食事から取り入れた別の栄養素を元に構築されてる

幼少期から育てていて遺伝的に似てるからってだけで親近感を覚えてるけど実質的構成要素は他人でしょ

愛してる人との結晶を作りたいから?

うーん、分からん

産まる前から100%死ぬと分かってる命を作る考えってどこにあるんだろう。

人形作るのとは違うって感覚はあるんだよね?

使命感?

自分が新しい命をこの世にもたらすとか恐ろしくてとてもできないんだけど。

からの授かりものかいったって、

実質中田氏して仕込んでるんだから作ってるの自分らじゃん。

新しい命をレゴブロックする勇気は俺にはないわ。

そいつがもし産んで欲しくなかったって言ってきても責任とれんの?

俺の実在しない息子と娘はお父さん私たちを産んでくれなくて本当にありがとう!って感謝してるよ。

本当に謎だ。

こんなこと現実では決して言えないんだけど、

なぜそこまで新しい命を作ろうとするんだ。

やはりきぼうの中で生きてる人間たちは産まれること=善だと思考してるんだろうか。

俺は産まれることは置いておいて、とにかく死にたくない。

死にたくないっていうか俺の知る人、知らない人すべてに死んでほしくない。

この文章を読んでるあなたにも死んでほしくない。

死ぬという絶対が嫌い。

けどどうにもならないから諦めるほかない。

子どもが死にたくないって言ってきたらどうすんの?

俺らの方が先だから

みたいなので誤魔化す勇気は俺にはないわ。

お前が死ぬのが織り込み済みで、俺の満足のために中田氏しましたって面と向かって言えるくらいの勇気があれば、

そのときはやっと俺も親になることができると思うが。

そんなのは永遠にこないわけど。

無関心にも成りきれない私は当然のように欲しいとは思えないわけで。

それがとても間違ってるのは分かるけど、答えがないのに信じられるのも理解できない。

みんなはどう考えてるんだ。

考えてはいないのか。

どれだけ大きな愛情があれば確信に繋がるのか新しい不幸の種を植える可能性は全く考慮の外にあるのだろうか。

魂がどこからきてどこに帰るのかすら分からないのに、

人為的に新しい魂を呼び込むことをさも当たり前かのように行い続けてきた文化がひどく恐ろしく俺には思える。

一体何にこの大きな流れを決められているのか真相すら見ていない。

2017-11-15

物語虚構ファンタジーってみんな好きなものだと思ってた

最近SNS上とかで漫画とか小説おすすめすると「ファンタジー苦手…」とか「物語はあまりハマれない…」みたいな反応がある

自分は昔からそういう物語虚構ファンタジーが好きで小説やらアニメやら見るのが好きだったのだが

意外にそういうの無理な人って多いのかな?だとしたらその理由とか知りたい。

ちなみに自分がそういったものが好きな理由としては、子供の頃からレゴ砂場遊びでごっこ遊びしてた回数すごく多かったことが有力。

2017-10-15

NHKは某宗教忖度しすぎではないか

NHKその他テレビで某宗教タレントキャスティングされることが非常に多くなった

実力のある人もいれば居ない人もいる

宗教自体が嫌いなわけではないし、某宗教所属からといって忖度に甘えない人も多い

俳優は本当に実力があり、個性もあるから出ずっぱりでも納得できる

漫才師も地道な活動をしており、好感が持てる

女優も情に厚いおばちゃんであり、いるだけで絵面にパンチもあるし、いい話で確実に泣くのでテレビ的にも必要ポジションだろう

しかしそうではない人も多い

ワイドショーコメンテーター枠に不自然に入り込んだ、とくに代表作も実力もない俳優アイドル崩れの女優らしき人がねじまれている

何の機転も知恵もいらないバラエティーでとくに面白いことも言わない、芸があるわけでもないのになんとなく司会者ポジションにおり、なぜか大物ポジションになっている芸人タレント

まあ、それでも彼らはそれなりに実力が評価されているのだろうし、いくら宗教団体新聞スポンサーとは言え、数字がとれなければ降ろされるのだし、ムキになることもないだろう

問題NHK

NHK番組キャスティングでもやたら多いので違和感があるのだが、それだけではない

番組のセットや視覚効果に、あのどぎつい三色を使いたがる

再現VTRの中に意味のない三色のものを机や小道具に入れたがる

この不自然な配色、小物の比率民放の比じゃないのだ

そもそもあの三色デザイン的にバランスがよくない

単色ならともかくまとめて使えば南国などの原始的イメージを生み出すので

普通はなかなか使わない

スーパー広告など、どぎつさで人の目をひきたい時に使うが、それは要するに一時的ストレスを生むからこそ注目されるのであり

一般的デザインでは鬼門

それがここ数年あきらかに増えたのである

例えば、先程再放送で見た「逆転人生

セットが赤い壁に青と黄色天井

再現VTRでは主人公の机の上に赤青黄のレゴのようなブロックが置いてある

企業社長の机にそんなもの置くわけがない。演出的には違和感がある

自某政権から圧力なのか、それとも某宗教の熱心な信者NHK幹部になったのかはわからない

しかし、もし仮に某宗教配慮して準国営放送公共性を歪めているとしたら、それは許されることではないだろう

繰り返すが、某宗教も某政党も嫌いではない

楽しくやっていて良い、人道的で良いと思っている

からこそ、クリーンで居て欲しい

真偽のほどはわからないが、もしこの思い込み真実ならば非常に残念だ

せめて、あの三色は勘弁して欲しい

それぞれの色には何かしらの意味があるのだろうから

番組に沿ったイメージカラーを選んで、単色で使って欲しい

それだけで視覚的にだいぶよくなるのだから

2017-10-13

幼稚園ぐらいの子対象にしたオモチャが少ない

ゲームはまだはやいし

動画もずっと観るわけにも逝かないし

プラレールレゴも1時間ぐらいが限度だし

2017-10-08

息子5歳覚書

子どもの5歳の誕生日だった

俺をみるとうんちとパンツしか言わない

口ぐせは「そうかもしれないね」

頭の中はキューレンジャードラえもんウルトラマン

妹好きだが、よくたたかれて泣いてる。

ブランコちょっとこわい

ようやく歯医者治療できるようになった。銀歯2本

嫁の機嫌を逆撫でする

家にいるときテレビを見てるか、ニューブロックレゴ

おじいちゃんおばあちゃん好き

公園に行くと遊具よりも草や葉っぱ

2017-09-26

anond:20170926075126

認知的不協和とか醜形恐怖症とかグレゴールザムザとかめんどうはおいといて

肌・クマとしては朝が一番マシな顔してるので自分の顔色をチェックしてほしいのと

ハナゲメクソ抜けまつ毛で人を笑わせるのは勘弁してほしいのと

佐伯チズの本読めってのと

あと秋じゃなくてもそういえる程度に夏はエアコンはかけようね。

脱水ネトネト顔のことあるからな。

論外:

http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2017/09/22/013730

2017-09-15

映画ワンダーウーマンを見た

ワンダーウーマン」を見たので感想。と言うか考えたこととかのメモネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので、見た人向けだと思いますフェミの話とかも出てくるんでそういうの苦手な人も回避でよろしくっす。

総評

まず最初に、「ワンダーウーマン」、個人的にはそんなに評価高くない。少なくとも世間で(特に欧米で)いうほど大絶賛、大感動をすることはできなかった。これは映画を見終わったあとのファーストインプレッション

しかしじゃあ評価低いのかというとそんなこともない。

「1800円という価格&2時間という投資に見合った体験できるのか?」という視点で自問したところ、その答えは「100点」なのだ。十分高評価だろう。いい加減な脳みそだなあ、オレ。とも思った。

なんでこんな評価のすれ違いが発生してしまったかというと、今年見たアメコミ映画の先行2本、すなわち「レゴバットマン ザ・ムービー」と「スパイダーマン:ホームカミング」の評価が高すぎた、というのが原因であるらしい。前出の基準で言うと、「レゴバットマン」も「スパイダーマン ホームカミング」も200点くらいの評価なので、「ワンダーウーマン」はタイミング的に損をしてしまったのかもしれない。これが「ドクター・ストレンジ」のあとだったら感激できてたのに。

「100点である理由」としては大きく2つ。

まず「予告編で期待される要素が全て入っている」。無垢主人公ダイアナの島での生活スティーブとの出会い、「外の世界」への出発、人間社会との交流、第一次世界大戦の泥臭い戦争描写、圧倒的な戦闘シーン、ど派手なCGバトル。主人公ダイアナの衣装替えもアマゾン戦闘服マント姿→1910年代のヴィクトリアンはいったロンドンファッション→鮮やかな青のナイトドレス神の子戦闘服と飽きさせない。

そして「アメコミ映画ありがちなダメダメ要素を極力入れないようにしてある」。とくに3点「主人公の不幸描写に力点をおいたヒーロー誕生秘話」「クリフハンガーの繰り返しによるピンチ感の陳腐化」「取ってつけたような絶対悪敵役」の排除には成功している。そういう意味では、既存作品の悪いところがよく研究されているのだ。これは簡単なことじゃない(アメコミ映画はこの3つの罠によくハマるのだ)。

要約すると、よくできている。期待通りの作品だ。

一方で「100点でしかない理由」としては「取ってつけたような批判回避策」、「人物描写の底の浅さ」だろうか。

主人公ダイアナスティーブ自分たちの定めた使命を果たすためにチームを結成して第一次対戦の最前線に向かうのだが、そのチームは「絶海の孤島で育った主人公の女戦士ダイアナ」「イギリス軍諜報部に協力中のアメリカ外征軍大尉スティーブ」の2名を中心としているのだが、それ以外の参加者が3名いる。

フランス領モロッコ諜報員サミーア(おそらくイスラム系)」「ネイティブ・アメリカン密輸業者で通称酋長」「スコットランド人の酔いどれ狙撃チャーリー」この三人なかなか個性豊かで好感がもてるにはもてるのだが、「イギリスvsドイツ塹壕戦」にたいしてイギリス陣営でこれを主人公チームにするのは、いかにもPC的な取ってつけた感があった。

それを言うと映画冒頭のアマゾン族が暮らす絶海の孤島にも、白人だけじゃなく黒人アマゾンが配置されてたりして「こんな風に色のバランス取っとけばいいよね」的なそれを感じる。

この種の気遣いがあるのはもちろん良いことなのだが、それが気遣いの要素を超えていない、多様性テーマに対して踏み込んでないという部分があったせいで、浮いて見えてしまっている。またそれに対応するドイツ軍が通り一辺倒な描写で(つまりは白人集団なので)片手落ちに見えてしまう(ドイツ下げをしたかったわけじゃないだろうに)のも気にかかる点だった。

総じてエンタメ作品として秀作ではあるけれど、秀作止まりというのが個人的評価である

無垢子供ダイアナ

たぶんこのPC的なディレクション――批判に対して自覚的で先手を打って内容を適正に作っていこう――は最近ハリウッド映画では多かれ少なかれあるのだと思う。ただ、そういう制約(どういってもある種の制約ではあるだろう)を逆手に取って笑いやネタにしたり(デッドプールにおける「女性も男同様にブン殴ったほうが公平じゃない?」)、むしろそこに正面から踏み込んでえぐり出す(スパーダーマン:ホームカミングの敵役ヴァルチャーはいま注目されている「見捨てられた白人労働者」)のにくらべ、ワンダーウーマンのそれは踏み込みが浅くどうしても「そういうルールなので設置しました」感が出てしまっている。

重ねていうけれど、これは減点部分だという話ではなく、加点はなかったという話だ。

おそらく「ワンダーウーマン」という作品――つまり女性戦場に出て戦うという作品を作るにあたって、制作側は、(フェミニズムを中心に)炎上の可能性を覚悟して作ったのだと思う。だから、予め潰せる問題点は潰しておいた。

それは主人公ダイアナの人物設定にも反映されていて、彼女美女で、アマゾン族の王女で、めっちゃ強い。すごい跳躍力や筋力を持ってるし、噛み殺しの特殊能力を持つスーパーゴリラだ。だが多分そのままだと脳筋批判も巻き起こすだろうから、島で英才教育を受けてた設定になっている。作中でも数百の言語を操り、古典に詳しく、第一次世界大戦当時の最先端化学式を読み取るなど知能面でも卓越している。(第一次世界大戦当時の)女性だからといって馬鹿ではないのだ!

しかし、だからこそというか、逆説的にというか、なんだかすごく残念な人物描写になってしまっている。

彼女世間から隔絶された島で育ったので無垢だ……という設定なので、物語終盤になるまで「人間は悪神アレス洗脳されているせいで地獄のような戦争をしているのだ。悪神アレスさえ倒せば人間は正義と慈悲に立ち返り戦争は即座に終わる」と信じ込んでいる。ここは物語のテーマなので、外せない重要な要素だ。

それはそうで、重要に間違いはないのだが、それってどうなのだろう。

言語というのは必ずその文化を含んでいる。外語を学んだことがある人ならわかると思うけれど、外語を学ぶというのはその言語を操る民族や地域文化を学ぶということをニアリーイコールだ。文化も歴史も言語には含まれているからで、そこに理解無くしては言語の意味を理解するなんてできない。ましてや古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか? いやまあそこが物語のキーなわけだから、理解していないということにしないといけないのはわかるのだが、そういう描写にしてしまったせいで作品は別のメッセージを持ってしまった。

すなわち「知識も教育も倫理や人間について理解の助けには全くならない。世界を良くするという意味では、教育は全く無意味である」というメッセージだ。多分これは随分うがった見方だろうし、制作側はそんなメッセージを発信するつもりはないだろう。けれど、物語上ここでねじれが生じているために、そう取られかねない「隙き」が生じてしまっている。批判される要素をなくそうと頑張っていた制作陣が、塞げなかった穴に見えてしまうのだ。こういうねじれが、どうも彼女をそこの浅い子供に見せてしまっている。

ワンダーウーマン」は「(邦画では珍しくもないが)戦う女性主人公」「女性が監督した初めての大手スタジオによるスーパーヒーロー映画」という点で、フェミニズム界隈から賞賛を受けた。

けれど、個人的にはダイアナ女性ではないのだと思う。すくなくとも、フェミニズムが想定するような「解放されるべき女性」ではまだなくて、子供なのだ。まだ思春期すら迎えていないような子供で、世界に対して良く言えば無垢だし、シニカルに言えば無知無責任だ。

ダイアナに強い好感を覚えられなかったのがこの映画評価に加点が少ない理由だと、整理した今なら自覚できる。

善き大人スティーブ

多分、自分にとって不幸だったのはこの部分で、それは「ワンダーウーマン」を観るまえに「ウーマンリブ的な文脈でフェミニスト絶賛」みたいな評価を知ってしまった点だ。「そういうつもり」で見てしまったせいで捻じれが目についてしまった。

しかし、見終わったあとに思い返してみると、魅力的な部分がいくつもある映画だ。その最大のものアメリカ外征軍大尉のスティーブトレバである

彼はドイツ軍スパイした結果恐るべき毒ガス計画を知り、逃亡の最中に絶海の孤島アマゾン島に漂着し、主人公ダイアナを「外の世界」に連れ出す役目をする。無垢美女ダイアナエスコート役であり物語最終局面まで彼女を支えて導き続ける。

ぶっちゃけ、序盤はただのイケメン俳優だと思っていた。

いやイケメンなのは最終盤まで変わらないけど。

ヌードシーンがあったりもするので、女性向けの眼福要素も担当させられたイケメン俳優だと思っていたのだ。二回もイケメンって言ってしまったよ。

彼は優秀な軍人でありパイロットなのだが当然人間なので、スーパーヒーロー神の子であるダイアナに比べたら喧嘩においてはまったく弱い(軍人として適正に強くはあると思う)。おまけに非文明圏であるアマゾン島では虜囚に近い扱いも受けていたし、さらにいえば彼はアメリカ軍大尉であり、物語中盤の舞台イギリス(&イギリス議会イギリス軍)では大きな権力を持っているわけでもない。上司に対しては愛想笑いを浮かべたり、自分意見をひっこめたりもする。

物語中盤、未知の世界である外界に出たダイアナは完全にお上りさん状態であり、大都会ロンドンにおいて常識を知らないことから、スティーヴに迷惑をかける。それにたいしてスティーブはなだめたり、すかしたりしてダイアナに行動を抑制しようとする(そして失敗する)。スティーブダイアナに「外の世界常識や考え」を事細かに説明して理解を得ようとはせず、断念する。命の恩人ではあるし天下無双の戦闘能力を持ってはいるけれど、「面倒くさい子供」でしかないダイアナに呆れているように見えることもある。

こうやって説明すると際立つけれど、スティーブイケメンが売りなだけのダイアナの介添に見えていた。

しかし、上映後に振り返ってみるとこの映画の中心はスティーブだと思う。

ド派手なCGバトルアクションとか、世間フェミ的な評価を全部取っ払って、個人的に「ワンダーウーマン」の感想を述べるならば、「ワンダーウーマンスティーブ映画なのだ

全般的に人物の内面描写が浅いきらいのあるこの映画だが、スティーブに関しては脚本も俳優も素晴らしい仕事をしている。

彼は心の中にロールを持っている男だ。それは「善き男」であり「善き大人」であり、おそらくだけど「善きアメリカ人」であり「善き隣人」だ。彼はそういうふうに生きたいのだ。正しさや信念というよりも、自分の中に理想像ロールモデルがあると表現したほうがしっくりくるのがスティーブである

彼が軍に身を投じたのは、混迷続く世界情勢の中で、善きアメリカ人として社会に奉仕しようとした時、そのモデルが軍人だったかである。今の価値観で言えばもちろん異論はたくさんあるだろうけれど、その当時の常識で言えばそれは愛国心であったし、善き市民の善き行動だった。

ドイツ軍に密偵した結果、彼は恐るべきマスタードガスの開発と、それが講和間近のイギリス軍へ向けられていることを知ってしまう。彼はこの情報を持ち帰るために命を捨てるような危険を犯す。それもまた、彼の中にある「それが善き男の行動」だからだ。

その過程ダイアナに命を救われ、彼女の「外の世界戦争を止めたい」という希望を叶えるためにも、一緒にイギリスまで情報を持ち帰ることにする。

しかし、イギリスにそれを報告したが、結果ははかばかしくない。講和が間近に迫ったイギリス軍は、ドイツ軍(の一部)に災厄的な行動があったとしても全面攻勢には移りたくない。スティーブ情報事実上握りつぶされる。

彼はここで彼自身の行動規範である「善き人」を曲げられる。軍の階級差という世俗の権力構造のせいで、彼がすべきだと信じる行為を行うことができない。

講和のためとは言え、前線舞台をマスタードガスの脅威の前に放り出してよいのか? 良いはずはないが、議会や政府の決定に従うのも「善き国民」の義務ではあるのだ。

でも隣には精神的に子供ダイアナがいて「ねえなんでなんで? なんで正義しないの? まさかここでやめるわけ? 処す? 処そうか?」という視線で見てくる。彼は、その結果、軍の命令を無視して、私費で(というかボランティアのつもりだった?)傭兵を雇い前線に向かう決意をする。彼は心の中にある「善き人」の指し示すところに従ったのだ。ダイアナがあんまりにも無垢なので引っ込みがつかなくなったという側面があったにせよ。

前線に向かい、血みどろの後背地を抜けて塹壕にたどり着き、取り残された村をダイアナ神話的な能力にも助けられて開放して、ダイアナスティーブの関係は接近する。男女間の性愛的な意味での愛情もあったような描写だったけれど、個人的にはスティーブ父性も強く感じた。その父性というのは、子供しかないダイアナに「善き大人」を見せるというものだ。戦争なんて醜悪なものなのだけれど、それだけではないということ、世界には「善き隣人」の「善き努力」もあるということを示したかったように見えた。孤島から世界に連れ出した人間として、世界に失望してほしくなかったのかもしれない。

終盤。マスタードガスの大量生産はすでに完了しており、その暴挙を止めるために一行は秘密基地に忍び込む。ダイアナはその中で、アレス化身だと思われるドイツ軍ルーデンドルフ総監を倒すことに成功する。ダイアナは「これで悪神アレス洗脳は溶けて戦争は終了する!」と歓喜するが、兵士たちは戦闘をやめない。殺戮の準備を辞めない兵士ダイアナパニック状態になる。ダイアナにとっては今まで信じてきた世界観が崩れ去った瞬間なのだ

そのダイアナに向かって、スティーブは今まで何度も説明しようとしてしきれなかったことを告げることになる。

それは「この戦争は人間が開始して人間が拡大させたものなんだ。神はいない。僕たちの責任だ」ということだ。その告白はとても辛い。「善き男」として生きたかったスティーブは、まったく「善き男」ではなかった。戦争をしちゃってるのだから極悪人なのだしかし、スティーブは「この戦争は僕達の罪なのだ」ということを認める。なぜなら、戦争の責任を誰かに転嫁するのは、戦争を始めるよりも更に恥ずべきことだからだ。「善き男」として彼は、世界の醜さの責任を取らなければいけないと決意する。

スティーブダイアナの間にあったものは多分とても複雑で、男女でもあったし、父と娘でもあったと思う。でもその一部には神と人間というものもあった。

彼女の戦闘能力があまりにも隔絶してたかスティーブもその視点を持たざるを得なかったのだろう。

ダイアナの考えは「神が神の邪悪を振りまいたせいで人間が迷惑をしている」から「神の使命を持つ私が人間を救う」というものなわけだけれど、スティーブはこれに「善き人間」としてノーを叩きつける。ダイアナの考えはある種のパターナリズムだが、スティーブの答えはそこからの脱却だった。

神々の戦いは神々であるアレスゼウスの娘ダイアナが決着をつけるだろうし、人間であるスティーブは戦闘能力の関係上そこには関与することができない。しかし人間の始めた戦争であり、人間の悪意であるマスタードガスは人間であるスティーブが止めなければならない。筋としてそれが正しい。

ダイアナの戦闘能力やスティーブたちの状況を考え合わせると、彼らはここで戦闘を放棄すれば逃げて安全に暮らすことは十分に可能だったように見える。その場合はもちろんマスタードガスで前線の部隊は凄惨なことになるのだけれど、倫理的に考えてスティーブが彼らを救う(その結果命を落とす)絶対的な義務があったわけではない。戦争の悲惨すべてを、個人であるスティーブが背負う必要はないからだ。

スティーブが命をかけた動機として、父(先行者)として娘(後続)に「この醜悪な外の世界にも善はあるのだ」という事を示したかったのか、人間として神に「あなただけにすべてを背負わせない。人間は弱いけれどそれでも自分たちのしでかした行為の責任は取る」ということを示したかったのか、それとも男として女に「俺も戦う」といいたかったのか、それはわからない(そこが返ってスティーブという男のテーマとしてよかったと思う。彼の愛情には名前がつけられない)。

けれど、スティーブは「自分の戦い」として今まさに離陸していこうとする毒ガス満載の爆撃機を止めるために飛び出す。そして乗り込み、爆弾を抱えて、前線を救って、結果としてダイアナを残して死ぬ。

こうやって思い直してみると、中盤、ロンドンの街で常識知らずにうろつくダイアナに手を焼いていたのも、「善き大人」として子育てに苦労してたんだなあ、と思える。

スティーブは大尉だからおそらくエリートなんだろうけれど、まだ若いし、それ以前にすべての人間がそうであるように、不完全で未熟だ。しかしそうであるからこそ、彼には「こんな存在でありたい」という理想像があった。そして常にそうであろうと、努力していた。都会ではトラブルメーカーダイアナを「善き保護者」として(オロオロしつつも新米父親のように)導こうと思ってたし、最前線では「善き戦友」として肩を並べて戦った。戦火から救い出した村でチャーリーが歌ったときは「善き男」としてダイアナを熱っぽく見つめた。彼は最終的に、「惚れた美人との安全な生活」よりも自らの役割を優先した。自分自身の信じる正しさに殉じた。それは「善き人間」として神の前に立った時、他の誰でもなく自分が、人間すべての代表として神に「人間の誠実」を見せるべきだと思ったからだ。

それは上野千鶴子あたりの言葉を借りると「男性の安っぽいヒロイズム」であり「戦争に興ずる幼児性」なのかもしれないけれど、物語としてみるとスティーブの人物描写はこの映画の中で一番複雑で深みがあった。魅力的だった。

そんなことを考えると、「ワンダーウーマン」はウーマンリブ的な価値観映画というよりも、男性的な価値観の、そして「神(あるいは超越的な力を持つスーパーヒーロー)の前に立った『善き人間』の覚悟と誠意」の映画だと思う。そして、そこがこの映画の美点だと思える。

2017-09-02

来週末、映画ファンは財布を開く

映画ファンの中で話題になっている日付がある。

2017年9月9日だ。

なんと映画ファンが注目する三監督作品が一気に公開されることになった。

1作目は、是枝裕和監督の『三度目の殺人』だ。

これが何故注目を浴びているのかというと、正直ポスター、予告やCMの出来がよくないので(笑)監督が是枝だからということに尽きるだろう。

また、是枝組キャストも登場するので是枝スターシステム感というのもあれば、売れっ子キャストファンはまた綺麗に撮ってもらえるということで監督ファンwin-win関係を築いているように見える。

あとまだ海外公開で評価が出ていないのもいい。

海外にでる映画というのは公開日の都合上、既に映画祭に参加しており、評価ができっている(なんならオチが書かれている)ことがある。

ネタバレ踏み放題なので、なんで邦画を先に外国人評価しやがるんだコノヤロー海外評価されるたけし風に(アウトレイジ3もうすぐだね)文句も言いたくなるが

まだ、まだギリ出きってはいない。もうすぐ出ちゃうが。大体海外と同じぐらいの時期に海外賞に出される邦画が見られるということだ。

自分感覚映画を見ることができるのは、映画ファンにとってなによりの幸せだろう。

結構規模も大きいので、どこの映画館でもやっているだろうし、地方住みにも優しい。

2作目は『ダンケルククリストファー・ノーラン監督だ。

ノーラン映画ファン必修映画を作る。インテリに見せかけたエンタメが得意であり、作る映画作る映画評論され、世界中ノーランファンを生み出している。

彼の映画の特徴といえばCGを使わないでCGのような映像を撮ることなのだが、今回あることで話題になって居る。

ダンケルク 国内オリジナルで見られる場所が1か所しかない問題」だ。

IMAX用のカメラで撮るのだが、ノーラン世界中劇場サイズをまったく無視した規格で映画を作ってしまった。

日本にあるIMAX映画ファンの中では有名なことだが大体偽物です。いわゆる偽IMAX洋画ファンが大好きTOHO新宿にあるのも偽物ですよ。

TOHO新宿IMAXでもしこの映画を見ると、上下がわりとカットされてしまうらしい。普通劇場で見ると最早真ん中しか見れない。

え、じゃあ上手いことできないのか!?と疑問が枠だろう。映像を小さくするとか。うん。できないらしいよ。

そこで登場するのが大阪ひらパーの近くにある109シネマズ大阪エキスポティIMAXになる。正義IMAX。本物IMAXだ。

ここ以外に日本に無いのか?YESエキスポティスタッフもそれを公言していた。

ちなみに次にオリジナル版で見られる映画館台湾だ。大阪の山が遠いという方は台湾とか、韓国に飛んでくれ。

エキスポティ満席になることだろう。予約必須

3作目は『散歩する侵略者黒沢清監督だ。

どうだろう。黒沢清って知ってるだろうか?意外に日本ではあまり賞を貰ってない監督だが、海外の経歴だけ見れば確実に日本トップレベル監督である

この映画も、上で書いたように既に海外批評が出ているし、ファンも多く海外に行けば役者をおいてサイン会行列海外配給も多くの国で決まっている。

ホラーの名匠でもあるが、今回の作品ホラーではない。しかも漂うエンタメ臭。映画ファンたちの先行試写の感想は興奮に満ち溢れている。

しかしたら、日本黒沢監督がやっと評価を受けることになる映画になるかもしれない。この逆輸入感がたまらない。

ダンケルク程では無いが、完全オリジナルを鑑賞するには『ドルビーサラウンド7.1』という表示があるスクリーンに入らなければならない。

ざっくり言えば邦画では超珍しいサウンドで、音が格別な映画とも言える。

またドルビーサラウンド7.1を導入している劇場でかかるかも微妙な中規模映画なので、公式サイト劇場情報確認してから見に行こう。

ドラマ版も公開後にWOWOW放送するらしい。

話題になることは間違いないだろう。筆者はWOWOWに加入していません。

というわけで三作品紹介したが「年間1本しか映画を見ない」「漫画実写しか見たことが無い」「映画とか正直かったるい」とかそういう人たちにはオススメしない。

何故なら、そういう人は多分寝る。分からなかったとヤフーレビュー(笑)に低評価をつける。

多分そんな作風からだ。

エンタメは誰にでも広いものでなければならないが、この三作の監督商業なんてどうでもいいからお前の世界を見せてくれよ!というのを求められている監督たちだ。

三人とも商業意識したら内容も興行も失敗してしまった経験をもっているし、彼らにそれを求めてはいけない。

ただ確実に言えることがある。

この三作見てたら映画ぶれる

今年の「映画通なら見とけよ三大映画」である。それが同日に公開される。

映画通でなくとも、それっぽく振舞える。映画ファンキョロ充必須ファッションアイテムなのだ

是非、三作見てほしいがまぁ、見なくても一作くらい見てほしい。

結果つまんなかったーでも映画ファンは多分怒らない。賛否が分かれるところも含め、この三監督共通点である

9月9日劇場映画ヲタが押し寄せる。

以下、金払っても後悔しないかな今年公開予定の映画リスト

ナミヤ雑貨店の奇蹟/亜人レゴ ニンジャ ザ・ムービーアウトレイジ 最終章ブレードランナー2049/ラストレシピ 麒麟の舌の記憶泥棒役者探偵はBARにいる3/スター・ウォーズ 最後ジェダイスイスアーミーマンジュリーと恋と靴工場あゝ、荒野 前後編/岩合光昭世界ネコ歩き/KUBO/彼女がその名を知らない鳥たち

2017-08-29

ゲーム好きの夢

最初は新しいゲームアイディアか何かのように思った。だから書き記さなければいけないと感じた。

自分は広大なマインクラフトのような世界にいる。多くの建造物が様々な地形に埋もれているが、全体的にはどうやら東京のような現実都市のようである。いたるところから様々なサブ空間ワープできて、それはクラブハウスだったり、学校家庭科室だったり、着ぐるみみたいな青年が一人で乗っている宇宙船だったりした。ゲームのようにそれらは気軽にトライでき、そしてハマってもいつでもリセットすることができた。さながらゲームのように何度もそのクエストを遊ぶのだ。クエストの中身はいたって平和な内容で、砕いたチョコレートを溶かして型に流し込んだり、レゴブロックのようにばらばらになった部品からバギーを組み立てたりするものだった。そこにいる人たちはすべてリアル人間様相だった。フィールドと思しき空間マインクラフトのようにけっこうおおざっぱなつくりだ。しかマインクラフトのように単調な世界というより、ビルダーさんが頑張って作り込んだ世界のように、機械的に生成されたマップではなく、ちゃんとした一つの作り込まれ世界であった。この世界マインクラフト世界と違ったのが、頻繁に地震が起こることだ。地震が起こると空間に裂け目ができて、今までなかった場所に入り込めるようになる。そうやって空間の隙間隙間に潜り込むように冒険し、ビルの隙間からマグマが噴き出る地底に入ったり、アスファルトの裂け目からピラミッド古代遺跡のような空間に入っていった。そこでは様々なアイテムも手に入れた。先ほどのバギーもその一つだった。中でも印象的だったのは、あるリュックサックに入った缶詰だった。この缶詰を開けることになったのは、ひときわ大きな地震が起きた後だった。その地震によって今まで冒険していた世界の半分以上が崩れてしまい、今まではたまにしか出会うことのなかった着ぐるみのような生きものとか、赤いゼリーのような色をしてバギーに乗ったパンダとか、クレヨンで描いたような雑なホビットなんかがいたるところに表れていた。この崩れてしまった世界がどうやら新宿だったらしいこともこのころ知った。地震の際には必ずどこからアナウンスが流れてくる。地震を警告しているが、何らかの啓示のようにも聞こえる。断片的で意味深なことをいう。ゲーム的にはヒントのような存在なのかもしれない、と考えて、地震を避けつつも新たな空間に入り込んで探検を続ける。そんな中で、天井の高さが1mほどしかないが、体育館くらいの大きさの空間の中でリュックサックを見つけた。見つけたときは食料でも入っているかと期待したらしく、どうやらこの世界にも空腹の概念があるらしい。でも入っていたのはジップロックのように密閉された袋がひとつ付属メモに、開けるには「缶切り」が必要であることが書かれているほかは特に情報がなかった。このかばんを拾ってからしばらくして、大地震から逃げ延びた数十人が集まるキャンプに立ち寄った際、「缶切り」を持っている人から借りて、その袋を開けた。密閉されたポリ袋を何回も開けた先には、真空パックのように密閉された、はんごうのような形をした、手のひら大の容器だった。缶切りが必要だと書かれていた割には、単に引っ張れば開けられそうだったので、そこで缶切りは持ち主に返した。取り出した容器を思いっきり引っ張ってスポンといい音を立てて開けたら、中からスポンジが溢れてきた。溢れるなんてもんじゃない、元の容器の50倍くらいのサイズに大きく膨れ上がって、それはカピバラ二足歩行しているようななりをした生き物になった。彼曰く、この世界をこうしたのはある魔術師が原因らしい。そしてこの容器を開けてしまった自分は、魔術師呪いがかけられることになってしまった。それからしばらくすると、自分世界からまず音がなくなった。今まで冒険してきた様々な空間が、今まで以上に脈絡なく連鎖するようになっていった。ここまでに見てきた世界は、奇妙ながらも親しみが感じられる世界ではあった。”洞窟物語”とか”undertail”のように、仲良くなれそうな世界の温かみがあったのだが、それが途端に失われていったように感じる。新宿の奥底にある溶岩に囲まれ遺跡から一人暮らしの心優しい青年が旅している宇宙船内に移動したあと、船内の男子トイレの隣にある脱出ポッド勝手作動させて宇宙に放り出された。全くの無音が耐えがたい。魔術師呪いなのか。自分魔術師だったのか。よくわからないがこの冒険を終わらせたくなったが故の行動だろうと思った。感覚が失われつつもどんどんと左手に圧迫感を感じ始める。この感覚は良く知っているいつものアレだ。自分は寝相が悪い。よく変な方向に曲がった腕の痛みで目が覚めるのだ。

そうして目が覚めて、先ほどまでの夢の中での冒険譚を書き記そうと思い、ケータイで飛び込んできたミサイルニュースを横目にしつつ、忘れないようにこの文章を書いた訳です。詰まるところこの話は夢オチである。がしかし、今の自分にとってこの物語創作ではなく、れっきとした自分の夢で起こったノンフィクションだった。

自分は物書きではないが、ビジネス上の文章を1日にそこそこの文字数(この文章の5~10倍くらい)で書くことが多い。しかしこの文章では普段とは全く違う方法で書いた。「一切書き直しをしないで一気に書く」という方法だ。そうでもしないとどんどん薄れ消えゆく夢の内容を正確に書き残せないと思ったわけです。

最低限の誤字脱字は直したもの・・・我ながらひどい文章である。夢の記憶が薄れた今読み返しても、この記述が正確であるかどうかはもはや判断できないのだが、怒涛の展開があったという雰囲気はまぁとらえているような気がする。たぶん。

そして書き出してみると、昨晩自分がやっていたゲームとかの影響がちゃんと出ていて興味深い。夢は脳が記憶を整理する過程を見ているものらしいと昔何かで聞いた気がするが、確かにこの物語自分の夢だとよくわかる。だが支離滅裂にいろいろな要素が組み合わさっていて本当にカオスであるしかし夢というのは混沌とした塊ではあるが、非常に強烈な創造性も持っているのがよくわかる。

また今日みたいに、書き記したいと思ったら、また書いてみよう。

2017-08-15

[]

高浜やきものの里かわら美術館に行ってきましたわ。

みえるようなみえないような」展が開催中でした。

抽象的な作品見立てを行った作品が集められていますわ。

無題や同じ題の作品連続しているあたりもそれっぽいですわ。

しゃらおにおいですわ。

ポスターにもなっている色鉛筆を束ねて樹脂で固め、

シャンデリアなどの形を削りだした作品が木目の中に多彩な色が現れて

おもしろかったのですの。

三階の名古屋大学レゴ部の作品テプラで書いた作品タイトル

板で隠していて、作品タイトル当てクイズになっていました。

イルカと鮫はありましたけど、鯖はありませんでしたわ!

鯖はありませんでしたわ!

それに悪乗りたかのように廃棄物を使った作品を作っている

佐溝力さんも同じ形式での展示がありましたわ。

いちばん衝撃的だったのはサッポロ一番起きてから寝るまで日中

触っていらっしゃる方の使用済(未開封)サッポロ一番を日付付箋付で

100個ほど並べた作品でしたわ。

作品、なのでしょうか?制作したご本人が作品と思っていれば作品判断やすいのですが、

解説とご本人がサッポロ一番を触っている映像をみる限りでは確信がもてませんでしたわ。

芸術品にみえるようなみえないような展でしたわ。

瓦の方は古代中国饕餮文が入った瓦などが展示されていて、

リアル饕餮と口にしてみたい方にお勧め美術館ですわ。

2017-08-06

https://anond.hatelabo.jp/20170806092655

マイクラは積み木やレゴと同じなのでブロック遊びをしてきた全ての子供に当てはまる。

ゲーム実況動画サイトの普及があっただけで基本的にはゲーセン友達ん家でゲームやるのと変わらん。

なろう系については、端折って言えばチートだの無双だのは三題噺のお題であって、そこから導き出される物語は、さまざまに工夫を凝らしてはいても、従来のものとそう違いはない。

2017-07-28

床に落とすとレゴよりも凶器になる食べ物を見つけた。

小学生の頃、頭に来ることがあって思い切り床を踏んだところ丁度そこにレゴ1×1、最小サイズのアイツがあって足の裏にめり込んだことがあった。その時は頭にくるやら痛いやらでワケワカラン感情になったもんだが、今日久々にそれに匹敵するものを踏んだ。

キッチンを裸足で歩いていたら何かが刺さり、思わず「いでぇぇ!!!」と叫んでしまった。

レゴトラウマが蘇ったが、レゴなんてないので軽くテンパった。

足の裏を見ても、床を見ても何もないのでさらに焦ったがよくみると茹でる前に割れて落ちたフォーだった。

半透明で床と同化していたからわかり難い上にかなり鋭利な形をしていた。この形のまま大きくして矢じりにしてアシリパさんに

「これはアイヌ伝統的にヒグマを倒す時に使う矢じりだ。ヒグマの体ですら簡単に貫通し、抜けにくい形をしている」と解説されたら納得してしまう形をしていた。

フォーは食べてよし、武器にしてよしの万能食材

2017-06-28

プレイモービル文系レゴ理系

子供の頃、親が買い与えてくれたのはプレイモービルだった。

プレイモービルレゴの様にブロックを組み立てて形を作るおもちゃではなく、

既に完成された建物、車、人を配置して遊ぶ物だった。

から私はそれを駆使して一人自分世界を作り出していた。

レゴの様に説明書通りに組み立てる、自由に作るというクリエティブな部分がプレイモービルには無かったが、

その分妄想に費やすことが出来た気がする。

と、なんでこんな事を思ったかというと、今私がいる部署の20人中17人が理系

3人が文系で、理系は幼少時にレゴで遊び、文系プレイモービルで遊んでいたのだ。

ただの偶然かもしれないけど、少しは関係があるのかも?と思った。


統計を取ったらどうなるのだろうか?

2017-06-26

誘われてレゴランドに行ってきた

アトラクションは完全に小さい子向けなので大人は小さい子が楽しんでる姿を微笑ましく見守るのが楽しみ方として正解ぽい。

 大人だけとかでアトラクションに乗ると心にダメージを負うリスクがある

ミニランドっていうレゴで作られたミニチュア観光名所の大きさと量と質が半端なかったのであれは大人でも楽しめた

 (アトラクションじゃない見るだけのエリアなのでつらくない)

・ご飯はレゴランド入る手前のメイカーズピアっていう広場飲食店死ぬほどあるから

 先に昼食すませてレゴランド入ればハンバーガーとか頼む必要がない

コーヒーは頼んでないので料金忘れたけどカフェラテは450円だ(店員がなぜか450円と言わず450ファクトリーと言ってくる)

・みやげ屋に置いてある商品はほぼレゴブロックばっかだからレゴ作ってみようかな…と思わなければ買うものがほぼない

個人的には楽しめたけど6900円は高い。6900円は高い…

2017-06-14

こんなパトレイバー新作は嫌だ

色黒レゴブロック大好き三角関係変形ロボットアニメ監督演説から始まる

「ひええ、風邪引いて体調でないよお、きっと出渕ちゃんにどん兵衛なんてインスタント食品を食べさせられたせいだよ

こんなときは…… へその緒!」(その後市販野菜ジュースへの批判を声高に叫び続ける)

文芸部伊東君くんが復縁を申し出る

ところがそこに横手美智子が現れドロドロの三角関係が始まる

「あのね、ううきくん、レイバーは飛ばないよ」

と言い続ける犬にひたすら玉ねぎを食べさせるも、犬は死なない

クライマックスで実はFSS第3部の漂流するラキシスがたどり着いた世界の一つであることが判明する

伏線は、泉の声優がみ〜なさんじゃなく、西園寺会長だったこと

暴走レイバーは樹想社から灰皿が飛んで来てやっつけられる

灰皿ブレード!

横森良造の代役がどうしても立てられず困ったとまとあきがとった行動とは!?



こんなの考え出したらキリがないな

もうちょいブラッシュアップした方がいいな

そうえば今月のNT買ってないんでネタバレやめてクレメンス

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん