「フィールドワーク」を含む日記 RSS

はてなキーワード: フィールドワークとは

2018-10-27

anond:20181027091231

萌え絵は大きな目と立体的な体が特徴とちゃんと書いてるだろうが。なんでこの程度のことすら読めてないやつに歴史説教されなきゃならんのだよ。

あと、サブカル学者なんて信用してる時点で悪しき権威主義に侵されすぎ。

学者ってのはフィールドワークと言いつつ文献主義に侵されがちだから、多分昔のアニメのエンドクレジットがまるで信用ならんことすら見落としてるんじゃねーの?

話が逸れたが手塚からの流れとかそういうものまで俯瞰して眺めようとするから当時の空気ってやつを見落とすんだよ。

最初萌え絵と呼ばれていた絵はエロゲ絵だった、その空気感を忘れてるように見える奴らが多いからこの文章を書いたんだ。

そりゃ歴史主義に走ったら萌え絵はやれ少女漫画ミュシャだいや手塚だみたいな無理やりな系譜付けをしなきゃならんだろ。そうしなきゃ歴史として語れんし権威付けもできないんだから

そんな視点ははっきり言ってクソだと私は言ってるんだ。そういう視点こそ事実を歪める。

あと、そっちこそエロげの影響力なめすぎなんで。

泣きゲーの流れをくむTYPE-MOONは今やFGO腐女子まで取り込んだ一大コンテンツだよ。まどマギ虚淵玄エロゲーのシナリオライターだった事実は?

エロゲーはそのビジュアルにおいても物語流行においても大きな影響力を持っている。それすらわかってないのに歴史とか言い出すな。

2018-10-11

査読論文学者としての評価あんまり関係ないという社会学世界はわかった。

じゃあなんであんなに偽物ばっかりが幅を利かせて偉そうにしてんの?

どう観ても学問じゃなくてツッコミどころ満載のエッセイもどき学者でござい、って出してるやつが教授になってんの?

偉そうにしてるフェミの重鎮が「データを隠すことも悪いことだと思ってない」なんてぶっちゃけてふんぞり返ってんの?

腐敗してるのは大前提で、論文評価関係ないとすると、どこに腐敗の原因があるの?

社会学教授といえば、ろくにまともな講義もせず、演説のような愚にもつかない話を延々と講義中やってた。しかも内容が薄っぺらから非常に評判悪かった。

社会学入門は面白そうな学問匂いがプンプンしてたのに、やってるやつは完全にやばい

研究室に行ったらフィールドワークと称して観光に行き、行政disってるだけの、ばかみたいな運動家の卵がゴロゴロしてた。

本気で学問したいのなら、あそこだけは止めろと親しくなった上の人間は口々に言ってたよ。10年前からそうだった。

なんであんなんなんだろうか?

そこが知りたい

なぜだ?

anond:20181010203532

人文学社会科学か。社会科学のほうが科学なのに怪しさが入り込む余地がある気がしてしまうのも奇妙だが、哲学とかだと論理的議論はあっても「正しさ」を決めることはできないからかな。

フィールドワーク統計後者理系的な手法が通じそうなんで、査読方式とかガンガン理系様式を取り入れていけば(もうそうなってるかもしれないが)いいと思うんだが。


政治学キャリアパスの話(昔はこうだったみたいな話のレベルで軽く聞いたことあったけど)勉強になった。

でも彼ら今まさに、一部の一般国民どころか国会議員レベルから軽んじられてるからなあ。御用学者反政権メディアで重用されてる人もいるんで発信力は大きいけど、肝心の法改正憲法改正の試みがひどい低レベル議論で行われているようとしているように見える。それは法学者の言ってることがどこか信頼に支えられていないところがあるせいで、話は聞いてもらえるけど究極的には信じられてなくて、システム系の専門家サマータイム支持率を反転させたような説得力を持たないせいなのではとか思ってしまう。過渡期といわれるが今後変わっていけるのだろうか。それとも政治のことは学問では上手くいかないと諦めるしかないんだろうか。


ジェンダー論でもまともな学者もいるの知ってた。こういう学問悪用騒ぎの時、高みから呆れた眼差しでみてるのどうなんだろうな。ニセ科学に対する理系の反応も似たようなとこあるし、そっちのほうが実害出てるから問題かもしれないけど。ただ法学政治学社会学教授、話聞くとコネ採用多すぎるよとは思う(優秀な人もいるけどあいつは駄目って話もかなり聞く)。理系でも教授の贔屓やコネはないわけじゃないけど論文数(あるいは引用数)で無能認定する仕組みは馬鹿排除には有効なんだよ(捏造動機にもなるけど)。


物理学は2つに分けるなら実験系と理論系だと思う。前者は実験装置があってなんぼで、後者数学世界。扱う対象で言えば物性物理学宇宙素粒子物理学だろうか。物性物理学は手の届く物質を扱う学問化学と近接している。


所詮増田だしとは思ってるんだけど雑語りが過ぎたことは反省

2018-10-10

anond:20181010152800

お前はもうずっと増田で、「査読がないことは論文の質を決定する要素ではない」と言っているだけ。それに対して、高いレベル査読が行われていなければ再検証対象としての優先度は下がるし、再検証されない論文は被参照数が増えず、論文としての価値が低いと言っているわけだ。査読は優れた研究であることを同業者に認められるための条件の一つになるが、査読されていなければ再検証も行われず優れた研究と認められることは稀である。ゆえに査読されない事は、論文価値を実質決定する。

引用数にやたらこだわる人が多いと思ったらそういう理由があるのね。当たり前だけど、マイナー事象を扱っていればメジャー事象を扱ったものより被引用数は少なくなるから、それは直接価値を測る尺度にはならんよねって話をしてるわけ(この問題はとうぜん査読誌にも存在するよ。英語圏でも日本語圏でも、ナチスについての歴史研究とそのへんの小国歴史研究、読まれる頻度が高いのは研究人口からいって前者なわけで。まあ当の小国で出た論文に限れば頻度は逆転するわけだけど)。あと、論文の中でダメダメ研究引用した上で批判する、なんてのもよくやるよな(まさかやらんのか?)。このような研究分野において、被引用数は文字通りどれだけ多くの人に引用されたかという尺度に過ぎず、引用多寡は直接的には論文価値リンクしない……というのは流石に理性があればわかってくれるよね? まあ実質的リンクしている分野があるのは理解したけれど、他分野においてもリンクしている、あるいはリンクさせるべきだという主張はまったくもって理解に苦しむ。

そして、社会学においては、偉い先生が書いた査読もされない招待論文価値があるとみなされる構造問題があると言っている。当初から査読の有無は問題視されていない、論文クオリティ担保する仕組みについて社会学での在り方が、社会学者内でも文科省でも疑問視されている事を指摘されている。

偉い先生が書いた良い査読なし論文には、そのへんの若手が書いた微妙な出来の査読論文よりも価値がある、という話なので。そしてもちろん近年は査読重視にシフトしている、という話もさんざんなされているわな。同じ社会学でも世代とか環境によって「格」の考え方には差があるわけで、1人の学者放言に基づいて構造を云々してしまうのは到底科学的な態度とはいえない。まして、社会学限定するのではなく、「文系」というより広いくくりでの議論をしようとするならば。要するにきちんとリサーチしろと言っている。ろくに対象について調べずに的外れなこと言ってんじゃねーよバーカ、って言えばわかりやすい?

お気持ち明学問とは違って、理工学は先行研究との間の比較実験をして、実験結果について先行研究との比較を解析的に行う。先行研究との比較には、同様の実験を再度行う場合や、同じシステムを構築しなおす手間を含む。時には、予算時間も考えられない程かかる。

先行研究との比較ねえ。まず文系といっても色々あるので一概に言えないわけだが、たとえば歴史学なら先行研究引用されている史料はチェックするよな。文学なら、まあ文学といっても多種多彩だけど、刊本が容易に手に入る小説の内容についての分析なら手元か図書館に同じ本があるはずなんだから再検証は容易にできる。のでみんなやってるはず。逆に文化人類学なんかはフィールドワークデータ依拠する以上原理的に完全な再現不可能だけれど、そこは天文現象についての研究と同じだと思ってもらえれば。一回性の振る舞いを膨大に集めて理論を構築していくという意味で。社会学も、フィールドワークに基づいたやつなら文化人類学と同様だし、統計に基づいているなら統計に基づいた議論ができるよな。法学は、まあ、条文が目の前にあって、それをどう解釈すべきか、あるいは個別事件がまずあって、そこに条文をどう当てはめるべきか、という議論から再現性とかあんまり関係ないと思う。とまあこんなふうに、分野によって「再検証」のあり方というのは実に多種多様なのね。理系とひとくくりにされてはいても、工学天文学と生物学理論物理学と数学じゃあ「再検証」のあり方は違うっしょ? 理工系スタンダード研究のあり方、ということではまるでないわけで、そうなんですか理工系ではそうなんですね勉強になります、以上のことは言えない。

逆を言えば、文系場合は、査読の有無にかかわらずただ読むだけでいいという事だろう。論文の良しあしに関わらず、ゴミの山に埋もれるのは空しいな。そして競争もない。

ただ読むだけでいいというのが何のことなのかはわからないけれど、普通に競争はある。考古学なら新しい遺物発見されたとか、歴史学なら新史料を見つけたとか、そういうマテリアル新規性もあるし、独創的な理論解釈提唱したという意味での新規性もあるわな。そして同じ事象研究するにしても出来のいい研究と悪い研究とでは当然与えられる評価も異なってくるし、違う事象について研究していても同じディシプリンの中にいる以上出来の良し悪しというのはわかってしまうわけで(だから引用数を重視する文化存在しない。たとえどれだけナチス研究の方がそのへんの小国研究より注目されていようと、出来の悪いナチス研究と良く出来た小国研究なら後者の方に価値があるから)。

2018-10-08

みんな日本語学術言語としての重要性を軽く評価しすぎ

この件.

https://togetter.com/li/1274544

査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは本当に理解できない.

何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国韓国でも,文系研究業績の大半は自国語だから

文系研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準から

インドサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育英語でやっている国や,ツバルナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えないけれど)

そりゃ英語論文を持ってたらすごいと思うよ.でも英語論文がないことが叩かれる理由になるのは本当に理解不能.

そもそも社会学には膨大な日本語研究蓄積がある.いくつもの査読誌があり,日本語査読を経た研究成果が積み上げられている.博論をもとにした出版も多く出ているし,入門書からから日本語で一通り揃うようになっている.

自国語で用が足りるんだから論文執筆言語自国語でいいだろ.繰り返すけど,それが世界標準です.

イギリスアメリカ学者英語で書き,フランス研究者がフランス語で投稿し,ドイツ博士ドイツ語で教授資格申請論文審査を受け,ロシア院生ロシア語で報告している中で,なんで日本教授日本語の業績しか持っていないのを責められなければならないのか皆目わからない.

これは社会学に限ったことじゃない.政治学だって歴史学だって文化人類学だって文学だってそうだ.だいたいどの分野でも有力な査読つき学術誌を持っているし,それらの雑誌日本語で書かれている.

そして日本語というのは,世界でも有数の学術言語だ.もちろん英語ほどの網羅性は持っていないかもしれないが,ドイツ語やロシア語ほどの重要性は持っていると思う.それは,先人たちが日本語で積み上げてきた研究業績の賜物だ.

世界でも有数の学術言語」というのもいろいろな尺度があると思うが,どれだけ広い分野で高度な研究を積み上げているか,というのをここでは述べたい.

もしこれを読んでいるあなたが,アフリカに興味を持って,アカデミックな本を読んでみたいと思ったとしよう.大学図書館で文化人類学の棚の前に立てば,数ダースの優れたアフリカ研究あなたの前に現れるだろう.その多くが,西欧学者と同じようにアフリカフィールドワークをし,日本語西欧語の先行研究を読みこなした上で書かれたものだ.

あるいは,ヨーロッパ歴史を知りたいと思ったとしよう.あなた造作もなく,フランスドイツイギリススペインロシアや,そしてチェコポーランドポルトガルボスニアについての研究書を見つけられるだろう.どれも現地語の史料や文献を消化した上で,日本歴史学の積み重ねてきた問題意識接続されている.

それとも,言語学に興味があるだろうか.心配はいらない.オセアニアの数百人しか話していない言語文法記述した本も,ヨーロッパ小国言語の音声を論じた本も,中東言語政策についての本も,あなたは探し出すことができる.政治学? 問題ない,EU制度アメリカ大統領選挙,韓国歴史認識ロシア愛国主義湾岸諸国君主制,どれも日本語最先端研究が読める.

こんなことは当たり前に思えるかもしれない.でもこれは決して当たり前のことじゃない.

とあるアジアの国に行ったとき書店に行ってみた.西洋史の棚に並んでいるのはどれもそのアジア言語で書かれた本だったが,著者はみな西欧人だった.それらはいずれも西欧から翻訳だったのだ.たまにそのアジアの国の著者が書いた本もあったが,イギリスとかフランスとかメジャーな国についての本ばかり.マイナーな国の歴史について扱った本を開いてみたら,参考文献はほとんど英語で,ちょこちょことドイツ語やフランス語が挟まる程度.要するにその本を書いた学者はそのマイナー国の言語を読めなかったのだ.日本には,そのマイナー言語を読める歴史学者が何人もいるのだが.

あるいは,ヨーロッパ小国書店.その国は小さいので国民の多くが英語を達者に話すのだが,本屋を覗くと,自国史や周辺諸国歴史についての本以外は英語の本がそのまま置かれていた.もしも遠いアジアの国に興味を持ってしまったら,その国の人は,自国語のペラペラ入門書の次は英語を読まなければならないのだ.日本語なら,遠いヨーロッパの国についても専門書が手に入るのだが.

たとえ外国語が読めないシロートだろうと,ある程度自国語で難しい本を読める力があれば,中世ヨーロッパアフリカ社会ラテンアメリカ先住民近世朝鮮史東南アジア政治についての最先端研究書が読める.そんな豊かなアカデミアを有している国,そんな潤沢な研究蓄積のある学術言語は,実はそんなに多くはない.

私の感覚だと,英語網羅性には劣るし,フランス語の豊かさには負ける気がしないでもないけれど,ドイツ語やロシア語並の水準に達してはいると思う.もちろん自国民ゆえのひいき目かもしれないし,カバーしている範囲微妙に違っている以上正確な判定は不可能なのだが.

カバーしている範囲が違う,というのはどういうことか.たとえば,上で英語網羅性に劣ると書いたが,英語よりも日本語のほうが研究蓄積の豊かな領域というものがある.当たり前だが,日本史については英語の文献よりも日本語の文献の方が圧倒的に豊富だし,日本史以外でも前近代中国史についてはまだまだ日本語の方が英語よりも網羅性が高いと思う.なので前近代中国史については,読者はともかく,歴史学者は中国語の他に日本語を読まなければいけない.その人がアメリカまれ英語ネイティブ白人であってもだ.ザマーミロ.

というか,実は文系分野に関しては英語網羅性は理系ほど高くない.そんなのは当たり前で,ロシア人はロシア史についてロシア語で書き,カタルーニャ人カタルーニャ言語政策についてカタルーニャ語で書き,チェコ人はチェコ文学についてチェコ語で書き,韓国人は韓国社会について韓国語で書いているのだから英語の文献を読むだけでそれら全ての情報が手に入るわけがなく,本格的に研究しようと思ったらそれらの言語で書かれた文献を読まなければ話にならない.日本事情について一番詳しく正確な研究が読めるのは,英語ではなくて日本語だ.

なので,上で挙げた主要な学術言語は,それぞれ積み重ねが豊富領域とそうでない領域がある.得手不得手というやつで,たとえばマグレブ西アフリカ地域研究ならフランス語で,東ヨーロッパ前近代研究ならドイツ語で,旧ソ連圏の研究ならロシア語で重要研究が蓄積されてきたので,江戸っ子だろうがロンドンっ子だろうが研究を志すのならそれらの言語を読まないといけない.中国近世史を専門にする者が日本語を読めなければいけないのと同じだ.これらの分野で英語で書かれた研究だけを読んで済ますことはできない.

この辺が,理系とは事情の違うところなのかもなぁと思う.理論物理学とか分子生物学とか再生医療とか深層学習とか,ほぼ全ての分野で英語さえ読めれば研究には用足りる(んだよね?).英語最先端研究のほぼ全てが流れ込み,あらゆる情報が蓄積される.しか文系では違う.英語には限られた情報しか流れ込まず,最先端研究の全てが英語提供されるわけではない.

なので文系では,英語理系ほど特権的地位を占めているわけではない.もちろん英語文献が読めるのは今や前提だし,重要な先行研究英語なら読んでいないと問題外だ.けれど,英語ではなく自国語の研究でも研究業績にカウントされるし,外国語での業績といっても英語に限られるわけではない.韓国語やトルコ語論文を書くほうが英語で書くよりも楽だ,と言う研究だっているし,日本語でも英語でもろくな業績がないがそのかわりロシア語で何本も論文を書いているという研究者もいる.

というわけで,文系研究者が英語論文を書いていなくとも,それが直ちに問題だとは思わない.査読論文にしても,そりゃゼロってのはちょっとどうなの,って思うけど,研究者が集まって作った本の一章として論文を発表するとか(いわゆる論集ってやつね),出版社が出してる研究者~教養人向けの雑誌に依頼を受けて研究成果を発表するとか(岩波書店の『思想』とか,青土社の『現代思想』みたいなやつね),査読されてないけど業績としてカウントされ得る論文の発表形態というのはいくつもあるので,査読論文以外にそれらも論文としてカウントしないとフェアじゃないと思う(ただ,私は査読がついていない媒体に出すのは怖いなと思ってしまうので,なるべく査読誌に出している).

別に理系のひとが査読つき英語論文のみを業績としてカウント和文論文勘定しないというローカルルールをお持ちなのは結構なのだが,そのローカルルール文系押し付けないでいただきたい.

私が危惧しているのは,上で書いたような日本語で積み上げられた先行研究が,日本人に真っ当に評価されていないことだ.

文化の豊かさというものを考えたときに,自国語で世界中の情報を知ることができるということが,どれだけ重要なことか.まして,日本コンテンツ産業が主要輸出品目のひとつだ.中世ヨーロッパアフリカ部族社会について日本語での研究が充実していることが,創作者が想像の翼を広げる上でどれだけ有利か.たとえば最近Cuvieという漫画家さんが『エルジェーベト』というオーストリアハンガリー舞台にした漫画を描いていたが,巻末の参考文献にはずらりと日本人が和文で書いた研究が並べられていた.

別に文化に限ったことではない.政治経済,そして人権についてもそうだ.ルワンダ虐殺スレブレニツァの虐殺について日本語で書かれた研究があるのとないのとで,どちらの方が日本人にとって国際情勢を理解やすくなるだろうか.外国で一旗揚げようと目論む商売人にとって,その地域専門家が書いた本や論文和文で手に入るのと入らないのとで,どちらが現地の文化や歴史理解する助けになるだろうか.欧米フェミニズムについて日本語研究を積み重ねる学者がいるのといないのとで,どちらが日本女性の権利の向上に資するだろうか.

すべての国が自国語でこれだけ充実したアカデミアを持てるわけではない.人口があまりに少ない国ではどうしたって物理的な限界があるし,人口が多くとも植民地支配の歴史が長く自国語の大学教育が充実していない国では歴史的遺産がその発展を阻む.

日本人は恵まれ研究蓄積にあまり無頓着なばかりか,その豊かさをみずから捨て去ろうとしている.それが私にはもったいなく思える.

英語は,世界の始まりから覇権言語だったわけではない.明治時代日本医師ドイツ語で論文を書き,外交官たちはフランス語で交渉していた.英語外交学術の分野で覇権を握ったのはせいぜい戦後のことで,それまではフランス語やドイツ語と同格の存在だった.今も文系ではprimus inter paresに過ぎない.ひょっとしたら将来,欧米物理学者たちが中国語で論文を書くことになるかもしれない(そのとき現在私たちが定冠詞や三単現のsに悩まされるように,欧米人が泣きながら漢字習得するのだろう.そう考えるとなんとも愉快な未来予想図だ).せいぜい百年単位覇権言語の移り変わりにあわせて,自国語の学術言語としての地位貶める必要はないと思う.それは私たち社会の豊かさを,長期的に損なうことなのだから

最後に.

どうせ和文論文しか持ってないやつの負け惜しみだろって思ったひとがいるかもしれないけど,和文論文だけじゃなく英語論文も書いたことあるし,英語以外の外国語での論文も持ってます.今それとは別の外国語での研究発表を準備中.私より多くの言語研究報告してきたひとにならともかく,たかが1言語か2言語しか論文書いてないガラパゴスの住人にだけは文句言われたくないですわ~~~~~~.

追記

英語論文が優れているとは言わんけど、査読なしの研究なんてゴミだし。

日本国内の、査読なし論文が実績になる分野の教授たちによって、査読された研究にも何らの価値も感じない。

anond:20181008221502

id:bocola 自分でも言ってるように査読しなの問題査読なしの論文なんて、読書感想文と変わらない程度の価値。やはり文系は無価値だと改めて思った。

arXivのない世界からやって来たのかな? グリゴリー・ペレルマンって聞いたことない? 査読なし論文が業績としてカウントされてるひとだけど.

事前の査読は,論文信頼性担保するための手続きひとつであって,それが欠けている「からダメ論文というわけでも無価値というわけでもない……というのはわかってくれるよね? 当たり前だけど論文価値は最終的には書かれている内容に依存するわけで,だからこそペレルマン査読なし論文であってもポアンカレ予想を解いたと認められたんだよね.

私も査読はないよりはあった方がいいと思うけど,査読がすべての論文につくわけではない分野のすべてをダメと論ずるのは不当すぎる.まあ最近文系査読重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないかダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメ論文は後発の研究によってちゃん批判されるか鼻にもかけられず無視される.公募の際には論文を提出させたりするんだから査読なしダメ論文を量産していればそこで撥ねられるでしょ.理系ローカルルールで事前の査読必須なのはよくわかったけど,そのローカルルール文系敷衍されても困る.

id:zyzy まぁでもこの噛みつきは、もうすでに南京大虐殺の時に通った道だし、虐殺否定論者と同じ轍を踏み続けている以上、恐らくオタにこの説明が通ることはないんですよ。

私もオタクですが.

追記

続きは anond:20181009084352 anond:20181009213503 で.

2018-09-07

anond:20180907011401

フィールドワークをすると専門的でなくなるとか、

体育だから専門性がないとかいうのがよくわからん

地域活動?にしてもそうだけど。

専門って言われてる科目にだってそういう要素のあるのはあるし。

だいたい、「教養学部」っていう専攻分野自体存在したりするし、本当に

教養から大学本来学ぶにふさわしくないという方向で)専門性がないって言われなきゃいけないのだろうか。

そもそもボランティアだって学術的になんの専門性もないもの絶対限定ってわけでもないだろうに。

教育の一つとして専門的に編成することでボランティア専門性?がない単純なものから脱することはできなくもないでしょ。

しかしたらそんな形で行われるんじゃボランティアの意義がどうこうって問題になるのかもしれないけど。

2018-08-29

アホな女が子供を産んだだけで偉そうに子育てについて語るのがウザい

子供はひとりひとり

違うんだろ。

日本の15歳以下の人口は

1850万人以下。

ようは、1850万のうち

ひとつにすぎないのに

子供を産んだだけで、偉そうに

子育て論に加わってくるアホな女が嫌い。

それは、子供を産んだひとりの母と子供

フィールドワークに過ぎず、

それも自分を、

客観的分析して見ているものではない。

子供大事に思う気持ち

それは自分にとっては100パーセントであっても

ひとつの事例。

ようは、子供を産んだだけでは

自分の子供の専門家であり

世間一般の子専門家ではないのだ。

2018-08-16

https://anond.hatelabo.jp/20180617233415

本題じゃないのは分かっているけど、西成に行って日雇い労働してみるのは「飯場へ: 暮らし仕事を記録する」って良い本があるよ。大学院生日雇い労働やってみているフィールドワーク系の本。

2018-07-18

anond:20180718024831

増田の方です。なかなか分かりづらい文章だと我ながら思ったけど、読んでくれてありがとう

そして元増田もこんな俺に付き合ってくれて嬉しいなと思っている。

これは、近代的自我モダニズム私小説問題だと考えたんだけど、違うか?

 ・元増田私小説家的な立場近代的自我モダニズム自明さを持てない。ゆえに自分日本に拠り所となるかっこよさを探すのを止められない(無いのは知っているが)

 ・増田モダニスト哲学科学など、広く使われる手続きにのっとって、我々の限界を探求しつつ知を構造化するしかない。(拠り所の無さを受け入れて)

って感じで対立している感じ。

対立構造という程のものではないけど、元増田増田(俺)の立ち位置はご指摘の通りだと思う。

ただ、強いていうなら俺もまた元増田と同じ事を考えていたし、その色々と調べるうちに

昔とは違う立ち位置にたどり着いてしまったと思っていて、だからこの辺の文献を読んでは

どうかという主旨の発言をしているつもり。あえていやらしい言い方をすると、先輩ぶっている。

俺は、元増田立場に近いところにいると感じる。一方、その立場が無理なのは理解している。なれるなら増田立場に移行するのが理想だ。

から増田がなぜモダニスト立場に立てるのかを聞きたい。言い換えると、音楽において自分の基盤を探りたい欲求を止め、なぜ哲学科学方法で済ませられるのか、を知りたい。

日本にいると、幼い頃から身近に学者官僚芸術家がいないと、モダニズム自明ものとみなすのはまだ難しいと考えている。でも、意思の力でそれを引き受けられる人がいたなら、その意見が聞きたいのだ。

それについては明確に違うので俺の言い分を書いておきたい。

俺は日本人だが、やはり当事者自身日本文化を取り扱う事は大変に難易度が高いと思っていて、

研究に目を通す事は多々あるけれども発信はしていない。日本文化について言及する事を意図的に避けている。

レヴィ=ストロースのいう所のメタ視点自分自身とほぼ接点のない文化に対しては適用できても、

自らに適用する事はそう簡単ではない。だからはっきり言ってしまえばポピュラー音楽研究界隈が

あえて日本文化に切り込んでいくのを、民族音楽学者は指を咥えて見ているという状況が続いて久しい。

元増田が挙げる輪島さんにしても、増田さんにしても、二人ともポピュラー音楽研究界隈の人だ。

彼らは大衆流行や、何となく時代雰囲気分析する事に特化しているので遠慮なく物申せる部分がある。

だが民族音楽学者は違う。人間社会の織りなす文化はどれも等しく価値あるよねという大前提に立っている。

はいいところ探しに特化しているので、雑な意見反論はしても発信自体にとても慎重だ。

これではいかんと重い腰をあげる動きもあるのだが、全体的にフットワークは正直軽くなく、

その点についての批判真摯に受け止めなくてはならない、という程度の後ろめたさはある。

自分の手持ち武器は当該社会に深刻なダメージを与えるかもしれない、そんな畏れが心の底にある。

ただ、だからこそプロパガンダ的な、意図的文化志向を捻じ曲げて指針を示すような言説にはとても厳しい。

日本には侘び寂びの文化があるとか、礼儀作法を大切にするとか、伝統を重んじるとか、

何言ってんだこの野郎と率直に感じる。ごく一部の慣習を民族全体の伝統に置き換えるのはあまり乱暴すぎるのではないか

嘘で自分を着飾って自尊心を満たす事ほど愚かしい事はない。

もっと雑多でぐちゃぐちゃで日和見主義で、醜い部分から目をそらす事も多々あるだろと。

どんな事から目を逸らしたいのか、何を受け入れたくないと感じる美意識規範、無言の空気があるのか。

そんな部分も含めて全てを率直に受け入れつつ、肯定的評価していきたいというのが

俺や他の民族音楽学者の立ち位置だと思う。

除霊方法が聞きたいんだ。

からね。本当の事を言うと除霊は俺もできてないんだ。

自らのフィールドワーク体験からメタ視点については理解した。

でもそれを自らに適用する事はこの上なく恐ろしい事だ。

2018-07-10

anond:20180708114227

なんでその方向に展開しちゃうかな?

まず演歌を持ち出した時点で元増田伝統とは何ぞやの問題提起として計算が足りないのよ。はっきりいって。

例えば民謡って文化があって、正調民謡とか民謡保存会とかそういった周縁から伝統の正体を読み解こうって話なら俺も賛同するわけ。

元増田の言い分にもマッチする。

まぁ、もう先行研究あるけどね。

演歌に関して言うと成立過程特殊すぎる。色々な古典から借用した表現コラージュとも言える箇所も多い。

じゃあその借用の元となったフレーズは何なのか?なぜその表現が借用されたのか?どんな意図を狙ったものか?

そこを丁寧に譜例で追ってこそ音楽学醍醐味と思うのね俺は。

山口センセは学際的研究って言ってたけど、めちゃ多岐に渡る分野の積み重ねがないとこれは分析できない。

スティーブン・フェルドのカルリ音楽研究はその意味ですごい。

西洋的な音楽基準部族社会音楽分析しても意味ないですよという事を決定づけた名著。未読なら是非。

話がそれた。

俺も若い頃は西洋音楽ってどうなの?という問題意識があって民族音楽研究に足突っ込んだが、こと音楽の体系的な教育としての西洋音楽はとにかく便利なんだな。

西洋音楽システムというものキリスト教布教とセットになってて(聖歌とかな)、とにかく分かりやす再現やすい方向に特化している。

となると、やはり教育の分野で強い。そうなると大抵の社会は影響は受けちゃうわな。

純粋なる民族性幻想って話はここにつながるのね。

いざ秘境の奥地にフィールドワーク行ったら部族ラジオで最新のヒップホップ聴いてましたみたいな笑い話もよく聞く話でさ。

ここで問題として掘り下げるなら、演歌にどんな美意識規範根底にあるかって話よ。西洋音楽の影響がどうこう言っても、それでも生きている何かしらはあるわけで。何でもかんでも西洋音楽の影響がってのは筋が悪すぎるし、先行研究読んでないバカ乙で話が終わってしまう。

共同幻想とは何か?

これですよ。この問いが我々を突き動かすわけですよ。

2018-07-09

医療関係者モラル - 看護師倫理教育歴史

https://anond.hatelabo.jp/20180709055614

の続き

 ダニエル F.チャンブリス著、浅野祐子訳「ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的倫理的矛盾

 この本は、病院フィールドワークを行い患者医療者に起こっていることを目の当たりにしたことをもとに書かれています目的は「ナース日常業務の中で倫理的問題をどのように捉え、対処しているかを、詳細に、かつ弁護できる程度の一般化をもって記述すること」です。

 第1章は、「ナース世界、すなわち病院は、一般社会とは全く異なる道徳システムを持っている。病院では悪人でなく善良な人がナイフを持ち、人を切り裂いている。そこでは善人が、人に針を刺し、肛門や膣に指を入れ、尿道に管を入れ、赤ん坊頭皮に針を刺す。また、善人が泣き叫ぶ熱傷者の死んだ皮膚をはがし、初対面の人に服を脱ぐよう命令する」といった衝撃的な言葉で始まり、「一般人にとって身の毛のよだつ残酷物語もここでは専門家商売なのだ」と続いています

 確かに病院一般生活とは異なる独特の世界がありますしかし次第にそれが普通のこととして「日常化」され、業務は「ルーチン化」されていきます。チャンブリスはこの「ルーチン化」とともにナース感情は平坦化し、そこで生じる出来事に対する感受性も失われていくと述べています患者さえもそのルーチン化に含まれていきます患者は人としてではなく、一つのケースとしてしか認識されないようになるのです。その結果、ナース患者に生じる多くの倫理的問題道徳的問題認知しなくなっていくのだと分析します。

 しかし、倫理的問題こそナース積極的に関っていくべき必要があるはずです。なぜなら、ナース患者擁護する立場にあるからです。アメリカでも、アメリカ看護協会(American Nurses Association )による「看護師の倫理綱領( Code of Ethics for Nurses)」にそのことが明記されています

看護歴史倫理に関する書籍の紹介

 こういった事実を知っているかどうかで、未来は大きく違ってくるはずです。まずは、女性から看護師だから、そういった犯行は起きない、という偏見先入観を捨てる必要があります

 それどころか、むしろ看護師という職にある限り、必然的モラル倫理的に気が付けば滅茶苦茶な様態になる職だと認識し強く自覚し、教育をしていくことが必要です。

歴史の浅い日本看護職、その虚飾


 根源的には人類共通の「死と病への畏れ」があり、日本においても仏教思想的な浄・不浄・穢れの概念から科学が発達していない時代に、やはり皮膚・血や体液・死を取り扱う医師助産師看護師、洗濯、理髪は賤業と見なされていた。(ヨーロッパでも同様に血を扱う理髪師兼外科医

 それゆえ、日本近代的な専門職としての看護の始まりにおいては、やはりナイチンゲールの「白衣の天使」というイメージを輸入し、キリスト教徒信心深い修道女禁欲規律使命献身と清純のイメージを全面に打ち出し、「聖**看護学校」「聖**病院」「**マリア病院」、はたまた教会修道女の誓い(神との結婚まり禁欲貞操の誓い)を真似た宣誓と戴帽式といった、実際には看護師はキリスト教徒でもなく修道女でもないのにも関わらずそのイメージ一般大衆に植えつけ印象付けてきた。

 中身と行動が伴っていない虚飾はまったくの茶番

 問題なのは日本看護はその上っ面のイメージ形式だけを輸入し、本質的な使命と人間性道徳教育倫理観を輸入し損ねたことだ。欧米文化圏では文化的に刷り込まれているキリスト教道徳価値観倫理観すらも持ち合わせていない日本で。。。

 そもそも現代日本看護教育は、戦時中軍隊式日赤十字従軍看護婦養成伝統をそのまま引き継いできてしまったものだ。

日本では戦後長らく,看護研究に関する倫理問題はおろか,「看護倫理一般についての空白期が1980年代初頭まで続いた.かつて日本看護師には,清楚さ,奉仕精神医師への従順さ,組織への忠誠,規律と秩序の維持等の,専ら内面的な美徳を備えた者であることが期待され,それに応答することが看護倫理であった.しかし,戦後民主主義が浸透し,経済的に豊かになる中で,過去看護師像に対する強い反発と反動日本看護界に広まり,抑圧された過去看護師像を想起させる「看護倫理」そのもの敬遠されたことが,この空白の背景にあるといわれる.その結果,米国では1960年代からすでに看護研究に伴う倫理的課題に対する積極的応答が看護界全体においてみられたのに比して,日本看護界における対応1980年代中頃になるまでほとんど皆無であった.

http://homepage3.nifty.com/cont/42_2/p519-30.pdf


この時期(1951-1966 年)の看護倫理に関する教育内容は、「ナイチンゲール誓詞」などの倫理規定のほか、看護師にとっての礼儀作法、心構え、守秘義務、対人関係など、戦前の流れを引き継ぎ美徳中心であったとされる。

1967 年の指定規則改正では、看護学が基礎科目と専門科目に分けられて体系化がはかられる一方で、「看護倫理」という独立した科目は削除された・・・

この時期(1967-1988 年)には、1967 年のカリキュラム改正前の看護倫理は、看護婦としての心構えや人類愛、使命感、奉仕などの精神性で貫かれており・・・

1989 年に指定規則改正されたが、このとき看護倫理を「看護概論」の中に含むという「注」も削除された。これによって、看護倫理に関する記述指定規則から全く無くなり・・・

1996 年の指定規則改正でも、看護倫理に関して独立した科目は設けられていない・・・

2002 年に出された文科省看護基礎教育の在り方に関する検討会報告「大学における看護実践能力の育成の充実に向けて」(文部科学省, 2002)の中では、人間尊重擁護方法について「看護職者は、対象者治療及びケアを受ける過程で遭遇する具体的な場面で、常に、その人の尊厳権利擁護する立場で行動できることが不可欠である」と述べられている。また、その教育方法についても「学生自身がその意味に深い関心を持ち、看護職者が対象者権利擁護者として機能することの意義を追求できるよう、具体的な看護事象を用いた演習を組むなど、学生同士の討論や患者などの対象者などから学ぶ方法採用することが大切である」とされている。さらに、人間尊重について「対象者立場に立つこと、個人文化背景・価値信条理解意思決定必要情報提供自己決定権人間としての尊厳人権尊重インフォームド・コンセント実践支援プライバシー保護個人情報の取り扱い、セカンドオピニオンの意義などについて」と具体的に言及し(た)

https://www.osaka-med.ac.jp/deps/dns/pdf/zasshi/09.pdf

 プライバシー尊重とか超超基本的倫理についてやっとここ数年になって看護教育の課程に組み込まれただけ、以前は全くありませんでしたとか、冗談かよ、な状態

 恐ろしいことに本来あったり前の守秘義務でさえ、看護師においてはほんの10数年前まで存在してなかったというお粗末さ。

秘密の保持に関する保助看法上の条文は法 制定当時にはなかったが、平成 13 年(2001) の法律第 87 号で第 42 条の 2 として新たに追加されたものである

今の30代以上の看護世代…そしてそういう世代から教わる今の看護師達。

日弁連日本弁護士連合会)も懸念表明

 ところが,我が国には,このような基本的人権である患者権利を定めた法律がない。

そのような中で,今日我が国医療は様々な場面において多くの重大な課題を抱え,患者権利が十分に保障されていない状況にある。

...

ところが,いまだ,患者権利に関する法律は制定されていない。

...

 日本医師生命倫理懇談会による1990 年の「説明同意」についての報告も,こうした流れを受けたものではあるが,「説明同意」という訳語は,インフォームド・コンセント理念を正しく伝えず,むしろ従来型のパターナリズムを温存させるものであるとの批判を受けた。

http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/organization/data/54th_keynote_report3_1.pdf

看護師=モラル高い人達」という幼稚な幻想や、看護師が何か問題を起こせば「環境による被害者」という風潮を、周囲やメディアも含めて、煽り過ぎている現状があります

 今日日本では、医療現場のみならず、世間一般の中にも無知蔓延し、患者の当然の権利を「モンスター患者」の一言黙殺しようとする風潮がある、とまで言える。

続く

https://anond.hatelabo.jp/20180709080702

2018-07-05

増田lifehack50選

生産性向上のお供に

ランクタイトルブクマ日付カテゴリ
1ずぼらな俺が4年間の一人暮らしでたどり着いた部屋作り&暮らし...40902011/08/28 14:17暮らし
2教授に教えて貰った考え方(備忘録)27622016/09/04 21:54学び
3お坊さんをお呼びした家族葬(D.I.Y.葬)が総額42,360円で完璧に...26242016/03/31 15:30暮らし
4「家事」は、レベルを上げて物理で殴れ19642014/10/23 17:24暮らし
5行動力を身につけるためのコツ30箇条18962011/06/22 20:43暮らし
6すごい物を見てもへこたれない人18592008/11/17 01:59暮らし
7読書に限らず、何か行動を起こしたいときには抵抗の順番に環境...15012017/02/14 10:06学び
8人の話の聴き方が上手い人には共通する特徴があって、それは列...12282009/12/23 14:37暮らし
9あなた、プレゼントをさがしてるフレンズなんだね! ふたりの距...10132017/04/06 07:03おもしろ
10あまり知られていない料理の裏ワザ30選8972014/07/19 11:04暮らし
11大学生活4年間で学んだこと8732016/03/30 13:39暮らし
12長時間デスクワークに集中できる身体の作り方8482014/02/27 14:10暮らし
13笑う門には6582015/07/28 18:55暮らし
14ADHD対策6452014/07/07 20:23暮らし
15生活が全クリできない6412018/06/20 00:58おもしろ
16サーフィンやったらわかった、引き寄せの法則の真理6012013/09/27 16:42暮らし
17具体的かつ簡単な転売で儲ける方法を教えるよパート15672012/04/08 12:02テクノロジー
18郵便局の中の人だったけどこれはガチ。口座名義人が死亡したら...5472014/03/18 10:51暮らし
19新人が三つ折りを綺麗にできない5292017/09/25 16:56暮らし
20皆さんに本当に必要なのはライフハックではなく筋肉5212011/03/07 20:03暮らし
21一人暮らしの自炊男に告ぐ。お前らはすぐにお盆を買うべき。5062014/11/25 02:48暮らし
22野外フィールドワークと生理の話4712018/01/29 22:28学び
23汚部屋に戻らないための心がけ4632014/07/11 10:04暮らし
243のルールで生活改善4452013/10/26 16:46暮らし
25死にたくなるぐらいなら何々しろと言う人々へ。4332012/06/07 11:04暮らし
26保険屋に負けずに、保険を選ぼう4052014/02/26 20:36政治経済
27テンションが下がったとき対策まとめ3982018/01/16 21:56暮らし
28気づいたらこの方法を編み出していた3542017/07/08 21:22暮らし
29はじめまして。すごく懐かしい気持ちを思い出したので。昔の私...3532017/11/19 09:12暮らし
30運悪く土下座せざるを得なくなったときには3452008/08/31 02:07暮らし
31ヨガで人生の問題ほとんどが解決した。3372018/05/14 20:33おもしろ
32負け犬からの脱却十ヶ条3362011/07/06 13:47暮らし
33頑張った結果報われないのが大人の世界です3352018/03/21 21:16おもしろ
34夜中クーラーを付けっぱなしにしないやつはマゾなの?3162015/08/01 08:20暮らし
35トランポリンの楽しさについて3152017/09/27 13:28おもしろ
36はてなで一番頭がいいのって誰だろう3092015/05/29 10:08学び
37お前ら気持ち悪いんだよ!3042014/01/10 17:52暮らし
38習慣の力を実感2982015/04/24 21:16暮らし
39理由のない多幸感2982018/02/12 22:14暮らし
40スケジュールを立てられないとは2942013/05/24 20:24テクノロジー
41人生の楽しみは2842014/08/24 18:00アニメゲーム
42一方、本当に精神レベルの高い人は、どんな行動をする人を見て...2782015/02/20 10:56暮らし
43xevra総帥の教えは幸せになる唯一の方法。 心穏やかに人生を生...2652016/09/07 07:44おもしろ
44寝室の蛍光灯を電球色に替えたら2612017/01/29 22:31暮らし
45みんな「死にたい」って言うけどそんな時どう気分転換してる?2462016/07/19 21:42おもしろ
46一人暮らしならベランダビオトープをやろう。捗るぞ。2452014/07/08 12:14暮らし
47びっくりマークをつけると!2362014/11/18 13:11暮らし
485年間、練習してもだめな人がまともになるためにするべきこと2332009/03/08 22:22暮らし
49お前らって、寝る前何してんの?2182016/09/02 20:32暮らし
50はてブの人たちってなんでいつも批判してるんですか?2142015/07/30 05:37おもしろ

2018-05-29

ガジェット好き、と言う言葉最近知った

auまとめサイトを見ていて懐かしくなったので

自分携帯電話歴史を振り返る。

https://time-space.kddi.com/ketaizukan/index.html

1997 docomo mova P203 HYPER

 はじめての携帯電話契約費用通話費用、小遣いの大半が吹っ飛んだ

1999 docomo mova D208 HYPER

 パカパカと蓋が付いている端末に憧れ、機種変更。軽くて良い端末だった。

2002 au A3014S

 auのCDMA200xに憧れ、キャリア変更。通話音質は良かったな。

2004 docomo SO505iS

 SonyPOBoxが素晴らしく、携帯音楽プレーヤにも活躍

2007 au W55T

 この頃フィールドワークが多くなり、軽い端末が欲しくなり再度auへ。

 良い端末だったが仕事で嫌な事が有りへし折った。後悔はしていない。

2009 softbank iPhone3GS

 噂のiPhoneが欲しくて、softbankへ。噂には聞いていたが端末は素晴らしく、回線は酷かった。

2011 au iPhone4s

 パワーアップしたiPhone4sが使ってみたくて、auキャリア変更。回線、端末問題なし。

 しかしこの頃から料金の高さに辟易し始める。

2013 docomo Xperia A SO-04E

 子供中学生になり、学割を使うとかなり安く契約出来たのでまたdocomoへ。

 この頃はdocomoiPhoneが無かったのでXperiaへ。Androidも中々良かった。

2015以降 iijmio XperiaA2 Zenfone2 iPhoneSE iPhone6s iPhone7

 知人にMVNOが良いよ!と聞いて、iijmio契約

 白ロムで購入したXperiaA2はMVNOでのAGPSに問題がありZenfone2を買う。

 ここからは坂を転げ落ちる様に次々と端末を買い換え、今に至る。

 思えば二年縛りの時の方がお金がかからなかった気もする。

 MVNOは月額は安いけど、2年縛りとか制約が無いので新しい端末が欲しくなると

 我慢出来ない人には毒薬に近いものがある・・・

みんなはどんな端末使ってた?今どんなの使ってる?

2018-03-23

MHW受付嬢いい加減にしろ

開発はこれが可愛いと思って作ってんのか?とずっと思ってたけど、今回のアプデで「嫌がらせに来ているな」とひしひしと感じた。

 

まず、受付嬢の事を「ブサイク」や「ブス」という奴が俺を含めいるが、造形が醜い事を言っているのではない。

やることなすことが全て癪に障る

 

こいつに感じるのは「おちゃめなドジっ子」という印象だ。

コレ自体別に良い。そういうスパイス必要だ。モンハンそもそも濃いキャラ付に定評がある。それを嫌いなやつもいるが自分比較的寛容に受け入れてきたつもりだ。

いつでも元気で陽気で好奇心旺盛で、仕事よりも食べることが大好きなキャラ拠点では食事場にずっと滞在しだいたいいつも食べている。しかし、その好奇心旺盛さがトラブルを呼び起こすことも…。

描いてみると、これがオトモアイルーなんかで造形されてたらかわいいもんだ。まさに「おちゃめなドジっ子」のテンプレ。なので属性として何ら間違っていない。

 

しかし、こいつはそれに加えて他のキャラから「有能」だと思われている。

 

これが最大のムカつくポイントだ。

なにしろ主人公視点でみればいつもトラブルを起こして問題を発生させてる原因なのだ

それを解消させられる主人公。まぁゲームではよくあることだ。

しかし、なぜか受付嬢に限っては「私と主人公が協力して対応したな!」という話の方向にもっていきたがる。

好奇心旺盛さが有る一人の重要人物危機に陥れる。結果的に無事だったからか、反省することもない。

そして、周りが異常なまでに持ち上げる。

 

今回のアップデートイビルジョーが追加された。

このネタバレになるが大筋を書くと

1:イビルジョー(凶暴な危険モンスター)が出現した

2:主人公がその痕跡を追ってなんとか居場所を突き止める

3:主人公がそこに向かうと、なぜか受付嬢がその危険エリアキノコ採取にきていた

4:受付嬢が襲われる 主人公受付嬢救出へ

というのが大筋だ。

 

周りが異常なまでに持ち上げる

これはまだ納得ができる。主人公視点外で実は受付嬢パートナーとしてバリバリ仕事をしているのかもしれない。

自分もそう思い込んで、なんとかムカつかないように抑えてきた。

しかし、今回のアップデートでそれは崩れ去った。

バリバリ仕事をしているはずのなら、主人公が受けるクエストの内容も把握しているはずだし、「イビルジョーが出現」という事は「受付嬢」という仕事をしているのなら普通しっているはずなのだ

そもそもクエストを受ける時も受付嬢からクエストを受ける。だから主人公がどこにいくかはわかっているし、事実、いつもクエストについてくる。

しかし、なぜか受付嬢がその危険エリアキノコ採取にきているのだ。

どう考えても、受付の仕事適当にしているとしか思えない。

 

そうなると、受付嬢の全てが嘘なのだ

主人公が多くのモンスターを狩り、多くの発見をしていることだけが事実であり、それの報告も結局主人公がしているし、モンスターの調べるのは研究所だし、拠点のみんなの依頼を統括しているのは物資班や拠点の中枢だったり、それでも拾えきれないクエストを拾うのはハンターなのだ

まり受付嬢は「リストを持ち歩いて飯を食っているだけ」の存在であり、どうあがいても、どこからどうみても「有能」には見えない。

最終的に、顔も周回エリアにいる受付嬢よりも良くないのに開発からつけられている名前が「麗しの受付嬢」という持ち上げっぷりなのだ

 

流石にひどすぎる。

せめて、仕事はしっかりやっているんだろうなって思って、なんとかなんとかアンチに対しても「受付嬢としての仕事描写不足だと思う」と諭して来たのに、今回のアップデートで人の話を聞かない、リストの内容を把握していない、調査レポートを纏めていない事が証明されてしまったのである

 

最後に、受付嬢アンチスレの受付嬢を表した文章を貼って終了とする。

 

アイテム売買、ボックス管理は全てハンターが行なって下さい。

植研への依頼、肥料状態管理アイテムの受け取りはハンターが行なって下さい。

その他錬金、交易食事武器防具の生産強化等、クエストの前準備は全てハンターが行なって下さい。

クエスト中に得たモンスター調査情報やバウンティの報告、受注は全てハンターが行なって下さい。

拠点各所で発生する依頼はハンターが依頼主の元へ直接聞きに行って下さい。

現地におけるフィールドワークはもちろん全てハンターが行なって下さい。

 

私はギルドが発行してるクエストボードの依頼をそのまま丸写しでハンターに見せます

当然写しただけなので現地にいる間は拠点で受注された他ハンタークエストのことはわかりません。

その他研究施設などのことも現地からではわかりませんので私を通して管理することはもちろんできません。

拠点にいる間も私は食べるのに忙しいので各施設の利用はハンターが直接各所へ赴いて下さい。

現地で暇な間、自分で食う片手間に5,6個くらいなら肉を焼いてあげます。依頼は料理長を通してハンターが行なって下さい。

あとは何もしませんし寧ろ出しゃばって足を引っ張るヒロイン演出が頻繁に入りますけどこれからもよろしくお願いしますね、相棒

2018-03-14

anond:20180313103825

この「文系は暇」「大学生時間がある」という前提が違うんだよね。

バイトに遊びに明け暮れて、楽しいフィールドワーク積極的にいくけど、それをまとめたり研究昇華できる学生なんかごく一部。

2018-01-29

野外フィールドワーク生理の話

anond:20150620193418

これの後日譚的な話。

↑これ書いた直後は「荒れるかな~」と思っていたが、蓋を開けてみたらライフハックだったよ!すごい!

というわけで、コメントくださった渓流釣り趣味お姉様アドバイスを生かしてみた記録を書く。

「野外でのフィールドワーク特にトイレがないような環境女子学生はどう生理対処すればいいのか?」という悩みと、それへの対処の記録です。

コメントにあったアイデアを導入し始めたのは、2016年夏の調査から

某県で2週間の発掘調査。もちろんトイレがない山の中。

ちなみに持って行ったのは。

①簡易トイレテント付き)

生理用品詰め合わせバッグ

の2点です。

まず、簡易トイレテント付き)。

前の記事での出来事を頑張って伝えてみたところ、「男女問わず急な体調不良者への配慮必要だよね」ということで備品として購入してもらえた。

災害用で、一回ごとに固めるやつ。椅子テント付き。かさばるかなと思ったけど、意外にコンパクトにまとまることが判明。

現場では、草むらを開墾wして設置しました。

一応一人でも組み立てられる……とのことだったけど難しかったよ!

とりあえず、平らな場所を探すのが山中だと大変だなあと思った。

ルールとしては、基本女子学生管理・設置・撤収を行う(調査間中は建てっぱなしなの負担はない)。

男女問わず利用できる、という2つだけ。

場所配慮(休憩スペースより少し離すとか)や管理に気をつければ、特に問題なく運用できそうな感じでした。

実はまだ利用者がいないので分からないというのが現状ですね、はい

次に、生理用品詰め合わせバッグ。

中身はナプキン(昼・夜)、ティッシュウェットティッシュ、おしりふき、防臭加工のビニール袋、説明書自作)。

野外活動に耐えられるように、子供用のビニールバッグに詰めました。

中身は女子学生お金を出し合って購入、自分が使った分後日補充する。

管理女子だけど、一応備品扱い(保管は研究室で)。というルールを設定しました。

これがめちゃくちゃ便利だった…。本当にコメント下さった方、ありがとうございました。

野外での緊急事態も勿論だけど、宿舎での緊急事態にも対処できるのが大きかったです。

やはり、環境の変化で突然生理が来ちゃうこともあるし、勿論自分たちで用意はしていても、期間が長ければ荷物の容量的に限界があるので。

そういうときに屋外・屋内問わず対応できるものがあるというのは大変助かりました。

自分なりにルールブックも同梱しておいたので、今後も後輩たちの手によって運営されるといいなあと思う。

あと、研究室倉庫に保管しているので、大学で突然、というときにも使えた。とても便利。

一番嬉しかったのは、「こういう用意をしてみました」と、女性の先輩に伝えたところ、ほっとした表情で笑ってくれたこと。

みんな心配だもんね。とりあえず最低限のラインではあるけど、準備が出来て良かった。

あと、話して伝えることは大事だということを実感した。

これらの用意の際に、前回記事に登場した方じゃない教授に伝えたんだけど、嫌がることなく、恥ずかしがることなく、戸惑うこともなく対処してくれた。

まだまだ生理のことはタブー扱いみたいなところはあるけれど、自分たちから伝えることも大事だなあと思った。

おかげで、傷の手当て中心だった救急箱に、鎮痛剤をはじめとした薬を用意することもできた。

女子は大変だなあ」っていう姿勢ではなくて、「そうか、それなら男女問わず急な体調不良者に対処できるようにしよう」って、一緒に考えてくれたことがすごくありがたかった。

私はまだよく分かっていないかもしれないけど、男女平等ってこういうことなのかな、と思った。

(もちろん、前回記事に登場した方の教授も、了承してくれてるので安心です。)

今年度で私は研究室からいなくなる。

けれど来年度以降も、男女問わず何人も学生が来て、毎年発掘調査に出掛けることだろう。

願わくばこれらの備品が今後も運用され、改良され、男女問わず急な体調不良なった人の手助けになればいいなあ、と思う。

どの分野でも野外フィールドワーク過酷だけど、楽しさがきっとあるから。行かない理由のたった一つでも、消えてくれると嬉しい。

何で今更こんな後日談を、という話だけど、twitter生理休暇の話が回ってきたから。

生理にまつわる問題は根が深いなあと思いつつ、昔こんなこと書いたなあと思い出し、改めて読み返して、あのコメントをくれた方にお礼が言いたくて書いた。

色々な人が色々なこと言うけれど、とりあえず今、少なくとも私が所属している研究室では、割と快適に過ごせているよ、という報告でした。

追記

またブクマが増えててびっくりした。

めっちゃ褒めてくれるコメントがあって何だか照れる。

意外と前回のエントリ覚えててくれた方がいて何か嬉しかった。

あのときの、渓流釣りお姉様も見てるかなあ。

はいえ、ほんのちょっと勇気を出しただけだから、大したことではないですよ。

あと、自分だけじゃなくて教授理解があったかスムーズにいったと思う。

私の所属している研究室はとりわけ弱小なので、他の大学よりも教授学生間の仲が良い。

普段から良好な関係が築けてたから、こういう話もできたのかなと思う。人間関係的には人生で最高だと思ってる。学生生活をここで過ごせて本当に良かった。

それでも、「口で伝える」ことの大切さは身をもって知りました。

発掘調査に行かなければ、こういうことを考えなかったかもしれないし、学生のうちに良い経験ができたなあと思う。

基本ずぼらな自分が準備・運営できる範囲で考えたものなので、本当にシンプルものだけどね!

自分が体調崩しやすいので、今後も何かに応用できるといいなあとは思う。生理に限らず、身体の悩みは人それぞれあるので。

まあ、弱小ゆえにこういうトイレ問題が浮上しているんですけどね。w

行政の発掘も何回か参加したけど、小さい現場でも簡易トイレは置いてくれる。

まり他の大学研究室トイレ事情は聞かないけど、ちゃんと設置してくれるんじゃないだろうか。

はいえ、他大学女子学生と一緒に調査やったことないので、分かりません。

フィールドワーク女子のみなさんがどうしてるのかは気になるところ。

理系の人の状況とかも聞いてみたいなあ。

これは思い出話だけど、自分が初めて調査に参加したときは、女子1人での参加だったので、結構心細かった(案の定、突発的に生理になってちょっと困った)。

まりがけの発掘だと、調査研究必要ものは教えてくれるけど、生活必要もの個人裁量に任せることが多いし。

参加してみないと何が必要か分からないし、ネットにはあんまりそういう話が載ってない気がする(見落としてたらすみません)。

研究室個人単位だと結構ノウハウ蓄積してると思うんだけどなあ。

2018-01-18

[]2018/01/17

山道っぽいところをフィールドワークハイキングっぽい感じで一人で歩いてる

途中で道がわからなくなったから近くにいた人にきこうとした

そいつは、小学校ときに俺をしょっちゅう馬鹿にしてきたやつ

イケメンで背も高くてミニバスやってたけど、俺は大嫌いだった

閑話休題

そいつに聞くと、「空き地にある建物ロッジみたいな一軒家)の間取り構造とかを教えてくれたら、道教えてやるよ」って言ってきた

なんだそんなことかと思って言おうとしたら、会社上司がなぜか近くにいて、俺を無言でじっと見つめて「言うなよ絶対言うなよ」っていうオーラをびしびし感じた

そこではっとして「あっこれは教えたらあかんやつや」と瞬間的にわかった

そいつは悪いやつだから、もし教えたらその建物が燃やされるんだった!と脳内設定が即座に補完された

そんですんでのところで間取りを教えずに済んだ

2018-01-09

成人式スクールカースト社会階層

先日成人式に出席した増田です。

個人東京大学に通っていますが、成人式は、高校卒業までを過ごしたいわゆる「普通地方都市のものに出席しました。成人式自体は非常に平凡かつ平和ものでした。近くに住んでいたというだけで同じ校舎にぶちこまれていたかつての級友たちとの再会を楽しみ、今は東京に戻っています

さて、出席して改めて思うのは、成人式は「中学最後学校行事」だということです。主催地方自治体と、その対応する教育委員会ですし、会場の治安維持には当時の先生方が駆り出されていました。(平和ではありましたが、「荒れる新成人対策はがっつりされていました。以前大変なことになったことがあるようです。)そして、学校行事である以上、その場にはあの頃と同じ「スクールカースト」の力場が保存されていました。あの頃の教室雰囲気を思い出すのにそれほど時間はかかりませんでした(!)が、あの独特のサルリバイバル感が無理で成人式に出席しない、という選択をする人たちの気持ちは十分に分かりました。私自身は、あの頃にいい思い出はないもののそれなりに神経が太いので気になりませんでした。(「地元」というコミュニティからある程度離れてしまっているのもあると思います。)

ただ、あの頃の学校行事と異なり、成人式にあっては、その当時のスクールカーストに加えて(成人式では一時的に不可視であるように振る舞うことが求められているものの)社会的役割分担(階層)がある程度見えています。これら2つの構造」の比較検討は、フィールドワーク考察としてはかなり面白いと思ったので、とりあえず雑に考えてみます。(レポートじゃないのでテキトーです。許してね)

スクールカースト社会階層

改めてスクールカースト俯瞰的に見てみると、以下のようなマトリクスで整理することができるはずです。どこかのブログ記事かなにかの受け売りで、スクールカースト一般問題を語るのに適切かどうかはわかりませんが、今回は便利なので使ってしまます

\学業成績が優秀(教員従順学業成績が不振教員反抗的
コミュニケーション比較的得意リア充タイプ「不良」タイプ
コミュニケーション比較的苦手優等生タイプオタクタイプ

以下、成人式時点での社会階層(の萌芽)との対応を述べていきます

リア充タイプ

ほとんどが大学に進学。東京圏地方都市であることも要因としては大きいだろうが、東京私立大に通っている割合がきわめて高いことが特筆すべき点。背景として考えられるのは、彼ら/彼女らの家庭が比較的安定していたこと、自分自身の容量の良さから「楽かつ評価される」選択肢を選び取ったことなどか。就職先として地元という選択肢はかなり薄めのよう。

当時から「不良」タイプとの関係性が良好であり、アルコールにも慣れていることから同窓会後の2次会でも中心的な役回り男性の中でも血気盛んな層は「不良」タイプ女性ワンナイトラブをキメたよう。

「不良」タイプ

高卒もしくは専門学校に進学。いわゆる「地元コミュニティの中心をなしているようで、そのコミュニティ関係性を悪化させてしまっていた「元」不良たちはそもそも成人式に出席していなかった。家庭環境がさまざまだが、比較的早い段階で家計を支えることが期待されており、当時のような「ヤンキー」的振る舞いはほとんどなかった。それでも様々な着飾り方、騒ぎ方で成人式の夜を賑わしていたが……。一方で大学学者一定数いて、多くは高校からの推薦で、地方大学に在籍しているよう(就職意識してか、比較理工系が多めであるように感じた。)

「つっぱり方」を基軸とした当時の力関係希薄になるにつれ、地元自営業者の息子/娘もこの層と仲良くしていたのはおもろいかな。

優等生タイプ

大学学者が中心であることは「リア充タイプ共通しているが、比較国立大学学者が多め。(女性を中心に)典型的には地元大学学生だが、理工系を中心に東京圏の中堅私大にも分散していた。地元との関係性は一番希薄であるものの、地元就職視野にいれた就職活動を行うよう。大学入試偏差値就職を考えた場合、在籍中の大学の「レベル」はリア充タイプ拮抗しており、今となっては絶滅寸前の浪人経験者もこの層に集中。(余談だが、イキリオタクの如くこの文章を書いている私もこの層に属していると言える。)

一部は大学での経験をもとに「リア充タイプへの順応を見せているか

オタクタイプ

大学もしくは専門学校学者ほとんど。コミュニティとしての「地元」には所属していないものの、実際は地元に残っている場合が多い。なぜか分からないが、男性ではスーツの着こなしが一番微妙だった。当時と比較して「優等生タイプとのコミュニケーション志向している様子が見て取れ、同窓会ではアルコールも控えめい、かなりおとなしく過ごしていた。高校卒業フリーターをしている層はここに集中しており、このご時世にあってコミュニケーション能力の果たす役割の大きさを感じずにはいられなかった。

考察的な何か

当時のスクールカーストに対して学歴復讐、みたいな素敵なことはなく、社会の荒波と言われるようなものは(少なくとも自分地元では)スクールカーストとなんとなく連続している。ただ、東京大学に進学することは、「提示されている選択肢の多さ」という点で大きなメリットであり、また、終わりつつある「普通地方都市」という機構から脱するためのいちばん有効手段

もちろん家庭環境は当時のカーストから現在の状況までを形作る通奏低音であるものの、社会全体の成長という神話が終わってしまった自分たち世代にあって、ふたたび地方における「構造」として安定的であるかどうかは疑問。「不良」タイプの家庭の再生産は現在就職環境にあっては以前より難しいし、「優等生タイプ提供される地元就職先の選択肢は縮小しつづけている。「オタクタイプは「結婚しない/できない」問題の中心にあるし、今後の私の街はどうしようもなく不安定な何かしらになってしまう気がする。

2017-07-25

民俗学フィールドワークでさ

現地の住民学者が訪れる前に「原住民に望まれているリアクション」を活字映像を通じて学習していて、ロールプレイしてしまうってのがあるじゃないですか。

あれと同じで、実際のセックスでも風俗でも素人AVでも、AV学習したようなリアクションをしてくる女の子が苦手。

百歩譲って風俗AVしょうがないとしても、習い性みたいにAVみたいなリアクション咄嗟にする子ってなんなんだろうな。

いや、たぶん、前の男にそういうリアクションをなんらかの形で仕込まれたか、変なモノの影響を受けたりしてるんだろうけども。まあ、二、三回肌を合わせて、心をひらいてくるとだんだん薄まってはくるものの、最初から裸になってるときまで本当の自分を取り繕おうとしなくてもいいのになー、と思う。

2017-05-30

研究倫理なんて習ってねーよ

当方、そこそこ規模の大きな私大工学系4年生。研究室では一応機械学習いたことをやっている。巷では某事件であれやこれやの議論が活発で、引用の仕方がまずいやら研究倫理配慮に欠けるといった話を聞く。そこで、論文著者と同じような立場学生として読んでいて思ったことがある。

引用の仕方は習ったけど、研究倫理って勉強したこともないし、勉強する機会もなかったぞ?』

この問題は次の二つから発生してるんだと考える。

1,工学系の院生意識ってそんなに高くない

研究室サークルの先輩を見ていて、「研究者」になるいう意識があるのかな? という事がしばしばある。それも仕方がない話で、現状工学系の院って「学部卒だと文系と肩を並べて就活する羽目になるのが嫌だから修士を取って開発職として拾ってもらうか」という意識で進んでいる人も少なくない。院進学が「研究者になる」という意識ではなく「単純に学歴アップのために進学する」ような感じだ。今回、社系の研究者Twitterブログなどで引用の仕方の問題点などを取り上げているが、そもそも社系の院って「研究者」になる気がない限り行かないところであって、その辺で「院進学」に対する意識の違いがあるんだろうなあとは思った。もちろん自分たちがやっていることが「研究であることはよくわかっているのだが、「研究者である意識はないのではないかな、と感じる。

2,研究倫理に関して大学講義で取り上げていない

そもそも大学高校中学じゃないので「必要ことなら『教えてもらってない』は通用しない」というのはよく分かる。しかしながら、理系院生の現状意識は前述の通りなので、それではすこし無理があるだろう。それより研究テーマに対しての学習で皆あっぷあっぷだ。「研究倫理」について取り上げる教育の場って学生実験の場が適当なんだろうが、理工系学生実験課題が与えられて延々実験して解くようなものが多いので、そもそも研究倫理とか以前に研究室に放り込まれるまで「実験設計」というものをしたことがない学生が大半だ。文社系だと学部レベルでもフィールドワーク研究設計などを自分でやるから、おのずと調査対象に対する配慮などを通して「研究倫理」を学ぶことが多いのではないかと思う。ちなみに、技術士資格の絡みで「技術者倫理」という授業は開講されているのだが、聞きに行ったところ技術者として作ったものにどう責任を持つかという話で、研究の話ではなかったように記憶している。もっとかのぼると高校時代にちろっと触れたような気もするが、それは「遺伝子組み換え技術に関する生命研究倫理」であって、今回「データを持ってくるだけでも研究倫理が問われることもあるのか」と初めて気づいた次第だ。「研究室に入ってから指導教員に教えてもらえれば」という話もあるが、正直指導教員間にも学生指導の熱意や認識の差を感じざる終えないで、不安が残る。(今回の一件も、指導教員が発表前に気づけばこんなことになってなかったんだろうし)中高大と「正しい引用の仕方や図番の振り方、『コンピューター』と『コンピュータ』が混在しているようなレポートを書いてはいけない」「実験中に火事を起こしたり使った液体を外にばらまくな」とは習ったが、「研究によそのデータを用いて、それを処理するとき留意点」などは習っていないし、この問題が明らかになるまで自分も考えたことがないことであった。(これは自分の推測だが、論文著者も「データとして使ったなら引用元として示さなければ『ならない』」という意識があったのでないだろうか)

乱文ながらしがない私大の一大学生として思うところを書いた。ある種工学系って就職予備校だよなと。(この話題は本題からそれるが)そこの学生自発的研究倫理を学ばすのって無理があるような気がする。もっとも、倫理感なんて言うものは学ぶものではなく養うもので、「習ってねーよ」というものでもないかもしれない。しかし、学部修士課程社会に出ようと思っている人間にとって、「自分名前ネットで悪評立っている」というはどう考えても就活に響くし、そういうリスクがあるのであれば学会発表もおちおち出来ない。そういうところでは工学系の研究者のみならず、これまで個々人の思想プライバシーも含みうるデータをを取り扱って研究していた社系の研究者の知見を生かして、今回の件であれば人工知能学会の方でも指針を示してもらえると我々学生安心して発表で出来るのではないだろうか。

2017-05-25

二次創作小説研究目的引用することは研究倫理に反するか

結論:場合による

https://togetter.com/li/1113766

https://matome.naver.jp/odai/2149564479015738601

この辺見てると、「そうだよね」というものと「いやいやおかしいでしょ」というものがどちらもある。批判している人の中には文系の慣行に詳しくない人もいるようなので、しがない文系出身者が「文系だとだいたいこんな感じ」というのを提示してみる(「お前の感覚おかしいよ」という指摘があれば教えてください)

分析に用いている時点でこれは引用ではない」みたいなやつがおかしな意見の代表。いやいや、分析対象として使うのも立派な引用ですから

たとえば、「私が好きな○○さんの二次創作小説はマジ文学なので文学作品として研究対象にします」だったら、それがマイピク限定とかでなく全体公開されている限り無断で引用して差し支えない(他人の机の中にしまわれている黒歴史ノートを無断で引用するのは当然のことながら違法です)。10年前に20部だけ頒布された同人誌に載っている内容でも引用してよいし、「バナナ」とか「前立腺」とかい単語容赦なく引っ張ってきてこの表現の含意はとかここで使われている暗喩法はとか分析していい。

文学研究ってそういうものなんで。たとえばナボコフ研究では、英語版ロシア語版を照らし合わせて登場人物名前がどんなふうに変更されていてそれにはどういう意味が込められているかとかそういう細かな点を論ずる研究というのも実際あるし、そういう研究対象としての引用というのはまったく問題がない。作者に許可を取る必要もない。

それが本当に研究する価値のある文学作品であり、文学研究としての作法を踏まえているのなら、ラノベだろうが官能小説だろうが二次創作だろうが分析対象にしていい。異世界転生で俺TUEEEEEEであってもそこに文学として研究されるに値する何かがあるならガンガン引用することが許される。文学研究であるなら著者名と出典を明記することは研究倫理上むしろ必要不可欠だし、仮にそれで元の投稿者がマイピク限定にしちゃったりしても、このケースならそこまで研究倫理的に問題はない(と、私は判断する)。

現状、それをやっている人がほぼ絶無なのは

という理由であって、やっちゃいけないなんてことはない。二次創作書きから直木賞作家とかに登り詰めて死後に全集が作られるような身分になったら生前に書いたピコ手二次創作小説が掘り起こされて「若き日の習作」として分析対象になってしまうのも甘んじて受けよう。

しかし、問題は、これ文学研究じゃないですよね、という話で、テキストにあらわれる語の頻度を分析してフィルタリング機能に活かそうとかそういう研究だとまた違う話になる。たとえば「夏目漱石の作品中における接続詞の使用頻度」みたいな研究なら著者を明かすことに意味はあるけれど、この場合はそうじゃない。まあ一般的な語の用法分析じゃないからコーパス使えないことはわかるけど、「有害な表現のフィルタリングのため」という目的で用法研究するなら研究対象の具体的なURLと作者名は伏せた方がいいだろうし(これがまだせめて「“尊い”という語の用法」みたいに価値判断を加えていなければよかったかもしれないけど)、そもそも個々の作品のURLを列挙できる段階でちゃんとした研究とはいえないんじゃないんですかねふつうそういう研究なら、「○○新聞データベースで××年分の記事を検索して調べました」とか「pixivデイリーランキング上位20作品を平成××年△月から△月まで○ヶ月にわたって調査しました」みたいなデータになるはずで、分析対象が10作品だけって段階でサンプル少なすぎるでしょ。いやもちろんサンプルが少ないから悪いというわけではないけど(談話分析とかならたった30分程度のTV番組分析するだけで論文1本書けるだろうし)、フィルタリング情報工学的に考えるならまずサンプルたくさん集めないと話にならないというか……

pixivの規約に引用禁止と書かれている!」という主張はなんとも微妙だ。「は? それpixivの内輪ルールだろ? 著作権法上は自由なんだよ!」というカウンターも見られるが、そう簡単な話でもないと思う。

一般論として、引用は著作権法で保護されているので、それが適正な引用である限り(主従関係とか出典の明示とかそういうことね)自由に引用してよい。なので「無断引用禁止」と書かれている痛いサイト自由に引用して叩いてよい、ことになっている。そういう意味では、「支部の規約より著作権法の方が偉いに決まってんだろボケ」派の言うことは正しい(実際、著作権的にはこれ問題ないとみなされる可能性が高いのではと思うが、法学クラスタの皆さんその辺どうなんでしょうか)。

しかし、ここで問題になってくるのは

ということだ。

それを読んでいるということは、検索で行き当たった作品を引用しているのではなくpixivアカウントを取得してログインしそれらを読んでいるということだ。ということは、利用者としてpixiv規約を守る必要があるのではないか。少なくとも、利用しているサービスの規約に反して収集した情報を引用するのは、研究倫理に反するのではないか。

※追記:pixivの規約見たら「本サイト及び関連サイトアップロードされている投稿作品の情報を、当該著作者創作者)の同意なくして転載する行為」が禁止なのね。じゃあ、別に引用はしてもいいんじゃん。少なくともこの点で研究倫理がどうこう言うのは不当な非難だと思うので謝罪の上撤回します

たとえそれが個人的談話であっても、社会学文化人類学では引用してよい。「○○村の女性Aさん(45)が私に語って聞かせた結婚生活愚痴」なんてのも、これらの分野では立派な研究対象だろう。ただしその場合、事前に「私はこの村に社会学文化人類学の調査で来ているので、皆さんの発言研究に使います」と断る必要がある(増田にはフィールドワークの経験はないので、実際にどんなふうに許可を取るのかは知らない)。たとえそのような許可を取って滞在している村の住人の発言であっても、「これは絶対に論文に載せないでね」と言われたのに論文で引用したら、そらアウトだろうと思う。

だいいち仮に許可を取ってのことだとしても、社会学文化人類学研究なら普通は発言者をボカす社会運動指導者とかでもない限り、現代社会に生きる無名人の名前をそのまま載せるなんてありえない。ふつうは、AさんBさんとか、長門さん(仮名)と陸奥さん(仮名)みたいに処理した上で引用するの。

仮にそれが著名人であったとしても、使っちゃいけない、使うべきでない類の資料というのもある。たとえばちょっと前に、毎年ノーベル賞獲れなかったと騒ぎになる某作家さんの高校時代の図書館での貸し出し記録を調べてドヤ顔で記事にしてた新聞があったけど、と、図書館の自由に関する宣言~~~~~ってなりますよね(実際日本図書館協会激おこだった)。

これが歴史学だとまた話が違ってくるというか、たとえば、百年前の新聞投書欄分析して当時の世情を研究するみたいな研究は割とある。その投書欄に書いているのは農民だとか小役人だとか、まあ市井の人々なわけだけど、投書欄実名を載せているなら実名ごと引用され分析される(ていうかふつう実名をそのまま引用することはないけど、「○○という人物は次のように言っている」と地の文で書かれるとか、注釈で書誌情報の一部として実名が記されるとかはよくあること)。

ただし、これは「百年前の」「新聞への投書」だから許される話だ。書いた本人はたいてい死んでるし、遺族がいたとしてもたいして不利益はない。これがたとえば、公開を意図せずに書かれたお役所の文書だったらどうだろう(近代史でメインに使う史料というのはたいていこれだ)。もちろん、単に「○○という市民が食糧配給が少なすぎると文句を言ってきた」程度の内容なら実名を出してもいいだろうと思う。でも、それが故人の名誉を傷つける内容だったら? 徴兵された普通の人々がどのようにして戦争犯罪に加担していくか、という研究で、某中二病患者に人気の国の国防軍関係史料が引用された時には、登場人物の多くがイニシャルだった。

インターネットにおけるレイシズム、みたいな研究で、twitterの膨大な投稿分析発言者特定しない形で差別発言の例を挙げることは許されているけど、それが実際のアカウントと紐付けられる形で提示されたら、やっぱまずいんじゃないの。研究対象著名人であるとかなら別だけど(twitter右寄り発言ばっかりしてるラノベ作家がいたとしたら、その人の思想研究する上でそういうツイートを参考資料として引っ張ってくるのはまあアリだとは思う)、研究というのは告発のためのルポルタージュでも責任追及のための裁判でもないのだから(レイシズムに無批判であるべきだ、という意味ではないので念のため)。

それを考えると、やっぱりあそこで個々の作者さんの名前を出す正当性全然ない。出典の明示にしても、「○○というサイトで××年~××年にかけて上位20位に入った計△△作品を分析しました」でじゅうぶん。その上で個々の発言者特定されない形で「バナナ」という語の使われ方を存分に研究すればよかった。

=何が言いたいかというと、確かにあの論文研究倫理に反するけど、それは同人小説研究対象として引用することがいけないからではないので、批判する側も適切な論拠を選んだ方がいいですよ、というお話でした。

追記

何でこんなもんを載せたんだ、査読してないのか、という意見もあるけど、してないか名前だけのザル査読なんじゃないかなあ。これ、フルペーパーではなくて学会発表プロシーディングでしょ? 情報系は知らんけど、人文系だと学会発表で査読しないところもまだまだ多いですよ(内容が酷ければ質疑応答ボコボコにするか論文投稿時に査読で落とせばいい話なので口頭発表時点で査読が無いことは別に悪いとは思わない)。まあ、PDFとして載せちゃった以上は責任問われるのも仕方ないと思うけどね。最低限そこは査読なかったとしても編集委員会判断とかで弾こうぜ。

あとこれ多分M1の学生研究助教准教授が名を連ねてるだけだとは思うのだが、まあ共著者として名前連ねてる以上は責任を負うってことなんだろうし、実際M1の学生が袋叩きになるよりも准教授が叩かれる方がマトモだとは思うので、うん。

さらに追記

社会調査するならこれ読んどけ! 的なものとしてマサキチトセさんの翻訳が拡散されてる。

http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/1758

マサキチトセさんの訳は丁寧だし、社会調査しようと思うなら必要だと思うけど、これこの件に関係ないよね? ごっちゃにしてない?

  • リンク先で言われている「社会調査」の例
  • 今回の調査は「ネット上に公開された小説分析
    • なので仮にあてはめるとするなら「図書館に行ってLGBT団体の機関誌を調べてどんな人がどんなことを書いているか分析する」に相当する
      • 普通、そういう調査をするに際して、当該団体の許可は要りません(その団体の会員にしか配られなかったので、その団体が所有する図書館でしか読めません、というなら別だけど)。当たり前だよ、侵襲性がないんだもん。今回のは、その文献調査で知り得た情報をどのように扱うべきだったかという話でしょ。何度も言うけど発表された二次創作を無断で分析するのは原理的にはやっていいんですよ
  • なのでこれは、医学や文化人類学社会学フィールドワークとは根本的には違う話です
    • それらの学問では、患者さんや調査対象の人たちに時間を割いてもらって、必要とあらば彼らの社会に住み込むことによって、個人情報も含めたデータ提供してもらいます。侵襲性が高いというのはそういうことです。それらの学問では調査すること自体が彼らに迷惑をかけてしまうことになるんです。だからちゃんと事前に許可を取ったりしないといけない。でも、インターネットで公開された文章を検索したり、図書館雑誌を探したりするだけなら、調査対象に迷惑はかかりません。だから調査対象にいちいち許可を取る必要なんてありません。ただ、それによってセンシティヴな情報が得られることもあるし、それは研究発表のときに注意しないといけない、という話

もいっちょ追記

いちおう言っておくと、

  • 法的に問題があるか
  • 研究倫理として問題があるか
  • 研究として優れているか
  • ムカつくか

ってこれ全部別の話だからね。

正直、腐女子研究者研究者コミュニティに不信を持つのは当然だと思うし、それは腐女子面白いオモチャとしか見てこなかった研究者サイドの自業自得なので、「法的に問題がないことはわかったけど、あいつらのやっていることは信用できない」と思うのは無理ないです。その感情を否定したいわけじゃない。ただその感情の根拠としてぼくのかんがえたちょさくけんほうとかわたしのかんがえたけんきゅうりんりとかを振りかざさないでほしいだけ。正しい認識の上に立ったところで研究者に対する信頼が急に生まれるなんてことあるわけないんだし。

ぶこめに応答

id:p_papua

研究で「引用」というと文献リストに載せるやつなので,今回の件では研究用語的には「引用」では無いんじゃないかなあ。法的には分からない。pdfは全発表のを出してるんだから,いちいち弾いてらんないでしょ。

文系では文献リストは必ずしも必須ではないのよね(この辺、理系からすると何それかもしれないけど)。たとえば文献情報を全部脚注で書いちゃうやつだと文献リストはなくてもいい(だって書誌情報、つまり引用元の出典は脚注で示しているんだから論文の最後にリストとして挙げる必要はないでしょう? もちろん脚注にきちんと文献情報載せない場合は文献リストが必要ですよ)。あと、参考文献リストにない文献を引用するときに注で補ってもいい。

これ日本だけのローカルルールじゃなくて英語圏でもあるからね。たとえばNationalism and Ethnic Politicsなんかはこの方式のはず。

いちいち弾いてらんない、ってのは、せやな。こんな発表が許されるなんて学会研究倫理はおかしい! とか騒いでる人もいて頭が痛いよね。アホか。

id:catsnail

こうして燃えてる時点で侵襲性があるということになるのでは。「衆目に晒された→恥ずかしい→公開をやめる」が「過剰反応」だとしてもそのせいで研究対象は消えてしまったわけで。

ここで言ってる「侵襲性」ってのは、研究発表以降の話じゃなくて研究をする段階の話です。つまりデータを採る段階。

医者さんだったら、患者さんを診察室に呼びつけて、服を脱がせて、相手が医者じゃなければ屈辱的な姿勢(ケツの穴を見せるとかね)をとらせたりして病気を診察して、それで病気や怪我のデータを採るわけですよね。社会学だったら、時間を割いてアンケートに答えてもらったり、面談してもらったりする。文化人類学なら、調査地に住み込んで、同じメシを食って家族の会話に割り込みながら相手の文化を学んでいく。そういう研究手法が、侵襲性のある、侵襲性の高い研究だってことです。

こういう研究をするときには調査される側の同意が必要だし、データをどこまで公開していいか決める権限は調査される側が持っている、というのが、あちこちで訳知り顔で語られている社会調査の鉄則です。

でも、文献調査はそうじゃない。いったん公開してしまった情報であれば、それを調べる段階では調査される側=文章を書いた人にとっては基本的関係のない話。だってそうでしょう? いったん公開された情報については、研究者は、本屋さんで本を買ったり、図書館雑誌バックナンバーをあさったり、パソコンの前でマウスポチポチするだけなんですよ? これにいちいち事前の同意が要るという主張はどう考えてもおかしいわけで。

id:nt46

医学論文でもカルテ調査するなら患者本人には(直接的には)迷惑かからず、それを氏名つけて公表したあとに患者本人に影響出る可能性が出てくるわけで"根本的に違う"というのがよくわからん

カルテって、出版されたり、数万人の会員がいるSNSにアップロードされたりしてるんですか? 根本的に違うってのはそういうことです。当たり前ですけど、二次創作小説でも「作者が誰にも見せずにしまっているもの」「数人の親しい友人以外には見せていないもの」を引用するには許可が必要だし、無断で引用したら大問題ですよ。

id:drunkghost

会員制で見たい人だけが見られるようにしてある物を引っ張り出してきても許される、引用や研究ってそんなに万能なんです…?

少なくとも引用は万能です。数人の仲間だけにパスワード教えて見せてたならともかく、捨てアドがあれば誰でも会員になれて、数万人規模の会員がいるところに、会員なら誰でも見られる状態で置いてあるものは、著作権法上公開されたものと考えていいと思います。なのでそれが適正な引用方式に従っていれば引用はオッケー、お国の法律が認めてくれてます。やったね!

(ていうかその理屈だと、お金払わないと読めない学術雑誌掲載された論文は無断で引用しちゃいけないことになりますけど、それでいいんですかね……? NatureとかCellもウカツに引用できない世の中、やばくね?)

研究はこれから議論されていくところなんじゃないかな。少なくとも昔は、書かれたものというのは「書店や図書館に流通し誰でも読める状態に置かれる」か「私家版としてごく少数の人のあいだで流通するか机の引き出しで死蔵される」の二択だったわけですよ。「数万人の会員がいるサイトで公開されてるけど一般公開はしてません」なんて状況、想像もしてなかったでしょ。この辺は今後頭を悩ますしかない。そういうめんどくさいのが嫌な人は歴史学とか古典文学とか考古学とか関係者が軒並み死んでる学問をやりましょう。

id:ajtpyomkptm

二次創作研究対象になるなんて前例がなく誰もそんな想定をして書いてない。これは前例がないことだということを頭に入れていきなり研究の場に引き釣り出されて心の準備が追い付かない人の気持ちも憂慮してほしい。

前例はあります

今手元にないんで間違ってたら申し訳ないんですが、2004年に男性向け作品での美少女表象研究した本が二見書房から出ていて、バッチリ同人誌も引用されてたような。手元に確実にあるやつで確認すると、2009年に創刊されたコンテンツ研究系の学術誌に載ってる尾道聖地巡礼史を論じた研究では、聖地巡礼同人誌が引用されてます。探せば同人誌を引用した研究もっと出てくるんじゃないかな。コンテンツ研究だと痛絵馬分析とかもやってるし、そこまでおかしな事態じゃないです。この辺の学術動向知ってれば「前例がない」なんて発想こそ出てこないですよ。何を今更。

まあ、素人さんがそういう学術動向知っとけ、って無茶ですよね。でも、これでわかったと思うけど、学術って開かれているけれど閉じられた世界なんです。興味のないことには誰も目を向けない。同人誌も同じです。女性向けの島中に置かれてるマイナーCPの薄い本なんて、理屈の上ではコミケ来場者全員に買う機会があるけど実際に買うのはごくごく一握りでしょ? はっきり言って今回の論文だって似たような位置づけなわけですよ。知らない場に引きずり出されて不愉快に思うのはよくわかるし、同情もしますけど。

あとこれ言うと揚げ足取りなっちゃうんであまり言いたくないんですけど、『アララギ』とか『白樺』だって同人誌だし(ていうかあっちが元祖)、そういう意味での同人誌ってたくさん研究で参照されてるし、CiNiiで「同人誌」で検索かけたら戦時中の誰も読んでないようなマイナー文芸同人誌を詳しく紹介するみたいな論文がヒットするわけですよ。同人作品だから引用しちゃいけないとか研究の場に引きずり出してはいけないって言われても、それどこの星のルール? っていう感じがします明治文学研究とかルール違反百貨店や~。

追記

これ発表してから2ヶ月近く経って、いろいろ考えましたが、やっぱり私は研究倫理には反してないと思いますね。人に不愉快な思いをさせることがすべての局面において研究倫理に反するわけではないし、やっぱり引用の権利は厳然としてあるので、そこを突っぱねるのは筋悪かな、と。

2016-10-01

人文院卒、就職をする。

アカデミックの道に挫折し、非常にやる気のない就活をした17卒の記録。反面教師にするもよし、馬鹿なやつだなあと一笑に付すもよし。巡り巡って誰かの役に立つことに一縷の望みを託します。

方針

労働者に向いていない自覚はある。経済活動に利する人材パフォーマンスをする。

●専門

歴史学一般的にわかやすい&経済関連ネタにしたほうが、反応が良かった。そのため、第二次大戦後経済復興ネタ研究していることにした。

●志望業界

商社コンサル金融サービスよりは修正資本主義のほうがまだ理解できる。「日本世界の人々の生活の発展に貢献したい」と語った。社会進歩を信じましょう。

学歴

某旧帝→同大学院

ES面接

書類提出:25社。(大手10

書類通過:11社。この時点で中小ほぼ全滅。

1次通過:3社。

内定:1社。


学生時代に頑張ったこと

序盤(中小書類面接)は「学生時代に頑張ったこと」という文面を真に受け、勉学・研究ネタに書く。自律性とゼミ活動企画してましたアピール。当然と言われそうだが全くウケなかった。院卒なら専門で培った能力アピールしろという話は聞いたものの、ほぼ落ちる。フィールドワークなりインタビューなりのある専門であれば別だったのかもしれん。

大手のころには、学部1年目にの経験していた大学祭委員活動文芸サークルネタに切り替え、書類も通るようになる(何年目でやったか最後まで聞かれなかった)。どちらを書くかは「求める人材像」と照らし合わせて選択学生団体同士の熱血折衝やトラブル解決ネタがウケそうなら学祭。他業種との関わりや根気アピールなら、市や大学事務やらとの関わりのあったサークルネタ。あとコンサル系なら英語プレゼン経験とそこから名刺交換交流2回目にこぎつけましたネタ

大学祭という字面のほうが活発な印象を与えられると思い、悩んだとき学祭ネタを使った。


就活動機

本音金銭不安覚悟が甘かった)+経済状況の悪化→おくすりのお世話になる。悪化し続けていたが、試しに就活を試みた結果、劇的に改善してしまった。・・・・・・就活しよ。」

建前「歴史を明らかにするだけではだめ。今生きている人の役に立ちたい。研究よりも経済活動のほうが幅広い人に影響を与えられる。」

これを熱っぽく語ったところでは面接に通った。とかく役に立たないと揶揄されることの多い歴史が専門なので、「説得力」とやらはあったのかもしれない。


教師

学部卒のときには、ある程度以上には惹かれていた。しかしまあ、30連勤で死にそうになってる友人を複数名見ているうちに、それでもやりたい、とは思えなくなった。


●その他

まだ意識高い系学生だったころ、有名企業幹部らによる某帝大限定エリート育成講演会(仮)に行ったことがある。言語決定論を実しやかに語り、優生学ギリギリ社会進化論を手放しで褒めそやし、「人の役に立つ」の「人」を疑いもしない姿勢を眺めてきた。そういうひとたちから、陰に陽に、役に立たないものはやめて、もっと経済とかを勉強しなよと言われた。リクルーター面談座談会OB訪問座談会等で、「大企業に入ったスゴい先輩」にとっても、それが世間常識というやつなのだと感じた。

社会希望を抱いていたかった。尊敬できるセンパイというやつに出会ってみたかった。所属したいと思える環境を見つけてみたかった。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん