はてなキーワード: 保存会とは
なんでその方向に展開しちゃうかな?
まず演歌を持ち出した時点で元増田は伝統とは何ぞやの問題提起として計算が足りないのよ。はっきりいって。
例えば民謡って文化があって、正調民謡とか民謡保存会とかそういった周縁から伝統の正体を読み解こうって話なら俺も賛同するわけ。
まぁ、もう先行研究あるけどね。
演歌に関して言うと成立過程が特殊すぎる。色々な古典から借用した表現のコラージュとも言える箇所も多い。
じゃあその借用の元となったフレーズは何なのか?なぜその表現が借用されたのか?どんな意図を狙ったものか?
山口センセは学際的研究って言ってたけど、めちゃ多岐に渡る分野の積み重ねがないとこれは分析できない。
西洋的な音楽の基準で部族社会の音楽を分析しても意味ないですよという事を決定づけた名著。未読なら是非。
話がそれた。
俺も若い頃は西洋音楽ってどうなの?という問題意識があって民族音楽研究に足突っ込んだが、こと音楽の体系的な教育としての西洋音楽はとにかく便利なんだな。
西洋音楽のシステムというものはキリスト教の布教とセットになってて(聖歌とかな)、とにかく分かりやすく再現しやすい方向に特化している。
となると、やはり教育の分野で強い。そうなると大抵の社会は影響は受けちゃうわな。
いざ秘境の奥地にフィールドワーク行ったら部族がラジオで最新のヒップホップ聴いてましたみたいな笑い話もよく聞く話でさ。
ここで問題として掘り下げるなら、演歌にどんな美意識、規範が根底にあるかって話よ。西洋音楽の影響がどうこう言っても、それでも生きている何かしらはあるわけで。何でもかんでも西洋音楽の影響がってのは筋が悪すぎるし、先行研究読んでないバカ乙で話が終わってしまう。
共同幻想とは何か?
これですよ。この問いが我々を突き動かすわけですよ。
お返事ありがとうございます。プロテスタントの人です。
日本人は無宗教とか言いつつ気がついたらお寺に所属していたりするので
ご心配するほどのことはないと思います。信仰心の問題としては。
ただ、キリスト教は「信仰心を持たない」というフレーズが「罵倒言葉」なので
そこら辺気をつけていただきたいと思ったりしています。
そうそう、まず、神社・お寺の「保存会」に入ってみてください。あの空気は説明するより見た方が早いです。
まるで地域のPTA役員みたいに、「私はやりたくない」とか、ほかの人にやらせようというムードでいっぱいです。
そして、周辺地域の人は、「保存会」の行う「お囃子」さえ「うるさい」「騒音だ」という感じです。
太鼓なんかもうやれません。
ネットにはたくさんいる右翼な方々や外来宗教が嫌いな人(仏教以外 笑)は仕事にかまけてそういうことをやらないのではないかと勘ぐってしまいます。
外来文化を飲み込んだカトリックとイベント好きな一部のプロテスタント由来ですが
教会に関わらないでやってる人が多いのでもう別に勝手にしてください的な感じで見ています。
目に余るのは「教会に関わってないから」という理由で無視しています。
旦那さんが本来所属していたお寺さんの住職と何故かトラブって、教会に来て
そういうこともあるから選択肢を知らないよりはいいんだろうとも思います。
他の宗教でお祝いをしようという流れはノンクリ(非キリスト教徒)の結婚式辺りからもう始まっているので
結婚式だと「あーそうですかーじゃあ勉強会3ヶ月くらい来てくださいねー」で「 妥 協 」しています。
本来は洗礼受けたりか求道者期間を持ったりしてからやっていただきたいというのが本音ですけど。