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2018-10-08

みんな日本語学術言語としての重要性を軽く評価しすぎ

この件.

https://togetter.com/li/1274544

査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは本当に理解できない.

何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国韓国でも,文系研究業績の大半は自国語だから

文系研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準から

インドサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育英語でやっている国や,ツバルナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えないけれど)

そりゃ英語論文を持ってたらすごいと思うよ.でも英語論文がないことが叩かれる理由になるのは本当に理解不能.

そもそも社会学には膨大な日本語研究蓄積がある.いくつもの査読誌があり,日本語査読を経た研究成果が積み上げられている.博論をもとにした出版も多く出ているし,入門書からから日本語で一通り揃うようになっている.

自国語で用が足りるんだから論文執筆言語自国語でいいだろ.繰り返すけど,それが世界標準です.

イギリスアメリカ学者英語で書き,フランス研究者がフランス語で投稿し,ドイツ博士ドイツ語で教授資格申請論文審査を受け,ロシア院生ロシア語で報告している中で,なんで日本教授日本語の業績しか持っていないのを責められなければならないのか皆目わからない.

これは社会学に限ったことじゃない.政治学だって歴史学だって文化人類学だって文学だってそうだ.だいたいどの分野でも有力な査読つき学術誌を持っているし,それらの雑誌日本語で書かれている.

そして日本語というのは,世界でも有数の学術言語だ.もちろん英語ほどの網羅性は持っていないかもしれないが,ドイツ語やロシア語ほどの重要性は持っていると思う.それは,先人たちが日本語で積み上げてきた研究業績の賜物だ.

世界でも有数の学術言語」というのもいろいろな尺度があると思うが,どれだけ広い分野で高度な研究を積み上げているか,というのをここでは述べたい.

もしこれを読んでいるあなたが,アフリカに興味を持って,アカデミックな本を読んでみたいと思ったとしよう.大学図書館で文化人類学の棚の前に立てば,数ダースの優れたアフリカ研究あなたの前に現れるだろう.その多くが,西欧学者と同じようにアフリカフィールドワークをし,日本語西欧語の先行研究を読みこなした上で書かれたものだ.

あるいは,ヨーロッパ歴史を知りたいと思ったとしよう.あなた造作もなく,フランスドイツイギリススペインロシアや,そしてチェコポーランドポルトガルボスニアについての研究書を見つけられるだろう.どれも現地語の史料や文献を消化した上で,日本歴史学の積み重ねてきた問題意識接続されている.

それとも,言語学に興味があるだろうか.心配はいらない.オセアニアの数百人しか話していない言語文法記述した本も,ヨーロッパ小国言語の音声を論じた本も,中東言語政策についての本も,あなたは探し出すことができる.政治学? 問題ない,EU制度アメリカ大統領選挙,韓国歴史認識ロシア愛国主義湾岸諸国君主制,どれも日本語最先端研究が読める.

こんなことは当たり前に思えるかもしれない.でもこれは決して当たり前のことじゃない.

とあるアジアの国に行ったとき書店に行ってみた.西洋史の棚に並んでいるのはどれもそのアジア言語で書かれた本だったが,著者はみな西欧人だった.それらはいずれも西欧から翻訳だったのだ.たまにそのアジアの国の著者が書いた本もあったが,イギリスとかフランスとかメジャーな国についての本ばかり.マイナーな国の歴史について扱った本を開いてみたら,参考文献はほとんど英語で,ちょこちょことドイツ語やフランス語が挟まる程度.要するにその本を書いた学者はそのマイナー国の言語を読めなかったのだ.日本には,そのマイナー言語を読める歴史学者が何人もいるのだが.

あるいは,ヨーロッパ小国書店.その国は小さいので国民の多くが英語を達者に話すのだが,本屋を覗くと,自国史や周辺諸国歴史についての本以外は英語の本がそのまま置かれていた.もしも遠いアジアの国に興味を持ってしまったら,その国の人は,自国語のペラペラ入門書の次は英語を読まなければならないのだ.日本語なら,遠いヨーロッパの国についても専門書が手に入るのだが.

たとえ外国語が読めないシロートだろうと,ある程度自国語で難しい本を読める力があれば,中世ヨーロッパアフリカ社会ラテンアメリカ先住民近世朝鮮史東南アジア政治についての最先端研究書が読める.そんな豊かなアカデミアを有している国,そんな潤沢な研究蓄積のある学術言語は,実はそんなに多くはない.

私の感覚だと,英語網羅性には劣るし,フランス語の豊かさには負ける気がしないでもないけれど,ドイツ語やロシア語並の水準に達してはいると思う.もちろん自国民ゆえのひいき目かもしれないし,カバーしている範囲微妙に違っている以上正確な判定は不可能なのだが.

カバーしている範囲が違う,というのはどういうことか.たとえば,上で英語網羅性に劣ると書いたが,英語よりも日本語のほうが研究蓄積の豊かな領域というものがある.当たり前だが,日本史については英語の文献よりも日本語の文献の方が圧倒的に豊富だし,日本史以外でも前近代中国史についてはまだまだ日本語の方が英語よりも網羅性が高いと思う.なので前近代中国史については,読者はともかく,歴史学者は中国語の他に日本語を読まなければいけない.その人がアメリカまれ英語ネイティブ白人であってもだ.ザマーミロ.

というか,実は文系分野に関しては英語網羅性は理系ほど高くない.そんなのは当たり前で,ロシア人はロシア史についてロシア語で書き,カタルーニャ人カタルーニャ言語政策についてカタルーニャ語で書き,チェコ人はチェコ文学についてチェコ語で書き,韓国人は韓国社会について韓国語で書いているのだから英語の文献を読むだけでそれら全ての情報が手に入るわけがなく,本格的に研究しようと思ったらそれらの言語で書かれた文献を読まなければ話にならない.日本事情について一番詳しく正確な研究が読めるのは,英語ではなくて日本語だ.

なので,上で挙げた主要な学術言語は,それぞれ積み重ねが豊富領域とそうでない領域がある.得手不得手というやつで,たとえばマグレブ西アフリカ地域研究ならフランス語で,東ヨーロッパ前近代研究ならドイツ語で,旧ソ連圏の研究ならロシア語で重要研究が蓄積されてきたので,江戸っ子だろうがロンドンっ子だろうが研究を志すのならそれらの言語を読まないといけない.中国近世史を専門にする者が日本語を読めなければいけないのと同じだ.これらの分野で英語で書かれた研究だけを読んで済ますことはできない.

この辺が,理系とは事情の違うところなのかもなぁと思う.理論物理学とか分子生物学とか再生医療とか深層学習とか,ほぼ全ての分野で英語さえ読めれば研究には用足りる(んだよね?).英語最先端研究のほぼ全てが流れ込み,あらゆる情報が蓄積される.しか文系では違う.英語には限られた情報しか流れ込まず,最先端研究の全てが英語提供されるわけではない.

なので文系では,英語理系ほど特権的地位を占めているわけではない.もちろん英語文献が読めるのは今や前提だし,重要な先行研究英語なら読んでいないと問題外だ.けれど,英語ではなく自国語の研究でも研究業績にカウントされるし,外国語での業績といっても英語に限られるわけではない.韓国語やトルコ語論文を書くほうが英語で書くよりも楽だ,と言う研究だっているし,日本語でも英語でもろくな業績がないがそのかわりロシア語で何本も論文を書いているという研究者もいる.

というわけで,文系研究者が英語論文を書いていなくとも,それが直ちに問題だとは思わない.査読論文にしても,そりゃゼロってのはちょっとどうなの,って思うけど,研究者が集まって作った本の一章として論文を発表するとか(いわゆる論集ってやつね),出版社が出してる研究者~教養人向けの雑誌に依頼を受けて研究成果を発表するとか(岩波書店の『思想』とか,青土社の『現代思想』みたいなやつね),査読されてないけど業績としてカウントされ得る論文の発表形態というのはいくつもあるので,査読論文以外にそれらも論文としてカウントしないとフェアじゃないと思う(ただ,私は査読がついていない媒体に出すのは怖いなと思ってしまうので,なるべく査読誌に出している).

別に理系のひとが査読つき英語論文のみを業績としてカウント和文論文勘定しないというローカルルールをお持ちなのは結構なのだが,そのローカルルール文系押し付けないでいただきたい.

私が危惧しているのは,上で書いたような日本語で積み上げられた先行研究が,日本人に真っ当に評価されていないことだ.

文化の豊かさというものを考えたときに,自国語で世界中の情報を知ることができるということが,どれだけ重要なことか.まして,日本コンテンツ産業が主要輸出品目のひとつだ.中世ヨーロッパアフリカ部族社会について日本語での研究が充実していることが,創作者が想像の翼を広げる上でどれだけ有利か.たとえば最近Cuvieという漫画家さんが『エルジェーベト』というオーストリアハンガリー舞台にした漫画を描いていたが,巻末の参考文献にはずらりと日本人が和文で書いた研究が並べられていた.

別に文化に限ったことではない.政治経済,そして人権についてもそうだ.ルワンダ虐殺スレブレニツァの虐殺について日本語で書かれた研究があるのとないのとで,どちらの方が日本人にとって国際情勢を理解やすくなるだろうか.外国で一旗揚げようと目論む商売人にとって,その地域専門家が書いた本や論文和文で手に入るのと入らないのとで,どちらが現地の文化や歴史理解する助けになるだろうか.欧米フェミニズムについて日本語研究を積み重ねる学者がいるのといないのとで,どちらが日本女性の権利の向上に資するだろうか.

すべての国が自国語でこれだけ充実したアカデミアを持てるわけではない.人口があまりに少ない国ではどうしたって物理的な限界があるし,人口が多くとも植民地支配の歴史が長く自国語の大学教育が充実していない国では歴史的遺産がその発展を阻む.

日本人は恵まれ研究蓄積にあまり無頓着なばかりか,その豊かさをみずから捨て去ろうとしている.それが私にはもったいなく思える.

英語は,世界の始まりから覇権言語だったわけではない.明治時代日本医師ドイツ語で論文を書き,外交官たちはフランス語で交渉していた.英語外交学術の分野で覇権を握ったのはせいぜい戦後のことで,それまではフランス語やドイツ語と同格の存在だった.今も文系ではprimus inter paresに過ぎない.ひょっとしたら将来,欧米物理学者たちが中国語で論文を書くことになるかもしれない(そのとき現在私たちが定冠詞や三単現のsに悩まされるように,欧米人が泣きながら漢字習得するのだろう.そう考えるとなんとも愉快な未来予想図だ).せいぜい百年単位覇権言語の移り変わりにあわせて,自国語の学術言語としての地位貶める必要はないと思う.それは私たち社会の豊かさを,長期的に損なうことなのだから

最後に.

どうせ和文論文しか持ってないやつの負け惜しみだろって思ったひとがいるかもしれないけど,和文論文だけじゃなく英語論文も書いたことあるし,英語以外の外国語での論文も持ってます.今それとは別の外国語での研究発表を準備中.私より多くの言語研究報告してきたひとにならともかく,たかが1言語か2言語しか論文書いてないガラパゴスの住人にだけは文句言われたくないですわ~~~~~~.

追記

英語論文が優れているとは言わんけど、査読なしの研究なんてゴミだし。

日本国内の、査読なし論文が実績になる分野の教授たちによって、査読された研究にも何らの価値も感じない。

anond:20181008221502

id:bocola 自分でも言ってるように査読しなの問題査読なしの論文なんて、読書感想文と変わらない程度の価値。やはり文系は無価値だと改めて思った。

arXivのない世界からやって来たのかな? グリゴリー・ペレルマンって聞いたことない? 査読なし論文が業績としてカウントされてるひとだけど.

事前の査読は,論文信頼性担保するための手続きひとつであって,それが欠けている「からダメ論文というわけでも無価値というわけでもない……というのはわかってくれるよね? 当たり前だけど論文価値は最終的には書かれている内容に依存するわけで,だからこそペレルマン査読なし論文であってもポアンカレ予想を解いたと認められたんだよね.

私も査読はないよりはあった方がいいと思うけど,査読がすべての論文につくわけではない分野のすべてをダメと論ずるのは不当すぎる.まあ最近文系査読重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないかダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメ論文は後発の研究によってちゃん批判されるか鼻にもかけられず無視される.公募の際には論文を提出させたりするんだから査読なしダメ論文を量産していればそこで撥ねられるでしょ.理系ローカルルールで事前の査読必須なのはよくわかったけど,そのローカルルール文系敷衍されても困る.

id:zyzy まぁでもこの噛みつきは、もうすでに南京大虐殺の時に通った道だし、虐殺否定論者と同じ轍を踏み続けている以上、恐らくオタにこの説明が通ることはないんですよ。

私もオタクですが.

追記

続きは anond:20181009084352 anond:20181009213503 で.

2012-02-28

個人情報保護正義なのか、それとも高木先生正義なのか

http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20120226.html#p01

パ: お待たせいたしました。こちらでタイムズシステムについて確認をさせていただいたんですけども、パスモからタイムズお客様のお名前等の情報は一切提供しておりませんので、

私: そんなこたー訊いてないよ。

パ: はい、どういったことでしょうか。

私: え?何を調べてきたんですか?

パ: ……。あの、お客様が、さきほど、タイムズを含め事業者情報を持っているのであれば、マイページを閲覧できてしまうのではないか危険ではないだろうかというお話をされていたので、鉄道事業者に関しましては、パスモについて個人情報徹底管理をこちらから指導させて頂いておりますので、そういった勝手お客様の履歴について閲覧をしてしまうということは、ないように指導させて頂いておりますので、その、タイムズについてどういった情報を持ち得ているかという状況を確認させて頂いたという状況でございます

私: ええ、そしたら?

パ: はいタイムズには、パスモとして情報はお出ししていませんので、

私: だから、何でそれが答えになるですか。頭おかしいじゃないの? なんでそれが答えにな・る・ん・で・す・か。

http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20120226ddm002070124000c.html

 社会学者ジグムント・バウマンは「ゲーテッド・コミュニティー」を例として、過剰な「安全」の追求は何をもたらすかを述べている(「コラテラル・ダメージ青土社)。彼の卓抜な比喩によれば、それは「子供たちが完全に安全環境水泳を覚えられるようにと、プールから水を抜くようなものなのだ

 安全セキュリティーには「これで十分」という基準がない。それゆえに放射能のように、「これ以下は安全」というしきい値が未確定で、なおかつ眼(め)に見えない存在に対する場合ほど、安全性の追求は「強迫観念」に似たものになる。

 そうした強迫観念は、バウマンも指摘するように「恐怖心や不安、敵対心、攻撃性、道徳的な衝動の弱まり抑制に伴う、不安定さの縮小ではなく、むしろその急速な増大」をもたらす。また長期化することで、相互信頼が掘り崩され、猜疑(さいぎ)心(しん)の種がまかれ、意思疎通が難しくなる。

三点。

  1. パスモシステムの不備に対する指摘は、高木先生が全面的に正しいと思う。
  2. タイムズの件は「一連の個人情報があれば別の個人情報を抜ける」という議論の一例としてなら正しいが、同時に「実際にタイムズパスモの履歴を抜くことはありえない」という回答自体は正論だ。で、ユーザがその想定の元に(たとえ個人情報を使うと履歴が参照できると知っていた場合でも)タイムズID提供するということは、まぁ、ありうる。ここに商業利益の追求等が絡むと、提供された個人情報を使って密かに「名寄せ」をする動機が生まれる、という議論は可能だけど、それは個人情報取り扱いポリシーとか法規制という観点からも議論できるわけで、純粋技術論のみで論じれるものではない。
  3. 毎回思うのだが、高木先生の議論は「技術正論」に基づいて、相手の無思慮・不正義をマウントポジションボコるという形式を取るが、その行動が事実上「特定の政治立場」へのコミットと同義であることにどの程度自覚的なのだろうか。技術が「使い方次第」で様々な社会的意味を持ちうるように、いくら技術見地であることを強調しても、その議論から政治性を払拭することはできない。

2009-03-17

■さわやかな有村悠のガイドライン

さわやかな有村悠のガイドライン

「ありむー」

「ありむー」

さわやかな有村信者挨拶が、澄みきったブクマこだまする。

はてなブックマークのお庭に集う有村信者たちが、今日天使のような無垢な

笑顔で、ありむーのブログブクマを付けまくっていく。

汚れを知らない片手に持つのは、ユリイカ聖典ユリイカ

汚さないように、高尚な青土社歴史を尊重するように、ゆっくり読むのがここでのたしなみ。

もちろん、有村悠は高学歴ブルジョアだからユリイカに連載が持てるなどといった、はしたない発言など存在していようはずもない。

はてなブックマーク

平成十六年創立のこのブックマークは、もとは高学歴ブルジョワジー政治力増強の為につくられたという、

伝統ある新月お茶の会東大分校である。

はてな下。駒場の面影を未だに残している高学歴の多いこのサーバで、東京大学に見守られ、

新入市民から古参市民までの一貫教育が受けられる高学歴ブルジョワジーの園。

時代は移り変わり、元号平成から改まっていない平成今日でさえ、

三年ブクマし続ければ高学歴純粋培養有村信者が箱入りで出荷される、

という仕組みが未だに残っている貴重なブックマークである。

2009-01-24

さわやかな有村悠のガイドライン

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「ありむー」

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笑顔で、ありむーのブログブクマを付けまくっていく。

汚れを知らない片手に持つのは、ユリイカ聖典ユリイカ

汚さないように、高尚な青土社歴史を尊重するように、ゆっくり読むのがここでのたしなみ。

もちろん、有村悠は高学歴ブルジョアだからユリイカに連載が持てるなどといった、はしたない発言など存在していようはずもない。

はてなブックマーク

平成十六年創立のこのブックマークは、もとは高学歴ブルジョワジー政治力増強の為につくられたという、

伝統ある新月お茶の会東大分校である。

はてな下。駒場の面影を未だに残している高学歴の多いこのサーバで、東京大学に見守られ、

新入市民から古参市民までの一貫教育が受けられる高学歴ブルジョワジーの園。

時代は移り変わり、元号平成から改まっていない平成今日でさえ、

三年ブクマし続ければ高学歴純粋培養有村信者が箱入りで出荷される、

という仕組みが未だに残っている貴重なブックマークである。

http://anond.hatelabo.jp/20090122120756

2009-01-13

自分語り(了)

DENPA!!!行って来ました。

ここ5,6年で一番いいpartyでした。

掛け値なしに楽しい!!!

昼間っからやってるのも健康的(←こう書いて「おっさんに優しくて」と読む)で◎。

内容、客層、ロケーション、料金すべてに満足できる、レベルの高いイベント

ここまで"熱い"のは昨今ではかなり珍しい。マジおすすめ。ちょっとでも興味のある人は、一刻も早く行くべき。

とまぁ、ここまで書いて小休止。

自分は↓これ書いた人。

自分語り

http://anond.hatelabo.jp/20081223011009

自分語り(補)

http://anond.hatelabo.jp/20081223215937

自分語り(転)

http://anond.hatelabo.jp/20081224054429


「良いイベントだなー。こんな良いイベント久しぶりだー」と強く思ったのですが、

どうも悶々とするものがあり、それをこの2日間考えてました。

んで、marquee ( vol.70「次世代ファンタジー特集」に電刃の特集あり) とかユリイカ増刊号『初音ミク』とか買って

まだわからなくて悶々としてたんですが、主催者の"点と線"さんのブログを見つけてちょっとわかった気になったのでコメントします。

以下はアリバイとして書き残したい文章。もしかしたら読む人によっては不快に感じるかもしれません。

でも、申し訳ないけど気分を害すような文章をアップします。

(なので過去の『自分語り』で不快に思った人は読まないで下さい。)

ユリイカ増刊号『初音ミク』はほとんど読んでないのですが、

冒頭の佐々木渉氏へのインタビュー『生みの親が語る初音ミクアングラカルチャー』が抜群に面白い。

これだけで1,200円出す価値があります。今現在初音ミク関連の資料として最も価値のあるものじゃないでしょうか)

あと、情報量が多いのでメモ書き(コメント)でとどめます。

きちんと書いてる暇がないので。

では先に進みましょう。


//////memo//////

[前提]

テクノウチさんのブログ

自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説

http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html

自分語り134 - 「超ライトオタク」 で何が悪い

http://www.technorch.com/2008/12/134--.html

自分語り135 - 「超ライトオタク」 ゆっくりした結果

http://www.technorch.com/2008/12/135--.html


電刃主催者の点と線さんのブログインタビュー

ライトオタク

http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html

慟哭 (3)

http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/11/post-15.html

点と線インタビュー

http://besidegames.com/feature/024-01


竹熊健太郎大泉実成の「おたく/オタク」に関する対話

第3回 オタク密教オタク顕教竹熊健太郎氏との対話(1)

http://web.soshisha.com/archives/otaku/2006_1019.php

第4回 オタク自意識竹熊健太郎氏との対話(2)

http://web.soshisha.com/archives/otaku/2006_1123.php

第17回 オタクだけが残った〓竹熊健太郎氏との対話(3)

http://web.soshisha.com/archives/otaku/2007_1220.php


栃内新,左巻健男 編『新しい高校生物の教科書講談社ブルーバックス,71頁より

生命】 = 【生きている細胞】 - 【壊された細胞



[目次]

1.「慟哭 (3)」を読んで

2.装置(罠)-学校。その後は?

3.人類知に帰ろう

4.あなたはどう思ってるの?

5.ブクマコメに対する返答

6.参照元

------

1.「慟哭 (3)」を読んで

慟哭 (3)

http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/11/post-15.html


「あー、デュシャンか。理解理解納得納得」って感じです。

こう言ったら失礼(ネタバレ)かもしれないけど、電刃はデュシャン - ウォーホール - 村上隆のラインの音楽ファッションverなのねと。

この流れだとたしかに「○○論」は確かに意味を成さないっす。「意味を成さないように働く機構」という罠・舞台装置だから。

(便器語ってもしょうがないし。まぁ、人類史上もっとも「すごい」便器なんだけどw)

次のエポックメイキングな事象はアキバのホコテン復活の時かもーとか妄想しちゃいました。

(補)

レディ・メイド

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%89

「泉」に関する個人的な解釈は、「心のヒダへの"effect"を芸術とするなら、

便器にサインして展示会に出しても芸術作品として"アリ"なんじゃね?」と提案している作品

デュシャンは「美術を"effect"とするなら、『美しい』でも『怒り』でも『恐怖』でも何でもいいじゃん」と

美術芸術)」を「拡大解釈」できる素地を作っためっちゃ偉大な人。

(それまでは「真善美」を追求するファインアートが主流だった)

ファインアート

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88


ウォーホールは「キャンベル缶も芸術作品じゃね?」と言った人。

(余談ですけど、村上隆美術史的「文脈」をきちんと押さえてるから海外で評価が高い。

作品オタク的である・でないとかは関係ないです。

美術史をちゃんと踏まえ、理論として一貫しており、装置として実際に働くから「海外美術界」では評価されています)

村上隆「これも芸術作品じゃね?」

ガイジン「あー、そうかもそうかも!!」


(電刃は村上隆と違って商売っ気が今のところなさそうに見えるから、反発(というか"やっかみ")も少ないかもしれないですね。)

ニコニコではちょっとあるみたいだけど)

(補の補)

電刃は「オタク等々を拡大解釈させる"装置"である」と言いたいだけ。

電刃を「芸術作品だ」とは言ってない。「芸術作品」という評価は「解釈が拡大する運動性」において無意味


2.装置(罠)-学校。その後は?

ライトオタク

http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より

庵野監督が『気持ち悪い』でEVAを終わらせた心境から遠くはないです。

はてな民に対しては「気持ち悪い」かもしれませんが、

ホントは「パラレルワールド幸せそう?に学校に行くシンジ(を描いた庵野監督)」が正解じゃないですか?

(「気持ち悪い」は悪い意味ではない。↓参照)

映画エヴァンゲリオンの最後、「気持ち悪い」ってどういう意味

http://news4vip.livedoor.biz/archives/50801624.html

俺は電刃行って目の前ですんげぇかわいい長門がぴょこぴょこジャンプしながら踊ってて、

それ見ながらガン踊りできる幸せに絶頂を迎えそうになったけどなー。

現実」を住みやすくする手立ては、陳腐な言葉(≠「仲良く」)の中にすでにあるのになぁと。

アメリカヲチしようぜ!!」でいいような気がする。オバマ的な意味で。

(別にEUヲチでも構わない。もちろん)




3.人類知に帰ろう

ライトオタク

http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より

正直なところ、その違いって、テクノウチ君の考察のように参加者が共通してポジティブかどうかじゃないかなとw

それで終わりじゃ駄目なの?むしろw。

(中略)

僕や参加者がそうだと言ってるんだからそれでいいじゃないと思うんだけども、

それでも解釈知的経験の枠)の媒介を人は要求する社会学囚人なので、

僕なりにそれ用の答を探求してみたんですが、もとよりそんなつもりはないので嘘はつけないなあというどうしようもない始末。

庵野監督が『気持ち悪い』でEVAを終わらせた心境から遠くはないです。

関係ないけど社会学部だった僕の卒論は「社会学永遠に社会そのものを追い越せない」というものでした)

(中略)

これは大変ありがたいことですが、DENPAはアカデミックな言説に幽閉されるよりも、ただ好きなものを好きという幼児的で野蛮で原始的な本能に基づいているのも事実です。それもコンプレックスをいだかず堂々と。

僕らは学論の探求ではなくエンターテインメントの探求をしている。

不恰好でも感動はほんものだ。

そのシンプルな行為がこんなにもやりにくく、珍しがられる時代になってしまったんだなあ

と感慨深くなりました。


marquee(vol.70)「次世代ファンタジー特集」より

文字打ちが大変なので割愛。

アート引用者注:「学問」という意味多分に含まれてる)はどこに行き着くために問い続けてるかわからない」というインタビュアーの質問に対し

点と線さん、「ポジティブエネルギーと、それを循環させる回転運動がコンセプト」と返答

点と線さんが社会学フレームで世の中をすっきり見れるように、

若い子にもその手段をゲットできるような仕組みを作ってあげたいなーと思ってみたり。

年下の子に「学問楽しいよー。いや、むしろキモチイイとすら言える!!」としか俺はまだ言えてないけど。

カウンターカルチャーであるはずの「学問」が、「幽閉」する機構として働く日本の異常性がアレなんだよなぁ)

あと、社会(工)学とかの立脚点がないままのポジティブって、

学生運動とか創価学会とかオウムとかプロザックとかと変わんない気がします。

(「社会工学」について否定する意見もありましょうが、

最近は「死なない程度の失敗ならおk(死なない程度に納めよう)」という考えの人多し)

鶴見済ですら

リタリン規制はやむを得ない

http://tsurumitext.seesaa.net/category/3920016-1.html

と言ってるのだから、たとえ手詰まりでも「ポジティブであればいい」とは言わない方がいいんじゃないかなーと思ってみたり。

まぁ、アメリカとかEUは全然手詰まりに見えないので、「手詰まり」こそが共同幻想な気がしますが。

(個人的にはバンクシーみたいな手法が好き。愛しつつコケにする系。音楽だとBUBBLE-Bさんとか)

バンクシー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC

BUBBLE-B / アムロケット

http://jp.youtube.com/watch?v=54L9vxwpzN8

BUBBLE-B / バブルBのゆく年くる年

http://jp.youtube.com/watch?v=54L9vxwpzN8




4.あなたはどう思ってるの?

オタクって何?

オシャレって何?

大事なものは 何?過去現在未来歴史教養情熱創造破壊

疑問に疑問でお返しします。


----------------------------

5.ブクマコメに対する返答

「面白い」とか「なかなかのもの」とか言ってくれた人ありがとう

レスすると「キモイ」とか言われちゃうので、指摘してくれたコメにのみ応答。

自分語り』のブクマコメ

clonicle 言っていることはまっとうだが、「ジャンクフード」(=人によっては取るに足らない虚像)だと発言することでテクノウチ決断主義者に仕立て上げるのは悪質

決断主義」って言葉意味を調べましたが、よくわからなかったです。

購入厨」みたいな言葉

fuldagap「「ジャンクな物でも『おいしい』と感じる人が大半になったよ』って書いてあるだけだよ?」が微妙に誤読な気も。「化学調味料うめえ」じゃないかなーとか。総じて現役/引退オタク自己正当化合戦に見える

そうです。たしかに「化学調味料うめえ」なのですが、

化調まで抽象化しちゃうとかえって伝わりにくいかなーと思い「ジャンクブート」にしました。

(「化調」に対応するのが「ビート」だけになっちゃうので。音楽的広がりが欲しかったので「ジャンクフード」と表現しました)


自分語り(補)』のブクマコメ

fuldagap 「全員「アツイ」から、濃淡は金・環境時間の差でしかなかった」ってのは「アツ」くない人が見えにくかった時代がゆえの偽史だと思うなあ

「『おたく』とアイデンティファイされるようなファナティックな人々」が母集団ですから。

熱くない人たちは隠れキリシタン的に「おたくではなかった」。

y_arim ぼくの知る限り、昔だってヌルいひとはいた。だけど時間の経過とともに彼らは「卒業」し、一貫して熱かったひとのみが生き残った。すると「昔は誰もが熱かった」という言説が生まれる。「元ヌルオタ」をどう語るか?

(『タイムマシン』のエロイ的な意味で)幸せで「語り」に対してモチベがない人々に無理に語らせなくていいのでは?

ジャンプの発行部数見れば、「いた」ことはわかりますから。

mkd5 オタクおたく」のうち岡田氏の守備範囲が「オタク」となったってことかなあ/「(淡から濃に行かない奴は、そもそも「おたく」と呼ばれていない)」これがヌルオタなのでは

「ヌルおた」は言語矛盾引き起こしますが、「ヌルオタ」は新語なので好きに定義しちゃってください。

kanose 面白い。けど、ぬるオタ的なバッシングが昔はなかったかといえば、そんなことはないと思うなー。

ミーハーという言葉などで批判されていたんじゃないかと

竹熊健太郎氏との対話(1)』での解説が一番しっくり来るのかなぁ。

個人的には「ミーハー」ってバカにする奴を馬鹿にしてたので、

おたく全般」にまで広げちゃっていいのかどうかはまだ自分として決めてないです。

6.参照元

は文字数制限を避けるために↓こっちに移動。

http://anond.hatelabo.jp/20090115000935

おまけ

TRANCEジブリミックス集(修正版)【トランス

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1756156

フック

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%83%E3%82%AF

ギミック

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AE%A5%DF%A5%C3%A5%AF






(追記)

ああ、そうかそうか。書きたいこと書き殴ってたらレポ忘れてた。

"DENPA!!!"に行ってきたよ。

http://d.hatena.ne.jp/inumash/20090113/p1

[音]DENPA!!!には超ライトオタクはいたんでしょうか

http://d.hatena.ne.jp/republic1963/20090111#p2

[オタク]オタク!! DENPA!!! イエ!!!!

http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20090113/1231821064

お三方とそう変わらない印象。

3Fではアニソン流してカラオケノリでオイオイって感じ。2Fと3Fの交流はぼちぼち。曲や3Fの込み具合次第かな。

ロンドンナイトは行ったことないけど、普通ライブとか新宿で昔やってたグルービー・ロックキャラバンとかと相似。

僕は2Fで「普通に」踊って楽しんでました。

テクノウチさんの時間は、3Fのお客さんが大挙していらっしゃいましてまったく踊れなかったので、僕的には一番…w

NHKの方(ETVカメラマンさん)は「アンディー」かなーっとちょびっとヲチしてました。

(こっそり追記)

metamix   きちんとオーガナイズされてる良イベントだっていうのは分かったけど、

その先があるのかどうかをもっと知りたい/クラブピーポーには文化考証なんてどうでもいいんですよ。

要はその現場があるかどうかだから。

「その先」「現場」ってのがどんなものをイメージしてるかにもよるなぁ。

Dir en grey」なのか「RYUKYUDISKO」なのか「初音ミク/ニコニコ」なのか「third summer of love」なのか。

「超ライトオタク」や「越境」云々は主催者も意図してない(?)「バズワードでのプロレス」(@inumashさん)なんで、

どの層がたくさん「ひっかかる/ひっかかってる」かにもよるかと。

(まぁ、お客がみんな「かっこいい/かわいい」と書かれているってことは、

ちょっとキモ目の"いわゆる"「おたく/オタク」はあまりいないってことでもあるような気がするのはきっと気のせい。)

(昔に比べて非寛容な人が減っただけのような気がするのもきっと気のせい。)



(おまけその2。佐々木渉さん、かなりクールです)

佐々木渉】  三年くらいしたら「初音ミク?そんなのもあったね」で良いんですよ。(中略)

まあウチも営利団体なのでもしかしたらヴァージョン・アップ版とか出すかもしれませんけど(笑)

ただ、引くタイミングは考えないといけませんね。初音ミクにまで泥を塗って、

グダグダと退いていくようなやり方は、やっぱり不味いので。

ユーザーさんからも「『ぷよぷよ』を作った会社株式会社コンパイル)が辿った末路を、よく調べておいて下さい」という

有り難いご意見をいただきまして(笑)。良いこと聞いたなぁと。

ユリイカ増刊号『初音ミク青土社、17頁)



(独り言)

ディスコクラブライブハウスイベントホール使用料、全部「ハコ代」って言うよね。

2008-11-11

世界の各国ジョーク集の特亜の扱いが酷すぎる」のか?

ちょっと前「世界の各国ジョーク集の特亜の扱いが酷すぎる件について」が話題になった。こういうのって本当なのか疑問だったので、ソース付の

★もし、五人集まれば…

アメリカ人は…競争する。

フランス人は…同時にしゃべりだす。

イタリア人は…着ている服について話す。

ドイツ人は…自分の国の政治について話す。

イラク人は…クーデターを練る。

アフガン人は…金がなければ働く、あれば寝る。

ソ連国人は…オレンジジュースを一本買って、五人で分けて飲む。

エジプト人は…水タバコを吸う。

ロシア人は…互いに賄賂の話を持ち出す。

アラブ人は…四人が手をたたいて、残りの一人が踊る。

日本人は…五人集まるのは無理。なぜなら、少なくとも三人は忙しいから。

インド人は…互いに秘密警察かもしれないと疑って、すぐに別れる。

韓国人は…五人で会社を作って、日本製品コピーする。

北朝鮮人は…もちろん、「金正日万歳!」

イラン人は…意見がばらばらのため、話がまとまらずに別れる。

イランジョーク集 笑いは世界をつなぐ』 モクタリ・ダヴィッド 青土社

だけは調べたけど、ほんとだった。『イランジョーク集 笑いは世界をつなぐ』のP.67にある。

ただ韓国等だけ扱いがひどいのかは疑問。同じ本のP.38に

ロンドンであったイギリス人日本人小林という男が互いに自己紹介をしていた。最初はイギリス人自己紹介した。

「私はボンドだ。ジェイムズ・ボンド」

日本人小林は、相手がジェイムズ・ボンドと聞いてびっくりし、声低くこう言った。

「私は林だ。小・林」

というものもある。ジョークなんて相手をからかうものなのだから、その対象の扱いはひどくなるのが普通。上のだってロシア人や元ソ連国人の扱いはひどいだろう。扱いがひどいのを中国韓国に限定するのは不自然だ。

2008-07-08

猿ベージ

http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]

これを全部読んでいない人間は「猿」です。

ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。

プラトン『饗宴』岩波文庫

アリストテレス『詩学』岩波文庫

アウグスティヌス『告白』岩波文庫

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫

マキァベッリ『君主論中公文庫BIBLO, 岩波文庫

モア『ユートピア岩波文庫

デカルト方法序説岩波文庫

ホッブズリヴァイアサン岩波文庫

パスカル『パンセ』中公文庫

スピノザエチカ岩波文庫

ルソー『社会契約論』岩波文庫

カント純粋理性批判岩波文庫

ヘーゲル精神現象学平凡社ライブラリー, 作品社

キルケゴール死に至る病岩波文庫

マルクス資本論岩波文庫

ニーチェ『道徳の系譜』岩波文庫

ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神岩波文庫

ソシュール『一般言語学講義』岩波書店

ヴァレリー精神の危機』

フロイト『快感原則の彼岸』ちくま文庫

シュミット政治神学』未来社

ブルトンシュルレアリスム宣言』岩波文庫

ハイデッガー存在と時間ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシック

ガンジーガンジー自伝中公文庫

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシック

ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社

アドルノホルクハイマー啓蒙弁証法岩波書店

アレント全体主義起源みすず書房

ウィトゲンシュタイン哲学探求』大修館書店

レヴィ=ストロース『野生の思考』みすず書房

マクルーハン『グーテンベルグの銀河系みすず書房

フーコー『言葉と物』新潮社

デリダ『グラマトロジーいについて』

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』河出書房新社

ラカン精神分析の四つの基本概念』岩波書店

ウォーラーステイン『近代世界システム岩波書店

ケージジョン・ケージ青土社

サイードオリエンタリズム平凡社

ベイトソン精神と自然』新思策社

アンダーソン『想像共同体NTT出版

本居宣長『玉勝間』岩波文庫

上田秋成『胆大小心録』岩波文庫

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫

岡倉天心『東洋の理想』講談社学術文庫

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集?・?・?』岩波文庫

九鬼周造『「いき」の構造』岩波文庫

和辻哲郎『風土』岩波文庫

柳田國男『木綿以前の事』岩波文庫

時枝誠記国語学原論』

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア岩波文庫

旧約聖書創世記岩波文庫

ソポクレスオイディプス王新潮文庫岩波文庫

『唐詩選』岩波文庫

ハイヤーム『ルバイヤート』岩波文庫

ダンテ神曲岩波文庫

ラブレー『ガルガンテュアとパンタグリュエルの物語』岩波文庫

シェイクスピアハムレット角川文庫新潮文庫岩波文庫ちくま文庫

セルバンテスドン・キホーテ岩波文庫

スウィフトガリヴァー旅行記』岩波文庫

スターントリストラム・シャンディ』岩波文庫

サド『悪徳の栄え河出文庫

ゲーテファウスト新潮文庫岩波文庫

スタンダールパルムの僧院』

ゴーゴル『外套』

ポー『盗まれた手紙』

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

メルヴィル『白鯨』

フローベール『ボヴァリー夫人』

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー『悪霊』

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父の童心』

プルースト失われた時を求めて

カフカ『審判』

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン『魔の山』

ザミャーミン『われら』

ムージル『特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナー『アブサロム、アブサロム!』

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

サルトル嘔吐

ジュネ『泥棒日記

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ『嫉妬』

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシアマルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集

ベルダーリンヘルダーリン詩集

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集

エリオット『荒地』

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集

ツェランツェラン詩集

バフチンドストエフスキーの詩学』

ブランショ『文学空間』

日本文学

二葉亭四迷浮雲

森鴎外舞姫

樋口一葉『にごりえ』

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村破戒

田山花袋『蒲団』

徳田秋声あらくれ

有島武郎『或る女』

志賀直哉『小僧の神様』

内田百〓『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩『押絵と旅する男』

横山利一『機械』

谷崎潤一郎『春琴抄』

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成『雪国』

折口信夫死者の書

太宰治『斜陽』

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高死霊

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房砂の女

野坂昭如『エロ事師たち』

島尾敏雄『死の棘』

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉『円陣を組む女たち』

後藤明生『挟み撃ち』

円地文子『食卓のない家』

中上健次『枯木灘』

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集

吉岡実吉岡実詩集

坪内逍遥『小説神髄』

北村透谷人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉『福翁自伝

正岡子規『歌よみに与ふる書』

石川啄木『時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠』

保田與重郎『日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝『復興期の精神

吉本隆明『転向論』

江藤淳『成熟と喪失』

by 柄谷行人、他

追記

必読書150』柄谷行人浅田彰、他(太田出版

http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%85%E8%AA%AD%E6%9B%B8150-%E6%9F%84%E8%B0%B7-%E8%A1%8C%E4%BA%BA/dp/4872336569

ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラリソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。

2008-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20080313030006

これを全部読んでいない人間は「猿」です。

ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。

プラトン『饗宴』岩波文庫

アリストテレス『詩学』岩波文庫

アウグスティヌス『告白』岩波文庫

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫

マキァベッリ『君主論中公文庫BIBLO, 岩波文庫

モア『ユートピア岩波文庫

デカルト方法序説岩波文庫

ホッブズリヴァイアサン岩波文庫

パスカル『パンセ』中公文庫

スピノザエチカ岩波文庫

ルソー『社会契約論』岩波文庫

カント純粋理性批判岩波文庫

ヘーゲル『精神現象学平凡社ライブラリー, 作品社

キルケゴール死に至る病岩波文庫

マルクス資本論岩波文庫

ニーチェ『道徳の系譜』岩波文庫

ウェーバープロテスタンティズム倫理資本主義の精神』岩波文庫

ソシュール『一般言語学講義』岩波書店

ヴァレリー『精神の危機』

フロイト『快感原則の彼岸』ちくま文庫

シュミット『政治神学』未来社

ブルトンシュルレアリスム宣言』岩波文庫

ハイデッガー存在と時間ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシック

ガンジーガンジー自伝中公文庫

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシック

ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社

アドルノホルクハイマー『啓蒙の弁証法岩波書店

アレント全体主義の起源』みすず書房

ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店

レヴィ=ストロース『野生の思考』みすず書房

マクルーハン『グーテンベルグの銀河系みすず書房

フーコー『言葉と物』新潮社

デリダ『グラマトロジーいについて』

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』河出書房新社

ラカン精神分析の四つの基本概念』岩波書店

ウォーラーステイン『近代世界システム岩波書店

ケージジョン・ケージ青土社

サイードオリエンタリズム平凡社

ベイトソン『精神と自然』新思策社

アンダーソン『想像の共同体NTT出版

本居宣長『玉勝間』岩波文庫

上田秋成『胆大小心録』岩波文庫

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫

岡倉天心東洋の理想』講談社学術文庫

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集?・?・?』岩波文庫

九鬼周造『「いき」の構造』岩波文庫

和辻哲郎風土岩波文庫

柳田國男『木綿以前の事』岩波文庫

時枝誠記国語学原論』

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア岩波文庫

旧約聖書創世記岩波文庫

ソポクレスオイディプス王新潮文庫岩波文庫

『唐詩選』岩波文庫

ハイヤーム『ルバイヤート』岩波文庫

ダンテ神曲岩波文庫

ラブレー『ガルガンテュアとパンタグリュエルの物語』岩波文庫

シェイクスピアハムレット角川文庫新潮文庫岩波文庫ちくま文庫

セルバンテスドン・キホーテ岩波文庫

スウィフトガリヴァー旅行記』岩波文庫

スターントリストラム・シャンディ』岩波文庫

サド『悪徳の栄え河出文庫

ゲーテファウスト新潮文庫岩波文庫

スタンダールパルムの僧院』

ゴーゴル『外套』

ポー『盗まれた手紙

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

メルヴィル白鯨

フローベール『ボヴァリー夫人』

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー『悪霊』

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父の童心

プルースト失われた時を求めて

カフカ『審判』

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン『魔の山』

ザミャーミン『われら』

ムージル『特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナー『アブサロム、アブサロム!』

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

サルトル『嘔吐』

ジュネ『泥棒日記』

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ『嫉妬』

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシアマルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集』

ベルダーリン『ヘルダーリン詩集』

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集』

エリオット『荒地』

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集』

ツェランツェラン詩集』

バフチンドストエフスキーの詩学』

ブランショ文学空間』

日本文学

二葉亭四迷『浮雲』

森鴎外舞姫

樋口一葉『にごりえ』

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村『破戒』

田山花袋『蒲団』

徳田秋声あらくれ

有島武郎『或る女』

志賀直哉『小僧の神様

内田百〓『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩『押絵と旅する男』

横山利一『機械

谷崎潤一郎『春琴抄』

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成雪国

折口信夫死者の書

太宰治斜陽

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高『死霊』

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房『砂の女』

野坂昭如『エロ事師たち』

島尾敏雄『死の棘』

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉『円陣を組む女たち』

後藤明生『挟み撃ち』

円地文子『食卓のない家』

中上健次『枯木灘』

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集』

吉岡実吉岡実詩集』

坪内逍遥小説神髄』

北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉『福翁自伝

正岡子規『歌よみに与ふる書』

石川啄木『時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠』

保田與重郎日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝『復興期の精神』

吉本隆明転向論』

江藤淳『成熟と喪失』

by 柄谷行人、他

追記

必読書150』柄谷行人浅田彰、他(太田出版

http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%85%E8%AA%AD%E6%9B%B8150-%E6%9F%84%E8%B0%B7-%E8%A1%8C%E4%BA%BA/dp/4872336569

ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラリソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。

2008-02-11

われ発見せり

われ発見せり

社会システム論と物象化論

金田智之

 かつて真木悠介が『現代社会の存立構造』においてサルトル廣松渉を踏まえて指摘していたように、疎外と物象化は労働の出来事なのではない。一般的等価物としての貨幣への物象化とは、貨幣経済としての資本主義、そしてその下で生じる労働疎外という現象の別の名なのだ。この両者の根底には、紙幣への物心的崇拝が潜んでいる。

 ところで、二クラス・ルーマンによれば、近代社会とは社会的機能の機能分化が徹底して行われた社会なのだという。この徹底した機能分化により、教育政治経済、法、宗教などなどといった機能システムはそれぞれ他の機能システムとは無関連に自律的に作動するようになった。また、こうした特徴を持つ近代社会にとって、「社会を維持すること」とは「コミュニケーションを維持すること」を意味するようになる。そして、このコミュニケーション接続にとって重要な鍵を握るのが、コミュニケーションメディアと呼ばれる特殊なメディアなのであった(主なものとしては、経済システムにおける貨幣や、家族システムにおける愛などなどがある)。もしルーマンの言うように、現代社会が機能分化した諸機能システムと、その内部におけるコミュニケーションによって特徴付けられるとするなら、私たちはもはや物象化と疎外についても、それを経済領域だけに留めておくことはできない(また、当然ながら、経済領域は「土台」なのではない)。したがって、疎外/物象化論はその他の機能システムへも敷衍される必要があり、それぞれの機能システムにおけるコミュニケーションメディアにおいて疎外/物象化が論じられなければならない。たとえば、「愛」をめぐっては、そこからの疎外として「非モテ」が論じられているが、しかしこれは「愛」というメディアへと関係性の価値を物象化、物神化しているがゆえに生じる議論なのだ。多極化/疎外状況を捉え、象徴的メディアへ批判を加えること。それが今なお可能な「唯物論」だろう。

編集後記 今回の徹底議論のタイトルにある「スカラベ」は『マルドロールの歌』に由来すると同時に、等しく『中島らも列伝』に依拠する。太陽をころがして地平線に消えたスカラベは、暗闇のトンネルを抜けて、今はまたここにいる。永遠の不断製。生者と死者は分かたれず、反転されたパースペクティブにおいて過去はそのままで未来だ。※中島らもという作家は他者を知らない。彼に語りかけられる言葉は彼の言葉であり、またそれは私の言葉として偶然に開かれるページに飛来する。だからこう言おう――「私はスカラベは知らない。そして知っている。」※特集にあたって多大なご協力を頂きました中島美代子氏に感謝します。(Y.S)

ユリイカ 2月号 第40巻第2号(通巻547号)

2008年2月1日発行

編集人・山本

発行人・清水一人

発行所・青土社

101??0051東京都千代田区神田神保町1??29市瀬ビル4階

電話編集03??3291??2806/営業03??3294??7829

印刷所・ディグ/方英社 製本所・中條製本

ISSNS 1342??5641

定価・1300円(本体1238円)

2007-12-23

"'53年公開映画シェーン」の著作権消滅が決定" の報で思い出した事

 記事で問題になっているのは著作権だが、それには触れない。

 歴史法則性について。

 但し、プロレタリア革命ブルジョワ革命が完遂した後に起こる、或いは現在自由主義歴史の終焉であると言った話題は、手に余る。

 同じ20世紀で、しかも大衆芸能について、一定レベル以上の成熟と大衆性を獲得した(だから、純文学前衛藝術を除く)ジャンルでは似たような進化を辿るのではないか、という話。

>>最後に取り上げる例は、ジョージスティーブンスの古典西部劇シェーン』である。周知のごとく、西部劇というジャンルは四〇年代の終わりに最初の深刻な危機を迎えた。純粋で単純な西部劇は、いかにも作り物で単純な繰り返しだ、という印象を与えるようになった。西部劇の公式は使い尽くされたようにみえた。作家たちは、他のジャンルの要素を西部劇に盛り込むことによって、この危機に対処した。かくして出来上がったのが、フィルム・ノワール西部劇ラオール・ウォルシュ『追跡』。この映画は、フィルム・ノワールの暗い世界西部劇移植するというほとんど不可能な仕事をなしとげた)、ミュージカルコメディ西部劇(『略奪された七人の花嫁』)、心理的西部劇グレゴリー・ペックの『ガン・ファイター』)、歴史叙事的西部劇(『シマロン』のリメイク)などである。一九五〇年代に、アンドレ・バザンはこの新しい「反省的」ジャンルメタ西部劇と命名した。

 この「メタ西部劇」は『西部劇』自身のパラドックスであり、その「メタ」の部分は/西部劇そのもの/である。いいかえると、この映画は、西部劇世界にたいする一種のノスタルジーにみちた距離を含んだ西部劇である。『シェーン』が生み出す効果を説明するには、ふたたび視界の機能に言及しなければならない。つまり、常識的なレベルに留まっているかぎり、すなわち視線という次元を導入しないかぎり、単純で理解できる問いが生じる──もしこの西部劇の「メタ」の次元西部劇だとしたら、二つのレベルの間の距離はどう説明されるのか。どうしてメタ西部劇西部劇そのものとぴったり重ならないのか。どうして純粋で単純な西部劇はできないのか。答えはこうだ──構造的必然性によって、『シェーン』はメタ西部劇コンテクストに属している。<<

スラヴォイ・ジジェク著 鈴木晶訳 斜めから見る。青土社 P121

 猫も杓子もジジュクを使いまわしている昨近、またか!と思われる方も多いだろう。またか、である。

 アンドレ・バザンの≪超西部劇≫(sur-western)は、時間=歴史的な対象、一九四〇年前後古典主義に対する一九四四年以後の「進化した」西部劇を指し示す。対して、ジジュク≪メタ西部劇≫は、空間=図式的な観念である。それは「メタ」の次元とそれ以外の次元からなる「二段の棚」であり、話を進める上で好都合だったので、持ってきた。

 日本の場合、過去の例で思い当たるのは、時代劇だが、最近では、何といっても、ロボットアニメかな、と。(時代劇については、ここでは触れない)

 名前はいちいち挙げないが、歴史叙事的ロボットアニメ西部劇では実際の過去の出来事だが、ロボットがポピュラーな時代は未だ来ないので、未来、或いは仮想世界舞台になる戦記物)、コメディロボットアニメ、(破綻も含む)教養小説ロボットアニメファンタジーロボットアニメ、ラブストリー的ロボットアニメ、その他、いろいろ。

 では、”その「ロボットアニメ」は『ロボットアニメ』自身のパラドックスであり、その「メタ」の部分は/ロボットアニメそのもの/であるような作品、ロボットアニメ世界にたいする一種のノスタルジーにみちた距離を含んだロボットアニメ”、西部劇で言えば「シェーン」に該当するロボットアニメ存在するだろうか?

2007-03-15

こんな釣りはどうだろう【バカアイディア

(1)まず、「公共機関でのマナーが悪い」とか「常識とされていることをこんなにもたくさんの人が知らない」という文章を書く。

 意図的に省略されたデータを用いて。

 いかにもな煽り方で。ミスリードだと悟られない演出・誘導も必須。

 「痛いニュース」的だといいですね。

(2)反応を待つ。

 「これだからゆとり(世代)はーー」「最近若者はーー」みたいな反応が集まればOK。

 日本の伝統を知らない、なんてデータを使って、「サヨクの悪影響」なんてコメントを集めるのもいいですね。

(3)そして、省略していたデータを出す(追加する)。

 実は中高年のデータでした、とバラす。

(4)引っかかった連中を見てニヤニヤする。

 どうでしょうか?

具体例

 はてなで人気の批評家東浩紀氏は院生時代、バイト先の塾で、神戸の場所を知らない

女子高生に会ったことがショックだったらしく、以後ポストモダン動物化した(同じ

国内なのに関心が薄い)代表例としてこの女子高生の逸話をよく使いまわしております。

 

(1a)まず、東京在住者の日本地理の知識に関する調査データを出す。

 西日本に関する無知さをさらけ出すようなデータがいいですね。

 実際クイズ番組雑誌で見たことがあります。

 若い人のデータだと誤誘導させる演出が必要です。

 上手く世代論だと「演出」できればOK。

 関係ないですが、鶏肉調理法やライフハックフリーウェアの話題を入れるとブックマーク

コメント数が跳ね上がるでしょう。

(2a)反応を待つ。

 文体に気をつければ、そこそこブクマコメントが集まると思います。

 東浩紀氏の名前を出したりポストモダン用語を出したりしたら、ライトノベルエロゲー

現代思想愛好者(青土社読者?)の注目も集められそうです。

(3a)そして、省略していたデータを出す。

 世代論なんかじゃなかったことをばらします。

 実は、地理的知識というのは世代と関係なくかなりあいまいで、穴のある人が多いのです。

 もしくは、(1a)の段階では世代論だと本気で信じている(かのような)文章を

書くのもいいですね。(3a)の段階になったとき、謝りながら恐縮しながら

「すいません(汗) まだデータには続きがありました。見落としてました」なんて

ドジなキャラ付けもありです。

 大丈夫。ブクマで鋭いツッコミを入れられるほどのリテラシーを持ったユーザー

コメント中5%くらいなものです。

 みんな「ゆとり」が大嫌いですから、たいてい先入観を強化するような言説には

飛びつくものです。

(4a)引っかかった連中を見てニヤニヤする。

 以上を参考にして、馬鹿な世代論イメージをいじってみてはいかがでしょうか。

 応用として、地域間格差イメージも扱えるはずです。

 それでは。

 
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