「民族性」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 民族性とは

2019-09-10

はてなネトウヨやばいとこまで来てない?

野党とか左翼への宛こすりとか韓国政府批判とかはまあ前からあったけどここんとこ韓国人遺伝子的にどうこうとか韓国人の性根は云々とか直球ヘイトかましてそれに多数スターがつくとかいやばい状況が当たり前なんだけど?

いくら韓国おかしいとしても遺伝子だの民族性だのいちいち言う必要あるか?流石に超えてはいけない一線超えてる上にそれにだんまりはてサヤバいだろ

マジでネトウヨじゃないはてなとか単なるキモい奴らの集合体しかないじゃん…

はてな運営もなんか対処しろよ、低能先生及び腰なのかもしれないけどさぁ

んでこれのツリーにもクソネトウヨクソリプが連なるんだろうな、罵詈雑言聞いていい気分になるかよって話でしかないんだけどさ

2019-08-28

anond:20190828110152

日本人は何かと被害者ぶるのが好きなんですよ

そうすれば自分達の悪しき歴史民族性から目を背けられるので

2019-08-10

rag_enさんに

メタブタワー、読みました。

ひとつひとつブコメで返答するのも煩雑なので、

こちらでまとめてお返事します。

 

1) “ド直球な評価”としてはアリ

もちろん、個人の内心や言動について第三者が縛る理由基本的にはない、という意味ではアリです。

本当にダメものにはダメとだけ言うべきだ、というモラルについても、一考の価値があると思います

贅言を無制限に許していたら、進むべき議論も進まないので。

個人的には、問題作品と展示については、もっと多くの言葉が費やされるべきだろう、とは思いますが。

 

2)「風習」について

風習」という語は、ふだんは「因習」「悪習」「蛮習」などの類語と比較された上で、

より中立的意味を持たせるために選ばれる語なので、「考えすぎ」と思われるのも無理からぬことと思います

とはいえ、あの説明を一応納得していただけたようで良かった)

もちろん、より一般的な「手法」などがあの箇所で使われていれば、ツイート全体が否定されなかった、

とまでは思いません。

「かの国」の「プロパガンダ」というのも、(少なくとも現時点では)

韓国、あるいは朝鮮半島国家全体へ憎悪を向ける人が共通で用いる符丁、と言うべきですし、

なによりツイートの全体的なトーンが批判者の反応を引き出してると見るべきだからです。

 

敵愾心についてですが、

たとえば、阪神ファンヤクルトファン巨人に対して向ける敵愾心、くらいのものなら、

個人的にはあまり好きではないけどいちおう)健康的な感情範疇だと思うし、

その延長上にある、「日韓戦がやたら盛り上がる」といったものも、「悪い事」とまでは言えないと思います

(マウンドに国旗を立てるとかは、ずいぶんはしたないことをするじゃないか、と思うけど)

ただしそれは、共有する価値観によって下支えされた上で、試合(観戦)へのモチベーションを高める、

という具体的な効用を求めて維持されているものであって、

現在日本の一部論者が韓国に対して(お互い様、という見方もできますが、

私に責任があるのは日本ことなので)やっているような、

不法(とされる)振る舞いの原因を相手民族性に求めて、根源的で解決不可能な不信であり対立である

と主張し、奴らに対しては嘲笑以外の対応はありえない、といった風の「敵愾心」の煽り方は、

人道的にも生存戦略的にもきわめて危険であり、「悪い事」と言うべきだ、

というのが私の意見です。

 

3)現代アート云々について

『「もっとアートに親しんでほしい」的なイベント』というのは、

改まってはなかなか言われないけど(地元広報誌とかでは言われてるのかな)

もちろん前提になっていると思うのですが(来場者は大事だ)、

そういう場で「表現不自由展・その後」が扱われることについて、

企画性質上「親しみやすい」ものなんて集まりっこないから)どうなの?

ということですよね。

それについては、あいちトリエンナーレ国内トップクラスの規模の国際芸術祭ですし、

社会的であったり耽美的であったり難解であったり親しみやすかったりする展示が集まる中で、

表現自由」に正面から取り組む企画が一つ通される、

というのは、まず真っ当なことのように思います

そこに、近年一定の注目を集めた「表現不自由展」を呼ぶ、というのは、

きわめてストレートな案というか、どちらかと言うと手堅い、

見方によっては平凡とさえ言われかねないキュレーションなのではないかと思います

(「他にこういう展示/作品を扱えば良かったじゃないか」という案で百家争鳴してほしいくらいです)

 

もちろん実現に至る関係者の苦労は並大抵のものではないと思いますし、

ここ数十年で最大の日韓関係の緊張だとか、ガソリン放火事件という最悪の事件が偶然重なったとはいえ

ほとんど抵抗する間もなく公開中止に追い込まれた、という現状については、

「失敗(ただし志のある)」と言うべきだろうと私は思います

さいわい会期はまだまだ残っているので、挽回余地は(再開、あるいは拡張)ありますし、

ある意味では、政治家河村市長など)が責任追及の声を挙げているという状況も、

批判のかたちをとりつつ、企画意図説明を含む主催者側の意見を改めて広く周知するという点で、

実質的には協力的な対応なのではないか……と思いました。

 

4)「展覧会の将来を悲観してみせる」について

rag_enさんのおっしゃるとおり、「あくまで期待したのは過去の貞元氏」という解釈のほうが、

より禁欲的で正確な読解と言えると思います

私の解釈は、「育つのを期待」「残念」という語の選択や、

一展示のそのまた一部を論じていたところから

とつぜん芸術祭全体の価値を断じる、という乱暴話題の転換ぶりに、

「これは芸術祭全体の失敗であり、今後の発展は期待できないし、開催されても価値はない」

というニュアンスを、過剰に嗅ぎ取ってしまったものだと思います

 

また、ドクメンタという半世紀以上も続いている有名な芸術祭を引き合いに出していることから

反転して「あいちトリエンナーレにはそんな価値継続性も無いよ」と断じる含意を感じ取ったために、

「気に入らないからって勝手に潰すな」という反発が生じました。

この点に関しては、具体的な「潰せ」とか「無くなれ」という言葉を迂回しながら暗示的に表現する手法

という印象を拭いきれません。

瀬戸内芸術祭を並べているあたり、そんな含意を意図したものではなかったのかも、とも思いますが。

 

自分が望むようなものであれば応援したい」というのは「独善的無礼」だ、ということについてですが、

rag_enさんの仰るような「自分の好みのアニメなら応援するわ」というのと同一視できるものではありません。

単一作品個人の好みで選び取る」のは、誰にも非難し得ない基本的自由ですが、

自分の選んだもの以外の価値否定する」というのは、選び取るよりも丁寧に行われるべきものですし、

芸術祭の内容を自分許容範囲のものだけにしろ、それができない芸術祭なら価値はない」と解釈しうる言明は、

独善」と呼ぶに値するものです。

(「いかれた協賛メディア排除して〜」のようなきつい偏見がついたものであれば特に

自分の興味や許容範囲芸術祭押し付けていいのは、正規専任された芸術監督だけですし、

芸術監督にしたって、すべてを「自分の好み」だけで決めるわけではなかろうと思います(たぶん)。

しろ進んで不都合ノイズを引き受け、その反響をきちんと整理する体制を整えることこそ、

特に今回のようなテーマを掲げた)国際芸術祭に求められる態度ではないかと考えます

(それほど理想通りにはいってないけど、少なくとも真っ当に試みはしている、

と私は見ています。いまのところ。)

 

anond:20190810015042

2019-07-04

anond:20190704144242

逆にすごいことなんだけどな

国もなく、定住もせず(できず)、ただ宗教だけで自分民族性を四千年以上維持してきた民族なんて他にいないよ。

日本人には真似できないなんてレベルじゃなく、他に存在しない。シュメール人時代からいるんだぞあの民族

中国人自分たちを「漢民族」って思っているらしいが、漢なんて国、紀元前二百年程度に始まった国だしな。

それをはるかにこえる紀元前二千年くらいからおるんやぞ桁が文字通り違う

特に土地がないのに自分たちの民族定義して維持してきたのやばい精神力にガンふりしすぎ

2019-06-10

anond:20190610082006

強制がより強いか反対運動もあったと考えれば普通のことでしょ、韓国フェミニズム流行ってるのと同じ

まああれは民族性なのかもしれないけど

2019-05-09

ネトウヨくんの本音

中国韓国バカにしてきた手前自分たちが言えないので、「左翼」とやらに代わりに代弁して欲しい模様

俺たちは中国を脅威と思っていた!と言いたいようだけどヘイトスピーチもセットだったことをお忘れの模様

2019-02-02

国民性」「民族性」論者は惰弱

悪質な犯罪者がいたら、その人を日本人ではないと認定しなければ、叩けない。

本当は「国民性」「民族性」を信じていないのではないか

2019-01-03

韓国交渉のやり方と民族性

レーダー照射の件の韓国側対応韓国人民族性帰着させたい人をネットでちらほら見るけど、

嘘をついていたとしても絶対真実検証されない自信がある場合は強く出れば勝ちというのは交渉セオリーの一つだよね。

どっちかというと信用を台無ししかねない喧嘩論法だけど、アメリカ人でも日本人でもこれやる人は案外多いと思うんだがどうだろう。

2018-12-17

anond:20181217070500

横だけど、これは深く民族性が関わっているよな。

歴史を見るといくら意識しても変えるのは非常に難しいように思われる。

2018-11-18

anond:20181118131546

IT業界にいるが、ここは土建屋業界か?というケースによく出くわす。

民族性は変えるのが難しいから、それも折り込んで仕事せないかん。

2018-11-02

台湾電車事故で思い出す先輩の言葉

今はやめたんですけど、昔やってた仕事外国人との取引が多い関係で、外国に行くことが多かったんですけど

その仕事始めた時に教育係みたいな感じで先輩がついてくれたんですよ。で、その時に言われてた注意事項っってのがあるんです。

それがプライベート仕事において、利己利他日本海外では逆だって事なんですよ。


どういう事かっていうと、先輩曰く日本人っていうのは、金を払った以上はなんでもやれという経営者と、金をもらった以上は何でもやる労働者というきわめて利他的な活動する民族なんだそうです。

金もらった以上は、成人君主のように他人のために働く存在として日本人がいるわけです。

これが、外国ではそうではない、金をもらったら、利己的に動くんです。ようするに持ち場以上のことをやらない。指示されたこしかやらない。

よく日本人はマニュアル人間だっていうけど大ウソだって先輩は言ってました。


これがプライベートでは逆なんだそうです。

日本人って金もらってないときわめて利己的に動くんだそうです。だって金もらってないからくらいの理由でw。

でも外国だと逆で、プライベートはとても利他的なんだそうですよ。ボランティアとか。


から台湾事故で思い出すんですけど

インフラ系を海外に輸出するときって大変なんですよね。仕事から利己的な連中を相手にしないといけないんです。

台湾民族性がどうなのかは正直知らないですけどね。

先輩の言う話を当てはめるなら、ようするに金もらったか自分の持ち場以外は気にしない人と取引するわけです。

日本だったら仕事利他ブーストで持ち場以上の働きで、何か異常がないかみたいなことをそれぞれの立場を超えて確認を怠らない現場力なんてものでやると思うんです。

あの程度の問題はサクッと解決してたと思いますよ。だからブラックなんですけどね。

ほんと外国人って持ち場以上のことやらないですからね。だからインフラはほんと地獄だって思います

2018-10-24

anond:20181024195812

西欧人は正義西欧s野蛮な東洋といった軸で自らをブランディングしてきましたが

流石に、そこまで卑下してはないだろ(むしろそれは、西欧視点)。

相手の見ちゃいけない面は見ないようにするっていう、日本の村人メンタリティが、海外の人にも投影されているとは思う。

 

80、90年代はじめまでは、非西欧敗戦国 でも、奇跡社会発展を遂げた国として、一目置かれた。

エコノミックアニマルとか言われたけど、少しは文化的な注目も集めた。

今は、もうそんな余力はなくなったな。

 

話は変わるが、日本人の自己規定の苦手さは筋金入りだ。

外国存在無しに、自国というもの規定できない民族性

まぁ、大陸の国々は陸続きの隣国がある訳で、自己規定せざるを得ない面もあるだろう。

その点、地政学的の特性なのかもな。超ベーシック意見だけど。

2018-10-18

ぶっちゃけもう慰安婦問題って謝罪しか道ないよな

現状の日本社会男尊女卑は言うまでもないし

例のレイプアニメも大好きな民族性とかもう答え合わせだろ

2018-10-03

anond:20181002235244

同じやで

昔甘えって呼んでたのを

うつ病という病気って認識されるようになった

仕事つらい行きたくないってなる時点で、うつ病またはその環境(職場地域または民族性)が合ってない

2018-10-01

anond:20181001021115

国内店舗型で出回るなんて基本あり得ないと思う。

病気に関しては様々。なまでセックスまで普通にしようとする人もいればフェラゴムありでしようとする人とか。

どっちにしても民族性による。人と言うより民族性による。

2018-09-19

anond:20180919152109

団地のいつ入ってきたかとかタワマンの何階に住んでるかとかそんな些細なことでマウンティングするような民族性なのに

住む場所分けられたくらいで階級の断絶を実感できるはずもない

2018-07-10

anond:20180708114227

なんでその方向に展開しちゃうかな?

まず演歌を持ち出した時点で元増田伝統とは何ぞやの問題提起として計算が足りないのよ。はっきりいって。

例えば民謡って文化があって、正調民謡とか民謡保存会とかそういった周縁から伝統の正体を読み解こうって話なら俺も賛同するわけ。

元増田の言い分にもマッチする。

まぁ、もう先行研究あるけどね。

演歌に関して言うと成立過程特殊すぎる。色々な古典から借用した表現コラージュとも言える箇所も多い。

じゃあその借用の元となったフレーズは何なのか?なぜその表現が借用されたのか?どんな意図を狙ったものか?

そこを丁寧に譜例で追ってこそ音楽学醍醐味と思うのね俺は。

山口センセは学際的研究って言ってたけど、めちゃ多岐に渡る分野の積み重ねがないとこれは分析できない。

スティーブン・フェルドのカルリ音楽研究はその意味ですごい。

西洋的な音楽基準部族社会音楽分析しても意味ないですよという事を決定づけた名著。未読なら是非。

話がそれた。

俺も若い頃は西洋音楽ってどうなの?という問題意識があって民族音楽研究に足突っ込んだが、こと音楽の体系的な教育としての西洋音楽はとにかく便利なんだな。

西洋音楽システムというものキリスト教布教とセットになってて(聖歌とかな)、とにかく分かりやす再現やすい方向に特化している。

となると、やはり教育の分野で強い。そうなると大抵の社会は影響は受けちゃうわな。

純粋なる民族性幻想って話はここにつながるのね。

いざ秘境の奥地にフィールドワーク行ったら部族ラジオで最新のヒップホップ聴いてましたみたいな笑い話もよく聞く話でさ。

ここで問題として掘り下げるなら、演歌にどんな美意識規範根底にあるかって話よ。西洋音楽の影響がどうこう言っても、それでも生きている何かしらはあるわけで。何でもかんでも西洋音楽の影響がってのは筋が悪すぎるし、先行研究読んでないバカ乙で話が終わってしまう。

共同幻想とは何か?

これですよ。この問いが我々を突き動かすわけですよ。

2018-07-07

anond:20180707150628

演歌は創られた伝統」というのは要するに、「演歌はニセモノの日本の伝統だ」ということですよね。

「ニセモノ」というのは、「ホンモノ」があるから成り立つわけです。ホンモノが明確ではないのであれば、ニセモノも明確ではないということになる。

だとすると、

演歌はニセモノの日本の伝統だ」という主張をするためには、

「これがホンモノの日本の伝統だ」という主張が必要不可欠なはずです。

これは正しい。

まずそもそも日本」という単位自体ナショナリズムのものといっていい。

ゲルナーは『民族ナショナリズム』において"政治的単位民族単位を一致させようとする政治的原理"をナショナリズムと捉えた。

日本の伝統と言ってしまうと必然的にそうなる。

肯定する場合でも否定する場合でも主語日本にしてしまうとそうなる。

国家及び民族主語にして語る時点でナショナリズム的と言っていい。

演歌はもともと西洋音楽から日本の伝統ではない」

ということを自明であるかのように語る人がいっぱいいるけど、全然自明じゃないです。

もし仮に、日本は古来から文化的排他的海外のものを寄せ付けなかった、とかい歴史的事実存在するのであれば、

演歌はもともと西洋音楽から日本の伝統ではない」というのは正しいと思います

でも実際には、そんな歴史的事実存在しないんですよ。

箏も三味線も、もともとは海外ナウい楽器だったし、雅楽ももともとは海外ナウい音楽ジャンルだったわけす。

仏教インド発祥だということはだれでも知ってることのはずです。

ようするに、もともと海外のもの伝統になる、ということは日本では古来から普通のことだったわけです。

というか世界的に見てもそれが普通なんですよ。


この段落は非常に雑だし、前提がおかしい。

当該社会集団が何を選択的に残し、何を排除たか。何をナウいと考え、何をダサい判断たか

その価値判断は誰によるものか。どういう思想によるものか。

そういった当該社会集団による意図的選択連続としての受容史を単なる伝播、自然淘汰と読み違えている。

インド仏教日本仏教は全く違いますよね。

また、楽器で例えるなら韓国伽耶琴と日本の琴は全く違いますよね。

ダルシマーヤンチンは全く違いますよね。

文化は伝播してもそのまま伝わるわけではなく、ある種の選択判断が生じている。

雅楽だって日本韓国昔ながらのスタイルのままだと主張しているが、実際には微妙な違いがある。

その価値判断伝統の名の下にくだすのがナショナリズム的言説でしょ。

たとえばですよ、

正月によくかかる「春の海」という曲はたいてい「伝統音楽」の棚においてあります。この曲は洋楽邦楽ハイブリッドです。形式的には完全に西洋音楽です。

から

「春の海は形式的には洋楽から日本の伝統じゃないよ」

という意見もあります。でも同時に、

作曲者バリバリ邦楽演奏家なんだから日本の伝統じゃん」

という意見もあるわけです。

で、このふたつのどちらが客観的に正しいかということを実証することは不可能です。人それぞれ価値観が違う、としか言いようがない。

いやそもそも音楽学者で《春の海》をそういった視点分析する奴は今日びいないです。

伝統かどうかというのはもはや何の問題提起にすらならないんですよ。

なぜならその枠組み自体幻想だという前提で読むからね、まともな音楽学者は。

伝統」とはなんなのか、「日本」とはなんなのか、「音楽」とはなんなのか、

とういうような哲学的な問いにきっちり答えないといけないはずなんですよ、もし演歌はニセモノだと言いたいのであれば。

「創られた伝統」という概念と「創られたわけではない伝統」という概念は、どこがどういうふうに違うのか、

ということを哲学問題として、きっちり論理的説明しなきゃいけないはずなんですよ。でも、そんな作業してる音楽学者なんていないですよね。いたら教えてください。


とっくに議論されています伝統の創出についてはホブズボウムがまず前提。

ヘルダー、ダールハウスタラスキン、ヴィオラリーマン、リッサ、アドラーも読んでどうぞ。

特に19世紀ヨーロッパナショナリズム芸術関係が盛んに論じられていたので、

この分野の先行研究として学びがある。ロシアスペインフィンランドハンガリーなどなど。

繰り返すけど伝統って自然に生じるものではなくて、外と相対化されて初めて気づくものだし

伝統自体共同体による幻想なんだよね。

割と最近テレビラジオ地方地方性を駆逐したのではという話もあって面白い

北海道沖縄も、東京の発信する音楽文化に染まってしまったという話で、

それが国家音楽民族音楽だと大衆勝手に読み替えられているという話ね。

音楽って人間社会性そのものだよねってのはブラッキングの『人間音楽性』の指摘だが、

そういう純粋なる民族性の罠にはまってないですか。増田

あれ、演歌の話どこいった。

2018-06-17

民族同一性障害(ethnic identity disorder, EID)

人種同一性障害と訳されることが多いようだが、ethnicity(民族性) と race(人種) はぜんぜん別の話だろう。

EID は正しくは民族(あるいは民族性同一性障害と訳されるべきだ。

私は民族同一性障害を抱えていると思う。

私は自分日本人であることに違和感を覚えている。

できれば別の民族の一因になりたかった。たぶん一番しっくりくるのは英語圏だが、東南アジアあたりでもいい。

とにかく自分日本人だと思うと悲しいし、しんどい

上手く言えないが、私はとにかく日本人の持つ根本的な発想法、彼らが作る組織運営方法が好きではない。

激しく違和感を覚える。私はずっとその葛藤の中で生き、かろうじてなんとか生き残れる場所を見つけてギリギリのところで生き残ってきた。

こういうことを言うと、「そんなに日本が嫌いなら外国に行け」と言う人たちがいる。言われなくても、なんども私は、実際、外国に行き、そこで住んできた。だが、日本まれ日本人外国で長く住むのはたやすいことではない。外国では日本語は通じないから、英語や現地語を話して仕事をしなければならない。ビザの維持も難題である外国に住むと私の民族同一性障害から来る症状は和らぐので精神的には楽なのだが、主に経済的理由日本に戻ってこざるを得なかった。

私は意識としては日本人である自分嫌悪しているものの、日本語は確かに母語だし、国籍日本にあり、それゆえ日本ではビザなしで働くことができる。経済的事情を考えれば、少なくとも当面日本に住まざるを得ない。

日本にとどまる限り、EID には救いがないという意味地獄だ。日本で、外国人と接触してみたが、これもダメだった。当たり前だが、日本に長くとどまる外国人は何らかの理由日本が気に入っているからそうしているのであり、日本文化に対して肯定的・受容的だ。ある意味、彼らも半分「日本人」なのである。こういう人たちと私は心から打ち解けられないことを知った。

人生を振り返るに、私がわずかに心の平安が得られたのは、どこかの国に言って、日本人ほとんど付き合わず現地語だけで現地の人たちとだけ付き合っていたときだった。彼らは特に日本のことも知らないし、興味もなかったが、私を人間として受け入れてくれた。だが、そういう環境では私はカネを稼ぐことができなかったのだった。日本人は、よほどのことがないかぎり、外国に行っても、日本と全くつながりのないところでは行きていけない。たいていは、日本企業など日本組織団体との関わりの中でカネを得て生きている。

私が海外にある日本料理店が嫌いだ。そこに日本風のカラオケとかおいてあるのを見ると吐き気がする。ところが、そういうところが大好きで、絶えず日本に戻りたくて仕方ない日本人たち(大企業駐在員とかね)と一緒に仕事をしない限り、カネは稼げないことがほとんどなのだ

はい日本で働いて暮らしている。あえて外国事物は見ないようにしている。海外旅行にもほとんど出かけていない。外国事物を思い出してしまうと、日本に住まざるを得ない自分が悲しくてたまらなくなるからだ。日本に対する嫌悪が胸をいっぱいにしてしまうからだ。

独立した個人海外で長く住む上で一番重要なのは経済力だということをさまざまの経験から知った。だから私はまるで出稼ぎ労働者のように必死に働きカネを貯めようとしている。いつの日、日本を出ていき、二度と戻ってこなくても済むように。どちらに転んでもつらいし、おそらく私のような人間理解してくれる人たちもほとんどいない。どうせ増田に書いても、どこかの「国士様」たちからさんざんにけなされるだろう。まあそれもいいさ。とりあえず吐き出さないと気が狂いそうだったので、とりあえず書いてみた。

だけど、もし私に似たような人がいるとしたら、私は声を大にしていいたい。あなたのような人は一人ではない、と。私も同じだと。たぶん、世界中に同じような人たちはたくさんいると思うのだけどね。最近まで、性同一性障害者が社会で虐げられていたように、世界国境線で分割され移住が少しも自由でない現代は、まだ民族同一性障害者にはつらい時代だ。いつの日か、人々が自由自分民族性国籍や住む場所を選べる時代が来ることを願っている。

2018-03-26

anond:20180325155823

ラグビー国籍条件とか知ったら発狂しそうだな

それを叩くなら高校野球とか駅伝都道府県またいでスポーツ入学だってだめだろう

国籍民族性に異常にこだわる人って日本人に多い気がするけど、それってやっぱ天皇制があるからしらねえ。

2018-03-02

反差別主義リバタリアンの居場所がなくて辛い

はてなの人たちとは反差別では完全に意気投合できるんだけど、政治経済話題になると意見が違いすぎて居心地が悪い

かと言って数少ないリバタリアン優位な場所はなぜか同時にネトウヨ自民支持患ってるやつだらけ、俺としてはスノーデン、アサンジ、ロンポール議員みたいな路線リバタリアンは好きだが日本リバタリアンはどいつもこいつも劣化橋下みたいなのばかりでうんざりする

一応俺の意見を言うと自民党こそ大きな政府の最たるもので、とてもじゃないが支持したくない、ていうかここが目指してるのは国家社会主義だろ最悪だよ、立民も大きい政府志向だが人権方向じゃ自由重視のリベラルなんでまだよっぽど支持できるて感じです

もしかして自由経済重視と反差別って成り立たないのかなぁ…俺個人としては差別がないほうが最終的に市場経済にもプラスになるという考えなんだが…

あとそうであったとしてもやっぱり政府権限の強化は警戒してしまう、とくに安倍政権を見てるとね…みんななぜそこまで無邪気に政府というものに全幅の信頼を寄せられるのかが疑問…

いや反論として自由の行き着く果はモヒカン社会ってのはあるんだろうが、結局政府も強大なモヒカンになる危険性はあると考えてるんだよね、ナチスとか民主主義で生まれモヒカンみたいなもんだし…

政治の話の脱線は置いといて反差別とか社会市場両方の自由をきちんと追い求めてるリバタリアンの方っていますか?僕一人だと思うと正直寂しい。

追記:俺の言う差別とは生まれ持った属性でどうにもならないことに対するものです、人種民族障害など…しかし確かに知能に関してはどうなんでしょうね、貧乏の子供は貧乏であるべきか、たしかにその通りだと思います自身としては機会の平等方面ではなんらかのセーフティは敷かれても良いと思う立場です

あと日本じゃ特に民間の救貧が無いも同然だからやはりリバタリアンとなると弱者死ねになりやすいのかなってのある気がします、僕は言うなれば穏健リバタリアン理想みたいな所があるんで本来リバタリアンではないのかもしれません

さらに追記:リバタリアニズムはたしかに全てにおいて自由を重視しますが「他人自由侵害」については反対だという理解です、これを適用すれば人種民族性差別他人自由侵害になりうるので反対とは言えると思います、ただしここはリバタリアンの間でも意見の相違が多く、更にいうと「経済平等こそ他者自由侵害だ」といったレベルまで行くとリベラルに入るのだと思ってます

2018-02-24

anond:20180224233338

英語圏の国はたくさんあるけど、それぞれ民族性社会は異なるよね。

2018-02-22

日本すごい論争の馬鹿馬鹿しさ

日本すごいじゃなくて選手すごいとかの論争だがマウント取り合ってるやつら全員まとめてバカじゃねーの?

日本すごいには狭義の国家だけではなく、選手個人とかナショナルチームとかメディアとか見てるだけのやつとか全部包含して日本すごいなの

五輪自体の成り立ちや文脈からすると日の丸ブンブン振ってニッポンニッポン騒ぐことすら健全なのだ

それをヨコに置いといても本大会は明らかに日本総合力がレベルアップしてる

ほんの1020年前を思い出してみろよ

期待と報道過熱したあとにはメダルラインを超えられずに失速するのが常だった

五輪魔物」とかいって2~3個で大会終了していた

ジャパンマネー物理で殴った?20年前の方が全然カネはあったよ

メディアネットヒステリーに苛め殺された韓国パシュート選手空っぽの目をみたか

民族性の違い?そんなことない。あれは少し前までの日本の姿だ

水泳千葉すずを思い出したよ

スターシステム祭り上げられた千葉すず生放送で「メダルキチ●イ」と言い放った

最後は楽しんでやります」と言いながらおっさん宴会芸のようなアフロかぶって登場した

ネットもない時代だった。痛々しさに寄り添うコメント共感も届かなかったことだろう

大会選手インタビューをみると隔世の感がある。10代半ばにしてこの完成度

そつがなくでつまらんとかもっと破天荒でいいとか思ってるじじいはバカだな

トップアスリートには知性も社会性も求められることを彼らが証明している

4位と3位の厚い壁を超えてくるのもメンタル重要性をわかっているからだ

先達の経験に学び、失敗を論理的分析し、根性論科学ねじ伏せてきた結果だろう

少し前まで風物詩のようだった協会上層部の内紛が見えないのも良かった

ディレクターの指示に対して機転をきかせて選手プライドを優先する局アナもいた

全部見ているわけではないがワイドショーにしても過剰な物語演出が今回少なめでいい感じだ

視聴者の求めるものが反映するとすれば見てるだけの立場の俺たちのレベルも上がったということかもしれない

これらいろいろ考えると「日本すごい(すごくなった)」に国家VS個人ウヨサヨ論争を投影する無意味さが際立つ

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