はてなキーワード: 和文とは
字詰めの指摘にしても同じだが、すぐ間違いを疑って指摘しようとするいつものはてなしぐさ。本当に鼻持ちならない。
ほかの部分を読めば書いてるのは「濫用」の意味を間違うような語彙力の人間じゃないことくらいわかるだろ。それがわからないなら、お前の日本語力のほうが低いの。
世の中の印刷物をあれこれよく眺めてみろ。和文は縦書き横書き関係なく等幅を原則として組まれてるだろ。理由もなくそうなってると思うか?
お前は自分がちょっと頭いいと思ってるから他人の言う事がなんでもかんでも間違いに見えてきてしまってるんだと思うが、全然そんなことないからな。
「お父さん間違いにツッコんじゃおうかなー」じゃねーんだよ。間違ってるのはお前。
お前のほうがバカなの。
いい?
自分は人よりちょっとバカなくらいかもしれない、くらいの意識で暮らしたほうがいいぞ。
思い上がるな。クズ。
Windows10 以降のWindowsに標準搭載されるようになった「UDデジタル教科書体」というフォントがある。游ゴシックに並んで書体が美しいフォントで、そこらへんのチラシや張り紙などで濫用されているのをよく目にするだろう。
だがUDデジタル教科書体はバリアントが6種類もあって、それぞれがどんなフォントなのかわかりにくい。Word でバリエーションを選ぼうとすると、一覧にはこんな風に並ぶ。
フォント名を単純に昇順で並べただけで、バリアント順になっていない。これでは何がなんだかわからないので整理してみよう。
書体名 | 和文 | 欧文 | ウエイト |
---|---|---|---|
UD デジタル 教科書体 N-R | 等幅 | 等幅 | 標準 |
UD デジタル 教科書体 N-B | 等幅 | 等幅 | 太字 |
UD デジタル 教科書体 NP-R | 等幅 | プロポーショナル | 標準 |
UD デジタル 教科書体 NP-B | 等幅 | プロポーショナル | 太字 |
UD デジタル 教科書体 NK-R | プロポーショナル | プロポーショナル | 標準 |
UD デジタル 教科書体 NK-B | プロポーショナル | プロポーショナル | 太字 |
各バリアントは
という順列組み合わせになっていることがわかる。
日本語の文面は等幅フォントが読みやすく、英文・英単語はプロポーショナルフォントが読みやすいからだ(メイリオや游ゴシックなどもこの組み合わせである)。その組み合わせの NP ひとつでオールマイティにいける。
なお、和文に強いてプロポーショナルフォントを使う場面はなく、せいぜい見出しやタイトルなどの短いセンテンスや、UI部品のメニューなどスペースが限られる用途などに限定して使うべきだろう。
また、英語の等幅フォントも同様で、桁が揃っていないと見にくい表の数値や、プログラムのコードくらいしか一般的には使い道がない。
つまり「N」や「NK」の出番はほとんどないのである。(誤字訂正しました。指摘サンクス)
繰り返します。UDデジタル教科書体は NP-R/B 一択です。
ちなみに、はてな匿名ダイアリーをWindows環境で閲覧すると、本文の表示には「Meiryo UI」が使われています。この書体はOSのUI用に作られた省スペースフォントで、文字幅を強く圧縮した独特の形状をしています。ファイル名やメニュー項目を表示するには省スペースで重宝ですが、ブログの本文などの長文を表示するような用途にはまったく適していません。ごちゃごちゃと詰まっていてとても読みにくいです。こんなもの、普通は読みものコンテンツの最優先フォントに使ったりはしません。
なぜこんなことになっているのか、スタイルシートを読み解いてみましょう。
font-family: system-ui, -apple-system, BlinkMacSystemFont, "Helvetica Neue", "Hiragino Sans", "Hiragino Kaku Gothic Pro", "ヒラギノ角ゴ Pro W3", "Noto Sans JP", sans-serif;
まず先頭に "system-ui" という総称フォントが書かれているのが噴飯ものです。
総称フォントとは「指定された固有フォントがひとつも見つからなかった時に最後の手段として代替できるような一般名」のことで、本来はフェイルセーフとして font-family 値の末尾に書き添えます。ブラウザは総称フォントに対しては必ず何らかのフォントを割り当てていますから、どう転んでも何かのフォントは見つかり、最低限の表示が保証されるわけです。
ところがそれを先頭に書いたりしたら一発でフォントが見つかって、それ以降のフォント指定は読み飛ばされてしまいます。system-ui の後ろのカンマ以降の情報は実質的にただのゴミです。書く意味がありません。
なぜこんなスカタンなフォント指定になっているか、だいたいの想像はつきます。
このフォント指定は、MacOS付属の「San Francisco」という粋なフォントを呼び出す裏技として一部で流行していた方法なのです。すごく使いたかったんでしょうね、San Francisco を……。
しかしMacOS以外のOSでも、system-ui にはそのOS固有のフォントが割り当てられています。Windows の場合は長文の表示にまったく適さない Meiryo UI だった、というわけです。
どっちみち San Francisco は記事内の半角英数記号くらいにしか使われませんが、Windows の和文表示をすべて台無しにしてでもそうしたい何か強い理由があったんでしょうか。私には合理的な理由は思い当たりませんが。
人文系研究者のハシクレ(そろそろ若手じゃなくなりそう)として補足しておく。
文系、特に人文系では博士論文の執筆がキッチリ3年で終わる人は少ないし、博士課程にいられる年限を使い果たしてしまう人も多い。しかし、東大をはじめとした多くの大学では「博士課程単位取得退学後3年間のうちに博士論文を出して防衛できたら、課程博士と見なす」という運用をしている。
したがって、最近よく見る経歴は、「◯◯大学大学院博士課程単位取得退学、博士(◯◯学)」というもの。これは単位取得退学したあとに博士号を取得した、という意味。
実際に単位取得退学で助教や講師のポストをゲットした人は最近でもたまに見かける。増田の同年代で2~3人くらい(あくまで増田の観測範囲なので、実際はもっと多いだろう)。まあ、そういう人たちは和文論文だけじゃなくて、英語論文(分野によっては+英語以外の外国語論文)書いてたし、下手な博士より論文数多かったけどね……。博士号取得者を蹴落として任期付きポストをゲットした単位取得退学者も知ってる。純粋に業績が多ければたまに博士号取得者ではなく単位取得退学者が選ばれる場合があるということ。
このように、形式上は単位取得退学でも応募できる公募は今でも多い。JREC-INで文系の公募を見てみると、「博士号取得者、あるいは、博士の学位を取得した者に相当する能力を有すると認められる者」っていう募集条件が書いてあることがあるけど、後者が単位取得退学を指している。こういう条件の公募、普通に東大でもまだ出てるからね。ただ、条件に書いてあるからといって選ばれるかというと、よっぽど卓越してない限り厳しいんじゃないかしら。
(修士号しか持ってなくても業績が卓越してれば採用されるというのは、みんな大好きユーリィ・イズムィコa.k.a.小泉悠センセが示しているところだと思う。彼はそもそも博士課程に入ってないはずだけど、ロシア軍を分析するアカデミックな著書を何冊も出してたら東大の専任教員にまで上り詰めた)
とはいえやはり、博士号持ってない人への風当たりは強まっている。一部の宮廷や有名どころの国立大学では、常勤ポストの募集にあたっては人文系であっても博士号を要求しているし、学振PDや海外学振は10年くらい前から文系でも博士号必須になっていたはず(逆に言えば、40代以上の文系研究者の中には、博士号なしで学振PDやってた人が大勢いるってこと)。
ただし、博士号持ってない人への風当たり、というのはあくまで若手の就職市場でアカポスに採用されるかどうかという話で、もう就職しちゃったセンセについては博士号の有無とかあんま気にしたことない……博士論文以降ロクに論文書いてない人より、単位取得退学で面白い論文や著書いっぱい書いてる人の方がエラいじゃん? というのが文系の感覚だと思うんだが、どうだろう。池内恵センセくらい業績があったら、博士号の有無なんてもう誤差でしょ誤差。
ただ、外国で博士号獲った人についてはやっぱり一目置くかも。はてな界隈で有名な人だと北村紗衣センセとか。博士論文というのはだいたい1冊の本になるくらいの分量のものを書くということなので、それを外国語で書いてる時点ですごいよ。特にアメリカだと博士課程では厳しいコースワークがあるから、あれをくぐり抜けたってことだもんね。
最初に「文系、特に人文系」って書いたけど、「文系」と「人文系」は違う。「文系」は「人文系」と「社会科学系」に分かれていて、文学とか哲学とか歴史学とかは人文系、社会学とか政治学とか経済学とかは社会科学系、ってことになってる(あくまでもこれは日本の話。国によって分類は違う。たとえば歴史学を社会科学系に入れる国はヨーロッパにはいくつもある)。「単位取得退学」はもともと文系全体でよくある経歴だったけど、今ではほぼ人文系に限られてる印象。上で書いた単位取得退学でポストをゲットした人たちも、観測範囲ではみんな人文系。
ただ、法学・政治学は20年くらい前まで学士助手という制度があったので、学歴という点では人文系以上にガラパゴスだったりするのだが……学士号しか持たずに教授になってらっしゃる人たちが何人もいる分野です。はてな界隈で有名な人だと木村草太センセとか大屋雄裕センセとかね!
ところで、公募条件に「外国で出された博士に相当する学位」という謎の文言があることがある。外国で出された博士、ならともかく、外国で出された博士に相当する学位って何だよ。
実はかつての日本同様に博士号は功成り名遂げた大物が書くものという文化がまだ残っている国があって、具体的にいうとロシアとかそのへんの旧ソ連諸国。あのあたりでは博士候補(カンジダート・ナウク; кандидат наук; kandidat nauk)っていう学位があって、これがPh.D.に相当する。博士候補論文は大学院に進んで数年かけて書くやつで、実質的に博士論文。博士候補号を持ってればロシアでは准教授になれる。ロシアに留学して博士号獲った、って言ってる人のかなりの割合が、実は博士候補号の取得者だったりする。まあ、ロシアのカンジダート号は他国のPh.D.と同等っていうのはよく知られてるから、別に嘘じゃないんだけどね。
ところでウクライナでは2014年7月にこの博士候補制度をPh.D.に置き換える制度改正を始めて、2020年には全廃したらしい。うーん、ロシアとの縁を切って西欧と共通の制度に置き換えるなんて、2014年にいったい何があったんやろなぁ(棒読み)(時期的に完全な偶然というのもありそうだけど)。
“博士課程単位取得退学、博士”これは課程博士と同じ扱いです。3年の課程を修了し学位論文間に合わずに退学した場合も、3年以内に学位論文が出れば課程博士となるのです。
厳密には、「◯◯大学大学院博士課程単位取得退学、博士(◯◯学)」のすべてが課程博士というわけではありません。単位取得退学から10年後に博士号取得したら論文博士ですし。なので、経歴を見るか(たとえば、2022年に単位取得退学して2023年に博士号獲ってればほぼ確実に課程博士)、あるいはCiNiiで博士論文を検索するかしないとどちらかはわからないですね。
色んな理由があるので一概には言えませんが、本人の博士論文の構想が壮大すぎる、とか、書き上げる前にポストゲットできたから退学しました、とか、そういう場合が多いんじゃないでしょうか。課程博士論文を書き上げた人の経歴はみな似通っていますが、博論を書き上げられなかった人はそれぞれの理由があるものです。
そんな人、少なくとも最近は聞いたことないですけど、いつの時代の話ですか? 何がしかの業績(必ずしも論文という形である必要はないです。たとえば安藤忠雄センセみたいな場合)がなければ大学のポストには就くことはできません。もちろん霞が関から元官僚がゴリ押しされたりすることはあるかもしれませんが、それは業績なんも関係ないし……
この議論ならストレートで論文博士の東浩紀はそれだけで尊敬されても良さそうだけど学者からも石投げられてるし結局空気なのかな
東浩紀センセは、デリダ研究で博士号を獲った俊英だから叩かれてるんじゃなくて、彼の政治的意見を気に食わない人が多いから叩かれてるんでしょ。博士号獲った人は尊敬に値するけど、それはそれ、これはこれですよ。海外で博士号獲ってる人の意見に同意できないとか、日常茶飯事だし。
契約書袋綴じを指示されて和書の袋綴じをして怒られたって棘がバズってるけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2205369
いや、元々契約書の綴じ方も和綴じの袋綴じをしていて今でもやる場合があるのだ。そして昭和の契約書やら判決文、戸籍謄本などの法的文書は和綴じの方の袋綴じがされている。
そもそも現代の契約書の綴じ方には「袋」になっているところがない。なのに袋綴じと言われるのは和綴じから変わったからなのだ。
なんで平成中期というか1990年代前半に替ったかというと、コンピュータの出力法が変わったせいなのだ。
契約書などには割り印をする。ページの差し替えをされない為だ。そして契約時点で書面の内容に異存なしという意味で双方のハンコをページにまたがる形で押す。また背表紙の封紙と表紙にも割り印をする。
ページの割り印の仕方は、上の余白で折って隣のページとまたがる様に押印する。
でもこれちょっと無理やりだと思わない?
実は1990年代までは今のように両面印刷して製本するのではなく、原稿用紙のような升目用紙(内容証明用紙のようなの)に手書きで書き、それを半分に折って重ね袋綴じしていた。綴じるのに使うのは布の「こより」で、千枚通しで穴を開けてから紐を通す。河野太郎が廃止させたやつだね。だから千枚通しはオフィス用品だったのだ。
そして袋綴じされた紙を膨らませて片側のページを山型に折ってそこに割り印をしていた。
「ワープロ」を使うようになっても同じ。片面印刷して袋綴じにして割り印をする。
なんでパソコンじゃなくてワープロなのか?これは後で説明する。
戸籍謄本などはやはり手書きで同じように袋綴じされて割り印され渡された。
そもそも「謄本」と云う言い方をするのは、昔はコピーが無かった(青焼きはあるがコストが高くナンセンス)ので手写しであり、書面の中身を全部写したのが謄本で、労力が大変なので必要な部分だけ写したのが「抄本」だった為だ。今でも閉鎖謄本/抄本を請求するとこの形式で出てくる(流石にコピーを使うが)。そして和綴じ式の袋綴じで割り印されている場合がある。
こより綴じの方は昭和後期には省略されてホチキスになり、これは市役所や弁護士が先行したようだ。だが契約書類はこよりorこより+封紙+割り印が使用されていた。
コンピュータで印刷するというのは今では当たり前で、印刷するのは白いオフィス用紙で、一枚ずつ印刷される。
だが嘗てはコンピュータで使われるプリンタはラインプリンタが主流だった。ページプリンタはDTPなど特殊分野でのみ使用され、一般的なOA機器メーカーはラインプリンタしか製造していなかった。
ラインプリンタの用紙というのは、両側に穴が沢山開いてて薄緑などで罫線が引かれていて、ミシン目が入ってて切り取りが出来る連続用紙の事である。
ラインプリンタの場合、印刷の区切りが一行づつになっていて、プリンタに印刷指示が送られるとそのテキストを印刷して改行の必要がある場合は改行しそこで終了する。ミシン目まで行送りするという事は無い。
だから票として一枚ずつ切り離す場合は、ミシン目が来るところまで行送りを行って停止するという印刷指示を組んでおく。
また、嘗ての標準出力の延長でもあるのでコマンドラインとの相性も良く、リダイレクトやパイプ(|)でデバイスファイル(lp、PRN)にテキストを流すとそれが印刷されるという簡単さであった。
ラインプリンタはページプリンタに押されて無くなったかに見えるが、実はPC POSで印刷されるレシートはラインプリンタの生き残りだ。
プリンタの印刷方法はインクをしみ込ませたインクリボンを活字で叩くというのが主流で、日本語圏だと沢山のピンを弾いて打つ、ドットマトリックス方式が主流だった。これだと一字のドット数が16*16くらいが限界なので、細かい漢字は打てない。
だからカタカナ+数字しか出力されない伝票などの使用が主で、ページプリンタは普及しなかった。
一方、ワープロ専用機は最初からサーマルプリンタを備えていてページプリントが前提であった。だから普段のオフィス業務はコンピュータ+ドットマトリクス、文書の清書はワープロというのが一般的だった。
これで法的文書もワープロで作成し、縦書きで出力して手書きと同じ袋綴じにするというのが増えてきた。
今でも弁護士の文書で表題に倍角文字が使われたりするのもこの名残だ。
これがWindows95が普及するとページプリンタの普及も進み、イントラネットに接続される複合機が普及するなどで印刷=ページプリントとなったのだ。そしてやがて法的書類も両面印刷して製本するという形になった。
その時に本来の袋が出来る袋綴じは過去のものとなって袋が無いのに袋綴じと言われるようになった。故に今の袋綴じ方が当たり前になったのは20年位かと思われる。
因みにワープロより早くから、またワープロと平行する形で和文タイプというのがあり、これで升目用紙に、または白紙に升目用紙と同じ字の間隔で印刷するという方法もあったのだが、和文タイプというのはとても時間が掛かった。
この人は流石に遅過ぎなのだが、タイプするのが超絶大変な代物で、行政書士、弁護士など気合が入った士業と法務局、裁判所など気合が入った役所、気合が入った大企業の契約書など、兎に角気合が相当入ってないと使われない清書用アイテムだった。ある意味、100kgぐらいの巨大複合機より気合がある。
というわけで袋の部分が無いのに袋綴じという謎かけみたいな名前の背景にはオフィス史とコンピュータのプリンター史が隠れていたのであります。
昭和日本ではオフィス用紙も法的文書も原稿用紙も、B5だった。ずっとA4より小さい。会社でも役所でも裁判所の判決文でも全てB5だ。
だが1990年頃に役所関係の書類をA4にするというお触れが出た。これは国際化の一環で、ISOに定めれているのはA列だけでB列は日本独自規格。困ったことに当時一番の貿易相手国だったアメリカはアメリカンレターサイズをN倍したANSIという独自規格なのだが(またですか)、まぁレターサイズはA4に近いしA4を標準化すれば万事うまくいくでしょとの見込みだ。
これに数年遅れで企業も倣ったのでB5というのはパージされることになった。
世の中全部B5からA4に変わったのに、大学ノートだけはB5が主流のままだ。あれは何でなんでしょね?小さいと使いにくいのに。
今はオフィス用紙として白くてある程度の厚みがあるものが使われているが、これはコンピュータ印刷が一般化するまではとても薄いペラペラでテカテカつるつるしている紙が使われ、これが「公的な場所で使う」紙だった。
先述の手書き&ワープロの升目用紙も全てこの極薄+つるつるの紙である。両面印刷して製本されなかったのもこれが理由の一つだろう。
これは「カレンダー紙」で、紙を押しつぶす鉄製のカレンダーロールの間を極圧で通して押しつぶし、薄くする。
トレーシングペーパーやクッキングペーパーと同じだ。
また、請求書類の封筒は中の請求書の名前住所が見えてあて名書きを省略してあるが、あの透けた部分が透明ビニルじゃなくて透けた紙である場合もある。この透ける紙もカレンダー紙だ。
公的書類でカレンダー紙が使わるようになった理由だが、増田は羊皮紙の代替ではないかと考えている。羊皮紙は中世の欧州から使われていた「紙」で、羊やその他の皮膚の薄い動物の皮を剥ぎ、石灰水で皮下脂肪を除去して薄く削いで引っ張り、紙のようにした。 https://w.wiki/7FnV
鞣しをしないのがポイント。これは高額なので貴族の手紙や証文、聖書の写本など「公的」な書面に使われた。
これの代替の紙としてカレンダー紙が使われ、それが「高級紙」として日本に輸入されて、ペラペラなカレンダー紙を契約書や判決文に使うようになったのではないか?と推測している。
こういう訳で、昔の契約書やら公的書類などはやたら薄いのが特徴だ。破れそうで怖いのだが、そっとめくるだけなら破れない。
なお、トレーシングペーパーやクッキングシートは長期間放置するとバラバラに崩壊してしまう。これは硫酸で晒しをする為に酸性になっているからで、昔のペラペラ重要書類はそうはならないので、硫酸晒しをやってないのではないかと考えられる。
対照用にdeepLの画面で対訳見ながら編集した翻訳用和文原稿も吊っておく (deepLが誤解する場所とか主語を補ったりしないとちゃんとした訳にならんのよ)
ここは原文からニュアンス変えすぎでは等の突っ込みも甘んじて受ける。
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「例の件」に関して、彼らは当事者でもなければ長崎の生まれでも広島の生まれでもないのに語るべきだろうか、という書き込みを目にして、少し自覚したのでどうしても言わねばならないことを言う。俺は長崎の生まれで被爆三世で当事者たちから直接話を聞かされて育ったから言う。俺程度がおこがましいという気持ちはあるけれど、当事者はほとんど残っていないから俺が言う。
長崎ではガキどもは原爆の話を聞かされて育つ。クーラーも扇風機もない真夏の小学校の体育館に一時間近くも寿司詰めにされて、原爆の話を聞かされた。俺にはそれが辛い時間だった。話をする年寄りはもっと辛かったと思うが、小学生のガキにはそんな想像ができるはずもないし、俺だってずいぶん聞かされた話をほとんど忘れてしまった。思い出せるのは精々ひとつかふたつだ。もうひとつ辛いことがある。毎年この時期になると、廊下にはずらりと、他所の地域ならPTAが発狂するようなグロ画像が堂々と貼り出される。最近は、原爆資料館ももうずいぶん漂白され、観覧者がトラウマを抱くような過激で恐ろしい展示は多くが撤去されたと聞く。なので、今も続いているかは知らないが、俺の頃はそこに展示されていた。
小学生の頃の俺にはどうしても直視できない写真が一枚あった。谷口稜曄さんの写真だ。検索すれば出てくる。閲覧注意のショッキングな写真だが、それでもどうか見てほしい。どうしてもその写真の掲示された廊下を通れなくて、その時期はいつだって校舎の別の階を遠回りして、写真が目に入らないよう逃げ出していた。
今は、妹を探すために焼け跡に向かった俺の祖父は、目を背けることも別の道を通ることもできなかったんだなと思う。写真どころか、まだ生きて呻きを上げる人間が山ほどいただろうし、苦しみの果てに事切れた人間はもっと山ほどいただろう。彼は瓦礫だらけの長崎の狭い道を、handcartを曳いて何キロも何キロも歩いて、妹を捜し歩いた。当時の祖父は子供じゃなかったが、当然それと似たような事をしたこどもたちも居た。居ただろうじゃない。居た。俺はその話を本人から聞いたし今も覚えている。幼い兄弟が焼け跡から自分の親父の死体を見つけて、兄弟がそれを焼いた話。薪が足りなくて親父の遺体が十分に焼けず、零れ出た生焼けの脳ミソを見て逃げ出して、それが今生の別れになってしまった話。
俺はガキの頃に聞いたその話をいつまで経っても忘れることが出来ないし、今だって辛くて苦しくて、手が震えて涙を出している。どうしてあの親父の脳ミソから逃げた爺さんは、想像もできないほど恐ろしいトラウマを、一生治らない傷痕をほじくり返して人目に晒すことが出来たのだろうかとずっと思っている。
今は少しだけわかる気がする。
俺が自分のトラウマをほじくり返してでも祖父やあの爺さんの話をせずにいられないのは、彼らの言葉が忘れ去られることに比べれば、この程度の苦しみなど何でもないからだ。俺の手が震えて動悸や眩暈と共に涙や鼻水に塗れることなど、かつて確かにあった途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば何でもないからだ。
だからひょっとしたら同じなのかもしれないとも思う。
俺には想像もできないほどの地獄を味わった祖父は、孫が産まれるまで生き、焼け跡で妹の死に目にも会えた。つまり祖父はあの焼け跡で、誰よりも幸福な人間のひとりだった。祖父やあの爺さんは結局のところ、地獄の淵をさまよっていた人間に過ぎないのだ。俺には想像もできないほどの苦痛を味わった人間でさえ想像もできないほどの苦しみが、78年前の長崎には石ころのように転がっていて、誰にも顧みられなかったのだと思う。俺には想像もできない彼らの苦しみは、彼らが目にした無数の途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば、何でもないことなのだ。
記憶は人に語られる度にどうしようもなく薄れていく。あの人たちが忘れられることをどうしても許せなかった記憶も、もうほとんど忘れ去られている。78年前の途方もない苦しみはもうほとんどが消え去って、二度とは語り継ぐことはできない。あの原爆で最も苦しんだ人たちは、それを誰に伝えることも出来ないまま焼け跡で腐れ落ちて死んだ。それを自分の目で見た人々も、多くは口をつぐんで墓まで持って行った。僅かに語った人々もほとんどが今や墓の下にいる。
老人たちの言葉と比べて、自分の言葉は何と軽いのだと思う。こんな軽い言葉で語るくらいなら、口をつぐんだ方がマシだとさえ思う。それでも誰かが継がねばならない。俺のこんなにも軽い言葉でさえ、もはやこの世に残された原爆を語り継ぐ声の上澄みなのだと気が付いた。自分のような存在がこれを語ることが許されるだろうかと思う気持ちは痛いほど良く分かる。それでも口を閉ざさないでほしい。語るべきでないと、我々が口を閉ざした結果があれなのだ。
想像もできない苦しみを想像することを止め、他者の苦しみを面白おかしく消費して生きていくことを、俺は時々選んでしまいそうになる。俺がもう声も顔も、言葉さえろくに思い出せない老人たちの、せめて苦しみの想像が残っているうちに、ここに書き残しておく。
翻訳者注記: このポストは、日本のある投稿者が「自分は広島・長崎の出身でもないのに原爆に関する言論について発言する資格があるだろうか」と悩みながら、それでもバービーと原爆の件について発言した投稿に対する返答である。世界に読まれる価値があると考えここに翻訳した。
https://togetter.com/li/2118940
会社で優秀賞で表彰され感想を求められたが、自分の一言で場の空気が完全に凍りついてしまった話
これを見て思い出した話を吐き出しておく。
その時いた会社では、R&Dの若手社員は論文を書きなんらかの投稿や対外発表することを義務づけられていた。そこに営業のお偉い様の息子ということで何故かR&Dのメンバーになっていたぼんくらが引っかかった。別にブッチしても問題が無いが、奴は年齢的に主任昇格する事が決まっており、一本も対外発表したことがないのはまずいと言う。しかし「忙しいから書けない」
はあそうですか。
まずはここで「しらねーよ」と言う感想を持った人がいれば、その感覚は正しい。
そこで俺に話が回ってきた。そのぼんくらの代わりに論文を作れと言う。驚いたことにテーマすら決まっていない。そこでテーマを設定し、実験計画を作り、更に実験をした。ぼんくらは俺たちハケン(偽造請負)のエンジニアをメールで操る典型的メールエンジニアであった。そうして書き上げた論文をぼんくらに渡し、ぼんくらはそれに赤を入れて(普段からメールエンジニアをしつつ、上がってきた文章の枝葉の部分に赤を入れるのが彼の仕事)論文と講演会発表原稿が完成した。
筆頭著者がぼんくら、次がその直属の上司の主任、次が部門長、そして課長が来て、最後に俺の名前と言う形になった。ちなみに筆頭著者のぼんくらは一応赤を入れたが、残りの連中は執筆活動には一ミリも関わっていない。まぁ、残りの人たちは、論文の元ネタの製品開発に実質的貢献があるからマシか。
ぼんくら曰く「本当はハケンの人は入れられないんだけど、ぼくが頼んで入れてもらった」
はあそうですか。
なお、もちろん、研究者倫理的にバレたらヤバイ行為である。学会追放もありうる。
その後、講演会に出る事になり、中身をまるで理解していないぼんくらにレクをし、社内で模擬訓練をやった。想定質問集まで作らされた。
本来はハケンには研修出張は認められないところで「運転の交代要員」などと言う理由がつくられ、学会に同行した。そして、なんと優秀講演賞と、若手研究者奨励賞を取ってしまった。やりすぎである。
さらに、論文も数回やりとりをした結果、和文の論文誌ではあるが掲載された。
外部発表で賞が出ると、社内でも自動的に表彰と金一封が出る事になっている。そこには筆頭著者のぼんくら以下、流石に事業部長には出なかったが、課長クラスまで、そしてそのプロジェクトに関わっているメンバー全員がまとめて表彰されることになった。
ただし「表彰はプロパーじゃないとだめなので。ごめんね」とのこと。
ハケン(偽造請負)で来ている協力会社の社員には関係ないことであった。
流石に悪いと思ったのか、ぼんくらはその報償で出たAmazonギフト券(5000円)を渡してきたので、ありがたくもらった。確か卓上スピーカーか何かを買った気がする。
2010年代前半の話。なおその後、会社を移籍しないかという打診があり、一連の動きの中でもううんざりしており、ハケン元(偽造請負元)に引き抜かれそうになりました!!!!とチクって、受け元とその会社の関係をぐちゃぐちゃに煽ってやった。