はてなキーワード: マグレブとは
ムーア人(英: Moors)は、中世のマグレブ、イベリア半島、シチリア、マルタに住んでいたイスラム教徒のことで、キリスト教徒のヨーロッパ人が最初に使った外来語である。ムーア人は当初、マグレブ地方の先住民であるベルベル人であった。その後、アラブ人やアラブ化したイベリア人にも適用されるようになった。
ムーア人は明確な民族でもなければ、自らを定義する民族でもない。1911年のブリタニカ百科事典は、この言葉は「民族学的な価値はない」と述べている。中世から近世にかけてのヨーロッパでは、アラブ人や北アフリカのベルベル人、イスラム教徒のヨーロッパ人に様々な呼び名が使われた。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%A2%E4%BA%BA
この件.
https://togetter.com/li/1274544
査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは本当に理解できない.
何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国や韓国でも,文系の研究業績の大半は自国語だから!
文系の研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準だから!
(インドやサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧の植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育を英語でやっている国や,ツバルやナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えないけれど)
そりゃ英語論文を持ってたらすごいと思うよ.でも英語論文がないことが叩かれる理由になるのは本当に理解不能.
そもそも,社会学には膨大な日本語の研究蓄積がある.いくつもの査読誌があり,日本語で査読を経た研究成果が積み上げられている.博論をもとにした出版も多く出ているし,入門書から何から日本語で一通り揃うようになっている.
自国語で用が足りるんだから,論文の執筆言語は自国語でいいだろ.繰り返すけど,それが世界標準です.
イギリスやアメリカの学者が英語で書き,フランスの研究者がフランス語で投稿し,ドイツの博士がドイツ語で教授資格申請論文の審査を受け,ロシアの院生がロシア語で報告している中で,なんで日本の教授が日本語の業績しか持っていないのを責められなければならないのか皆目わからない.
これは社会学に限ったことじゃない.政治学だって,歴史学だって文化人類学だって,文学だってそうだ.だいたいどの分野でも有力な査読つき学術誌を持っているし,それらの雑誌は日本語で書かれている.
そして日本語というのは,世界でも有数の学術言語だ.もちろん英語ほどの網羅性は持っていないかもしれないが,ドイツ語やロシア語ほどの重要性は持っていると思う.それは,先人たちが日本語で積み上げてきた研究業績の賜物だ.
「世界でも有数の学術言語」というのもいろいろな尺度があると思うが,どれだけ広い分野で高度な研究を積み上げているか,というのをここでは述べたい.
もしこれを読んでいるあなたが,アフリカに興味を持って,アカデミックな本を読んでみたいと思ったとしよう.大学図書館で文化人類学の棚の前に立てば,数ダースの優れたアフリカ研究があなたの前に現れるだろう.その多くが,西欧の学者と同じようにアフリカでフィールドワークをし,日本語と西欧語の先行研究を読みこなした上で書かれたものだ.
あるいは,ヨーロッパの歴史を知りたいと思ったとしよう.あなたは造作もなく,フランスやドイツやイギリスやスペインやロシアや,そしてチェコやポーランドやポルトガルやボスニアについての研究書を見つけられるだろう.どれも現地語の史料や文献を消化した上で,日本の歴史学の積み重ねてきた問題意識と接続されている.
それとも,言語学に興味があるだろうか.心配はいらない.オセアニアの数百人しか話していない言語の文法を記述した本も,ヨーロッパの小国の言語の音声を論じた本も,中東の言語政策についての本も,あなたは探し出すことができる.政治学? 問題ない,EUの制度,アメリカ大統領選挙,韓国の歴史認識,ロシアの愛国主義,湾岸諸国の君主制,どれも日本語で最先端の研究が読める.
こんなことは当たり前に思えるかもしれない.でもこれは決して当たり前のことじゃない.
とあるアジアの国に行ったときに書店に行ってみた.西洋史の棚に並んでいるのはどれもそのアジアの言語で書かれた本だったが,著者はみな西欧人だった.それらはいずれも西欧語からの翻訳だったのだ.たまにそのアジアの国の著者が書いた本もあったが,イギリスとかフランスとかメジャーな国についての本ばかり.マイナーな国の歴史について扱った本を開いてみたら,参考文献はほとんど英語で,ちょこちょことドイツ語やフランス語が挟まる程度.要するにその本を書いた学者はそのマイナー国の言語を読めなかったのだ.日本には,そのマイナー言語を読める歴史学者が何人もいるのだが.
あるいは,ヨーロッパの小国の書店.その国は小さいので国民の多くが英語を達者に話すのだが,本屋を覗くと,自国史や周辺諸国の歴史についての本以外は英語の本がそのまま置かれていた.もしも遠いアジアの国に興味を持ってしまったら,その国の人は,自国語のペラッペラの入門書の次は英語を読まなければならないのだ.日本語なら,遠いヨーロッパの国についても専門書が手に入るのだが.
たとえ外国語が読めないシロートだろうと,ある程度自国語で難しい本を読める力があれば,中世ヨーロッパやアフリカ社会やラテンアメリカの先住民や近世朝鮮史や東南アジア政治についての最先端の研究書が読める.そんな豊かなアカデミアを有している国,そんな潤沢な研究蓄積のある学術言語は,実はそんなに多くはない.
私の感覚だと,英語の網羅性には劣るし,フランス語の豊かさには負ける気がしないでもないけれど,ドイツ語やロシア語並の水準に達してはいると思う.もちろん自国民ゆえのひいき目かもしれないし,カバーしている範囲が微妙に違っている以上正確な判定は不可能なのだが.
カバーしている範囲が違う,というのはどういうことか.たとえば,上で英語の網羅性に劣ると書いたが,英語よりも日本語のほうが研究蓄積の豊かな領域というものがある.当たり前だが,日本史については英語の文献よりも日本語の文献の方が圧倒的に豊富だし,日本史以外でも前近代の中国史についてはまだまだ日本語の方が英語よりも網羅性が高いと思う.なので前近代の中国史については,読者はともかく,歴史学者は中国語の他に日本語を読まなければいけない.その人がアメリカ生まれの英語ネイティブな白人であってもだ.ザマーミロ.
というか,実は文系分野に関しては英語の網羅性は理系ほど高くない.そんなのは当たり前で,ロシア人はロシア史についてロシア語で書き,カタルーニャ人はカタルーニャの言語政策についてカタルーニャ語で書き,チェコ人はチェコ文学についてチェコ語で書き,韓国人は韓国社会について韓国語で書いているのだから,英語の文献を読むだけでそれら全ての情報が手に入るわけがなく,本格的に研究しようと思ったらそれらの言語で書かれた文献を読まなければ話にならない.日本事情について一番詳しく正確な研究が読めるのは,英語ではなくて日本語だ.
なので,上で挙げた主要な学術言語は,それぞれ積み重ねが豊富な領域とそうでない領域がある.得手不得手というやつで,たとえばマグレブや西アフリカの地域研究ならフランス語で,東ヨーロッパの前近代史研究ならドイツ語で,旧ソ連圏の研究ならロシア語で重要な研究が蓄積されてきたので,江戸っ子だろうがロンドンっ子だろうが研究を志すのならそれらの言語を読まないといけない.中国近世史を専門にする者が日本語を読めなければいけないのと同じだ.これらの分野で英語で書かれた研究だけを読んで済ますことはできない.
この辺が,理系とは事情の違うところなのかもなぁと思う.理論物理学とか分子生物学とか再生医療とか深層学習とか,ほぼ全ての分野で英語さえ読めれば研究には用足りる(んだよね?).英語に最先端の研究のほぼ全てが流れ込み,あらゆる情報が蓄積される.しかし文系では違う.英語には限られた情報しか流れ込まず,最先端の研究の全てが英語で提供されるわけではない.
なので文系では,英語が理系ほど特権的な地位を占めているわけではない.もちろん英語文献が読めるのは今や前提だし,重要な先行研究が英語なら読んでいないと問題外だ.けれど,英語ではなく自国語の研究でも研究業績にカウントされるし,外国語での業績といっても英語に限られるわけではない.韓国語やトルコ語で論文を書くほうが英語で書くよりも楽だ,と言う研究者だっているし,日本語でも英語でもろくな業績がないがそのかわりロシア語で何本も論文を書いているという研究者もいる.
というわけで,文系の研究者が英語論文を書いていなくとも,それが直ちに問題だとは思わない.査読論文にしても,そりゃゼロってのはちょっとどうなの,って思うけど,研究者が集まって作った本の一章として論文を発表するとか(いわゆる論集ってやつね),出版社が出してる研究者~教養人向けの雑誌に依頼を受けて研究成果を発表するとか(岩波書店の『思想』とか,青土社の『現代思想』みたいなやつね),査読されてないけど業績としてカウントされ得る論文の発表形態というのはいくつもあるので,査読論文以外にそれらも論文としてカウントしないとフェアじゃないと思う(ただ,私は査読がついていない媒体に出すのは怖いなと思ってしまうので,なるべく査読誌に出している).
別に理系のひとが査読つき英語論文のみを業績としてカウントし和文論文は勘定しないというローカルルールをお持ちなのは結構なのだが,そのローカルルールを文系に押し付けないでいただきたい.
私が危惧しているのは,上で書いたような日本語で積み上げられた先行研究が,日本人に真っ当に評価されていないことだ.
文化の豊かさというものを考えたときに,自国語で世界中の情報を知ることができるということが,どれだけ重要なことか.まして,日本はコンテンツ産業が主要輸出品目のひとつだ.中世ヨーロッパやアフリカの部族社会について日本語での研究が充実していることが,創作者が想像の翼を広げる上でどれだけ有利か.たとえば最近,Cuvieという漫画家さんが『エルジェーベト』というオーストリア=ハンガリーを舞台にした漫画を描いていたが,巻末の参考文献にはずらりと日本人が和文で書いた研究が並べられていた.
別に文化に限ったことではない.政治や経済,そして人権についてもそうだ.ルワンダの虐殺やスレブレニツァの虐殺について日本語で書かれた研究があるのとないのとで,どちらの方が日本人にとって国際情勢を理解しやすくなるだろうか.外国で一旗揚げようと目論む商売人にとって,その地域の専門家が書いた本や論文が和文で手に入るのと入らないのとで,どちらが現地の文化や歴史を理解する助けになるだろうか.欧米のフェミニズムについて日本語で研究を積み重ねる学者がいるのといないのとで,どちらが日本女性の権利の向上に資するだろうか.
すべての国が自国語でこれだけ充実したアカデミアを持てるわけではない.人口があまりに少ない国ではどうしたって物理的な限界があるし,人口が多くとも植民地支配の歴史が長く自国語の大学教育が充実していない国では歴史的遺産がその発展を阻む.
日本人は恵まれた研究蓄積にあまりに無頓着なばかりか,その豊かさをみずから捨て去ろうとしている.それが私にはもったいなく思える.
英語は,世界の始まりから覇権言語だったわけではない.明治時代の日本の医師はドイツ語で論文を書き,外交官たちはフランス語で交渉していた.英語が外交や学術の分野で覇権を握ったのはせいぜい戦後のことで,それまではフランス語やドイツ語と同格の存在だった.今も文系ではprimus inter paresに過ぎない.ひょっとしたら将来,欧米の物理学者たちが中国語で論文を書くことになるかもしれない(そのときは現在の私たちが定冠詞や三単現のsに悩まされるように,欧米人が泣きながら漢字を習得するのだろう.そう考えるとなんとも愉快な未来予想図だ).せいぜい百年単位の覇権言語の移り変わりにあわせて,自国語の学術言語としての地位を貶める必要はないと思う.それは私たちの社会の豊かさを,長期的に損なうことなのだから.
最後に.
どうせ和文論文しか持ってないやつの負け惜しみだろって思ったひとがいるかもしれないけど,和文論文だけじゃなく英語論文も書いたことあるし,英語以外の外国語での論文も持ってます.今それとは別の外国語での研究発表を準備中.私より多くの言語で研究報告してきたひとにならともかく,たかが1言語か2言語でしか論文書いてないガラパゴスの住人にだけは文句言われたくないですわ~~~~~~.
英語論文が優れているとは言わんけど、査読なしの研究なんてゴミだし。
id:bocola 自分でも言ってるように査読なしなのが問題。査読なしの論文なんて、読書感想文と変わらない程度の価値。やはり文系は無価値だと改めて思った。
arXivのない世界線からやって来たのかな? グリゴリー・ペレルマンって聞いたことない? 査読なし論文が業績としてカウントされてるひとだけど.
事前の査読は,論文の信頼性を担保するための手続きのひとつであって,それが欠けている「から」ダメ論文というわけでも無価値というわけでもない……というのはわかってくれるよね? 当たり前だけど論文の価値は最終的には書かれている内容に依存するわけで,だからこそペレルマンは査読なし論文であってもポアンカレ予想を解いたと認められたんだよね.
私も査読はないよりはあった方がいいと思うけど,査読がすべての論文につくわけではない分野のすべてをダメと論ずるのは不当すぎる.まあ最近は文系も査読が重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないからダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメな論文は後発の研究によってちゃんと批判されるか鼻にもかけられず無視される.公募の際には論文を提出させたりするんだから,査読なしダメ論文を量産していればそこで撥ねられるでしょ.理系のローカルルールで事前の査読が必須なのはよくわかったけど,そのローカルルールを文系に敷衍されても困る.
id:zyzy まぁでもこの噛みつきは、もうすでに南京大虐殺の時に通った道だし、虐殺否定論者と同じ轍を踏み続けている以上、恐らくオタにこの説明が通ることはないんですよ。
私もオタクですが.
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「テロ情報に詳しいStirling Assyntによると、先週、アルカイダは新疆ウィグル地区の中国によるイスラム教徒虐殺に対する報復として、アルジェリアなどの北アフリカ地域で中国人および中国利権に攻撃を加えることを傘下のテロ集団に指示した模様である。
これは同社がアルジェリアに本部を持つ、北アフリカのイスラム過激派の分派であるAQIM(アルカイダのマグレブ支部)からの指示書を見たという人々の情報にもとづいている。「これはビン・ラデンのテロ・ネットワークが攻撃対象を中国に向けた最初のものである」とスペイン紙は伝えた(7月14日)。
Stirlingによると全世界のイスラム聖戦遂行・過激派組織の中には、中国によるウィグル人民への抑圧に対する対中報復への熱望は急速に広まっている。
AQIMは「反中国」という点で、アルカイダの有力支部と見られるが、他の分派も歩調をあわせAQIMに追随すると見られる。
この分析は香港の「South China Morning Post」がすでに報じている。
香港とロンドンに事務所を持つ、Stirling Assynt社によると、近東およびアフリカには何十万人の中国人が働いているが、そのうち3万人はアルジェリアにおり、「アルカイダの報復計画の情報はリアリティのあるものとして重く受け取られねばならない」としている。
中国の圧制から外国へ逃れたウィグル人は、中国政府の発表した死者の数はゴマカシで、実際には間違いなく600~800人に及ぶと言う。
トルコの首相は、「ウィグルでの殺戮はまさしくジェのサイトだ」と批判したが、中国側は「トルコのナンセンスな発言を撤回せよ」と怒りをあらわにしている。
一方、ほとんどのイスラム諸国は、現在のところ、中国との取引関係にダメージを与えたくないということからか、沈黙を保っている。
ウィグル人の多くは中国による支配・抑圧は酷く、ウィグル国家の独立を夢見ているが、中国側は中国こそがウィグル地区の開発・発展をもたらしたのだと反論している。ちなみにウィグルは鉱産物、天然ガス、石油が豊な地域である。
▲米国議会はETIM(東トルキスタン独立運動)をテロリスト指定からはずす動き
中国外務省スポークスマンの秦剛氏は先週、「中国政府はウィグルの(中国からの)分離・独立運動家たちは外国で、一部にはアルカイダのテロ訓練を受けたものだといういくつかの証拠を入手している」と述べたが、詳細の説明は避けた。
Stirling Assyntのレポートは、過激派の間でのネット交信はきわめて活発であり、イスラム諸国内における中国のさまざまの利権構造のナマ情報が入手可能であるとしている。
Stirlingはまた「アルカイダはイエーメンにおける中国の諸プロジェクトを狙う可能性もある」としている。
げんに三週間まえに中国人技術者のボディガードを勤めていた24人のアルジェリア人が暗殺されたことにも触れている。
そして、「あの時は、テロ攻撃の対象は中国人技術者ではなく、彼が働いているプロジェクトそのものだったからである」と述べている。「いまはこの種のテロ攻撃は多分、警備員だけでなく中国人技術者たちにも及んでいくものと思われる」 という。
アルカイダ中枢から北アフリカおよびアラビア半島のアルカイダ傘下のイスラム過激派への指令は、それらの地域の中国絡みのターゲットに向けられると思われる。これら各地での攻撃は手っ取り早く、大掛かりな準備を必要としない。
アルカイダが中国を標的に改めて新たな戦線を形成するということはないが、イスラムの一体感・団結は、同志の相互扶助を必然的なものにするし、お互いに助けている姿を目に見える形で示さざるを得ないという理解が存在しているのである。
このようなイスラム共同意識の形は世界各地から人的・物的支援や資金調達に大いに役立つのである。
中国はウィグルのイスラム独立主義者には断固とある態度で当たるとし、いわゆるETIM (東トルキスタン独立運動)の起こした殺害事件を非難している。
ETIM は9:11事件以後、アメリカでテロ団体に指定されている。
しかしその道の専門家たちは、ETIM そのものが 新疆ウィグルにとっての脅威だとはいう考え方には懐疑的である。
アメリカ議会の何人かの議員がETIM の名前が テロリストのリストから外されるよう、動いている。(粕谷哲夫訳)
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全世界のイスラム諸国が立ち上がった。シーア派のイランでさえ中国に対して、やわらかに「調査団」の新彊ウィグル自治区への派遣を主張し始める。
人口の多いインドネシア、トルコでは連日、数万の抗議、とくにイスランブールは十万人の集会が開かれ、これまで中国の顔色を窺ってきたトルコ政府もカディール女史の訪問にヴィザを発給した。
中国の揚外相はトルコ外相と電話会談して、「あれは外部勢力と結んだ過激派の行動であり、イスラム教徒への差別ではない」と釈明した。
トルコのエルドガン首相が「あれはジェノサイトでは?」とした発言をトーンダウンさせた。
トルコは世俗イスラムとはいえ、ちょっと裏町へ入ればイスラム原理主義過激派がうようよいる。政局がかわればイスラムの爆発がある。過激派のテロ事件もかなりの頻度でおこることはエジプトに似ている。
「コーサル・トプタン国会議長はアンカラ駐在中国大使を呼んで『この目で何がおきたかを確かめたいのでトルコ議員団の視察団を受け入れてほしい』と伝えた。中国側は本省に問い合わせると回答を避けた」(トルコの英字紙、ディリーニュース、7月14日)。
湾岸諸国も調査団の派遣を検討し、米国の議会の一部にも同様の動きがある。
旧ソ連アゼルバイジャンにも反中国ムードが拡がり、中国大使館へ押しかけたデモ隊から逮捕者もでた。
西側で最も抗議運動が盛んなのはドイツで、ウィグル組織があるうえ、数万の移民がウィグル人コミュニティを形成しているからだ。
また「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」は「アルカィーダが北アフリカ諸国で働く中国人を殺害すると予告した」ことを伝えている(同紙14日)。同紙は北京寄りのメディアで、マレーシア華僑の郭鶴年が経営のため、北京への警告ともとれる。
しかし現実問題として、中国人技術者ならびに労働者は、マグレブ諸国にも溢れており、同時にイスラム過激派アルカィーダの支部が散らばるがアルジェリアが最大の拠点。
中国のアフリカ援助は建設現場、石油採掘サイトでも、現地人を殆ど雇用せず、プロジェクトが決まると中国人労働者を大量に連れてくるので、新植民地主義、侵略者=中国というイメージがアフリカ諸国では強まっている。