はてなキーワード: フィールドワークとは
>自分はどっちかっていうと、フィールドワークとか資料を読んで、課題を見つけることが好きで、
某理系六年制学部出て専門職やってる女だけど、そういう業務とは無縁なので理系の専門職行ったところで不満出てたと思う。あなたが挙げている薬剤師や看護師もそういう業務じゃない。それと、理系の資格職・医療職は結構体育会系じゃないとやっていけない。病気にかかりやすい人には向いていない。
という訳で、人と関わって資料を読む能力発揮して問題解決したいなら税務署職員はどうだろうか。あれなら公務員試験をパスするだけで採用されるし、徴税とか人対人の仕事多いし、確か勤務年数とか条件満たせば税理士の免許が取れたと思う。
事務が合わないなんて贅沢な話だと思うんだけど、
自分はどっちかっていうと子どもの時から専門職的な職業ばかり希望してたのだけど、
理系だと看護師とか薬剤師があるけど、文系だとすごい頭のいい職業(弁護士会計士)とか売れたら調理師しかなくて、
要は理系に進めなかった(っていうか父に許してもらえなかった・説得するだけの頭がなかった)ので、
その時点で自分の人生は希望の人生を送るという点では詰んでたんだなと思った。
私が一番感じる一般事務的業種のやなところって、お客さんの顔が見えないので役に立ってるという実感がないところだった。
自分はどっちかっていうと、フィールドワークとか資料を読んで、課題を見つけることが好きで、
そういうことが趣味だったところもあるんだけど、
だったら、趣味じゃなくても専門職に就きたかったなぁと思うんだけど、能力不足だし。
ということは、やはり自分のような仕事できない人がやる仕事なんだな、一般事務って、って思ったり。
それが悔しい。
O大学の哲学出身には結構ぴったり当てはまる(増田も?)。大学自体の校風(真面目で従順で偏差値はある程度あるけど社会であまり評価されていない)にプラスして、社会との接点に欠けているカリキュラム。社会全体がどういう風に動いているのかを考える発想がないということだと思う。個人的には進学者を減らして教員も減らしていいと思う。実際就職に困っているようだし。(哲学自体を否定はしていない、文系のいろいろな分野に間接的に貢献しているから。)ただ文系でも政治学、経済学、法学はもっと社会全体のことを考えているし、学際系やフィールドワークをするところも社会でもまれる。教育学も実践を重視するところが多いから、ある程度社会性のある人が多い。理系もひたすら研究室にこもって先生の推薦で就職するような所だと、社会の変化を理解していなくて、ひたすら先生に従順なだけで個人としての社会性も?な学生、教員がたくさんいるところもある。
私は変にプライドが高く、黒髪、メイクに抵抗があるスッピン喪女だった。外見に関しては世間の人様が私と一緒に歩いてる所を「誰かに見られたくない」と思われない程度の「清潔感」や「小奇麗」なスタイルをしていた程度だった。因みに腫れぼったい一重。コンタクトレンズも怖くて出来ない人間だったから授業中だけ眼鏡。
勉強を頑張ったり、何かしらの成果物を残す方向で、皆に認められようと努力し、クサイ言葉だけど「ありのままの自分」の姿で生きてきた。
メイクに抵抗があるのは、中学の頃からずっと。何だか顔に美術を施してるみたいで…何よりもメイクしたら最後。まるっきり自分の顔じゃあない。本来の自分はどこ?
正直顔面詐欺だ。詐欺な顔で友達を作っても(釣っても)、この顔で寄ってきた子達と友達になっても真の友達じゃないし、何か仕事をしても正当な評価じゃないから。だから、不細工だけど小奇麗にしていて数字を残していれば、私はそれで良いと思い込んでいた。
それは、非常に浅はかな考え方だった。それに気が付いたのは、進学してからだ。
1個上の先輩を好きになった。電車の窓に映ったスッピンの私の顔がどこか「女」の顔になっているのが、自分でも解った。ほっぺたはどこか赤いし、表情が違う。変な言い方をすると、世界中の人達を愛せる様な、今なら何でも許せる、そんな大らかな気持ちを抱いてた。体中がポカポカして、無意識にスキップでもしちゃうんじゃないかって位。
先輩に告白したい。でも出来ない。しちゃいけないって解ってた。理由は2つ。
好きだったけど、偏差値も人として(既に先輩は大人と対等に会話できる人だった)色々スペックが違い過ぎて。お呼びでない感はもう空気感で伝わった。私は告白なんてする土俵にすら上がれない事は、本能的に悟った。だから、告白できなかった。
それから、先輩は煌びやかな造形美な女性が好きだった。北川景子や佐々木希、滝川クリステル。同級生や学内に居る女子に対しても、そう言った華やかな女子に対する態度と、素朴な女子に対する態度とはあからさまに違っていた。
私は自分のちっぽけなプライドをへし折って、メイクしたり垢抜ける事は出来なかった。結局は自分の個性を、私は取ったんだ。初恋だったのに。今ある自分の素材の範囲内でのオシャレと減量(163cn 46kgになった)。私のプライドと折り合いを付けた努力は、その程度だった。案の定、造形美な華やかな女子や先輩方とは、足元にも及ばなかったし、一緒の空気さえ吸えない程の外見。
そうこうしていると、私は某男子から告白された。外見が太ってて背も低くてキモい男子だった。例えるなら、銀魂の「ハタ皇子」そっくりだ。性格は社交辞令を真に受ける様な、それでいてナルシストな男子。学校の皆は彼を茶化しちゃいけない相手として接してきた。何か茶化したら、ちょっとした一言で自殺しちゃうんじゃないか。そんな様な男子。
どこかのブログで「僕は性の対象として観てない女子から、性の対象として見られていたと知った時ゾッとした。好きでも無い女子から告白された時、「死ね」と思った。精神的にもダメージが大きかった。だから、不細工と自覚している自分からは絶対に告白しない。正直言って、相手の女性からしてみたらテロの被害者である。」というのを読んだ事がある。
まさにその通りだった。私は彼から告白された時、丸で末期がんを診断されたかのような、奈落の底に突き落とされた。
私の事が好きな事は何となく解ってたけど、クラスメートとして、適度な距離を取りつつ、挨拶をする程度にしていた。私は彼に対して決して誤解を招く様な発言も行動もしてなかったと思う。害はないと、思っていた。だから、ノーガードだった。突然呼び出されて、告白された。
「何で私なの?」
「だって、〇〇さんは美人だし、△△さんは可愛いし、僕には到底告白なんて無理だから。でも、貴女は僕とあいさつしてくれるし…」下を向いたまま、何故かコーヒーのストローの紙でずっと折り紙?をしている。
つまり、私は彼にでさえ「コイツなら嫌とは言わないだろう。素直だから、自分の意見を持たない良い子だから、自分にも手が届きそう。」と思われていた程度の存在だった。
自分の市場価値というものを、痛いほど実感した。先輩に好かれたいとか告白なんて、もう絶望的なレベルの人間である事も、十分痛感した。
こんな精神的に病む事を、先輩に経験して欲しくない。だから、今の私は、先輩を好きになる事すら迷惑がかかる存在。一方、ハタ皇子の気持ちもよく解る。だから丁重にお断りした。それでも毎日毎日、距離を縮めてきて「友達だから、良いよね?」と昼食を同席してきたり、フィールドワークの際もついてきた。終いには、「昨日、忙しそうだったけど、なんのイベントだったの?友達なんだから聞いても良いよね?」とやたら詰め寄ってきた。
「友達」という大義名分で、どんどんとハタ皇子が近寄って来て、気持ち悪いという気持ちがやがて、「ウザイ」になった。
「いい加減にしてよ!」と叫びたかった。でも、言えなかった。私も、一歩間違えれば絶対に先輩に盲目になり猛アピールしてたと思う。そうなったら先輩は私を再起不能にするまでに一喝するだろう。それを想像すると、背筋が凍った。だからハタ皇子の気持ちも解るし強い口調で「いい加減にしてよ!」だなんて言えなかった。
私は、考えるに考え、笑顔を作りつつも、徐々にフェードアウトして、なるべく同じ授業を取らない様に、気を使いながらニアミスしない様に、学校生活を送った。
そして7年が経った。
私は卒業してから、アイプチに手を出し、都内の有名美容院巡りを経て出会った女性スタイリストさんが独立して経営する小さな美容院に通っている。
お堅い仕事柄、スーツだけれども、私服も、シンプルながらも地味すぎない、小物を使ったファッションを採り入れて、無理のない、背伸びをしない、オシャレを楽しむ女性になった。雑誌は買わないけれど、オシャレな女性を見ては真似をしたり、服の配色や自分が絶対似合う服を把握。女を楽しんでると思う。
アイプチの効果は偉大だった。周囲の人たちの態度がまるで違った。人扱いから、贔屓扱いしてくれるようになった。「可愛くなったねえ」「お姉さんになっちゃってまあ」。苦手だったコンタクトも克服できた。因みに、つけま・カラコン無し。アイメイクもアイプチだけ。と言うか出来ないよね、アイプチノリだし。
社会に出てから、男性から告白されるようになったし、「美人」とか「班のマドンナ」とか言われるようになったり、視線も多く浴びるようになった。周囲から見返りを求めずチヤホヤされる事も初めてされた。女扱いが初めてばかりので必然的に私は、しどろもどろで腰が低くなる。「調子に乗らない良い子」「付け上がったり高飛車じゃないから良い」とか。
人間ってここまで私は変われるんだ…プライドをへし折った、それだけで。別世界な社会人生活を送っている。
人間ってここまで外見が違うと扱い方が変わるんだ…。人間不信じゃないけれど、人間の心って不思議だな、と思った。同じ「私」なのに。
漸く、軍資金も、経済基盤も、社会人としての生活も、衣食住も、整った。
けれど、卒業後から同窓会などには一切出ていない。例の先輩に私が何故か告白しフラれた事になっている様だ。そしてハタ皇子からはリベンジをされそうなので(実際FBに友達申請が来た)恐いし、正直行けない。先輩の件も、ハタ皇子の件にしても、その二つを考えると、どうにも腰が重くなった。
経済的にも精神的にも女としても、成長したら、先輩に告白するつもりだった。今がその時だと、思ってた。腰が重い…でも、その思いはムダだった。
既に先輩は就職して赴任先で出会った、同業他社の女性と結婚したみたい。去年から東京に戻ってきたみたいだけれども、もうパパなのかな。
「遅かったか」と思ったけれど、不思議とショックはそこまでなかった。だって、好きならお互い自然にそうなってたはずだし。それに、社会人になってから「人を好きになる事」という事を改めて実感した。身が焦がれるような恋が、この世にこんなにあるんだって事も知ってしまったから。素敵な男性が、沢山いるんだって、知ってしまった。
だったら学生時代に、告白してればよかった?という思いがよぎる度に、ハタ皇子からの告白の精神的ダメージを思い出し「私は正しかったんだ。」と思えた。
何よりも、このプライドの高い私が、メイクに手を出し、自分を変える・捨てる、なんて一新させ、今の生活があるのも、ハタ皇子のおかげなのだ。
ハタ皇子が私の市場価値の低さを、結果的には教えてくれた、目を覚まさせてくれたんだ。
いつか、私が好きになる男性に、失礼のない様に、見た目も可愛くなる様に、ほどほどに気を配るつもり。
因みに、二重になったので、今はアイプチを卒業。今は普通に昔の同期と会ったり、先生と会ったり、コミュ障も大分なくなったかな。
私にとって、自分を見つめる事は、とても大きな壁だったけれど、強引な形で向き合わざるをえなかった事で、喪女的外見から卒業できました。
でも、矛盾しているけれど、今でもスッピンで勝負している女性達にはエールを送りたい。私は負けたけれど、彼女たちの「ありのままの姿」で家族を持ち生活を送る方々には敬意を示したいと思っている。
乱文で御免。ここまで読んでくれて、有難う。
鹿児島県知事の発言から始まる一連の流れを眺めてて思うんだけど、中高では一般的にどんな科目を教わるんだろう?
私はずっと公立育ちだけど中高一貫だったからたまに認識のずれを感じる。
高校二年までに最終的に私文に行った人も全員数Ⅲまでやってたし、私(理系)も地理日本史世界史倫理政治経済全部やった。
まあ日本史は江戸時代まで、世界史は19世紀くらいまでで終わっちゃったんだけど。
(どっちかっていうと近現代史をやった方が良いと思うんだけどね)
私は(理系にもかかわらずw)数学物理苦手で国語英語社会が得意で得点源だったな。
一番好きな科目は倫理だった。
倫理だけ定期考査が150点満点で、100点分は普通のテスト、50点分は800字小論文。この小論文のお題がいつも面白くて好きだった。
物理化学は終わらなかったけど生物は高二までで範囲完了したから、高三のときの生物選択者はフィールドワークしたりマジックフルーツを食べる実験をしたりしてみんなの怒りを買っていた。
というか文理分けが遅かった。他校の友達は二年からで私は三年から。
国語の授業は高三でも文理一緒だった。正確に言うと文理一緒に4コマ+文系だけプラスで2コマ取れる、みたいな感じ。
理系で必要ないと思う人は自習可だった。でもなんだかんだ言ってみんな授業受けてたな。
私は二次試験で漢文までばっちり出たから普通にガリガリやってたけど。国語好きだし。
私は勉強って好きでいろんな科目教われるの楽しかったなーって思うから科目減らすのには反対だな。
今でも将来的な専攻に関わる科目と同じくらい哲学とか英文学の講義が楽しくてしょうがないし、
私と逆パターンで数学好きすぎて経済に行くつもりだったけど理転して数学やることにした人も知ってるし、
可能性は狭めない方が良いと思うんだよね。
一緒にいる専門家よりも早く
種類や名前を分かって言い当てるのがすごいなと思う
そんでもって、それを調理してめちゃ美味しそうに食べるのがまたいい!
ほんとうに美味しそう。
なごむ~
渓流釣りでは、あなた方と同じように、早朝に山の中の渓流に入り、お昼に山を降りて昼食をとり、再び夕方まで山にこもる、なんてことが時々あります。なので野トイレ上等ではあるのですが、やはり生理に関しては同じ悩みを持っていました。
「急に生理になってん」とか「今日生理痛めっちゃしんどいねん」と言ってしまうのが一番良いのですが、なかなかそうも言ってられないですよね。
で、おばちゃんなりに考えたのですが、緊急セット(夜用ナプキン/タンポン、鎮痛剤、トイレットペーパー、汚物持ち帰り用の防臭加工のビニール袋など)を研究室の備品として用意しておいたらいかがでしょう。
考古学のフィールドワークがどのような形で行われるかわからないのですが、救急箱を持っていくようであればそれと一緒に、そうでなければその他備品と一緒に保管/運搬してもらうのです。
もちろん、中身が見えないような入れ物に入れておいて良いですし、在庫のチェックなどは女性陣が行ったほうが良いと思います。また、別に研究室のお金で用意しろと言いたいのではなく、使う人たちのカンパで買っても良いのです。
でも、それが研究室の備品としてあるだけで、女性陣はいざという時の安心感が持てますし、研究室の管理責任者たる先生も「言われて初めて気づく」のではなく、あらかじめ留意しておくべき事柄だと意識できると思うんですよね。
フィールドワークをする以上、けが人や急病人が発生した時の対応については考えてあると思うのですが、それに類似する事項として織り込んでもらうのです。
「実は生理が…」だと言う方も言われた方もバツが悪いかもしれませんが、織り込み済みであればそういった思いを減らせるんじゃないでしょうか。
あ、ちなみに研究室の先生の協力を仰ぐのが難しい、または恥ずかしいようであれば、女性陣でそっと緊急セットを用意するだけでも、十分安心感を得られるかと思います。
体験談というか、フィールドワークといえるのではないかというほどの知見に感服しました。当事者の声を聞くという方法もあるのですね。あの時はそこまでの余裕がありませんでしたけれども、試行回数を増やせばそういったコミュニケーションもとることができるようになるのでしょうか。
確かに、相手方に任せっきりで、こちらの要望を伝えるようなことはできていませんでした。というか、自分でも何が気持ちよくてどういった刺激が自分に合っているのか、よくわかっていないみたいです。
自分が背中が弱いというのも初めて知りました。ただ、性的な快感という感じではなくて、単に触れられる機会がこれまでなかったために、不意に触られるとびくっと反応してしまう感じではあります。
抱き合ったり、ちょっとしたときに手を握ってくれたり、腿とか腹とかに手を添えられたりといった接触でも、彼女の手は少しひんやりしているのに、触れられている部分がなんとなく熱を持つような、落ち着くような感覚になったのも、初めて知った体感でした。
もしかしたら世の中の大多数の人々はそういった試行錯誤をパートナーと一緒にしているのかと思うと少しばかり暗澹とした気持ちにもなりますけれども、経験値の差はいかんともしがたいように思います。
RPG や SRPG みたいなゲームで、控えのキャラクターや途中参加のキャラクターをいきなり実戦で使おうとしても戦力にならないわけで、敵のレベルが低いところとかトレーニング場みたいなところで経験値稼ぎをしなければならないわけです。これまで経験値を蓄えてこなかった人間は、こういった場を使うことで修練を積むことができるのかもしれませんね。
ただ、ゲームと違って現実では、こういう場での経験が実戦で応用できるかというと、少しばかり疑念が残ったりもするので不安ではありますが。
なるべく皆が憧れるようなハッカーのことを調べて、知恵袋とかLINEQなどでフィールドワークをしてきた。
その結果分かったことはIPアドレスについては未だ価値があるということだ。
いいんだよwhoisしちゃえばいいんだよ。
そして住所抜いちゃえよ。
関連記事
http://anond.hatelabo.jp/20150219004340
OKOK、Whoisで相手を恐がらせることは出来ても、IPアドレスを奪取できなければ片手落ちだ。
『僕のIPは127.0.0.1です』という情報を鵜呑みにしてしまうことにもなる。
さてどうやって奪取するんだ?
まずは準備だ。
この準備は一回やればいい。
レンタルサーバーにすると比較的安くかつ1〜4の作業が簡略化されるぞ。
あとは実践だ。
メールアドレスを知っていて、相手がHTMLメールを許しているならば
別に公開サーバーを用意しなくても自分のパソコンを一時的にHTTPサーバーにすればいいが、
それだと相手にも自分のIP分かってしまう。(whoisされちゃうぞ!!)
(あ、ドメイン契約するときは本当にwhois気をつけろよ。お名前でorg取ると面白いことになるからね)
薬作ったりだとか、フィールドワークしたりだとか
元々現象論的な要素が強い分野は特に機械学習に侵食されやすいと感じる。
(ヤバいのは実際上はガッチリした基礎理論が存在する分野でもそれいらねーって感じになってきてるところなんだけど。流体力学とか。)
ちょうどさっき話をしたNIPSにこんなのが出ている。
http://www.bioinf.jku.at/publications/2014/NIPS2014c.pdf
学会に出てくるのは企業的にはもう通り過ぎた地点だから、実際はかなり進んでいると考えるべきと感じてる。
特にディープラーニングの流行のパワーは本当に凄くて、現在世界で一番金持ってるクラスの会社がアホみたいに投資して優秀な人間を大量に囲い込んで辺りを焦土にしながら突き進んでいくパワーがある。
http://anond.hatelabo.jp/20140817161450
真似して書いてみた。
オンオフ問わず、おいしい場所にめざとく顔を出して存在感を示す一方、
目の付け所を少し捻っただけで内容ゼロなこけおどしコメントしか出さない。
斜に構えたコメントを出して、その文化人にマウントしようとする。
実際に何者なのかを説明できる人が誰もいないという謎めいた人物。
テキブルー 転調(id:mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2)
ありきたりな自意識や価値観、精度の低い論考しか書けない上に、
些細な誤解すら恐れて思考の過程を細大漏らさず説明してしまうので、
長く締まりのない文章を、それでも我慢して最後まで読んだ結果、
要点がどこにも無いことに気付かされる悪質な文芸。
テキフレンチ コオロギ(id:Lee1Q84)
テキブラウン 夕タヌキ(id:forafareta13)
つい先ほど、増田で晒されているのを見て知ったデブ差別ブロガー。
オフ喜利、ひだけーだい、大人たばこ養成講座あたりに似た匂いがする。
急ながら、要監視対象として追加しておく。
ゲンレッド 齊藤貴義(id:netcraft)
はてな民らしからぬ主体性と行動力がもたらした多様な人生経験談は、
ゲンイエロー ガラニート(id:galaneet)
ワンテーマでブログをやると面白くなる事実の手本を示している。
ゲンピンク ℃-uteが見せてくれた奇蹟(id:idealogos)
仕事や広告の内容から、アイドルの売り出し戦略について考察したり。
どれも独自の視点で語られていて、読みごたえがある。
変に見栄を張らず、正直に語る点では女性に軍配が上がるのではないか。
ゲングリーン こぺんた
はてなの良い生物ブロガーを知らないので、外部の人を紹介する。
同じ趣味を持つ人なら、この人のすごさがわかるだろう。
フィールドワークをしている生物ブロガーのテキストは、短く素っ気ないもののほうが面白い。
画像に収められた野生の美こそが価値の中心だから、下手な文芸はいらないし、
ある場所である生物を撮影したという事実が、すでに何十何百の言葉を語っている。
語らないことで語る。間接的、暗示的に語る。
http://luvlife.hatenablog.com/
何の変哲もない身辺雑記ブログは、書き手も読み手も隠れ家の気分に
浸れることが唯一の魅力であり、人気が出ることはブログの死に等しい。
この人はそれがわかっている。
「大学教師が新入生に薦める100冊: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」のCSVファイルを重複排除・ソート。出現数3回以上だけを抜き出してみた。記号が統一されていなくて漏れてしまっているのもあるかも知れない。(ゲーデル、エッシャー、バッハ─
の長音風記号はなぜか統一されていて、Amazonでも全く同じ表記)
なので、山に捨てませんか?
北陸辺りの山にさくをつくって、「米、味噌、風邪薬、丈夫な布、野菜の種(育てる用)、油、鶏程度」を定期的に支給。
クズっていっても彼らはこちらから見たらクズなわけで、そういう生活には強いでしょう。
で、だいたいそういうのって、男ばっかです。娯楽にネットを与えとけばいいでしょう。
それで自治させる。
5000人ぐらい底辺層を送り込みましょう。
家賃と水道は不要なわけで、電気はソーラーパネルを数台貸し出して、シェアさせましょう。
食費を自炊させれば、1食100円で何とかなるでしょうから、月に3万ぐらいでしょうか。
3万円×5000人で月間1億5000万円かかります。
でも考えてみてください。月1億5000万円で、害人が排除できるわけです。
これ、募集かければ、社会不適合って自覚してる害人が応募してくれるのではとおもっています。
刑務所より安いです。どちみち、こいつらは刑務所か生活保護にお世話になるのです。税金が5倍、10倍とかかります。
それであれば、フィールドワーク!とか、若者活性!の名の下に、「居場所」を提供してはどうかと、インターネッ党としては思うのです。
貴重な労働力とか、そんなんにはならないわけです。そいつらはどうせ。
なら、放り込んではどうか、と。
下手にゴミ人間に社会復帰して働け、とかいっても無理だと思うんですよね。一定数遺伝子的に発生する、不適合者、だとおもうので。
なら、クズ捨て山で好きなだけニートライフを送ってもらえば、とおもうんです。
刑務所は管理コストかかるし、生活保護も審査や使途の管理などしなくてはならず、大変です。
どうでしょうか。年間1億5000万円×12で、18億年間でかかりますが、そいつらは社会に存在したときの悪影響を金銭換算すれば、余裕でその10倍、20倍をこすわけです。
死ね、とはいえません。クズ捨て山にほりこめばいい。殺処分予定の猫もそこに大量に送り込めば良い。癒しにもなるだろうし、クズどもが食べるか食べないかでもめたりしながら更正するかもしれません。
最近、地方の低学歴だけど、そこそこ幸せな「マイルドヤンキー」が話題
http://b.hatena.ne.jp/entry/diamond.jp/articles/-/48951
数週間前に、東京の湾岸マンションを渡り歩く(住まいサーフィンする)「湾岸タワマン空中移動族」が話題になったが、
「タワマン族」と「マイルドヤンキー族」の価値観が真逆な気がしてならない。
★「マイルド・ヤンキー」という概念が最近出来ている。家族の絆を重視、ネットより口コミ重視。
★東京湾岸タワーマンションの「空中移動族」とマイルドヤンキー族の生き方は真逆。
「タワマン族(とその子供)が逆にマイルドヤンキーになれるか?」といえば、能力的・生理的に「無理」だと思う。
一例:タワマン族は「虫が大嫌い」「電車が10分に1本以上来ないエリアは日本じゃないと思う」
★湾岸タワマンの空中移動族は、情報収集行為そのものが快楽。だからマンション相場をウォッチングすることそのものが趣味と化す。
タワマン族は「情報収集出来ない環境」に1日も耐えられない情報中毒。タワマン族がヤンキー族になれない所以。
ダイヤモンドにあったが、価格コムみたいな価格情報サイトの利用者は(低年収じゃなく)高年収が多いらしい。
「生活苦で止むにやまれず価格コムを使う」というより、「価格サーフィンが趣味で楽しんでる。」
★マイルドヤンキー族はなけなしのカネをワンボックスカーに使い、タワマン族は大金を住宅ローンと教育費に使う。
ワンボックスカーはマテリアルでリアルな経済価値。分かりやすい。
一方、タワマンの価格の半分以上は「土地の価値」と言う可視化できないバーチャル価値。
つまり、マイルドヤンキー族はマテリアル・リアルな価値を重視、タワマン族はバーチャル価値・先行投資を重視。
「将来が見えないから、最大限将来に備えた投資をする」のがタワマン族。タワーマンション然り、教育費然り。
一方、「将来が見えないから、見えてる今を楽しむ」のがマイルドヤンキー。
★タワマン族はネット上に顕在化した情報を収集したり加工分析するのは得意。
一方、ネット上に顕在化してない隠れた情報を見つけ出すのは大の苦手。
というか、ネット上に可視化されてない情報は、タワマン族的には存在しないことになっている。
マイルドヤンキーのカテゴライズがネット上で可視化されたのは最近。
だからタワマン族はマイルドヤンキーの存在自体を認知できなかった。
★一番の問題は、マイルドヤンキー側は「東京の城南城西湾岸に、自分たちとは違う人種が住んでいる」と自覚してるのに対し、
城南城西湾岸民側は「日本国内にマイルドヤンキーという人種が存在している」ことに無自覚なこと。
遊ぶのも柏や大宮や立川で、年収600万円の都心の仕事より、年収400万円の大宮や立川の仕事を選ぶ
しかしデベ関係者は、1都3県の若者は皆都心7区志向(勤務先もプライベートも)と固定観念で思い込んでる。
※多分野村不動産は「首都圏外縁マイルドヤンキー」の存在に気付いたんだな。それがオハナ
年収800万はある都心大企業社員がマイルドヤンキーを肌感覚で理解してなくて困る」とダイヤモンド紙上でこぼしてるが、
マイルドヤンキーを体感するなら、柏や大宮辺りをフィールドワークすれば、ある程度判ると思う。
★「エリアの中学受験率とマイルドヤンキー率は反比例する」説。
朝日新聞やNHK記者とかは、城南城西エリアに住んでるから、自身の子供も、同僚の子供も、子供の同級生も、皆受験してる。
そういう記者は「日本全国に中学受験がある」と勘違いした記事を書く。
親が同居又は近居なマイルドヤンキーエリアでは保育所不足はあまり深刻じゃないが、それを在京マスコミはあまり報じない。
北陸辺り、保育所が余りまくり、「子供の社会性を育むためには、ある程度の規模が必要」と統廃合してるのだが、
首都圏住みらしいママが「保育所が不足」と必死のツイートしてたりするが、そういうママに「北陸じゃ保育所余ってる」と
だから、「日本の少子化問題の半分は東京一極集中問題なのであって、首都圏への社会転入を社会転出へ変えるたけで、
★名古屋は「日本一のマイルドヤンキー都市」な気がする。京阪神や札幌・福岡は東京志向なのでマイルドヤンキー率低い。
出生率ワースト10自治体に、札幌・東京・京都・大阪・福岡はランクインしてるが、名古屋は入ってない。
(もっとも、皮肉なことに、可処分所得が東京の次に多いのは名古屋。つまり「高所得マイルドヤンキー都市」)
★マイルドヤンキー的生き方と湾岸タワマン的生き方、どっちが幸せなのかは悩む。
マイルドヤンキー族の子供が三木谷や孫みたく「成功」する確率は0.3%。これがタワマン族だと3%に跳ね上がる。
⇒「成功確率が10倍になるからガンバレ」と中学受験に必死になるのがタワマン族。
「タワマン族になっても、成功しない率は99.7%→97%になるだけで、誤差の範囲」と見るのがヤンキー。
どちらも正解だと思うのだが。
マンション地域と土着戸建地域の両方の児童館的な所に通っているけれど、
土着戸建地域の人々は子供の育て方に妙に自信たっぷりで安定感がある。
土着戸建地域で「うち、離乳食始めたのは遅くて7か月からなの(にこにこ)」というお母さんがいたけど、
てっきり、土着戸建地域はジジババ総出の子育てだからだろうと思っていたのだけど、大量の情報の中から常に選択する生き方を
していると自信もなくなるのかもしれない。
たしかに院卒であることが必須だったりするような世界では、趣味とはいえないかもね。医者になるには医学部必須みたいに、好き嫌いに関わらず、その方面に進むためには通らざるを得ない道という意味では。
でも、その他の世界、つまり院卒であることが必須ではない世界の方が圧倒的に多数派でしょ。院なんかだと、わざわざアフリカみたいな辺境に行ってフィールドワークとかしたりするけど、ただ単にそういうのが面白そうだからやるだけで、別にそれが将来の職能のために必須だからやってるわけじゃない。だとすると趣味っていってもいいんじゃない?
別に趣味だからといって悪いっていってるわけじゃないし、修論書きあげたってだけで、がんばったんだな~って思うよ。でも結局趣味系の「○○検定」の1級もってます!ってのと同じようなもんじゃないかってのはいつも思うね。
フィールドワーク柄、定時はない
そのくせ帰ってくる時間19時がザラ
早く帰ってきてと言ったらいいけどあたし大変だよ?みたいな感じで拗ねだす
チビの対応はしない。飯作ったらiPhoneいじってる。泣いてても喧嘩してても一切応答しない。
父親はアスペ
家でキレる、仕事のことで。もうやめろと何回も言ってるのにキレる
直情的、子供の前で教育者はバカとか平気で言う。本当ならお前が教育者だろうが
仕事に倒錯してる。絶対やめない。だいたい23時過ぎに帰ってくる
俺は精神科通いだしてからやっとわかった。この家はかなりおかしい。
新物資発見だノーベル賞だとか二人でくそみたいに盛り上がってる中5歳の妹は泣いてんだわ
クソすぎる。クソったれのクソ。終われ。全部なかった事にしてくれ。
年下の弟妹がいる限り俺みたいなやつはまた出るかもしれない
俺が全部面倒みるのか?つーかできるだけみてるけど、はやく出ていきたいんだよ
やめろよくそくそくそくそあーーーーーーーーーーーなんなんだよこれがもしかして人生ハードモードってやつなのか?
それが子供四人いる、おれ、精神科医になろうと思う。わりと本気で。
不憫で仕方ない これ生きない道もあるのか?
ねーよ、殺せない。できない。
この世に生んだ両親を深く憎む。同時に普通の生活ってなんなんだろう。満たされたい。
どうすれば救われる。どうすれば。
アカデミック・スマートの対義語はストリート・スマートということになっている。ストリート・スマートは、答えのない問題を解くことに長けている、とか。
答えのない問題を解くとは、まさにアカデミックだ。
大学で学ぶことは、答えのない問題にどう解くか、ということに始終していた、と思う。理系がなんで実験したり、数式を解いたりするのか、文系がフィールドワークを繰り返したり、古い文献を探しまわったりするのか、といえば、それは答えのない問題を解くためだ。既存の枠を壊すもの、定説を覆すものを見つけだしたい、と願うのはアカデミックだ。
あるのかもよくわからない物質を探すために本当に大規模な実験装置を考案して、製造して、運用して・・・なんてこともアカデミック・スマートはするわけだが、それにはどれぐらいの人とお金がかかっているのだろう。
ストリート・スマートという言葉のでてくる文脈でのアカデミックとは、アカデミックではない。形式やいままでの習慣に固執する、変化を嫌うひとたちの総称として「アカデミック」という言葉が使われている。
それはストリートを自称するひとたちが「アカデミック」にそういう否定的な印象を持っているから、なのかもしれない。自由を信奉するひとたちが、保守を嫌うような。性悪説を好むひとが、性善説を嫌うような。
頭でっかちなんて嫌いだ! と言いたいのにストリート・スマート/アカデミック・スマートという偏見(自分を持ちあげて、だれかを下げるような)に立った対義語をつくるあたり、ストリート・スマートを自称するひとたちは我が強いというか、肉食というか、ナルシストというか・・・少なくとも過激で、攻撃的なひとたちということだろう。
自分らで思ってるわりには有力でも有名でもないことで有名な私立大学の文系学部に入った春、僕は貧乏人たちと出会った。
奨学金の存在自体は知っていた。優秀な学生や困窮の極みにある優秀な学生が実質無料で高等教育が受けられるなんて、日本はなんて良い国なんだろうと思っていた。さすがは先進国だ。福祉が違う。おかげでどこかの学生みたいにバイトなんかしなくてもいいし、一心に勉学に打ち込める。うち程度の大学にはあまり縁のない話だが(まあしかしその程度でも援助に値する将来性のある人材はいるものだ)ともかくもすばらしい。大学全入時代とは、つまりみんなが好きに好きな分野を学べる、そういう幸福な時代なのだと勘違いしていた。国がお金を「くれる」ものと。
例えば目の前に一人の先輩がいる。彼をA先輩と呼ぼう。A先輩はまるで平凡なナリと面の童貞で、平凡な成績で、おそらく家庭環境も平凡なのだと推測される。父がサラリーマンで、母が主婦兼パートタイマーで、かつ子ども自身は地方公務員を志向しているような、僕の感覚すれば極めて平均的でありふれた家族。一億総中流の名残。
意味がわからない。彼の成績はなるほど悪くはないが、抜群ではないし、っていうか講義サボってるし、飲み会で聞いた生い立ちには生活保護の「せ」の字も出て来なかった。
その上バイトもしているという。
意味がわからない。あんた、奨学金受けてるんだろ? すると彼は不思議そうな顔でこう答えた。
聞けば、大学四年間で支援され他数百万を、後日弁済しないといけないという。する義務があるという。血の気が引いた。
地方公務員の給料というのがいかほどは知らないが、少なくとも完全に返済するのに何年もかかる額であることはわかる。自分の生活を切り詰めないと、ひねり出せないような負担だ。バカなのかと思った。なんでわざわざ借金しに大学に通ってるんだ? なんで高校卒業したら即就職しなかったんだ? そんないい大学でもないだろ? そんないい将来が望めるような就職予備校じゃねえだろ? マゾなのか?
もう一人、A先輩と似たような境遇の童貞が存在する。彼をB先輩と呼ぼう。バカのBだ。B先輩がA先輩と違う点は、大学院を志望している点だった。しかも、うちの大学の院。専攻は民俗学。
バカなのだろうか。バカ決定でいいと思う。
私立文系の院が絞首台への階段であることは今時分、三歳のガキでも知っている。僕ですら知っている。信じがたいことに彼は院で更に奨学金、もういい借金と呼ぼうこれは借金だ、大学院で借金を上積みしようとしている。っていうか2012年現在、彼は現在完了形で借金した。学部時代の借金と連結すると、総額で一千万に達する。
今のところ彼が富豪の隠し子で将来的に大いなる遺産が転がり込んできて紳士に成り上がるという予定は聞かない。今儲かるベンチャーの社長の出身のモードが民俗学博士号にあるという事実も聞かない。もしかしたら、その博士号がいずれ投資の倍額で売却できる日が来るかもしれない。
B先輩はA先輩や僕と違い、学問的なポテンシャルやアンビションに恵まれていた。
朝、大学図書館が開くとともに分厚い専門書を抱えて閉館時間まで篭りきりでノートをとるような人。専門外からするとフィールドワークとかしなくていいの?などと心配してしまうが、ある程度は優秀な学生ではあると思う。ある程度までは。
残念ながら、飛び抜けて優秀かといえばそうではない。彼以上の人材は世の中にゴロゴロしていて、たとえばそういう人達は国立大の院などへ籍を置いているはずだ。その差を埋めるほどに処世に長けているかといえば、大人しすぎて不器用な人なので、どうだろうか。
彼自身も漠然とした不安は度々口にしている。「このままでは先は暗い」「不安だ」。バカか。だったら、さっさとスーツ着て説明会行って訳知り顔で頷きながらメモ帳にこまめにネコの落書きを描きつつ質問タイムになったら何も考えてなくても元気よく手をあげろ。
けれど、僕はB先輩がそんなはしたない真似をできる人間ではないことを知っている。それだから、一千万の借金をひっかぶったわけだ。彼が引っ込み思案だという、それだけの理由で。まるでクソみたいに素晴らしい世界だとは思わないか。
こうした個別のケース経験から僕が学んだのは「『中流世帯』の家庭の子供もフツーに奨学金を得ている」「彼らは特に優秀なわけでも、学問的に意欲が高いわけでもない」という事実だった。一人暮らし先に引っ越す前夜、僕は父親から「お前の入る大学なんて、遊ぶかバイトするためにしか学校に通わない役立たずどもしかいない」と失望気味に脅かされたが、彼の認識は誤っていた。彼らは借金をするために大学に通っていたのだ。
ショックだった。僕はそれまで「大学に進学するには『普通の家庭』の収入で十分」と思っていたから。だって、そうじゃないと日本人の半分も大学なんかいかないでしょ? そうじゃないと誰もこんな大学入らないでしょ?
B先輩のように「学問しかない」人間ならまだ理解できる。人生を賭けるとまではいかなくても、わずかでも学問に興味を抱く人間ならば平等に機会を与えられるべきだと思う。でもほとんどの三流大学生に学習意欲などはない。彼らはただ高校時代や中学時代とおなじように「大卒」の資格を得るためだけに出席カードに名前を書いている。
わからない。そこまでして「大卒」の資格を得たいものなのか? 何百万もの借金に見合うような肩書きなのか? 半世紀前ならいざしらず、就職市場は冷えきっている現在では数年で借金を完済できるような職などまず望めない。学生時代にかけられた呪いと向こう十年二十年はつきあっていかなくてはならない。「大卒」資格と引換えに。
僕の地元の友人は、高卒で地元企業に就職した。彼は家に相応の金を入れつつ、こつこつと貯金をためながら現在の彼女との結婚のために準備しているという。
彼は兄を憎んでいる。彼の兄はやはり地方の無名私立大学に入学して、穀潰し生活の六年目に突入しており、その学費の一部は友人の「上納金」から出ている。長男にまだ一定の優越権が認められている田舎の話だ。
友人はそれなりに頭は良かった。勉強好きではなかったが、努力家だった。もし将来を見据えて本腰をいれて勉強に励めば、僕なんかよりランクが上の大学だって夢じゃなかったはずだ。だが彼は「うちにはお金がないから」という理由から進学を断念して、高校で僕と道を違えた。僕は彼の家の貧乏を哀れんだ。彼が「特別なケース」だと錯覚した。でもそうじゃなかったんだ。友人の進学を阻んだのは「お家は長男のために」という冷徹な田舎の力学であって、「経済的理由」は二次的な障壁に過ぎなかった。今うちの大学は、彼の家とそこまで経済事情の違わない別の地方の子供たちで溢れている。彼らには友人と違って、憎むべき「兄」が存在しない。自分を恨むしかない。惨めな私立にしか入れなかった自分の頭を。
就活生の狂気じみたテンションは、そんな後ろ暗さを払拭したいところから生まれたのかもしれない。そのチャンスを逃したら、借金は一気に人生を破滅させる獣へと変わるのだ。意識が高くないと、やってはいけないのだろう。
経済的価値においてはすでにひっくり返っている気がしないでもない「大卒」の肩書きを、それでも「行っといた方がベター」という空気のために、手に入れなければならない。「大卒」は「高卒」よりも選択肢の幅が広がるし、立派な生活が保証されるという。本当だろうか。東大京大早慶以外の大学でもその神話は有効なのだろうか? 明日潰れるともしれない中小ブラック営業職で十八時間労働を強いられる「大卒」は定時であがれる僕の友人より幸せなのだろうか。二十年後三十年後の給料に差はでるかもしれない。だが二十年後三十年後に前者はまだ生存していられるのだろうか。
飲み会の席で、A先輩の伯父さんが最近自殺したという話を朗らかにされた。
「そうなんだよ、死ねば奨学金帳消しになるんだよ、死ねばさあ〜」
なぜ彼は笑っていたのだろう。