はてなキーワード: 看板とは
イタリアンってのは、そもそもリストランテであっても、客を受け入れる、ある程度のカジュアルさがほしいよ。
そんなものを要求したからには、客を楽しませる絶対の自信がほしい。
お高くとまってそうな店では、ワインのセレクトをスタッフに任せてみる。
客をうならせるようなペアリングと説明が聞けなければ看板倒れだ。
そんな俺は、最近、スペインのガストロノミーが最先端をいっていると感じる。
驚くほど自由だ。そして美味い!考え抜かれて組み立てられた料理のはずが、なぜか味わう者の心を自由にしていく。
タパスとかピンチョスとか小皿料理のバル文化と溶け合う、あの食文化、面白い。
ワインの世界もだ。これまで勝ち得たステータスにあぐらをかいてしまって、先に進むことがなければ終わりだ。
スペインのみならず、南アフリカとか次々に素晴らしいワインが世に現れているなかで
コンビニ店に並んでるチリのテーブルワインの味が安っぽいかといえばそうでもないぞ。
イタリアンも、前菜→パスタ→メインみたいな既成概念、捨てちまえ。
純粋に客と向き合え。
シチリア、プーリア、サルデーニャ、ピエモンテなど。。特定の地域に思い入れのないレストランは面白みがない。
去年まで何度か出店出してたけど、頑張って美味しいもの作れば作るほど
仕組みとしてはこう。
となるわけないので、1回こっきりの売り切り勝負。
やたら「○○金賞」みたいな登り上げてたり、松坂牛!みたいな
素材訴求になるのも、それが一番売れるから。
1回、他の店と共同で出した時に、
「唐揚げに使ってる鶏肉が地方の農協か何かの金賞取ったから、それ看板に書きましょう」
みたいな話があって、詐欺かよとおもったけど、それ書いたらバカバカ売れる。
その前の肉の方が美味い確信あったけど、切り替えて正解。
あと、出店料が数万円〜100万くらいまで(たぶん、もっと高いところもある)
かかるので、2〜3日間で効率良く売れないと大赤字を食らうことになる。
500円のもの売るなら、2000食売らないと100万にならない。
3日で2000食をだいたい時間に直すと1日8時間として時間85食。
まあ、ピーク時とか売れる時は時間300食とか余裕で出るんだけど、
包材も持って帰るとクソ場所とるし。
3日間くっそ寒い中で外に立ってバイトの時給さえ、まともに稼げないとかマジである。
そうすると、当然リスク取りたくないから極力原価の安いものを使おうって話になる。
・原価が粉もので1割以下
こういう話書くと「店の看板背負ってくる屋台は大丈夫じゃない?」
と思うかもしれないけど、それも無い。
美味いもの食いたいなら行かない方がいいよ。
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フェスでありそうなやつだなーと俺が思ったからまとめちゃったけど。
催事のモデルはおそらく試食→持ち帰り物販とかの動線がしっかりしてて
おそらく客単価も物販含めて3000円くらいまで見込めそうよね。
今回の出店したところは出店は慣れしてたけど、催事慣れしてなくて
>出店でも有名シェフの店は美味い
これは、おそらく「招待枠」の話やね。
すべてのフェスがそうではないけど、フェス自体の客引きになるような超有名店は
出店料無料とか逆に最低保証を負担してもらって出るケースとかもある。
うちの店がそこまでどメジャーじゃなくて、招待枠獲得できないだけの
僻みでしかないけどさ。普通の飲食店が出すメリットは少ないよね。
ラーメン屋さんとかは、ふらっと行けるから、もしかしたら宣伝効果はあるのかもね。
ちょっと信じがたい誤解釈というか、ほとんどイチャモン感のある感想があったので、ツッコミを自分のツリーに下げておく。
私は元増田だ。
この人のブログは何度か読んでいる。面白く読ませてもらっている。
その人がこんなにも偏ったというか、ほとんど被害妄想では???という感想を書いてアップしていることに、ちょっと背筋が寒くなっている。
「自分にはもっとすばらしいものが与えられるべきだったのに、そうではなかったから、自分が与えられるべきだったはずのものをもらっているやつらを燃やす」
作中で3人のエリート酔っ払いを射殺した件でニュースに出ていたトーマス・ウェインとおんなじようなこと言うてはる。
嘘やろ。あんなおもろいブログ書く人が。こんなにものが見えてへんようなこと言うものなのか。釣りか?
アーサーが父親に夢を見ているというのはある。あるが、所詮空想の範疇であって(それこそ彼の「母親」のように)病的妄想に駆られているわけではない。
後半で自分で言ってたように、彼はただ温かいハグや親しみの笑みをもって自分を受け入れてくれる存在として父親を欲しがっていただけだ。
だからランディから銃を受け取ってしまったのだ。"My son"とかなんとか言って本気で心配してるみたいなそぶりをしてくれたから。
パンフだったかWikipediaだったかによれば、あいつは実際にはものを深く考えてるように見せたいだけで大して後先考えないタイプで、
だからこそ雇い主に対してアーサーを売っちまい、のちの怨みを買うことになるのだが。
ランディといえば例の銃だが、多くのブログや記事で「小児病棟に銃を持ち込んだアーサーの自業自得」という評価を読んだ。
確かにアレはアーサーの失敗ではあったが、小児病棟に銃を持ち込むこと自体はそこまで責められることかどうか、個人的にはずっと疑問に思っている。
だって普通に通りで仕事してるだけで看板かっぱらわれて殴る蹴るされるんだぞ?
そしてその後に「自衛のため、自己防衛のため」といって銃を渡されるんだぞ?
持ち歩くのが当然だろうが。
アーサーが迂闊だったのはあの時あの場面でポロリしたことであって、
ピエロアクトを始める前にカバンにでもしまっときゃ良かったのにという一点だけだ。
そして発達の私としては、物が銃でなく場面が小児病棟でないだけで、
そういう不注意で細かいドジを踏む機会というのは日常では無数にある。
無数にあるからこそ、私は、銃で小児病棟というシチュエーションがそもそも発生しないように、
いろいろと立ち回ったり細かい工夫でしのいだりしている。
それらは今のところ実っている。
実っているが、なぜ実ったかというと、もうこんなの「運」でしかない。
そんなの私には責められない。
責められないから余計やるせないんだ。
大事なところに限ってやらかすタイプの、クビになって当然の、笑えないミス。
ああ、件の感想記事が、読み返せば読み返すほど恐ろしくて仕方がない。
ジョーカー観てきたとあるけれど、目に入ってなかったのでは?というほど誤読(誤観、か?)が多い。
アーサーはその上司を許さない。自分をあざわらう裕福な奴らも許さない。自分の「パパ」じゃなかった有名人も許さない。殺す。バッキュンバッキュンに殺す。そしてジョーカーになる。
アーサーは上司を殺していない。
殺したのは自分に銃をよこしたランディ、銃をくれたくせに我関せずで貫いてアーサーを裏切ったランディだ。
アーサーは笑われたから裕福な奴らを殺したんじゃない。
例の殴る蹴るをおっぱじめられたから殺したんだ。
そしてアーサーが殺したマーレイは、アーサーのスベり倒したライブの映像を彼に無断でテレビ放送し、更にスタジオに呼びさえした。彼を笑い者にするために。
そして、これは私の持論だが、アーサーはジョーカーになってないし、なれないだろやっぱり。あれら全てが事実なら。
「自分にはもっとすばらしいものが与えられるべきだったのに」。
そもそもアーサーに限っては、これは完全にその通りではないか?
幼少期に母親の恋人から虐待を受け、脳及び神経系に外傷を負った。
これさえなければ、もっと違ったルートもありえたんじゃないか、というのは、そんなに高望みだろうか?
アーサーは大人になった今も、日記で割としょうもない初歩スペルを誤字っている(「下ネタは、いづも、ウケる」)。
アーサーはピエロという「笑うのも仕事のうちだろう?by刑事」な仕事に就いている今でさえ、
「お前のことを嫌がる奴もいる。気味が悪いからだby冒頭のピエロ業ボス」。
ピエロのない日に別のパートタイムジョブを持つか、さもなくばフルタイムで別の仕事をして土日にコメディの舞台に立ったらいい。
他の仕事、あったんかな?
でも、ラミネートカード戻って来んかったんやで、ゴッサムでは(←確かめるためもあって2回観た)
アーサーが徹底して受動的、「りんご食って寝てる白雪姫」なのは、三分の一くらいは肯定できるが、でもやっぱり悪意ある評価に思える。
まずアーサーはマジでかなり受動的ではあって、例えばコメディアンになりたいという夢自体、母が「人を笑顔にさせる人間になりなさい」と言ったから、という以上の動機はない。
その母の台詞も、おそらく「発作」へのフォローかはたまた「発作」等々に端を発するイジメを受けたアーサーへのフォローに過ぎず、母自身アーサーがコメディアンになれるとは思ってないぽい(入浴介助時「あなた、ちゃんと人を笑わせられる?」)。
もうなんていうか、こんなの呪いに等しい。
もちろん「普通は」これを呪いとは受け取らない。呪いと呼ぶには弱すぎる。
でもアーサーは呪われてしまう、その「将来の夢」にすがってしまう。脳の外傷のせいか、アーサー自身に素質があったのか?それはわからない。
アーサーの、あの受動性。ものを判断するときや、自分でその場で考えて何かするときの、微妙な、ちょっとボンヤリとした感じ。
あれと「発作」のコンボがジョーカールートへのかなり決定的なフラグであるってのはあると思う。アーサーが状況を変えることをものすごく難しくしている。
でも、じゃあ例えば受動態人間であるってことをアーサーが自分で変えられるかっていうと、どう考えてもひとりでは無理で(能動的な生き方の受け皿どころかモデルすらない状況だもの)、というか脳外傷から来るものなら誰がいても無理で、あーこれフラグ折れんわー、ツムツムだなあ、となってしまう。みんな病気が悪いんや。病気と虐待が。
まあそれはそれとしても、アーサーは「与えられる側でなければ気が済まない」んじゃない。気が済むとか済まないの問題じゃないだろう。
そもそもあの状態で、母親の介護放り出して家出してどうする??
メシ風呂が自力不可で「みんなが言ってるって、みんなって誰さ。今日誰と会話したの?」言われるくらい孤立してる母親、
郵便ポストを見に行けない母親をひとり置き去りにしたら逮捕されない??保護者責任遺棄的なやつで。
家出したあと住むところは?
あのエレベーターのイカれたボロ家以外にどっかある??アーサーに貸してもらえる???
それと女を口説くことをそんな冒険ポイントみたいに言いなさんなよ…そういうのもう流行んないんじゃないの。
それにアーサー最大の冒険をカウントしないのはフェアじゃない。
コメディアンとして舞台に立ったじゃないか。ネタ帳携えてでも、妄想に後押しされてでも。
母の話の裏付けを取ろうと、ウェイン邸にもデモ会場の劇場にも病院にも行った(どこまで妄想かはともかく)。結構行動している。
これがアーサーをしてジョーカーに変身せしめた動機である。「すばらしいものを与えられるはずだった」というその思い込みに、根拠はない。ないが、なぜかそう思い込んでいる人はこの世にいる。たぶん一定数いる。彼らは「自分にはもっともっとすばらしいものが与えられるはずだったのに」という激しい飢えを抱え、たとえばインターネットで文章を書いているぜんぜん知らない人(私とか)に突然その怒りをぶつける。「おまえなんかが賞賛されていいはずがない」と。
もうこの辺に至っては被害妄想入ってませんかね。飛躍がすごくてどうしてそうなった、みたいな話になってるというか。
アーサーが欲しがっていた素晴らしいものというのは、大衆からの賞賛もあるが、最大のものは愛だろう。アホみたいな結論になるが。
愛。親しさ。笑われないこと。爪弾きにされないこと。受け入れられること。その象徴としての賞賛。
一応言っとくけど、「この人に怒りをぶつける人々が欲しがっているもの」が愛だといいたいのではない。そんなことは知らない。
このツリーでは基本ジョーカーあるいはアーサーの話をしているんであって、賞賛が欲しくてネットで他人に突然キレる人のことはわからない。
ああ、それにしても。
確かに、怖い。怖いですわ、これは。
虐待され、それが元か分からないが、精神系の疾患(笑いが止まらなくなる)を抱えている。
そんな人間が不幸にも、偶然、不況な世の中で虐げられた人たちの狙いの的となったり(看板取られる)、
ミスを犯した(児童所で銃と落とす、地下鉄内で証券マンが女性に絡んでいるところに
彼は彼なりの努力で、それが正しい、間違っていない、自信をもって、自分のコメディを
作ろうとした。だがそれをネタにされた。
少なくとも俺には笑いのセンスも全くない人間にしか見えなかった。
彼は言ってたろう。「どうせ誰も理解できない」と。
それと同時に、彼自身の感覚も"マイノリティ"であった(それが悪いとは決して言わない)。
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人それぞれ顔が違うように、心も違う。
ほかならぬ自分自身がしているのだということに気づくべきじゃないか。
生きている価値がないのだ、とか、全部自分が勝手に思い込んでいることじゃないか。
流行っているみたいだから見に行っただけで、痛みがセンセーショナルだから
見に行ったわけではない。ただ、近い過去に社会からのけ者にされそうになった
経験からしても、確かに周りの目(世間体)というものが(これ自身は自分が
作り出したものだが)、自分を追い込み、苦しめることになる可能性について
否定はできない。このことは忘れがちだし、この元増田が実体験として
語られていることもなければ、自分の中に残りづらいことだったろう。
社会システムに適合していることになるし、特に"普通"と言われるものになる必要も
無いと思う。(庇護してくれる人がいるでもいい。それはその人のその状態を
認めていることになるから)
Day,3
3日目
まぜこぜの国
キングサイズの快適なベッドと一昨日からの寝不足のせいか、旅先には珍しくグッスリと眠ることができた。
8時前に起き、準備を整える。
今日は本格的にマラッカの街を散策し、ニョニャクエとニョニャ料理が食べたい。
ホテルからタクシーでオランダ広場に向かうGRABは本当に便利だ。
隅々まで清潔とまでいえないマレーシアで、日本を遥かに超える利便性のあるアプリが普及しているのは、もう進歩の順序の常識が20世紀型と全然違ってしまっているのを感じる。
朝ご飯を食べようと思っていた目当の店が定休日だったので、たくさんの人が食事をしているカフェに入る。
壁にメニューがあるが、なんだかわからないので、いちいち調べながら注文する。
メニューに「ロジャック」という文字があり、これがちょっと安い。
なんだろうと思って調べると、定型のレシピというのがない料理で、あるものを色々混ぜこせにして、エビ味噌やタマリンドなどのソースをぶっかけるモノらしい。
家庭料理でよくある「名前のない炒め物」のようなものだろうか。
ナシゴレンとアイスコーヒーで腹ごしらえしたあと、オランダ広場の中心部に向かうと、帽子をかぶったマレー系の男性、傘をさしたチャイナドレスの女性、宝石のティアラをつけたタミル女性が観光客を歓迎する壁画があった。
観光ガイドなどでよく見かけるオレンジの教会を写真に収めたあと、歴史博物館を訪ねる。
中に入ると、イスラム、中華、インドそれぞれの人々を象った人形が並んでいる。
少し歩くと、日本兵の銅像とその背後にはためく日の丸が見えた。
マレーシアは、第二次世界大戦中、日本の支配も受けているのだ。
しかし、きっとマレーの人々は、その全てを「マレーシア」という袋の中に入れて混ぜこぜにてしまうのだ。
2階に上がると、マハティール首相と習近平書記長が握手をしているポスターが下がっている。
でもきっとそれも、ここにやって来た以上は、混ぜこせにされてしまうに違いない。
みると、キルラキルみたいなテイストの絵や、ちょっと前のやたら目が大きいアニメ少女みたいな絵が結構ある。
源流を辿れば日本初、ではあるんだろうが、アニメ・マンガ文化はもうアジアの中で消化されて、若者の身体の一部になっているようだった。
諦めと誇り
オランダ広場を離れ、ニョニャクエを買うことのできる店に向かう。
その場で飲食ができるカフェと、販売店舗があるらしく、カフェのほうに向かう。
その場で食べようと思ったが、異国なので同じ経営のものなのかイマイチ自信が持てなく、ニョニャクエ自体は販売店舗で買って、その場ではかき氷を食べることにした。
外が暑いのだ。
しばらく待って現れたそれは、上に鮮烈な緑のプルプルした虫状のゼリーが乗っておりなかなか日本で見ない見た目だ。
これは「チェンドル」というゼリーで、ベトナムのチェーにも入っていた。
材料は米粉で、鮮やかな緑はバンダンリーフという植物から採った天然色素だ。
すごい見た目に反して抑制の効いた味わいで、かき氷全体も優しい甘さだった。
ここで気づいたのだが、スマホ用に持って来たモバイルバッテリー、そっちはいいが、ケーブルを持って来ていない!スマホの電池が切れたらGRABでタクシーも呼べない。
まあいいか、これから販売店舗のほうに行ってニョニャクエを買うとして、あれは生菓子なので、冷蔵庫にでも入れないといけない。
店舗のほうに行くと、これが製作工場と棟続きで、でっかい台所に秋葉原のジャンクパーツ屋をくっつけた様な店内に、極彩色の色鮮やかなういろうを思わせるニョニャクエが並んでいる。
その一通りとチマキが詰め込まれれた「お得セット」的な詰め合わせと、緑の球体にココナツパウダーがたっぷり振りかけられた「オンデ・オンデ」、日持ちのしそうなパイナップルケーキ、それとこれはその場で食べるための餃子型の揚げパイを買い求めた。
約41リンギット。
1,100円といったところだ。
よし、ホテルに戻るぞ、パイを食べてみると、?、なんだろう中に入っている餡は。
わかった、カレー風味に味付けられたサツマイモのフィリングだ。
こういう発想はなかった。
GRABでタクシーを呼んでみたのだが、遠すぎてブッキングできない。
少し歩くしかない。
歩いていると、どうやら界隈は学生街らしく、ヒジャブを被って制服を着た7〜8歳くらいの子供をワンボックスがピックアップしていた。
さらに少し歩くと、もう少し上の年代の、これもヒジャブを被った少女たちの一段と出会う。
彼女らはマレー系なのだろうが、そこから2人歩き出した姉妹は痩身に浅黒い肌で、美しい黒髪を揺らしている。
きっとタミル系だ。
ヒジャブの一団から離れて歩くタミルの姉妹を見たり、空気として感じたものを考えると、マレーシア人にとって多民族が暮らしていることは「いちいち気にしていたら日常生活が成り立たない」もので、一種の諦めのような感情も想像できないではない。
でも、博物館で見た様な表現の世界では、それに目を背けず肯定的に描いたものが多く、「受け入れるしかない状況」と「それを自ら肯定的に捉え直す誇り」の間で揺れてるのかも知れないな、と思った。
ホテルに戻り、プールでサッパリした後、少し読書をして日本×スコットランド戦の海外ネットユーザーの反応を見る。
皆、感情を爆発させて、とりわけ日本のプレーの美しさに感嘆する声が多い。
レビューを書いているうちは試合状況を追いながら書いているので、淡々としがちだが、改めて見るとたしかに日本のトライは美しい。
感情を動かされるプレーについても、それに動かされた感情についても書いてもいいのかも知れないな。
タクシーをピックアップして、今日こそは、でニョニャ料理のレストランに向かう。
事前に調べたところによると、以前訪ねた日本人のお願いにより、お一人様向けのお任せメニューに対応してくれるらしい。
到着して、ママさんに「このサイトを見せて頼めば良い」とされるサイトを見せてお願いすると、料理の好みや内容に関する軽い質疑応答を経て、3皿とご飯が出てきた。
野菜が入った平たいオムレツ、レタスと思われる青菜炒め、豚肉とそら豆のちょっと辛い炒め物。
たっぷり出て来ると勝手に想像していたので、「意外と普通の量だな」と思ったものの、おひとりさまメニューとしては妥当な量だ。
味わいは中華といえば中華なんだが、豚肉とそら豆の炒め物のスパイシーで奥深い旨味のある味わいが、ナシゴレンの旨味を思い出させ、確かにこれは「中華風マレー料理」だ。
よくよく考えると、イスラム教国のマレーシアで豚肉の炒め物が出て来ると事自体が特殊な事だ。
だいたい830円くらい。
3皿と飲み物を頼んでこれなら安いだろう。
マレーシアの物価について大体見えてきたんだけど、ホテルとタクシーが異様に安いだけで、その他の物価は日本の5割〜6割いといったところだ。
ママさんにお礼を言って店を後にする。
生温い夜風に吹かれながら歩くと、賑やかな屋台市が見えてきた。
ちょっとのぞいて見ると、皆思い思いの料理を頼んで、夜空の下で食事を楽しんでいる。
まだもうちょっと入りそう。
と、みると「ROJAK」の文字が。
あの謎の混ぜこぜだ。
これは行くしかないと思って頼んで見る。
しばらくすると、茶色いソースがかかったなんだかわからないものが出てきた。
キュウリ、タロイモ、ニラ、揚げパンかな?口に運んでみると、ソースにちょっと独特のくさみがある。
肉類は一切入ってないのだが、この強い味付けで単体でも結構食べ応えがある。
においもすぐに気にならなくなった。
フードコートにうろつく野良犬の横で謎の混ぜこぜ野菜を食べていると「これが熱帯の夜か」という感じがした。
ホテルに戻ってサウナに入ったあと、冷蔵庫に入れておいたニョニャクエを食べてみる。
鮮やかな赤、青、緑のそれは、(色以外は)見た目の通り、ういろうを思わせる味で、さすが中華文化を受け継いでいるだけあって上品な甘みだった。
生菓子でお土産としては適さないので、もしマレーシアに来ることがあれば、ぜひ味わった方がいいと思う。
明日はこの極上のホテルをチェックアウトしてシンガポールに向かう旅程になっていたのだが、シンガポールではわずか1泊してまたマレーシアに戻る予定を組んでいたので、行きはともかく帰りの移動に焦りたくなく、先にバスを予約してしまうことにした。
慣れないバス予約サイトと格闘すること1時間半ほど、なんとかシンガポールからマレーシアのバスを予約できたのだが、ここで小さなトラブルが発生。
何度も予約の失敗を送り返していたため、成功した予約の詳細を確認していなく、ピックアップポイントも降車ポイントも当初の旅程とはやや離れた場所になってしまった。
一瞬焦ったが、シンガポールはショッピングモールの前だし、マレーシアは鉄道駅のすぐ近くだったので、これはシンガポールの物価も見られるし、マレーシアの鉄道にも乗れるし、いいかもしれない、と前向きに捉えることにした。
なんとかなるだろう。
なんとかなるのかな。
結論が遅い記事、タイトルと内容が違う話、看板に偽りがある全ての物はその存在を否定されて叱るべきだ。
たとえ犬肉の看板で羊の肉を出したところで、犬肉を食いたくて財布を開いたやつを裏切っているのは何も変わらない。
無数の選択肢があふれかえる中で、時間と金と余裕だけが足りない現代社会、最も恥ずべき罪とは提供するものの名前を偽ることだ。
最近だと、カメラを止めるな!とやらが評価されているのが私は非常に気に食わない。
絶賛大人気中の超面白映画を期待して入ってきて、最初の25分で帰った人間に対してあの作品は何を残した!
そういう態度は嫌いなんだよ。
ふざけんな舐めてんのか?
ハリウッドがやったら許されないことを素人がやったらセーフだったのが画期的だと話題になった、ただそれだけじゃねえか。
でも作品の作り方としては極めて最低最悪なんだよ。
ましてこの時間ばかりがやたらと無くなりやすい現代に置いてはな。
時間を返せよ。
つうかそこについて定期的に謝れや。
本当糞だぜ。
創作者としての態度がクソだ。
つうか何がクソって……次回作のアメリカ編は前作見てれば序盤でも割と楽しめるのがクソだ。
やれば出来るのにどんでん返しのパワー貯めるためにやってなかったつうことじゃねえか。
クソのクソだぜコイツらは
胸が性的かどうかを思春期以降に知って欲しいっていう性教育をしたいと思う自由も欲しいよー。
自由ってなんだ??
割と本質的な問いだと思うので真面目に答えると、アイザイア・バーリンという哲学者が「消極的自由」と「積極的自由」という概念を提唱している。
詳しくはWikipediaでも読んでほしいけど、要するに
の違いね(cf. anond:20191017201230)。
現代の自由主義では、色々と議論はあるけれど、おおむね消極的自由の方がより重要な自由とされている。
これは増田もそうだろう。「俺が六本木ヒルズに住む自由を実現するために家賃を補助しろ」と言われたら、おかしい、と思うよね。でも、「金持ちの俺が六本木ヒルズに住んで何が悪いんだ? 俺の自由だろ」って言われたら、当然、って思うんじゃないかな。
というのは積極的自由に属する。
その環境を増田が個人の努力あるいは財力に頼って実現する(例:ひきこもる、ゲーテッドコミュニティを作る)のはもちろん自由だ。でも、それをもって他者の消極的自由を制約しようというのなら別の話になる。
積極的自由と消極的自由ならば、基本的に後者の方が重い。よほどの理由がない限り、前者を理由に後者を制約すべきではない。そして、増田が子供にどんな教育をしたいかという話は、「よほどの理由」ではない。
(「よほどの理由」が認められるかどうか争いになっている事例として、たとえば、「感染症にかからず健康に生きていきたい」という積極的自由と、「どんなワクチンを打つか政府に強制されたくない」という消極的自由が対立する局面を考えてみよう)
ところで、
思うだけなら自由ですよ? それは人を殺したいと思おうが誰々くんとセックスしたいと思おうが日本は天皇中心の神の国だと思おうが自由なのと一緒。そこの自由を制約している人はどこにもいないよね。どうぞご自由に思っていてください。
その思いを他者への要求として口に出す(増田に書く)から他人の自由に口を出すなと言われるわけで。
なので、
思春期前の子供に見せたく無い自由は?献血ルームにあるのは別に良いんだけど、公共の場にあるのを見たくない人の多様性はどう思う?
「見せたくない自由」というのも、ご家庭の中でお色気漫画は読ませないラッキースケベアニメは見せないとかそういう話ならどうぞご自由に、お子さんの教育に関しては親御さんに自由裁量があります、という話だけど、他人が自分の敷地に(あるいは借りたスペースに)設置したポスターを取り外させようとするなら、それは他者の消極的自由を侵害してよい理由にはならない、という話になる。
何度も書いているように、積極的自由より消極的自由の方が重いので。
「多様性を見たくない人も多様性に勘定すべきか」というのは難しい議論だけど(「戦う民主主義」を調べてみよう。民主主義を破壊しようと主張する政党を民主的選挙に参加させるべきか?)、そういう多様性も認められるべきだとは思う。他者の消極的自由を損なわないという前提のもとで。
なので、そういう多様性の持ち主がゲーテッドコミュニティ作って暮らす分には、そこにわざわざポスター貼りに行こうとは思いません。ご自由にどうぞ。そういうコミュニティが存在するのも多様性の一貫だとは思うので。アーミッシュのコミュニティとかと同じで。
ところで、私たちが暮らすこの日本はゲーテッドコミュニティではありません。
人を殺す自由はない。人を殺せば刑務所行きになる。他人を誹謗中傷する自由もない。誹謗中傷すれば民事裁判で敗訴し賠償金を科せられる。
既に自由は整えられているのでは……? 現状の日本が無法地帯じゃないのは、ある程度自由が制約されて整えられているからだよね?
私は宇崎ちゃんの胸は揉みたい感じの魅力的なおっぱいに見えるのでやっぱり子供に見せないように気をつけて歩きます!!!自由!!!
はい、それもあなたの自由ですね。宇崎ちゃんのポスターなり看板なりを見かけたら子供の目をふさぐとか、子供に声をかけて注意をそらすとか、見て見て~と逆方向を指差してそちらを見せないようにするとか、そういう自由をどうぞ行使なさってください。誰もそれを邪魔したりなんてしないから。
これはそのとおりで、要望する自由はあるし件のポスターを批判する自由もある。要望を無視したり批判に反論したりする自由もあるというだけの話なので、気にくわないなら文句をつけてりゃいい。今回の増田は「自由」について混乱しているようだったから雑な説明になっちゃって、そこは申し訳ない。ご指摘ありがとう。
消極的自由をより重視するのはどちらかというと英米系で、大陸系だと「政治参加の自由」とか「健康で文化的な生活を追求する自由」とかの積極的自由も重点おいてるんでわ。
いや、積極的自由を重視する人たちも、積極的自由より消極的自由の方が重要という点では一致しているでしょう。意見が分かれるのは、積極的自由はどこまで保障されるべきか、とか、ある行為が消極的自由か積極的自由か、とか、そういう点では。積極的自由の保護自体には私も異論ないですよ。特に社会権は国家がケツを持って下支えしないと自由が掘り崩される。そういう意味で夜警国家やリバタリアニズムは支持できない。
ポスター非難派の言い分はとどのつまり「他者の消極的自由よりも私の積極的自由のほうが優先されるべき(少なくとも対等)」なので、なぜ前者が後者に優越するか、そこにどういった議論があるのか説明しないと無意味
上で色々例を挙げたけど、わかりにくいかな。
じゃあ「山間部の過疎地に政府が十分なインフラを整備していない」と「政府が過疎地の住民を強制移住させる」だったらどうよ。
前者ももちろん問題だけど、どっちがより重い問題? って聞かれたら後者の方がより重大な問題だと答えるのが普通だよね。
言わずもがなのことだけど、前者が積極的自由の侵害で後者が消極的自由の侵害です。消極的自由が積極的自由よりも重要な自由であるのは当然ですね?
(前者は軽んじてよい、と言っているわけではないことに注意。19世紀的な自由主義が消極的自由ばかり重視し積極的自由を軽んじていたことに疑問を呈して積極的自由「も」重視すべきだと主張しているのが現代自由主義です。前者は気にしなくていいよって言ってるのがリバタリアニズム。でもどちらの立場にせよ、消極的自由の方が重いことは否定してないと思うよ)
わかりやすくて納得した。と同時にシートベルトを着用せずに自動車運転して事故即死亡する消極的自由が認められていないのはおかしい、、、のだろうか?とも思った。
レーガン大統領はカリフォルニア州知事時代にそういう理由でバイクのヘルメット義務化法案に拒否権行使してますね。
個人的には、子供には自己の生命・安全を危険にさらす方向での自己決定権を十全に認めるべきではないと思うので、チャイルドシート義務化には賛成。でも大人がシートベルトやヘルメットをつけるもつけないも個人の自由で(だって、究極的にはそれで損をするのは自分じゃん?)、法律で取り締まるのはおかしいと思う。自動車メーカがシートベルトしてないと警報が鳴る車を設計して売りに出すのは商売の自由。
概ね同意だけど、最後のシートベルト義務化の話、日本では車対車の事故で死亡事故だと相手の運転手は過失が多少でもあれば重い罪に問われるので、シートベルトをしない自由を制限する合理的理由があると俺は思うね
相手がシートベルトをつけておらず、それによって生死が左右された場合は情状酌量で減刑すればよいのでは……。
シートベルト義務化については社会的損失を低減する観点から合理性があると思うけどね。『それで損をするのは自分』だけじゃないわけで、治療費、障害、家族の貧困化など・・・結局は社会的負担になるからね。
ここでは合理性の話ではなくて、自由と自己決定権の話をしているので……。
そのへんを表す自由主義の言葉に、「善に対する正義の優越」というのがある。
何が「良いこと」かは人によって違う。倫理観や道徳観(=善)には多様性があって、政府が「お前たちはこの道徳に従え!」なんていうのは押し付けだ。
大切なのは、色々な道徳の持ち主が公平に処遇されること(=正義)だ。他人の自由を侵害しないかぎり、自分の道徳を追求する自由と権利がある。異なる道徳同士のコンフリクトは、公平な制度によって調整される。
だから私は一貫して、最初の増田がどんな性教育を子供に施すのか、については干渉していない。ある人がどんな倫理観を持っていて、それをどんなふうに子供に教えるのかは、虐待とかの形で子供の権利を侵害しない限りにおいて自由なので。
でも、それを口実にして他者の自由を制約しようとするなら反対する。それが自由主義者としての私の一貫した立論。
そういう意味で、自由主義って社会全体にモラルの共有を求める考え方とは水と油なんだよね。大政翼賛会にもスターリニズムにも反対だし、天皇の写真を焼いた! けしからん! も、巨乳を強調したイラストだ! けしからん! も、どっちの表現規制にもNOと言う(正確には、「けしからん!」と思ってもいいし「けしからん!」と批判してもいいけど、それを理由に作品を撤去させたりしてはいけない。右翼やフェミニストが雑誌やブログに「この表現がいかに許しがたいか」みたいな文章を掲載する分にはどうぞご自由に)。
オタクって自由主義者が多いと自分基準で勝手に思ってたんだけど、意外とそうでもないのかな? というのが最近わかってきて、ちょっと驚いてる。周囲のオタク仲間が社会問題でそのへんのおっさんみたいな保守的な認識を示したり、自分に興味がないイシュー(博打とか刺青とかね)だと平気で規制だとか口に出したり(ちなみに、わいせつ物頒布罪と同様に単純賭博罪は廃止すべきだと思ってる。賭博開帳図利罪も「無許可or無届けで賭博の胴元をした罪」とかに変更して民営賭博を合法化するべき)、BL好きの人たちが美少女のイラストをお気持ちで殴ったりしてるのを見てると、オタク界隈でも自由主義の理念は強固なものじゃないんだね……って感じになるので、リベラル派として自由主義はいいぞというのを地道に伝えていきたいですね。
しかし例えばリアルな死体や糞尿の画像をレストラン街の入り口に貼ったら、消極的自由だでは通らないだろう。これはゾーニングの問題で、線引きは色々。そう簡単ではないのでは?
私はヴィーガンじゃないけど、ヴィーガンの人たちが肉フェスの前で動物の屠殺写真を展示するのは表現の自由だと思うよ。
肉フェスのときにこれは不法だ取り締まれって言ってた人たち大勢いたけど、私はそれに与しない。その写真の前で肉料理食べながら自撮りしてヴィーガンを煽るのは対抗言論なので表現の自由。なんでみんな、気に食わない表現に対して表現で対抗するんじゃなくて取り下げさせようとしたがるんだろう。
当たり前でしょう。刺青を入れるのは自由だし刺青を入れて公共空間を歩き回るのも自由。なぜならそこは公共空間なので。刺青を入れた人には公共空間を自由に歩き回る権利があるので。刺青を入れた人が公衆浴場に入れないのはおかしい。自由主義の理念に反している。
刺青を見たくない人は自宅風呂に入る自由とかお庭でビニールプールで遊ぶ自由とかを行使してください。
なんで「他人の自由な行動を見たくない自由」が「他人の行動の自由」を抑圧してまで叶えられるべきだと思っているんだろう。本当に謎。
自由を「権利」に置き換えてもいいよ。「刺青を見ることなく公衆浴場に入る権利」よりも「刺青を理由に入浴を妨げられない権利」の方が重要でしょ。少なくとも前者の人は、公衆浴場に入る権利は奪われてないよね。公衆浴場の光景が自分が望んでいるものではないってだけの話で。でも公共空間に自分が望まないものがあるのなんて当然なんだから、望んでいる光景を見る権利よりも誰かに望まれてないって理由で入浴を拒否されない権利の方が遥かに重要。
刺青も少女像も巨乳ポスターも、「(ある種の人にとっては)見ていて不愉快」程度の害しかない(ナイフで刺すみたいな具体的な加害ではない。ちなみに、私はどれもまったく不愉快とは思わない)。見たくないなら目を背けるなりすればいい。どうしてそんなに自由を制限しようとしたがるんですか?
ネタバレをする自由は当然あるので好きな作品はネタバレ踏まないように注意する派です。基本的にはネタバレ踏むのは自己責任だよね。ネタバレ踏んでチクショウって思ったこと何度もあるけどそれは踏む私が未熟なだけでネタバレ感想書く人のせいじゃない。
もちろんあなたのフォロワーにはネタバレを理由にあなたをリムる自由がある。
100字じゃ説明できないよね。ありがとう増田。原理原則から考えないと、金属バットや愛トレ、今回の胸などで手首がねじ切れちゃう。
ほんとにね。あいちトリエンナーレ問題で一緒に表現の自由のために戦ったはずの人たちからさんざん弾が飛んでくるの、裏切られた感がすごくて絶望的になるよ(公的な施設は抑制的であらねばならない、とか、お前それ愛知芸術文化センターでも同じこと言えんの? っていうね。TPOとかくっそ笑う。じゃあビジネスシーンではカカトの高い靴を履くのがマナーとか言われても文句言うなよと。まあ私はスーツの強制もヒールの強制も間違ってるそんなTPOはクソくらえって主張するけど)。左右の表現規制派からあいトリの天皇アートも日赤の宇崎ちゃんポスターも守り抜いていこうと改めて決意。とりあえず来週にでも久々に献血してくるわ。
本作含め『ダークナイト』とかもネタバレしてるんで嫌な人は読まないでね。
オッスおらメンタル壊した歴ありの発達障害&ナルコレプシー持ち!
どうにかこうにか大学出て何だかんだ正社員で10年ぐらい働き続けているよ!
壊したメンタルの治療のために飲んでた薬が身体的依存性がある(切らすと離脱症状でゾンビみたいになる)おかげで
あとナルコ用の目覚まし薬も社会人に擬態するためには欠かせないね!!
最近の悩みはこの状況下でメタボ肥満で肝臓がイカレ始めていること!トシだね!
慌てて有酸素運動してるけど、走ると膝を壊すから室内バイク買って漕ぎ始めたら
ケツに蒙古斑も真っ青なアザができたよ!!
アメコミは全然詳しくないよ!バットマンもダークナイト信者だったって程度のニワカだよ!スーサイド・スクワットは観てないよ!
「『ダークナイト』の主役はバットマンやぞ」とかそういう細かい話はおいておく。
アーサーは結局作中ではジョーカーにはなってないし結局今後もなれないんじゃないかとしか思えない。
だってアーサーは(自分に都合のいい)妄想が現実レベルの彩度で日常生活に融合してくるような病気と、
自分の意のままにはならない、投薬があんまり効いてないっぽい発作を持ってて、
それを差っ引いても"普通に振る舞う練習"(サントラの曲名のひとつ "Learning How To Act Normal")をやっちゃうタイプじゃないか。
作中の走ってるシーンは冒頭の1回を除けば全部「何かから必死こいて逃げ出す」場面ばっかりの人間じゃないか。
人の考えの裏をかくことができて当たり前、必要なら自分で自分の死体に化けてのおとり役もこなし、
メイクオフすればあの傷もちの顔でありながら市民に溶け込める、溶け込む方法を考えて実行できる。
ジャック・ニコルソンのジョーカーでもいい。
元が泣く子も黙るギャングの一員だ。人の顔に酸をかけて焼くくらいのことは簡単にするし、
毒入り化粧品だのを自力開発できる程度には気が狂っていても頭が回る。
アーサーには無理だ。
通りで仕事してるだけで殴る蹴るの暴行に会ったことのある人間、
人混みに溶け込むどころか人から注目(しかも白い目の)を集めてしまう人間には無理だ。
嘘つきランディや地下鉄の酔っぱらいや「母親」はブチ殺しても、
小人症の同僚ゲイリーはわざわざ鍵開けて逃がしちゃう人間には無理だ。
おいおい公式サイト様ともあろうもんが安い飛ばし記事みたいなこと言ってんじゃねえよ。
「いやこれ『ダークナイト』演れそうなガチ本命のジョーカーに利用されてる替え玉やろ説」とか
「ガチジョーカーがアーカムで暇つぶしにぶっこいたホラ話やろ説」とか
「『ジョーカー誕生』っていうのはアーサーがジョーカーになったってことじゃなくて
ミームあるいは概念としてのジョーカー的ななにかの発生のこと説」とか、
しかし「単純にアーサー=ジョーカーだろ、覚醒できてヨカッタネ説」、テメーはだめだ。病気なめんな。
もうね、「やめてください死んでしまいます」って感じ。いや茶化さんとやってられんわ。
あの笑い者感、笑いのツボずれてる感、シリアスをシリアルに変えるドジっ子☆属性の笑えない感がリアルすぎて笑えない。
看板ドロボーのクソガキおっかけてて途中で滑ってこけそうになるシーン、
「看板弁償しろや」言われて路地裏でダストボックス蹴っ飛ばしてて滑ってこけるシーン、
「そこ出口専用やで」シーン、
「僕たちは『ジョーカーのような人間はこうして現れるのかも』という物語で、
コミックスで言う"スーパー・ヴィラン"の男をリアルで愛すべき人間として描きました。
だから皆さんには、彼の味方でいてもらえればと思います。これ以上は無理だ、というところまで。
映画が始まる時点では、彼は有名な犯罪者ではなく、アスファルトに咲いた小さな花。
その花に、あなたは水をあげるのか、光を当ててあげるのか、それとも無視するのか。
どれくらいの間、その花を好きでいられるのか。」
とのことだが、「味方」というのが単に肯定者って意味じゃないのなら、
こんなん延々「ダメだアーサーよせそっちはダメだ行くなやめておけあああああ」ってなりつづけてまうやないですか。
そして「わたしたちは、なぜ『ジョーカー』のようなダークヒーローに共感を抱くのか」みたいなタイトルの記事に逆に引いてしまう。
いや、ワタクシが発達で(おおむね寛解したとは言え)メンがヘルってるから過剰に感情移入してしまってるのはわかってるが、
それはそれとして人が殴る蹴るされたり笑い者にされてたら
ああ痛いやろうなつらいやろうな嫌やろうな仕返ししたいとか思うやろうなって思わんか?健常者ってサイコパスでは???
まあともかく映画としては傑作なんじゃないでしょうか。2回も観たので3回目はもういいです。過剰摂取です。
ぶっちゃけ巨悪でもエネルギッシュな『ダークナイト』ジョーカーに癒しを感じるくらいには消耗したわ。
あとなに?ニューヨークって素であんな治安悪いの??コドモ笑わせるくらいよくない??
『ジョーカー』にここまで同情的な見方してしまってると身近な人間にバレたくないけど
(ジョーカーに同情的でない人間から「ジョーカーに同情的な人間だ」と思われること自体に、
この映画のこと考えてると上記みたいなことが延々頭から離れなくて家事とか勉強とかがはかどらないから。
自分とアーサーの相違点を頑張って挙げてけば100コくらいは何とか挙がると思うが、
自分が今この瞬間アーサーでない理由は「運」以外なんも無いなというこの感覚がしんどくて、いったん頭から追い出したいから。
「アーサーがジョーカーしないif」ルートを一生懸命想起しては破綻させてる自分の脳ミソをちょっと休ませてやりたいから。
>最後の方のテレビカメラの前で演説ぶってるシーンとか、車の上に立って観衆に応えるシーンとかも、どっかで失敗したりしないかハラハラしながら見てた。
わっかるー!!
物語的に超大事なクライマックスシーンだからまさかそういうやらかしは発生しないだろうと思いつつ、ここで発生したらマジで目も当てられないぞあばばばばばってなりながら観てました。
>舞台はゴッサムであってニューヨークじゃないしマジモンのニューヨークよりは治安悪く設定している
ちょっと検索すれば掃いて捨てるほど「ゴッサムとはニューヨークのあだ名の一つ」的記事がヒットしたのと、
ニューヨークの映画館では上映開始日に警官出てくるレベルの厳戒態勢取られたってニュースと、
あと自分が観たときには白人の大学生だか若い社会人だかって感じのグループも来てたんだけど、終わって帰るときにテリブルテリブル言ってたってのが妙に印象に残ってて、
「え、そんなリアリティあんのこの荒れっぷり…ヤバない?」と思って書きました。
良かったー現実にはあそこまでじゃないんだね!
いきなり看板パクられる気の毒すぎるピエロとかは居ないんだ!!
って思っとく!
アーサーがこれからどのようにジョーカー活動ができるというの??
社会に対して戦争を仕掛けるのは簡単なことじゃない。いっぺんやらかした後ならなおさらだ。
バッツの誕生までもたないだろ。
例えば「最後の精神病院のシーンこそが時系列的には一番最初で、カウンセラーを半殺しにして拘禁まで食らったが福祉削減もあって退院、のち本編の流れ」とか考えてみることはできる(アーサーの本質は両手に手錠状態で血の足跡を作って踊ることができるタイプの人間説)が、
血の足跡をつけて踊る人間を、定期的にカウンセリングに通って投薬を受けて仕事行って母の介助して暮らす人間に変えるための何らかの処置が病院によって行われたと考える必要が出てくるので整合性を欠く(そんな都合のいい処置あるかオイ?)。
ただ、もしそうならジョーカーは見事アーカムから合法的に脱獄を果たし晴れて野放しになったというオチで背筋が薄ら寒くなれるのでステキではある。
そう、アーサーにダークナイトの主演が演れないとしても、ダークナイトではない別のやつでもいいからジョーカーの物語を演れるポテンシャルが欲しいし、
よく思うんすけど、今時の日本人って本当にプライド無いっすよね。
で、それで少しでも良い学校に入るじゃないですか。そうすると、その学校名に◯立って入るじゃないっすか。市立とか県立とか私立とか、下手すると国立とか国立大付属とか。
でも大体の場合、そういうのに頑張って入っても皆そんなプライド無いんすよね。
いや、個人のプライドじゃなくてっすね。その自分の立ち振る舞いが県とか市の看板を背負ってるんだ……って意識が無いように思うんすよね。
下手すると進学校や古い有名ドコロとかに入った輩に至っては「自分は〜に入った人間だぞ!崇めろ!」と言わんばかりの態度だったり。
まあ、自分の入ったガッコや付き合いがね?その程度の民度しかないトコだってなら諦めは付くんですがね。なんか、どうも違うように思うんすよね。
もうね、真面目にアホかと思うっすわ。
これなら「テメーどこ中だ?」みたいなコトほざく、漫画のヤンキーのがガッコの看板背負ってんじゃね?くらいのノリあるっすわ。
いや真面目に、自分の地域に対する愛情じゃなくても、思い出とか愛着ってないん?
そういう思い出を自分の振る舞いのせいで、テキトーな輩に「アイツの出身地/出身校って大したコトねーんだな」って思われるの、癪じゃないん?
正直ワケわかんねーっすわ。👎
「あれは確か数年前、いわゆる倦怠期での話ですが……」
マスターは惚気話だと思われないよう自嘲を多分に交えつつ、自身の結婚エピソードを語っていく。
それは如何にもありふれた、何気ない内容だった。
「ははは、さっきから愚痴ばかりじゃないですかマスター。奥さんが聞いたら怒られますよ」
「ええ、なので密に願います」
「いえいえ後悔はしていません。ただ独身時代の自分に未練を感じることがあるだけです」
「なんだよそれ、似たようなもんだろー」
仲間たちと共に茶化しつつも、この時のタケモトさんはマスターのことを内心“羨ましい”と思っていた。
結婚に後悔することも、独身に未練を感じることも、何はともあれ結婚しているからこそ出来る。
その是非を語れるほど、自分は結婚という事柄に真剣に向き合っていないと気づいたんだ。
「……結婚、ねえ」
思わずそう呟いてしまった自分に気づき、タケモトさんは眉と口元をへの字にした。
後にタケモトさんはこう語っていた。
「マスターと奥さんの出会いは、近所のお節介オバサンに紹介されたことがきっかけらしい。さしずめ、オレはお節介オバサンのもとへわざわざ出向いて、金まで払って“お節介してくれ”と頼みにいったわけだ」
いつも着崩していたスーツを調え、タケモトさんが向かったのは最寄の結婚相談所だった。
パソコンで場所を調べている時、なぜか妙に気恥ずかしかったんだとか。
「……よし、行くか!」
相談所近くまで来てみたはいいものの、足が重くて中に入ることができない。
「よ、し、行くっか」
ここに入るということは、“すごく結婚したいです”という看板を掲げさせられるのと同義。
ロクな出会いもなかった人間にとって、それは自意識を尖らせ、動きを鈍らせるものだった。
「へはっ……うわはは」
看板の予想以上の重さに変な笑いがこぼれ出る。
「……ふう、今日は吸わないつもりだったんだがな」
結局、それを弛めるためにタバコを数本消費し、タケモトさんは半ばヤケクソ気味に飛び込んだ。
諸々の事務的な手続きを終え、コンサルタントに相談する段階に入る。
「まあ、自分を選んでくれる人なら……」
そういう遠慮をする性格でもないだろうに、タケモトさんは言いよどんだ。
「タケモトさん、あなたは内定欲しさに面接を受けるとき、“自分を選んでくれるならどこでもいい”と言うんですか」
「うっ……」
「あなたは選ばれる側でもありますが、選ぶ側でもあるのです。何でもいいという姿勢は、かえって相手にも失礼です」
「そ、そうですね……」
それに対して、コンサルタントは坦々とした口調で説いていく。
タケモトさんみたいなタイプを何人も見てきたのだろう。
「条件を言って私にどう思われるか不安なのかもしれませんが、まずは正直に申し上げてください。話はそれからです」
「はい……」
タケモトさんは、まだスタートラインに立ったばかり。
しかし既に、完走できる体力が残っているのかと不安になっていた。
要はあの映画は、精神障害の臭くてキモイオッサンが、自分の好きなように生きる事を決めたら
みんながそれに自分勝手に自己投影して暴れはじめたっていう救いようが無いような話だろ。
「俺はあの映画を見て、何ていうか爽快感を感じてしまったね、辛い境遇の自分が最終的にあるべき自分みつけるのw」
とか言ってる奴って、なんも見えてないだろ、それ暴徒側の思考だろ?精神科医レベルに話聞いてないじゃん。
お前らはsyamuとか、性の喜びおじさんとか、岩間に共感できるの?できないだろ?だから看板盗んで殴りつけたりするんだろ?
いや、お前らが共感できるのはあの看板盗んで殴りつけてた少年ぐらいじゃない?
気持ち悪いし共感できるなら、そもそもあいつらがネタになることなんてないんだよ。
youtuber目指して食レポしてたら、転載されて笑いものになって家を荒らされたsyamu。
性の喜びについて語ってたらサラリーマン3人組に襲われて殺された性の喜びおじさん。
あいつらに同情はすれども、共感できないだろ?してなかっただろ?
「あれを見て共感できないとか言ってる奴は富裕層、共感できる奴は貧民層」ってそんな単純な二項対立の話に見えたのか?
障害者ってキモいじゃん、ちょっと優しくしただけで妄想して部屋に入ってくるとか吐気するじゃん。
それをカッコイイ中年俳優が、最高の美術と音楽と共に提供したらみんな共感し始めるの、控えめに言って気持ち悪いというか、
twitterの感想見ててそれが一番空しいというか怖かったわ。
別に障害者笑うのもなんも思わんし、時にはそれで社会のつながり持つ奴も居るからなんも言えねーけど
共感できるとか言ってる奴が数週間後には電車内の異常者をみて大笑いしてるのが想像できるわ。
PS:ほら、ここにも「俺は共感できるぜ!」な奴が現れてきた。
ADHDもASDも、『女は弱者』という幻想も、自称政治弱者も、ちょっとおしゃれに色付けて同情の目線を増やせば
生ごみに群がるハエみたいにみんな飛びついて声高らかに周囲を攻撃し始めるんだよな。
それで現実の、いらじ見たいなガチADHDとかASDとかは片手間で叩いてるんだから笑えるよ。
去る9月29日に 株式会社ラフィネ さん主催の南アフリカワインイベントに参加してきました。
ラフィネさんは南アフリカの生産者のワインを多く扱う都内のワインインポーターです。今秋、日本でRugby World Cup 2019が開催されることから大会観戦を兼ねて南アフリカの8生産者に来日していただき、日本各地でイベントが開催されました。このうち6生産者に今回限定のスペシャルワインを造っていただき、RWC(Raffine Wine Collection)として6本セットで販売、今回はその記念イベントでした。各ワイナリーがスペシャルワイン1種+通常のキュヴェ1種を出典、もちろん生産者ご本人とお話しでき、またお料理や素敵な記念品もついてくるという大変豪華なイベントでした。
バーデンホーストのアディさんのYuuuuupppppaaaaaa!!!で乾杯!からスタート。
ラフィネさんのFacebookにテクニカルの詳細が載っていますので詳しくは是非そちらもご覧ください。
A.A.Badenhorst (Swartland)
・Raffine Wine Collection by A.A.Badenhorst
パールドバーグのエイトケイクという単一畑からのシラーズ100%を全房率100%で醸したキュヴェ、無濾過無清澄。シラーズ100%のキュヴェを造るのは初めてとのことでした。イメージとしてはイエローラベルのシラーズ単一品種版でしょうか。果実味がピンと張ったエネルギーに満ち溢れている液体ですがあからさまに濃厚!というわけではなく、非常にクリーンでエレガント。言葉尻からの印象ですがシラーズ!というよりはエレガント系シラーの美質を存分に感じさせてくれました。他の単一シリーズもそうなのですが、ご本人からは豪快な印象を受けるのにとても繊細に造られているなーと思います。
・Ramnasgras Cinsault 2017 (double magnum bottle)
先日のワインショップでの試飲会でもいただいたキュヴェですがこちらはなんと3Lのダブルマグナム、軽々と持ち上げてらっしゃったのがすごい!前回同様にハーブ、スパイスの香りとジューシーな果実味、土のニュアンスがバランス良く融合した素晴らしいワインでした。
Alheit Vineyards (Hermanus)
・Raffine Wine Collection by Alheit Vineyards
2015年ヴィンテージからリリースしているLa Collineと同じ畑からのセミヨン(+セミヨン・グリ)100%、通常版との違いは最上部の区画からのみ造られていること。全房率100%。La Collineがリリースされる前はセミヨン・グリ主体でスキンコンタクトをしたAllow Heartというキュヴェでリリースされており、Allow Heartの再現としてスペシャルワインが出てくるかなーなどと勝手に妄想しておりましたがLa Collineのスペシャル版として造ったとのことでした。La CollineはAlheitの上位レンジであるシングルヴィンヤードシリーズ唯一のセミヨン単一(他は全てシュナン・ブラン)ということもありふくよかさが印象的なのですが、今回のRWC版は区画を上部に限定することで酸やミネラルに伴う骨格をより強く感じることができる大変気品にあふれたキュヴェとなっていました。
・Cartology 2017
アルヘイトと言ったらカルトロジー、ヴィンテージは昨年リリースされた2017年です。冷涼系グレートヴィンテージということもありリリース当初は酸とミネラルがぎっちり詰まった印象でしたが、それらが徐々にほぐれつつも非常に美しい味わいでした。
Sadie Family Wines (Swartland)
・Raffine Wine Collection by Sadie Family Wines
南アフリカワイン界の大御所です。白のブレンドで公式からの引用ではシュナン・ブラン26%、ルーサンヌ16%、ヴェルデーリョ15%、コロンバール9%、セミヨン9%、パロミノ9%、グルナッシュ・ブラン8%、ヴィオニエ4%、クレレット・ブランシュ4%と多数の品種がブレンドされています。土地の表現と古木に拘りのある生産者ですが、樹齢5年程度の若木のイタリア・ギリシャ系品種が入っている、ワイナリーとしても極めて試験的なキュヴェのようです。酔っぱらいながらのメモですがアサンティコ、カタラット、フィアーノ、グレロ(グレーラ?) が入っているとのこと。公式記載品種のシノニムとかでしたらすいません…。これらの品種が古木になった時にワイナリーの新しいページを刻んだら素敵ですね。ベビー・パラディウスのイメージとのことですが、よりスパイシーでビビットな印象を受けました。若木のブドウが使われていることからの先入観もありそうですが。もちろん暴れるようなことは無く、非常に綺麗な造りで熟成した姿が非常に楽しみです。
・Columella 2017 (double magnum bottle)
赤のブレンドのフラッグシップであるColumellaの最新ヴィンテージ、しかもダブルマグナムです。エレガントながらも濃厚な果実味に浸れる素晴らしい造りです。ワインだけで満足できる度の高い一杯。
・Raffine Wine Collection by Crystallum
クリスタルムのピノ・ノワール上位レンジであるマバレル、キュヴェ・シネマ、ボナファイドを1/3ずつブレンドしたスペシャルキュヴェ。この字面だけでも心が躍ります。全房率はマバレル10%、キュヴェ・シネマ50%、ボナファイド60%とのことですのでシネマはホール・バンチ版ではなく通常版由来と思われます。1/3ずつというブレンド比率ですが、色々と試した上でこの比率が一番しっくりきたとのことで個人的には偶然の神秘性のようなものを感じてしまいました。おそらくマバレル由来の透明感のあるアタックから充実した果実味、コクと旨味からの満足感、美しい余韻への一連の流れが一切の継ぎ目・ストレス・違和感なく展開される完璧なバランスでした。
・The Agnes Chardonnay 2018
シャルドネの2種あるうちの下位レンジ、先日入荷したばかりの最新ヴィンテージです。乾燥した2018年の性格を反映した凝縮感のある味わいです。酸や骨格は2017年の方が豊かである印象ですが優劣というよりは性格の違いを楽しむ、あるいは各個人の好みによる程度の違いと考えます。上位版であるクレイ・シェルスは今年の分をまだ飲めていないのでどんな感じになっているか気になります…。
・Raffine Wine Collection by Rall Wines
ピケニルスクルーフの単一畑のグルナッシュ100%。全房率50%、無濾過無清澄とのことです。このメンバーの中からグルナッシュ100%で思い出すのはサディのソルダート、ピノ・ノワールと間違うほどの繊細でエレガントな造りですが、こちらはもう少し果実の充実感に寄っておりグルナッシュのイメージにより近い印象でした。一方、けして派手ではない綺麗な造りで、静かな波打ち際の漣のように寄せては返す旨味がじわじわと長く続く静謐な美味しさ。Rall AVA Grenache noirと勝手に名づけたくなりました。
・Rall Red 2016
こちらはおなじみのバランスのとれたローヌ系品種のブレンド赤(シラー70%、サンソー15%、グルナッシュ8%、カリニャン7%)で、よりしっかりと力強さを感じされる明朗な美味しさが印象的でした。
◎ソーン・ドーターズ(ボット・リヴァー)
Thorne&Daughters (Bot River)
・Raffine Wine Collection by Thorne&Daughters
スワートランドにあるパールドバーグ(現地の言葉で馬の山という意味らしい)の畑のシュナン・ブラン、セミヨン、セミヨン・グリのブレンド。公式情報だとセミヨン66%、シュナン・ブラン34%とあります。セミヨンとセミヨン・グリの比率も聞いておけば良かったと反省。パールドバーグは風化した花崗岩質の土壌で、良い古木のブドウ畑が沢山あるとのことです。馬と聞くと今回も出ていたRocking Horseが思い起こされますがこちらは使い古しの樽で娘さんのために作った木馬が由来でありたまたまとのこと。一条の光がすっと通るがごとくまっすぐと背筋が通った味わい、もちろん単調ではなく果実味や複雑さも備えていてそれらを酸がぐっと引き締めている感じでした。フォーカスが絞られ、はっきりとした輪郭が掴める!
・Rocking Horse Cape White 2017
ワイナリーの看板的な銘柄でステレンボッシュのルーサンヌ&クレレット・ブランシュ&シャルドネ、パールドバーグのシュナン・ブラン、フランシュックのセミヨンと南アフリカ各地からのブドウをブレンド。もとの造りに加えて2017年というヴィンテージもあり酸がしっかりした綺麗な味わい。
お料理は鮨3軒、天ぷら1軒、焼鳥1軒、焼肉1軒、肉レストランのカレーをケータリングとこちらも豪華。スペシャルワインを一通り味見した後にあまり考えずにケータリングスペースに入ってしまい初手で〆カレーを選ぶことをしでかしつつ大変堪能しました。
・バーデンホーストでgrilled beefに合わせるならばシラーとサンソーのどちらが良いかお聞きしたところ割と悩んだ後でサンソーとのお返事。
・サディ・ファミリーでColumellaにgrilled beefはどうか?とお聞きすると肉はいらない。ワインだけでOK!!と言われました。確かに…!
・白身主体の鮨を片手にRocking Horseもらいに行ったところvery nice for SUSHI!!と言われました。
・カレーがスパイス感あるのにワインを全く邪魔しない…。じっくり煮込まれた肉カレーの旨味とRallのRWCスペシャルのしみじみとした旨味を堪能しました。
・マグロとCrystallumのRWCスペシャルの組み合わせが完璧。
・天ぷらとAlheitのRWCスペシャルの組み合わせが完璧。
生産者の方々との交流、ワイン・料理の美味しさ、大変貴重な経験ができた素晴らしいイベントでした。
生産者の皆様、料理人の皆様、運営のラフィネの皆様への最大限の感謝を!!
そして一週間たった今もそれぞれの味わいを思い出しつつセットの追加購入をどうするか悩む日々です…。。。
事務次官「えっ、どうやるんですか?」
大臣「それを考えるのが官僚の仕事だろうが。安心しろ、具体的な目標や方法には言及しなかったからよ。あのババアのセリフに合わせてセクシーな方法でやると、大衆受けすることを言ってごまかしてやったぜ」
事務次官「勘弁してくださいよ。大臣のお父様は原発廃炉を目指すと発言されたのですよ。火力も原子力も無しに、どうやって電力を賄うんですか」
大臣「親父は関係ねぇよ。地盤看板を俺に引き継いでからもう10年以上たってんだ。親父の政治運動は老後の道楽としてやってるだけで、その戯言に政府も政党も関係ねーよ」
事務次官「では、原発推進すると?昨今の風潮だとそれも難しいかと」
大臣「んなもんどっちでもいいけどよ、俺は30年後も議員を続けるつもりだってことを忘れんじゃねえぞ。削減ができなかったら、将来俺が嘘つき呼ばわりされちまうから気をつけろよ」
事務次官「ぐぬぬーっ。私は東大法学部を卒業し上級国家公務員甲種試験を合格して花形の大蔵省ではなく弱小省庁に入庁してここまで組織を大きくして事務次官にまで上り詰めたのですよ。あと数年を平穏無事に過ごすだけで最高の形で天下りができるはずだったのに、なんでこのタイミングで二酸化炭素と火力発電の削減という無茶ぶりをされなければならないのですかっ」
大臣「うるせえ!てめえのキャリアなんざ知ったことか。組織の拡大と出世にかまけていて、肝心の環境対策をしなかったことのツケが回ってきただけのことだろ。お前自らの選択でここに入ったんだからそれくらい責任もってやれよ」
大臣「それによぉ、お前はお勉強が得意で自分で将来を決めることができだんだからよかったじゃねえか。俺の人生には選択の余地なんてなかったぞ。兄貴が芸能界に行くと宣言してよぉ、親父が長男に世襲をしないと世間にアピールした瞬間から俺の運命は決められていたんだぜ。それに、俺が世襲であると同時にブレーンも世襲なんだよ。親父の選挙対策本部長をやっていたTさんはマジもんの武闘派でよぉ、昔は今と違って衆議院選挙は中選挙区制だったから同じ政党同士でも争ってたんだけどよ、Tさんは対立候補への嫌がらせに棺桶と墓石を送り付けたっていう伝説を持っているんだぜ。ピザや寿司の宅配じゃなくて棺桶と墓石だぜ。そんなTさんも実子に世襲したんだからよ、俺は世襲しないってわけにはいかなかったんだよ」
事務次官「は、はぁ…」
ワンピが看板、ハイキューとヒロアカが二番手、ブラクロ・約ネバ・鬼滅・ドクストがいま売り出してるやつ、呪術とアクタとチェンソが次に売り出すやつ、くらいの感じだろ。
もう10年くらい前のこと。家賃取り立て規制法案が提出された。不動産業者や家主などの団体が「家賃の督促ができなくなる」と、猛烈に反対していた。その時の反対意見は今もネットにいくらでも転がっている。
問題の条文はこれ。
家賃債務保証業者その他の家賃債務を保証することを業として行う者若しくは賃貸住宅を賃貸する事業を行う者若しくはこれらの者の家賃関連債権(家賃債務に係る債権、家賃債務の保証により有することとなる求償権に基づく債権若しくは家賃債務の弁済により賃貸人に代位して取得する債権又はこれらに係る保証債務に係る債権をいう。以下この条及び第六十三条において同じ。)を譲り受けた者又はこれらの者から家賃関連債権の取立てを受託した者は、家賃関連債権の取立てをするに当たって、面会、文書の送付、はり紙、電話をかけることその他のいかなる方法をもってするかを問わず、人を威迫し、又は次に掲げる言動その他の人の私生活若しくは業務の平穏を害するような言動をしてはならない。
一 賃貸住宅の出入口の戸の施錠装置の交換又は当該施錠装置の解錠ができないようにするための器具の取付けその他の方法により、賃借人が当該賃貸住宅に立ち入ることができない状態とすること。
二 賃貸住宅から衣類、寝具、家具、電気機械器具その他の物品を持ち出し、及び保管すること(当該物品を持ち出す際に、賃借人又はその同居人から同意を得た場合を除く。)。
三 社会通念に照らし不適当と認められる時間帯として国土交通省令・内閣府令で定める時間帯に、当該時間帯以外の時間帯に連絡することが困難な事情その他の正当な理由がある場合を除き、賃借人若しくは保証人を訪問し、又は賃借人若しくは保証人に電話をかけて、当該賃借人又は保証人から訪問し又は電話をかけることを拒まれたにもかかわらず、その後当該時間帯に連続して、訪問し又は電話をかけること。
四 賃借人又は保証人に対し、前三号のいずれか(保証人にあっては、前号)に掲げる言動をすることを告げること。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g17409036.htmより
これと同じような条文は、すでに貸金業法に定められている。
第二十一条 貸金業を営む者又は貸金業を営む者の貸付けの契約に基づく債権の取立てについて貸金業を営む者その他の者から委託を受けた者は、貸付けの契約に基づく債権の取立てをするに当たつて、人を威迫し、又は次に掲げる言動その他の人の私生活若しくは業務の平穏を害するような言動をしてはならない。
一 正当な理由がないのに、社会通念に照らし不適当と認められる時間帯として内閣府令で定める時間帯に、債務者等に電話をかけ、若しくはファクシミリ装置を用いて送信し、又は債務者等の居宅を訪問すること。
二 債務者等が弁済し、又は連絡し、若しくは連絡を受ける時期を申し出た場合において、その申出が社会通念に照らし相当であると認められないことその他の正当な理由がないのに、前号に規定する内閣府令で定める時間帯以外の時間帯に、債務者等に電話をかけ、若しくはファクシミリ装置を用いて送信し、又は債務者等の居宅を訪問すること。
三 正当な理由がないのに、債務者等の勤務先その他の居宅以外の場所に電話をかけ、電報を送達し、若しくはファクシミリ装置を用いて送信し、又は債務者等の勤務先その他の居宅以外の場所を訪問すること。
四 債務者等の居宅又は勤務先その他の債務者等を訪問した場所において、債務者等から当該場所から退去すべき旨の意思を示されたにもかかわらず、当該場所から退去しないこと。
五 はり紙、立看板その他何らの方法をもつてするを問わず、債務者の借入れに関する事実その他債務者等の私生活に関する事実を債務者等以外の者に明らかにすること。
六 債務者等に対し、債務者等以外の者からの金銭の借入れその他これに類する方法により貸付けの契約に基づく債務の弁済資金を調達することを要求すること。
七 債務者等以外の者に対し、債務者等に代わつて債務を弁済することを要求すること。
八 債務者等以外の者が債務者等の居所又は連絡先を知らせることその他の債権の取立てに協力することを拒否している場合において、更に債権の取立てに協力することを要求すること。
九 債務者等が、貸付けの契約に基づく債権に係る債務の処理を弁護士若しくは弁護士法人若しくは司法書士若しくは司法書士法人(以下この号において「弁護士等」という。)に委託し、又はその処理のため必要な裁判所における民事事件に関する手続をとり、弁護士等又は裁判所から書面によりその旨の通知があつた場合において、正当な理由がないのに、債務者等に対し、電話をかけ、電報を送達し、若しくはファクシミリ装置を用いて送信し、又は訪問する方法により、当該債務を弁済することを要求し、これに対し債務者等から直接要求しないよう求められたにもかかわらず、更にこれらの方法で当該債務を弁済することを要求すること。
十 債務者等に対し、前各号(第六号を除く。)のいずれかに掲げる言動をすることを告げること。
2 貸金業を営む者又は貸金業を営む者の貸付けの契約に基づく債権の取立てについて貸金業を営む者その他の者から委託を受けた者は、債務者等に対し、支払を催告するために書面又はこれに代わる電磁的記録を送付するときは、内閣府令で定めるところにより、これに次に掲げる事項を記載し、又は記録しなければならない。
一 貸金業を営む者の商号、名称又は氏名及び住所並びに電話番号
二 当該書面又は電磁的記録を送付する者の氏名
三 契約年月日
四 貸付けの金額
五 貸付けの利率
六 支払の催告に係る債権の弁済期
七 支払を催告する金額
3 前項に定めるもののほか、貸金業を営む者又は貸金業を営む者の貸付けの契約に基づく債権の取立てについて貸金業を営む者その他の者から委託を受けた者は、貸付けの契約に基づく債権の取立てをするに当たり、相手方の請求があつたときは、貸金業を営む者の商号、名称又は氏名及びその取立てを行う者の氏名その他内閣府令で定める事項を、内閣府令で定める方法により、その相手方に明らかにしなければならない。
それでも、賃貸住宅オーナーや管理業者たちは反対運動をしていた。
つまり、賃貸住宅の大家や不動産業者、管理会社はヤミ金まがいの取り立てを続けたかったわけだね。大家・不動産屋・管理会社≒ヤミ金と言ってよさそうだ。