はてなキーワード: 生菓子とは
クリスマスに美味しいケーキをゲットするのは無理ゲーと感じる。
町のケーキ屋さんはこの日の大量の受注をいつもと同じ味では提供できない。オーブンフル回転でいつもと違う状況 かつ いつもより人を入れての分業でクオリティがばらばらに。如何にオーナーが重要ポイントを見てもふだんから分業しているわけでもないからその場しのぎになりがち。
一部の予約販売で個数を制限してできているケーキ屋さんもあるのだろうが前者かどうかの区別はできないし、前者も体制を整えて味は変わらないようにしていると言うだろう。
百貨店に出店するようなところは皆さんご存知の通り外注したり、冷凍したり。それでいつものおいしさは難しい。
外から見て、これはいつも通りのおいしさを担保したケーキか、なんて買う側からしたらわからないから完全に運。
そもそもケーキなんて日持ちのしない生菓子を1日で大量につくる&流通させるのなんてのはハードルが高い。
おいしいケーキがほしければ試行回数を増やして当たるまでやるか、たまたまあたったらそこをリピート&常客化とか、大変そう。いや、難しい。
クリスマスに美味しいケーキをゲットするのは無理ゲーと感じる。
町のケーキ屋さんはこの日の大量の受注をいつもと同じ味では提供できない。オーブンフル回転でいつもと違う状況 かつ いつもより人を入れての分業でクオリティがばらばらに。如何にオーナーが重要ポイントを見てもふだんから分業しているわけでもないからその場しのぎになりがち。
一部の予約販売で個数を制限してできているケーキ屋さんもあるのだろうが前者かどうかの区別はできないし、前者も体制を整えて味は変わらないようにしていると言うだろう。
百貨店に出店するようなところは皆さんご存知の通り外注したり、冷凍したり。それでいつものおいしさは難しい。
外から見て、これはいつも通りのおいしさを担保したケーキか、なんて買う側からしたらわからないから完全に運。
そもそもケーキなんて日持ちのしない生菓子を1日で大量につくる&流通させるのなんてのはハードルが高い。
おいしいケーキがほしければ試行回数を増やして当たるまでやるか、たまたまあたったらそこをリピート&常客化とか、大変そう。いや、難しい。
何の学科か分からないが、何かを調べる授業があり、何故かその調べ物をする場所がとんでもない傾斜の坂の上の山の中にある。
傾斜が凄まじく、自分は途中まで自転車に乗って登っていたのだが進む事すらできなくなり、あまりのことに笑いながら自転車を諦めて脇の空き地に横たえて置いて坂道に縋り付くように四つん這いになりながら道を登り始めた。路側帯の白線が何故か普通に帯のように紐のようになっていて握れるので、それに掴まりながら登山のようにアスファルトの道を登っていく。他にも同じ様に山の上に向かっている生徒があり、状況のとんでもなさに苦笑して笑い合いながら目的地に着いた。
山の中腹にある開けた空き地は周囲を木々に囲まれ短い下草が青々と茂っていて、そこに図工室にあるような作業台や角椅子が整然と並んでいる。細部をよく覚えていないが、本類、資料?文献?は卓上に置いてあったのかもしれない。本棚は無かった気がする。そこで多くの生徒、教師が角椅子に座り何かを調べたり読んだりしている。
男女の教員、1人はふくよかで豊かな癖毛をした落ち着いた服装の長髪の中年の女性、1人は顔色が極めて悪い、短髪で目をひん剥いたようなギョロ目をした和装の男性。で、何故か自分はその男性の向かい側で古書を見ていて、その古書は神社の御由緒のような、神社に伝わる書物の由来が記載された目録のようなものだった。読んでいるうちに、その神社の建立当初、帝から賜った宸翰が今に伝わっていると書かれており、へぇええ〜!!!と顔を上げると、夢なので唐突に、目の前の教職の男性の脇に60代くらいの落ち着きのある痩せた神主さんが居て、「持ってきましょうか」と言う。は???凄すぎる、見て良いのか、やべー!!と心中で慌てふためきながら大人しく待っているうちに、夢なので唐突に周囲に人は居なくなり、その作業机には自分と教職の白服の男性、少し向こうにふくよかな女性の教員だけが居て、何故か神主さんが神社に贈られた上等の和菓子をあけて自分と男性教職員に出してくれる。
そのひとつをようく覚えていて、それは艶々ぴかぴかとした光沢のある、一つ一つの粒がしっかりとしている黒豆のような茹で小豆?あんこ?に覆われたぼたもち/おはぎで、実際存在するのかと検索してみるとそのような物は見つけられなかったのだが、自分が見つけられなかっただけでどこかには存在するのかもしれない、それを美味しく食べた。あまりの旨さにまた感動して目を見開きながら顔を上げて目の前の男性教職員を見ると、わかるぞと言うように相手はうなずき、「本物は内側が7層になっているんですよ」と教えてくれて、こんな小さい和菓子の内側に何が7層も入っているのか気になって仕方がなかった。
夢なので唐突なのだが、我々の机の横手には、自分達が登ってきたはずのアスファルトの急斜面は無く、けばけばしくない、ぼろくもない、使い込まれた年代物の神楽殿があった。開け放たれたそこには、奥の方に木札のような、30センチ程の高さの有りそうな折紙に包まれた書状がいくつか重ねて立て掛けられていた。あまり恭しい扱いとは言えないように見えたが、粗雑に扱われているようでもなかった。そのうちのいくつかを今から読むのだろうか?神主さんが紙を開いて書面を出してくれたあたりで目が覚めた。
艶々の黒豆に覆われたあのぼたもち様のなにかが気になって仕方がないが、ぼたもちではなく生菓子かもしれない。
(神戸増田を受けて追記) あえてケーキ屋のパンということなら、京都のアッサンブラージュカキモトで売っているパンも端正でバランスが取れており良いと思っている (下に主にケーキについての詳細有り、パンについても感想は割と被る)。回想に書いた店はもうパンは出さないだろう……
ここやここやここにパンに詳しい増田たちが集まっていると見込んで質問がある。
色々なところに必死に顔を出して済まない。
マニアックで申し訳ないのだが、こういう食パンはどこで食べられる?
東西どちらにも行けるんで、教えて欲しい。ずっと探している。
外側(みみ部分)も内側(白い部分)も、しっかりとバターの味がすると嬉しい。
出回っている食パンは、高級食パンを含めても、バターの香りが立ってこないものが大多数だと思う。
外側が分厚くてハードだと嬉しい。
ただしフランスパンの外側のようなパリパリ感ではなく、しっかりバターを効かせているためにガリガリの重めの食感の外側が作られているような感じ。
最近の流行りと逆行しているのはわかっているが、こういうのが好みなんだ!
そう、なので自分が求めているのはマニアックな食パンなんだよな。発酵バターの香りが立ち、綺麗な四角に整形されたクラストが硬い食パン。クラスト部分はバターを使っている影響で少しデニッシュ感を感じさせるもののデニッシュよりバター量が少ないため硬くしっかりとしているような。一方であくまで食パンのフォーマットに留まっており、内側の白い部分はきめ細かく滑らかで、典型的なデニッシュのように生地を織り込んだ形跡がない。そういう食パン。
たま木亭
ありがとう、京都ではあそこも美味しい。生地にもフィリングにも相当量の油分を使っている上で小麦粉をしっかり焼き上げている。しかもボリュームに比して安い!日本の惣菜パンの最上位クラスではないかと目している。
ル・ペール、寡聞にして存じ上げなかった。人生の中からあの味が消えてしまったという哀しさ、よくわかる。
この辺は行ってぶらつく楽しみが多くて嬉しい。
それで大丈夫です!
上では綺麗に四角と書いたような気がしたが、金型に蓋を載せず山型に膨らませているようなタイプでも、こういう食パンがあるなら大歓迎です!!
塩パン
すみません、バターを使った塩パンは好きだが、求めているものとは違う。ハード系の店であっても、多くの場合、外側が薄いかふわっとして硬くない(パン外側の皮自体にバターの美味しさを効かせているというより、中の生地に閉じ込めたバターを強調している)ケースが多いように思う。
ただ、複数の方が連想して下さっているようなので敢えて塩パンと関連させて言うならば、よく焼かれて皮が厚いタイプの塩パンの、オーブン天板と接触する面(下側)の、バターが効いてかつガリっと硬い感じを想像して欲しい。そこからさらに食パン向けに洗練された感じの外側(みみ)を持つ、そういった感じの食パンを知っていれば教えてくれると嬉しい。
グリーンサムの「イエローブレッド」か、パンとエスプレッソの「ムー」とか?いずれも皮ガリガリではないので、家でトーストして食べたら希望と近い食感になるかも。かまぱんの食パンもバターのせたら近いかも。
食べに行くか取り寄せる!!!
聞いてみて本当に良かったよ。
https://www.bread-espresso.jp/
皆に紹介されているパン屋の中では、JR京都駅構内のル・プチメックが非常に行きやすいし美味いよ。是非寄って食べ歩いてみて欲しい。
あとは京都のアルチザナルも良かった記憶がある。アルチザナルを紹介した増田はデニッシュ系が好きなようだが、自分はハード系の惣菜パンが好みだった。特にソーセージを使ったパンとチーズのパン。おそらくソーセージとチーズにかなり拘っている。ソーセージは汁と油が溢れて香味が立ち、チーズは惣菜パンにありがちな悪い癖がない味で香ばしい。あれは美味かった。
(追記) 東京のおすすめありがとう。s.igarashiとブーランジェリー セイジアサクラは是非行ってみたい。期待大。
京都繋がりだと、京都のケーキ屋では、パティスリータンドレスとアッサンブラージュカキモトが本当に美味い。皆美味いと思うらしく食べログでも日本で上位。
パティスリータンドレスは上品で優美な味で、特に複数の味を重ねて束ねる系のケーキが非常に美味いと思う。スパイス使いも上手い。寄りづらい立地だが、Twitterでその日のケーキと現在店頭に並んでいる数をアナウンスしている。
アッサンブラージュカキモトはとにかく磨き抜かれた味がする。見た目も格調高く美しい現代のケーキ。シェフがショコラティエでもあるのでチョコレート系が美味いが、それ以外も相当に洗練されている。こちらは比較的寄りやすい立地。
なお、上記の自分の食パンの好みを形作った店は、フランス系の味のケーキ屋で、パンも一時期作っていた。そのパンの一つがこの食パン。その店ではフランス風にパンドゥミと呼んでいた。ただ、この店、おそらく人手不足でパンを出さなくなって久しかったところに、現在、店主のご都合で一時閉店中なので、店名は出さない。もう今後パンを出してくれることは無いだろう。
そこは、生菓子も焼き菓子もバターやクリームをどっしり効かせた硬派な味が特徴で、長く続く人気店だった。いや菓子に硬派も何もあるかよと思うかもしれないが、行った人もネット上のレビューもそう評する。バターをしっかり効かせると菓子の味が重くなるんだけどそういう感じのイメージ。さらに生地の密度がふわふわ柔らかくなくずっしりしている。それでいて"バタ臭い""油っぽい"には陥らず、果物の酸味や、香辛料やお酒や焦がしのフレーバーで、強いバランスを取っていた。
そんな感じだったもので、最近流行りの繊細な菓子という訳ではなかったが。デコレーションも凝っていなかったし。
ああ美味かったなあ……
スーパーで「生めろんぱん」というものが値引きで売っていたので買って食べてみたらまずかった。
とにかく味がしないのだ。表面は白っぽくすべすべしており中は普通のパンであってなにが「生」なのかさっぱりわからない。
総じて「生」ナントカと袋に書いてあるパンは不自然に白っぽく表面が大福のように肌理が細かい仕様になっている。
どうもパン業界の「生」カテゴリは、大福をエミュレートする方向に向かうようだ。
だがちょっと待て、大福の餅の部分は加熱処理したもち米であって、「生」ではないと思うが?
「生菓子」の「生」のように、水分含有率が高く傷みやすい(足が早い)食べ物という意味ならわかるが、別に大福をエミュレートする必要はない。
製パン業界の「生」は、小麦粉文化圏から出てきたパンを無理やり米食文化圏の大福に変換しようとしているだけで、はっきり言っておいしくない。
なぜこんなに歪なパンの「生」カテゴリが生まれたかというと、それはひとえに製パンメーカーの商品開発担当の思考停止だと思う。いい加減にやめてほしい。パン屋ならパンを作ってほしい。パンの大福もどきはいらない。
去年の初夏、いつものそば屋に行ったら、店主が厨房の中でマスクもせずにそばを茹でてたもんだから、ちょっとびっくりしたんだけど、その日はそば食って帰ったんだ。その後しばらくして、店主がSNSに書いてるのを見つけた。
「コロナ対策なんてやってもやらなくても変わりがない。ないどころか世間の迷惑にしかなっていない。だから、コロナ対策はもうやらない。」
なるほど、そうなのか。それで、こないだマスクつけてなかったのか。
まぁ、個人の考え方は自由なんだし、店主がそう思ってそれでやっていこうって言うんなら、しょうがない。むしろ、そういう考えでやっているということがSNSでわかれば、客も対応できて良い。
それ以降、俺はその店には行っていない。さすがに飲食店でコロナ対策やらないところなんて、怖くて行けない。
そしたら、今度は和菓子屋だ。俺はあんこも大好きなんだよ。それで、先週末にねりきり買いに行ったら、店頭の張り紙に
と来たもんだ。うちに帰って早速、和菓子屋のホームページを見てみたら、書いてあったわ。なんと、コロナ否定説で有名な某先生の説を真に受けたパターンだった。「コロナウィルスはまだ誰もその存在を確認していない」んだってさ。ここの和菓子は本当に美味しかったんだよ。東京あたりでもこのレベルの店にはなかなかお目にかかれないだろうってくらいの。でも、もうダメだ。マスクもしないで作ってる生菓子なんて、やば過ぎて食う気にならん。
なんで普通に「そうなんですか。じゃあ仕方ないですねぇ。」つって標準的な対応ができないの?そんなに難しいか?仕事中にマスクするの、そんなに大変か?飲食だったら、コロナとか関係なく食中毒とか感染症対策とか、そもそも必要なんじゃないの?
これまでずっと世話になってきたし文句言う筋合いじゃないかもしれんが、この先俺はいったいどこへそば食いに行って、どこへ和菓子を買いに行けばいいんだ。どこでもいいって訳じゃないのに。せっかく見つけた店だったのに。
ずっと片隅にある
あと「ぜんぶ、雪のせいだ」もすごいよね
ははは
今週2泊で京都に行く予定だった
ちょうどいい値段の予約埋まっててもgo toで多少安くなるし
1週間くらい前に、よし!この感じなら感染予防対策してればいける!と思い
何時の新幹線乗ろうかなぁ〜?とか考えてた
現地で南に転勤した友人と落ち合う約束だったから行きも帰りもホテルも一人分
そしたら、あれよあれよと
雲行きがあやしくなっていく………
出発の2日前くらいまでには、行くか行かないかちゃんと決めないとと思って今回は泣く泣く諦めることにした
正直、嫌だった
(和菓子のアンを読んだら京都で生菓子くいたすぎる。これは完全に小説の影響)
うきうきがどんどんしぼんでいった
事務職で営業が緊急事態宣言の時に取れなかったノルマを挽回している、いま
毎日残業でひーひーしていて大好きなライブもなくなって気軽に出かけられないし
繁華街に出ても周りの目が怖くて出かけたとは言えない
それでコロナウィルス罹患したら白状しなきゃいけないんだけどね(苦笑)
gotoも行けなかったひとのキャンセル料を国が負担するらしい
いまになってわかるよ
あーあー
我慢っていつまでつづくんだろうなぁ
泣きたい。
クリスマスでホールケーキが冷蔵庫に入らないほど発注されてしまい、暖房が入ってる中でケーキが200個以上置かれていて足の踏み場もない状態
バックヤードの業務用のめちゃでかい冷蔵庫にも入りきらんくて、外に置くのは仕方ないのは分かるが、これを売るのか?って感じだった
それでもお客さんはなにも知らないから買っていくし、いつもの10倍は売れてて、店の利益としてはいいけど品質とか食中毒とかやばくね?と思った
昨日納品されたケーキとか、一日外に置かれてたせいでカビ生えてるのあったし、(流石に捨てた)冷蔵保存できてないものは売ったらダメなんじゃないの、ってモヤモヤしながら働いた
飲食店で勤めてたことはあるけど、ケーキ屋とか生菓子扱うような飲食の小売?のことは全く知らないから、こういうもんなのか?でもおかしくね?と思って、増田でプチ告発してみた
Day,3
3日目
まぜこぜの国
キングサイズの快適なベッドと一昨日からの寝不足のせいか、旅先には珍しくグッスリと眠ることができた。
8時前に起き、準備を整える。
今日は本格的にマラッカの街を散策し、ニョニャクエとニョニャ料理が食べたい。
ホテルからタクシーでオランダ広場に向かうGRABは本当に便利だ。
隅々まで清潔とまでいえないマレーシアで、日本を遥かに超える利便性のあるアプリが普及しているのは、もう進歩の順序の常識が20世紀型と全然違ってしまっているのを感じる。
朝ご飯を食べようと思っていた目当の店が定休日だったので、たくさんの人が食事をしているカフェに入る。
壁にメニューがあるが、なんだかわからないので、いちいち調べながら注文する。
メニューに「ロジャック」という文字があり、これがちょっと安い。
なんだろうと思って調べると、定型のレシピというのがない料理で、あるものを色々混ぜこせにして、エビ味噌やタマリンドなどのソースをぶっかけるモノらしい。
家庭料理でよくある「名前のない炒め物」のようなものだろうか。
ナシゴレンとアイスコーヒーで腹ごしらえしたあと、オランダ広場の中心部に向かうと、帽子をかぶったマレー系の男性、傘をさしたチャイナドレスの女性、宝石のティアラをつけたタミル女性が観光客を歓迎する壁画があった。
観光ガイドなどでよく見かけるオレンジの教会を写真に収めたあと、歴史博物館を訪ねる。
中に入ると、イスラム、中華、インドそれぞれの人々を象った人形が並んでいる。
少し歩くと、日本兵の銅像とその背後にはためく日の丸が見えた。
マレーシアは、第二次世界大戦中、日本の支配も受けているのだ。
しかし、きっとマレーの人々は、その全てを「マレーシア」という袋の中に入れて混ぜこぜにてしまうのだ。
2階に上がると、マハティール首相と習近平書記長が握手をしているポスターが下がっている。
でもきっとそれも、ここにやって来た以上は、混ぜこせにされてしまうに違いない。
みると、キルラキルみたいなテイストの絵や、ちょっと前のやたら目が大きいアニメ少女みたいな絵が結構ある。
源流を辿れば日本初、ではあるんだろうが、アニメ・マンガ文化はもうアジアの中で消化されて、若者の身体の一部になっているようだった。
諦めと誇り
オランダ広場を離れ、ニョニャクエを買うことのできる店に向かう。
その場で飲食ができるカフェと、販売店舗があるらしく、カフェのほうに向かう。
その場で食べようと思ったが、異国なので同じ経営のものなのかイマイチ自信が持てなく、ニョニャクエ自体は販売店舗で買って、その場ではかき氷を食べることにした。
外が暑いのだ。
しばらく待って現れたそれは、上に鮮烈な緑のプルプルした虫状のゼリーが乗っておりなかなか日本で見ない見た目だ。
これは「チェンドル」というゼリーで、ベトナムのチェーにも入っていた。
材料は米粉で、鮮やかな緑はバンダンリーフという植物から採った天然色素だ。
すごい見た目に反して抑制の効いた味わいで、かき氷全体も優しい甘さだった。
ここで気づいたのだが、スマホ用に持って来たモバイルバッテリー、そっちはいいが、ケーブルを持って来ていない!スマホの電池が切れたらGRABでタクシーも呼べない。
まあいいか、これから販売店舗のほうに行ってニョニャクエを買うとして、あれは生菓子なので、冷蔵庫にでも入れないといけない。
店舗のほうに行くと、これが製作工場と棟続きで、でっかい台所に秋葉原のジャンクパーツ屋をくっつけた様な店内に、極彩色の色鮮やかなういろうを思わせるニョニャクエが並んでいる。
その一通りとチマキが詰め込まれれた「お得セット」的な詰め合わせと、緑の球体にココナツパウダーがたっぷり振りかけられた「オンデ・オンデ」、日持ちのしそうなパイナップルケーキ、それとこれはその場で食べるための餃子型の揚げパイを買い求めた。
約41リンギット。
1,100円といったところだ。
よし、ホテルに戻るぞ、パイを食べてみると、?、なんだろう中に入っている餡は。
わかった、カレー風味に味付けられたサツマイモのフィリングだ。
こういう発想はなかった。
GRABでタクシーを呼んでみたのだが、遠すぎてブッキングできない。
少し歩くしかない。
歩いていると、どうやら界隈は学生街らしく、ヒジャブを被って制服を着た7〜8歳くらいの子供をワンボックスがピックアップしていた。
さらに少し歩くと、もう少し上の年代の、これもヒジャブを被った少女たちの一段と出会う。
彼女らはマレー系なのだろうが、そこから2人歩き出した姉妹は痩身に浅黒い肌で、美しい黒髪を揺らしている。
きっとタミル系だ。
ヒジャブの一団から離れて歩くタミルの姉妹を見たり、空気として感じたものを考えると、マレーシア人にとって多民族が暮らしていることは「いちいち気にしていたら日常生活が成り立たない」もので、一種の諦めのような感情も想像できないではない。
でも、博物館で見た様な表現の世界では、それに目を背けず肯定的に描いたものが多く、「受け入れるしかない状況」と「それを自ら肯定的に捉え直す誇り」の間で揺れてるのかも知れないな、と思った。
ホテルに戻り、プールでサッパリした後、少し読書をして日本×スコットランド戦の海外ネットユーザーの反応を見る。
皆、感情を爆発させて、とりわけ日本のプレーの美しさに感嘆する声が多い。
レビューを書いているうちは試合状況を追いながら書いているので、淡々としがちだが、改めて見るとたしかに日本のトライは美しい。
感情を動かされるプレーについても、それに動かされた感情についても書いてもいいのかも知れないな。
タクシーをピックアップして、今日こそは、でニョニャ料理のレストランに向かう。
事前に調べたところによると、以前訪ねた日本人のお願いにより、お一人様向けのお任せメニューに対応してくれるらしい。
到着して、ママさんに「このサイトを見せて頼めば良い」とされるサイトを見せてお願いすると、料理の好みや内容に関する軽い質疑応答を経て、3皿とご飯が出てきた。
野菜が入った平たいオムレツ、レタスと思われる青菜炒め、豚肉とそら豆のちょっと辛い炒め物。
たっぷり出て来ると勝手に想像していたので、「意外と普通の量だな」と思ったものの、おひとりさまメニューとしては妥当な量だ。
味わいは中華といえば中華なんだが、豚肉とそら豆の炒め物のスパイシーで奥深い旨味のある味わいが、ナシゴレンの旨味を思い出させ、確かにこれは「中華風マレー料理」だ。
よくよく考えると、イスラム教国のマレーシアで豚肉の炒め物が出て来ると事自体が特殊な事だ。
だいたい830円くらい。
3皿と飲み物を頼んでこれなら安いだろう。
マレーシアの物価について大体見えてきたんだけど、ホテルとタクシーが異様に安いだけで、その他の物価は日本の5割〜6割いといったところだ。
ママさんにお礼を言って店を後にする。
生温い夜風に吹かれながら歩くと、賑やかな屋台市が見えてきた。
ちょっとのぞいて見ると、皆思い思いの料理を頼んで、夜空の下で食事を楽しんでいる。
まだもうちょっと入りそう。
と、みると「ROJAK」の文字が。
あの謎の混ぜこぜだ。
これは行くしかないと思って頼んで見る。
しばらくすると、茶色いソースがかかったなんだかわからないものが出てきた。
キュウリ、タロイモ、ニラ、揚げパンかな?口に運んでみると、ソースにちょっと独特のくさみがある。
肉類は一切入ってないのだが、この強い味付けで単体でも結構食べ応えがある。
においもすぐに気にならなくなった。
フードコートにうろつく野良犬の横で謎の混ぜこぜ野菜を食べていると「これが熱帯の夜か」という感じがした。
ホテルに戻ってサウナに入ったあと、冷蔵庫に入れておいたニョニャクエを食べてみる。
鮮やかな赤、青、緑のそれは、(色以外は)見た目の通り、ういろうを思わせる味で、さすが中華文化を受け継いでいるだけあって上品な甘みだった。
生菓子でお土産としては適さないので、もしマレーシアに来ることがあれば、ぜひ味わった方がいいと思う。
明日はこの極上のホテルをチェックアウトしてシンガポールに向かう旅程になっていたのだが、シンガポールではわずか1泊してまたマレーシアに戻る予定を組んでいたので、行きはともかく帰りの移動に焦りたくなく、先にバスを予約してしまうことにした。
慣れないバス予約サイトと格闘すること1時間半ほど、なんとかシンガポールからマレーシアのバスを予約できたのだが、ここで小さなトラブルが発生。
何度も予約の失敗を送り返していたため、成功した予約の詳細を確認していなく、ピックアップポイントも降車ポイントも当初の旅程とはやや離れた場所になってしまった。
一瞬焦ったが、シンガポールはショッピングモールの前だし、マレーシアは鉄道駅のすぐ近くだったので、これはシンガポールの物価も見られるし、マレーシアの鉄道にも乗れるし、いいかもしれない、と前向きに捉えることにした。
なんとかなるだろう。
なんとかなるのかな。
20代女同士の友人である場合、食事・遊びの際の支払いはおそらく大多数が「割り勘」となるだろう。
どちらかの誕生日や何かしらのお礼等のイレギュラーなケースを除けば大体がそうだと思う。
かく言う私も外食であればそうなる。私は酒を飲まないので、のんべぇとの食事であれば飲酒する友人が少し多めに支払うことはあるが、概ね対等・平等・公平だ。
だが、その均衡がどういうわけか狂う場面がひとつだけある。
あまり得意ではない、あるいはまったくしない友人等が自宅に来ると料理を振る舞う。
一人暮らしを始めた当初に「遊びにきて」と私が誘い、以降この“食事会”は3~6ヵ月のペースで、もう5年程開催されている。
このところは友人の誰かが「○○のうちでご飯食べたい」と言い出して開催する流れが多い。(つまり、私が“招待”しているわけではない)
そんななか、彼女等はいつも食事代を支払わない。正確に言えば、最初の数回以降、支払わなくなった。
友人等がやって来る際に私がしていることは以下の通りだ。
・当日朝までに食材の買い出し(人数にもよるが、大体6,000円~9,000円)
・友人の到着までに調理(だいたい4~6品)
・友人等が帰ったあとの片付け
昼にやって来て19時前に帰るのが定番のパターンであり、その間に様々な話をするが、帰る間際になってもそこにいる友人1~3人、誰の口からも「いくらか出すよ」の「い」の字も出ないのだ。
始めの頃は違った。「一律で1人2,000円(3,000円だったかもしれない)お金を出すよ。もし多かったなら次回の資金に回して」と友人みずからルールを決めて数回の食事会を過ごしていた。それが、いつのタイミングからか改定されていたのだ。
食事会に参加していない友人も交えた会話のなかでの彼女(前述のルールを決めた張本人)曰く「デザートは私が買ってくの。それでトントンになるから」とのことなのだ。
たしかに食事会の計画中に「ケーキは私が買ってくね」と宣言し、実際に人数分買ってきてくれるが、「それでトントンにする」とは一言も打ち合わせしていない。
デザートが1人600~700円、3人分なら2,000円ほどになり、なるほど友人は食事会開始当時とおなじ金額を支払っているのだろうが、私は6,000円~9,000円を費やしているのだ。その金額そのものをまったく補えていないではないか。
重ねて言えば、私の超個人的な意見ではあるが、訪問時の手土産はマナーであって「トントンにする」材料ではない。買ってくるように、と指定されたものでなければ勘定に入れるべきではないと考えている。
前回までは改定ルールが適用されていたので、私はつい先日の食事会は以下のようにした。
「トントンにする」材料がない友人等はどうするのだろうか? と半ば試すような気持ちで友人2人を迎えた。
結果……彼女等は、やはり「いくらか出すよ」の「い」の字も出さなかった。
誤解が生まれないように注をつけるが、友人等は決して常識外れではなく、育ちが悪いわけでもない。頭も良いほうだ。
冒頭に書いたとおり外食であれば割り勘であるし、いくらか自分のほうが多く負担すべきと思う場面ではそれを申し出たりもする。
だのに、私の家での食事だけ、どうしてこうなってしまうのだろうか。
私が自発的に「きょうはお金を出さないで」と言ったときがある。友人の誰かの誕生祝いをした際などは祝うべき友人だけでなく皆からも受け取らなかった。
また、私の実家に友人2人(食事会にもっとも来ている)を過去2回招いた際はすべて私と私の両親が持つ「おもてなし」であった。
たった数回ではあるが、それらを経て私から提供されるものがすべて私持ちであると勘違いした?
②ただただ度忘れしている
食事会が始まった当初のルールや、当日にすべき支払いを忘れてしまっている。
私は金銭を請求する等の行為は一切しないので(借金取りのようで卑しく感じるため)、リマインダーもおらず疎かになる。
料理をほとんどしないがゆえにその食事に必要な金額をかなり低く見積もっており、支払う必要もないと感じている。
友人等はアイドルの追っかけや二次創作等、なにかとお金のかかる趣味を持っている。
私の家での食事会は、改定ルール(もはやそれさえ改定されているが)であればどんなお店よりも安く遊べるので“上手に利用している”。
またしても注をつけるが、私は決して友人等からもらえなかった数千円が惜しいわけではない。
そもそも金銭的に厳しければ食事会など開かないし、それなりに資金があるからこそしっかりとした支度をするのだ。
納得ができないのは、
・どんな事情であれ同い年の友人からの“タダ飯”に平気でいること
・それを繰り返すこと
なのだ。
家に遊びに来てくれるのは嬉しい。手製のご飯を「おいしい」と食べてくれるのも嬉しい。「また作って」と言ってもらえるのも嬉しい。
だが、その嬉しさだけではやっていけない。
私が切り出さなければならないのだろうか。どんな理由があるかも分からない(ほとんど分かっているが……)のに、数千円をケチケチと追いかけるような真似をしなければならないのだろうか。
数年前からの不満がとうとう一杯になってしまった。「また作って」の「また」は一生来ないかも知れない。
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9/16追記
たくさんアドバイスをありがとうございます。ずっと抱えていたモヤモヤを吐き出すためアカウントを取得し初めて投稿したので、こんなにお声が返ってきたことに驚いています。
①私がなぜそんなにおもてなしをしているのか
「変なものは出せない」「やるからにはキチンとしよう」という意識からです。
前述のとおり食事会の始めのころは一律の出資額がありました。「一律2,000円(3,000円?)」と決めたのは友人ですので、2,000円出してもらうに相応しいものを継続している、という認識でいます。
「言えばいい」「どうして言わないの?」とたくさんお声をいただきましたが、お金の話はやはり切り出しにくいです。
食事会とは別の場面でも「チケット代○○円だったからね」→「いま細かいお金ないや。後で良い?」→忘れられる、というケース等あります。何度も「ねぇ○○円だよ」「○○円ちょうだい」と言うのは(言ったことはありませんが)ほんとうにしんどいです。
そういった経験から「ひとり○○円ね」と発することにも抵抗を感じます。チケット代等ならまだしも、かつて友人が決めた一律額や私がした買い物の金額となると、よりハードルが高く感じられます。
私が払う立場の際は、たとえば映画のチケットを買っておいてもらった場合、会ってすぐか、席に腰を下ろしてすぐに支払っています。
食事会をするメンバーとは別ですが、友人宅で手作りご飯を頂いたこともあります。その際はケーキを持参しつつ2,000円受け取ってもらいました。自分がお金の請求に苦しむ性分なので、金額が分かっているものはすぐに出す準備をし、分からないものは気持ち多めにして先回りの形を取りがちです。
繰り返しになりますが、もらえなかった数千円そのものが惜しいわけではありません。食事会の半分以上が“タダ飯”なのにいまなお続いているのも、金額そのものが惜しいわけではないからです。
とはいえ、“タダ飯”を平気でする友人に「どうして?」「なぜ?」と疑問が湧いてしまうのも止められません。
③今後について
少し詳しく書いておく。ちなみに俺は自発的には全く摂取しない派、なんだが、最近はコンビニのコロッケとかにも入っていたりするからな。それはかなり難しい。
人工甘味料としてよく使われているのは:
辺りがメインだろう。これらはいずれもそれ自体が糖分として代謝されないので、カロリー源として吸収されることなく排泄される。そのためにダイエット○○的なものに使われるわけだ。
という感じだな。ただし、人工甘味料全体に関しての危険性が指摘されている。これは味覚とか腸内フローラに対して影響を与えることで、特に糖尿病の発現リスクを高めるのではないか、という話なのだけど、これに関しては分かりやすい文章をリンクしておこう。
https://www.alic.go.jp/content/000138490.pdf
なーんだ、じゃああまり問題ないじゃん、と思われるだろうが、先に書いたように俺は全く摂取しない派なんだな。その理由も書き添えておく。
俺が摂取しない第一(にして最大)の理由は、口中の味覚のバランスが崩壊するためだ。人工甘味料の多くは、甘味の後引きが長い。ガムにおいて人工甘味料が多用されるのはこの性質を逆手に取っているわけだが、微糖のコーヒーなど飲むと、その後もずっと口中に甘味が残っているのが、俺はちょっと耐えられないんだな。
それに加えて、人工甘味料の甘味はショ糖のそれと比較して癖がある。ものによっては強過ぎると苦味を感じさせるものもある。天然由来の甘味料にたとえばステビア、カンゾウ、ラカンカなんかがあるわけだが、これらが甘味料としてあまり多用されないひとつの理由がこの癖なんだ。俺が知る限り、最初の甘味が自然なのはネオテームだと思うが、ネオテームは後引きが強いので、上述の理由にがっつり該当する。だから俺は決して食わない。
そして、各食品メーカーが人工甘味料を使用するのはユーザーの健康のため、ではない。これは断言してもいいと思うんだが、コストダウンの為なんだ。
たとえば、アセスルファムカリウムの値段をみてみると、ドイツ製の高品質のもので 1 kg あたり8000〜10000円、中国製のもので5000円前後。でも甘味の強さはショ糖の200倍なんだから、中国製ならショ糖 1 kg 換算で25円ということになる。これ式で計算すると、スクラロースで60円弱、アスパルテームで25〜50円、ネオテームで(すまん、これだけ単体じゃなくてこれを含む製品で計算してるので実際はもっと安いと思うが)35〜50円。明らかにショ糖 1 kg より安上がりなんだよ。
それに加えて「微糖」「ローカロリー」「ダイエット」等の煽り文句をつけられる。色々と「おいしい」わけな。生産者としては、少量で強い甘味が得られるということで、使用量の管理が難しくなる。だから大規模に生産できる会社がより積極的に使っているわけ。ただし、食品メーカーが使う「素材」の段階で添加されている場合も多いので(最初に書いたコンビニのコロッケの場合、おそらくマッシュポテトに添加した製品が素材として流通しているのだろうと思う……他にも調味料とかもな)、特に商品表示が比較的アバウトなファストフードや惣菜の類などでは今後も拡大的に使用されるんだろう。
まあそんなわけで、経済原理に健康の皮を被せた代物を食べて、味覚が狂う不快感に耐える気が俺にはない、というわけな。
【後記】
なんかブクマの件数が凄いのでこちらの方がびっくりした。読ませていただいた感じでは、やはり味に違和感を感じる方が少なからずおられる反面、特に問題ない、という方もおられる模様。こればかりは、体質であったり、味をどのように捉えているのか、という問題であったり、複合的な要素があるだろうし、答がひとつというわけでもないと思う。俺の場合はあくまでまず主観的に違和感を感じるので摂らない、あと糖尿病との関係に関してはまだ結論が出ていないので、その研究状況も観察しながらの判断だったりする。まあ、糖尿病に関しては、これらの物質の影響なんか、生活習慣それ自体の影響に比べればハナクソみたいなものかもしれないけどな。
あと、果糖や転化糖、あるいはトレハロースなんかはどうなんだ、というご意見があった。この辺りは難しい。天然由来のものが多いけど、ほぼ全てのものの生産には化学的、もしくは生物学的プロセスが絡んでいる。これらを厳密に採り上げて「人工」の定義に加えると、これもどなたか書かれていたが、ショ糖だって人工の甘味料じゃないか、という話になるかもしれない。今回は、世間でひろく使われていることに加えて「ショ糖と比べて著しく強い甘味を有する」「天然に存在する物質は除外する」という観点で4つの物質に絞った次第である。サッカリンや(使用を禁止されているけれど)ズルチンも入れるべきなのかもしれないが、果糖、転化糖、トレハロースなどはこの理由から外した。余談だが、トレハロースは甘味料という名目で使われることが多いんだが、実際にはその強力な保水力がメインの効能だ。生菓子が何日ももつようになったのはこのおかげだし、砂糖の半分程度の甘味(俺は単体で味を試したことがあるが、ショ糖と比較すると明らかに不自然な甘味である。使う上では甘味が強くなくかつ後を引かないのが逆に良いのだろう)なので、小規模生産の現場においても容易に量をコントロールできる。まさに魔法の白い粉なんだ。
コーラに関していうと、果糖に関しては注目しておくべきかもしれない。果糖というけれど果実から採取されるものではなく、コーラなどの清涼飲料水に用いられるのはほぼ全てトウモロコシから作られた異性化糖(日本の製品表示では「果糖ブドウ糖液糖」と表記される)、誤解を恐れず簡単に言うならガムシロップだ。アメリカにおける肥満の一大要因、日本における糖尿病の一因としてこれがあることは間違いないので……
・昨日は連休の中日だったせいか、お酒の入ったお客様が多かった。お酒が入ってるからといって迷惑行為をして来たりはしないので、助かる。まあ、夕勤帯のお客様の大半は、お店の近所の住民なので、お客という立場でもヘタなことはしないよね。
・十数年前、飲食店のアルバイトをしていた時は本当に毎回嫌で嫌で仕方がなかったものだ。毎回何かしら嫌な事があった。
・飲食店とコンビニではお客様の民度が違うという事なのか、時代の違いなのか、私自身の若さとか未熟さとかが厄介事を呼び寄せていただけなのか、よくわからない。
・わからないが、飲食店よりもはるかに、コンビニバイトは快適である。
・一緒にシフトに入る人次第というのはある。
・真面目にやれば無駄に仕事のレベルを上げるなと怒られ、その一方でやることなす事一々姑かテメエは!ってくらい文句つけられると辛い。完璧にやれと完璧にやるなを同時に言われてるようなもんで。
・まあそれはオーナーが悪いよなぁと思う。従業員が真面目に仕事してるとどんどん要求を吊り上げてくるのは良くない。
・ところで土曜日、近所のスーパーに買い物に行った。そしたら洋生菓子のコーナーで、10歳くらいの女の子がショートケーキ二個入りのパックをおもむろに掴み上げると、パックの側面にぶっちゅ~~~っと唇をつけた。
・もろに目があった。あ、やめさせないと!と思った瞬間、女の子は脱兎のごとくに走り去ってしまった。
・そういえば、去年末にオーナーから注意喚起があった。最近、お店の食品にイタズラをして陳列棚に戻すという動画をインターネットに公開するというのが子供の間で流行っているらしいので、子供が来店した際は売り場に出てフェイスアップをしながら子供の動向を監視し、イタズラさせないように、との事。
・この間のくら寿司とかセブン謝罪の件もあったし、大人には見えない子供だけのコミュニティがあって、食品にイタズラをしてそこで勇者扱いされる事を目指ししている子供達というのが、まじでいるんだなぁ。