2019-10-10

[] #79-3「高望みんピック

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「あれは確か数年前、いわゆる倦怠期での話ですが……」

マスターは惚気話だと思われないよう自嘲を多分に交えつつ、自身結婚エピソードを語っていく。

それは如何にもありふれた、何気ない内容だった。

「ははは、さっきから愚痴ばかりじゃないですかマスター奥さんが聞いたら怒られますよ」

「ええ、なので密に願います

結婚したこと後悔してんじゃないのお?」

「いえいえ後悔はしていません。ただ独身時代自分に未練を感じることがあるだけです」

「なんだよそれ、似たようなもんだろー」

仲間たちと共に茶化しつつも、この時のタケモトさんはマスターのことを内心“羨ましい”と思っていた。

結婚に後悔することも、独身に未練を感じることも、何はともあれ結婚しているからこそ出来る。

その是非を語れるほど、自分結婚という事柄真剣に向き合っていないと気づいたんだ。

「……結婚、ねえ」

わずそう呟いてしまった自分気づき、タケモトさんは眉と口元をへの字にした。

…………

後にタケモトさんはこう語っていた。

マスター奥さん出会いは、近所のお節介バサンに紹介されたことがきっかけらしい。さしずめ、オレはお節介バサンのもとへわざわざ出向いて、金まで払って“お節介してくれ”と頼みにいったわけだ」

いつも着崩していたスーツを調え、タケモトさんが向かったのは最寄の結婚相談所だった。

パソコン場所を調べている時、なぜか妙に気恥ずかしかったんだとか。

「……よし、行くか!」

このセリフを何回言ったか

相談所近くまで来てみたはいものの、足が重くて中に入ることができない。

「よ、し、行くっか」

ここに入るということは、“すごく結婚したいです”という看板を掲げさせられるのと同義

ロクな出会いもなかった人間にとって、それは自意識を尖らせ、動きを鈍らせるものだった。

「へはっ……うわはは」

看板の予想以上の重さに変な笑いがこぼれ出る。

自分でも驚くほどに体が強張り、思考が膠着していく。

「……ふう、今日は吸わないつもりだったんだがな」

結局、それを弛めるためにタバコを数本消費し、タケモトさんは半ばヤケクソ気味に飛び込んだ。

「やっと第一関門突破だ」


こんにちはコンサルタントゲン・キュウと申します」

諸々の事務的手続きを終え、コンサルタント相談する段階に入る。

相手希望する条件は、どのような?」

「まあ、自分を選んでくれる人なら……」

そういう遠慮をする性格でもないだろうに、タケモトさんは言いよどんだ。

変に肥大していた自意識が押さえ込んできたらしい。

「タケモトさん、あなた内定欲しさに面接を受けるとき、“自分を選んでくれるならどこでもいい”と言うんですか」

「うっ……」

あなたは選ばれる側でもありますが、選ぶ側でもあるのです。何でもいいという姿勢は、かえって相手にも失礼です」

「そ、そうですね……」

それに対して、コンサルタントは坦々とした口調で説いていく。

タケモトさんみたいなタイプを何人も見てきたのだろう。

「条件を言って私にどう思われるか不安なのかもしれませんが、まずは正直に申し上げてください。話はそれからです」

はい……」

タケモトさんは、まだスタートラインに立ったばかり。

しかし既に、完走できる体力が残っているのかと不安になっていた。

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