「あれは確か数年前、いわゆる倦怠期での話ですが……」
マスターは惚気話だと思われないよう自嘲を多分に交えつつ、自身の結婚エピソードを語っていく。
それは如何にもありふれた、何気ない内容だった。
「ははは、さっきから愚痴ばかりじゃないですかマスター。奥さんが聞いたら怒られますよ」
「ええ、なので密に願います」
「いえいえ後悔はしていません。ただ独身時代の自分に未練を感じることがあるだけです」
「なんだよそれ、似たようなもんだろー」
仲間たちと共に茶化しつつも、この時のタケモトさんはマスターのことを内心“羨ましい”と思っていた。
結婚に後悔することも、独身に未練を感じることも、何はともあれ結婚しているからこそ出来る。
その是非を語れるほど、自分は結婚という事柄に真剣に向き合っていないと気づいたんだ。
「……結婚、ねえ」
思わずそう呟いてしまった自分に気づき、タケモトさんは眉と口元をへの字にした。
後にタケモトさんはこう語っていた。
「マスターと奥さんの出会いは、近所のお節介オバサンに紹介されたことがきっかけらしい。さしずめ、オレはお節介オバサンのもとへわざわざ出向いて、金まで払って“お節介してくれ”と頼みにいったわけだ」
いつも着崩していたスーツを調え、タケモトさんが向かったのは最寄の結婚相談所だった。
パソコンで場所を調べている時、なぜか妙に気恥ずかしかったんだとか。
「……よし、行くか!」
相談所近くまで来てみたはいいものの、足が重くて中に入ることができない。
「よ、し、行くっか」
ここに入るということは、“すごく結婚したいです”という看板を掲げさせられるのと同義。
ロクな出会いもなかった人間にとって、それは自意識を尖らせ、動きを鈍らせるものだった。
「へはっ……うわはは」
看板の予想以上の重さに変な笑いがこぼれ出る。
「……ふう、今日は吸わないつもりだったんだがな」
結局、それを弛めるためにタバコを数本消費し、タケモトさんは半ばヤケクソ気味に飛び込んだ。
諸々の事務的な手続きを終え、コンサルタントに相談する段階に入る。
「まあ、自分を選んでくれる人なら……」
そういう遠慮をする性格でもないだろうに、タケモトさんは言いよどんだ。
「タケモトさん、あなたは内定欲しさに面接を受けるとき、“自分を選んでくれるならどこでもいい”と言うんですか」
「うっ……」
「あなたは選ばれる側でもありますが、選ぶ側でもあるのです。何でもいいという姿勢は、かえって相手にも失礼です」
「そ、そうですね……」
それに対して、コンサルタントは坦々とした口調で説いていく。
タケモトさんみたいなタイプを何人も見てきたのだろう。
「条件を言って私にどう思われるか不安なのかもしれませんが、まずは正直に申し上げてください。話はそれからです」
「はい……」
タケモトさんは、まだスタートラインに立ったばかり。
しかし既に、完走できる体力が残っているのかと不安になっていた。
≪ 前 少し前までタケモトさんは結婚願望というものがなかった。 厳密に言えば、それが自分にあるかどうか考える余裕すらなかったんだ。 退屈させてくれない労働、ソリが合わない...
「“結婚はゴールじゃない”なんて言う人いるけど、あれ大した理屈じゃないよな」 俺がそう言うと、兄貴は体の向きを変えないまま「そうだな」と答えた。 「“じゃあ、あんたのゴ...
もうやめなよ・・・。 誰も君の小説を読まないよ・・・。
≪ 前 「年齢は近いほうがいいですかね。あ、あと異性で」 「他にはありませんか?」 「自分が働いているので専業で家事ができる人……いや、家事代行を頼める資金があるなら、共...
≪ 前 コンサルタント曰く、この婚活パーティの参加者は常連が約8割。 つまり結婚したくてもできない人間、“売れ残り”ばかりが棚に並んでいるんだ。 そしてこのお見合いパーティ...
≪ 前 「再開は30分後となります。それまでは、しばし休憩を」 折り返し地点にさしかかったところで休憩が入った。 とはいえ、この時間は自由な交流が認められている、いわば追加...
≪ 前 「高望み、上昇婚が困難とされる理由は何だと思いますか?」 「そりゃあ、ハードルが高いせいで飛び越えられる人が少ないからでしょう」 「ちょっと違います。あれの最大の...
≪ 前 「担当だった私の顔写真まで貼られてしまいましてね。逃げ場を断たれたと思いましたよ」 コンサルタントは、婚活レースにおける敏腕コーチとして祀り上げられる。 おかげで...
≪ 前 もちろん、個人の心構えが変わったところで物事はそう簡単に好転したりはしない。 亀が死ぬ気でやってもハードルは跳び越えられないし、居眠りしない兎に勝つなんて無理だ。...
≪ 前 パーティ終了後、タケモトさんは彼女と連絡先を交換。 それから連絡を取り続けて数週間が経った、ある日。 結婚相談所に近況報告をしにきていた。 「昨日、二人でデートみ...