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はてなキーワード: リバタリアニズムとは

2021-09-29

anond:20210929144434

説明読んだけど、リバタリアニズムというのは思考実験の域を永遠に出られないように見える。

ルールそれ自体によるアップデート機能を含んだ最適で属人性を排した統治ルール

それをあらゆる恣意を排して運用可能システム

この2つが完成するまでお試しの一歩すら踏み出す事ができないのでは?

信じて模索し続ける行為自体尊いが、そんな都合のいいルールがあるというのは仮定に過ぎないし、

世界適用しようとする事は神様を探して世界中歩き回るようなもので、半ば宗教じみて聞こえる。

anond:20210929144434

私有財産を廃せずとも、自由が進展していけば人々は私有財産を「イキる」ために使うことは減ってくると俺は考えている。

それはない。

カネが人間ドライブすることがなくなるのであれば、それは実質的共産主義と同じだし、少なくともそれは「リバタリアニズム」として求めているところではない。

まあ、そういう妄想が好ましいのは理解できるけれども、本当にそうであるのならば、実際に財産をきちんと配分しておけばいいだけ。

実際に配分もせずに、「きっと俺たちは平等でいられているはずさ!」というのは身勝手な言い分過ぎて見てられないよ。

anond:20210929142746

まずその「ベーカム」の認識が間違っている。

「ベーカム」に人格的なものを見いだしているが、リバタリアニズム下における分配システム、それはルールシステムにすぎない。

から政府側も(究極的には政府不要になるだろうが)、高額納税者側も、「施しを与えてやってる」みたいな意識存在しなくなる。享受する側も誰かの顔色を伺う意識はない。そもそも自分がどの立場いるか区別曖昧になっていくだろう。生き方は多様で、社会寄与する部分、助けられる部分は複雑に入り組んでいるのが自然であるはずだ。本当に自由環境下で活動する人間は、もっぱら与えるだけ、もっぱら受け取るだけみたいな動き方をしない(健康である限りは)。

ルール至上主義からルールに対してすべてのプレイヤーは対等であり、立場や状況の違いがあるだけだ。すべては移りゆくもので、そこに人間性的な驕り高ぶりを混ぜ込んでしまうような共産主義的な発想は厳格に排していかないといけない。自由主義のマインド市民理解した上で維持するは高度な教育必要で、その練度を維持するのも課題ではある。

anond:20210929142021

勾配があることの何が問題なのかが分からない。

勾配や格差があっても、自由権利保証されていれば人は満たされる。

トップに立たなければ気がすまないような人ばかりではない。

GAFAに勤めていなければ生きている価値がない、なんて人はそういないし、そんな言説が溢れているわけでもない。

勾配の上にいる者が支配しようとしてくることもあるだろうが、それに囚われない賢さをすべての人間が持っている(ようにするのが前提)。

リバタリアニズム下では、すべての人が、経済的にも社会的にも精神的にも、束縛を受けず生きていけるような自由リテラシーを備えているべきだし、社会上もそのサポートが当然なされているはずだ。

anond:20210929141649

まり技術によって絶対誤らないサイボーグAIのような理想的リーダー像を創造できる、ということなら、確かにリバタリアニズムの終着点と外見上は同じかもしれない。

違う。

リバタリアニズム私有財産否定していない以上、パワーの勾配は必ず発生するし、パワーの勾配が存在する以上、意思決定は必ず阻害される。同じ終着点にはたどり着けない。

からリバタリアニズム妥協の形でしかない、と言っている。

anond:20210929140951

まり技術によって絶対誤らないサイボーグAIのような理想的リーダー像を創造できる、ということなら、確かにリバタリアニズムの終着点と外見上は同じかもしれない。

けれど、共産主義の土壌からそういうものが作り出せるとは俺は思わない。指導者というアイドル像を掲げている時点で、人間がそれに勝手な期待を寄せて勝手解釈をしてしまうからだ。人間性はシステム上のノイズだ。

そのせいでビルドアンドスクラップの繰り返しになるだろう。

国家が直面するあらゆる経済的社会的局面対応する、AIが導いたかのような万能の虎の巻、という万国の宝となるルールブックが作れるとして、そのページを着実に増やしていけるのは、自由主義経済下の国々だけだろう。

その虎の巻をオープンソースにしていくことが世界の均衡のためには重要になるが、そういうことをできるのもリバタリアニズム精神が混じっていないと不可能だ。

anond:20210929135946

人間は必ず誤る。だから善悪を決める裁量を少数の人間にゆだねてはいけない。

リバタリアニズムは、フェイルセーフシステムを探求していく思想

共産主義は、「俺に任せろ」の思想

どちらがモダンなのかは明らか。

anond:20210929135634

リバタリアニズムは、人類の知性を信じて

人類の知性を信じるとか言うカルト宗教みたいなこと言って共産主義否定してるの草

目糞鼻糞を笑うとはこのことか

anond:20210929135634

共産主義の先にあるのは、寡頭な人間による統治、そして腐敗。低いレベル平等が実現しても、人間自由はない。それは最悪の侵害だ。

それこそ運用問題やろ。

リバタリアニズムは結局、資本主義との妥協や。

妥協が悪いと言うとるんと違うぞ。妥協理想とは違う、っつっとるんや。

anond:20210929135149

共産主義の先にあるのは、寡頭な人間による統治、そして腐敗。低いレベル平等が実現しても、人間自由はない。それは最悪の侵害だ。

リバタリアニズムは、人類の知性を信じて、集合知で最適なルールを作り、属人性を排したルール統治する。そのため自由経済ダイナミズムを生かした大きなパイを焼き上げることができ、食いそびれた人にも自動的に配給するシステムを目指す。人間監視したりしないし、「あら、食えなかったの?じゃあはいコレ」でクールに済ます

anond:20210929134632

で、完全な自由意志を実現しようとすれば、資源の完全な再配分を達成するしかない。

それをリバタリアニズムの延長で捉えるか、共産主義の内側のものとして捉えるかでしょ。

少なくとも「理想」というには、リバタリアニズム資本主義との折り合いをつけようとする妥協が見えすぎている。

anond:20210929131658

リバタリアニズムは、富もうとすることを否定しないが、同時に本来リベラリズムでもあるので、多様な生き方を許容する。

資本によって恣意的コントロールをされることを防ぐ仕組みをどこよりも真剣に考えているのが、リバタリアニズムだ。

愚者愚者のままでいることをも許容するが、それは全体からすればレアケースであって、基本的には他者に操られず賢く生きることを丁寧にサジェストしていくイメージだ。

人間裁量ではなく、パターナリズムにも頼らず、スマートルールによって自由かつ健全社会が保たれる仕組みを探求するのがリバタリアニズム

抑制的なポピュリズムによって秩序を成そうとする共産主義真逆アプローチでありがなら、経済的にも社会的にも弱者に優しく・そもそも弱者が生まれないようにという優しさは共通している。

ライトウィングとレフトウィングは経済的自由社会自由、片方は認めるがもう片方は認めない思想なので、認めない側にいるものへの冷酷さがある。

リバタリアンに抱かれがちな冷酷さというのは、統治側の人間基準による裁量や温情措置、融通といった不安定不明瞭、不平等構造にNOを突きつけ、洗練されたルールによる脱・人間依存システムを目指す部分に由来するものだろう。

資本主義的な格差由来の冷酷イメージというのは、ルール成熟していないことによるもので、これをなんとかしたいのはリバタリアン共通意識だ。

2021-09-27

からフェミニズム議員連盟に反対する署名を求められたので実名署名した

個人思想的には丸出しのアンチフェミなんだけど、アンチフェミ部分以外はリバタリアニズムの混じった中道左派的な(微妙な)思想であり

かつ、失いたくない社会的身分もあるのであまり表立ってフェミニズムと敵対したい訳ではない

が、西村博之YouTube動画を見たりしてネトウヨ(というか、冷笑系というか)に若干染まっていると思われる嫁から署名の誘いがあった

聞けば自分は既に署名したのでお前もどうかということである

おいおいとは思いつつ、こうなれば夫婦一蓮托生、覚悟を決めて実名をもって署名した次第

嫁は俺と知り合った時にはフェミもどきのようなことを口走ることがあったが、今では俺以上の急進的アンチフェミのようである

自身男児を持つ家庭の一員として、フェミニズムという名の男性蔑視性差別主義を甘んじてのさばらせておきたくはない

それに社会フェミニズムを単純な社会正義ではなく、むしろ性差別であり社会悪としてみなす…という潮目の変化も少し感じた

結果的には俺の中にもあった思いがアンチフェミをたぎらせた嫁に後押しされて世の中に出ることとなった

この構図、よく考えてみると完全にこれである

https://i.imgur.com/9UDY6HG.png

2021-07-22

ポリコレ詭弁論破する

自由表現ができなくなる」

人権を奪う自由って何?



「気に入らない表現にも寛容になるのが多様性だ」

→寛容のパラドックス勉強して下さい



ポリコレで生きづらくなった」

多数派の快適さのために、マイノリティ人権が奪われ、命を落とすことは許されるんですか?




リベラルなら規制に反対するべき」

リベラルリバタリアニズムは違う。環境保護にも労働規制にも反対するのがリバタリアニズムリベラルは弱い立場の人を守る。

 

「そんなんじゃ何も言えなくなる」

意味不明



「昔は許されてた」

人権を傷付けられても声をあげることが出来なかった時代だっただけ


「何十年も前のことで五輪仕事キャンセルになるのはおかしい」

五輪憲章に反しているから当然であり、別の仕事をすれば良いだけ。そもそも引き受けるのがおかしい。



ポリコレは「自由」や「寛容」という言葉を使いながら、差別人権侵害する権利を守りたがってる連中なんだよね。

2021-06-08

anond:20210608031240

単に論破されたくないだけなら原理主義オススメ

表現の自由でもリバタリアニズムでもヴィーガニズムでも功利主義でも宗教でもなんでもいい

現実の複雑さに対応しようとすればするほどどうしても瑕疵が出てきてしま

2021-06-05

anond:20210605203606

極左リベラル」に言わせれば、「それはリバタリアニズムという古い自由認識であり、現代においては自由国家による統制がなければ実現しないというのが主流だ」ってことになるわけじゃん

どちらが正しいか論そのもの妥当性によって決められるような議題じゃないから、政治的強さによって決めるしかないじゃん?

2021-06-03

anond:20210603111521

リバタリアニズム否定して強い政府による介入の必要性を唱える人が「リベラル」名乗ってる時点で

区別ついてないのはリベラル自身じゃね

2021-05-31

anond:20210530091718

大澤さんの自由についての講義結構好きだよ

前略

―実は人間は、この世界自分存在しているという事に関して、責任がない。自分存在自分で選んではいいからです、だから当然、自分が生まれたがゆえに、自分がこの世界存在しているがゆえにやってしまった事、やらざるを得なかった事に関して責任がないわけです。一番もともとのところの責任がないわけですから、それに因果的に規定された残りの部分に対しても責任がなくなります子供はもともと自分が好きで生まれてきたわけではないので、この世界に耐えられなくて嫌になって文句を言っても、その事に関して子供を叱る事はできない。人間はこの世界の中に生まれてくる。しかも、多くの点に関して、何者かとして生まれてくる。つまり多くの性質を与えられて生まれてくる。例えば男か女かどちらかの性であるものとして生まれてくる。人種的な特徴を持ったものとして生まれてくる。あるいはある特定共同体の中に、例えば日本人共同体の中に生まれてくる。そのほかいろいろな性質を持って生まれてくる。そういう事すべてに人は責任がない。そうであるとすれば、人間そもそも責任がない。それがイノセントであるという事です。

子供から大人への移行

┗ここで問題になるのはこういう事です。責任がないという事は自分が選んでないという事です。逆に人間自由主体になるという事は、自分選択していると言える事ですから、今度はイノセントではありえない、つまり責任があるわけです。自由責任は表裏一体です。これは学校先生なんかは好きな言葉ですね。イノセントであるという事は、自由主体にまだなっていない段階です。自分のやった事に関して自分責任があるとは言えないという事です。そうすると、人間が成長するという事は、イノセント状態を何らかのやり方で克服・消去する事です。これが『イノセンスの壊れる時』という芹沢さんの言葉意味です。つまり本来イノセンスなんです。これを書き換えなければいけない。責任がありませんよ、というところを消して、自分責任があるんだと書き換える。そういう事をするのが大人になる事なんだというのが芹沢さんの言っている事です。イノセンスのこの書き換えをどうやって人間はやるのか、この書き換えのメカニズムを考えてみよう――それが芹沢さんの短い文章基本的趣旨です。

ここですごく重要な事を言っています常識的に考えると、次のようになる。子供自分イノセントだという事を主張します。「ぽく、悪くないもん」という事を行動や態度によって表明するわけです。そういう事を言ったときに、凡庸な親だと「いや、お前が悪い」という事を一生懸命教えようとする。しつけをするというのはそういう事だと思われているわけです。そういう事をすると、はじめは自分は悪くないよと言っていた子供が、やっぱり自分が悪いんだと思うようになる――というのが普通の親の考えている事ですが、芹沢さんが言っている事は全く逆です。子供が何らかの意味で「俺は悪くないよ」という表現をしてきたとき、そういう意思表示と解しうる行為をとった時に、逆に「そうだ、おまえには責任がないんだ」という事を認めてやれというわけです。子供イノセントだという事を自己表出したときに、まさにイノセントだという事を承認してやりなさい、と。そうすると、不思議な事に、まさに承認した内容とは逆の結果が出る。つまり子供イノセンスを認めてやると、逆にこれが否定されて、子供自分自身責任がある、自分存在に対して自身責任があるという自覚に到達するというわけです。責任自覚するという事は、自分存在自分に与えられた性質運命を自ら引き受けてやろうと考えるようになる、という事です。例えば子供が「生んでくれと頼んだ覚えはない」という意味の主張をしたときに、その事を全部肯定し、認めてやる事で、かえって人は責任ある主体に変わっていく。そういう事を芹沢さんは言っているわけです。

人間自由主体になるという事

客観的に見れば、子供イノセントであるというのは正しい主張です。だから自由主体になるという事は、先ほど言ったように、あえて、正しくない虚偽を(真として)認識しているかのように振る舞うという事なんです。本来人間イノセントです。でも、このままだったら人間自由主体ではない。自由主体になるというのは、本来こちらが正しいにも関わらず、本来イノセントであるにも関わらず、まるで自分イノセントでないかのように振る舞うという事です。だから大人になるという事は、真理に目覚めるという事ではない。逆です。真理は、むしろイノセンスの方にある。その本来の真理を隠蔽する事が、ここでいう書き換えです。この真理の隠蔽、この欺瞞は、有効意味のある隠蔽であり、欺轍です。具体的に言えば、皆さんは今こうやって生きていて、いろんな性質を持っている。その99.9%に関してあなた方は責任がないんです、本当は。例えば自分は足が遅い。考えてみると、これは親のDNAのせいなんだ。俺の足が遅いのは自分のせいではない。けれども、人間自由主体になるという事は、客観的に見れば自分のせいじゃないけれど、まるでその事に関して自分責任があるかのように自覚して、生きるという事です。簡単に言えば、足が遅い俺も、それもよし、足が遅い俺の運命自分で引き受けよう、そういう人生自分のものとして生さていこうという気分になる。まるで足が遅い人生自分で選んで、自分で引き受けてやってるような、そういう自覚に達したときに、人間自由主体になるわけです。

から、本当の事を教わる事で本当の事を悟って人間自由主体になるのではなくて、むしろ、本当でない事を生きるようになるのが自由主体になるという事なんだ、という事がまず頭になければいけません。

芹沢さんが圭張しているのは全くパラドキシカル方法で、子供イノセンスを表出してきたときに、そのイノセンス全面的肯定してやる。すると不思議な事に逆に子供イノセンス解体し、子供自分自身運命自分で引き受けようという気分になっていって、それがあって自由責任を担う主体になっていくんだという事です。なぜ。こういう逆転が生じるのか。なぜイノセンスを認めてやれば、その事によって子供はかえって自由主体になる事ができるんだろうか。その事が、そもそも自由っていかにして可能になるかという問題につながってくるのです。

親はどのように子供イノセンスを認めたらいいのか

┗もう少し芹沢さんの言っている事に耳を傾けましょう。いくつか面白い事例を出していますイノセンスを認めてやるのは普通大人特に親です。ですから、親がどうやってイノセンスを認めてやって、その事で子供自由主体責任のある主体に変わっていったのかという事を見るのがいいのですが、そのとき芹沢さんはわざとこういう例を使います普通の親子関係だとかえっで見えにくいので、養子縁組の場面で考えてみようというわけです。なぜ見えにくいかというと、普通の親子関係というのは血縁関係がありますから、はじめから親も子供自分たちが親子関係であるという事を当たり前の事であると考えてしまます。お互いに自分運命自然の事だと考える事で、親が子供イノセント存在肯定してやるという劇的な場面は半分終わってしまう。だけど、血縁関係のない親子関係では、親子関係をこれから作らなければいけない。だから、親が子供存在自分のものとして認める、あるいは子供が親を親として認める、そういう事を実際に意識的にやらなければならない。そこでわざと養子縁組の例で考えてみようというのが彼が提起する例です。

養子縁組というのは、何らかの理由によって両親がいない孤児がいて、そしてその孤児を自ら引き受けて育てていきたいという親がいるときに成立します。養父母は、孤児を集めている施設のようなところからひとり連れてきて、自分の子として育てるわけです。そのときポイントになるのは「真実告知」という場面です。つまり、実はあなた孤児だったんだ、それを養子として迎えて子供になった、そういう事実を告げ知らせなければいけない瞬間がやがて来るわけです。この「真実告知」の瞬間というものに、芹沢さんは注目しています子供養子として引き受けようとする人たちのために、どうやったら「真実告知」は成功するかというパンフレットがあるそうです。僕は現物を見た事はありませんが、芹沢さんの本に引用されていて、家庭擁護促進協会大阪事務所というところから出ている「真実告知例解集」という本です。それによると「真実告知」には三つのステップがあるという事が書いてあるそうです。一番目は『私たちは、血のつながりはないけれども、親子なのだ』という事をまず事実として言わなければいけない。ここで重要なのはいかにも否定的な言い方をしてはいけないという事です。「実は私たちは本当の親ではないんだよ……」という否定的な言い方ではなくて、むしろ「親子なんだ」ということを言うところにポイントがある。二番目として「私たちは、あなたを選んだんだ」「あなたが気に入ったから選んだ」という事を言うわけですが、このときに気に入った理由言ってはいけない。一番かわいかたから選んだとか、一番利発そうだったから選んだとか、ー番元気だったから選んだとか、そういう条件・選択において気に入った理由言ってはいけない。そして三番目は「いま私たちは完全に満足している」という事を言う。この3つのステップを追う事によって「真実告知」のセレモニーが完結し、うまくいんだと。

子供存在100%肯定する

┗このパンフレット解説が教えている事は、真実告知は、親が子供存在を、子供がここにいるという事を100%トータルに肯定する、100%承認している、その事を示す事がポイントだという事です。子供にとっては、自分存在は与えられたものです。自分がこういうものとして存在する、自分はこういう髪の毛を持って、こういう顔をしている、こういう性格を持っている、こういう性的趣味を持っている、そういう事も含めてすべてが与えられたものです。ひとつ自分のせいではない。その事がこの真実告知の三つのステップの中で目指されている事です。

否定的な言い方をしてはいけないというのは「本当の親子ではないんだけど…」みたいな事を言うと、まるで血縁の親子のほうが本当はよくて、今の関係はそこから見ると少し格下だという事を言った事になってしまう。そういう事を言うと、子供がいま置かれている存在肯定された事にはならなくなってしまう。

特に興味深いのは、第二段階です。選んだ理由言ってはいけないというところがすごく面白いと思います。親が選択したのだけれども、その選択理由がないという事は、それが、空虚選択、実質のない選択だという事になります。例えば皆さんが洋服を選ぶときに、いろいろ理由があって選びます。一番安かったとか、一番デザインがよかったとか、そういうときには選択に実質があるように見えます選択するという事は、他でもありえたという留保が付いているという事です。理由がついているという事は、どういう場合に、他でありえたか、という事が明示的になるので、選択に実質があるように見えるわけです。それに対して、何の理由もなしに選んだと。「なぜその服を着てる?」「いや理由はない、とにかく選んだ」というのは、選択はしているかもしれないけれども、実質のない空虚ものに見えてくるわけです。しかし、ここでは、単に選んだから選んだ、気に入ったから選んだとしか言いようがない空虚選択であった、という事を子供に言わなくてはならない、と述べているわけです。もし逆に条件づきで選んだとしたらどういう事になるか、と考えてみましょう。例えば「あなたが一番賢そうに見えたから選んだのよ」と言うと、これはもちろんポジティブな言い方です。ポジティブな言い方だけれども、実は子供存在全面的ポジティブ承認した事にはならないんです。賢かったから選ばれたという事は、もし十分に賢くなければ選ばれなかったかもしれないという事を意味している。だから、条件づきで選ぶという事は、子供存在100%肯定した事にはならなくて、部分的しか肯定した事にならない。あなたが一番よい子だから選んだという事は、よい子でなかったら自分は選ばれなかったかもしれないという事を意味するわけです。賢かったり、よい子であるその限りでの自分が親に肯定されているだけだからです。今度は子供視点から物を考えてみたらどうなるか。親に言わせれば、選んだから選んだという言い方しかないわけです。子供立場からすると、この選ばれ方とは、その親の選択自分全然関係していないという事を意味しています。もしある養子が賢いから選ばれたとします。そうすると、親が最終的には選んだかもしれないけれども、自分が賢かったという性質が親の選択を方向づけた事になります自分が賢くなるように努力したとか、あるいはそんなふうに頑張っていたわけではないにしても、自分がそういう性質を持っていたという事が原因になって、親が選択した。親が理由ありの選択をするという事は、子供の側から見れば、その選択自分が少しは参加している、関係している、という事です。よい子だから選んだという事は、自分がよい子であろうとしてきた、あるいは現によい子であった、その理由によって選んでいるわけだから子供のほうもその選択に少しは参加しているという事になります。逆に、理由なしの選択場合はそうはいきません。ここでは子供のほうには何の原因もない。親のほうが全面的に選んでいる。だからこの場合は、子供は彼が選ばれる行為に、全然参加していないという事になるわけです。そうすると、一見したところでは、理由なしの選択であった場合よりも、理由ありで選択した場合の方が、良いような印象をもってしまます。つまり子供自由主体にする、選択主体責任ある主体にしていくという事が目標であれば、親が理由ありの選択をしたほうが有利なような印象を与えます。なぜかといえば、例えば「あなたが賢いから選んだんだよ」と言えば、それは、賢くあろうとする子供能動的な努力を誘発する事になるからです。でも、そもそも理由なしに選ばれたら、子供としては親に気こ入られるために頑張りようがない。つまり、このときに、子供能動性を引き出せないようにみえる。ですからちょっとあさはかに考えると、理由ありの選択をしたほうが、子供というのは自分自身で頑張り、自分で何かをやろうとし、責任のある主体になりやすい――そう考えたくなる。しかし、実際には逆であって、理由なしの選択のほうが成功すると、パンフレットは言っているし、また芹沢氏も言っている。

このあたり

んで自由からリバタリアニズムに繋がって、(話題としては)でマイケル・サンデルかに繋がってくんだけど、そこは各々、自分がしっくりくる主義をみつけて、違う主義もつひとと折り合いをつけながらやっていきましょーねが資本主義だと思ってるけど。

とりあえず自分主義を探ってみるところからはじめては?自分の考えを言語化できるようになると、仲間もみつけやすいし、仲間と話せば、あなたなりの答えがみつかるかもしれん。

有名ドコロだと東野真夏の方程式とか、「子供無罪」に振り切ってておお~と思った

2021-04-28

anond:20210428091742

まあ「弱者男性」とかいう訳の分からんネットスラングをこねくり回してる限り、そりゃ一括りにされるのは当たり前だし、どういうつもりだろうが「そう言ってる」と解釈されるのも当然なのだが。そういうことに気付けないくら頭が悪いからこそ「弱者」なのであって、それを嘲笑いながら蹴飛ばすのもリバタリアニズムっぽいとは思う。

2021-03-27

anond:20210327000305

リベラルっていったいなんだっけというのがなかなか。

日本で広く「リベラル」と思われてるものアメリカにおける(モダンリベラリズム系統で、

アンフェとかはそういう意味では「リベラル」ではないという認識

あれをリベラル位置付けるときそれはどちらかというとアメリカでいうリバタリアニズム系統なんじゃないのか、と思うわけで

同じ文章中で両方をリベラルと呼ばれてるのを見ると頭がくらくらしてくる

2021-03-23

anond:20210323133146

リバタリアン」は自身正義としてアファーマティブアクションが許し難い、ってとこに古典的にはラディカルフミニズムと分類されるであろう現代フェミニズム(特にTwitter)との相性の悪さがある気がするんだぜ! リバタリアニズム自身の力で成功してきた(いわゆる文化資本問題があるので正確には自身の力だけではないんだけど)階層・人とは親和的なので、結構ハマりがちかもね。

2021-01-16

anond:20210116094609

日本の政治家は右左の視点で見ることあべこべから右翼左翼がみたいな党派性で見ること自体が混乱を招く

ノーランチャート判断するとこの人の考え方ライトウィングにもレフトウィングにも寄ってなくてポピュリズムじゃんみたいになりがち

ノーランチャートで察したかもしれんけど俺はリバタリアンからリバタリアニズム系の経済しか読んでないし日本の政治には興味も期待もない

でも少なくとも左右の1軸よりノーランの2軸で考えるのは有用だと思う

2021-01-14

左右のイデオロギー対立が昨今の「コロナパニック」を助長したと考えられる理由

人とモノの流れのグローバル化が進む現代政治

押し寄せる不法移民」や中国製品にEUアメリカ経済が押されている所に米トランプ大統領の登場、イギリスEU離脱、反グローバリズム保護主義(排外主義)の盛り上がり

そして軍拡する中国へ反感の機運が盛り上がり掛けていた矢先に中国発のコロナウイルス登場

欧州ウイルスアジア人への差別が横行する

反中右派はすかさず事態の原因は「中国武漢ウイルス」と宣伝する。コロナ騒動の開始だ

移民とか政敵感染症病原体になぞらえる修辞の(右派的な)排外主義との親和性ナチスを引き合いに出すまでもなく既知のもの

当初左派差別比喩としての「ウイルス」が持つ意味に反応し批判していたように(少なくとも自分には)思えた

もしトランプ外国から持ち込まれた「チャイナウイルス」の脅威を目ざとく反グローバリズムに利用し感染症の脅威を誇張し不法移民ウイルスになぞらえマスクの着用推進など「社会統制」を強める方に向かえば

トランプ左派立場上「トランプナチスから自由のため」に右派コロナウイルスの脅威の誇張を指摘し騒動を納める方に向かっただろう

しかリバタリアニズムの影響かまたは一貫性の欠如の故かトランプはじめ右派マスク拒否し統制から自由を求める

中国ウイルスを強烈に敵視する一方で国内ではウイルスなんてただの風邪だとうそぶき統制を嫌う。

外国から移民不寛容右派外国からウイルスには寛容になると言うパラドックス(そしてこれはトランプナチスとの違いでもある。トランプ快楽主義者であってヒトラーのような禁欲主義者ではないのだ)

このパラドクシカルな状況で、状況を俯瞰するだけの視野を欠いたまま反トランプスタンスを愚直に貫き論陣を張った左派

いきおいコロナの脅威を誇張する事でトランプ感染対策の無策過失を強調する方向に向かう事になってしまった

右派に加えて左派トランプ叩きや政権批判のためコロナの脅威を叫ぶようになった

こうして右も左もコロナの恐ろしさを叫びパニック扇動される結果になった

このパニックを納めようとしているように見えなくもない勢力ホリエモンのようないかにも感じの悪い経済ネオリベを除きもはやいない

(尚この文章コロナウイルス医学的な危険性や対策必要性否定するものではない)

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