はてなキーワード: ビニールプールとは
胸が性的かどうかを思春期以降に知って欲しいっていう性教育をしたいと思う自由も欲しいよー。
自由ってなんだ??
割と本質的な問いだと思うので真面目に答えると、アイザイア・バーリンという哲学者が「消極的自由」と「積極的自由」という概念を提唱している。
詳しくはWikipediaでも読んでほしいけど、要するに
の違いね(cf. anond:20191017201230)。
現代の自由主義では、色々と議論はあるけれど、おおむね消極的自由の方がより重要な自由とされている。
これは増田もそうだろう。「俺が六本木ヒルズに住む自由を実現するために家賃を補助しろ」と言われたら、おかしい、と思うよね。でも、「金持ちの俺が六本木ヒルズに住んで何が悪いんだ? 俺の自由だろ」って言われたら、当然、って思うんじゃないかな。
というのは積極的自由に属する。
その環境を増田が個人の努力あるいは財力に頼って実現する(例:ひきこもる、ゲーテッドコミュニティを作る)のはもちろん自由だ。でも、それをもって他者の消極的自由を制約しようというのなら別の話になる。
積極的自由と消極的自由ならば、基本的に後者の方が重い。よほどの理由がない限り、前者を理由に後者を制約すべきではない。そして、増田が子供にどんな教育をしたいかという話は、「よほどの理由」ではない。
(「よほどの理由」が認められるかどうか争いになっている事例として、たとえば、「感染症にかからず健康に生きていきたい」という積極的自由と、「どんなワクチンを打つか政府に強制されたくない」という消極的自由が対立する局面を考えてみよう)
ところで、
思うだけなら自由ですよ? それは人を殺したいと思おうが誰々くんとセックスしたいと思おうが日本は天皇中心の神の国だと思おうが自由なのと一緒。そこの自由を制約している人はどこにもいないよね。どうぞご自由に思っていてください。
その思いを他者への要求として口に出す(増田に書く)から他人の自由に口を出すなと言われるわけで。
なので、
思春期前の子供に見せたく無い自由は?献血ルームにあるのは別に良いんだけど、公共の場にあるのを見たくない人の多様性はどう思う?
「見せたくない自由」というのも、ご家庭の中でお色気漫画は読ませないラッキースケベアニメは見せないとかそういう話ならどうぞご自由に、お子さんの教育に関しては親御さんに自由裁量があります、という話だけど、他人が自分の敷地に(あるいは借りたスペースに)設置したポスターを取り外させようとするなら、それは他者の消極的自由を侵害してよい理由にはならない、という話になる。
何度も書いているように、積極的自由より消極的自由の方が重いので。
「多様性を見たくない人も多様性に勘定すべきか」というのは難しい議論だけど(「戦う民主主義」を調べてみよう。民主主義を破壊しようと主張する政党を民主的選挙に参加させるべきか?)、そういう多様性も認められるべきだとは思う。他者の消極的自由を損なわないという前提のもとで。
なので、そういう多様性の持ち主がゲーテッドコミュニティ作って暮らす分には、そこにわざわざポスター貼りに行こうとは思いません。ご自由にどうぞ。そういうコミュニティが存在するのも多様性の一貫だとは思うので。アーミッシュのコミュニティとかと同じで。
ところで、私たちが暮らすこの日本はゲーテッドコミュニティではありません。
人を殺す自由はない。人を殺せば刑務所行きになる。他人を誹謗中傷する自由もない。誹謗中傷すれば民事裁判で敗訴し賠償金を科せられる。
既に自由は整えられているのでは……? 現状の日本が無法地帯じゃないのは、ある程度自由が制約されて整えられているからだよね?
私は宇崎ちゃんの胸は揉みたい感じの魅力的なおっぱいに見えるのでやっぱり子供に見せないように気をつけて歩きます!!!自由!!!
はい、それもあなたの自由ですね。宇崎ちゃんのポスターなり看板なりを見かけたら子供の目をふさぐとか、子供に声をかけて注意をそらすとか、見て見て~と逆方向を指差してそちらを見せないようにするとか、そういう自由をどうぞ行使なさってください。誰もそれを邪魔したりなんてしないから。
これはそのとおりで、要望する自由はあるし件のポスターを批判する自由もある。要望を無視したり批判に反論したりする自由もあるというだけの話なので、気にくわないなら文句をつけてりゃいい。今回の増田は「自由」について混乱しているようだったから雑な説明になっちゃって、そこは申し訳ない。ご指摘ありがとう。
消極的自由をより重視するのはどちらかというと英米系で、大陸系だと「政治参加の自由」とか「健康で文化的な生活を追求する自由」とかの積極的自由も重点おいてるんでわ。
いや、積極的自由を重視する人たちも、積極的自由より消極的自由の方が重要という点では一致しているでしょう。意見が分かれるのは、積極的自由はどこまで保障されるべきか、とか、ある行為が消極的自由か積極的自由か、とか、そういう点では。積極的自由の保護自体には私も異論ないですよ。特に社会権は国家がケツを持って下支えしないと自由が掘り崩される。そういう意味で夜警国家やリバタリアニズムは支持できない。
ポスター非難派の言い分はとどのつまり「他者の消極的自由よりも私の積極的自由のほうが優先されるべき(少なくとも対等)」なので、なぜ前者が後者に優越するか、そこにどういった議論があるのか説明しないと無意味
上で色々例を挙げたけど、わかりにくいかな。
じゃあ「山間部の過疎地に政府が十分なインフラを整備していない」と「政府が過疎地の住民を強制移住させる」だったらどうよ。
前者ももちろん問題だけど、どっちがより重い問題? って聞かれたら後者の方がより重大な問題だと答えるのが普通だよね。
言わずもがなのことだけど、前者が積極的自由の侵害で後者が消極的自由の侵害です。消極的自由が積極的自由よりも重要な自由であるのは当然ですね?
(前者は軽んじてよい、と言っているわけではないことに注意。19世紀的な自由主義が消極的自由ばかり重視し積極的自由を軽んじていたことに疑問を呈して積極的自由「も」重視すべきだと主張しているのが現代自由主義です。前者は気にしなくていいよって言ってるのがリバタリアニズム。でもどちらの立場にせよ、消極的自由の方が重いことは否定してないと思うよ)
わかりやすくて納得した。と同時にシートベルトを着用せずに自動車運転して事故即死亡する消極的自由が認められていないのはおかしい、、、のだろうか?とも思った。
レーガン大統領はカリフォルニア州知事時代にそういう理由でバイクのヘルメット義務化法案に拒否権行使してますね。
個人的には、子供には自己の生命・安全を危険にさらす方向での自己決定権を十全に認めるべきではないと思うので、チャイルドシート義務化には賛成。でも大人がシートベルトやヘルメットをつけるもつけないも個人の自由で(だって、究極的にはそれで損をするのは自分じゃん?)、法律で取り締まるのはおかしいと思う。自動車メーカがシートベルトしてないと警報が鳴る車を設計して売りに出すのは商売の自由。
概ね同意だけど、最後のシートベルト義務化の話、日本では車対車の事故で死亡事故だと相手の運転手は過失が多少でもあれば重い罪に問われるので、シートベルトをしない自由を制限する合理的理由があると俺は思うね
相手がシートベルトをつけておらず、それによって生死が左右された場合は情状酌量で減刑すればよいのでは……。
シートベルト義務化については社会的損失を低減する観点から合理性があると思うけどね。『それで損をするのは自分』だけじゃないわけで、治療費、障害、家族の貧困化など・・・結局は社会的負担になるからね。
ここでは合理性の話ではなくて、自由と自己決定権の話をしているので……。
そのへんを表す自由主義の言葉に、「善に対する正義の優越」というのがある。
何が「良いこと」かは人によって違う。倫理観や道徳観(=善)には多様性があって、政府が「お前たちはこの道徳に従え!」なんていうのは押し付けだ。
大切なのは、色々な道徳の持ち主が公平に処遇されること(=正義)だ。他人の自由を侵害しないかぎり、自分の道徳を追求する自由と権利がある。異なる道徳同士のコンフリクトは、公平な制度によって調整される。
だから私は一貫して、最初の増田がどんな性教育を子供に施すのか、については干渉していない。ある人がどんな倫理観を持っていて、それをどんなふうに子供に教えるのかは、虐待とかの形で子供の権利を侵害しない限りにおいて自由なので。
でも、それを口実にして他者の自由を制約しようとするなら反対する。それが自由主義者としての私の一貫した立論。
そういう意味で、自由主義って社会全体にモラルの共有を求める考え方とは水と油なんだよね。大政翼賛会にもスターリニズムにも反対だし、天皇の写真を焼いた! けしからん! も、巨乳を強調したイラストだ! けしからん! も、どっちの表現規制にもNOと言う(正確には、「けしからん!」と思ってもいいし「けしからん!」と批判してもいいけど、それを理由に作品を撤去させたりしてはいけない。右翼やフェミニストが雑誌やブログに「この表現がいかに許しがたいか」みたいな文章を掲載する分にはどうぞご自由に)。
オタクって自由主義者が多いと自分基準で勝手に思ってたんだけど、意外とそうでもないのかな? というのが最近わかってきて、ちょっと驚いてる。周囲のオタク仲間が社会問題でそのへんのおっさんみたいな保守的な認識を示したり、自分に興味がないイシュー(博打とか刺青とかね)だと平気で規制だとか口に出したり(ちなみに、わいせつ物頒布罪と同様に単純賭博罪は廃止すべきだと思ってる。賭博開帳図利罪も「無許可or無届けで賭博の胴元をした罪」とかに変更して民営賭博を合法化するべき)、BL好きの人たちが美少女のイラストをお気持ちで殴ったりしてるのを見てると、オタク界隈でも自由主義の理念は強固なものじゃないんだね……って感じになるので、リベラル派として自由主義はいいぞというのを地道に伝えていきたいですね。
しかし例えばリアルな死体や糞尿の画像をレストラン街の入り口に貼ったら、消極的自由だでは通らないだろう。これはゾーニングの問題で、線引きは色々。そう簡単ではないのでは?
私はヴィーガンじゃないけど、ヴィーガンの人たちが肉フェスの前で動物の屠殺写真を展示するのは表現の自由だと思うよ。
肉フェスのときにこれは不法だ取り締まれって言ってた人たち大勢いたけど、私はそれに与しない。その写真の前で肉料理食べながら自撮りしてヴィーガンを煽るのは対抗言論なので表現の自由。なんでみんな、気に食わない表現に対して表現で対抗するんじゃなくて取り下げさせようとしたがるんだろう。
当たり前でしょう。刺青を入れるのは自由だし刺青を入れて公共空間を歩き回るのも自由。なぜならそこは公共空間なので。刺青を入れた人には公共空間を自由に歩き回る権利があるので。刺青を入れた人が公衆浴場に入れないのはおかしい。自由主義の理念に反している。
刺青を見たくない人は自宅風呂に入る自由とかお庭でビニールプールで遊ぶ自由とかを行使してください。
なんで「他人の自由な行動を見たくない自由」が「他人の行動の自由」を抑圧してまで叶えられるべきだと思っているんだろう。本当に謎。
自由を「権利」に置き換えてもいいよ。「刺青を見ることなく公衆浴場に入る権利」よりも「刺青を理由に入浴を妨げられない権利」の方が重要でしょ。少なくとも前者の人は、公衆浴場に入る権利は奪われてないよね。公衆浴場の光景が自分が望んでいるものではないってだけの話で。でも公共空間に自分が望まないものがあるのなんて当然なんだから、望んでいる光景を見る権利よりも誰かに望まれてないって理由で入浴を拒否されない権利の方が遥かに重要。
刺青も少女像も巨乳ポスターも、「(ある種の人にとっては)見ていて不愉快」程度の害しかない(ナイフで刺すみたいな具体的な加害ではない。ちなみに、私はどれもまったく不愉快とは思わない)。見たくないなら目を背けるなりすればいい。どうしてそんなに自由を制限しようとしたがるんですか?
ネタバレをする自由は当然あるので好きな作品はネタバレ踏まないように注意する派です。基本的にはネタバレ踏むのは自己責任だよね。ネタバレ踏んでチクショウって思ったこと何度もあるけどそれは踏む私が未熟なだけでネタバレ感想書く人のせいじゃない。
もちろんあなたのフォロワーにはネタバレを理由にあなたをリムる自由がある。
100字じゃ説明できないよね。ありがとう増田。原理原則から考えないと、金属バットや愛トレ、今回の胸などで手首がねじ切れちゃう。
ほんとにね。あいちトリエンナーレ問題で一緒に表現の自由のために戦ったはずの人たちからさんざん弾が飛んでくるの、裏切られた感がすごくて絶望的になるよ(公的な施設は抑制的であらねばならない、とか、お前それ愛知芸術文化センターでも同じこと言えんの? っていうね。TPOとかくっそ笑う。じゃあビジネスシーンではカカトの高い靴を履くのがマナーとか言われても文句言うなよと。まあ私はスーツの強制もヒールの強制も間違ってるそんなTPOはクソくらえって主張するけど)。左右の表現規制派からあいトリの天皇アートも日赤の宇崎ちゃんポスターも守り抜いていこうと改めて決意。とりあえず来週にでも久々に献血してくるわ。
自分は元増田が書いてる「それはクソガキの躾の問題だろ」という趣旨のコメントをした者だし、今でも基本的に「躾のなってないクソガキは出てけ」という気持ちは変わらない。
我慢すべきだってなら我慢するが、それはシングルだから仕方ないとか子供だから仕方ないとかいうお綺麗な理由じゃない。バスや電車で保護者のついてないクッッソうるさい上に他人に絡んでくるタイプの知的障害者に乗り合わせた時と同じだけの不満と諦念と、そいつを監督や教育すべき保護者の怠慢への憎悪を含んだ我慢だ。寛容の念など断じて抱かない。
だっておかしいだろ。満員電車の中でそこらの座席に赤子放り出して別の座席でスマホいじってる親はいない。通報される。どんな態度だろうが少なくとも親は赤子をぴったりそばに置いてるわけだ。抱っこ紐やベビーカーに入ってる乳幼児は騒音以上の迷惑を周囲にかけることはできない。
でも風呂場は違うだろ。視線はともかく自分のガキが他所の人間に近寄ってベタベタ体を触るのを止めることは可能だろ。それが止められない距離に子供を放置してんなら男児を男湯に独りで入れてるのと何も変わらない。逆に何もせず大人しく風呂にいるだけの自分のガキがちんこついてる生き物は全部憎しみの対象となっている頭のおかしい女に突然張り倒されて湯船に沈められたって、男児を性的対象にしている変態クソ女にプライベートゾーンを握り締められたってその距離じゃ助けられない。
要するに他の入浴客に迷惑をかけるだけの行動を自律して取れている子供(〜知的障害者)を放置する親の危機意識なんてのはその程度なんだ。口じゃあ心配で()なんて言いながら、行動じゃ少しもそれを態度に表しちゃいない。自分の子供のせいで他所の人間がどうなろうが、逆に他所の人間のせいで自分の子供がどうなろうが大した脅威は抱いていない人種なんだ。そういう人種は休日のキッズスペースや児童館に行けばほどほどの頻度でお目にかかれる。放置子で検索すれば知らない人間もすぐに実態を知ることができる。
子供が何人もいて一度に面倒見きれない? 子供に障害があって言い聞かせてもいうことを聞かない? シングル家庭で家にも風呂がない? そうかよ。
それは女湯に入っている男児が性浴を抱いているかいないか、他の客にかけている迷惑の原動力が性欲であるか否かと同じくらいどうでもいいことだ。迷惑かけられた客にとっちゃあ目の前のクソガキに同居する父親がいようがいまいが、頭に障害があろうがあるまいが今そいつにかけられた迷惑が全て、その迷惑が生じる原因となった飼い主の放置が全てだ。
逆に言うと女湯に入ってきた男児の頭の中がエロエロピンクで女体ウヒョーとなっていたって、そのガキが人をジロジロ見ず触らず大人しく風呂入ってりゃそれが全て、男児を風呂に入れるだけの躾をしてくれている常識的な保護者さんありがとうございます、お子さんが一人で入れるようになるまでご安全にってことだ。
人の頭の中を覗くテクノロジーがなく、事情を説明する時間も手段もない現状において事情がどうあろうと「それが全て」ってことだ。
どうしてもそれができない、それでも子供を男湯に入れたいんならせめて親はみさえになれ。みさえのフリをしろ。
クレしんがギャグとして成立するのは若い女にウヒョーとなっているしんのすけに対していつもみさえがツッコミを入れ、しんのすけもそれを受けて行動を停止するからだ。みさえが他人に迷惑かけるしんのすけをやりたいがままに放置してたらただのDQN親とクソガキの胸糞話だ。
どうしても躾のできない子供を持つ親は(女児親もだぞ!!! 大浴場を運動場やビニールプールだと思ってるお前んちのガキだよ!!!)せめてツッコミを入れろ。迷惑行為をやめさせろ。
それすらできないガキであり親ならもはや保護者が同じ浴場に入っている必要性がない。男湯に放り込め。女児親とかの理由でそれができねえなら家族風呂か客の極力少ない時間を選べ。
そんな不寛容なことじゃますます子供が減るって? 結構なことだ。「みさえにすらなれないしなる気のない親」の子供なんかろくなものにならない。
大体これを読んで甚だムカついてる男児親のお前だってここに書かれた程度のことは全員出来てるし、出来ないならば公衆浴場には最初から連れて行っていないだろうと信じているからな。放置クソ親はこんな長い文読まねえし。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1313124
【注目】「女湯に来る男児はエロい目で女を見る、男湯へ連れていって」和泉@izumionさんの漫画が話題に - Togetter
大人になって自分の事を自分で選べるようになった今、「裸の付き合い」のような概念は好きではないし
たとえ同性でも裸を見たり見られたりするような場に身を置くのが好きじゃないから
温泉銭湯等の入浴施設には行かないので今の現状がどうかはよくわかってないけど
明確に思ってることがあっても大人にそんなはずない、と言われて自分の行動を選択できなかった子供の頃は
お風呂やプールに関することでイヤだなあと思う気持ちを悶々と抱えながら幼稚園小学校と通っていたなあ…と思い出した
「ちびまる子ちゃん」でもこういうエピソードがあったけれど、幼稚園で男女共にパンツ一丁、上半身裸でビニールプールに入ったり
そのシステムのまま海に行って見晴らしのいい浜辺で男児も女児も区別なく濡れたパンツ脱がされて新しいパンツに着替えさせられたり
その間ふざけた一部の子供に局部を見せられたり触られたり体型をからかわれたりなぜかそれをほほえましいと大人にニコニコ見守られたり
(そしてそれは基本的にどんなに成長しても相手にどんな意図があっても更新されることのないまま、でも相手の側ではいつのまにか
○○なんだから仕方ない、と許容されていて「見られてないよwお前が気にしすぎw」とスルーされることも多くて
スルーすることを求められたりもしていてだから今回のように他者の目に対して過剰に表現したくなる人の気持ちもちょっとはわかります
女の人だけじゃなくて男の人もこういうすでに出来ている空気に馴染めなかったり嫌いで苦しんでる人はいるのではないかな、と思ってる)
通りがかりのよそのおじさんおばさんにすっぽんぽんだな!って笑われたり
ありがとうって言わなきゃ先生に怒られたり全部本当に意味がわからないと子供心に思っていた
小学校の時には5年生か4年生まではプールの着替えが男女別に分けられることもなく教室で行うことを当たり前とされていて
私はいつでも本当に本当にそれが嫌で、でもそれを嫌ということが当たり前に受け止められる事の方が珍しくて
何で子供のくせに恥ずかしいなんてヘンなこと言うの、どうして楽しいのにプール入らないの、ヘンな子だね~って言われて
そんな大人の考え方を当たり前にとらえてる子供からもヘンだヘンだって言われたりしててホントにプール学習が大嫌いだった
着替えの時、だんだん胸が大きくなってきてそれを指摘されてすごくからかわれたり触られたりしてる女の子とか
全裸になった男子に着替え中に隅に追い込まれて泣かされて学校に来なくなった女の子とか
女の子を見るのをすごく恥ずかしがって教卓に潜ってそれを男子にひどくからかわれて教卓ごと蹴られてる男子とか
太っていて二段腹になってることやおへそに特徴があることを男児や女児にからかわれて泣いてた男の子とかいろんな子がいた
皆が皆好き好んで同じ部屋で着替えたり裸になったりしたいわけじゃないのは当然なのに、そこのところはスポイルされてて
そんな状況で恥や性別意識やそれについてのわかってもらえなさに苦しんでる子って決して女児だけではなく男児にもいたと思う
そういうことが嫌で大人に訴えたのに子供なんだからそんなことは気にしなくていいって教師に怒られてる子とか見て
すごく理不尽なんじゃないかと思いながらうまく言葉にもできず過ごしていた
だからそんな子供だった時分のことを考えると大人の女性がどう感じるかよりその場に裸でいる女児の気持ちとか
そろそろ恥ずかしいって気持ちとか解ってきて女湯に入ってる自分に耐えられなくなってる男の子の気持ちとか考えると辛いなと思う
もちろん親側の色んな事情とかあってどうしてもそうしなければならないときがあるだろうしそこは否定したくないけど、
でも基本的に大人というか今ある社会が思春期前の子供に男女の別どころか人格や主体すら認めないで雑に扱っていて
そうしてやってきた運用方法そのものが子供やかつて子供だった頃の辛さをこじらせてしまう大人を苦しめるんだなと思う
だからこの話の問題は子供の性欲の有無とかではなくて、大人が子供にある当然のものをないものとして、
自由に扱えると思って実際そのように扱ってる社会の問題なのではないかと思った
それをどう変えていけばいいか、改善していけばいいかってことはすごく難しくて考えていくしかないけど
子供もいつか必ず大人として、一人の人間として生活する個々のものなんだってことを考えながら
そこは大人が一生懸命教えていかなきゃいけない部分なんじゃないかなあと思っている
子供の恥や外聞や性意識をないものとして扱い続けたらそう思い込んでしまうし、
それが大きくなってから無邪気に他人に対して適用されてしまうのはすごくまずい
でもこういう環境や考え方の下で育ってきたらそのまずさがよくわからなくて
それが今こういう形で侃々諤々様々な状況、様々な意見として可視化されて噴出する結果になってるんじゃないかな…って思った
あと公衆浴場や温泉文化が古くから当たり前にあって集団で入浴することが「普通」なこの国では
あまりにもこれまでの「普通」が行き渡りすぎていて改めてのルールやマナーづくりに関して
必要ないと考えたりなあなあになっているような部分もちょっとあるのかなあ、とも思う
いずれにしても我々はそんなに自分たちで思っているほど成熟した社会で生きているわけではないなと感じるので
そこを忘れずに生きてくしかないのかなという気分になった話題だった
(あとこの理屈突き詰めると私が嫌だからプールも男女分けろってならない?と言う人がいるけど
正直あのファミレス決起集会は嘘っぽいけど、主婦にとって夏休みはつらい。
自分一人なら適当に昨日の残りやらパンやらお茶漬けやらで済んでた昼食を育ち盛りの子が満足するように作らなきゃいけない。惣菜や冷凍食品は毎日使うには高過ぎる。そうめんと冷やし中華とチャーハンばっか食べさせてたらすぐ文句言われる。
今年は猛暑だから学校から子どもだけで外で遊ばせるのは原則禁止されてる。家でのビニールプールも毎日だと飽きられる。PTAの負担軽減のため学校のプール開放はない。
よって毎日「退屈だ」「どっかつれてけ」と言われる。涼しくて金のかからないところなんてそうそうない。
宿題もやらせないといけない。暇そうなわりにはやらない。ドリルはともかく自由研究系は低学年だと親の手助け必須。最近の学校はドリルの採点も親がやらなきゃいけない。
何より一人の時間がなくなるのがきつい。
ずっと子どもに合わせてにこにこハイテンションは疲れる。10分でいいから一人で休みたいが子どもが寝るまで不可能で子どもが寝た頃にはこっちもへとへとで何も出来ない。
俺がまだ糞ガキだった頃の話だ。
ある日、学校をサボって一人でこたつに寝っ転がりながら昼のワイドショーを見てたんだな。おなかの大きな女の人が素っ裸で水の張られたビニールプールの中でウンウン唸っていた。やをら、四つん這いになったかと思うと、股の間から頭が現われ赤ん坊がポトンと水面に落ちたんだよ。ここまで、全部ぼかしやモザイク無しな。母親以外のまんまんを見たのは、おそらくこれが俺の人生で初めてだっただろう。
なんでも、この時出産した女性の希望で、生命の尊さだか、命の大切さだかを知って欲しいみたいな理由で放送した、とか言っていたような気がするよ。今は誰でも簡単に動画が撮れるが、当時は個人で動画を撮る機器を持っているのはまだ珍しかった時代の話だから、そういう映像も珍しくてTV放送されたのかも知れない。
なにぶんにも、大昔の記憶だから朧気だし曖昧だ。でも、衝撃は大きかったので、その時に見た映像は鮮明に思い出すことができる。
性教育?
男子児童、女子児童共にどうやったら赤ちゃんができるのか?だけじゃなく、どうやって赤ちゃんが生まれてくるのかを、まず見せてやった方が実感が湧くんじゃなかろうか、と思ったので、これを認めてみた。
ほんと、頭きた。
朝から住宅密集地できゃーきゃー、ぎゃーぎゃー子供の奇声、うるせーよ
こっちは窓も開けられないんだよ!朝、週末だからゆっくり寝ていることもできない
朝8時から、庭がない戸建て組は駐車スペースにでっかいビニールプール広げて
下は未就学時から上は高学年の子供たちで奇声あげながらはしゃぎまわる。
声は家々にこだましてるの、知らないの?
子供だからしょうがないとか、敷地内だから何やってもいいだとか
ストライダーにキックボードにサッカーに、バスケに、奇声をあげたおにごっこ。
ここは、公園か?
犬の鳴き声はうるさい、BBQは臭いからダメだとか勝手なことばかりいいやがって
こっちは朝から開けたくても開けられない窓を閉め切って、エアコンつけて
子供の声ちらとでも聞くと腹立たしいからテレビの音ぎりぎりまで大きくつけて
私、なにやってんだろ。ばかみたい
こういう勝手なことばかりいう親、周りにいろんな人たちが住んていることも想像できない
残念な親。モラルやマナーも教えられないようじゃ、それこそおしまいだね
外で子供たちを遊ばせてその傍らで一緒に立ってる親たち、
いいかげんにしてよ
子供の奇声がするだけで動悸がして倒れそうだ
もう5年我慢している
もう限界
誰か助けて
友人がタワマン派ばかりでなんとなく肩身の狭い思いをすることがあるので、
板形マンションの利点を書いてみるよ。
1 管理費が安い
タワマンだと4万円くらいする管理費が、板形だと2万円くらい。
そのぶんの金を他のところにまわせるよ。
2 選択肢が広がるよ
タワマンに比べて物件の数が桁違いに多いので、自分に合った条件を選び放題だよ。
これは「2」とも関係あるけど、眺望を求めるなら眺望のいい板形マンションなんていくらでもある。
うちは10階なんだけど、うちから海までがずっと低層住居専用地域で、しかもうちの辺りだけちょっと高台にあるという絶好のロケーションなので、海も見えるし海沿いの夜景も綺麗。お盆には花火も見える。
これも「2」の関係。確かにタワマンの共用設備はイメージいいしなんとなくうらやましいと思ったこともある。
ただうちの場合、駅徒歩5分で駅前には大きなスーパーも病院もスポーツクラブある。
コンビニは真向い、保育園は3軒隣、公園もすぐ裏にあり、支援センターも徒歩3分ほど。
正直、全く困らない。使わない共用設備のために無駄な管理費を払わされるよりずっといい。
5 安心感がある
万が一の停電があっても10階ぐらいならぎりぎり階段でもなんとかなるし、
全部で60戸程度のマンションなので、エントランスで会う住民のほとんどが、一応顔を見たことあるレベルなんだ。
タワマンのベランダは狭いし風強いし布団干しちゃいけなかったりするらしいが、
景色がいいので夏は海を見ながらビール飲んだり、花火の日は友達読んでガーデンパーティーみたいなのが出来る。
子が小さい頃は、ビニールプールもよくやった。
というわけで、タワマン厨の皆様も、ぜひ次の物件を買う際は、板形マンションも視野に入れて欲しいなと思う。
素敵な板マンライフを!