虐待され、それが元か分からないが、精神系の疾患(笑いが止まらなくなる)を抱えている。
そんな人間が不幸にも、偶然、不況な世の中で虐げられた人たちの狙いの的となったり(看板取られる)、
ミスを犯した(児童所で銃と落とす、地下鉄内で証券マンが女性に絡んでいるところに
彼は彼なりの努力で、それが正しい、間違っていない、自信をもって、自分のコメディを
作ろうとした。だがそれをネタにされた。
少なくとも俺には笑いのセンスも全くない人間にしか見えなかった。
彼は言ってたろう。「どうせ誰も理解できない」と。
それと同時に、彼自身の感覚も"マイノリティ"であった(それが悪いとは決して言わない)。
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人それぞれ顔が違うように、心も違う。
ほかならぬ自分自身がしているのだということに気づくべきじゃないか。
生きている価値がないのだ、とか、全部自分が勝手に思い込んでいることじゃないか。
流行っているみたいだから見に行っただけで、痛みがセンセーショナルだから
見に行ったわけではない。ただ、近い過去に社会からのけ者にされそうになった
経験からしても、確かに周りの目(世間体)というものが(これ自身は自分が
作り出したものだが)、自分を追い込み、苦しめることになる可能性について
否定はできない。このことは忘れがちだし、この元増田が実体験として
語られていることもなければ、自分の中に残りづらいことだったろう。
社会システムに適合していることになるし、特に"普通"と言われるものになる必要も
無いと思う。(庇護してくれる人がいるでもいい。それはその人のその状態を
認めていることになるから)