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はてなキーワード: あいちとは

2019-09-15

出版業界が衰退して、政府って対策取れるものなの?

知識支えているのって出版による所があると思うのだけど、衰退していったとき政府支援出来るものなのか、疑問に思った。

表現の自由に、公のお金をつぎ込む難しさって、あいちトリエンナーレの件を見て思った次第。


マシンラーニングみたく、儲かりそうなら出版するだろうけど。


個人出版でいいじゃんと言われると思うけど、Kindle自主出版見てわかるように、玉石混交までいかなくて石ばかりになる。

2019-09-09

anond:20190909125942

表現の自由戦士あいちトリエンナーレも守ろうとしていたし守るんじゃね。

批判はするが、それはそれとして脅迫を元にした排斥は許されないって形で。

2019-09-07

anond:20190907115435

インフラだと言うなら(たとえ売れなくとも)性的表現の自由担保する必要はあるのでは…

ゾーニングの在り方の議論は別として。

あいちトリエンナーレで様々な議論を呼ぶ(すなわち国民から必ずしも支持されない)表現を発表する場を(税金を使って)保証する必要があるのはなぜか考えてみてください。

2019-09-06

そもそも自分批判する意見ブロックしていることを知らないメイヤ

あいちトリエンナーレで展示変更、モニカメイヤーさんは語っていた。「対話を続けていくことが大事

モニカメイヤーさんの『The Clothesline』は、時代国境を越え、対話連帯を生み出してきた。津田大介さんとの対談時に打ち明けた思いとは?

中村 かさね (Kasane Nakamura)

国際芸術祭あいちトリエンナーレ2019」は、開幕から20日が過ぎた。わずか3日で中止となった企画展表現不自由展・その後」をめぐる問題は、トリエンナーレに参加している海外作家の一部が展示内容の変更を求めるなど飛び火している。

すでに展示を中止している韓国人作家2組と米国非営利報道機関「CIR(調査報道センター)」の他に、20日からは、スイス出身ウーゴ・ロンディノーネさんやメキシコ出身モニカメイヤーさんら9組の作品も展示内容が変更されたり展示が取りやめになったりした。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d5b4defe4b0f667ed676a06

>> 津田

フェミニズム闘争というイメージを持ち、批判的に攻めること自体を嫌う傾向が男女問わず若い世代にはあります。 <<

これはウソだ。フェミニズムジェンダー平等フェイクニュース歴史修正主義ヘイトスピーチ諸悪の根源だ。しか体制に阿っている。全体主義の先兵でありリベラルでも何でもない。そもそも女性を抑圧している側だ。現状についてなぜウソをつくのか

>> メイヤー  <<

>> フェミニズムは、家父長制のシステムや考え方、家父長制が作り上げてきた神話に対して、物を申す運動です。本来は、対男性でもなければ、誰かと戦うものではないはずなんです。すべての人が平等に、ハッピーに暮らせるより良い社会を目指しています

人種階級など色々な差別をめぐる運動がありますが、フェミニズムけが他者他者として設定しない運動だと思うんです。なぜかと言うと、フェミニズムにとっての他者とは、自分の夫であり、父親であり、兄弟であって、敵として捉えることができない身近な相手からです。性差別者でなければ全員がフェミニストフェミニズムは、すべての人と手を取り合って行える運動だという信念があります。 <<

日本フェミニズムは形だけフェミニズムを装った家父長主義だということをメイヤーに教え込む必要があるが、当然ながらだれもそうしない。現状の認識が全くメイヤーには欠けており、このような言葉には全く正当性がない。こうやって非常に自分たちに都合がいいことを利用する以上、客観性に欠けているのが実態

>> ひとみ 山口  <<

>> 的外れ日本問題を知らない外国人安易に語るな!  <<

>> いいね! · 返信 · 2週間前  <<

自分意見はこういうネトウヨ意見かぶっているように見える人がいたら、それは全く読めていない。外国人に語らせて利用しているのが問題だ。メイヤー氏はメキシコでは正しい、だが日本は知らないので正しくない。適当に利用されている。そういうことなので、ミスリードする人たちは自分たちが嘘つきなのだ自覚してほしい。

津田被害者ぶるのと慰安婦を利用するのをやめて辞職しろ

「どんな批判も甘んじて受け入れる」 津田大介氏が「お詫び」と「報告」(あいちトリエンナーレ表現不自由展」)

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d556072e4b0eb875f201a8c

批判を受け入れてないでしょうがこの偽善者。受け入れたらふつうは辞任しますけどね。結局自分正当化しているだけじゃないですか。

激しく笑う。とくに中村かさねのような嘘つきがいうのは本当におかしい。

まず表現不自由展に出すなら中村累のような嘘つきに消された日清食品を真っ先に挙げる。

さらにいうとこのあいちトリエンナーレの人選は客観的ではない。

あいちトリエンナーレ2019」でジェンダー平等が実現 芸術監督津田大介さんのこだわりの理由とは

アート門外漢である自分からこそできること、業界にしがらみのない人間でなければできないことがあるはずです」

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5c9ab498e4b08c450ccd7da6

まず人選からして客観的ではない。そもそもジェンダー平等って結局エリート女性えこひいきしろという男女不平等階層差別肯定しかない。自分たちがあたかもただしいように言うのはウソフェイクニュース歴史修正主義正当化されるのはこのようなでたらめな行為ジェンダー平等かいフェミニズムにある。柴田英里は支持はしているけど参加はしていない。

まりこのトリエンナーレ自体表現不自由であるといえる。女性男性より優れているなら、あるいはジェンダー平等が実現しているならなぜ中止をするのか。結局女性男性より優れていないし、ジェンダー平等なんて単なる利権にすぎないということがよくわかる。

さら問題なのは結局歴史修正主義が正しいこと、検閲が正しいことを肯定している。このために慰安婦を利用しているという点で非常に最悪だ。慰安婦に対する敬意が感じられない。ジェンダー平等かいう連中は元からセックスワーカー人間とみなしていないためこうした利用しかしない。こういう時の権力者に阿りながら表現不自由肯定するのは本当に失礼だろう。

表現不自由展、津田大介氏と実行委が外国特派員協会で別々に会見。「会期中の再開目指したい」と津田

30分後に開かれた実行委の会見について、津田さんは「僕は同席しての記者会見を望んだが、(実行委員会メンバーから)同席を断られているということです」と明かした。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d6c8bd7e4b0cdfe05723001

どこまでも醜悪だが、その電凸をあおっているのはハフィントンポストであり、さらにその一人が中村かさねであるのは非常に悪質だ。

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本質的バカをつけあがらせたいのがジェンダー平等とかフェミかいっている連中で、だからこそこういう人たちには学術的にも言論的にもなんの価値もないわけです。そして排除していい。なぜならジェンダー平等の連中は一切倫理も知性もなくそういう行為をするからです。そういうのには正当性がない。逆に排除しなければ大多数の自由がなくなる。

2019-09-01

anond:20190901215252

はてブTogetter集団ヒステリー起こしてるようなエントリが多いのは確かだな。

あいちエントリナーレのとき世界の中心がその話題で席巻されているかのような雰囲気だったが、実生活では誰も気にしていないという。

2019-08-25

煽りエントリー無視してみる

最近政治的対立、セクシズムなど、感情的な刺激を狙って炎上を煽るエントリー記事ホッテントリに多いなと思ったので、フィルタを入れて以下のタイトルに関するもの非表示にした。

------------

韓国

杉田水脈

はあちゅう

モテ

あいちトリエンナーレ

炎上

厳罰

------------


議論から逃げるのか的な批判にはあらかじめ言っとく。

討論するためにはてぶをやってない。

はてぶで議論に勝っても得るものはない。

自分の知らない世界の美しさや豊かさを知ったり、困ってる人にじぶんならちょっと言葉の贈り物ができるかもしれない、くらいのものしか求めてない。

なので、反論は答える意味がありそうだと思うもの以外無視する。


で、 フィルタをかけてみたら、ホッテントリの数が3/4位になった。

昨日のGSOMIAの時にこれをやったらきっと半分以下に減ったんじゃないかと思う。


はてブ見るのがうんざりしてる人や、ブコメを書いたあとなんか疲れる人はちょっと考えてみたほうがいい。

今のはてブネット依存を招く様な異常な煽り麻薬ジャンクフードみたいな刺激で溢れてる。

2019-08-17

あいちトリエンナーレ2019に見る「検閲」の正体

津田大介による詳細なお詫びと報告のエントリーを読んだ。

あいちトリエンナーレ2019「表現不自由展・その後」に関するお詫びと報告

https://medium.com/@tsuda/%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%A1%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AC2019-%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AE%E4%B8%8D%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%B1%95-%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BE%8C-%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%8A%E8%A9%AB%E3%81%B3%E3%81%A8%E5%A0%B1%E5%91%8A-3230d38ff0bc

さすが津田氏の本業だけあって、文章だと何を考えてどのようなことをしてきたのかがきちんと伝わってくる。普通に危惧されるくらいのことは可能な限り対処してきたのか、とか。これを読んでしまうと津田氏のトークイベントコーディネートのスキル文章力に比べて相当劣るように感じてしまう。

この文章で何度も出てくる「検閲」という言葉だが、他人言葉引用部分を除くと津田氏本人はかなり慎重に使っている。これは今回の炎上キーポイントでもある。

検閲」の種類

辞書的な意味検閲とは、公権力表現物を検査し発表を禁止することである

https://kotobank.jp/word/%E6%A4%9C%E9%96%B2-60273

しかしながら、図らずも今回あきらかになったように作品展示を中止する要因としては公権力ばかりではない。むしろ現代日本ではそれ以外の方が多いようだ。

 (1) 公権力イベント主催に関与していない政治家警察

 (2) 主催側(イベント主催者、展示施設スポンサー

 (3) キュレーター

 (4) アーティスト本人

 (5) 一般市民

 (6) 反社(ここでは便宜的に暴力的個人組織のこと)

このうち公権力によるクレーム強制力によって排除されるのが狭義の「検閲」。

主催側の立場は「金は出すけど口は出さない」のが理想ではあり今回もわりとそうだった。ただし事業である限り本来の主旨に合わないものデメリットメリットを上回る場合は、主催側が展示会の方向性意見する自由はあって当然。

キュレーターはむしろ何を展示して何を展示しないか権限を任されているので、それを行使するのが本業

アーティスト本人の意向ときとしてキュレーター意思よりもアーティスト意思尊重される。ある意味当然だがこれが強すぎると美術展がキュレーターの思惑とズレることがあり得る。そして今回ズレた。

声の大きいのが実は一般市民ネガティブポジティブに関わらず主催に対して意見を言うことは原則として問題ではないが数が多すぎると窓口業務に支障が出る。

そしてそれが悪い方向にエスカレートすると反社による脅迫になる。

実際のところ多数の一般市民からの苦情や反社から脅迫が原因で、このままでは来場者やスタッフ安全性が確保できない、という判断主催側、キュレーターがすることで展示中止となっているものが多いようだ。

今回の展示作品の「検閲

表現不自由展・その後」各作品の展示中止理由について調べてみた。

https://censorship.social/artists/

 慰安婦 3作品

 強制連行 1作品

 天皇 4作品

 福島原発 2作品

 米軍基地 1作品

 旭日旗 1作品

 右傾化反対 3作品

 JR脱線事故 1作品

 食品 1作品 

ちなみに「《平和少女像》は正式名称を「平和の碑」と言い、「慰安婦像」ではない」という言葉津田氏のエントリーにも作品キャプションにもあるが、これはかなり微妙な言い方で、「慰安婦像」という“名称”ではないものの、慰安婦表現したものであり、日本政府慰安婦問題謝罪を求める目的で作られた一連の像のひとつであることは作者が明言している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E5%83%8F

https://ko.wikipedia.org/wiki/%ED%8F%89%ED%99%94%EC%9D%98_%EC%86%8C%EB%85%80%EC%83%81

https://en.wikipedia.org/wiki/Statue_of_Peace

これらを見ると、多くの場合主催側やキュレーター公共性や展示会の主旨を理由に展示中止しており狭義の検閲にはあたらないように見える。また、天皇関係のうち3作品は、富山県立近代美術館事件に関するもので、これは反社右翼団体)による脅迫が契機となっている。

https://artscape.jp/artword/index.php/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8%E4%BA%8B%E4%BB%B6

表現不自由実行委員会は、表現自由 vs 公権力による検閲 という構図に見せたがっている。ただ公立美術館や芸術祭主催自治体は、公権力というよりも主催側という立場であり、中止の判断現在体制では安全性が確保できない、公共性ポリシーに反するなどである

そこを巧妙にすりかえて、「検閲」という強い言葉を使うことにより強大な国家権力に立ち向かうアーティストという演出をしている。

現代日本における検閲らしい検閲といえば、表現不自由実行委員会メンバーである永田浩三氏の受けたNHK番組改変問題があり、こういった経緯の作品があれば説得力は増したと思う。

https://ja.wikipedia.org/wiki/NHK%E7%95%AA%E7%B5%84%E6%94%B9%E5%A4%89%E5%95%8F%E9%A1%8C

エログロについて

ここからは完全に余談。

津田氏のエントリーには、候補として上がった作品として、会田誠《檄》や、鷹野隆大《おれとwith KJ#2》、ろくでなし子デコまんシリーズが挙げられている。

鷹野隆大《おれとwith KJ#2》は男性器が写った写真を展示していたところ、通報されて警察から注意を受けたというもの。明確に違法な図画を作品としてクローズド場所に展示するのはOKNGかという議論は見たかった気がする。

https://www-art.aac.pref.aichi.jp/collection/pdf/2014/apmoabulletin2014p54-63.pdf

ろくでなし子作品展示スペースの都合で候補から落ちたという件、カヌーみたいな大きなものではなく手のひらサイズ実物大?)のものもあるので、スペースなんかどうにでもなるだろうと思ったものの、慰安婦天皇がらみの作品のすぐ横にデコまんがあったらそれはそれで別の意味が発生しそうなのでやむなしか

掲示されていた「年表」にそれらが含まれいるか知りたかったがよくわからない。ネットに上がっている写真を見ると「イケメン官能絵巻」の文字が見えるので「年表」にはエログロも含まれているのかも。誰か知っていたら教えてください。

2019-08-16

いろいろ一段落したっぽいから書くけど

あいちトリエンナーレ炎上してしまった津田っち、ここぞとばかりに過去も含めて炎上ネタが投下されてるけど

一番ネタになりそうなサイゼリヤの件に誰一人言及していなくて不思議だった

https://www.youtube.com/watch?v=4efGZZFUHog&feature=youtu.be&t=5928

あいちトリエンナーレの件で武蔵大学話題だが

さえぼうさんや千田有紀さんも武蔵大学で働いているので、武蔵大学がどういう大学かどんどん気になっている

あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」傍聴者にガチモンの右翼がいた

終了後、何かが気に食わなかったらしく、職員に当たり散らしてた。

怖かったから急いで出てきた。

津田大介さん&その擁護者の言い分に納得できないこと

あいちトリエンナーレ津田大介さんが監督の「表現不自由展・その後」について、納得できない点を頭の整理を兼ねて書いてみます

検閲について

憲法上の検閲

憲法上の「検閲」とは次の通りであり、本展における河村市長官房長官のいずれの言動もこれに該当しないことは明らかなので、憲法上の検閲ではあり得ません。

行政権主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止目的とし、対象とされる一定表現物につき網羅一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるもの」(判例)

したがって、本案件で「違憲」と言い出した者(例えば大村知事等)は明らかに失当です。というか憲法上は事前の規制を重く見ているため、事後的に批判した河村市長官房長官(この二者には取り止めさせる権限なし)よりも事前に強く要請した大村知事(実行委員長として権限あり)の方が判例趣旨からして危なそうです。

津田大介さんの言う「検閲

あいちトリエンナーレ2019「表現不自由展・その後」に関するお詫びと報告』を読んでもわかるように、津田大介さんは「検閲」という言葉を「何らかの理由により効率美術館で展示できなくなったもの」と自らに都合よく恣意的に用いています

憲法上の検閲でないとしても、この意味検閲という強い言葉を用いることはミスリードです。本件の場合、事後的にも発表が禁止された事実はありません(あいちトリエンナーレ以外の場所公表を続けることも十分可能です。)。

公権力が,表現行為ないし表現物を検査し,不適当判断する場合には発表を禁止すること。公表以前に行う事前検閲公表後に行う事後検閲とに分れる。」(ブリタニカ国際大百科事典コトバンク)

ヘイトについて

法律上ヘイト

ヘイトスピーチ規制法の正式名称は「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律とあるように、「本邦外出身者」をターゲットにしているため、本件展示が法律上ヘイトに該当しないことは明らかです。

(法律規定する範囲が狭すぎる、という議論はあると思います。例えばDV防止法は成立当初、男性被害者とは規定されていない法律でした。)

批判者の言うヘイト

自国であった負の歴史を思い起こさせる作品を展示することが、その国や国民に対するヘイトにあたるとは考えていません。」「大浦さんは昭和天皇肖像日本人としての自画像であり、天皇批判ではないとしています。」とあるように、津田大介さんは、自国民同士のヘイトは想定していないようです。

ただし、国民を分断し、他のグループにに対して差別的言動を行うことは十分に考えられます

津田大介さんの政治思想

津田大介さんの過去言動

津田大介さんは、過去RADWIMPSHINOMARUという楽曲を「国威発揚であるとして激しく批判をしています。また、そういった批判を受け、RADWIMPS謝罪に追い込まれています

更にTwitterにおいて『今後もどんどん「国威発揚」の依り代として芸術が利用(寄生)されていくんだろう』ともコメントしています

昭和天皇写真を焼く行為に比べてはるかに穏当(少なくともヘイト的な要素はありません。)なものに対してこのような反応を見せており、極めて左派的な思想であると思われます

今回の展示物の選定

津田大介さんは「不自由展実行委によって拒絶」、「そのまま展示することはコンプライアンス的にハードルが高」(い)、「展示スペースの都合」という理由で、会田誠さん・鷹野隆大さん・ろくでなし子さんの展示はしなかったと言っており、言外に自身政治思想は反映されていないことを含ませています

少女像昭和天皇写真の焼却などが選定されたのは自らの意思ではなかったかのようです。

しかし、その一方で『約80組の作家選びは当初、学芸員に任せるつもりだった。ところが、上がってきたリストを見て「ピンとこない。これはまずい」と方針転換。自ら決定権を握った。』(7/8北海道新聞インタビュー記事)とあるように自ら選定していったことを明かしています

まとめ

津田大介さんの言動をまとめると以下の通りになります。少なくともダブルスタンダードと言われることはやむを得ないでしょう。

1.検閲意味憲法どころか辞書よりも広くとるが、ヘイト意味は狭く(法律通りに?)とり、いずれも自らに都合よく解釈した。

2.過去保守的楽曲に対して激しく批判し、更にそれに公金が用いられることに慨嘆したが、自らの政治思想に沿った展示を公金を用いて行った。

3.自らは中立かのように装いつつ、自らの思想に反する展示はテーマ合致したとしても排除した。

どこにも当てはまらなかったので雑記

津田大介さんは今回の謝罪文で『自国現在または過去の負の側面に言及する表現安全に行えない社会となっている』とコメントしています

しかし、前述のHINOMARUに対する批判を行ったにも関わらず今回のポストが手に入れられたということは、少なくとも「日本が好きという者を批判しても言論界ではプラスにはなってもマイナスにはならない」ということを体現したと言えるでしょう。

2019-08-15

あいちトリエンナーレ意見

表現の自由を守る】橋下徹津田氏や実行委員先祖肖像を焼きまくる作品を展示すべき。さら先祖間抜けと罵る作品も」

https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1565771375/

604 名無しさん@恐縮です sage 2019/08/15(木) 03:53:47.17 ID:9RFrbUwx0

昭和天皇戦争責任者だから顔写真を焼いても良いという意見があるが

犯罪者顔写真なら芸術の名のもとに好きに使っていいと思ってるの?

例え犯罪者だとしても裁判所等以外が害を与えることは私刑と言うのでは?

サヨクがやりたい事は表現の自由の名を借りたイジメリンチである

ぐぐれくされちんぽこ批判覚悟で聞きます

あいちトリエンナーレ騒動をわかりやす簡単にまとめたものってどこで読めますか?

Midas先生あいちトリエンナーレ表現不自由展」を語る

どうもMidasファンです。

面白かったのでブクマをまとめました。

https://b.hatena.ne.jp/Midas/

芸術政治化」ではなく「政治芸術化」こそが問題



 もう少し左翼好意的に言っておくとこの件(「消すぐらいならやるな」と憤慨してるひとがいるように)「政治政治ちゃんとやれよ(天皇制を打倒したいなら『表現の自由w』とか言ってないで現実で打倒しろ」につきる。めざすべきはあくまでも現実世界での天皇制廃止ないしは社会改革であって展覧会で「これがボクたちの考えた芸術です」は単に『表現w』の世界へ逃げこんでるだけ(「現実では何も変えれない」敗北宣言にこれも等しい。

 このへんの不純さ、不誠実さが(右翼のみならず)いわゆるノンポリのひとたちの嫌悪感を誘ってるのは疑いないので。結局「歴史上の人物から問題ないですよね」がいまだに大失言だと気づいてないのはそういうとこ。「これは表現の自由だ」が『政治』になりうるためには当然ながらそんな2代まえなんかの肖像いくら燃やしてもアクチュアリティのかけらもないわけで(「歴史上」は「ノーカン」でしかないので)いまの天皇を燃やすべき。ところが令和の陛下が犯した悪行といえば柏原芳恵ラブレター書いたのと嫁の生理があがってオトコみたいなツラになったくらいしかないのであってその責任を問おうにもポイントがみつからない(お人柄もいいらしいし。

 「2代まえのひとだから(歴史上の人物なので」と『表現の自由』だけを切り分けようとするほど政治的には効力を失ってしまうというジレンマがある。「いいかな?」とか言ってる場合ではないのである。かんたんにいうと今回の件が決定的にダメなのは(ちまたで言われてるような)「芸術政治化(本来ニュートラルであるべき美術世界稚拙プロパガンダ芸術をもちこんだ」からではなく逆「政治美術化した」から

 政治美術化とはいうまでもなくファシズムの最も簡潔な定義なので。政治美術館での鑑賞の対象にするとは現実世界矛盾一見みんなで共有してるようでその実は単に審美的判断をくだすだけ。くり返しいっとくが政治ギャラリーでの鑑賞の対象にして「考えさせられました…」とか言ってるのは現実改革あきらめたしるししかないのである政治展覧会ネタにしてはならないとはそういうこと。



表現不自由」よりも「差別排除時代」の方が問題



 たぶんガイジンさんには今回の「表現の自由」いったいなにを争ってるのか全く理解できてないと思う。ちなみに「表現の自由がー」必死に言ってる連中もこれが極めて日本的な『どこに由来してる』か自覚してない。

 (まさかと思うかもしれないが)この『表現の自由はいわゆる『朝日的な』もの(サヨクん)ではなくルーツ雑誌ぴあ』にある。町山が「はあ…昔の『ぴあ』はよかった…」言ってたのを軽くみてはならない。日本の68年以降の文化史ではそれまで『朝日ジャーナル』を小脇にかかえて歩くのが学生さんヤングのひとたち『かっこいい(政治意識がある』と言われてた。雑誌ぴあ』はまさに『朝日ジャーナル』の次にあたる。朝日ジャーナルにかわってこんどは『ぴあ』をかかえて歩くのがかっこいいヤングの条件(ちなみに朝日ジャーナルのまえは『平凡パンチ』とか)になった。『ぴあ』がかっこよかったのはいわゆる『情報誌』だったから。

 ロードショーから場末ポルノ歌舞伎展覧会にいたるまで情報を『差別』せずフラットに扱った最初の例が雑誌ぴあ』。フラットに扱うとは『価値判断をしない』。ただしこの『価値判断をしない』がくせものであって…「町山さいきんクソサヨクなっちゃってどうしたの…(脳に毒がまわったのかな」ふしぎに思ってるひとも多いが情報コンテクストにおける『価値判断しない』は結局は「愚弄する(冷笑する。もちあげない」なので津田やあずまくんにしてみれば「まさかこんな反発くらうとわ…」なのもまあわかる。あの「歴史上だから、まいっかと思って」もホントだったら慰安婦像つくったひとにむしろ「ふざけんな!」言われてるべき態度。

 慰安婦像つくったひとは(わたしにいわせればデタラメもいいとこだが)マジで日本人よ…はんせいしろ」思って(たぶん)あれつくってるので。津田やあずまくんがやってた「表現の自由」実はそこまでの政治性はない。

 雑誌ぴあ』が今週おこってるいろんなイベントおもしろおかし無差別にとりあげれたその点において表現自由だった(ロマンポルノのとなりにハイソ演劇が並んでてよかったね自由社会で)くらいのニュアンス。もちろんそうしたフラットなあつかいができるのも世の中がへいわで経済繁栄しててみんながそれなりに理解力があって寛容だったから。なのだが(実際に「ポルノと一緒にされちゃたまらん」感じてたひともいるはず。

 高尚な演劇とかでポルノと並列に扱われたら明らかに侮辱だ」思うのもまた自然ことなので。『全てをフラットに扱う(価値判断しない』だけでも『表現の自由』そんなに長続きしないしそもそもありえない。もちろんそうしたフラットなあつかいができるのも世の中がへいわで経済繁栄しててみんながそれなりに理解力があって寛容だったから。なのだが(実際に「ポルノと一緒にされちゃたまらん」感じてたひともいるはず。高尚な演劇とかでポルノと並列に扱われたら明らかに侮辱だ」思うのもまた自然ことなので。『全てをフラットに扱う(価値判断しない』だけでも『表現の自由』そんなに長続きしないしそもそもありえない。

 みんな(とくに憲法がくしゃとか)大いに勘違いしてるけどこれ要するにそういうことなので(どうしてこんなかんたんなことがわからんのだという感じ。なぜそうなるかというとつまるとこ『インダスリー』のもんだい。たとえばこんかいあずまくんいきなり前言ひるがえしたりして「なんなのこのひとは…(このていどのこと最初からわかれよ」思うひともたぶんたくさんいるはずだが別に彼らに一貫したものなどありはしないので、こないだまで河村disってたはずのあずまくんいきなり「津田がわるい」になるの丸山ぎいん「みなさんNHK受信料はらうのは国民のぎむ」からの「NHKぶっこわす!」入りと全くおなじ。

 インダスリー問題とはすなわち文化産業問題であり雑誌ぴあ』の「表現の自由」が成立してたのはみんなが中産階級だと思ってたから。永六輔とか旧NHKこうした平等社会の構築に焦点あわせてたしこの環境産物。こうした文化産業の仕組み(従事してるひとたちも含めまだ巨大なインフラが半ば廃墟と化しながら残ってる)いまどきこれでやってけるはずない(もう残念ながら時代おくれ)と誰もが思ってるのは確かなので。

 若干専門的な話でしめとくと(もうネットにたくさんいる情報産業のひとにとっては常識だろうが)おどかすようですまないがこれからは「情報フラットに」ではなく「差別排除」の時代なので(あれこれいってもムダ。差別排除とはゲートキーパーが誰をはじくか決めてその(誰でもゲットできるはずの)情報へのアクセス権がそのひとの社会的な地位をしめすアレ(要は「ブロックだ!」「不可視にする!」みなさん楽しそうにやってるやつ。

 表現の自由なんかよりそっちのほうがよっぽどだいもんだいじゃないの?wという感じだが世の中よくできたものホント重要なことは展覧会テーマになんかなったりはしないのである(みんなのメシの種になってるから

2019-08-14

あいちトリエンナーレは今回で終わるだろうね

今まで盛り上げて来た人達の苦労を

キチガイ左翼オナニーで全て潰した

あいちトリエンナーレには是非潰れかけのショッピングモールみたいになってほしい

撤退されまくってガラガラの部屋だらけになったら見に行くわ

政治わかんない

今までずっとあんまりそういうのわかりませんって態度をとってきたが、ほんとにいよいよそんなこと言ってられなくなったので助けてほしい。

政治が本当によくわからない。そもそもよくわかってることなんて一つもないのかもしれない。

興味があってそれなりに理解のある分野は芸術だ。それでも全然不勉強だし、美術なんかはほんとにわかってないし。

別の分野の勉強もしたいと思うのだが、どうしても関連が強い哲学社会学大学の時専攻してたのにすっぽり忘れている経済になってましまう。

もちろん、芸術だけに関してもあいちトリエンナーレの件のように政治無関係なんてことはないのは理解している。

でもどうしてもわらかない。周囲はやっぱり芸術の人が多いのでみんな反アベだ。それが正しいのかどうかというよりも、どういうことを成したり変えたりしようとしているのかがわらかない。

もちろん正しくなくても何かしら行動することの価値はわかるつもりだ。そして正解なんてない。全ては曖昧で不確かななか何かを信じて行動していく。

芸術はそうだと思う。でも政治もそれでいいんですか?

そうだとしたら、よりどうしたらいいかからない。正しくないまま突っ走ることが許されるのか。だったらそれは歴史の過ちを繰り返してもいいことになるのか。わからない。

ワイの憲法先生あいちトリエンナーレ声明に参加しとる

先生お元気ですか

あのとき憲法の成績なんでDなんスカ

先生はあれやこれやと説明してくれましたがぶっちゃけ今も納得できてねえっス

教職めざしてて仕方なしに憲法とったのが駄目だったんスかね

anond:20190810200347

オタクが身勝手なのではなくて、もっと広い範囲の人が身勝手だったりダブスタ丸出しの発言を余裕で行なったりするって話だと思うけど。

いや、ネット世論的にはまさに言ってる通りだと思うが、ネットだってオタクだけて形作られてるわけではない。

あいちトリエンナーレの件もそうで、ざまあざまあ言ってるのは当然オタクだけじゃない。

広範に言われてるからそっちが正しいんだ、と言いたいわけではなくて、同じ属性を持っているからと言って同じ意見を持ってるとは限らないし、持たなければならないってわけじゃないでしょうってことね

それを言い始めたら日本人やめますか、人類やめますか、みたいなとこまで行くよ

そんな潔癖に生きる必要ない

2019-08-13

anond:20190812185015

このエントリでいう「現代アート既存権力」について、コメントしている人たちが考える「権力=○○」が違いすぎて話かみ合ってない。

>「これはアート! わからないお前は勉強が足りない!」とか言っている人たちがいる。

素直に読めば、これは「アートをやっている人たち」を指すであろう。確かにこれはある。古参オタクがニワカの新参マウントするやつ。

ただ、その後の「権力」「カルト」というところを見ると、この増田現代アートのもの懐疑的である

コメントは当然ながら、あいちトリエンナーレ意識した書き込みが多いが、このエントリ自体もそれに触発されたものと考えるのが自然だ。

そう考えると、この増田あいちトリエンナーレをどのような視点で見て、このエントリを書いたのだろうか。

もし、作品撤去の件を肯定的に見ている場合、「あんもの芸術というなんて、頭おかしい」という意味でこのエントリを書いたのだろう。

からアートを「カルト」というし、「津田現代アートという権威を借りてヘイト展示をやったんだ」という論理が成立する。

一方で、作品撤去弾圧考える人々もいる。そうした人々にとって権力者とは政府政治家公権力あいトリに政治家発言した件)であり、

アート社会メッセージを送っただけなのに表現の自由を奪われた」となる。

また、タイトルの「醜い優越感」というキャッチーキーワードも気になる。

増田アートになんてこれっぽちも関わりなく生きてきた人間なのか、自分には理解できないものに対するひがみのようなものも感じる。

「これはアートだ、と言えば何やってもいいのか」というやっかみの気持ちもあるのだろう。

自称現代アートに詳しい人たち」は常に「アートなんて分からない人たち」を置いてきぼりにしてきた。

特に、全国各地にある公立美術館だって一般市民アート教育普及するための施設であったはずなのに、「自称アートに詳しい人たち」に私物化されてきただけであった。

からネトウヨにとっては「税金を使ってこんな展示をしてくれやがって」という気持ちになることはよくわかる。

しかし、今回の津田芸術監督はそうした「自称アートに詳しい人たち」側の人ではないのである

しろ、「自称アートに詳しい人たち」からは「素人のお前なんかにできない」と散々コケにされている側なのである

から津田さんにとっては「権威美術業界」(=アートではない)からもけなされ、ネトウヨ公権力から弾圧され、泣きっ面に蜂である

今回のあいちトリエンナーレ自分既存日本における美術業界権威に風穴を開けてくれることを期待していた。

だが、日本社会に立ち込めるネガティブ圧力を改めて浮き彫りにしてくれることとなった。

今回の件について、美術業界批評家美術史家、美術学芸員といった人たちから、まともな「批評」がなされるのだろうか。

これから日本美術業界は「自称アートに詳しい人たち」の自己満足展覧会と「クールジャパン」的な何かをやるだけの、一部の人たちの既得権益として温存されるのだろう。

自分増田とは違った意味で、「現代アートにおける批評性」がなくなっていることを危惧したい。

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