はてなキーワード: 白飯とは
虫の話、かつ大変に不衛生な内容だが、気づきがあったので書いておく。
毎日食う米について、ビニール袋の肩口の一方を切ってそこから米を炊飯器に注ぎ、ものぐさなため、それをそのまま台所の床の上に置く、翌日になって再び持ち上げて炊飯器に流し込む、ということを繰り返している。
今年はたまたま、梅雨ごろに米を炊かない日が続いており、久しぶりに白飯を食うことになったのが、おそらく3週間ぶりぐらいのことだった。
炊飯器に米を入れたあと、普段ならそのまま水を加える。ただ、このときは他の料理の手間もあり、偶然そのままキッチンの上に置いて、しばらく別の作業をしていた。
人間の眼というのはすごいもので、白一色のはずの敷かれた米の上を小さい茶色っぽいものがちょこちょこしているのを、無意識のうちに、脳に警告を出していたらしい。
「うん?」と思って、なんだか気色悪いな、なんだろうな、と思ってなんとなく炊飯器の中を見ると、よくわからない、米の害虫としてよく聞くゾウムシとも蛾とも違う、甲虫に似ているけどそうじゃないヘンテコな虫が、泡を食ったように米から出たり下にもぐったりしている(調べたところ、チャタテムシというやつだと思われる)。
泡を食ったのは人間側も同じなのだが、「これは、炊飯器の中にたまたま最初からいたやつじゃねえな」という嫌な想像力が働いて米の袋の方を持ち上げて検分してみると、はたして同じような虫の姿がときおり見える。湧かしてしまったのである。
普通はあきらめて捨てるだろうが、俺は不衛生なうえに吝嗇なので、かなり悩んだ。5kgの袋の中の米は、まだ半分以上残っていた。
さらに言い訳がましいが、異常に大繁殖してしまっているわけでもないのである。よく見ているとときどき、姿が見えるぐらいなのだ。
また、例えば甲虫類のいわゆるああいう幼虫がここにいて、それが口に入るとなると俺も抵抗が大きいが、チャタテムシ(仮)は不完全変態らしく、このちょこちょこしたやつが最初であり最後の姿らしい。
いずれにしても、この中で増えてしまっているのは事実だし、いさぎよく捨てるのが理性であり、文明である。これを食うのはもはやケチというか、どちらかというと、もう野人の領域かもしれない。
ふと、頭に思い浮かんだ言葉があった。「まあ、そりゃ食わんだろうが、それとは別に、とりあえず、水に漬けてみたらどうだろうか」。
悪魔のささやきであった。
期待した通りというか、水に漬けて、研ぐようにしてかき回すと(無洗米なので普段はやらない)、比重? の関係か虫が浮かんできた。これを2回繰り返すと、ぱっと見は何の問題もない白米になった。
そういうわけで、いま毎日無洗米を研いで、この米を食っている。
一つ気づきというか、さすがに考え直さないといけないかな、と思うようになった変化があったのは、ここ数日のことである。
これまで、2回すすぐと見えなくなった虫の影が、3回を要するようになった。
想像するに、米を炊飯器に注ぐときは米の袋の上層から食っているわけである。そして、虫はそれより下の領域をエリアにしているのではないだろうか。
俺が米を食い進むことで、ある意味で本丸に近づいているのかもしれない。
「近づいている」というこの実感が、(いまさら何を言うんだという感じだろうが)我ながら生理的に不快感があり、3回すすいでもまだ虫が残るようならもう食えん、ということになる気がする。
このように、人間の意識では「一様に汚染された米袋」だが、その中にもグラデーションがあること、文明に背を向けたような逸脱者の気持ちにも「これ以上は自分で自分に引く」という一線が、米袋を食い進んだ先にあることに気づいたので、この機会に書いておく。
ご飯は白飯。卵2〜3つを溶いて、フライパンで半熟にしたらそのままご飯にのせる。ケチャップとマヨネーズかけて完成
鶏もも肉に塩こしょうして、フライパンで片面焦げ目がつくまで焼き、裏返して蓋をして火が通るまで待って完成
・肉野菜炒め
野菜はスーパーで切ってるやつを100円ちょいで買う。それと豚こまを買う。あとは炒めて完成
溶き卵を熱したフライパンに入れ、次にご飯を入れて炒める。そしてカレー粉と塩を振って完成
・豚キムチ
キムチと豚を炒めて完成
・ステーキ
焼いたら完成
炊いたご飯をフライパンに入れ、水とコンソメの素を入れて煮込む。柔らかくなったらとろけるチーズをいれて完成
・海鮮丼
野菜中心だけど、白飯が進むような味付けの工夫をして、作り置きで1汁3〜4菜は大抵用意している。
キッチンが狭いので凝ったものとか手間のかかるものはあまり作らない。でもワインとか、紹興酒とか、ナンプラーとか、自分に出せない調味料はしっかりつかう。
胃腸の弱い自分には、おなかいっぱいになれるのにもたれずにすむ最高のメニュー。
この基礎があるからたまに食べる外食を楽しめる。外食なんて本当にたまにでいい。
仕事が終わって、今日のおかずを考えると早く帰りたくなって幸せになる。
なかなか自分の料理を現実世界で褒めちぎる事は気が引けるので書いてみる。
今日はたっぷりの玉ねぎと隠し味の赤ワインで煮込んだパークビーンズ。大豆が柔くならないように、最後にサッと入れて食感を残したところがポイント。
口の中でおかずを入れた後に白米をぶち込むのが口中調味で日本の食文化あ〜〜〜!?!?!?
対面に座ってる人間にてめえの口内見せびらかして味をまじぇまじぇするのが素晴らしいってか!?
その食べ方は,飯と汁, 飯とお菜を交互に食べていくものであるすなわち,白 飯と汁やお菜を交互に食べ,口の中に残る汁やお菜の味で, 白飯を味付けしておいしく食べることを基本としており, この食べ方は「口中調味」とよばれている
きたねえ食べ盛りの高校生の食い方を美化してねえで焼肉のタレの残りの風味で米食えよ!!!!
米は無味じゃねえんだよ!!!!
ワインのマリアージュだって同じだろ!?!?誰も飯とワイン口でぐちゃぐちゃにしてないんだわ!?!?
できねえなら丼にして食え!!!!!
いつも母が早朝仏壇に供える白飯をそんな暑い日には30分から1時間後にはもう本人が下げるのだが1日じゅう忘れていたらしく
寝る前になって「もう食べられないからこれを捨てておいてほしい」とラップに包まれた、仏具にそえつける容器の形になった小さい3つの丸がくっついたようになっている白飯の塊を渡された
つい1時間半ほど前の話で引き受けて捨てたはずなんだが、しばらく別の作業をしてさっきふとした瞬間にそのことを思い出してみたところ肝心のその「捨てた」行為の記憶がない
慌てて探し始めた
台所の小さいポリ袋(三角コーナーを介さず直接捨てるために置いてある)にも黄色い市のごみ袋の中に貯められた生ごみの中にも部屋にあるいくつかのゴミ箱の中にもトイレに行く途中の棚の上にもその他どこか寄って一旦置いておきそうな場所のどこにもその塊が見当たらない
念のためと思い、いつもは傷む前に下げて母が食べるために冷凍してあるその白飯の塊が複数入ったジップロックを確認してみたがガチガチに凍ったものしかない、あれは1時間やそこらでは凍らないだろう
どれでもないと思うが不安になり、また正直すでに数週間ほど経ったこれらの冷凍ごはんを母が食べるのが少々不安だったのもあり安全側に寄せて全部捨ててしまった
あの白飯の塊はいったいどこへ消えたのか?そしてわたしはまだ30代なんだけどわたしの脳、大丈夫か?わたしの記憶、いったいどこに消えてしまったんだろうか
とりあえず朝わたしより早く起きてくる家族に置手紙をして、どこかで見つけたらそれは食べられないので捨てて置いてほしいと書いておかねばならない
冷蔵庫の中も探したけどないな、本当にどこへ行ったんだよ