はてなキーワード: ヴィオとは
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私は子供のころから交響曲やヴァイオリン協奏曲よりも、ピアノ協奏曲が好きだった。
なぜかというと、ピアニストが一人で全音域をスキャンできるというのが、メリットのように思えたからなのだろう。
過去のエレクトーンは、機能が限定されており、全音域をスキャンできるような設計ではなかったのである。
過去のヤマハ製教会型電子オルガンも、ストップが貧弱で本物のオルガンの音には遠かった。
ヤマハ製教会型電子オルガンは自分の田舎とバスで20分の地方都市にはなく、羨望の的だったが、製造を休止してがっかりした。
担任の手で小学校の席替えが行われた直後、自分の人生に影響を与えたピアニストがいた。
第3回日本国際音楽コンクールのピアノ部門は今のEテレで放映されていたのだが、もっとも強い印象を与えたのは、第1位のex-aequoの2人でもなければ、第3位の人物でもなかった。
第4位を受賞したLee Mi Jooだ。彼女は本選でベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を弾いた。
この人のことは長らく記憶から消えていた。大学を卒業するまで、名前を忘れていた。
後で調べたところ、この人は韓国ピアノ界のパイオニア的存在で、韓国初のヴィオッティ国際音楽コンクール第1位の受賞者であったことも知った。
外面的に弾くより、音楽的な意味を汲み取って弾くという教育は、まだ日本ではさほどメジャーではなかった。Youtubeで確認したら、今の傾向を30年以上先取りしていて驚いた記憶がある。
いつかステージで弾くなら、まず最初はこの曲にしようと決めていた。
第1位のソ連のAndrei Dievが弾いたプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番は、小学生の私には難解すぎたようだ。第2楽章の機械的な楽句は、正直聴いていてつらかった。イスラエルのRan Zemachの弾いたショパンのピアノ協奏曲第1番はスタニスラフ・ブーニンのように意味過剰にせず、さっぱりと流し切った。驚嘆した思い出が忘れられない。
どうして憎まれるのかというと、日本からカルテックやスタンフォード大学クラスの逸材が出ないから。
これだけ金をかけて、なんで世界ランク25位程度の大学にしか行けないのかという批判が常にある。
ところが、日本は卑屈に国内の大学のみでシマ荒らしをしている。すごくスケールが狭い争いを、なぜか富裕層が行う。
個人的にはブゾーニ国際の全員予備予選落ちより、去年のヴィオッティ国際の全員1次落ちのほうがショックだった。
全然国際社会に通用してない。国際数学オリンピックでも18位でしかない。
日本人の35歳以下は、もう誰も勉強して世界を取りたいと思わなくなっている。無能の塊になってきている。今年の大谷翔平を見ればわかるだろう。日本人だろうが、アメリカではあの程度なのだ。
北海道のイオンもない街から、都心の国公立大学を単願し、能力を認められ浪人せず就職する。これを最近のピアノのアカデミアを嘆く私に当てはめてみる。私の場合は、どこかの地方都市で本屋はおろか図書館も予備校もない街から、伝統的で保守的な教育を受けるためにNHKの語学番組を聴くことをなぜか急に思い立ち、3年で結果を出す。これに近い。
3年でもっとも素晴らしい結果を出したのはみんなもよく知っている横山幸雄さんだが、2020年代の日本で3年で結果を出すなんてことがあるのだろうか?国がいくら官費で留学させたって、出てくるのはリーズ国際、エリザベート国際、ヴィオッティ国際、チャイコフスキー国際の予選落ちばかりなり。落ちてしまっては元も子もないので、ヴァイオリン業界はあきらめてマイナー国際を受験させることに舵を切ったみたいである。あまりにも失敗例が多すぎたのか、東京人であろうが田舎者であろうが地方人であろうが、「もう3年じゃなくていいもんっ!」と恥も外聞もなく、音楽家の親はお金をつぎ込むようになった。
国公立を単願する人間からすると信じられないだろうが、今の日本の音楽業界は3年で結果など出さなくてもよいので、何年でも留学してよい社会になった。これは日本に限ったことではなく、第3課程を複数回やってるのもいる。どこの現場もものすごい競争率である。この競争率で、3年で結果を出すことは絶望的で、平均は7年のように感じている。12年かけることも珍しくない。
圧倒的な重課金で中学受験をするのが東京のデフォルトなのに、どうして3年で結果を出せる人物が少なくなってしまったのだろうか?それは、もう東京に教養層がいなくなってしまっているというのが真相ではないだろうか?中高一貫で1年分を受験に充てるというのは、冷静に考えれば「ズル」である。それなら、ズルをして敵を倒せばよいのだから、敵の人権は知ったこっちゃない、こんなところだろう。
こうやって、利己的な感覚だけが生き残り、他人への慈悲が磨り減る。こんな都市国家を抱える社会で国際的な作曲家やピアニストなんて出るのだろうか?どこの国際コンクールも、目立って優秀なのは決まって後進諸国ではないかという事態に遭遇することが多くなった。そういう人は、典型的に師匠から教えられた勉強ではなく、自分で独自に発案したレパートリーを持っているピアニストもいた。後進諸国の作曲技術が見劣りするなんてのも20年前の話で、今となっては一番先鋭的な言語を身に着けているではないか。このような努力の塊のタイ、インドネシア、トルコ、タジキスタン、チリ、カザフスタンなどの精鋭の作曲家の出す音は強烈で、日本人はこんなのに勝てるはずがないと思った。勉強量は日中韓の比ではないだろう。彼らはQS世界大学ランキング22位の東大なんてことはない。在籍校はせいぜい、ランキング数百位程度であった。にもかかわらず、彼らは東大生より倍以上優れている。
さて、この「3年で結果出せ」というノルマ。常識的に考えれば、これはほぼだれもが不可能ではなかったか?アメリカ合衆国の大学院の数学科だって修博5年一貫制である。また、アメリカ合衆国は文系か理系かを本当に決めるのは22歳からでよい。アメリカ合衆国のほうが包容力がある。それに加えて、日本は16歳で文系か理系かを強制的に決定させられる。中高一貫は体系数学を使用しているのでノーダメージだが、そうではない普通の公立高校では、そんな教科書は使えない。したがって、地方や田舎では16歳で「お前は文系」などと説教をされるのである。
私は数学の点が悪くはなかったので理系組に進学することができたのだが、今思い返せば、「3年で結果出せ」「16歳で文系か理系」といった昭和の時代の日本人の知性は、そんなに強靭なものだったのだろうか?私は違っていると思う。国際標準は「大学院進学後5年で結果出す」「文系か理系かは22歳まで待つべき」なのだから、それに日本が合わせなければならないのではないか?こういった公教育の欠陥は、やはり音楽家の音に出るようで、日中韓勢の出す音は、作曲だろうがピアノだろうがヴァイオリンだろうがことごとく消極的なものが多い、いや多すぎる。この音質や書法の貧しさは、教育にあるのではないだろうか。
重課金で上げ底になることを東京人はもうやめることができない。このままだと、課金して学歴は買えても教養は買えませんでした、ということになるだろう。中国の教科書に「日本の興亡」として掲載されるかもしれない。NHK-FMでもかつてはミカエル・ジャレルやイワン・ヴィシネグラツキーを放送できる余裕が31年前にあったのだが、今は全く取り合ってもらえないようである。ジャレルの弟子の何人かが日本人であるにもかかわらず、ジャレルの作品が今日のNHK-FMはおろかどこの日本のFMでも一曲もかからないのは皮肉な話である。
私は学歴ではなく、教養を取ったのかもしれない。3年で結果を出すことはもう無理なので、私は他人に甘く、第2課程から第3課程の4年あるいは修博一貫の5年でよいと思っている。
南雲道夫氏の時代は「2年で結果出せ」でした。4-5年で結果を出せなくなっているコンテスタントは、ドーピングをしないとメダルが取れない陸上選手とそっくりですね。
「ピアノっていつの間にかポップカルチャーに…」というエントリもあるので実体験から書いてみようと思う。
1990年、まだバブル崩壊の恐怖を味わってなかったころ、日本のピアノブームは少々は残存していた。かつて労働者層が輸入楽譜を購買することはなかったのだが、1990年の段階では普通に買うようになっていた。園田高弘さんのような堅物も残っており、横山幸雄さんがショパン国際ピアノコンクールで第3位を得たと同時に、日本の田舎と地方は一斉にピアノ熱が高まったといっても過言ではないだろう。
その1990年代、今の韓国と中国がやっていたことと、全く同じことを日本がやっていた。マイナー国際やローカル国際は、あっという間に日本勢が技術力で占拠してしまうので、コンクールになりえないとまで言われた。ただ、現代音楽のピアノ演奏はハードルが高すぎたのか、ブライアン・ファーニホウさんのLemma-Icon-Epigramの日本初演は1992年と遅れた。しかし、近代音楽はシマノフスキさんからバチェヴィツさん、バルトークさん、バーバーさん、メシアンさん、果てはパンチョ・ヴラディゲロフさんに至るまでほぼ全部を掌握しつつあった。とにかく技術力があって調性音楽なら、もう日本人に弾けない曲はなかった。こんなことを言うと、「サムイル・フェインベルクは弾けなかったじゃないか」といわれそうだが、あれは楽譜が手に入らなかっただけである。もしも手に入っていたら、あっというまに全クリしていたに違いない。
2000年代に入ると、韓国勢の時代になったが、まだ日本勢は団塊ジュニアの馬鹿力で踏みとどまっていた。しかし、「もうこれ以上課題曲を難しくすると、出来レースも八百長もできない」といわれていた。事実、課題曲の難易度を極度に上げたおかげで、予想外の脱落者の数は増え続けていた。そのために、なんと、アジア人以外の審査員は「もう少し余裕をもって演奏させるのがよいじゃないか」と言い始めたのである。もちろん、アリエ・ヴァルディ教授などの強面おじいさんがこんなことを言うはずがない。白人の某審査員が、白人のピアニストのミスの多さに堪りかねて、つい、言ってしまったのである。
2010年代から、「もっと豊かに音楽的に弾いてほしい」という声に負けて、どんどん課題曲は易しくなった。かつてヴィオッティ国際音楽コンクールピアノ部門の課題曲は中レヴェルであった。ところが2019年はどうだろう?イタリアで最も困難な国際メジャーになってしまったのである。ブゾーニ国際だろうが、あきれるほどにスカスカで、これでは1990年代に受験させられた人がかわいそうである。これは、古典のソナタはベートーヴェンじゃなくてもいいよ、などという救済措置に原因があるのではないかと思われる。
かつてのエリザベート国際音楽コンクールピアノ部門は、それなりにハードなノルマで知られていたが、今や第1次予選は25分以内、第2次予選は35分以内プラスモーツァルトさんの協奏曲で、もうこれでファイナル進出である。これはいくらなんでも少なすぎではないだろうか。どうしてこうなってしまったのだろうか。それはピアノのアカデミアは体育会系と本質的には全く一緒で、ルールは時代によって変わるのだ。でも、ルールが時代によって易しくなりましたなんてことは数学では聞いたことがない。明らかにピアノのアカデミアは空洞化が始まった。
東大も1990年が頂点なら、東京藝大も1990年が頂点ではなかったかと考えることが多くなった。ブゾーニ国際ピアノコンクールの予備切りでも国内ではスターなのだから、誰も何も言わなくなってしまっている。中国だと国策でテコ入れしてくれるのだろうが、日本にそんな国策はない。したがって、堕ちる一方である。日本にはどうやら堕ちてもいいという思想が存在するようだが、ピアノ演奏でこれをやってはいけない。なぜなら、堕ちた人が教鞭をとってしまうからである。
そう思うと、私を含めた海外の精鋭たちは、それなりに保守的で伝統的な修練を無理やりやらされて、結果を出した人物ということになるのだろう。おかげで、どこの国に行っても、誰とでも私は話が合う。どうやら、非常識であろうが同じノルマに耐えると、人間は分かち合えるようである。私は、「あの国の人間と組んで思い切りむかついた」という経験がない。ヨゼフ・レヴィーン教授のように「岩の上で戦う」というのも2020年代に通用する正論なのだ。
ところが、2030年代以降のピアノのアカデミアは、課題曲を難化させる傾向をほぼなくしているはずである。すかすかになったノルマとすかすかのアカデミアから、いったいどのようなピアニズムが生まれるのかは不明だが、私がクリアした楽曲が再クリアされることはないみたいである。ちなみに、私がクリアした曲のある一部分は、常人には難しいのか、少なくとも12年以上再演されていない。
去る9月29日に 株式会社ラフィネ さん主催の南アフリカワインイベントに参加してきました。
ラフィネさんは南アフリカの生産者のワインを多く扱う都内のワインインポーターです。今秋、日本でRugby World Cup 2019が開催されることから大会観戦を兼ねて南アフリカの8生産者に来日していただき、日本各地でイベントが開催されました。このうち6生産者に今回限定のスペシャルワインを造っていただき、RWC(Raffine Wine Collection)として6本セットで販売、今回はその記念イベントでした。各ワイナリーがスペシャルワイン1種+通常のキュヴェ1種を出典、もちろん生産者ご本人とお話しでき、またお料理や素敵な記念品もついてくるという大変豪華なイベントでした。
バーデンホーストのアディさんのYuuuuupppppaaaaaa!!!で乾杯!からスタート。
ラフィネさんのFacebookにテクニカルの詳細が載っていますので詳しくは是非そちらもご覧ください。
A.A.Badenhorst (Swartland)
・Raffine Wine Collection by A.A.Badenhorst
パールドバーグのエイトケイクという単一畑からのシラーズ100%を全房率100%で醸したキュヴェ、無濾過無清澄。シラーズ100%のキュヴェを造るのは初めてとのことでした。イメージとしてはイエローラベルのシラーズ単一品種版でしょうか。果実味がピンと張ったエネルギーに満ち溢れている液体ですがあからさまに濃厚!というわけではなく、非常にクリーンでエレガント。言葉尻からの印象ですがシラーズ!というよりはエレガント系シラーの美質を存分に感じさせてくれました。他の単一シリーズもそうなのですが、ご本人からは豪快な印象を受けるのにとても繊細に造られているなーと思います。
・Ramnasgras Cinsault 2017 (double magnum bottle)
先日のワインショップでの試飲会でもいただいたキュヴェですがこちらはなんと3Lのダブルマグナム、軽々と持ち上げてらっしゃったのがすごい!前回同様にハーブ、スパイスの香りとジューシーな果実味、土のニュアンスがバランス良く融合した素晴らしいワインでした。
Alheit Vineyards (Hermanus)
・Raffine Wine Collection by Alheit Vineyards
2015年ヴィンテージからリリースしているLa Collineと同じ畑からのセミヨン(+セミヨン・グリ)100%、通常版との違いは最上部の区画からのみ造られていること。全房率100%。La Collineがリリースされる前はセミヨン・グリ主体でスキンコンタクトをしたAllow Heartというキュヴェでリリースされており、Allow Heartの再現としてスペシャルワインが出てくるかなーなどと勝手に妄想しておりましたがLa Collineのスペシャル版として造ったとのことでした。La CollineはAlheitの上位レンジであるシングルヴィンヤードシリーズ唯一のセミヨン単一(他は全てシュナン・ブラン)ということもありふくよかさが印象的なのですが、今回のRWC版は区画を上部に限定することで酸やミネラルに伴う骨格をより強く感じることができる大変気品にあふれたキュヴェとなっていました。
・Cartology 2017
アルヘイトと言ったらカルトロジー、ヴィンテージは昨年リリースされた2017年です。冷涼系グレートヴィンテージということもありリリース当初は酸とミネラルがぎっちり詰まった印象でしたが、それらが徐々にほぐれつつも非常に美しい味わいでした。
Sadie Family Wines (Swartland)
・Raffine Wine Collection by Sadie Family Wines
南アフリカワイン界の大御所です。白のブレンドで公式からの引用ではシュナン・ブラン26%、ルーサンヌ16%、ヴェルデーリョ15%、コロンバール9%、セミヨン9%、パロミノ9%、グルナッシュ・ブラン8%、ヴィオニエ4%、クレレット・ブランシュ4%と多数の品種がブレンドされています。土地の表現と古木に拘りのある生産者ですが、樹齢5年程度の若木のイタリア・ギリシャ系品種が入っている、ワイナリーとしても極めて試験的なキュヴェのようです。酔っぱらいながらのメモですがアサンティコ、カタラット、フィアーノ、グレロ(グレーラ?) が入っているとのこと。公式記載品種のシノニムとかでしたらすいません…。これらの品種が古木になった時にワイナリーの新しいページを刻んだら素敵ですね。ベビー・パラディウスのイメージとのことですが、よりスパイシーでビビットな印象を受けました。若木のブドウが使われていることからの先入観もありそうですが。もちろん暴れるようなことは無く、非常に綺麗な造りで熟成した姿が非常に楽しみです。
・Columella 2017 (double magnum bottle)
赤のブレンドのフラッグシップであるColumellaの最新ヴィンテージ、しかもダブルマグナムです。エレガントながらも濃厚な果実味に浸れる素晴らしい造りです。ワインだけで満足できる度の高い一杯。
・Raffine Wine Collection by Crystallum
クリスタルムのピノ・ノワール上位レンジであるマバレル、キュヴェ・シネマ、ボナファイドを1/3ずつブレンドしたスペシャルキュヴェ。この字面だけでも心が躍ります。全房率はマバレル10%、キュヴェ・シネマ50%、ボナファイド60%とのことですのでシネマはホール・バンチ版ではなく通常版由来と思われます。1/3ずつというブレンド比率ですが、色々と試した上でこの比率が一番しっくりきたとのことで個人的には偶然の神秘性のようなものを感じてしまいました。おそらくマバレル由来の透明感のあるアタックから充実した果実味、コクと旨味からの満足感、美しい余韻への一連の流れが一切の継ぎ目・ストレス・違和感なく展開される完璧なバランスでした。
・The Agnes Chardonnay 2018
シャルドネの2種あるうちの下位レンジ、先日入荷したばかりの最新ヴィンテージです。乾燥した2018年の性格を反映した凝縮感のある味わいです。酸や骨格は2017年の方が豊かである印象ですが優劣というよりは性格の違いを楽しむ、あるいは各個人の好みによる程度の違いと考えます。上位版であるクレイ・シェルスは今年の分をまだ飲めていないのでどんな感じになっているか気になります…。
・Raffine Wine Collection by Rall Wines
ピケニルスクルーフの単一畑のグルナッシュ100%。全房率50%、無濾過無清澄とのことです。このメンバーの中からグルナッシュ100%で思い出すのはサディのソルダート、ピノ・ノワールと間違うほどの繊細でエレガントな造りですが、こちらはもう少し果実の充実感に寄っておりグルナッシュのイメージにより近い印象でした。一方、けして派手ではない綺麗な造りで、静かな波打ち際の漣のように寄せては返す旨味がじわじわと長く続く静謐な美味しさ。Rall AVA Grenache noirと勝手に名づけたくなりました。
・Rall Red 2016
こちらはおなじみのバランスのとれたローヌ系品種のブレンド赤(シラー70%、サンソー15%、グルナッシュ8%、カリニャン7%)で、よりしっかりと力強さを感じされる明朗な美味しさが印象的でした。
◎ソーン・ドーターズ(ボット・リヴァー)
Thorne&Daughters (Bot River)
・Raffine Wine Collection by Thorne&Daughters
スワートランドにあるパールドバーグ(現地の言葉で馬の山という意味らしい)の畑のシュナン・ブラン、セミヨン、セミヨン・グリのブレンド。公式情報だとセミヨン66%、シュナン・ブラン34%とあります。セミヨンとセミヨン・グリの比率も聞いておけば良かったと反省。パールドバーグは風化した花崗岩質の土壌で、良い古木のブドウ畑が沢山あるとのことです。馬と聞くと今回も出ていたRocking Horseが思い起こされますがこちらは使い古しの樽で娘さんのために作った木馬が由来でありたまたまとのこと。一条の光がすっと通るがごとくまっすぐと背筋が通った味わい、もちろん単調ではなく果実味や複雑さも備えていてそれらを酸がぐっと引き締めている感じでした。フォーカスが絞られ、はっきりとした輪郭が掴める!
・Rocking Horse Cape White 2017
ワイナリーの看板的な銘柄でステレンボッシュのルーサンヌ&クレレット・ブランシュ&シャルドネ、パールドバーグのシュナン・ブラン、フランシュックのセミヨンと南アフリカ各地からのブドウをブレンド。もとの造りに加えて2017年というヴィンテージもあり酸がしっかりした綺麗な味わい。
お料理は鮨3軒、天ぷら1軒、焼鳥1軒、焼肉1軒、肉レストランのカレーをケータリングとこちらも豪華。スペシャルワインを一通り味見した後にあまり考えずにケータリングスペースに入ってしまい初手で〆カレーを選ぶことをしでかしつつ大変堪能しました。
・バーデンホーストでgrilled beefに合わせるならばシラーとサンソーのどちらが良いかお聞きしたところ割と悩んだ後でサンソーとのお返事。
・サディ・ファミリーでColumellaにgrilled beefはどうか?とお聞きすると肉はいらない。ワインだけでOK!!と言われました。確かに…!
・白身主体の鮨を片手にRocking Horseもらいに行ったところvery nice for SUSHI!!と言われました。
・カレーがスパイス感あるのにワインを全く邪魔しない…。じっくり煮込まれた肉カレーの旨味とRallのRWCスペシャルのしみじみとした旨味を堪能しました。
・マグロとCrystallumのRWCスペシャルの組み合わせが完璧。
・天ぷらとAlheitのRWCスペシャルの組み合わせが完璧。
生産者の方々との交流、ワイン・料理の美味しさ、大変貴重な経験ができた素晴らしいイベントでした。
生産者の皆様、料理人の皆様、運営のラフィネの皆様への最大限の感謝を!!
そして一週間たった今もそれぞれの味わいを思い出しつつセットの追加購入をどうするか悩む日々です…。。。
06. 「ベイン・オブ・サーペント」
07. 「フィスト・フィルド・ウィズ・リグレット・アンド・オハギ」
08. 「キルゾーン・スモトリ」
09. 「アポカリプス・インサイド・テインティッド・ソイル」
12. 「ユーレイ・ダンシング・オン・コンクリート・ハカバ」
15. 「ジ・アフターマス」
17. 「コンスピーラシィ・アポン・ザ・ブロークン・ブレイド」
20. 「ストレンジャー・ストレンジャー・ザン・フィクション」
22. 「アット・ザ・トリーズナーズヴィル」
08. 「ジ・アフターマス」
09. 「アトロシティ・イン・ネオサイタマシティ」 (書籍版のみ)
13. 「ユーレイ・ダンシング・オン・コンクリート・ハカバ」
14. 「キルゾーン・スモトリ」
17. 「アポカリプス・インサイド・テインティッド・ソイル」
18. 「デストロイ・ザ・ショーギ・バスタード」 (書籍版のみ)
22. 「フィスト・フィルド・ウィズ・リグレット・アンド・オハギ」
25. 「アット・ザ・トリーズナーズヴィル」
28. 「コンスピーラシィ・アポン・ザ・ブロークン・ブレイド」
38. 「ニュー・メッセンジャー・オブ・ホワット」 (書籍版のみ)
39. 「スワン・ソング・サング・バイ・ア・フェイデッド・クロウ」 (書籍版のみ)
40. 「トレジャー・エヴリー・ミーティング」 (書籍版のみ)
43. 「カタナ・ソード・アンド・オイラン・ソーサリー」 (書籍版のみ)
44. 「ストレンジャー・ストレンジャー・ザン・フィクション」
45. 「ノー・ワン・ゼア」 (書籍版のみ)
本ブログに書くことじゃないし、twitterに垂れ流すのもどうかなと思ったのでメモ書き程度に。
1/17に無事ShadowverseのMasterになれました。
772勝なのでそこそこには早い?部類かと思います。
使用クラスはロイヤルのみで、ROBになってからA2→Masterまで駆け上がりました。
ROB環境のロイヤルはアグロかコントロールが主流ですが、僕はコントロール側で使用していました。
コントロールといいながらも疾走が多いので超越やセラフに可能性を出せる点がランクマにいいかなと思いました(こなみ)
ドロシーはコントロールに限らずロイヤル全般が不利なので諦めました。なにあれ。
3枚: いつ引いても使えるor序盤に欲しいor引き込みたい
1枚: 2枚以上手札に来てほしくない
なし
基本ですね。
2/2/2ならなんでもよかったので、1:2交換が能動的に狙えるこのカードを採用。
ロイヤルは場を制圧することが重要かな、と考えていたので使ったところ、意外といい働きをします。
2枚か悩んだのですが、出てきたナイトに進化権を振るプレイングなども出来、盤面制圧に優秀と考え3枚に。
ありとあらゆる状況で使えます。
体力2というのが難点で、ニンジャアーツで良くね感がありますがアグロには場にフォロワーを残せます。
2枚でもいいと思います。好みかな
先攻だとあんまり役に立たないので2枚にしてます。終盤邪魔だし。
先攻4Tに素出ししても十分に強いですし、後攻の進化権使用先としても、6PP使用の展開カードとしても便利です。
いつ引いても使えるので3枚。
このデッキのフィニッシャーです。5コスとして運用することはあまりないです。
引けないと負けるので仕方なく3枚入れてますが、事故要因になることもしばしば。
使ってるのをあまり見ませんが超優秀です。
4/2と2/2が並ぶといった「一方は攻撃が強く体力が低い、おまけにもう一体」というありがちな状況なら1枚で処理できます。
相手次第では、進化効果でフォロワーを除去し何もしないといった戦略も有用です。3枚採用でも全然あり。
対アグロに強いのですが5T目にこれが単体でいても微妙なんですよね。
あと、これが2枚以上くると非常に邪魔です。なので1枚。僕にはうまく使いこなせません。
待望のAoE。でも使い所が難しい。ドロシーにはこれがあっても勝てないので1枚だけ入れました。
超越に圧をかけたり、進化権を使わずに手負いのフォロワーを処理したり、進化権をパイレーツに切って2体処理したり。
出す暇が無い。テミスとか黙示録の返し手には有用なのでピン刺ししてます。
相手によっては全く使えないのが難点。
対OTK必殺兵器。まあ根源とか妖精のいたずらで処理されるんですけど。
AoEの被害を軽減したり、AoEの返し手に出したりと普通に強い。
セラフメタにオーディンを入れてたんですが、ビショップ側がサタンを使い始めてるのでこっちに。
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http://en.wikipedia.org/wiki/Ottavio_Cinquanta
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オッタヴィオチンクアンタ(ローマ、 1938年8月15日生まれ)は、国際スケート連盟の会長と国際オリンピック委員会のメンバーです。
彼は1996年から1994年ISU位置とIOC位置を開催しています。
2000年、彼は、IOC執行委員会は、彼が2008年まで開催されているという立場のメンバーに選出された。
前に、ISU会長になることに、彼はISU副社長だったショートトラックスピードスケートのための技術委員会の委員長の前に。
チンクアンタ氏は、陸上競技でのアイスホッケー選手として、アイススピードスケートとして実施ミラノ、イタリアで育った。チンクアンタは大学に出席し、彼は経営学を中心に活躍した。 ISU議長に彼の選挙の時に、 56歳の時、彼は国際的な化学会社の経営者としての立場から引退した。
チンクアンタが最初にISU議長に選出されたとき、彼は最初に、ABCスポーツとの重要なテレビの契約を含むいくつかの商業契約を交渉した後、ISUのイベントで賞金を導入した人プログレッシブとした。これは、ISUがそうで、トップスケーターに大規模な出演料を提供していた承認されていない作のためテレビのプロスケート競技会に参加するオリンピック適格スケートを残している可能性がアスリートを保持することができました。テレビのお金もISUを含む、両方のフィギュアスケートとスピードスケートの分岐で開発プログラムのさまざまなを維持することができ、例えば、フィギュアスケートのISUグランプリ。
しかし、彼のスピードスケート背景、チンクアンタは、特にカナダと米国では、フィギュアスケート界からの批判にかなりの量の対象となっている。 2002冬季オリンピックはスキャンダルフィギュアスケートの間に、彼は彼の曖昧と、彼は「図がうまくスケート知っている」しなかったことを彼の入学を批判された。 [ 1 ]スポーツについての知識の彼公言不足にもかかわらず、彼は提案した[ 2 ]主な特徴、これまで個々の裁判官が競争をマークしたのかを知ることから誰かを妨げる秘密であるフィギュアスケートのための新しいスコアリングシステム。ワシントンD.C. 、 2003年世界フィギュアスケート選手権で秘密審査の実施は、彼が紹介されたときはいつでも、 [ 3 ]チンクアンタと個人的に視聴者jeeredされ、そのイベントでファンの抗議をもたらすのに十分な論議をした。 [ 4 ] [ 5 ]
彼はそのイベントの開会式では、滑走のローカルスケート好きなカート·ブラウニングを防止するための専門性を呼び出した後にチンクアンタは、以前大声[ 6 ] [ 7 ]と再びで、エドモントン、アルバータ州にある1996年世界フィギュアスケート選手権でファンからブーイングされていたミネアポリス、ミネソタ州にある1998年大会は、 [ 8 ]
チンクアンタは連続してすべてのISU選挙学会でISU議長に再選されており、それは[誰によって?]と推定され、1994年に彼の最初の選挙以来、約30の技術革新は、図の投与2枝に関する国際スケート連盟に導入されていることをスケートとスピードスケート
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Ottavio Cinquanta
From Wikipedia, the free encyclopedia
2011 Rostelecom Cup - Ottavio Cinquanta.jpg
Ottavio Cinquanta (born 15 August 1938, in Rome), is President of the International Skating Union and a member of the International Olympic Committee.
He has held the ISU position since 1994 and the IOC position since 1996.
In 2000 he was elected member of the IOC Executive Committee, position that he has held until 2008.
Prior to becoming ISU President he was ISU Vice President and before the Chair of its Technical Committee for Short Track Speed Skating.
Cinquanta grew up in Milan, Italy, where he practiced as an ice hockey player, in athletics and as an ice speed skater. Cinquanta attended university and he was mainly active in business administration. At the time of his election to the ISU Presidency, at the age of 56, he retired from his position as a manager of an international chemical company.
When Cinquanta was first elected to the ISU Presidency, he was initially regarded as a progressive who introduced prize money at ISU Events after negotiating several commercial contracts, including an important television contract with ABC Sports. This allowed the ISU to retain athletes who might have otherwise left Olympic-eligible skating to participate in unsanctioned made-for-television professional skating competitions, which were then offering large appearance fees to top skaters. The television money also allowed the ISU to sustain a variety of development programs in both Figure Skating and Speed Skating branches, including, for example, the ISU Grand Prix of Figure Skating.
However, because of his speed skating background, Cinquanta has been the subject of a considerable amount of criticism from the figure skating community, particularly in Canada and the United States. During the 2002 Olympic Winter Games figure skating scandal, he was criticized for his evasiveness and his admission that he didn't "know figure skating so well".[1] In spite of his professed lack of knowledge about the sport, he proposed a new scoring system for figure skating[2] whose major feature is secrecy which would prevent anyone from ever knowing how an individual judge had marked the competition. The implementation of secret judging at the 2003 World Figure Skating Championships in Washington, D.C., was controversial enough to result in a fan protest at that event,[3] with Cinquanta personally being jeered by the audience whenever he was introduced.[4][5]
Cinquanta had previously been loudly booed by fans at the 1996 World Figure Skating Championships in Edmonton, Alberta, after he invoked a technicality to prevent local skating favorite Kurt Browning from skating in the opening ceremony of that event[6][7] and again at the 1998 Championships in Minneapolis, Minnesota.[8]
Cinquanta has been consecutively reelected to the ISU Presidency at all the ISU elective Congresses and it is estimated[by whom?] that since his first election in 1994, approximately thirty innovations have been introduced in the International Skating Union regarding the two branches administered of Figure Skating and Speed Skating.
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よく分かったね。お察しの通りバイオリン。
今はオケと室内楽やってる。オケはブラームスとベートーヴェンの交響曲が好きかな。室内楽はアイネクレベルのごく簡単なのを遊び程度に。
チゴイネルワイゼンもモーツァルトもヴィオッティもフランクも無伴奏のホ長調もやったことないのに、身の程知らずもいいところだと我ながら思う。
ましてやパガニーニの協奏曲やネル・コル・ピウなんて、体の自由が効く年齢のうちに弾けるかどうか。
でも、どうしても弾きたい気持ちが抑えられなかった。特にシャコンヌは昔から好きで好きで、殆ど恋焦がれていたと言っていい。
パガニーニはとんでもなく難しいけど、それ以上に極上のカンタービレに惹かれてしまう。
大学の先輩方はエチュードでローデを弾いたり、パガニーニのカプリスやチャイコの協奏曲に憧れる人達だった(ただし冒頭しか弾いてるのを見たことない)。
甘くしなやかかつドラマチックな音を出す彼らは、つい適当に勢いだけの荒っぽい音で弾きがちな自分を全く評価しなかったけど。
75
74 バルトーク 協奏曲、ヴィエニャフスキー エチュードカプリース
73 ヴィエニャフスキー 協奏曲第1番、イザイ無伴奏Vnソナタ、ハチャトゥリアン 協奏曲
69
66
58
56 ヴィターリ シャコンヌ
55 フランク、フォーレ、ブラームス/ソナタ、ローデ/カプリス(~67)
51 バッハ/無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティ―タ(~69)
50 バッハ/協奏曲1番(a-mall)、クロイツェル・エチュード(~60)
48 バッハ 2つのヴァイオリンのための協奏曲(第1ヴァイオリン)
47
46 ヴィヴァルディ 調和の霊感より第6番第1楽章a-moll、カイザー・エチュード(~54)
ザイツ協奏曲は圏外
ご覧の通り、偏差値45以下は載っていない。
まあ、これより下のレベルは、早い人だと小学校上がる前にクリアしてしまう(そして中学校上がる前にメンデルスゾーンをやってしまう)し、クリアすると歯牙にもかけない人が殆どだからだろう。
今年は3月まで仕事忙しいけど、春になって暇になったら、アラフォーの手習いとしてバイオリンを再開しようと思う。
高校の時、バッハのコンチェルトを弾いて卒業したんだけど、その後学生オケやアマオケをやるうちに、再び先生にきちんと付いて、もっとソロの腕を磨きたくなったので。
でもいきなりは絶対無理なので、より演奏が容易な曲で鍛えてからになると思うけど、調べた感じだと
バッハ無伴奏のホ長調→ヴィオッティのコンチェルト→モーツァルトのコンチェルト3番→モーツァルトのコンチェルト4番→フランクorフォーレorブラームスのソナタ(ローデ併用)→ヴィターリのシャコンヌ→ブルッフのコンチェルト1番→ベートーヴェンのコンチェルト
と、ここまでやってやっとメンデルスゾーンらしい。
ちなみにラロとかスコットランドとか、チャイコやブラームスのコンチェルトはもっともっと難しくて、究極的にはパガニーニをエチュードにしつつバルトークのコンチェルトになるのだそうな。
ウヘァって感じ。バイオリンどんだけ奥深いんだ。
そしてこれらを高校までにやってしまうプロはどんだけさらってるんだ。