2019-10-09

[] #79-2「高望みんピック

≪ 前

少し前までタケモトさんは結婚願望というものがなかった。

厳密に言えば、それが自分にあるかどうか考える余裕すらなかったんだ。

退屈させてくれない労働、ソリが合わないか無能かの二択しかない仕事仲間たち。

牽強付会顧客に、身の程をわきまえない相談者。

ストレスに比例して増えるタバコの本数と、嫌煙家との小競り合い。

かかりつけの医者自分の話を聞いているんだか聞いていないんだか。

処方された薬は効いているんだか効いていないんだか。

親族結婚プレッシャーをかけられようが、それでも優先順位は低いと言わざるを得ない。

そんな調子で数年、ようやく現在環境に慣れた。

しかし、その頃にはもう、彼の前で結婚を期待する人間はいなくなっていたんだ。

今の生活に不満もなければ不安もない。

考える機会もない。

独身貴族誕生である


そんなタケモトさんに転機が訪れたのは、行きつけの喫茶店タバコを吹かしていたときだった。

結婚をするから離婚をする。だったら初めから結婚なんてしなければいい」

「生涯独身なんて今日び珍しくもない」

「そうさ、結婚なんて金と心が磨り減るだけだ」

他の常連独身ばかりであり、タケモトさんは彼らと同盟を結んでいた。

まあ同盟とは言っても、やることといえば独身貴族優雅さを語り合い、妻帯平民を粗野だと見下すだけの関係だったが。

「『結婚人生墓場』という言葉は昔からあるが、むしろ現代にこそふさわしいだろう」

しかし、こうも言いますよね。『夜は墓場運動会』……」

「は?……な、何言ってんだセンセイ」

「あれ、ご存知ありません? 有名な歌のフレーズなんですけど」

「いや、聞いたことはありますが、なぜそんなことを?」

「つまり我々も親が運動会を開いてくれたおかげで、この世に生を……すいません、今の話ナシで」

センセイから突如飛び出した下卑た発言に、タケモトさんたちは困惑した。

言った本人も後悔したらしく、表情は変わらないが耳元は赤く染まっている。

店内の空気が変な感じになっていく。

「……まあ、結婚にも良い側面があることは確かでしょうね」

換気をしようと口を開いたのが、店で唯一の既婚者だったマスターだ。

次 ≫
記事への反応 -

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん