はてなキーワード: 広島城とは
4日目
慣れてしまえばどうって事ない
目を覚ましてカーテンを開けると、結露のモヤの向こうに広島の晴天が広がっていた。
窓の外には気持ちの良い冷気があるのだろう。
東京から南に移動したとはいえ、同じ日本なので11月の気候にそれほど大きな違いはない。
今日がこの旅では広島で最後の朝、昼には新幹線で博多に向かう。
初日に否定的なレビューをしてしまったホテルだが、古い設備もバストイレ別の狭い部屋も慣れてしまえばどうということはなく、フロントは丁寧だし、サウナも使えるし、立地も便利だしで、これで1泊あたり3,500円ならコスト分の満足は超えていると思う。
実際、2泊通してフロントには出張族と思しきスーツ姿やツナギを着た現場仕事の兄ちゃんが引っ切り無しに訪れており、底堅い需要の存在を感じさせた。
洗い場の排水も改善された大浴場で朝風呂を浴びてホテルをチェックアウト、清涼な空気を吸いながら、遠回りして広島駅へ向かう。
と、スマホで地図を確認していると、広島城が案外近い事を発見した。
平和記念公園と宮島で観光の時間を使い切ったと思ったが、この距離なら新幹線の出発前に回れそうだ。
江戸時代以前の城は火災や戦争などで城そのものは失われてしまっていることが多いのだが、広島城は戦後、天守閣が復元されており、中は歴史博物館になっていた。
海運の要衝として発展した広島の歴史、築城した大名、城内や城下の暮らしなどの展示を見た後、登っていくと、ショウケースの中に幾振もの日本刀がその刃に輝きを湛えて横たわっていた。
チェックアウトの前にニュースサイトをチェックして目に留まった件がある。
全米ライフル協会が医師の発言を揶揄するツィートをした事に、医師たちが猛反発し、抗議のツィートが全米で広がっているというニュースだった。
全米ライフル協会のツィートには「なんでこんな無神経なことが言えるのだろう」と、瞬間 疑問に思った。
アメリカの選挙に影響を与える資金力が良く話題になる全米ライフル協会だが、それを支えるのは「銃を持つ事を肯定する思想と無数の感情」だろう。
アメリカは「政治が暴走した時に民兵が蜂起して正しいアメリカを取り戻す」という思想の元、市民の銃の携行が権利として認められているという。
でも、そういった政治思想より「銃を取り上げるな」という感情が個々人の心になければ、銃の携行はここまで生きた頑強な権利として存在し得ないと思う。
銃社会でない日本にあって、その想像は難しいと思ったが、日本刀を説明する時「侍の魂であり、日本の誇るべき美の結晶」という様な言われ方をするのを考えれば、わかる気がした。
アメリカで銃が民政の象徴として説明される様に、日本刀も忠義や克己の象徴として思想的な説明が試みられる。
しかし、銃も刀もその道具としての核心的機能は「暴力の行使」だ。
「自分を脅かすものや気に入らないものを暴力で排除できる」という自信が携行を望む個人の心の核心にあるのだろう。
侍の帯刀も銃のオープンキャリーも「それを取り上げられたくない」という感情の根は共通である様に思う。
ただ、それを本当に人に向けるとはどういうことなのだろう。
日本刀の分類上、刃渡り60cm以上は太刀や刀に属するという。
展示のそれを見てもはっきり言ってリアリティがなかったが、すぐ側のショウケースの中にある脇差や小刀は普段料理に使っている包丁と大した違いはない。
「これを人に向ける?刺すのか、これで?本気か?」
膝がすくみ上る気がした。
俺には無理だ。
だけどすぐに次の言葉が心に浮かんだ。
「きっと、慣れてしまえばどうということはない」
http://anond.hatelabo.jp/20090308223942
さっき池田三左衛門輝政めの姫路城を見たが、本当に唖然としたでござる。
拙者、断言致すが、あのシックイむき出しの天守を見て感動している下民は馬鹿でござるな。これは十割断言でき申す。
何であれがいいと思うのでござるか!?
なんであの天守みたいなのをよその城主も真似するのでござるか!?
本当に分からぬ。あれシックイまんまでござらぬか。シックイむき出しでござるよ?
誰だってあれ見てシックイだって言うのは一瞬で分かるでござる。それで感動するって本気で馬鹿でござろうよ!?
あれがいいっていうのは、頭がおかしいとしか言いようがない、というか、脳が退化してるんでござるな。
それしか説明がつかぬよ。つまり、丁寧に黒漆塗りの下見板張りで作られた黒い天守とシックイむき出しの建物の区別が下郎にはつかんのでござるな。だからいいと思って真似る。これは馬鹿としか言い様がないですな。日の本の将来は大丈夫でござるか?
前にもちょっと池田三左衛門めの城が出た時、Googleすとりーとびゅう(こんなもの拙者は見たくなかったが)で見たが、なんであんな人気あるんでござるか。あとついでにその池田の城を模型にしたのも見たでござる。これならまあ100歩譲って納得できなくもないが、ただ当然先の関白太政大臣秀吉公のおつくり遊ばされた黒漆塗りの下見板張りの大坂城天守の模型とは比べるのも失礼な程でござるし、タダならまあ一回組み立ててもいいかな、という程度でござった。何回も組み立てるほどではないでござる。ただコメントは絶賛の嵐でござった。下民は馬鹿でござるな。本物を知らない素浪人ばっかなのかあそこは。ろくなもんじゃないでござる。
拙者ははっきり言うが、もっと黒漆をしっかりと塗っている天守を建てるべきでござる。じゃないとおかしゅうござる。作事奉行が毎日どれだけ苦労してるか知ってるでござるか? 漆職人がかぶれと悪戦苦闘しているのを知ってるでござるか?板職人、足場作りと書けばきりがないでござる。大好きな酒、タバコも我慢して頑張ってる人もたくさんいるのでござるし、侍みたく安定した職じゃないから毎日不安と戦ってるのでござるよ。そういう方が心を込めて塗ってる天守を建てずに、シックイの天守を建てる。ほんと拙者切歯扼腕にござる。どうしてあのシックイむき出しを建てるかね。わからぬ。世の中不思議だらけでござるな。
本当におまえら頭冷やして考え直したほうがようござるよ。おまえらは馬鹿か、さもなくんば「ぶーむ」とやらに乗せられてるだけでござる。まあそれを馬鹿と言うんだがな。故千利休宗匠も黒く塗れとおっしゃっていたでござるよ。