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はてなキーワード: 昭和40年とは

2020-04-05

anond:20200405085155

男は男として大切に育てられてるので

昭和40年から書き込んでるの?

2020-02-17

anond:20200217172441

すでにブコメ言及で書いてあるけど、人に貸す場合を想定している。

で、次第にリビング電話の居場所が移っていくわけだが、法律の制定や条約の締結とかと違って、各家庭の事情が絡んで「いつ」は言いにくい。

ただ言えることは各家庭に電話が普及するのと表裏一体の動きだということだ。

ところが、電話の普及ってのも技術革新と絡んで複雑な経過をたどる。

都市部の「即時化」

電話の普及は、ただ電話線が家に引かれることを想定するだけではダメという話。

「交換士あり」から「即時電話」(これには二つの意味合いがあって複雑なんだが)への変化を見なくてはならない。

私は北海道の事例しか調べたことがないのでそれを例にすると、市街地では昭和20年代後半から30年代丸々をかけて、まず「市内即時化」がなされていく。

これはある一定範囲の市内通話だったら交換士なしで自動で繋がるシステム。それまではトトロみたいに電話をつなぐ中の人がいた。

これを「即時化」とか「自動化」という。「即時化」「自動化」は地域ごとにボトムアップで進んでいく。中央から一気に御達しが出て一斉スタートになるわけではない。

その際に電話番語が改まる。それまでは電話の開通順で「1番」とか「8番」とか「53番」とか「104番」とか番号が割り振られていたが「即時化」で全ての番号が再編成され、私の調査値だと4XXXみたいな4桁の番号が新たに割り振られる。詳しくは忘れたけど、官公庁公共施設はは2XXX、病院は3XXX、みたいにある程度分野ごとに割り振りがあったと記憶している。

今でも市内だったら全部の電話番号押さなくても下何桁かで連絡できるでしょう。それはこの時期に出来上がった技術

今まで手動でしなければならなかったところが自動化されたことで、通信線が強化されつつ、電話が急速に都市に普及していく。

市外局番

市内での即時化が完了したが、都市ごとの連絡には未だ交換士に繋いでもらうことが多かった。

これも次第に、時に市内自動化と並行して解消されていく。

例えば北海道なら札幌を起点に、札幌函館札幌釧路札幌東京札幌大阪函館釧路釧路小樽……みたいに自動化がなされていく。なおこの順番は適当だぞ(道内では多分誰も順番調べた人いないんじゃないだろうか)。ともあれ網の目状に進んでいったという点に留意されたい。

都市間の自動化は、都市に固有の番号を割り振りそれを頭につけることで実行される。

市外局番」の誕生である

農村事情

主題とは遊離するけれども北海道農村部の事情を見ていこう。

戦後農村部ではラジオの普及と電気電話の開通が急務だった。

これは天気や雑穀価格変動の最新情報をつかむためだ。

また北海道では、NHK地理的にも経済事情的にも農業勉強がかなわなかった農家に対して、朝早く(野良に出る前に)「ラジオ農学校」を開設しており、地域ごとに識者を読んで種まきや農作物維持管理啓蒙に努めた。不作や冷害の場合への対策も、時にラジオを通じて伝えられた。

農業の成果に直に関わるため、各地域農家リーダー役の人々は、請願運動をし、時に自分たち出資して電気ラジオ電話を普及させていった。

農協からキロも線を引っ張って、自分たち電信柱を立てて、地元情報をもたらそうとした。

こうした事情もあり、農村地域電話は限られ都市自動化が進む時期においても電話を借りる、というシチュエーションは多く残されていた。

ラジオ電気に遅れるも、おおよそ昭和40年代丸々をかけて、農村部でも電話は普及していく。

私が見たことのある昭和37年北海道の事例だと、小学校の連絡先にその児童の隣のうちの名前電話番号が書いてあったり、農協事務所の番号が書いてあったり、電話ないけど学校からいから直接連絡伝えてください、と書かれているものがある。

おまけ もう一つの「即時化」

交換士なしでの電話を「即時化」というと説明した。

とってもわかりにくいんだけど、「即時化」と呼ばれる現象はもう一つある。

交換士が特に都市間の電話をつなぐ時、回線が限られており、相手先に繋がるまで相当待たされた。これを「待時」という。

場合によっては数時間かかる。いったん電話を切って、交換士さんから電話を待つ。

時間後、交換士さんから電話がかかってきて「〇〇さんとつながりました」と言われる。

それでようやく遠方の人と会話ができる。この現象がよく起こった時期は調べたことがない。

この問題回線を増強することで解決していく。

それで、この「待時」の解消も、時に「即時化」と呼ばれる。

この辺りの事情連続テレビ小説なつぞら」の考察をした人が最近詳しく書いている。

https://www.excite.co.jp/news/article/E1562427232846/

電話進化はめちゃ早

今生きる私たちも、ガラケーからスマホへの劇的変化の時代を生きている。

契約方法もどんどん変わる。誰もそれを詳しく記録していないし、きっと、全部は記録しきれないだろう。

個人的には、カメラ付き携帯がではじめた頃の数秒に一度しか画面が更新されないカメラから現在自撮り時代に至るまで、たったの十数年なのに隔世の感がある。

身近で微妙な変化も今のうちにちょっと記録しておくと、50年後くらいに楽しく老人会が開けるかもしれない。

2020-01-25

anond:20200125111849

昭和40年代生まれオタクとして納得いかないこと

宇宙戦艦ヤマト国民的名作アニメ扱いされているのが納得いかない。

少なくとも1975年からリアルタイムで追いかけた人間にとっては、映画さらば宇宙戦艦ヤマト』であれだけ派手な特攻シーンで「今度こそ完結」と謳っておきながら、

商売のためえんえんTV版でも劇場版でもシリーズを引き延ばしたアニメであり、結果として大真面目に感動した勢に氷水ぶっかけアニメしかない。

2019-10-30

看護師給料がいいのは昭和40年代のストライキのおかげではない

いまだにこのような話をする人がいるので釘を刺しておく。

医 療 制 度 の お か げ 。

組合が強かった製造業派遣法改正でどうなったか知らぬわけではあるまい。

2019-10-22

なんで"無料"になったのか

日本語で「サービス」というと、"労働提供"よりも「無料」の意味が強くなったのは、何故で何時からなのだろうか。(「無料サービス」という正しい用法言葉もまだ残ってはいるが。「サービス残業」は誤用に見せかけた皮肉出自か)

・・・大昔の昭和40年代後半の子供向けギャグ漫画で、バナナ叩き売りシーンで口上の最後オマケするニュアンスで『サービスサービス!』とボサボサ頭を掻きむしってフケを振りかけ直後に袋叩き、なオチを読んだのが自分的に最古の用法例かな。

2019-10-19

anond:20191019121947

昭和40年代だったら手取り15万円でじゅうぶん家族を養えた

インフレを許容して日本円価値毀損し続けた日銀が悪い

2019-09-27

anond:20190925225509

放送時点から20年位前の社会風俗を忘れないための社会装置としてのアニメから

テレビ放送死ぬまで続くのかも知れないねえ。

昭和40年代生まれ子供のころ見てたら

第二次世界大戦後の荒れた社会を思い起こさせるようなエピソードがあったりしたわけで。

2019-07-20

anond:20190720140325

大昔流行ったと聞いたような…

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E8%8C%B6%E3%82%AD%E3%83%8E%E3%82%B3

日本では昭和40年代末から50年代初頭にかけて、健康食品としてブームとなり、流行した。

(略)

日本でもSNSなどを通じて関心を集め、「逆輸入」の形で平成26年から28年頃にかけて販売が拡大した[6] 。

前者のブームはちょうどちびまる子の時代か。

後者全然知らなかった…

2019-07-04

anond:20190704191943

バブル世代は、バブル景気内閣府景気基準日付第11循環拡張期、1986年昭和61年11から1991年平成3年2月)による売り手市場時(概ね1988年昭和63年)度から1992年平成4年)度頃)に新入社した世代で、とりわけその時期が大学(4年制)卒業時と重なる1965年4月2日から1970年4月1日まれを指す[1]。短大(2〜3年制)・高専(5年制)・専門学校(1〜3年制)卒であれば1966年4月2日から1973年4月1日まれ高校(3〜4年制)卒であれば1968年4月2日から1974年4月1日まれまでが該当する。

特に1965年昭和40年4月2日から1970年昭和45年4月1日まれを指す

横だか、バブル世代ってここらへんなんだな。知らんかったわ。広義の意味では1974年まれまでか

かに1970年代生まれ大学までいってると、バブル景気からもれた負け組になるんか

2019-05-18

今日仙台歴史民俗資料館に行ってきた

23年前のサケ漁などの映像を見てきた。荒井方面漁業をやっていたみたいだけれど

東日本大震災で流されてしまったので、これらが全部一瞬でなくなったのかと思うと

改めて凄まじい出来事だったんだなと実感させられた。

白米を作るまでの流れがなども見たが、昔はこんな面倒な事をやっていたんだなあと

思った。

印象深かったのがコンバイン昭和40年から普及していたというが、これのおかげ

大分楽になったんだなと言うのがよく分かった。

  

企画展はこどもの暮らしみたいな奴で、何十年も前の小学1年生などの雑誌が飾られていた。

その中に2000年雑誌もあってピカチュウ進化前のピチューって雑誌にあって感慨深かった。

帰りは、だらだらと榴ヶ岡公園散歩して、駅前まで歩いた。

来週はまたどこかに行きたいなあ。

そして美味しい寿司屋に行きてえ🍣

2019-05-06

anond:20190506185112

個人的には昭和40年代以前の住宅はダサくない気がする。

ダサさを感じるのはツーバイフォー住宅が普及して以降かな。2000年頃が最低で、それから20年ほどディテールだけはましになってる気がする。

2019-04-29

anond:20190429090744

作ったやつが元号でいいやと判断したら元号で取り扱う。そして、システム修正というのは大きな手間がかかる。

例えば、昭和40年最初システムを作ったとする。昭和が終わるのは遠いと感じるだろうし、当時は本当にITの様々な作りやす方式なんてのもなかった。データ量の制約も厳しく、西暦の4桁ですらロスに感じた。

から別に日付を昭和で扱っても良いと感じたのだろう。

そうして昭和64年に元号が変わったが、昭和1-39年は使ってなかったから、昭和1-39年を平成に充てた。

で、令和になったが、さて、その年度は何年で取り扱うのかな?

ってか、そもそも昭和1-39年のイレギュラーケースとして平成1-39年だとしていたことに気付けるかな?

うん、かなーりお馬鹿なケースだと思うし、銀行系でここまでザルなことはしてないとは信じたいが、関連しているシステムのどれか一つがこう言うバカな処理をしてたら、、、、?

2019-04-10

昭和50年まれの人に吉報が!とか寅年の人の2019年は、みたいな占いweb広告あるじゃん

あれ何で当たるんだろうな、どっかの画面入力情報から漏れるのか、とか思ってた

それがここ最近昭和40年代生まれは に変わった

自分昭和50年だがどの辺に40年代要素があったんだろう、と思っていた

と思ったら今日1950年代まれは、になっていた

web広告の判定する年齢がどんどん上がっていくのが気になる

2019-01-23

anond:20190123184736

鉄筋コンクリート造が多かったのって松原団地とか豊四季台団地とかが作られた昭和40年代以前だよな。

しか本州では、その後は木造か鉄骨ばっかりか。

なんでだろう。

鉄筋コンクリート造には結露、カビの問題があるとは聞くけど。

2019-01-12

寿司丸かぶり恵方巻き)はつくられたもの

山路という海苔屋のおっさんの仕掛けらしい。詳しくはここにある。

https://core.ac.uk/download/pdf/56643945.pdf

ちょっと引用すると、

それでは実際の資料からはどうか。恵方巻は、その由来を鋭明するチラシや新聞記事では「江戸時代の末期から明治にかけて」の時期に誕生したと記述される場合が多い。これは、岩崎がまとめた由来からも分かるが、実際のところ、江戸明治期にこの行事存在したとする資料は今のところ見つかっていない。

これらの事実から推論を試みるならば、少なくとも大正期、戦前にはすでに存在し、大阪のごく限られた地域で行われていた風習であること、寿司屋がそれを利用して、古くから伝統であるという触れ込みで販売促進活動を当時から行っていた、ということはいえるだろう。

その後、太平洋戦争の激化に伴い行われなくなったこ行事は、1949年大阪府鮨商協同組合によって、「土用丑の日のウナギかば焼」に対抗する販売促進手段として復活している。そして、戦後復興が進む1950年代に入ると、戦中の配給統制によって解散余儀なくされていた海苔問屋組合が統制の解除をもって再結成され、その販売促進の手段として、節分巻きずし行事宣伝に参加するようになる。宮下牽の『海苔歴史』には、大阪海苔問屋協同組合1951年の結成と同時に「巻きずし丸かぶり」の宣伝を行い、大きな成果をおさめたという記述がある。この「大きな成果」がどれほどのものだったのかは分からないが、海苔業界復興の旗印として、巻きずし喧伝されていたようだ。

その後海苔問屋協同親告は、すし組合とも連携してこの行事の普及に努める。昭和40年代前半には、協同飛行機チャーターしてビラを撒いたりもしたようだ。しかし、この試みは経費がかかりすぎたために1度で終わっている。

海苔組合の取り組みがより積極的になるのは、岩崎聞き書きによれば1977年昭和52)になってからだという。そもそも1974年頃までは海苔国内生産需要に追いついておらず、韓国産で不足分を補う状況だった。それが、国内生産が増大によって韓国産への依存が減り、1977年にはついに国内産で需要が賄えるようになったのである。これから先、さら生産が増加すれば今度は余剰分が発生する。そこで、これ以降海苔組合は毎年大量のビラを印刷して各地に配布し、さらなる普及へと乗り出すようになった。

そしてこの海苔組合の動きと前後して1976年昭和51)に、「節分チャリティーセール」なるイベントが開始されている。このイベントのメインは、大阪ミナミ道頓堀巻きずし早食いを競うという「巻きずし丸かぶり早食い競争」。一見馬鹿らしいこの競争が、この行事関西における節分定番行事へと押し上げるきっかけとなった。

仕掛けたのは「昭和会」という、大阪商売をしている昭和生まれの海苔販売業者たちで組織された団体だ。その中心人物の一人であった宝海苔本社大阪市中央区)創業者の三男、山路昌彦氏によれば、海苔がたくさん取れるようになって何とか消費を増やそうと思って考え付いたアイデアなのだと言う。「食いだおれの街で早食い競争なんて、いかにも大阪らしくて絵になるし、黙々と巻きずしかぶりつく姿がオモロイやんか」という彼らの発想は見事に当たり、マスコミを引き込んでの一大イベントヘと成長する。海苔組合によるビラでの周知と、マスコミに取り上げられた早食い競争。この相乗効果により、節分巻きずし関西伝統文化として認知されるに到ったのである

また、山路氏は取材に釆たマスコミ丸かぶりの由来をたずねられると、「ずっと昔からやっていたものだ」と答え続けたのだという。「それこそ風習なんてこうやってできていくもんやないの」と語る彼の見解からは、大阪商人が持ち得た巧みな伝統利用の視点を伺うことが出来る。


ということで、商売人の「オモロイやんか」が伝統ということではたしか大阪伝統なのだけれど、そこまで古風なものかというとそうでもなさそうだ。花街に由来することとかその後の伝統としての受け入れられ方とか、原論文はかなり面白いので、増田ブクマカ諸氏にはぜひ読んでほしいと思う。

anond:20190111181738

2018-08-07

元号について

野球専門雑誌の表紙にこう書かれていたことがあった

昭和40年代はジャイアンツ時代

昭和50年代はカープ時代

昭和60年代はタイガース時代

バース掛布岡田黄金時代の始まりを告げるつもりで書いたのだろう

しかし諸賢のご明察通り、昭和が終わるとともにタイガースもお隠れ遊ばされた

2018-06-29

anond:20180629132924

日本語名のもとになった英語名(avocado)[※ 1]は、スペイン語で「アボカド」を意味する aguacate と、「弁護士」を意味する avocado(現代綴りでは abogado[※ 3])との混同で生じた形といわれる[12]。なお、現代スペイン語では abogado に「アボカド」の意味はないが、フランス語では「アボカド」と「弁護士」は全く同形 (avocat[※ 4]) である

日本語では、英語名avocadoの綴りを見ればわかるように「アボカド」と表記するのが正しいとされるが、「アボガド」と呼ばれることもある。また、昭和40年代までは、果実の表皮が動物のワニの肌に似ていることに由来する英語での別称 alligator pear を直訳して、「ワニナシ」とも呼んでいた[13]。

バカカト

2018-04-02

anond:20180331203850

よく考えてみたら、偽計業務妨害の線もある気がしてきました。

器物損壊場合塩入り袋設置時点で、①まだ作物が存在していないことと②作物が特定されていないこは、たしかに、問題になり得そう。

①については、特に実行行為性があるかと関わる。

故意との関係では、あまり問題ないように思う。)

ただ、結局は、諸々の事情考慮して、法益侵害危険があるかを判断する際の一要素であり、行為時に、法益(今回の場合、作物[の所有権〕)が発生する可能性がある程度あり、法益侵害発生時までに法益が発生・存在していれば、問題ないのではないかな。

例えば、肥料泥棒農家であり、毎年必ず作物を作っている、という事情があれば、実行行為性を認めるにあたって、作物が行為時に存在してないことはあまり問題にならないような気がする。

一方で、肥料泥棒は、農家ではなく、塩入り袋を盗むときには(嫌がらせなどの目的で)これを捨てようと思ったが、のちにふと思い立って作物を作り始めた、というとき判断が難しい。

②については、概括的であっても(肥料泥棒の所有する)作物一般、まで特定されていれば、実行行為性・故意について問題ない、というイメージ

もっと踏み込むと、肥料泥棒塩入り袋を転売して転売先に被害が出た場合でも犯罪が成立し得るのではないか

(錯誤なり概括故意で)

以上を考えるについて、役に立つかもしれない事例として、「無差別大量殺人をしようとして、5年後に起爆する爆弾を設置したところ、5年後にそれが爆発して2歳児が死亡した」というものを考えてみる。

この場合、2歳児に対する殺人は当然認められるのではないだろうか。(爆弾設置時に2歳児の両親が子作りを一切考えてなかったとしても。)

検討する犯罪自体違うので怒られそうだが、無差別器物損壊爆弾設置後に作成された他人物でも同じ話である

無差別殺人意図という設定が本件と違うのがややずるいかもしれない。

ーーー

大元器物損壊の実行行為性の話については、道端に毒入りジュースを置いたケース(宇都宮地判昭和40.12.9)とか参考になるかもしれない。

昭和40年頃の道端のジュースを拾う行為は、現在のそれとはまた意味合いが違うかもしれないが。

ーーー

相変わらず、雑で直感的な議論ですが、いまのところの考えはこんな感じです。

2018-03-22

anond:20180322104840

昭和40年代生まれだけどさ。昔は、コンビニは無かったが、エロ本自販機で買えていた気がする。(コンドームも)

今は、タバコには専用のカード必要でしょ。

自販機コストって確かにあるな。

2018-02-05

anond:20180205025330

ここ10年ぐらいのアメリカロシア無人兵器(遠隔爆撃機AI搭載ドローン戦車など)開発は、昭和40年代の少年マンガ感覚なら充分マッドだな。

あと、ヒトゲノム研究特定人種民族DNA持ってる奴だけ殺すウイルス実験的に作ろうとしてるのは確実にどこかの国にいる。

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