はてなキーワード: 時刻表とは
はてなブックマーク Androidアプリのキャッチコピーがいつの間にか変わっていた。
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.hatena.android.bookmark
「決定版」…ってなんだ?
辞書にはこうある。
けってい‐ばん【決定版】
1 書物・出版物で、それ以上の修正や増補を必要としない最終的なもの。「漱石全集の決定版」
2 同一種類のもののうちで、品質・機能などの最もすぐれているもの。「辞書アプリの決定版」
けっていばん【決定版】
② 他の追随を許さないすぐれた作品。 「ミュージカル映画の-」
意味も分かる。
かつて流行した「Web 2.0」という言葉の説明でティム・オライリーは「いつまでたってもベータ版」と言っていた。「決定版」とはその真逆にあたる。常に改善を続けるWebサービスにはふさわしくない言葉ではある。
しかし私の記憶にある限り「決定版」というものを手に取ったことはない。
この生涯でKindleで購入した本の中では「2001年宇宙の旅〔決定版〕」1冊だけが「決定版」を謳っている。
はてな匿名ダイアリーでも調べてみよう。
https://anond.hatelabo.jp/search?word=%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E7%89%88]
かつては各種広告でよく耳にした気もするが、なぜ今「決定版」なのか?
Google Play で「決定版」を検索してみよう。
https://play.google.com/store/search?q=%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E7%89%88&c=apps&hl=ja]
よく知られたアプリがいくつかある。
ZOOKEEPER、
BAND、
乗換ナビタイム、
はてなブックマークの競合では
グノシー
だけ。
「乗換アプリの決定版」
消費者庁が取り締まる「優良誤認」につながるからだろうか? PDF1 PDF2
「どこかがどこかの真似をして広まったローカルな流行り」といったところだろうか。それともキャッチコピーを考えたスタッフがどこも同世代だからだろうか? インターネット以前の日本は、今では考えられないほど「みんなで同じものに学んで、同じものに感動してきた世代」だから。
思いのほか良くてびっくりした。職場の先輩がキャンプ好きなので今度連れていってもらおうかとすら考えはじめている。
テントの骨組みの束がカシャカシャカシャとなったとき、あっ、このアニメいいかもと思いはじめ、テントの組み立て作業なんてものに本気で見入ってしまった。その場で何度もリピートしたから、たぶん同じタイプのテントだったら組み立てられると思う。
そしてカップラーメンを食べるシーン、めちゃくちゃ美味しそう。夜中、キャンプ場というシチュエーションを抜きにしても、抜群に美味しそうで素晴らしかった。料理ジャンルの作品は、なぜか食べる少女を露骨にエロく描くことが多くて気色悪いんで、ちょっとはゆるきゃんを見習ってほしい(露骨なエロそのものを否定しているわけじゃない)。
ギャグも適度に挟まれていてよかったし、あと、いい感じの狭さと謳われたゆゆ式の部室よりも狭い部室を見ることになるとは思わなかった。キャラは、アンニュイな子のアンニュイさ加減がちょうどいい。でも、アホの子が窓ガラスにぶつかるのはさすがにやり過ぎ。
押しかけロリ女房、年下の姉弟子などさり気なく最先端の萌え属性「バブみ」(ロリコンにマザコンをぶち込んだ属性)をおさえているのはポイント高い。
作中での出来事は、すべて現実の将棋界で起こり得るらしいんだけど、ぶっちゃけそんなことはどうでもいい。正しさより、おもしろさや萌えのほうが重要。
キャラがあざとすぎて嫌という意見を目にしたけれど、萌え系の作品にとってあざといは褒め言葉、ロリキャラ組には期待してる。ブラブレみたいなのを期待してるけど、この感じだとローキューブになるのか?
見方は「うまるちゃん」と同じで、積極的に見たいというよりは夕食を食べながらだらだら愛でたいって感じ。
苺ましまろの独特なキャラデザを借用してるのは案外気にならなかった。調べてみたらアニメは13年も前だし、まあ記憶の彼方だわな。ファッション面もがんばっているのはわかるんだけど、本家には及んでいない。よーし雑誌でも参考してみるか!って程度じゃ難しいんだろうか。かなりの執着が必要なんだろうか。
三ツ星ということは主要人物は三人から増えないのだろうか。日常系は四、五人いないと話が回しづらくなって見てる側もつらくなってくるんで、どう工夫するのか気になる。警官のあんちゃん、雑貨屋のおっちゃんだけじゃ限界がある。
無茶なことするなあ、でも無茶をしてこそ青春だよなあ、という気分にさせてくれる。
ストーリーがいいというわけじゃない(良いか悪いかは現段階ではよくわからない)。そうじゃなくて、たとえば二話で主要人物たちが逃げるシーンがあって、じっくりと三分弱くらい逃げるんだけどまったく間延びを感じない。むしろ、わくわくする。
バレた、逃げろーって感じで三人が逃げはじめて、めっちゃ走るフォームがきれい、速い!って思ってたら、他のふたりは路地に入ってうだうだやってて、怖いけどあれ?楽しい?ってなったときに、いいタイミングで挿入歌が流れはじめて、石の段にちょっとつまずいて靴がポーンと跳ね上げられたのをキャッチしてあげて、ふたりでニコッと笑いあって……
みたいな細かいことの積み重ねに、疾走感とかおかしさとか楽しさを感じられて、青春だよなあという気分になる。ド派手なアクションはないけど、映像に華がある。実写でおなじようなことをやってもこの華やかさを出すのは難しい。アニメ独自のうま味を十分に噛みしめられるという意味でこのアニメはおすすめ。
少年が後背位で少女を突くような姿勢でロボットを操縦する設定だけでムラムラくる。でも、おっさんのセクハラは不快。リアリティゼロの下品エロは好きだけど、リアルな下品エロは嫌い。にしてもエロい妄想が止まらん。だって、ツノ付きツリ目の強気な年上ボクっ娘が「ダーリン」って呼んでくれるんだぜ!?
ロボットアニメとしては、新世紀創生のファイブスタードライバーだゾイって感じのごった煮がグイグイ動くからそれなりに楽しい。ベタなことをベタベタにやってるのは賛否がわかれるところ。
ひとつ気になるのは、燃え要素がかなりうすいこと。ロボットアニメってのは中二心(燃え)を揺さぶらないといけないというのが自論なんだけど、露骨なエロに寄ってるこのアニメに中学生が燃えるとは思えない。いまの段階で面白がっているのは、ロボ好きよりエロコメ好きだと思うんでここからどうなるんだろう。
知世ちゃんはあいかわらず知世ちゃんだった(満足)。
原作は三巻の途中まで読んでる。おもしろい。でも、高木さんの声はもうちょい高めのイメージだった。
好きな漫画原作は声のイメージがつくのを避けたいのでアニメは見ない。いいアニメ化になることを陰ながら応援している。
ゆるきゃんよりラーメン描写が劣っているのが致命的。おれが見たいのは雑学ではないし、百合としてもなんか微妙。
なんか薄味。べつに雑学を見たいわけじゃない。
留年設定は今後うまく機能するのか。機能したとして萌えにつながるのか。
異世界転生するのに10分もかかってどうするんだ。はじまって三秒で轢死してほしい。
おじさん猫がかわいかった。なんというか、減点方式だと80点は残るけど、加点方式だと20点しかないから話題にしづらい。手堅くサクサク進んでるなあとは思う。
つまんねえ、でも、ひとつひとつの要素はけっして悪くはない(クソダサいアーマーは除く)。
全体を俯瞰すれば良く見える可能性だってあるんだけど、一話一話のつかみが悪く(戦闘や百合やキャラ萌えなどでつかもうとしている。でも微妙)、やりたいことがたくさんありすぎてゴタゴタしていて、説明不足も相まって置いてけぼりをくらってしまう。
この失敗のしかたは前期の「URAHARA」に似ている。ただ、萌えオタクが好きな要素が盛り込まれているので、クソアニメマニアには受けるような気がする。
おれが読書要素に求めているのは、そんなフワッ~とした「小説はわたしを知らない世界へ連れていってくれる(恍惚)」みたいなのじゃなく、書店員に「その小説(SF)好きなんですか?」と聞いたら「ああ、いえ、ハヤカワはブックカバーが他とちがうので面倒で、あっ、って声が出てしまいました」とか言われて微妙な空気になるようなやつ。つーか、手際が悪い。モノローグを入れすぎ。展開がトロい。見せ場という見せ場がない。一話でやったことはAパートまでで終わらせるべき。
メインふたりより、前髪パッツンの子のほうが好みなのがちょっとつらい。リアリティが低い、といっても低すぎる(ぶっ飛んでる)ことはないのもちょっとつらい。価値観がすくなくとも10年は前で止まっているのもちょっとつらい。
そうそう、こういうのでいいんだよ、こういうので。なんでライオン男に勝てたかわからないだって?勝てたから勝てたんだよ!気にすんな!けっこう古臭いかもしれないけど、アホでエロいB級を正々堂々とB級らしく仕上げていて、いいと思う。こういうアホエロ突き抜けスピリットをもった深夜アニメが最近減っちゃって寂しい。
めっちゃ微妙。「人とアンドロイドの共存」というやりつくされた素材をどう調理していくのか、という段階に達しておらず、単純な話、アニメのクオリティが低い。一話は展開が急ぎすぎているし、見せ場が見せ場として機能してない。二話の街なかでのファッションショー(?)ライブ(?)も見せ方が下手で笑う気も起きない。
20年くらい前の小説をサルベージした最近流行りのパターンなのかな?とか思ってたら、2012年刊行でちょっと驚く。
類似アニメ(?)である「まほろまてぃっく」みたいに必要な設定をピックアップして、ほかを捨てたほうが深夜アニメには適してるし、重そうなテーマ性からしても、小説で読んだほうが確実におもしろいタイプ。原作ファンは不満なんじゃないのか。でも、キャラデザは好き。
おもしろくないことはないし、出来もいいんだけど、もしかして原作漫画のほうがおもしろいんじゃないだろうかと思ってしまった。二話まで観ても四頭身のキャラデザにいまいち慣れない(デフォルメの強い六頭身美少女を見慣れているせいか?)けど、画像検索で出てくる漫画の絵はかわいいと思うんで、アニメに向いてない絵柄なんじゃないだろうか。
類似キャラデザのメイドインアビスや少女終末旅行は、常に(一話二話の時点から)死の影と冒険感があり、かわいらしいキャラデザとのギャップが作品を引き締めていたけれど、このアニメみたいにかわいいキャラが、かわいい異世界で、かわいい不思議なことをフワッ~とやってるのを映像(自分のペース見られない遅い媒体)で見るのは退屈してしまう。
じゃあ、なんで日常系アニメは見ていられるんだ?って話だけど、いちおうは現実に即しているからってのと、なにより萌えキャラはアニメ化に適している(着色されて動いて声がついたほうが断然かわいい)からじゃないかと思う。とりあえず原作は買う。
魔法使いの嫁みたいな感じだったら……と見当をつけていたら、やっぱりそうだった。女向けなんで、男キャラのほうがかわいい(当たり前だけど)。ユーフォみたく平々凡々な原作をアニメの力で昇華していく京アニの必殺技が今回も炸裂するんだろうなあ、もったいない。
このアニメの存在価値はふたつ。ひとつは、いまどき珍しく大々的に「このアニメに理解を示しているオレ、カッケエエエ!!!」をSNSなどを通じて共有できること。もうひとつは、アニメ業界はこういう無茶ができると教えてくれているということ(製作委員会方式じゃないからできたらしいけど)。
ホラー漫画の女の子って妙にかわいかったりする。この作品の女の子はかわいらしさと美しさが共存していて、とてもいい。ホラー短編は大して興味ないんで、一話でやったようなユーモア短編か女の子がメインの短編を期待してる。
アニメに詳しい人の評価が高かったので観てみた。おもしろかった。
主人公の男の子がガチの鉄道オタクでなに言ってるのかわからないときもあるけど、なるほど!よく知ってるなあ!って気になるし、かわいい。電車の時刻なんてスマホで調べられるご時世にわざわざ時刻表の本を読んでるのも、なにか明確な理由があるんだと思う。ヒロインがJSユーチューバーを堂々と名乗っているのもなんかすごい。
マスコットがロボットのオペレーションも兼ねていて、性格も口調もガラリと変わるのもしっくりとくる(昔デジモンを観ていて、かわいいテントモンが「光子郎は~ん」って言うのはいいけど、進化してイカつくなったカブテリモンが「光子郎はん」って言うのは違和感しかなかったので、なんとかしてほしかった)。
親子関係の良好なエヴァ、大人がちゃんと大人なエヴァという意見を見たけど、エヴァというよりは朝の男の子向けアニメの王道をやりきっている、というのが正しいんじゃないかと思う(その王道が捻くれちゃったのがエヴァ)。ミサトさんポジションが父親で、司令が父親の後輩(?)という関係性もおもしろい。司令は父親になにか恩がありそう。
新人の言った「いまは大人と子供がいっしょに未来を守らないといけない時代になったのかもしれない、わたしたち大人には受け入れづらいことですけれど」は名言。
あー確かに。
本当にポール1本に時刻表だけしかついてないバス停だとそういう事ちっとも書いてないしなー。
電飾で4面あるやつだと時々横とか裏とかに書いてあるけど、
書いてなきゃバス来てドア横の表示見るまでどこが入り口かわかんないし、
千葉の幕張らへん走ってるバスに至っちゃ前後両方とも「出入口」とか書いてあってふざけんなとか思うし(で実際乗ったら整理券式後払いだった)、
ICカード使えるバス使えないバスってのもバス事業者の公式ホームページ見たって書いてなかったりすげー見つけにくいところに書いてあったりする。
今時の技術なら「入り口は扉の上が光る」「出口は足元が照らされる」ぐらいのこと、昔よりも低コストで簡単にできると思うんだが。
支払いで運ちゃんや他の客に迷惑かけちゃうのは確かに避けたい。
まぁ、今時後ろ乗りで先払いってバスはないし、後乗りでカードリーダー見当たらなきゃ整理券とっときゃいいし、
前乗りで整理券出てればあと払いなんだなって思って整理券とっときゃいいし、整理券なかったらその場で「先払いですか?」って運ちゃんに訊く。
それ以外には、ICカード使えない場合に「お釣り出ますか?それとも両替ですか?」って聞いとかなきゃいけないのが最大のトラップかなー。
横浜のバスだと1000円札で乗るとお釣りが出てきたのに慣れちゃってて、
初めて田舎のバスに乗ったときはお札入れるところが単なる両替機で別途小銭で支払わなきゃいけないってのが理解できなかった。
ファミリーマートが新商品として鳴り物入りで発売した「忖度弁当」が全く売れない、とファミリーマートの関係者と思われる書き込みがツイッターに投稿され、話題になっている。
2日未明、「天探女・スリ」との投稿名で「忖度弁当全く売れねーじゃねーか。ばかああああああああああか!!!!!今日の分、全部廃棄処分だぞ。クソがあああああああ!!!!ファミマ店員の魂の叫びだ、バカやろぉぉぉぉぉおおおおお!!!!!!
売れるわきゃねーだろ。800円もすりゃよぉおおおお!!!!」と!を多用した書き込みがあった。
また「一応食ったよ、忖度弁当。800円の価値があるかって聞かれたら俺、舌が貧乏だからうーんってなっちゃうけど、まぁ美味しかったよ。でも特別な日でも何でもないのにコンビニでバカに高い弁当なんか買う気は起きないね」との書き込みもあった。
一部のネットメディアでこうした投稿が取り上げられ、NETGEEKでは「忖度というネガティブなワードがマイナスイメージを誘う上、値段が高すぎる」と分析。
「滋賀県の店長です。2日で13個中12個廃棄」との具体的な書き込みもあり、事態はなかなか深刻なようだ。
「忖度弁当」は正式名称は「忖度御膳」。1日から数量限定で予約を受け付け中で、ファミリーマートのほか、サークルK、サンクスでも取り扱っている。キンメダイやノドグロ、あんかけのさつまいも、豚肉炒めなどを使い、税込み798円。「忖度」は「他人の気持ちを推し量ること」の意で、本来は良い意味にも使うが、今年は森友、加計学園問題をめぐり、ネガティブな意味で用いられたことで人の耳に入ったこともマイナスに働いた可能性もある。また、PRチラシなどの中でもわいろの授受をうかがわせるような写真が添えられていて、イメージが悪いのでは、という意見もツイッター上にはある。(WEB編集チーム)
鳴り物入りのファミマの「忖度弁当」 「2日で13個中12個廃棄」「売れるわきゃねーだろ」店員から?悲痛な声も(産経ニュース・17.12.3)
http://www.sankei.com/life/news/171203/lif1712030048-n1.html
東京・秋葉原と茨城県つくば市の間で「つくばエクスプレス(TX)」を運行する会社が、電車を定刻より20秒早く出発させたとして謝った。海外メディアは「遅れや運休でもないのに……」と驚く。「20秒」の差は謝るべきなのか。
■「9時44分」だけど
「定刻9時44分40秒のところ、発車時刻を十分に確認しないまま、9時44分20秒に発車してしまいました。大変ご迷惑をおかけし、深くおわび申し上げます」。つくばエクスプレスを運行する首都圏新都市鉄道のホームページに14日、こんな謝罪文が載った。この日、秋葉原発守谷行きの普通列車が南流山駅(千葉県流山市)を定刻より20秒早く出発していた。乗務員に「基本動作を徹底するよう指導した」という。
ただ同社によると、駅の時刻表には「44分」としか記されておらず、4分後には後続の電車が来ることになっていた。乗客からの苦情もなかったという。同社広報課は「発車を知らせる駅の放送が発車後に流れてしまった。謝罪は当社の基準に基づいており、今後も同様の対応をする」。昨年6月にも、北千住駅で30秒早く出発した際におわびを出したという。
これが英語のネットニュースで報じられると「(日常的に遅れる)ニューヨークの地下鉄なら、謝罪のためだけに職員が必要だ」とツイッターなどで話題に。英紙ガーディアンは、日本の鉄道の正確さは素晴らしいとしたうえで、「時間厳守が悲劇を生んだこともある」として、107人が死亡した2005年のJR宝塚線の脱線事故で、運転士が約1分半の遅れを取り戻そうとしていたことが一因とされていることに触れた。
日本の鉄道史に詳しい原武史・放送大教授(日本政治思想史)は、日本のダイヤ厳守の習慣は、天皇が乗る「お召し列車」に源流があると指摘する。「1928(昭和3)年に天皇が京都へ行った際、30秒単位の特別ダイヤが組まれ、ほぼ正確に運行されたと言われている」という。原さんは「TXは他社との乗り入れがないため、ダイヤがシンプルで乱れにくい。それゆえ、少しの狂いにも過剰に反応しているのかも知れない」ともみている。
とはいえ、今回の謝罪を「ダイヤは秒単位で作っていても、客にとっては同じ『9時44分』。いちいち公表する必要があるのか」と原さんは言う。鉄道会社の横並び意識も感じるといい、「他社が少しのダイヤの乱れでも謝るので、自分たちも、と儀礼的に謝っている面もあるのではないか」と話す。
■先回りで謝る企業
米紙ニューヨーク・タイムズは記事で、過剰に謝る日本の企業文化が背景にあると指摘した。日本社会を「世間」という切り口で研究する佐藤直樹・九州工業大名誉教授(刑事法学)は「日本では場の空気を壊さずに円滑にものを進めるため、『とりあえず謝る』習慣がある。企業も同じで、苦情やネットでの炎上を恐れ、先回りして謝ることが当たり前になっている」。ここ20年ほど、小さなことでもクレームを入れる風潮が強まり、企業の謝り方がどんどん過剰になっていると感じるという。
佐藤さんは「20秒早く出発して謝るなんてやっぱりおかしい。消費者自身も、普段から要求が行きすぎていないか、考え直す必要があるのではないか」と話す。
(仲村和代、田玉恵美)
ネットの噂を記事にしてもきちんと話題の当事者にコメントを取り、また記者の問題関心に合わせた専門家のコメントをとっている朝日新聞の記事に対してツイッターとnetgeek(!)の言っていることをただただそのまま垂れ流すだけという忖度弁当の記事。おそらくはその記事を再びまとめサイトが、新聞に載ったとして記事にするという連鎖関係なのだろう。産経でこの程度の記事が出たのは一度や二度ではないはずだが、ファミマへの電話取材の労もとらないようなら「新聞」の看板を下ろすべきなのでは?
”うーん、やっぱり君の理解度が足りないのか俺の話し方が悪いかだな”
そうですね、あなたの話すトピックや言っていることも支離滅裂でちょっと僕の理解度が追いつかないかな。ごめんね。僕の理解が足りなくて。
”俺はスマホの方が優れてるのを認めつつも進化の方向性として入力・出力を切り分けたモバイルが存在するべきだったという話を最初からしていた”
もう一度読み返してみ?あなたのいうスマホ・ガラケーの進化ってそれだけですか?
”用途に合わせて色々用意しなきゃいけなくなった時点で道具としての価値は付属品が増えるほど落ちるよ”
mp3プレイヤー、カーナビ、ビデオレコーダー、カメラ、DVDプレイヤー、電子マネー、ラジオ、ATM、地図帳、時刻表、腕時計、カレンダー付きの手帳、メモ帳、辞書。パッと思いつくだけ書いて見ましたがこれだけのものをスマートフォンがぶっ飛ばしてます。
”必要な物だけ使えばいいだろというけどその人にとって必要な物っていうのは必需品であってスマホにキーボードが必要になった時点でガラケーとスマホの比較はガラケー対スマホ+キーボードの評価になる”
全然違う。ガラケーは予選落ち。比較にすらなってないよって話をずっとしてる。
”可能性の話をするときに現状の見えている範囲でしか話ができない人間は成長性もないし開拓も開発もないとつくづく思うよ”
君の思いつく理想の携帯像はこうだって話だったらもっと面白かったかな。現状に対して不満しか言ってない君が可能性の話をするなんて笑えるよ。
”きっとスマホが出る前はガラケーがどんだけ素晴らしいのか力説してたんだろうけどー”
ガラケーなんて使わずにG's Oneっていうカシオの防水携帯を何年も使ってました。白黒画面で1円で高校生の時に買った携帯ですね。ガラケーに価値を見出してませんでしたし。
”やってることはゲームのDLC商法と同じで最初から機能つけなくても不満なくニコニコ現金払いしてくれる馬鹿を増やす仕組みだからiPhoneはブランディングに力入れたんだよ”
何千何万っていうアプリを”アップル”が全部開発してそれが機種代にどのぐらい影響するかな?後、DLC商法別に悪くないでしょ。市場原理主義が携帯のアプリケーションにも適用されただけ。アンドロイドやアップルがそれぞれしのぎを削ってくれればそれでよし。それを使いこなせない馬鹿が増えても別になんとも。
”せいぜいカメラの性能とか通信速度やバッテリーで張り合うくらいで虚しさしかない。画面がでかくなった!”
デバイスの過度な性能競争が虚しいのは同意ですね。ですけど、性能が上がることによって今までできなかったことができるようになることはあるから、自分の使いたい機能と性能を選べばいいんじゃないかな?パフォーマっていうパソコンから使い始めて、アップルがアップルコンピューターって名前だった時からのアップル信者だけど、中華製の防水Android+iPhone5c使ってるよ。
”周辺機器全込みの金を最初からだすから全部機能ついてるスマホ出してくれよ”
それパソコンでも同じこと言える? 田舎の電気屋でこのパソコンエクセルついてる?っていうのと感覚全然違うからね?
”必要になるたびに買うとか繋げるとか持ち運ぶという二度手間を何度も強要するのが効率的?先進的?
それ間抜けとどう違うんだ。栓抜きでさえ多機能で揃えてきてるのに栓抜き以下の設計思想がスマホだよ”
モジュールって考え方を勉強したら少しはわかるようになるんじゃないかな。必要な機能をダウンロードして使えるようになるのがそんなに前時代的かね?栓抜きついたアイフォンケースドゾー
https://www.amazon.co.jp/ZVE-iPhone6-ケースiPhone6s-ライター-栓抜き-カメラ三脚機能付きケース-アイフォン6s/dp/B013Q4VRAI
”あと入力そのものに関してもタッチパネル式では何のどこにする操作が何を意味するのかサービスによっては全く逆のデザインであることも珍しくないしそういった揺らぎは無意識・意識的なストレスをユーザに与え続けてる。”
そもそも一つ一つアプリ作ってる会社違うから当たり前ですよね。OSだって使い勝手も随分変わりましたし。
”キーに関しては戻るボタンを作ればそれを推せば戻るという機能で限定されるためいちいちソフトによってマニュアル確認する必要もなければ押す箇所が毎回違う必要性もない”
一つ一つボタン作るの?今どれだけの入力値や種類がある?キーボードとマウスで入力できる入力値が全て?ジェット機のコックピット並みにボタンだらけにするのがあなたのいう先進的で効率的なのかな?ジェット機のコックピットだって今はデジタルで切り替えられるものになってるよ。スマホの入力ってキーボードだけじゃなくて音声入力、タッチペンでの入力、ジャイロ使った三次元な入力だってあるよね。全部キーボードでOK?
結局、見えている範囲でしか話をしていないのは君なんだよ。君は見たいものだけ見て、それで自分が一番正しいと思ってる。食堂に行ったらずらっと並んだ見たことも食べたこともないお惣菜目の前にしてポカーンとしてたら、御盆だけ渡されて「自分の好きなもの食べな」って言われてるのに店員に「お前んところのベストな定食を俺に提供しろ」って喚いてるおっさんと同じかな。もしくは「全部のせで」って頼んでる人かな。
30才になってしまった。
つくづく思う。若さがもたらすエネルギーはすごい。10代の頃を思い返すと、とても正気だったとは思えない。
誕生日の記念に自分の人生をざっと振り返ってみたい。長くなるか、すぐに終るか、それは書いてみないとわからない。
2年前からイーストヴィレッジのセントマークスで仲間達とバーをやっている。大抵はヒップホップがかかっている。客層は黒人、日本人、ヒスパニック。
日本酒がメインのバーにするはずだったが、すぐにうやむやになってしまった。夏はフレンチスタイルのパナシェがよく売れる。地元の人がこれを読んだら、もう場所を特定できてしまうと思う。
大儲けとはいえないが、店はそれなりに繁盛している。僕はほぼ毎日カウンターかDJブースにいる。ちなみに趣味はボディビルで、アマチュアの大会で2回ほど入賞したことがある。
まさか自分がこんな生活を送るようになるとは思わなかった。中学生の頃は、江戸川乱歩と京極夏彦に傾倒していた。将来は図書館司書になるつもりだった。顔は青白く、ひどい猫背だった。ある女性との出会いが僕を大きく変えた。
そうだ、あの子について書こう。
最初に彼女と遭遇したのは、高校に入ってまもない頃だった。校庭と校舎をつなぐ階段の途中ですれ違った。彼女はジャージ姿だった。背が高く、涼しげな目が印象的だった。かっこいい人だと思った。一瞬だけ目が合い、僕はあわてて逸らした。
当時の僕は最低だった。勉強も出来ないし、スポーツも苦手。しかもクラスではパシリだった。どういう経緯でパシリになったのか、まったく思い出せない。梅雨の訪れのように自然な成り行きだった。
僕をパシリに任命したのはNというクラスメートで、彼は教室内の権力を一手に握っていた。髪を金色に染め、足首に蛇のタトゥーをいれていた。15才の僕にとって、蛇のタトゥーはかなりの脅威だった。
昼休みになると、僕はNを含む数人分のパンとジュースを買いに行かされた。金を渡され、学校の近くのコンビニまで走らされる。帰りが遅かったり、品切れだったりすると怒鳴られる。そういう時はヘラヘラ笑いながら謝った。歯向かう勇気はなかった。そんなことをすればさらに面倒なことになるのは目に見えていた。
いじめられていないだけマシだ、パシリに甘んじてるのもひとつの戦略だ、そう自分に言い聞かせていた。
ある日、いつものようにパンとジュースを買って裏門から教室に戻ろうとした時、また彼女とすれ違った。相変わらずクールな表情。今度は制服姿だ。ジャージの時より断然かっこいい。ネクタイをゆるく結び、黒いチョーカーをつけていた。目が合う。すぐに逸らす。前と同じだ。
僕はすっかり彼女に魅了されてしまった。教室に戻るのが遅れて、Nに尻を蹴られた。いつも通りヘラヘラ笑いながら謝った。
それからも広場や廊下で何度か彼女を見かけた。一人だったり、何人かと一緒だったりした。彼女は常にクールだった。それにどんどん美しくなっていくようだった。どうしても視線が吸い寄せられてしまう。そのくせ目が合いそうになると、僕はすぐに逸らした。
彼女のことをもっと知りたいと思った。気を抜くとすぐに彼女のことが頭に浮かんだ。できれば話してみたい。でも僕ごときにそんな資格は無い。きっと冷たくあしらわれて終わりだろう。遠くから眺めているのがちょうどいい気がした。
なんだか出来損ないの私小説みたいになってきた。こんなことが書きたかったんだっけ? まぁいいか。もう少し続けてみよう。
30才になった今、少年時代の気持ちを思い返すのはとてもむずかしい。あの頃は恋と憧れの区別もついていなかった。おまけに僕は根っからの小心者だった。彼女の目を見つめ返す勇気もなかった。世界は恐怖に満ちていた。蛇のタトゥーが恐怖のシンボルだった。
1学期の最後の日に転機が訪れた。大げさじゃなく、あれが人生の転機だった。
よく晴れた日の朝。バスターミナルに夏の光が溢れていた。まぶしくて時刻表の文字が見えなかった。僕はいつものように通学のために市営バスに乗り、2人掛けのシートに座った。本当は電車の方が早いのだが、僕は満員電車が嫌いだった。それにバスなら座れるし、仮眠も取れる。僕は窓に頭をあずけて目を閉じた。
発車する寸前に誰かが隣に座った。僕は目を閉じたまま腰をずらしてスペースを空けた。香水の匂いが鼻をくすぐった。
ふと隣を見ると、彼女が座っていた。目が合った。今度は逸らすことができなかった。彼女がにっこり微笑んだのだ。彼女は気さくに話しかけてきた。
校内でよく僕のことを見かけると彼女は言った。その時の驚きをどう表現すればいいだろう。うまく言葉にできない。
さらに彼女は僕の頭を指して「髪切ればいいのに」と言った。たしかに僕の髪は無造作だった。でもそんなに長いわけでもなかった。わけがわからなかった。彼女が僕の髪型を気にかけるなんて。
彼女はひとつ上の2年生だった。ふだんは電車で通学しているが、初めてバスに乗ってみたという。色々なことを話した。幸福なひとときだった。なぜだろう、初めて喋るのに僕はとてもリラックスしていた。きっと彼女のおかげだと思う。人を安心させる力があるのだ。
車窓から見える景色がいつもと違った。こんなにきれいな街並みは見たことが無かった。行き先を間違えたのだろうか。ふたりであてのない旅に出るのか。落ち着け。そんなはずはない。もういちど景色を確認してみる。いつもの道だ。たまに彼女の肘が僕の脇腹に触れた。スカートから伸びるすらりとした足が目の前にあった。目眩がした。
特に印象に残っているのは、彼女が小学生の時に"あること"で日本一になったという話だ。でもそれが何なのか、頑なに言おうとしないのだ。絶対に笑うから教えたくないという。それでも僕が粘り続けると、ようやく白状した。それは「一輪車」だった。
一輪車駅伝の全国大会というものがあり、彼女はジュニアの部で最終走者を務めた。その時に日本一になったらしい。僕はそんな競技があることすら知らなかった。
あまりに想定外だったので、どう反応すればいいかわからなかった。でもこれだけは言える。彼女が恥ずかしそうに「一輪車」とつぶやき、はにかんだ瞬間、僕は本当に恋に落ちた。
彼女は一輪車で燃え尽きて、中学から一切スポーツをやらなくなった。部活に入らないのも体育を休みがちなのも、すべて「一輪車で燃え尽きたから」。ずいぶん勝手な理屈だ。なんだか笑えた。そんなことを真顔で語る彼女がたまらなくチャーミングに見えた。だいぶイメージが変わった。
会話が途切れると彼女はバッグからイヤホンを取り出して、片方を自分の耳に差し、もう片方を僕の耳に差した。ヒップホップが流れてきた。ジェイZだった。いちばん好きなアーティストだと教えてくれた。
僕はジェイZを知らなかった。そもそもヒップホップをあまり聴いたことがなかった。素晴らしいと思った。リリックなんてひとつもわからなかったが、極上のラブソングだった。本当はドラッグの売人についてラップしていたのかもしれない。でも僕にとってはラブソングだった。
あの日のバスは僕を新しい世界へと導く特別な乗り物だった。バスを降りて、校門で彼女と手を振って別れた瞬間から、あらゆる景色が違って見えた。すべてが輝いていた。空は広くなり、緑は深さを増していた。
次に彼女と目が合った時は必ず微笑み返そう。蛇のタトゥーはただのファッションだ。この世界はちっとも怖い場所じゃない。
新しい世界の始まりは、夏休みの始まりでもあった。僕は16才になった。(14年前の今日だ!)人生が一気に加速した。そう、書きたかったのはここから先の話だ。ようやく佳境に入れそうだ。やっと辿り着いた。
僕は髪を切った。坊主にした。そして体を鍛え始めた。近所の区民センターのトレーニングルームで筋トレに励んだ。それから英語の勉強に没頭した。図書館の自習室で閉館まで英語と格闘した。単語、熟語、文法、構文、長文読解。最初は暗号のように見えていた文字の羅列が、だんだんと意味を紡ぐようになっていった。
英語と筋トレ。なぜこの2つに邁進したのか。理由は至ってシンプルだ。ジェイZになろうと思ったのだ。彼女がいちばん好きなジェイZだ。
①僕がジェイZになる
②彼女は僕に夢中になる
できれば夏休みの間にジェイZに変身したかったが、さすがにそれは現実的では無かった。でもとにかくやれるところまでやろうと思った。僕は筋トレと英語に励み、ジェイZの曲を聴きまくり、真似しまくった。日差しの強い日には近所の川べりで体を焼いた。
夏休みが終わった時、僕の見た目はジェイZにはほど遠かった。当然だ。そう簡単に変われるわけがない。日焼けして、少しだけ健康的になっただけだった。でも内面は違った。ヒップホップマインドが根付いていた。誇りがあり、野心があった。闘争心に溢れていた。
僕はパシリを断った。特に勇気を振り絞ったという感覚もない。単純に時間がもったいなかった。昼休みは英文のリーディングに充てたかった。誰かのパンやジュースを買いに行ってる暇はない。
パシリを断ると、彼らは一瞬どよめいた。こいつマジかよ、という顔をした。Nが笑いながら尻を蹴ってきたので、笑いながら蹴り返した。教室全体がざわついた。Nはそこで引き下がった。
それからしばらくの間、 嫌がらせが続いた。机や椅子が倒された。黒板には僕を揶揄する言葉が書かれた。でも相手にしている暇はなかった。早くジェイZにならなければ。僕は黙って机を立て直し、Nをにらみつけながら微笑んで見せた。Nの表情にわずかな怯えが走るのを僕は見逃さなかった。
筋トレ、英語、ラップ、筋トレ、英語、ラップ。その繰り返しだった。僕は少しずつ、でも着実に変わっていった。あの日からいちども彼女と会っていなかった。校内でも見かけなかった。でも焦ってはいけない。どうせ会うなら完全にジェイZになってからの方が良い。
そんなある日、柔道の授業でNと乱取りをすることになった。たまたま順番が当たってしまったのだ。組み合ってすぐにわかった。こいつは全然強くない。いつも余裕ぶった笑みを浮かべてるが、体はペラペラだ。とんだハッタリ野郎だ。絶対に勝てる。
Nが薄ら笑いを浮かべながら、足でドンと床を踏んで挑発してきた。腹の底から猛烈な怒りがこみ上げてきた。なぜこんなやつのパシリをしていたのだろう。さっさとぶちのめすべきではなかったのか?
僕はNを払い腰で倒して、裸締めにした。Nはすぐにタップしたらしいが、僕はまるで気付かなかった。先生があわてて引き離した。Nは気絶しかけていた。僕は先生にこっぴどく叱られたが、その日から誰も嫌がらせをしなくなった。勝ったのだ。
でも連戦連勝というわけにはいかない。ヒップホップの神様は残酷だ。僕は恋に敗れた。いや、勝負すら出来なかった。なんと彼女は夏休みの間に引っ越していたのだ。僕はそれをずいぶんあとになってから知った。
彼女とは二度と会えなかった。筋肉と英語とヒップホップだけが残った。なんのための努力だったんだろう。せっかく坊主にして、体つきも変わってきたというのに。仮装パーティーで会場を間違えた男みたいだ。マヌケ過ぎる。しかし、そんなマヌケな彷徨の果てに今の僕がいる。
高校を卒業して、さらに英語を極めるために外語大に入った。それからNYに留学して、今の仕事仲間と知り合い、色々あって現在に至る。仲間達はみんなヒップホップを愛している。それだけが共通点だ。すべてのスタートがあの日のバスの中にある。
ずいぶん長くなってしまった。まさかこんな長文になるとは思わなかった。そろそろ止めよう。
僕は今でも週に3回は筋トレをしている。当時よりずっと効果的なトレーニング方法も身に付けた。知識も格段に増えた。でも本当に必要なのは、あの頃のような闇雲な熱意だ。
30才になってしまった。
http://anond.hatelabo.jp/20170613210316
・地図
・時刻表
・ポータブルナビ
・電子辞書
・雑誌
・新聞
etc…
プロやハードに使う用途はまだまだ専門性が高い専用機が必要とされているが、普通の人が「あったら便利なのに」みたいなポジションのガジェットはほとんど飲み込まれた。これらの大方の利益は「ちょっと使えればいいんだけど必要だからしかたなく買っていた」分の膨れた分で出ていた。
写真にしても、当時もし殆どの人が「フィルムの何コマ目」だけ指定でプリントを依頼していたらかなり減収になったにちがいない。ほしいのは2,3枚でも24枚撮りなら24枚プリントしていた。それが大きい利益になっていた。
音楽家が「CDを買って欲しい」というのも、CDにパッケージする過程でさまざまな周辺業種を巻き込み、結果的に「欲しいのは1曲だけど1000円」という形で業界の動く金額が大きくなれた。欲しい1曲だけ250円で買われてしまっては従来通りの規模を維持できない。
#東京びっくりがっかり のハッシュタグとか読むと。素直に読めない。
幾ら掛かると思ってるんだ?とか日本だけじゃないだろ!とか、なるほど!と思える事が少ない。過剰な期待が多過ぎてウンザリさせられる話ばかり。
「ここが変だよ日本人」みたいな感じで、「ここが変だよ○○人」みたいな事を外国人や外国の事が解っていると自称する意識高い同国人が指摘するのを有難がる国ってあるんだろうか?
外国人が「ここは自分の国とは違うね」というのは解るけど。「こちらが正しい!」って調子なのが何で?と思う。外国に行った時に、時刻表通りに電車が来なくったって「○○人は時間にルーズでおかしい!」とは言わないけどね。