はてなキーワード: 超絶技巧とは
これが八面六臂の超絶技巧ってやつですか
NHK Eテレの『サイエンスZERO』は以前、公式サイトを確認すると第何回かわかるナンバリングが振られていた(再放送はカウントされない番号)のだが、
No. 576「最新報告 チェルノブイリと福島~環境編~」_20170319
を最後に、No. 577以降はなぜかナンバリング表記が消えたらしいことに気がついた。録画ファイルの整理で必要だったので、これ以降の回にもナンバーを振ったのを以下に並べておく。
577「“折り紙”大進化! 宇宙から医療まで」_20170326
578「ゲームの最新技術 異世界が現実に!?」_20170409
579「防災から医療まで活用!8Kスーパーハイビジョン」_20170416
580「幸せを呼ぶ!?ウェアラブルセンサー新時代」_20170423
581「シリーズ・ゲノム編集(1)生命を作り変える魔法の新技術」_20170507
582「シリーズ・ゲノム編集(2)がんを根治!?医療で始まる大革命」_20170514
583「7つの地球を大発見!?“トラピスト1”惑星系」_20170528
584「若きエンジニアが集結!NHK学生ロボコン直前スペシャル」_2017064
585「最新報告!探査機ジュノーが明かす木星の謎」_20170611
586「CO2削減の切り札!アンモニア研究最前線」_20170625
591「リスクをあぶり出せ! インフラ点検最前線」_20170730
592「ライブ配信、ますますパワーアップ!ABUロボコン直前SP」_20170820
593「軽い!強い!燃えにくい!夢の新素材 新マグネシウム合金」_20170827
595「アスリート大進化!データ×テクノロジー最前線」_20170917
596「ミクロの限界を超えろ!解き明かされる生命の神秘」_20170930
597「“宇宙開発革命”民間ロケットの挑戦!」_20171001
598「異常気象に立ち向かえ 異分野からの挑戦!」_20171008
599「自動車までできる すごいぞ!タフポリマー」_20171015
600「奇想天外!笑って考える科学 イグ・ノーベル賞2017」_20171022
601「“人類の夢の技術”(1)タイムマシンは実現するのか!?」_20171105
602「“人類の夢の技術”(2)病の克服!iPS細胞 ゲノム編集」_20171112
603「超リアル!? テクノロジー×アート最前線」_20171119
604「30年目の高専ロボコンを300倍楽しむSP」_20171202
605「家電が狙われる!?新たなサイバー犯罪の脅威」_20171203
606「ノーベル賞2017 重力波が切り開く新天文学」_20171210
607「ノーベル賞2017 クライオ電子顕微鏡で新薬誕生!?」_20171217
608「“点と線”で世界をとらえる アイデア勝負 3次元認識」_20180114
610「見えないモノを見る! ひもとかれる歴史の謎」_20180128
611「シリーズ原発事故(17)“デブリ”は取り出せるのか?」_2018024
612「あなたの知らない土星の真実 偉大な写真家 探査機カッシーニ」_20180211
613「おいしい!のカギ 食感のひ・み・つ」_20180225
614「ロボットが物流を変える! 完全自動化への挑戦」_20180304
615「おいしい日本酒で乾杯! 味の司令塔 こうじ菌」_20180401
ここで番組改変。
617「カガクの“カ”#1 旬!な現場に潜入」_20180415
618「カガクの“カ”#2 北極海Saya謎生物」_20180422
619「巨大空間発見!解き明かされる秋芳洞のヒミツ」_20180429
621「カガクの“カ”#3 基礎科学のミライ」_20180513
622「カガクの“カ”#4 AI映像技術・常識破りのシルク」_20180520
623「驚異の進化!最新プロジェクションマッピング」_20180527
624「カガクの“カ”#5 仮想通貨&ロボコン直前」_20180603
625「量子コンピューターでも解読不可能!?新しい暗号誕生なるか」_20180610
659「こじるり緊急報告!沖縄のサンゴ礁」_20180708
660「生命維持の要 エクソソーム」_20180722
661「1分で充電完了!?誕生!夢の全固体電池」_20180729
662「カガクの“カ”#6 超臨界地熱発電・内視鏡AI」_20180805
664「キノコが雨を降らす!?空の微生物学者 気象のナゾに挑む」_20180902
665「シリーズ原発事故(18)新技術で挑め!見えざる廃炉のリスク」_20180916
667「さきどり最新科学SP Sayaが手話 AI編集 農業救う菌」_20181014
669「シリーズ原発事故(19)“被ばく量”解明への挑戦」_20181028
670「鳥インフルエンザ 新たな脅威」_20181104
671「高専ロボコン直前SP 今年はロボット同士の華やかな空中戦!」_20181118
672「生命維持の要 エクソソーム」_20181202
673「音楽が脳にもたらすうれしい効果が科学的にわかってきた!」_20181209
674「日本人成立の謎。弥生人のDNA分析から意外な事実が判明」_20181223
675「公開収録!ふしぎだらけのアンモナイトをマニアックに解説!」_20190113
676「バード川上が熱く語る!小笠原で鳥と進化の深い関係目撃せよ」_20190120
677「さきどり!最新科学スペシャル #2」_20190203
678「不老不死!?のほ乳類 ハダカデバネズミ」_20190217
679「超ミクロな磁場が測れる ダイヤモンドセンサー」_20190224
680「巨大地震予測の新たなカギ スロースリップ」_20190310
681「才能&金&時間の壮大な無駄遣い!?伝説のアイデアコンテスト」_20190331
682「宇宙夜話#1 とことん味わう はやぶさ2」_20190413
683「宇宙夜話#2 はやぶさ2に裏ミッションが存在した!?」_20190414
684「進化する超絶技巧!スーパーロボットアーム大集結」_20190421
685「糖尿病研究で大注目!生命をコントロールする体内時計」_20190505
7つ上ナオンとイイ仲になったとして、大学に進学すると(東工大でもない限り)同級生の美女に出会う。上級生の美女に出会う。卒業まで次から次から後輩の美女が入ってくる。彼女らとどういう関係を目指すかは予め決めておくことを勧める。
条件のよいナオンを見つけて乗り換えることは悪ではない。途中で方針転換することも悪ではない。しかし、三十路女をリリースすることは悪であると心得よ。のらりくらりとやってるうちに7つ上ナオンがアラサーになってしまうことは常に留意するべし。
数多くのナオンと遊びたいのかどうかのか。7つ上ナオンと生涯を共にする覚悟ができるのかどうなのか。よくわからないなら7つ上ナオンにコナ掛けるのはよした方がよい。言っておくが、三十路女の呪力はやれるかもという浅薄な希望を遥かに凌ぐ。命のやり取りになることも珍しくはないのだ。
一方で居酒屋で管を巻くオジサンは必ず「若い内はできるだけ多くの女を知れ」と半ば悔しそうにアドバイスしてくることも知っていなければならない。もっとも、森見登美彦という高名な俗人から伝え聞いたところによれば、とっかえひっかえの超絶技巧は八面六臂の桃色遊戯の達人にのみ許された茨の道らしい。
もし7つ上ナオンとイイ仲なったなら、飛行機を使っても毎月会いに行かねばならない。だが、愛の価値は経済的なものさしでは計れない程に大きいことは保証しよう。
じゃあ早稲田法学部のアウティング事件はどうか。性的嗜好を(本人が告白したものであっても)むりやり広めることはなんの侵害か。プライバシーではないならもっと広い人権(生存権など)ではないか。
知る人は知っているので以下はすでに大きな蛇足だが、二次創作で告白されているのは本人の性的嗜好ではなく「わたしはこのマンガについてこのような読解をし、このような感想をもちました」に超絶技巧をのせていくと二次創作小説になるんだ。ここの誤解(×本人がこういうエロやってもらいたいんだろ ○こういうエロを読みたかったんだろ)も生理おしっこ事件と同様、よくトラブルになるので、pixivとツイッターの組み合わせにおける二次創作業界では非常にユーザーのデリカシー教育が盛んで、成功している。大人の女が(同士間に必要なだけのデリカシーをもって)趣味・志向を満たすだけであげつらわれなければいけない法的根拠とは?
なぜ熟女なのか。熟女は汚れきっているからおかずにはうってつけなのだ。
自分自身のセックス未遂体験からセックスは汚いものという想いが染みついている童貞の俺には。
ちなみにセックス未遂に加えて今まで三回のキス経験がある。飲み屋の店員の目の前で「お前でオナニーした」という奇妙奇天烈な宣言をした直後べろべろに酔った俺に無理やり舌をねじ込んできたあばずれ女と、一生に一度は経験としていこうと思っていた風俗に「二度と行くものか」と決意させることになったイソジンの強烈な味のキスというトラウマを植え付けたピンサロ嬢と、「セックス!セックス!セックスオンザビーチ!」の鳴りやまないゴミの掃きだめみたいなクラブでべろべろに酔った俺を無理やり壁に押し付けて口の中を蹂躙してきた渡辺直美似のクソブスの三人だ。すべてディーーープなキッスであった。悲しいことに。
理想と相反する圧倒的現実に身も心もグチョグチャに汚されてしまったのも熟女へさらに駆り立てられる要因だったのだろう。
若く綺麗な女性に対する幻想を捨てきれないから熟女へ向かうのだ。悲しいことに。
しかし、AVにおける若さは時として甘えになる。若い女、特にJKモノとかだと「JK」というブランドに頼り切って肝心要の演技がドヘタだったり、レーズンみたいな乳首だったり、ブスとは言わなくても中途半端な顔面だったりする。それで何度落胆したことか・・・。
若さに頼ってんじゃねえ。舐めんな。
そして若いそこそこにかわいらしい女の子のぐちゃぐちゃに汚れている局部や肛門を見ているとなんだか悲しくなって途中で萎えてしまうのだ・・・。
最もそれを超越するレベルの美しい顔立ちや美ボディや技術の持ち主であれば話は別だ。今日おかずにした北野のぞみなんかはそうだ。そこまで来ると超次元の存在だから、「こいつはプロだぜ・・・」となるか、理屈抜きの天国超特急行きに乗車するかのどちらかだ。
熟女は熟女というだけの価値では生き残るのは不可能だ。だから彼女らは年老いてもなお美しい顔、弛んだ、しかし魅力的な豊満ボディ、超絶技巧、股間に響き渡る素晴らしい喘ぎ声を持ち合わせている。淘汰され生き残って来た一部の美人のみが大手を振って出演出来るのが熟女というジャンルだ。もちろん俺だってその辺にいるかぼちゃだかなんだかよくわからんブスとして生きて来てブスとして死んでいくようなブスがただ歳を取っただけ、みたいな形態のクソババアには興味が無い。
老いた美人の「私まだまだイケてるでしょ・・・?」「女としてもう駄目だと思ってたけど、まだまだ私もイケるじゃない・・・!」みたいな様を見るのは最高に興奮するし、その人の歴史を想って胸が熱くなる。
歳を取って美人から悲しき変貌を遂げるようなのもいるけれど、真の美人は死ぬまで美人というのが俺の持論だ。
勧めて良いのは薦められる覚悟のあるヤツだけだ。
彼女がオマエに対して、次のような「紹介」をした際に、受けとめる必要がある。
こういう「非狂言好きの彼氏に勧める」「歌舞伎興味ない彼氏を」「出不精の」「オルタナ未体験の」「行きたい映画を」みたいな、
彼女がオマエに対して「自分の趣味を紹介して、できれば一緒に行ってほしいな」という願望に対して
オレは狂言にも歌舞伎にも旅行にもロックにもスイーツ邦画にも興味はねェヨって言わないヤツだけが
次のオススメ一覧を参考にできるし、その上で勧めても良いし、勧めなくても良い。
アレは目標が複数あってとっ散らかってる上に、全体的に「相手を試す」要素が強い。
「甘え」とまでは言わないが、「相互の入口」と言う割に、相手にだけ負荷をかけていると思う。
想像して欲しい。
ラーメン好きが、理解を求めてラーメン二郎に彼女を連れて行く姿を。
「ラーメン二郎は現在のラーメンを語る上ではどうしても外せない。どう思ったか聞くのが狙い」
現実世界はときメモじゃねえから、店の前で黙って帰られたら二度と連絡は取れねぇぞ。
彼女と一緒に「君の名は。」を観に行って、相手が「面白かったね!」となっていること。
目標は「自分が勧めたら、TVアニメでも一緒に見てくれる」ところに持っていくこと。
(外国行って出来た友達に日本語辞書渡してから簡単な日本語で話しかけるみたいな
「なんでこんな簡単な日本語を理解してくれないの?合わないね」とかやるなよ。
本来は、彼女の趣味を入口にするのがコミュニケーションとしては王道)
いきなりディズニーかよ!とか言わない。
必要なのは「相手の観たいもの」と「自分の趣味」とがクロスしている部分を探す努力だ。
新海誠作品に特有の清潔感のある繊細な描写を、一旦ここで落ち着かせる意味合いもある。
アニメのプリンセスが、現実のニューヨークで離婚専門のシングルファーザーに出会って
という、アニメーションパートのベタディズニーを、実写パートに進出させる異色作。
出逢えば歌でわかり合う……みたいなベタ設定を茶化しつつ、ベタベタのディズニー。
オタクとして観るなら「ディズニーの文法をどこで回収してるか」に着目してみよう。
昨今観ることのなくなった手書きのセルアニメを堪能するのも一興。大資本すげえぞ。
たまにディズニーが嫌いな女性もいるが、普通のロマコメなのでそこまでマイナスになることもない。
(ただし、相手に負荷をかける意味は全く無いので、乗り気じゃなかったら強行しないこと)
薄いロマコメでありつつ、そこに至るまでに(彼女にとって)余計な要素を多く含む。
ウォーリーとイブという、ロボットでありながらチャーミングな存在で物語を引っ張り、
ガチャガチャとした舞台設定や、いくつかの目的が絡み合った話を、スッキリ見せる。
オタクとして観るなら「『2001年宇宙の旅』のオマージュ」を一つでも多く探そう。
「実写では無く、女性向きにも見えない映画」も楽しめると伝えられれば目的達成。
(吹替版でも良いと思う。草刈正雄は流石の演技力でアニメ初挑戦とは思えないヨ)
オマエまたピクサーかよ!とか言わない。
ロマコメ要素を排除しつつ、一旦凹むような描写を挟んでくる映画。
親父の都合で引っ越しを余儀なくされ、アクシデントにも前向きに取り組むものの、
転校初日の自己紹介で情緒不安定になってしまう少女ライリーの頭の中の物語。
非コミュをエグるエピソード満載の割に、ちゃんと着地していて安心できる。
「アニメでロマコメですらないが、観て面白い」と相手が思えば目的達成。
「ベイマックス(2014)」→「時をかける少女(2006)」→「青空エール(2015)」
→「仮面ライダードライブ(2014~2015)」と展開すること。
(ドライブを完走できれば、ほぼ教化は完了している。エグゼイドも一緒に行けるだろう)
戻ってきたのにジブリかよ!とか言わない。
絵が好きで内気な少女が、喘息療養のため滞在する街で、
古い屋敷に住むという華やかな少女マーニーと友だちになり、
お互いの悩みを打ち明け合い、徐々に心を通わせていく物語。
チャンピオン連載のマーニーじゃないけど、若干の謎解きもある。
「綺麗ではあるが新海誠とは方向性が違う絵」を違和感なく観てもらえればOK。
この辺で多少、見終わったあとに感想が言い合えればベストだけど、どうかな。
「面白かったけど、アニメは苦手かな」と言われたらここで一旦諦めよう。
東京ゴッドファーザーズじゃねぇのかよ!とか言わない。
千年女優も東京ゴッドファーザーズも、日本映画に対する憧憬が強いと思うんだよね。
アニメ好きに黒澤映画や往年の日本映画を勧める窓口とするなら良いと思うけれども、
「君の名は。」観てアニメに触れようとしてくれてる相手に紹介するには隔たりが大きい。
とは言うものの、アニメシリーズの紹介までも遠いため、ちょっと頑張ってジャンプアップ。
キツめのツンデレ千葉敦子が、他人に悪夢を見せて精神崩壊させる事件へと迫る胎教に悪そうなアニメ。
コレを喜ぶ彼女なら、次は「PERFECT BLUE(1998)」を観ても良いかも。81分だし。
また古いところからもってきたな!とか言わない。
アニメ絵に対する違和感を無くして物語そのものを観ることが出来るなら、
次は「連続してアニメを観る」という体験だ。OVA 全6話ならそれが出来る。
戦争のさなか、小学生がひょんなことから知り合った敵軍の兵士と交流するが、
友人たちや家族、そして大きな侵攻作戦を通じて少年の心を大きく揺らすストーリー。
高山文彦が監督しているので、山賀博之の脚本にも関わらず、映画のような印象を受ける一本。
ガンダムガンダムしていないガンダムなので、慣れない人に優しい。
また、絵柄が極端に古いけど、コレに慣れると大概のアニメがイケるようになる。
ガンダムのあとに?とか言わない。
きちんと1クールで終わって、ちゃんと男性目線での可愛い女の子も出てきて、
それでいてエロに行かずに安心してストーリーになってる作品って思ったより少ないぞ。
サイズ的には「夏目友人帳(2008)」も「にゃんこい!(2009)」も良いんだけど、両方共難しい。
夏目友人帳は少女漫画寄りだし、にゃんこい!は男子中学生寄りだし、痛し痒し。
あっさりアニメに嫌悪感無く付き合ってくれるようになれば、もうひと押し。
オマエさっき女性向け狙ったって言わなかったか?とか言わない。
DTBは1期に関して言えば、全体的なトーンは暗いものの基本が2話完結式で、観るのが楽。
シナリオ的にもそれぞれきちんと独立しており、かつ、ストーリーに絡んでくるので、
あっという間にとは行かないまでも、一貫して観続けることが出来る。
これについてきてもらえるのであれば、その先にいける。
最後まで来ても全体的に古いな!とか言わない。
皆様おなじみ痛快娯楽復讐劇だけど、ちゃんと完結してるのがエライ。
前提知識が要らない、極端にエロにいかないけどエロも入れてくる、
オタクが観てもちゃんと面白くて、ストーリーも追いかけやすい。
あとは好きにしろ。
ロマコメから入って、心理描写、SF、変、人間ドラマ、日常系、ストーリー、2クールアニメ。
おおよそ、半年~1年半ほどかけて、いわゆる男性アニオタの好むアニメに寄せて行こう。
線の綺麗なアニメや女性向きのアニメばっかりの構成では意図するところが達成できず
「楽園追放 -Expelled from Paradise-(2014)」の描写で絶縁されかねない。
ヤマノススメとかユーフォニウムあたりですら「アニメ絵の女の子ばっかり」ってだけで
いきなり見せたら、キモ!マジで!死ねば良いのに!って思われても仕方がない面もある。
(おさるのジョージとかザ・ペンギンズとか、その手のアニメからの距離を考えよう)
みんな麻痺してると思うが、結構一発アウトになるアニメってあるんじゃないかな。
ストパンとかガルパンとか、非オタから見たら未成年着エロと同レベルだと思う。
(正直、ガン×ソードも一発目はムリ)
段階さえ踏めば作品は好きなので良いと思うんだけど、
いわゆる男性向けアニメに慣れてもらうのって大変だと思う。
「東京マグニチュード8.0(2009)」とか描写も丁寧で名作だけどまだキツイし、
「劇場版 天元突破グレンラガン 紅蓮篇(2008)」113分みたいなアクの強いのもアレだし、
「王立宇宙軍 オネアミスの翼(1987)」119分みたいな超絶技巧だけどどーにもオタク向けだし、
書いてて思ったんだけど、「勧めたら一緒に見てもらえる」信頼を得つつ、
ガルパン観てても「ああ、なんか女の子ばっかりのアニメだけど、面白いのかな」って思ってもらえるって
すんごいハードル高いな。オレの友人はついにガルパンの映画に一緒にいくことに成功したらしいが。すげえな。
やべー
元になったのリンク貼るの忘れてた
はてなブックマーク - 『君の名は。』や『聲の形』を観た一般人に勧めるアニメは? - Togetterまとめ
そもそもはココで東のエデンとかあの花が上がってることに違和感があったからなんだよね。
「君の名は。」と「聲の形」を観に行った層が一致していると思えないのもあって限定にしてんだけど、
「綺麗な絵のアニメだから観た」ワケじゃないと思ったのが最初。
「面白そうな恋愛映画がたまたまアニメだった」だけで、逆じゃ無いだろと。
同じ新海誠で同じ絵のテイストの「秒速5センチメートル」を薦めてはイカンと肌感覚で判るのに、
なにゆえに絵柄の綺麗なアニメならなんでも良いだろ、みたいな雑な方向になるのだと。
絵柄が綺麗で良いアニメなら観てくれるワケじゃないだろ、と。
まず彼女はどこに惹かれて観たのだろうか考え、
その部分を取っ掛かりにすべきだろうと。
あとね、元になったまとめのブコメにもあるんだけど、
「これだけ観てくれるなら薦めなくてもアニメ好き or 勝手に見る」ってのは傲慢だと思うのよ。
最初に書いといたけど、こんなに日本全国で庶民が気軽に狂言や歌舞伎を見られる時代は無い。
お芝居でもそうだし、まあ海外旅行とか音楽を聞くのでもそうだよね。邦画もそう。
でも、フリクリを観たアニオタのうち、はたしてどれだけがオルタナティブロックを聞いたかな、と。
(カウボーイビバップ観てジャズを聞こうとした知り合いは、ジャズ好きに正しく教化されて、今も少しづつ聞いてる)
彼女に誘われりゃ何度かは一緒に観に行くだろうし、
そこで面白さを知ってハマるかもしれないけど、
先導なしで同じ所まで行くかな?
オレは行かないと思う。
アニオタって、方向性の問題であって、我慢とか矯正とかと縁遠いわけだよ。
だから、彼女ができようが親に内緒にしようが、やっぱ新作は観るわけだよ。
そうすると、観てるのを知られても「ヒかれない」のが第一歩。
そこに行くまで一苦労で、その為には遠回りに思えても理解を求めるしか無い。
(だから半年以上かける長期戦なわけだし)
アニメは怖くないよ、(見た目はもちろん重要だけど)
絵柄だけで観てるわけじゃないよ、普通の小説や音楽と同じ趣味なんだよってのを
人生の時間を同じくすることを選んだ人には、伝えてみたいじゃない。
美味しい料理を食べた時に、コレ美味しいよと言う。
その過程で「自分の好きなもの」を伝えながら「相手の好きなもの」を聞いて、
相手の好きそうなものを薦めてみる、相手の好きなものを試してみる。
そういうのが、コミュニケーションなワケだろうと。
だから、さんざん書いといてなんだけど、原則的には以下の一文がすべてだと思うわけよ。
>>(ただし、相手に負荷をかける意味は全く無いので、乗り気じゃなかったら強行しないこと)
アニメはもはや特殊な趣味じゃないと思うが、伝わりづらいからなあ。
彼女が真田丸観てるなら一緒に観て、次はうどんの国の金色毛鞠一緒に見ようって言えるようになれると良いな。
(本エントリの趣旨上、「あにトレ!!XX」を誘うのは想定していない。それはコッソリ観ろ)
健闘を祈る。
盆にもなると親戚のちびっ子がやってきて本を読む。
嫌な宿題ではあるが、夏のアクティビティだと思えば腹も立つまい。
さて、親戚のちびっ子から「書き方を教えてくれ」と言われたとき用にアンチョコを書いておく。
「あら?増田くんは勉強が取り柄じゃなかったのかしら?」とかイヤミを言われないようにだ。
(盆に実家なら、結婚しろだのシャンとしろだので既にお腹いっぱいだろう)
さて、なんとか本は読み終わったとしよう。
ここで「あらすじを書けば良いよ」はアドバイスでは無い。
日曜朝のガンダムUCを見ていれば判る通り、つめ込みは超絶技巧だ。
ガンダムUCは、主人公のバナージくんが出会う女性をことごとく不幸にする物語にも見える。
でも「バナージくんは無自覚なジゴロだと思います!」とか書くと、きっと怒られる。
基準が不明確なものでダメ出しをされ続けると、大人でも壊れてしまう。
ポイントは2つ。
「読んだ感想」を書くのではない。
ただ、課題図書で考え方に変化が起きることは滅多に無い。
自分は変わらなかった、でも、たぶん本の登場人物は変わったハズだ。
ネガティブな状態から、ポジティブな状態に変わったポイントを探すのだ。
そろそろネタバレせずにTV版ガンダムUCに例えるのも限界だが、
あたりだろう。
ココが一番の難物で、うまく出来るとコンクールで賞が取れる。
そして、本の中にあるキッカケで、ポジティブな思いに変わったとする。
本当に何のエピソードもない場合もある(恨み辛みの無い子も居る)ので、
最近のニュースから似たものを探して考えても良いかもしれない。
書く内容が拾い出せたら、書いてみよう。
だいたい、コレを書いていると決められた最低枚数は超える。
「理屈では消せんのです。恨みも、後悔も」そう言ったあとにジンネマン大尉は、ずっと昔に亡くなった妻と娘に呼びかけた。それは変えられない過去への呼びかけで、自分にもその気持ちが判るような気がする。自分が飼い犬のゴローへ最後に呼びかけたのは「お前は留守番だ。俺は楽しんでくるね」だった。何の気なしにかけた言葉だったはずなのに、それから旅行に出掛けてもどこか楽しめない自分が居た。それが、ジンネマン大尉がどこか娘と重ねて見ていた、養女であり部下のマリーダから(以下略)
ここまできてやっと、「気持ち」や「感想」や「思い」を追加する。
ジンネマンの気持ちが判る、マリーダはこう考えたんじゃないか、自分はこんなことが起こったと思う。
文章の骨格(ネガ→キッカケ→ポジ)が既に書けているので、多少いじっても構成は壊れない。
最後に、文章の体裁(てにをは、漢字、人物名)を見直して、完成だ。
本を読んで「より良くなった」という報告を期待されている。
だから、本の中で変化のあった人物を探し、
ついさっき、こんなエントリーを見かけた。
私は淫夢を憎んでいる - はてな匿名ダイアリー
これは1年半ほど前に書かれた文章で、当時はまだ淫夢コンテンツが隆盛の頃である。それが今更になってTwitterで密かな話題となっていた。この文章を見た瞬間に「俺も持論を展開したい!」と子供染みた高揚感に襲われたので、一つ、書いてみる事にした。
その持論とはパンクロックと淫夢が根底では同じ現象であるというものだ。ただ、それを解説する為には、まず淫夢というコンテンツそのものについて考えなければならない。
ここで指すところの“真夏の夜の淫夢(以下、淫夢と呼称)”とは、2001年にコートコーポレーションから発売された「BABYLON STAGE34 真夏の夜の淫夢」とその他関連したゲイポルノビデオの内容を大手インターネット動画サイト「ニコニコ動画」に転載した一連のコンテンツである。そもそもは、プロ野球選手の多田野数人氏がこのビデオに出演したとされるスキャンダルが2002年の夏頃に週刊誌やインターネット等で報じられ、それを面白がった2ちゃんねるのユーザーがこれを「ネタ」とした事に始まる。要するに、このコンテンツはかなり息の長いものであり、その歴史は14年にも及ぶ事になる。
一方で、淫夢が日本に於けるインターネット文化のメインストリームに飛び出してきたのはごく最近である。例えば、ニコニコ動画で流行を発生される端緒となったMAD動画である「霊夢 so クッキー☆」が投稿されたのが2010年10月30日のことだ。流行の原因はひとえに萌え文化に食い込んだ事にある。当時流行していた東方Projectに乗っかり、馬鹿にするような形で、淫夢は知名度を上げた。そしてこの動画で淫夢要素として登場したのが通称「野獣先輩(役名:田所浩二)」である。最初にこの動画を見ると恐怖と嫌悪感を覚えることだろう。最初はアニメキャラのMADなのに、動画後半でガタイの良い野性的な男が突然喘ぎだすのだ。インパクトは大きいが、初めてこの動画で淫夢に触れた人間は到底笑う事ができないだろう。
そう、冒頭のエントリーでも言われていたように、淫夢のコンテンツは「人を遠ざけること」を以て成立していた。そして、同時に人気のコンテンツに対して「喧嘩を売る」ことも淫夢を支える原動力となっていた。ところで、冒頭のエントリーでは「理解されることを嫌う」という部分に主軸が置かれていたが、「風評被害」などの全方位爆撃と言われるような無差別の迷惑行為が行われる原因には余り言及されていない。そもそも、意味もなく「風評被害」を撒き散らしてコンテンツを占領する事は、淫夢の大きな特徴の一つである。しかしこれを単に「定型文を楽しみたいがため」であると考えるのは早計である。このような無差別の破壊行為を行う危険分子には一つ記憶がある。それは1970年代後半のロンドンパンクである。
パンクロックと言われて皆さんは何を想像するだろうか。まずもってハードコアなロックを想像する人が大多数であると思う。次にセックスピストルズを連想する人が多いだろう。ここでイギー・ポップを想像された方は私と趣味が合うので、酒でも飲み交わしたいところだ。それはさておき、パンクロックというのは至極曖昧な分類である。結論を言えばハードでメタルなロックは特にパンクではない。パンクロックとは、超絶技巧に進化しすぎたロックに対する反骨として、若者たちが楽器を取って破壊的な演奏をしたことに始まる。パンクロックは常に若者と共にあった。その中でもロンドンパンクとセックスピストルズはパンクの代名詞的に語られる事が多い。そして、今回淫夢のムーブメントと対比して語るのも、ロンドンパンクであり、セックスピストルズである。
パンクロックの特徴の一つとして、演奏が適当で、歌も酷く、歌詞は過激、という部分がある。最早そこに芸術性などなく、ただ単調な破壊行為のみが残る。そういう音楽である。そして、ロンドンパンク全盛期(のみならずパンクの曲)の歌詞を聞けば分かるが、その内容は全方位爆撃という言葉に等しい。そしてそれが流行した背景には当時の社会情勢があった。1960年代以降のイギリスと言えば「英国病(もしくは"Sick man of Europe")」と呼ばれる長い停滞の時代にあった。特に1970年代後半は労組の賃上げ交渉のために社会機能が混乱に陥り、それが更に深刻な影響をイギリス全体に与えていた。
淫夢の流行の端緒となったのは「霊夢 so クッキー☆」であるとの持論を先程展開したが、それでも淫夢がアングラの文化である事に変わりは無かった。淫夢が一般的にも受け入れられるようになったのは2013年か2014年ごろの事である。2014年の冬には女子中高生の流行語として「微レ存」(“微粒子レベルで存在している”という内容の淫夢用語)が取り上げられているなど、ある程度社会に影響を及ぼす立場に淫夢というコンテンツが進展している事が分かる。
参考:「Ameba」が2014年「JCJK流行語ランキング」発表 流行語1位は「ダメよ~ダメダメ」、「かまちょ」「KS」など新しいJCJK語も上位に 流行っていたモノ・コト1位は「壁ドン」
https://www.cyberagent.co.jp/news/press/detail/id=9551&season=2014&category=ameba
さて、2010年から2014年の間に何があったかと言えば、2010年ごろから尖閣諸島の問題が表面化し、更にGDPでは日中の順位が逆転、対中関係は政治的にも国民感情的にも急激な悪化の一途を辿った。2011年には東日本大震災とそれに伴う原発事故が起こり、それ以来日本社会に大きな影を落とした。2011年から2012年に掛けては円高が続き、日本経済は大きな不況に陥った。そもそもバブル崩壊以後の日本経済は停滞を続け、災害リスク、政治不信など、社会情勢はとても良好とは言えなかった。要するに、日本は英国病と何ら変わらない状況に陥っていた。(もしくは今も陥っている。)
当たり前だが、人間はそういう状況で不満を溜め込むものである。淫夢はそういった不満の捌け口となる「パンク的」なコンテンツとして、この頃から急激に勢力を伸ばしていった。淫夢というコンテンツが「人を遠ざける」事を絶対の掟とするのは、この攻撃的な性質と表裏一体である。そして、今度は「攻撃する事」そのものが淫夢の価値として利用されるようになった。
ニコニコ動画に於ける淫夢というコンテンツの裏にはニコニコ動画の運営に対する反骨精神が常に見え隠れしている。例えば「ニコニコ本社爆破シリーズ」や「ニコファーレ」を淫夢動画で占領するなどといった行為にそれは顕著である。ニコニコ動画では卑猥な動画は削除されるようになっている。淫夢を題材にした動画もそういった理由で削除される事が多く、「ホモコースト」と呼称されている。ここでのニコニコ動画の運営はある意味既得権益層として扱われている。そして、淫夢というコンテンツに集った人間を抑制する「大人」として常に反骨の対象となっている。この構造はロンドンパンクでも同じだった。有名なセックスピストルズも契約を中途破棄した大手レコードレーベルのEMIに対して中傷を加えるような楽曲『EMI』を制作し発売している。
かつては純粋に同性愛者に対する侮蔑の意味から成り立っていたコンテンツも、近年では方向性が変わり、日本社会全体に対する皮肉や激しい中傷が込められたものとなっている。
ロンドンパンクは一瞬にして終焉を迎えた事で知られている。例えばセックスピストルズはアメリカツアー中に解散し、それからロンドンのパンクブームは急激に終息へと向かった。結局はバンドメンバーの喧嘩別れなのだが、一般的には「セックスピストルズが時代に果たした役割は終わっていたから」と解説される事が多い。これは何を示すのか。
淫夢に目を移してみよう。2010年頃、ニコニコ動画で淫夢が流行りだしたとき、流入してきたのは所謂「はぐれ者」のような人間だった。彼らは「人に理解されない」という事を自覚している。そこでそれを逆手に取って、「絶対に理解されないコンテンツ」で活動する事にしたのだ。淫夢が隆盛すると、淫夢という荒削りだったコンテンツにも多くの優秀なクリエイターが参入してきた。彼らもまた社会のはぐれ者だったが、その技術力によって淫夢というコンテンツはニコニコ動画の中で確実に育っていった。そしてすぐにも一般的な人間にも受け入れられるコンテンツへと淫夢は成長した。
近年のアニメ文化にも同じ現象が見られる。元々深夜帯のアニメは「はぐれ者」の為のコンテンツだった。しかし、深夜アニメのコンテンツとしての成長とともに、十分一般大衆に受け入れられるようになってきた。しかし一方でそれは“古参”のオタクと新たにアニメを視聴し始めた人間の間に溝を生む事になった。近頃では、社会的に弱者というよりは立場の強い者でもアニメを見るようになったので、そういった人間の行動がオタクの内輪で問題になる事も多くなってきた。(ラブライブに関する騒動など。)
淫夢でもこれと同じ事が、より急激なスピードで起こった。淫夢は大衆化が進み過ぎて、比較的容易に理解されるコンテンツとなってしまった。動画のコメントにも「掟」を破るようなものが出てくる。また、淫夢動画自体も攻撃する側からされる側へと変化していった。そうなると、過激な作品を作る意味もなくなっていく。淫夢に関連する動画を作っていたユーザーは更に先鋭化した動画へと転向するか、もしくは全く違うコンテンツに乗り換える事を余儀なくされた。もちろん、動画を作る人間が残されたユーザーに居なかった訳ではないが、理解しがたい価値感から生まれる笑いを作り上げる事は難しくなった。現在の淫夢では、無意味な誹謗中傷を繰り返すタイプのコンテンツと、「現場監督」などの更に理解しがたいコンテンツへと興味が進展している。一方でコアな視聴者層の流出も止まらず、最盛期にはニコニコランキングのその他カテゴリ10位以内を常に占拠していたが、今では半分にも満たないことが多くなった。
セックスピストルズの解散理由であるところの「役割が終わった」とは、言い換えれば過激な事をしても面白くなくなったということである。自分自身がメインストリームに近づいてしまった事により、メインストリームに対する攻撃を加える事が最早できなくなった時点で、ロンドンパンクや現在の淫夢というコンテンツが終焉や衰退へと向かう事は規定路線であったということである。
攻撃的で人間を遠ざけるようなコンテンツは何も淫夢だけではない。2ちゃんねるの「なんでも実況板J」発のコンテンツには類似した攻撃性、特殊性を持ったコンテンツが多く存在している。一つは野球選手を題材としたカッスレなどの誹謗中傷を行うコンテンツである。もう一つは聞いた人も多いと思うが唐澤貴洋弁護士に対する一連の誹謗中傷である。どちらも淫夢より更に先鋭的であり、社会に与える影響もコンテンツの規模に比して大きい。後者は特に爆破予告やGoogleMapの書き換え騒動などで、社会に対して影響を与え始めている。
そしていずれも淫夢のコンテンツに集っていた人間とユーザー層が被っているという事が重要である。そして、これから淫夢と同様に勃興していく可能性を秘めている。それはつまり、淫夢というコンテンツはもしかするとこれから起こる日本社会全体に対する反抗的なムーブメントの始まりに過ぎないかもしれないということだ。淫夢というコンテンツは「因縁を付けて他のコンテンツを占領する」という重要な特性を発現し、それが日本のアングラなインターネット文化に与えた影響は大きい。
パンクロックが「タブーを無視した過激な表現」という点で後の様々なコンテンツに影響を与えたように、もはや淫夢というコンテンツが日本の文化に与える影響は無視できないものとなっている。冒頭の記事で「ニコニコ動画を滅亡させるもの」として記述されていた淫夢は、果ては日本を一種の意味で「壊す」コンテンツとしての役割を担う可能性がある。淫夢はニコニコ動画であり、日本でもあるのだ。つまるところ、今起きている淫夢というコンテンツの拡散はこのコンテンツに特有の事象ではなく、もっと巨大な社会的情勢の要請から来るものであるという事だ。
では、我々は次に何をすべきか。社会を食い潰しながら、次々と勃興しては衰退する攻撃的なコンテンツを前に、それをどうするべきか。淫夢の風評被害を広める人間が悪い訳ではない。唐澤貴洋に殺害予告をする人間が悪い訳でもない。そしてパンクロックを演奏した人間が悪い訳でもなかった。彼らに対して批判を加える前に、彼らに対して何ができるのかを考えてみてほしい。
小学校から今まで、やさしい能力者達に取り囲まれていた僕は彼らの超能力を意識することはなかったのだが、ふとしたきっかけから自分が無能力者であることに気づいてしまう。
彼らの超能力は以下のような特徴を持っている
ゲーム実況なんてゲームを実況しているだけであってそこに絡む法的問題性とか収益性とかは大したことじゃねーんだよ。
認められようが認められまいがやってることはそんなに変わってないじゃねーか。
オリコンがクソだから音楽が終わった、みたいな話してるだけじゃねーか。
MADの方がよっぽどアングラでしかなりえないような文化だよ。
個人的にその辺ってのは意外とそんなに高い壁じゃないと思うんだよね。
アニメ系とか音楽とかは二次利用が認められつつある傾向があるし。TPPでどうなるかは知らんけど。
いちばんの問題は、たぶん倫理的な問題。モラルとか、人権とか。
「MAD」っていうのは簡単にいえば、映像や音楽を編集してつなぎ合わせた動画のことだ。
一口にMADといってもいろいろあって、映像を音楽に合わせて繋ぎ合わせて気持ちのいい動画を作ってる人たちもいるし、音声を編集して中毒性のある音楽を作ってる人たちもいるし、コラージュを駆使してネタ動画を作ってる人たちもいる。
そんなMAD文化のなかで一大勢力を築いている界隈ってのがあって、ニコニコのカテゴリでいうと「例のアレ」に分類される界隈である。
こいつらが非常に厄介。超絶に迷惑でありつつもなぜかクリエイティブ。
「例のアレ」系とは、つまりは「真夏の夜の淫夢」だったり「エア本(創価)」だったり、「レスリングシリーズ」だったり。(最近は「某弁護士関連」もだったり)
共通しているのが、元ネタとなっているものを茶化しているという点。つまり、明らかに個人の名誉を傷つけている文化であるということ。(レスリングは公認されてるのもあるけど……)
今風に言えば「ヘイト」と呼ばれる類のもので、不快極まりない文化であると言える。
だから「こんな文化すぐに消え去ってしまえ」という意見が非常によくわかる。同意する。
しかし、同時にこの界隈が創り上げてきたものってのは妙に独創性があって、このまま黙殺してしまうのももったいないなあ、と思うくらいなのである。
この界隈から派生してきたものってのはネットに意外と多くあって、良し悪しとかではなく、「検証され得るべきモノ」だと思うわけである。
「アオイホノオ」でちょっと話題になったことがあったが、後のガイナックスのメンバーが作ってた映像も「MAD」的なモノだった。
本物のウルトラマンの音を録音して自分たちの映像に合わせる。まさしくMAD動画だ。
さらに「DAICON」も超絶技巧の手描きMADといってよいだろう。
というかMADの源流「MADテープ」の起源もどうやらこの辺にあるらしい(http://ch.nicovideo.jp/nyutoi/blomaga/ar574424に詳しい)
プロがやったらアウトなものだが、アマチュア・アングラでやってるからこそ出来たもの。そしてそれが後年になって評価されている。
程度の差こそあれ、(天と地ほどあると思うが……)「例のアレ」系のMAD文化ってのも何かしら検証され得る価値があるものだと思うのだ。
さらにいえば、ニコニコ以前の時代、FLASH動画ブームも文化的価値があるのではと思っている。(というか既に文化庁主催「日本のメディア芸術100選」に「ゴノレゴシリーズ」が選ばれている。)
このFLASHにおいて人気を集めたのも、特定の人・モノを茶化しているものが多い。(ムネオハウス、代ゼミ、田代、騒音おばさん、……)
公には認めにくいものだが、十分すぎるほどの創造性があったといってもいいだろう。
どうもネット上で創作をする人たちはこういうヘンなものを好んで使いたがるようだ。
だがしかし、この辺の文化ってのは本当に害悪であるというのは認めなくてはならない。
淫夢厨とか、恒心教とか、明らかに倫理的に(というか法的にも)アウトなものである。
それなのに、特に淫夢系の文化なんかは日々拡散され続け、ネットの一大勢力になってしまった。
ものすごいヘンな状態である。ヤバい状態である。それはネットを見てる人なら少なからず感じているだろうと思う。
この辺のネタを嫌う者は、明らかにアウトなのでスルーする。好む者は、ただ面白がっているだけなので無邪気にネタを拡散していく。
昨日のメイウェザー・パッキャオ戦もそうだったが、何故か素人は「攻撃的」な試合を異常に評価する。
パンチを避ければ「逃げ」、KO決着でなければ「凡戦」。
彼らに言わせれば「パッキャオは手数が多く攻撃的だったから勝ちだ」ということで、
超絶技巧で相手の攻撃をかわしカウンターを決めるよりも、突進して空振るほうが勝利に値するらしい。
パンチを当てなくてもいいなんて、シャドーボクシングでも見たいのだろうか?
ちなみにスタッツを見ると手数でもメイウェザーの方がパッキャオを上回っていたという。
サッカー界においては、試合に負けるたびに「相手はアンチフットボールをした」と言い訳する、シャビさんという選手が有名だ。
彼が所属するFCバルセロナは、「攻撃的」で、かつ勝ち続けるスタイルを確立した。
「バルセロナの戦術こそが真のフットボールであり、守備的な戦術はアンチフットボールである」と高らかに宣言した。
しかしそれによって現れたのは、バルセロナが延々と一方的に攻撃を続けるだけの、実に退屈な試合だった。
だが果たしてそれはすべてのサッカーファンが望むものだっただろうか?
野球で言うなら、ホームランが飛び交う乱打戦と、息が詰まるような投手戦と、どちらが良いかということになるだろうか。
まぁ、好きなチームがホームラン連発で圧勝するのはそれはそれで気持ちの良いものだ。
だが客観的に見たときに、野球の試合として面白いのは、断然、投手戦のほうだろう。
そもそも、大量点を取り合うような試合は、「名試合」ではなく「馬鹿試合」と言われるものである。
http://anond.hatelabo.jp/20140421200127
ブクマあたりでははてな村ネタとして消費されてるようだけど、似たようなこと時々考えてるのでマジレス。
とはいっても、俺は小説書いてるわけではなくて趣味で楽器弾いてる立場だから少し前提条件が違うかもしれない。それはあらかじめ承知してもらった上で読んで欲しい。
で、結論からいうと、あなたが斬新な発想が失われたと思っているのは別に「はてな」に出入りしているのが原因ではないと思う。単にあなたが大人になったからだよ。
ゲスパーを承知で言うと、あなたの若い頃の作品が「セミプロに近い実力」であったとしても、そこからプロのレベルに至るまでには見た目よりずっと大きな断崖があったはずで、あなたは現在その断崖にはまるべくしてはまっているだけだと思う。
例として、クラシック界では題名のようなことが言われる。全く当たっていない訳ではない。上手な子供はレッスンの課題で小学校高学年ぐらいでモーツァルトなんかを次々与えられて、なかなか魅力的な演奏をしたりする。一方で、超絶技巧の難曲を弾きこなす音大生に、古典的で簡素なモーツァルトを弾かせてみると機械的で散々な演奏になることもまたよくある。そうでなくても音大生の演奏って力任せで面白くないことが多い。結果、このあたりの曲には音大を卒業してからも苦手意識を持ちっぱなしという人が意外と多くて、巷のピアノ教師なんかじゃ、40代とか50代になってはじめてモーツァルトのような古典的作品のすばらしさがわかった、なんてことを言っている人が意外なほど少なくない。だいたい、中高生あたりの間にプロになるための修行に着手したあたりで、この辺の作品は練習課題にしか見えなくなってしまったりするらしいんだね。
ただ、聴き手の立場で言うとこれは理解に苦しむ現象ではあるんだ。モーツァルトって純粋で単純素朴みたいに言われるけど、聴いていて触発されるのは、憂愁とか諦念とか憤慨とか、なかなかどうして複雑な「大人の感情」も多分に含まれている。子供がこの辺の感情を消化して表現できることなんて到底できない以上、子供がどれだけ上手に演奏したって限界があるんだよ。
じゃあ子供がどうして音大生よりもマシな演奏をすることがあるかというと、逆説的だが子供は「何も考えていない」からだ。ちょうどあなたが超自然的なものについて突き詰めて考えずに感性で処理していたのと同じようなもの。そうすると、わからない部分は「適当」に弾くことになる。しかしモーツァルトの作品は音楽的に無理がなく自然に作られているから、「適当」でも一応それなりに形になってしまったりはするし、それを聴く大人は「深み」を勝手に読み取ってしまって、子供の演奏を褒めてしまったりするわけだ。実はその演奏にあらわれた「深み」は全部作曲者のおかげなのにね。
ところが音大生は違う。歳を食ってしまえば、怖いもの知らずでもはや「適当」になんか弾けやしない。一見なんてことなさそうな作品なのに、あれこれ試しても本質に触れた気がしない。だからこそ迷う。悩む。その結果何もわからなくなり、技術と理屈だけで無理押ししたような演奏になってしまう。そして聴き手からは「子供の方が上手だ」と酷評されることになるわけだ。
でも、これって退歩なんだろうか?違うよね。子供時代の、曲に乗っかっただけの「適当」な演奏が、自ら曲のよさを引き出す成熟した演奏に進化するまでの過程には、「曲に振り回される散々な演奏」という段階をどうしても通らなければいけないということでしかない(もちろん、その辺をあっさりクリアしてしまう人もいるのだけれど、そういう人は並以上の才能に恵まれていた一般化できない存在であることは明らかだから今はおいておく)。
あなたの今の状態って、そういうことじゃないの?「作品」という表面では長いスランプかもしれないけれど、あなた自身は過去より確実にものを理解できるようになった(「はてな村」がそういう訓練の場として適切か、についても言いたいことは大いにあるがこれも今はおいておく)。この状態で元の場所に引き返そうったって、戻った先に進歩があると思う?戻った先は「退行」じゃないの?
そうじゃなくて、あなたが今やるべきことは、強化されたあなたの頭で、あなたの過去の作品のよさと限界を冷静に分析することじゃないの?そして分析した結果、摩耗した感覚があったらそれを再度取り戻し、同時に過去の作品の限界を超える方法も模索していく。そういう格闘の先にしか、あなたの進歩はないように思えるんだけれど、どうだろうか。
と、全部あなたの話をネタにして自分語りしてみた。的外れだったら「ゲスパー乙」で片付けてもらって構わない。しかし、現在の気づきから再度ナイーヴさに逃避してしまうのではあなた自身の進歩を殺してしまうのではないかと心配になったんだ。
役に立とうが立つまいが、何かを考えるきっかけになってくれれば幸い。
医学部の中でのセンター試験ともいえる、「CBT」というテストがある。
で、この試験、どういう位置づけかというと、大学によって違うが、ほぼセンター試験と考えていい。大学の学期末試験などが二次試験である。
では、このCBTどのくらい勉強するのか?
『CBT対策』http://www.gaksyu.com/cbt/
を引用すると、
『クエスチョンバンクは3,300問あるため、一日400~1,000問程度進めれば1ヶ月で2周することができる。その際は、前日の復習をしながら新たな範囲をこなしていくサイクルが効率が良いと思う。1,000問進めるのはかなりきついと思うが、前日の復習500問+新たな範囲500問ならばできないこともない。それでも10時間以上かかってしまうため、連日続けることはお勧めできない。』
信じられるだろうか? 3300問を2周する、1日10時間以上。
そして、これに加えて学期末試験もあるわけだ。
医学部の勉強量に疑問を持つ人は、自分で少しこのクエスチョンバンクをやってみてほしい、異常な量だとわかるから。
(本当のこと言うと、ある程度基礎知識ある+暗記慣れ+暗記をずっと続ける基礎体力+自分の性格にあった学習方法を身に着けている といった様々な要因で医学生はこなせるようになっているということがあるので普通の人が普通に勉強するのとでは効率に圧倒的な差がある)
まじめにやれる奴なら普通にできるだろうけど、まじめにできない奴にはかなり地獄である。6年+卒後数年、地獄をみることになる。(ソースは俺)
止まったら死ぬというような感じ。決して無理ではないが、マラソンを毎日毎日ひたすら続けるきつさがある。
最初のころ、自分は知能指数が高いから大丈夫だろうと思ってまったく勉強しなかった。がしかし、知能指数なんて関係ないのだ。無味乾燥な修行をやりこなすやりこなせないというのはそういうのを超えたレベルの話で、「メンタル管理」「学習計画をこなす体力」「体調管理」「優先順位を考えて行動する」といったどっちかというとビジネススキル的なものの総合力だった。自分ひとりでは勉強できないので友達と一緒にやることで危険を回避する(情弱はマジで死ねる)。頭を使うより時間を使うことが重要なので集中力は捨ててニコニコでも見ながらやる。とか。
そして、周りは本当にできる奴らばかりだ。センターで9割とれといわれたら学年の95%が取れるだろうくらい勉強してくる知的集団である。才能を圧倒的に凌駕する勉強量というのをこの眼で見て驚愕した。漫画ではよく聞く話だが、いざ自分の目の前で何度も何度もそれを見せられると本当にビックリする、ネタじゃなかったのかと。灘、開成、あたりの高校に居たのだが、彼らでもこれほど勉強などしていなかった。
※追記
医者としての自覚が~~とか、そういうもんだろ。と偉そうなことを言う人は、クエスチョンバンクを買って、やりとうしてみてくれw多分無理です。すぐに意味は分かると思いますw
ちなみに、普通の医者って、いわゆる専門書とか言われる厚い本を普通に読んで普通に理解するってのを、何十冊もずーっとやる。ってのをやってます。そのレベルですから、CBTは本当にセンターレベルって話です。
「医学知識は数年で数割のレベルで変わっていく、追いつくのは絶対無理。50代の医者<<<30代の医者 という最新知識、技術の差は覆らない。だから、衰えてしまうのをゆっくりにするには学び続けるしかない。そして学ぶ力は?試験勉強で身に着けるしかない」
ということです。
頭の良さや超絶技巧が必要なものって、いらないんですよ、医学には。そういうのって使える人が少ないしその人が救える患者少ないし。そういうのを凌駕するくらいガンガン医学は整備されてます。残ったのはひたすら努力で身に付く知識や技術ばかりです。
ある種の職業訓練です。医学部は暗記中心だからとか、他学部のほうがクリエイティブとかそういう話ではなく、単純に医学技術の最重要項目として医学には『勉強する技術が必要』って話です。
そして、勉強できるかどうか?ってのは、根性や自覚とかでは決まらない、人智を超えている話です。「まったくマラソンしたことない人が100キロマラソンできますか?」というのに答えなど出せないようなものです。それをいかに続けられるように工夫できるか?ってのがつまり勉強をし続ける技術です。
自分は、『ブラックジャックによろしく』で号泣するタイプではあるんですが、ああいうのは違うと思います。あの作品では「淡々と患者を治療する」ってのが情熱が無いとか言われてますけど、え?淡々と治療するってのには、淡々と技術や知識を身に着け続けて最良の医療を目指すってのも含まれているわけです。むしろあの漫画、研修医の主人公は「勉強しろよ」って思いますわ。唯一認められるのは腸閉塞の手術トレーニングしてたのくらいか。
情熱どうこうでなく、患者のために100キロマラソンし続ける的な。そういう無味乾燥な修行僧的なのが本物じゃねーかなってのは思う。もちろん患者さんに心から尽くすのはやんなきゃいけないんだけどさ。勉強おろそかにして患者中心もなにもねえじゃん。ニーズを理解するのは大切だけど。
自分の思想とか感情とかまともな感覚なんて荒廃するくらい学習し続ける、果てしなく無味乾燥に理性だけで動き続けるっていう、そういうのをないがしろにするようなあの漫画の主人公の気持ちとかって違うなって思いますわ。
「先生はウンコ食べろっていわれたら食べるんですか?」って主人公聞きますけど、「当たり前だろ、食うよ、自分の感情とか感覚とか思考とかどうでもいいよ、それが最良の医療につながるなら何も考えず食うよ」レベルで学習するって当たり前なんですよ。そこに情熱とか関係ないかと。
こんなとこでクダ巻いても意味ないんだけど、煽られちゃった。
言いたいことわかるけど、エロ編はバカにしちゃーいけないよ。
借りポジ本ばーーーーーっかで、しかも、自分に自信がないから既刊本の成功例を寄せ集めた無難な丸め方しかできないくせに、さも企画編集した満足感で満たされてるっつー出版点数ノルマ達成したいだけだからと開き直りの境地にも到達できない、中身が全然ないパクり丸出しで恥の概念が瓦解している実質編集ワナビー系スカスカ脳ミソのエロ編が携わったなんとも後味が悪い工夫ゼロのエロ本が世の中に氾濫してたりで、エロ編全体が(社会的地位という意味じゃなくて)職能や仕事の詰め方で訝しがられても仕方がないっちゃーそーなんだけど、実際はね、でも、詰めてきっちりやってる人も割合いるんすよ。別にエロ本自由区みたいに派手でキャッチーでクリエーティブでサブカルチャー!みたいなものも今でもあるぜってのだけじゃなく、オーソドックスな編み方で地味でパッと見ありふれてるけど、予算と時間のがんじがらめのリミットの中で考え抜いていて、ドグサレ必滅エロ本と同時に読み比べると全然没入感違うわ、没入難易度超低いわなんて感慨をきっと抱いてもらえる、林立した性的指向の個別性プロブレムをかいくぐりながら最大多数をセックスファンタジーの奥地へ障害なくスムーズにアテンドするように設計されている無味を追い込んだ超絶技巧なやつもひっくるめて、やっぱ初期衝動を保ち続ける困難な自己管理に基づいたプロの編集力ちうのは、あたりまえだけど、低減傾向ながらも、エロ本の世界にもあるわけでして。そういうのが受け手にきっちり届いていないのは、編集のプロたちも時代の流れで産廃化してたり、編集やPRやエロ出版全体の読者教育(いいエロ本を見抜く目を養う)の努力と実力不足もあったりなんでしょうけどね。うん。
ホント言いたいことはわかるし、とにかくダメな方のエロ編出身のニュースサイター編集を沢山見てきたんだろうけど、エロ編ってひとくくりにしないでほしいのー。どうせひとくくりにするなら元旅行系ムック編集とかの方がいいんじゃないの? …と言ってみました!
これか。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/90_14976.html
今読むと芥川ってわりとあっさりしてるのな。超絶技巧派のように思っていたけど。
16,7で弟子入りして60年くらい経つと、年季のいった職人になる。ようするに一生をそれにささげたってこと。趣味なんて生臭いことに手を出さず、自分の仕事だけこつこつやっていると、妙に仏教的な、垢がこすれ落ちたような人間と作品ができあがる。
プロとはちょっと違う。職人の場合、あまり生活の話が出てこない。いや、生活の話は出てくるんだが。年収が低くて困ったとか、需要が無くなって困ったなんてものの埒外にあってほしいとみんなが願うのが職人。そういう意味で、きちんと年収を稼いで一定のレベルの仕事をし続けることをしているプロは、職人とは少し違う。職人は一定レベルではなく常に最上を目指す。
アマチュアはどちらも目指すこともできる。ただし、学生時代アマチュアで職人的な道を目指したとしても、卒業すると生きていくということに直面する。そうすると、もう職人的な超絶技芸、世界的名作なんてものからは目を背けないといけない。趣味なんだから。普通は仕事ほど時間を割くことができない。プロは一定時間内に一定のレベルの出力を常に出し続けることができる。趣味としてのアマチュアは限られたプライベートの中でこつこつと楽しむことしかできない。
まれに、食うに困らないアマチュアがいて、その中から職人的なものを目指すやつが出てくる。中世ヨーロッパの「学者」たちの中には、パトロン付きのアマチュアがたくさんいた。たいした出力は要求されず、お給金はしっかり払われる。その中で、自分だけの坂道を一歩一歩登ってった連中。
食うに困らず、時間がたくさんある、という状況にもいろいろあるのだろうけど。
http://anond.hatelabo.jp/20070812010202
“あの”宇多田ヒカルがブログで政治的なコメントしても、世の中には「これっぽっち」も影響が無かったってのに?
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1015126.html
ただ、最近だとそれに近い事はあった。例のForza Motorsport2で、「○や△などの簡単なパーツだけが使えるペイントシステム」を駆使しまくる事で、日本人ユーザーが超絶技巧によって多数の「痛車」を作り上げ、それを見た世界のユーザーを驚愕させた事例が有名。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/990118.html
音楽なら、歌詞がいらないテクノ音楽などで世界に打って出る、という方法はある。ただいかんせん、音楽というのは「歌詞込み」で盛り上がる要素があるため、英語が苦手な大多数の日本人にとっては、あまり適した手法ではないかもしれない。
最近ならYoutubeなどの動画コミュニティで、違法となる『既存映像作品のアップロード』以外の方法で、何らかのショートコントやダンス・あるいはコマ撮りアニメなどを流すという方法もある。この場合、必ずしも「言葉」は含まれなければならない要素では無い、というのがポイント。
問題は、当の日本に住み暮らしている我々自身が、日本という国が世界では実はいろいろな意味で異端であるという事実を、肌で実感している人があまりに少ない、という点だろう。
「現在の世界の中で、日本にしか存在し得ない慣習や行動原理」というのは、少し見渡すだけでも、身近なところに幾らでも転がっている。だがそれを、我々が「差」として認識している例は、あまりに少ない。
そういった例をネットで公表・あるいは提唱するだけでも、世界にある程度のインパクトを与える事ができるような気が、自分にはする。
クソな理由がいまいち頭に入らない。
「そもそもがクソだという認識」ありき、みたいな話に見える。
じゃあこれでも見てよ。雑誌「Pen」の中吊りだよ。最近キレイな仕事だと思ったんでお題にしよう(何時まで表示できるかわからないけど)。
特集は「宇宙へ」良く分からないけどかつての米ソ宇宙開発競争ネタらしい。
http://pen.hankyu-com.co.jp/cm/index.html
アオリで空を背景にソ連時代のロケットのモニュメントがシルエットでそびえ立っている。空を仰ぎ見ることで夢の広がる期待感と同時に逆光が過ぎ去った時代のノスタルジーを漂わせたとても力強い写真だ。
この強力な写真のシルエットを矢印に見立てて「宇宙へ」というシンプルなメインコピーがハマっている。これ以上ないというコンビネーション。
さらに矢印のシルエットに下部の黒帯が繋がっていて歴代の宇宙船が並んでいる。矢印に示されるように「宇宙へ」行ったロケットたちというわけだ。
メッセージも分かりやすいし男の子なら盛り上がらずにはいられない期待感を持たせてくれるデザインだ。とてもかっこいい。
そりゃそうだろう。じゃあこれを構造化してデザインを差し替えるとどうなるだろう。「デザインを分離」したんだからデザインは何とでも差し替えられるんだよね?それって意味あると思う?ああ、新聞の下段によくある文字だけの雑誌広告になっちゃった。あの高揚感はノイズかなにかだったの?
これは特例だからJPEG1枚とか数枚にすればいい?
もう何も書けない。自分がつまらない人間だということをまざまざと思い知らされた。巷で人気のある文章の向こう側に作者を幻視してみると、どいつもこいつも玄人ばかりでまったくいやになる。玄人の超絶技巧と誇大妄想の片鱗をロハで味わえるなんて素晴らしい時代になったものだ。彼らが繰り出す絶妙に神懸かったパンチラの如き言説に、みな一様にいきり立ちボッコスボッコスとブクマするのには思わず恍惚。
そんな現実を直視させられた自分が何をするのかといえば、
「所詮玄人の文章なんて金をだしゃあ買えるんだよ。コンシューマに移植されたエロゲみたいなものに悶悶としながらおそるおそる有り難がって反駁するなんてぇのは馬鹿げてる。自分だったらはなっからそんなものは読まずに堂堂と金を出し、まるで客のようなツラしてさんざッぱら楽しんだ挙句扱き下ろして辱めてやらぁ」などと息巻いて、さらに言うのだ。「より重要なのは素人の呻き呟きだ。こればっかりはいくら金を払っても見られやしない、本来ならば。こっちのほうがずっと価値があるのさ。つくりものじゃない、正真正銘のパンチラたぁこのことだ。神々しいねぇ。しかも黒い、眼福」
しかし、そんなことを豪語したわりに耳目を驚かす素人の文章を見つけると何とも複雑な乙女心をはたらかせてしまう。怨念と憎悪と私的な幸福がわずかに滲んだ詩的な感情に眩暈がする。実に素人くさい、改行のない、言葉の意味の取り違えが多い、ただ刺刺しいだけの野暮ったい文章。熱の籠った暑苦しい文章。ちっともスマートじゃない。ありふれた状況と、ありがちな感情しかのっていない文章。誰にでも書けそうで、だけど誰にも書けない。自分にはとても書けない。
だしぬけに嫌気が差して、あれは玄人の成りすましだということにしてしまう。如何にもじゃないかと自分を納得させようとする。そして、あの泥臭さ、懸命さ、熱量はつくりものなのだ、自分にも学習できるのだと矮小化してしまう。あるいは、あれは天稟に恵まれた人間の作品で、自分には真似できないと卑下し、相手を神格化するのだった。
それで惨めな気分にとらわれて、さようなら。