はてなキーワード: ケラーマンとは
しかもその理由が「主人公(読者主観)が嫌な奴と決め付けただけでほんとは嫌な人なんかいないんだよ」みたいな
主人公に嫌なことをしてくるキャラに本当に嫌な気分を持ったわけでしょ。
なのにそれを
「相手を決めつけて人を憎む心が良くないんだよ」
みたいな作者からのやっすいやっすい説教でまとめられると本気で憎悪が巻き起こるんですけど!
こっちはあんたの作った無理のある話にも敢えて冷めずに乗って、
あんたのフィクションに没入するために自分とは全然違う主人公の境遇に身を重ねたんだよ。
それをなんで作者のあんたに上から目線で説教されなきゃならんわけ???
ごっこ遊びを自分から持ち掛けておいて付き合った相手に「何真面目にやってるの?」って言うのとどう違うの?
それで、嫌なキャラの行動に繊細な伏線が張り巡らされてあって、
種明かしをしたら確かにどこにも悪意は無かったーみたいな
読者がアハ体験出来る仕組みになってるとかなら楽しいからまあいいよ。
でもそういうんではない。
確かに凄い悪意を持って実害与えてるし。
もしくは、綺麗になる過程が「改心」として扱われて
嫌なキャラの嫌な行動の理由とそこから考えを変える切欠になった事件や反省や辛酸が丹念に描かれるならまあいいよ。
ちょっと古いけど、悪役セキュリティサービスで登場して正義を目指す政治家で終わったプリズンブレイクのケラーマンみたいにね。
そういうのどっちもなくて、
「え?なにこれ?」って混乱する読者に対して
「人を決めつけて憎む心が良くないんですよ?ん?」って説教してくる作品はマジで氏ねと思う。
そっちの用意した主人公に心を重ねて鑑賞してたのにそこを非難てどういうこと。
もう当たり屋じゃんただの。
http://anond.hatelabo.jp/20140421200127