はてなキーワード: 七夕とは
その能力者「手が届く者」とは、空中にシャボン玉のような球体を作り出し、その球体をぶつけられたモノは球体と同じサイズだけ消失する
つまり人間の頭に野球ボールサイズの球を投げつければ、野球ボールサイズの穴が空いて死ぬ
丸神町の者はこの能力を駆使して乱世では9人の能力者だけで数万の敵勢を返り討ちにした
現代では能力者は片手で数えられるほどしかおらず、非公開の神事で並べた石をバチンバチンと消すぐらいにしか能力を使っていない
能力を使うほどに能力者の容貌は変形して「鳥のような羽毛を持つエイリアン」みたいな顔になり、手指は1本追加で生えて6本になる
作中の推測では、まさに「エイリアン」がかつて丸神町に降り立って植民地か実験地にしようとして町民に能力を与えたと推測される
またエイリアンは能力だけでなく、町民を「窓を開いた者」にした
「窓を開いた者」は夜毎に「怖い夢」を見る
それは宇宙の果てか地の底のような場所で永劫の孤独を強いられ、苦しんでいると「エイリアン」のような存在だけが手を差し伸べてくれるというもの
町民はその夢によって、エイリアンを切望し隷属しなければいけないという衝動に駆られる
球はモノを消す際に強い光を放つ。山頂で石をバチンバチンする神事は派手な光を出すことで「エイリアンよ、私達はここにいるのでまた来て下さい」というメッセージが込められている
でもエイリアンは何故かもう何百年も現れず、町の人々にはただ超能力と怖い夢だけが残されている
丸神町では能力がなく夢も見ない普通の人間が最も多く、次に夢だけ見る者がけっこうな数いて、能力者はごくわずか
頼之さんは夢を見るし能力もある稀有な存在で、球のサイズも建物一つ飲み込めるほど大きくできる歴代最強の能力者
「10代の頃から神事を行う若き神官」と称されているので、多分まだ20代だろう
頼之さんは能力を使いすぎて容姿はもう人間離れして、見た目では年齢不詳
「エイリアンとのつながりを保たなければいけない」という怖い夢による強迫観念のもとで、頼之さんは神事の山を切り崩す開発工事を提案したヨソモノを能力で殺害してしまう
怖い夢に支配されている一方で、頼之さんは「何百年も前に我々を見捨てたエイリアンに縛られ続けるのはおかしい」「あんな山なんかぶっ壊して解放されるべきでは?」とも考えるようになった
町には「山里を守るためだけに能力を使え、外部に能力を知られるな、外部のために能力を使うな」という掟がある
頼之さんは、その掟を破って能力を外で派手に使いまくれば、掟を押し付けたであろうエイリアンが出てきて対峙できるのではと思い、町を飛び出して反社とつるんで船舶、飛行機、巨大ビル、著名な政治家らを次々と球で消去する
それでもエイリアンは現れない
頼之さんには幸子という同郷の幼馴染がいる
幸子は怖い夢は見るが能力はない
彼女は兄が能力者で、幼い兄は能力を遊び半分に使って小さな球を幸子の体に投げつけて背中にはえぐられた傷跡が大量にある
頼之さんはエイリアンのような容姿を隠すため常に覆面の怪しい人間として登場するが、幸子のことを「さっちゃん」と呼んで気さくに接する
怖い夢に縛られ兄からの虐待の過去にも苦しむ幸子は常に陰気なのだが、頼之さんは幸子の頬にそっと手で触れて「俺がいつか悪夢から解放する」と話す
そのために頼之さんが凶行を重ねていると知り、幸子はそっと涙を流す
幸子は怖い夢の中で手を差し伸べるエイリアンを見るうち、あれは本当は実在も定かではないエイリアンなどではなく、頼之さんじゃないのか、頼之さんがどん底の世界から救ってくれる人ではないかとうっすら考えている
この二人の関係は恋愛未満であるが、だいぶ恋愛に近いものだと思う
わけのわからない夢に縛られている、よそものにはわからない同郷者同世代同士で苦しみを分かち合う者
人間を球で消去しまくって大量殺人を重ねている頼之さんに呑気にラブコメする時間はなかったが、お互いに他の同郷者とは別格の思いを抱き合っている
ところがドラマ版では色々改変があり、まず頼之さんが幸子と同世代の若者ではない
頼之さんの俳優は40歳の山田孝之で、頼之さんはエイリアンみたいな姿なので特殊メイクしており役者の実年齢は関係ないと思いきや、
山田孝之は有名な俳優だ、せっかく起用するなら特殊メイクだけでなく顔を出させたいのは人情だろう
だが、数年前のシーンで幸子が子役を使う一方で頼之さんは40歳の山田孝之で、親子ぐらいに年の差が開いてる設定になった
頼之さんは幸子の母親と同世代で、幸子の母と恋仲だったがお家の事情で結婚できず、幸子母は他の男と結婚したという設定が生えた
幸子父は頼之さんとの関係に嫉妬して妻子を愛せず、幸子が兄から虐待を受けたのは、兄が父から虐待を受けておりそれが連鎖したという設定になった
原作と関係のない一つのドラマとして見ればシナリオにそんなに破綻はないし、球による人体破壊描写を容赦なくグロくしたりがんばってくれてはいるのだが、
頼之と幸子の関係が様変わりしたのはショックだった
山田孝之はずっと特殊メイクのまま20代の若者設定でいてほしかった
幸子の母と恋仲とかなんだよそれ
頼之さんは結局、暴れまわってもエイリアンが現れず、とうに人間たちは棄てられているのだろう、
なのに呪いのような怖い夢だけ残され、エイリアン降臨を待ちわびる神事をするのが馬鹿らしくなり、
最後には神事を行う山を巨大な球で破壊し自分もまたその球によって消えようとする
もしかしたらエイリアンはとっくに手を差し伸べてくれていたのではないか、球は「扉」であり、巨大な球に丸ごと体を飲み込ませればエイリアンのもとへ行けるのではないかという仮説を提唱し、
それが真実である根拠はなく、もしかしたら死ぬだけかもしれないのに巨大な球に触れようとする
幸子は自分も一緒に行きたい、自分にとって手を差し伸べてくれていたのは頼之さんであると述べて頼之さんに駆け寄ろうとする
結果的に死んでもいい、心中になってもいいというのが頼之さんと幸子の関係だ
これが幸子母に恋してた疑似親子みたいになるのはなー違うんだよなー
http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html
ただこの中にあった、
投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。
という一節が気になった(もちろん内田氏は「自分に似た人」に投票する行動を批判している)(この論とは別に、「勝馬を当てる」みたいな投票行動も最近は多いようですね)。
自分個人としてはそもそも「自分たちに利益をもたらす人を選ぶ」意識がなく、「損得は別として(何なら自分にとっては損でも)、こうあってほしいなぁ、という理想に少しでも近そうなものに投票する」イメージでやってきた。ちなみに個人的には選挙権を得てからほとんど毎回投票している(特定の支持政党はない)。
損得だけで言うなら、そもそも選挙なんか行かないでバイトでもしている方が個人レベルではよほど得だ。投票したところで「この」一票が世の中をガラリと変えるわけはなく、徐々に変わるにしてもはるか未来だろう。損得を享受する自分自身がもういないかもしれない。
SNS界隈でも「選挙に行こう」と促す(善良な)人々は多いし、そもそも政府自体が投票率を上げようと一応は努力している。その文脈の中で、一人ひとりの意識の大切さ、投票の重要性、「一票の重さ」みたいなことが言われることがあるが、本当のところ一票はそんなには重くない。
選挙制度の意義を否定する気はないし、一票がどうでもいいと言うつもりもないが、その重みは数十万分の一、数百万分の一といった程度、正直チリのようなもので、重い軽いかで言えば、ゼロではないが重いとまでは言えないと思う。
はっきり言って、権力にとっての選挙とは、「君たちの意見はもう聞きましたので、これ以上余計な政治行動はしないで下さいね」「政治参加は選挙にとどめてくださいね」というアリバイ工作的な面も大きいだろう。もしかすると選挙などボイコットする方がよほど政治的意義があるかもしれないし、実際にそういう運動も存在する。
それでも自分個人は割と選挙には行っている。なぜ行くのかと言えば、むしろ一票が「軽い」からだと思っている。
どう考えてもわたしの持っているこの一票に大した重みはないからこそ、損得を抜きにして理想のために投じられる。
自分の損得なんて、誰でも毎日それを中心にあくせくしているのだから、このクソどうでもいい一枚の紙くらい、夢のために投じてもよいではないか。七夕の短冊のようなものだ。
今日の自分よりは明日のため、もしかしてもう自分もいなくなった未来のために、この軽い一票くらい投げてやってもよいと思う。
内田氏の記事から話が始まったので、一応補足?しておくと、内田氏の言う「自分たちに利益をもたらす」の「自分たち」とは共同体全体をイメージしているように思うし、大局として「個人としての損得を度外視して」みたいな考えもあるのかもしれない。そこはわからない。
それでも「自分たち」は引っかかる。自分も自分の子どもも全部いなくなっても世の中は(多分)あるし、そういう世界を想像できないなら生きている甲斐がないというか、つまらないと思う。
自分や自分と関係ある人たちが全部いなくなった、決して見ることのない世界のために、この百年に満たないクソどうでもいい生を生きて年老いて病気になって死ぬだけのアホみたいな存在が、紙きれ一枚程度の夢を投じられるなら、なんとなく生きていて楽しい気がしてくる。
蛇足になるが、自分個人としては選挙なんかやめてアミダクジで選んでもよいんじゃないかくらいの気持ちはある。ただ「アミダクジにしましょう」を公約に掲げる候補は出てきそうにないし、自分で立候補する気もないので、七夕イベントをエンジョイするに留めている。
初めに書いておくと、まあまあ長い。
要約すると、「アリカ様が変なことで炎上しませんように。殿とアリカ様が生涯を終える時に少しでも"アリプロを組んで良かった"と思えますように」というどこの誰の何目線なんだという七夕の祈りだ。
去る7月7日、「ALI PROJECT TOUR 2024〜お見かけ通りの若輩者です。」東京公演に行ってきた。
セットリストや衣装や演出など、ライブの"内容"に関することについては来る7月15日の大阪公演が終わるまで箝口令が敷かれているためここでは言及しない。
あくまでも、ALI PROJECT(以下、アリプロ)についての話をする。アリプロについて、というよりはアリプロの作詞家兼ボーカルである宝野アリカ(以下、宝野女史)という人についての話なのかもしれない。
宝野女史は良くも悪くも「温室育ちのお嬢さんがそのまま大人になったようなひと」だと思う。自分の気持ちに素直で無邪気で、だからこそ他人の気持ちを慮らないように振る舞うところがある。…ように感じることがある。
時折、彼女の品性や人格を疑うことすらあるし、言動や思想については賛同することも許容することもできない部分がどうしてもある。何についてのことかはきっと察する人は察せられるだろう。
けれど、私は彼女が書く詞と彼女の歌声が好きで、彼女が「宝野アリカ」を演じ続けていることが好きだ。彼女が描くアリプロの世界観が好きだ。
宝野女史は「宝野アリカ」として生き続けて、「宝野アリカを慕うファン」に囲まれて、どんどん世界を閉じていってしまったのではないかと最近思うようになってしまった。
多分私は「宝野アリカ」個人ではなく、「アリプロの宝野アリカ」が好きなんだと思う。
私は普段は宝野女史のことを「アリカ様」と、下の名前に様付けで呼ぶ。彼女への敬意もあるが、いつからか最早このひとにこれ以上ふさわしい呼び方は無いと思うようになったので、こう呼んでいる。敬称というよりはからかい混じりの愛称として使っている。
6月にリリースされたオリジナルアルバム『若輩者』と先日のライブ、そしてファンクラブ会報等等のインタビューを呼んで、「ああ、アリプロはこのまま終わるんだろうな」と思ってしまったところがあった。
長年ファンを続けていた者として、新曲の「新しさ」や、これからもやっていこうという本人たちの気概は感じる。
けれど、「令和」の価値観にアップデートして「令和の最新になる」という姿勢には無いのではないか、と思った。アリプロは「アリプロの最新だけ」をきっと更新し続けて終わるんだろうなと思ってしまった。
「わかる人に伝われば良い」というのは、作り手のエゴだと思う。ニッチ市場だけを向いた商売の行先はきっと衰滅だ。
宝野女史はいつかのライブのMCで、「アリプロの歌は教室の片隅で一人本を読んでいるような子に届けたい」というようなことを言っていた。
その言葉に、私は本当に救われた。人気のアイドルの話ばかりをする同級生の中で(おそらく)ただ一人アリプロを聴いていた十代の頃の私と、いつの間にか大学も卒業して社会人という身分になっていた私を、一度に両方抱き締めてもらったように感じた。
ただ、今は、彼女のその姿勢があるいは「アリプロの終焉」の有り様を左右するのではないかと不安になっている。
片倉三起也(以下、片倉氏)の作る曲に宝野女史が書いた詞を歌って描き出されるその世界がとても好きだ。
ロマンティックでドラスティックで理想と冷笑と幻想の混沌のような、夢のような世界が好きだ。
ずっと終わらないでいて欲しい。私が死ぬまでずっとアリプロはアリプロとして世界に存在して、活動を続けていて欲しい。
終わるなら、せめて、みっともない最期ではなくて、華々しく見栄を張り続けたフィナーレであって欲しい。
片倉氏と宝野女史がアリプロとしてメジャーデビューして、2024年の7月7日で32周年となったという。
インディーズで「蟻プロジェクト」として活動を始めたのは1985年、片倉氏と宝野女史が最初に出会ったのは1984年のことらしい(Wikipediaによる)。
40年。ユニットとして活動するには随分と長い年月だと思う。アリプロがアリプロとして今日まで活動を続けていて、新たな楽曲を発表し続けているのは本当に奇跡のようなことだと思う。
「作る」だけなら誰にでもできる。
「作って売る」は少し難易度が上がるが、一度目のチャンスを掴める者は大勢いる。
「作って売ることを何度もやり続ける」になると大層難しくなる。個人ではなくユニットであれば尚更だろう。
片倉氏は以前に、「"国宝"というテーマでアルバムを作ってみたいとも思ったんですが、それをやるのは最後かな」と言っていた。
そう聞いた時は、「そんな終わりを予感させるようなことを言わないでほしい」と思っていた。
今は、「どうか、殿(片倉氏の愛称)とアリカ様が自信をもって出した"国宝"がアリプロのフィナーレとなりますように」と祈っている。
「増田が思うような炎上はしないと思う もしもまた一頃のようにアニメタイアップが増えたら有り得なくは無いが」という言及があった。
もしかしたら、これが私が抱えている不安の核にいるのかもしれないと思った。
以前よりもタイアップが減って、ファン以外はアリプロの名前を頻繁に出さなくなった現状に対しての悲しみがある。
ただ、再度脚光を浴びる機会があった時に起こるかもしれないことに対しての怯えがある。
ファン向けに内へ閉じて欲しくはない。けれど、令和の今に名が広まって何かが起きるのも恐ろしい。
『ストロングゼロは飲む社会福祉』まことに上手いことを言った人がいるものです。
その言葉を初めてネットで目にした時、私はストロングゼロは卒業し、ペットボトルの焼酎を飲むようになっていましたから、その言葉の意味を理解するどころか、誰よりも体験していたと言えるでしょう。
つまり、毎日毎日飲んだくれていたわけです。一日の半分近くは酔っ払っていたでしょうか。それでも朝から飲むわけじゃありませんから、アル中とまではいかないでしょう。
でね、飲んでいる時に何度か考えたことがあるんです。
お酒が飲めなかったら、自分は一体どうなっていたんだろうって。
飲まない方にどういうことか説明申し上げますと、ストロングゼロやペットボトルの焼酎を飲むような人間はお酒に救われている、酔っ払うことで救われていると考えているのであります。
ですからそのような人間にとって、ストロングゼロは飲める社会福祉というわけです。
その福祉を体質で取り上げられてしまうと私はどうなってしまうのか不安になり、また酒をあおるのでございます。
その日はちょうと七夕でございました。やけに蒸し暑かったものですから、いつもの焼酎をストロングゼロで割って飲んでおりました。こうすると暑い日でも飲みやすくなるんです。
飲みながらネットを見ていると、どこも話題は首長選挙の結果ばかり。
投票締め切りの20時と同時に当確が発表されまして、当選は現職なので予想通りの結果でございましたが、2位と3位は予想外の争いで、こっちの方がずっと盛り上がっている。
2位でも3位でも落選なんだから、私なんかはどうでもいいだろうと思うのですが、ネットの世界はどうもそうじゃないようです。
そのような罵倒するような書き込みが無数に見つかるわけです。しかも、ネットのどこへ行ってもですよ。
なんでそんな書き込みをするものなんだろうかと思いましてね、わかりませんよね。共感できない。
でも、そんな時は実際に試すのが一番なんですよ。体験することでわかることがあります。
ストロングゼロもそうでした。どうして飲むのかと体験するうちに、私も毎日飲むようになった。何事も体験しなければわからないものでございます。
そうするとですね、不思議なことに気分がぱぁっとよくなったのです。頭の中のモヤが晴れるといいますか。
言葉につられて、まるで自分が強くなったような、偉大になったような気がするのでしょう。
「境界知能」なんて言葉も覚えまして、「お前は境界知能だから当たり前のこともわからないんだ」なんて書いてやると、向こうは黙りこくるわけです。言い負かした。
すると、やっぱり心持ちがよくなってくる。
なるほど。やはり体験してみるとわかります。驚くことに、この頭がすっきりとする感覚はストロングゼロと同じなのでございます。
お酒を飲まれない方、ストロングゼロを必要としない方にはわかりますまい。どうしてストロングゼロのような美味くもない酒を飲むのか。
それと同じで誹謗中傷を不要な方にはわからないでしょう。一方で必要な方もいる。
そういえば、ネットニュースで読んだことがありました。誹謗中傷で裁判までやって損害賠償が確定しても、相手は支払い能力がないケースが多いというやつです。
目ざとく見つけたんでしょうね、誹謗中傷をすることで自分が救われることに。もしかしたら、お酒が飲めないタイプが「書く社会福祉」を使っているのでございましょうか。
いやいや、私などのように『飲む社会福祉』との併用される方も多いでしょう。
飲みながら『書く社会福祉』の方をしていますと、脳の血流が活発になるような感覚がありまして、酒がよく効いいて、体が軽くなって今にも浮き上がるような、そんな心持になれるのです。
よくいますでしょう。居酒屋で大声をだして説教しているおじさんが。あれと同じような状態になれるのです。
この「書く社会福祉」は今では欠くことのできないものになりました。
飲む方の福祉と違いまして、こちらは朝起きてすぐでも、仕事中でもできますでしょう。
気分が落ち込んだ時に、なんでもいいんです誹謗中傷なら。話題だって政治じゃなくていい。芸能、スポーツはもちろんのこと、一般人の弁当だって、本当になんだっていいのです。
バカだとかアホだとか、そういった簡単な言葉で構わないのです。中身なんて必要ありません。
中にはもったいぶった文面を作る方もいますが、中身なんてございません。結局のところ、バカかアホと書いてあるだけでございます。
『書く社会福祉』というのは結局のところ誹謗中傷であればいいのです。
先陣を切ってバカとかアホとか書きますでしょう。そうすると、ネットの向こうの福祉仲間でしょう。わっと集まってきて、あっという間にバカだのアホだの誹謗中傷で埋まっていくのでございます。
それがまた気持ちのいいのです。
共感される、共感することで私のこころが満ちていくのが感じられるのです。
これほどの福祉があるのに秘密にするわけにもいかず、こうしてお伝えしたのでございます。
どうぞ一度、一度でいいから試してごらんなさい。
コツはただ一つ。世の中は馬鹿ばっかりだと思い込むのです。
福祉を受けると思うとハードルが高く感じられるかもしれませんが、気にすることはございません。
一緒に社会をよくして行こうじゃありませんか。
非モテ芸してたフォロワが七夕に入籍報告し、その後には相方の匂わせ画像付きでオシャンティなメシ画像
非モテだった頃の君は、そういうのを見て世界を呪っていたんじゃなかったのか?
幸せなのはいい。だけど、幸せを知らない者に幸せを見せつけるのは暴力ではなかったのか?
一体、何処で道を違えてしまったんだ
俺は哀しいよ
なにがきっかけになって再起動するのかさっぱりよく分からないわ。
これってもう新しいのにしなさいって思し召しなのかしら?
いい加減古いアルバムめくり~って
そんな気分の状態なのよね。
やっぱりもういい加減新しいのにした方がいいのかしらなイレヴン、
セブンイレブンと似ているけれど違うわ。
逆に不便さをその再起動で被っているのよね。
いい加減に古いからなのかしら?
それともなにかが影響して悪さしてるのかしら?
この繁忙期に入りまくりまくりすてぃーな季節のシーズンになってこれは困るのよね。
そして、
この暑さたるや感。
これってもしかして暑さでそうなってる?
いやエアコン効いてるはずなんだけどなぁ。
私土用の丑の日って書かずにパソコンの再起動が直りますように!って書けばよかったわ。
うふふ。
この暑さでなんか食べる食欲がなくてヒーコーだけ冷たいのをいただいたわ。
これだけは飲んで起きたかった朝のヒーコーね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
気になってる子の匂わせ投稿に昨日から心が錯乱している。これは彼氏ができたのか、いやできていないのか。ただただ不安にかき立てられて心が錯乱している。
昔投稿した写真を使い回しているあたりどう見ても恋人ができた匂わせ投稿だ。けど、「そんな人はペットホテル経営もお父さん業も応援したくなる人」って相手は既婚者っぽくて、もしかするとただ尊敬できる人が見つかってしまっただけなのかもしれない。そこに引っかかってモヤモヤする。まだ望みはあるのかもしれないと淡い希望を抱く恋心とまた失恋してしまったかもしれない悲しみで。
精神的に不安定だ。パートナーが欲しい。心の安寧のために。だから自分磨きをして、積極的に人と関わって、努力に勤めている。だけど上手くいかない。焦りすぎて空回りしているからなのか、性格に問題があるのか、それとも別の問題を抱えているのか。それが解れば苦労はしない。