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はてなキーワード: 言葉とは

2024-03-19

陰謀論ではなく全てが真実

お前たちは真実を見ない家畜,飼いならされた豚と鶏

平穏を信じてただ屠殺場に送られる日を待つだけの,けだもの

地球は球状とは限らない」「ワクチンには重篤副作用があるかもしれない」「地震などの天災は人工的に起こるかもしれない」

これらは真実といってもいい,なぜなら否定されていないか

なのにお前たちは我々を陰謀論者だの,統合失調症だのとあげつらい,ばかにする

思考をしない上に,真実から目を逸らす家畜が,人の言葉を喋るな❗❗

我々は陰謀論者ではない,「真実を見ている存在」だ

家畜は,権力者食卓に上がる日を待ちながら,怠惰に生きていけ❗❗

人間であるのは,真実を見ている我々だけだ

QBハウスは偉大だったぞという話

今回、初めて1000円カットメジャーチェーンじゃないところで切ってみた。

結論ゴミレベルだった。(丁寧に言葉を選んだ結果)

・店主の見た目と行動が完全にや〇ざ。

・髪をすいた後、客の眼前にハサミでぽいぽい雑草を捨てるみたいにやる。完全に反社

・嫁と思われる従業員の目が死んでいる。

・仕上がりがゴミみたいなレベルで、段差が見えて自然な仕上がりとは程遠い。

技術を磨いてこなかったってのもあるだろうし、それ以前に雑。

・これならQBに300円プラスしたほうが数倍の価値があると思えるレベル

・支払うとき最後っ屁みたいなかんじで客に威圧

まあ、今回貴重な経験として学んだことは、「安売りしすぎない」ってことだな。

従業員も客もモラルが下がるだけ。

その点QBハウスは正社員雇用をメインにし、正当な対価を支払いモチベーションマネジメントをしている。

1300円であのクオリティは、はっきり言って企業努力のものである

世の中には300円下げてコスト競争をしたあげく、500円の価値しかないサービスをしている企業もあるのだから

さすがQB-ッ!おれたちにできない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる! あこがれるゥ!

編集部注:QBでも腕次第でピンキリはあります

anond:20240319170748

自分で書いておいてわからないとは不誠実だなあ

ISOに沿わないこと=デマとすると、農水省も危うい(https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2204/spe1_03.html)。著者の主張はそうだろうが、生活の中での言葉でもあり厳密さだけが正解でもないのでは。/書いたhttps://anond.hatelabo.jp/20240319133056

https://anond.hatelabo.jp/20240319192103

  1997年に、Naomichiが、Windows98HPやっていた頃に、他の掲示板サイトでよく聞いていた言葉。 確か、 GLAYファンクラブ地下掲示板サイト

    何を書かれたかと言うと、 こういう奴知ってるわ、IP抜いたからね、等と書かれた。 平成9年 恐怖でその日は布団に寝ていたが

  たった一日の話だったし

        その後の時代にそういう女の影響力はどんどん無くなって行ったから忘れた。  もう27年前の話なので、

   そういう女性は、 当時、 25歳だとすると、もう、52歳だし、

    

食べ放題の件、TRPGの「マンチキン」を思い出す

より正確に言うと「和マンチ」のほう

マンチキン | ニコニコ大百科

日本にこの言葉が輸入された際、ルール上"GM裁量に任せる"ようなシステムの穴をつき、ルールブックを読み込んだことによる理論武装世間一般の「常識」を利用して、無理やり有利な方向に持っていくようなプレイヤーを指す言葉としても使われるようになった。

(例えば、両腕を切断する大怪我を負った者を変身魔法でヒトデやプラナリアに変え、それの触手が元通りになった頃に魔法を解くことで遥かにローコストで両腕を取り戻させることができるだろう、など。)

こうしたプレイヤーを、原義のマンチキン区別して「和マンチ」という。

往々にして、思いもよらない方法を取るためにセッションをぶち壊しにしてしまうことがあり、ある意味では原義の「洋マンチ」以上に厄介な存在であると言える。和マンチは"公式ルール"という後ろ盾を持っている為、そのプレイ否定することは容易ではないからだ。

ルールの穴をついて自分意見を通し利益を得ようとする点が似ている

しかし、焼肉食べ放題の件と異なる箇所はいくつもあるが……、

例えば、TRPGはおおむね「GMの決定は全てに優先する」というゴールデンルール存在する

例えば、TRPGルールブックにはおおむね「(GM含め※重要)全員が楽しい時間を過ごすことが目的です」のようなことが書いてある

しかしこの世界TRPGセッションではない

悲しいね

TRPGを楽しく遊ぶコツとして「気心知れた相手だけでプレイする」というものがある

しかしこの世界は(当たり前のことだが)気心知れた相手だけ存在するわけではない

悲しいね

障害者ってありがとう言葉一つも言えないの?

別に御礼言う必要はないよ?

それなら代わりに対価をちゃんと払うべきですよね?

人間というのは究極的にはお気持ちで動く生き物なんですよ

そういう連中をお気持ち以外で動かそうとするならちゃんと金払えよ?

え?お金も払わないけど御礼も言いたくない?

それができる人たちってさあ「特権階級」っていうんですよ?

障害者は対等に扱ってほしいの?特権が欲しいの?

この際いい加減はっきりしろ

とほほの紅茶入門の件で思うけど

単なる間違いをデマという強い言葉糾弾するのってほんとよくないと思うなあ

そもそも企業公式サイトが間違ってたんなら最初にそっちを指摘しなよ

anond:20240319152830

ごめんなさい、率直に何を言っているのかわかりません。

https://arukichi.teamedia.jp/tohoho-check/

こちらの記事で一番大きな割合を割かれており、かつ、明確な「間違い」と赤字記載されているのはお茶の分類に関する話であり、それに対して、ブコメ

>>Rectusabdominis 影響力のある人が流した大量のデマの訂正に近い感じ。お疲れ様でした。<<

等の反応がありました(とりあえず私がブコメした時点で「デマ」という言葉を使った方を取り上げましたが、とほほ氏の元記事でも罵倒に近いコメントがあります。)。元記事にない「デマ」という言葉ブコメで使ったのは、ISO準拠して「間違い」であると指摘する記事について、何の検討もせずに全面的に信用して、他方を「デマ」とまで簡単断じてしまうようなブコメの態度が、結局デマに踊らされる人の態度とさして変わらない極端な姿勢に見えたので、それを指摘したかたからです。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

anond:20240319154131

どっちをコミュ障とするかは視点問題に過ぎない。

ろくに言葉を尽くさず察しを求めるのもコミュ障には違いないが、一から十まで言われないとわからないやつだってコミュ障だろ。

この場合、「食べ放題言うてもまあ限度はあるんやろな」と思える人のほうがコミュニケーション力は高いと思うぞ。

yotubeの言葉で指示したら家事やってくれるロボットみた?

嘘っぽいーーーーーーー

調べると普通にそういうロボットあるんだね

その辺にいる夫、妻より有能では?

東京引っ越しから大阪って本当異常だったんだなって思う。

親の仕事の都合で十代の時に、愛知田舎から大阪引っ越して驚いたんだけど、いつもどこかで誰かが喧嘩してた。

歩道では自転車に乗った人が歩行者罵声を浴びせてるし、車道クラクションがいつも鳴り響いてるし、

食べ物屋はファーストフードだろうがファミレスだろうがちょっとお高い喫茶店だろうがいっつも怒鳴る客がいるし、

地下鉄では毎日ぐらいサラリーマン同士が小競り合いしているし、ホームでは駅員に詰め寄る人を見かけた。

学校学校いじめがひどくて、1人の男子が他の男子全員から毎日小突かれて泣いてるし、女の子はそんな男子に頭から水被せ笑ってる。

どこにいても誰かが誰かをいつも傷つけていて、都会ってこんなに怖いところなんだと知って、田舎に帰りたいっていっつも思ってた。

その後、親のすすめもあって東京大学に進学し、親元を離れて東京暮らし始めたんだけど、そこで違いに気付いた。

 

東京には怒っている人はいない。

少なくとも人の目のあるところで他人に大きな声で罵声を浴びせるような人はおらず、

どこの食べ物屋に入ってもみんな物静かだし、地下鉄で殴り合うサラリーマンもいない。

目の前で交通事故が起きても、誰も表面上は動揺せず、しか被害者に近寄ろうとは中々しないけど、

スマホで楽しそうヘラヘラ笑いながら撮影を始めるような人もいない。

 

一体、私が見てきたものは何なのか。同じ国の同じ言葉を喋る人なのかとくらくらした程だ。

後に大阪関西圏の中でも、かなり特殊土地であることを知ったんだけど、色々と納得の行く部分も多かった。

大阪人達は、東京冷血田舎のものの寄せ集めと馬鹿にするけど、

冷血田舎ものの寄せ集めでも、公共の場で人に罵声を浴びせるような人よりは遥かにマシに思える。

 

大阪には大阪なりのよさがあって、だからこそあれだけの人が集まって都市形成してるんだろうけど、

そのよさに触れるためには、ありとあらゆるところで誰かが誰かを攻めている日常を受け入れなければいけないのであれば、

大阪のよさを一生理解できなくてもいいと今は思っている。

ドイツ語化はもう15年くらいのムーブなんでそろそろイタリア語化が始まっても良いと思う

イタリアって言うと紅の豚とかジョジョ5部とかルパン三世Part4とか馴染みのある作品も多い

カッコ良さそうな言葉では

机:スクリヴァニア

虹:アルコバレーノ

フェリーチェ、クレシェンテ、カンピオーネとかもイタリア語

東京人の心はチャオズ

東京駅今日も混んでいる。

いつも通りに複雑で、久しぶりなのでつい迷ってしまった。

立ち止まっているとすれ違いざまにぶつかり「すみません」と思わず謝った。

相手は何も言わず、私の言葉無視してそのまま立ち去った。

いつもこうだ。

東京人の心はきっとチャオズなのだと思う。

競争の激しい東京ではついていけないと、心を地元に置いてきた。

そうしないと東京では戦えないのだ。

でもチャオズもつれきてほしい。

心は必要だと思うのだ。

anond:20240319135645

おまえ、「ソースどこ?」とほざくやつのことをわかっちゃいない。

やつらはソースをもとめているわけじゃない。ただおまえを挑発し、優越感にひたりたいだけなのだデータを叩きつけても、やつらは目も通さず、言葉尻を捉えて揚げ足を取り、おまえを煽るだけだ。

なぜなら、やつらにとって大切なのは真実探究することではなく、おまえを打ち負かし、自尊心を守ることなのだ。

メキシコ砂漠では、虚勢を張る弱き者がはびこっている。やつらは己の非力さを知っているがゆえに、他者を引き摺り下ろすことでしか自信を得られないのだ。

データの山を叩きつけるな。それはやつらの求めているものではない。ただ、強く生きろ。己の言葉に嘘偽りなく、まっすぐ生きるのだ。

それが、やつらに打ち勝つ唯一の方法だ。真の男として、胸を張って生きろ。

おまえにできることは、それだけだ。

愚痴は伝染する

中学以来の親友が、離婚するしないで1年ぐらいごちゃごちゃしてる。

で、その愚痴を、こっちにずっと語られててちょっとばかし疲れた特にここ数ヶ月は頻度が多い〜。旦那とのやり取りの内容までスクショで送ってきて「どう思う?」ってもう返す言葉も品切れだよ。

の子が発散する先がなかなかないのもわかるから愚痴くらいは聞くよ〜と言ってはいたしその気持ちもあるんだけど、私いま結婚してないしアドバイスもそんな有益なの出てこないよ。もう何回も似たような話聞いたから、コメントももうおんなじ感じになっちゃうよ。

相手はそれなりにはスッキリするみたいだけど、こっちがもやもや

まぁ、そろそろ決着つくみたいだけど、

なんだかなぁ

紅茶緑茶の違いは発酵の程度ではないのか

というタイトルに対する答えではなく、門外漢自分がどう考えるかというのを吐き出してみたい。

私自身の前提知識としては、世界史の小話的に、東インド会社によって茶の中国からイギリスへの輸出が確立する中で、ウーロン茶よりもさらに「発酵」をさせたお茶が人気となり、それが紅茶起源となったというものがあった。そのため、茶が発酵の程度によって分類されるというのは誤りという情報を見て、①そもそも自分の知っていた小話が間違っていた、②根拠となっているISOの分類はあくまでも統一規格として分類上の正確性を必要としているだけ、という2通りの可能性が思い浮かんだ。

そこで、ざっとweb検索する限り、比較信頼度が高いサイトでも少なくとも日本語情報では発酵程度を分類の指標にしているものが多くみられた(サントリーなどの大企業サイト農水省コラムJAS紅茶飲料の分類など)。他方で、ISO以外に紅茶の分類を発酵程度で行うことを否定する公的情報はパッとは見当たらず、この時点で、少なくとも、日本国内においてそのような分類で考えることで法令等に違反することはなさそうだという考えに至った。紅茶起源の小話については、定説はなさそうだが、概ね自分認識と同じような話が多くみられ、これを積極的否定するような話はなさそうというところでいったん腑に落ちた。

もちろん、国際規格での定義がある以上、それに反しかねない情報問題がないとは言わないし、実際にかなり発酵の程度が弱いものであっても紅茶とする例がある以上、日常用語としても完全発酵茶=紅茶とするのは問題を含んだ用語法ではあるだろう。もとになったサイトでは、「発酵させるか、途中まで発酵させるか、しっかり発酵させるか『のみ』が異なります。」としていて、さすがに修正必要になる記載だろうとは思われる。しかしながら、これをデマ拡散とまで断ずるかのような反応もあり、その点は、どこまで意識してそのような強い反応をしているのかが気になるところではあった。そもそも紅茶という言葉定義が先にあったわけではなく、歴史の中で使われてきた言葉を現状に合わせて分類することで定義づけられたに過ぎない。日常生活において、完全発酵茶=紅茶理解していて困る場面がそうあるとは思えず、むしろ世界史ダイナミズムを感じる一つのエピソードにも繋がるものである。どういう意味で、なぜ誤りであるのかということまで含めた理解が大切で、ISOという根拠を示されただけでそれ以外を全否定するという姿勢も、やや極端に過ぎるもののように思われた。

人は他人無自覚に傷つけるし、マウントをとったり地雷を踏んだりしてしまう。

人間人間に直接コミュニケーションを取る限りこれは避けられないので、間に会話用AIを挟む。

会話用AI使用者情報を蓄積し、ユーザーが好むコミュニケーションの型を学習する。2人の人間ががネット上で会話をするとき、言うこと、言われることをそれぞれ解析し、相互問題が発生しない言葉リアルタイムで生成する。

ほとんど時間差なく、自分と同じ声で生成される言葉キャッチボールユーザーツールを挟んでいることすら意識しない。

ただ円滑で優しい会話の記憶けが残る。

anond:20240319094819

「無理」というのはですね、嘘吐き言葉なんです。途中で止めてしまうから無理になるんですよ。

…途中で止めなければ無理じゃなくなります。止めさせないんです。漏電しようがブレーカーが落ちようが、とにかく一週間全力でぶん回す。そうすればスパコンはもう無理とは口が裂けても言えないでしょう。無理じゃなかったって事です。実際に一週間もやったのだから

「無理」という言葉は嘘だった。…その後はもう「無理」なんて言葉は言わせません。

車輪の再発明」という言い回し発明されたのはいつなのか

気になる、調べましょうね

調べました

車輪発明されたのは紀元前だが、「車輪の再発明」という言い回し発明されたのは20世紀になってからのようだ

「車輪の再発明は良くない」というのは誰が言い始めた言葉ですか? 日本で広まったのはいつごろでなぜですか? | Quora

Reinvent the Wheel – Idiom, Meaning & Origin | GRAMMARIST

The term reinvent the wheel dates back to the 1950s, often used as a business and advertising metaphor.

One of the earliest published occurrences of the phrase dates to 1956 and is found in Documentation in Action from an article concerning how research workers, executives and others use information:

車輪の再発明」という用語は1950 年代にまで遡り、ビジネス広告比喩としてよく使用されていました。

このフレーズが最も早く出版されたものの 1 つは 1956 年に遡り、研究員幹部などが情報をどのように利用するかに関する記事が「Documentation in Action」に掲載されています

なるほどねえ

これ以前に全然別の文脈で「車輪の再発明」という言い回しがあった場合、「車輪の再発明」が車輪の再発明されていたということになりネタとして面白いんだが……流石に無いかもな

これは日記です

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しか

“The intensive literature search at the beginning of a research project is intended to define the precise boundaries between the known and the unknown and to forestall unnecessary duplication or, as one scientist has expressed it, to avoid re-inventing the wheel.”

研究プロジェクトの開始時に集中的に文献を調査することは、既知と未知の境界を正確に定義し、不必要な重複を防ぐこと、あるいはある科学者表現したように、車輪の再発明を避けることを目的としています。」

"one scientist"……「ある科学者」とはだれなのだろうか

その人こそ車輪の再発明というmemeの発明者……か?

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イタリア語には「お湯を発見する」のような言い回しがあるらしい

微妙ニュアンスが違うっぽいが「車輪の再発明」と近いニュアンス意味のようだ

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