はてなキーワード: 差しとは
4年前、最年少女性市長として当選をした内藤市長。この内藤市長が突然の出馬取りやめを発表した。
まぁ応援してくれていた元衆議院議員も対立に回り、前回の選挙で2000票程度の差だった元市長が立候補している。
また、内藤市長本人の悪評もあり出馬取りやめは妥当なんだろうなと思うけど、なんでこの時期なんだろうか。
予算審議の間に不出馬を表明したのはなぜか。予算執行の責任者が不在になることが確定である状況になる。それでも必要だからと賛成に回る議員もいる。
しかもこれ、人件費の高騰や住民サービスなどあるとはいえ、過去最大の40億をこえる予算らしい。
おそらくはこのまま賛成多数で予算は決まるだろうけど、遠藤氏にせよ福山氏にせよこの予算に縛られて市長を担わないといけない。
慣例通り、最低限の予算を決めて重要な部分は新しい市長が決まってから、となると自分の思った通りの市の方向にならないからやめても傷跡を残してやろうという想いもあったのかもしれない。
が、それなら市長を担いでくれる人たちが気持ちよく賛成をして、一通り議会が終わってから不出馬を表明したらよかったのではないかと思ってしまう。新聞社から問い合わせがあっても「議会の最中なのでコメントは差し控える」とでもしておけばよかっただろうに、新聞社にメールで第一報を送ったという。
あと、市議会の様子をぼーっと見ていると市長給与を満額もらっていることをだいぶ批判されている。4年前は給与半額だったかな。それを掲げて市長選を飼って、1年後には元に戻す。市の財源が回復したから、ということだったけど、コロナ助成金で潤った面もあるんじゃないかな。
まぁ、内藤氏の外面の良さから市長給与は半額のままでも十分だったろうに。講演会とかで稼いでくれば月50万くらいはした金でしょうに。
若い、学歴がある、なんか賞を受賞している。などなど持ち上げて、68歳vs72歳で内藤辞退で残念、徳島は終わった、みたいな話も見るけど、若いと学歴とかで変わるとか未来が、というも違うなという。
若い市長でも老害市議に取り込まれてしまう、もしくは最初からそのつもりで市長になったのかもしれない。
アラウンド70がいいわけじゃないけど、高齢化や市の要職が利権にまみれたうるさい爺さんばかりのところに若いからで変えられるものではないんだなという印象。
何期か勤めてれば、という人もいるかもしれないけど、期を重ねるたび利権にまみれていくだけだと思し、共産党をはじめ反対する勢力に対して、親の仇のように話すら聞くことなくなっていく。少なくともそう見える。
政治家には向いてなかったと思う
右往左往している市政は嘆かわしいが、前に進んでいくことを祈る。
ドラクエ11でルビス伝説の設定が全部無かったことにされたのはちょっと悲しかった。まあ、あれを二次創作じゃなくて何で公式設定として認めてたのか、その辺の事情もよくわからんけど。そして何故だか「まおゆう」でルビス伝説の話に触れられてるのがよくわからん。さすがにルビスの名前は直接は出てこないけど、カリティクスだかルビスの名字が出てきてたな。
1~3はそもそもの原作のシナリオがあっさりしてるから、オリジナル設定もりもりで、普通にエンカウントするようなモンスターが幹部の設定だったり、ガルチラ、ガルドといったらやたらとシナリオにガッツリ関わってくる謎のオリキャラが多かったな。2の小説版は結構好きで、敵か味方か謎のポジションを取り続けるオリキャラのガルドが結構いい感じだった。典型的なメアリースーとか言わんといて。
3は魔法使いの仲間のリザと、血の繋がりがあるゾーマの部下のチコとの確執が面白かった。小説版ではオルテガを倒したのはチコという設定になってる。このキャラはいのまたむつみのお気に入りなのかわからないけど、小説版の復刻版では仲間キャラを差し置いて、3の勇者とチコが描かれてる。
4の小説は全4巻で長い。4からはゲームでもシナリオが濃くなってるけど、小説版はそれを上回る濃さを提供してくれたな。なにせ序章と題してピサロとロザリーのエピソードを延々と読まされるもんだから、俺は一体何を読んでるんだという気分になる。エビルプリーストが実は黒幕という小説版設定は、リメイク版4に採用されてたな。さすがにジャコーシュのいう名前は採用されんかったけど。第五章第一部で、各々キャラ視点で勇者と出会うまでのエピソードが語られるのは好き。
小説ドラクエで最高傑作はやはり5。ゲームのエピソードをだいぶ重視するようになったけど、元の話も良いし、さらにそこにプラスアルファで乗ってくる小説版独自の設定が良い。小説版のスライムナイトの設定は公式でも採用されたけど、その後やっぱりなかったことにされてる。やけにあっさりしてる結婚の描写からの砂漠での逢い引きや、過去に戻って主人公がパパスや幼い頃の自分と会う描写は名シーンだと思う。
6の小説は4と5の小説で暴走しすぎたせいなのか、結構あっさり気味。あっさりしすぎてて、あまり印象に残ってない。ただ、黄金竜の正体はバーバラであることを語ってたりとか、ゲーム設定の補完としては良かったと思う。ちなみに漫画版と違って小説版は主人公はミレーユといい感じになる。
7の小説は……全然覚えてないな。つーか、7が長すぎたから、小説版の端折りっぷりも尋常じゃなかったし、会話システムのおかげでゲーム内のテキストも多くて、原作の補完というポジションも取れなかったからねえ。ドラクエの小説が7で止まったのは必然だったか。
犯罪者・水商売・ギャンブル・宗教ぐらいしか該当しない気がする。
一般娯楽業界は一見すると無価値だけど、遊びを通して社会の知識水準を高める知育玩具的な側面がある(漫画もテレビもなかったら言語能力の平均値は今よりも大分下がると思う)。
AVや大人のおもちゃ業界は性欲の発散によって犯罪を未然防止する機能がある(男も女も抜けばひとまず落ち着くからな)。
酒・タバコは禁酒法状態を防止するための必要悪として機能していると言えなくはない(全て地下取引でいきなりハードドラッグに行かれるよりはマシという感じで)。
観光業界は経済基盤が貧弱な地域に金を回すための導線としての意義がある(あまりにも金がない地域を作るとそこら一体がヤクザのねぐらになりかねない)。
広告業界がないと新規事業立ち上げても宣伝するルートを確保するのが難しくなる(結局金持ってる奴が強いままだけど、いない世界よりはマシには出来てるはず)。
金貸し共は資本主義に巣食う寄生虫みたいなもんだが、コイツらがいなかったら設立に辿り着けなかった会社や始められなかった事業は数多くあるので社会に貢献してる(単にタンス預金を予防することで経済回せてるってだけでも割りと助かってはいる)。
あとの業界も概ね社会に貢献しているから存在できてるって気がするんだよな。
ただし、ギャンブルと水商売が社会にプラスになっているかって言われると、差し引きでマイナスに感じる。
どっちも娯楽の一種ではあるんだろうけど、それに関わって身を持ち崩すリスクがあまりにも高すぎる。
娯楽が社会に及ぼすプラス量は元々決して高いものじゃないわけで、そこに大きなリスクが入ってきたらどうやっても総合評価はマイナスに傾くよ。
オススメな人
ニート、無職、夢追い人、昼間働きたい主婦、漫画家、お笑い芸人、イラストレーター
フリーター、兼業、副業、個人事業主、きっついバイトに嫌気が差している人たちへ
資格なしだと日当9,000円(乙6持ってると日当1万2千円or時給1,500円くらい)
重いもの持たない
ノルマ無し
大体早く帰れる(朝8時に家出て、お昼15時には終了)
交通費出る
やることは消化器の日付チェック、誘導灯のチェック、発煙発火装置のチェックのみ
まじで楽。ただ楽。
朝起きるとき「今日は仕事かぁっ」って思うよりも、ただの散歩タイムだーって気楽に起きれる
鬱とか精神的に止んでる人も、昼夜逆転生活を直したい人におすすめ
歩き回るだけ
受信機で無線で応答するだけのポジションに当たれば、まじでスマホいじってるだけ。
乙6と乙4持ってれば食いっぱぐれない。
乙6取ってからお金払って3日の講習受けたら本当に仕事はよりどりみどり
どこも欲しがる人材になれる
20代も後半に差し掛かったある日、そもそも異性にモテても仕方ないよなと思い至り、女らしさを捨てることにした
と言っても不潔なのは嫌なので、お風呂には毎日入るし、最低限のスキンケアもしている
ただ、化粧のために早起きしたり、わざわざ高いお金を出して脱毛に通ったりとか、そういうのから降りることにした
ダイエットとかもそうで、健康のために栄養素には気をつけるけれど、痩せるために過剰な努力はしないようにした
髪もその辺の1000円カットで済ませるようにした
その結果、日々の細々としたケアから解放されて、圧倒的に楽になった
平日の朝にも、30分くらいは長く寝られるようになったし、お風呂の時間も短くなった気がする
あんまり意識してなかったけど、美容への課金額が思ったより凄かったみたいで、毎月の貯金額も増えてうれしい
重そうな資料を持ってくれたりとか、タスクが重なった時にちょっと引き取ってくれたりとか、そういう気遣いがなくなった
これは気のせいとかではなく、確実になんか見て見ぬふりをされるようになったなと思う
結局、女らしさを維持することで享受できるメリットって、日常の些細な手助けくらいで、
そのために月に何万もかけて、欲しくもない好意を向けられたりするのは割に合わないなと思う
いまはまだ過渡期の面があって、特に女性は、総合職一般職にわかれていて、一般職キャリアとして40歳に差し掛かった人達が、なんていうか説明しづらいけど若い時は蝶よ花よとチヤホヤされていて職場のアイドル扱いだったのが、いつのまにか時代が変わっていてちゃんとキャリア形成してくださいね、となったにも関わらず、職場の実態としては長い期間事実上の一般職として扱われ、仕事の能力を磨けないまま40代に突入した感じの人達がいて、更年期に入っておにばばあみたいなひどい感じに育っている人を複数見かける。リモートワークフル活用、たまに職場に朝来ても挨拶もせず、定型的なエクセル表作成みたいな仕事で気分次第で残業し、同僚から何か頼まれても塩対応、年休もフル取得で、なぜか配転にも首にもならず、上司も腫れ物にさわるような扱いで、同僚とコミュニケーションもない。インターネッツではよく「はたらかないおじさん」を首にしろ、という煽りをする人がいるが「一般職で独身のまま更年期にさしかかっておにばばあみたいになっている女子」問題が取り上げられることがあまりない。彼女たちも不幸だと思うのだが・・・。ホワイト企業なので給料はまあまああるし、年休普通に取得するとプライベートは充実させられるはずだけれど。
私は収入が少ないので、いつ事故や重篤な病等多額の出費がかかる状況に見舞われるかわからないから、なるべく貯金に回している。
しかし世の中には合法的な収入以上にそれで足りない分は盗めばいいやと盗みを働きそのお金で私の何倍も消費してる人もいる。
消費してるから社会に貢献してるという言い方があるが、だとすると私よりも後者の方がかりに盗んだことによる社会に対する損害分を差し引いても泥棒の方が社会に貢献していることになるのだろうか?
泥棒がしている消費を、所詮盗まれた人が消費していたはずのことを勝手にしているだけのことなのかもしれないと考えることはもちろんできる。
しかし「確実に消費する泥棒」という仮定に対して、泥棒が狙う対象が収入に対してどれだけ消費するかの仮定はしていないし、現実的にもそれはランダムだと思う。たくさん消費する人もいれば、ケチな人もいる。
泥棒が社会および経済におよぼす効果は、たくさん消費する人に対する泥棒から、ケチな人に対する泥棒まで、まんべんなく考慮して算定されなけばならない。
つまり泥棒が盗む対象が全員が全員消費行為をよくすると決めつけられれば、泥棒が一方的に損害を起こしていると話は早いのだが、そうではないので話が難しいのだ。
もっとも、泥棒だろうがなんだろうが一人の人間のその消費が与える影響は無視できるほど微々たるものだし、無視できないほどの人数分の影響を考えたら、社会的な損害も無視できないほど大きくなるから、結局泥棒の方が悪になるんだという理屈もあるかもしれないが…。
こういうことを考えると、私は泥棒よりはましなんだ、という信念がどうしても揺らぐ。
仕方ないので2時間くらい仮眠して11時くらいからゲームを始める、そうするともう3〜4時間しかプレイできない
4時間くらいやるともう疲れて休憩を取りたくなる
夕食とか食べてもう一度始めても2〜3時間経つと疲れる
昔はこうじゃなかったのに…
老化を感じる
Wikipediaを自分の思想信条に則った内容に書き換えようとして、ウィキペディアン(記事を書いたり変な編集があったらすっ飛んでくる人)らと揉める人が後を絶たない。
そういう奴らは降臨から退場までのパターンがだいたい決まってて、
記事内容を好きに書き換える→差し戻される→差し戻し編集をした相手に突っかかる→レスバ→BAN投票→永久BAN
って感じだ。
この流れがぜ~んぶログに残ってるので読んでるとニヤニヤが止まらない。
訴訟を息巻いたり外部サイトでウィキペディアン批判を繰り広げたり複垢で再臨して即BANされたりするのも趣がある。いとをかし。
いかにも荒れそうな「ネット右翼」「朝日新聞」「フェミニズム」あたりがウォッチャー初心者にお薦めだ。
某論客が、独身男性45歳で狂う説を唱えていたが、まさにその年齢帯の独身男性が狂うのを実際に目の当たりにすることとなった。
折角なのでそのモンスターと化した哀れなおじさんを、貴重なサンプルとしてここに書き記しておく。晒すような真似で申し訳ないが、かなり頭にくる実害があったので怒りも込めて。
狂ったのは俺の元友人。(100㎏余裕で超えてるクソデブ。以下デブ)
同類だと思っていた俺に彼女が出来たため、羨望嫉妬から逆恨みに繋がり、自身の置かれた状況と掛け合わさって爆発したのだと思われる。
話しているうちにオタ同士だということがわかり意気投合。
ほどなくして異動で職場が離れてしまったが、自宅が近かったこともあり、なんだかんだで10年以上の付き合いとなっていた。
今思うと、お互いこどおじオタクということもあり結婚することはないだろうという安心感もあったのかもしれない。
向こうはずっと結婚したいって言ってたけど。(ただし本人は太る以外の行動を一切なにもしていない)
そんなこんなで30代後半に差し掛かったある日、俺が突如一念発起。
これが同い年だったらまだ狂わなかったかもしれないが、向こうがもう手遅れの年齢で梯子を外した形になってしまったのがよくなかったかもしれない。
とはいえ、その年齢まで何もしなかったのは本人のせいでしかないので逆恨みされてもって感じだが・・・。
その頃からデブがツイッターでたまに病んだツイートをするようになる。
趣味も食事の好みも合い、よくある婚活BBAみたいな面の皮の厚さもなく、俺の自家用車が国産大衆車でも何も気にしないような女性で、スムーズに両家顔合わせまで済み、後はついに入籍というところまで来ていた。
そんなある日、彼女から「話がある。すぐに会えないか?」と連絡がきた。
前日に電話で話したときになんとなく違和感があったので何かあったのだと思い快諾。
「今日呼び出された事に何か心当たりある?」そう言う彼女の様子は明らかにおかしい。
全く心当たりがなかった俺に、あきれながらとあるツイッターのアカウントを見せてきた。
そこには、彼女の中傷を中心に、たまに俺の中傷、そして極めつけには、俺が浮気してるというツイートがされていた。
どうやら彼女はその垢が浮気相手のものではないかと疑っているらしい。
寝耳に水ってこういうことを言うんですね。
全く身に覚えがないので(そもそもそんな甲斐性も無いし)、なんとか彼女を落ち着かせ一緒にその内容を精査。
俺と行ったと言いながら載せてる食事の写真が全部ネットで拾えるものだったり、いいね欄が男が好みそうな飯やガンダムで埋まっていたこと等、冷静に見ていくとバカなアカウントだったためあっさりと誤解は解けた。
そうなると、次は一体これは誰なんだいう話に。
お判りでしょうか?
さらに一つ一つ細かく確認していくと、俺がデブにしか話していない内容だったり、一緒に行った場所への言及がそこにはあった。
俺と会っているとき(=俺が彼女と会っていないことが確定してる時)にこっそり浮気相手を装って呟いたりもしてた。
もうねほんとアホかと。でもアホで助かった!ちなみにデブはガノタ。
ついでに彼女の親友にもアカウントを見てもらったら、「こんなのどう見ても男だろ、クソデブの」って返ってきたのはよかったな。
彼女がそのアカウントの存在に気づいたのは、デブがリプを送ってきたから。アカウント名が気になって見に行ったら明らかに自分達を指している内容のつぶやきをひたすらしていて驚いたとのこと。しかもそれは半年以上も前から行われていた。ちなみにアカウント名は俺と彼女の垢名を合体させたもの。頭狂ってますね。
デブが彼女のアカウントを知っていたのは俺の失態。彼女のことを聞かれたとき、話の流れでとある写真を一枚見せたら、その写真からアカウントを特定してた。うん、気持ち悪い。
すぐに該当のアカウントに鍵をかけたりアイコンや名前を変えたり、いろいろと涙ぐましい工作をしたのち垢消し逃亡。
まぁそれが犯人が誰かの裏付けにもなったし浮気の誤解も完全に晴れたのでヨシ!
この件で共通の敵が出来、雨降って地固まる結果となった我々は当初の予定通り無事入籍。
結婚への最後の障害がお義父さんとかではなく、いない歴年齢の40代限界独身童貞クソデブこどおじストーカーだったの面白すぎだろ。
一生この話擦ってくわ。
その後また別のアカウントで粘着しているのを観測したが、ここまでくると最早怒りよりも哀れになってくる。
これからも入れ代わり立ち代わりいろいろな垢で粘着してくるのだろうか?「またクソデブ?」で終わらされてる事も知らずに。
中年男がこそこそとネットで中傷どころか、でっち上げで別れさせようとするのは正直ホラーすぎた。性格の良し悪しを超えて、人間として終わってるレベルまで堕ちてしまった。これが異性を望んでも手に入らなかった、いない歴=年齢の限界独身中年の末路だというのか。
今から22年前の2002年に、11歳の脳障害児である日木流奈が話題になった。
俺は彼が本当に奇跡の詩人であり、自分の言葉で話していると信じていた。
NHKで放送され、ネットなどの批判によりNHKは謝罪したが、俺は彼を信じていた。
彼の話法は、母親が彼の手を取り、50音が書かれた紙を指差して話をするというものだ。
「実は母親が指差しているだけでは?」と指摘されていたが、俺は違うと思っていた。
「そのまんまでいいよ」「心配しなくていいよ」という彼の詩に感銘を受けていたからだ。
そこから20年経った2022年に、俺はなんとなく再度彼の動画を見直してみた。
すると、どうだろう。これは明らかに、母親が彼の手を故意に動かしているではないか…?
なぜ俺は気付かなかったのだろう。
その時俺は、コロナ禍で危うく反ワクになりそうなほど、陰謀論に傾きそうになっていた。
しかし大人になった俺はなんとか陰謀論を逃れ、ワクチンを打った。
だからこそ、日木流奈くんが操られてることに気付けたのだ。
遅い、遅すぎた。
https://sp.nicovideo.jp/watch/sm16732325
まあこれだけでも彼が操られてることが分かると思うが、次に彼の2019年の状態を見てみよう。
『日木流奈さんインタビュー/第1回 「何が起きても大丈夫!」という人が増えてほしい』
https://starpeople.jp/seijingoroku/hikiruna/20190503/4279/
どうだろう。
俺は彼の著作を市販されているものは全て持っていたのでわかるのだが、彼の話し方や内容はは全く変わっていない。
…だが、そんなことあるのだろうか?
このインタビューには具体性がない。成長がない。11歳だった彼と変わらない受け答えがそこにあった。
「やはりこれは母親が答えているだけでは?」
そう思わざるを得なかった。
おそらく、母親は自分の子供が脳障害児であることを受け入れられずに、天才だと思うことによって自分を保ったのではないか?
それが今まで続いているのではないか?
当時からそのような指摘はかなりあったが、俺はそれを少し前まで気付かなかったのだ。
本当に恐ろしい。
本来は周りの人間がそれを指摘して彼を救うしかないのだろうが、それももう叶わないのだろう。
今後彼の母親が先立った時、やっと彼の自由が叶うのかもしれない。
これが俺の懺悔だ。
むかしむかし、ある所におじいさんと70歳の妙齢の女性がいました。
おじいさんは山へ芝刈りに、70歳の妙齢の女性は川で洗濯をすることになっていましたが、女性に家事を押し付けるような前時代的行為はジェンダー平等に反するので、おじいさんは山で芝刈りを行った後に川で洗濯を行い、70歳の妙齢の女性は家でせんべいを食べていました。
おじいさんが芝を背負ったまま川で洗濯をしていると、大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこと流れてきます。
その桃を家に持ち帰り、おじいさんが包丁で割ると、中から元気な生物学的男性が出てきました。
おじいさんはそれに「桃太郎」と名付けようとしましたが、70歳の妙齢の女性はジェンダー平等の観点から「桃ヒューマン」と訂正しました。
また、女性に育児を押し付ける行為はジェンダー平等の理念に反する、と70歳の妙齢の女性が指摘したため、おじいさんが全面的に桃ヒューマンを育てることとなり、桃ヒューマンはすくすくと育ちました。
桃ヒューマンはその恩に感激し、「僕はおじいさんのために、悪い鬼を退治してきます」と述べましたが、女性の活躍と貢献を無視することは深刻なジェンダーバイアスであり女性差別であると70歳の妙齢の女性が激怒しながら指摘したため、桃ヒューマンは「僕はおじいさんと一人の自立した女性のために鬼を退治してきます」と発言を訂正し、地面に膝をついて不適切な表現を謝罪することになりました。
その後、桃ヒューマンは3匹の動物と、男女比を均等にするために4名の女性を引き連れて鬼を倒し、金銀財宝を手に入れます。
実際に鬼と戦ったのは桃太郎と3匹の動物ですが、ジェンダー学者による分析ではその評価はジェンダーバイアスによるものであり、本当は全員の手柄であり、むしろ女性の貢献の方が大きいということが世間の定説になっています。
故郷に帰った桃ヒューマンは「おじいさんにこの財宝を差し上げます」と深刻な女性差別的な意見を主張しましたが、ジェンダー平等の観点から70歳の妙齢の女性と4名の女性が数時間に渡って抗議したため、おじいさんと女性たちの間で、均等に1:5で財宝を分けることとなりました。
これ言うの何度目か知らんけど、お前らが「AKIRAは画期的だった」と言ってるとき、本当にお前らが口にするべきは「童夢」の方だからな。
サイキック的な見えない力を扱うという漫画的な演出の最も原始的な部分を完成させたのが「童夢」。
ドラゴンボールのかめはめ波に代表される「古典的には『気』と呼ばれていたエネルギーを、肉体を経由することなく直接発射する」という概念が圧倒的に新しかった。
そういった「不思議な力」が一見弱々しいキャラクターの元で強く発現するというジャンルを作ったのも「童夢」だ。
「AKIRA」が洒脱さとビビッドさを織り交ぜたポップカルチャー的な造形において優れていたのは事実だが、そこに新しさがあったかというそうでもない。
多くの人が「AKIRA」に対して感じた新しさは、単に「童夢」をまだ通らず先に「AKIRA」を見てしまったことで発生したインプリンティングに過ぎない。
前衛的すぎた「童夢」を混ぜ物によって薄めて軟着陸させることでより社会に受け入れやすくしたのが「AKIRA」なわけであるからして、「童夢」を差し置いて「AKIRAが画期的である」というのは流石におかしいわけだよ。