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2021-05-28

アニメ版の『スーパーカブ』へのヘイトビジュアル無視して語るのは無理がある

https://anond.hatelabo.jp/20210528052915

女子かくあるべしという一面がヘイトを生んだというの、一理ある。というか、それがまさに問題点だと思うんだよね。

これ、「人殺しの顔をしろ」と同一案件かつ、

アニメーションビジュアル」と

創作での違法行為の話」と

創作内のリアリティライン」と

つの話が混ざってるにも関わらず、「創作での違法行為ヘイト」のみに絞って揶揄する声がTwitterなんかで作家から上がってるの見ると危うい感じがする。

元増田が言う通り、アウトローでかつフツーの女性ってのもアリだと思うけど、ハイコンテクスト文脈及び暗黙の前提が必要)なんだよね。

スーパーカブビジュアルについて

映画詐欺予告と違って、アニメ版スーパーカブの告知動画と実際の作品ビジュアルは、近い。

ありていに言えば「新海誠風」だよね。

より正確に言うと「秒速5センチメートル」のビジュアルで、ゆるきゃんよりも「けいおん」ふうのキャラクターで、「スーパーカブ」に焦点を当てたアニメーション

このビジュアル音楽のガワで、作中の小熊というキャラクターアウトローにするのは、かなりの難物になる。

何故かというと、ビジュアルのちからって、アニメーションのわりと根源的なポイントから

西岸良平の「夕焼けの歌」や、青木雄二の「カバチタレ!」のビジュアルで、2ケツしたくらいじゃこうはならない。

これは、男女差別ではなくて、そのビジュアルは、どういった印象を相手にあたえるか、というところがポイントになるから

創作での違法行為について

ここでは各流派については踏み込まないけど、創作物の違法行為問題視されるのは概ね3つ

  1. 現実世界マネをする奴が出るから
  2. 違法行為肯定的に描かれるから
  3. 間違った知識認識を世の中に広げるから

漫画アニメーションには、現実人間に影響を与える力があると信じるものからすると、どれもまあ批判としては妥当かと思う。

受け入れるかどうかは別として、「アニメは良い影響を与えうる」と「アニメが悪い影響を与えうる」というのは、どちらも正しいと個人的には思っている。

1番のマネする奴がでるってのは、一番創作者にとって受け入れがたい指摘だとは思う。

悪い奴が悪いことをする、もしくは、悪いとわかっていてやることに意味があることを描いていても、指摘されるから

2番の違法行為肯定的にってのは、程度問題ではある。文化圏によるものもあるし、時代背景もあるしね。

ざっくり少年漫画少女漫画わず現在でも例えば「これ普通に暴行傷害だよな」とか「女性がやっててもこれ普通にセクハラパワハラだよな」みたいなのは散見される。

3番がちょっとメタっぽい話になるけど、2ケツって別にしたことないってアニメーションが増えると、そういう認識が広がる、という考え方のこと。

(主張する人たちが概ね3流派に分かれてるよねってことぐらいで、ここは特に踏み込まない)

創作内でのリアリティラインについて

アニメ版スーパーカブでは、(ビジュアル音楽とを取り払ってしまえば)リアリティラインは概ね一定に保たれていると思う。

個人的には、あの地域高校二年生が、自己矛盾なく一貫した姿勢物事に向き合ってたら気持ち悪いし、変だと思う。

ないないづくしの天涯孤独女子高校生が、他人に厳しく自分に甘く、2ケツで気分爽快とか、まあ良いんじゃないの?という。

ココは元増田の話とは違うと思うんだけど、「小熊は2ケツなんかしない!」って話とは、若干違うと思うんだよね。

人殺しの顔」は良く見るとしている、が、ビジュアルと反する

さっきのリアリティラインの話、純真無垢な箱入り娘のお嬢様じゃねえんだから法律違反ぐらいするだろ、みたいな話は

アニメーションビジュアルが訴えかけてくるものに反するからヘイトを生んでるんだと思うんだよね。

「口では2ケツは法律違反だって言ってるけど、つまるところあのビジュアルマイルドヤンキーみたいなの受け入れがたいってだけじゃね?」ってこと。

そしてそれは、「受け入れがたいというのは、ある程度しょうがないのでは?」という話。

要は、アニメーション全体で生み出そうとしてるリアリティライン齟齬が生じてる。

ゆるキャン△でさ、嫌な店主だからっつって万引きしてみんな笑顔で「やっちゃったねふふふ」とかやってたら受け入れがたかろう。

今日日の女子高生は別にグループ万引きとか普通にするしむしろ知らないのは世間知らず」とか反論はしなかろう。

あのキャラクター造形で、丁寧に遵法精神に欠けるところがあるって演出してても炎上すると思うな。

雑なまとめ

アニメーションビジュアルが訴えかけてくる「この主人公はこんな感じです」っていうのと言動が一致してないんでヘイト生んでるんじゃねえのかな。

「このアニメーションは、スーパーカブという原付の良い面を広げる啓蒙アニメーションぽいんすよ」みたいなのとか

「このアニメを通じて交通安全に思いを馳せて欲しいっすね」みたいなのとかが見え隠れすると、そりゃ反発もされんじゃねえかな。

例えば「ここは退屈迎えに来て」の中でまったくおんなじエピソードが語られたとして話題になるかっていうと、そんなとこ注目もされねえんじゃねえかな。

新海誠監督の時の「天気の子」で出てた法律違反の話と今回の件とは、語られ方がちょっと違うと思うんだよね。

ともあれ、個人的には「フィクション違法行為にいちいち難癖付けてて乙乙」みたいな茶化し、良くないと思うなあ。

少なくともその層は切り捨てて良い層なのか確認してから揶揄すべきだと思う。

ドウェイン・ジョンソンワイルドスピード無茶苦茶するのに笑ってる同じ人間が、今回の件で嫌悪感を示すの別にダブルスタンダードでも何でもないと思うのよ。

俺は、ワールドトリガーアニメ版で迅さんが原作とは異なる描かれ方をしているのを見てポリコレに屈しやがってとは思わない。客あっての商売よ。

とはいえスーパーカブは切るところ残すところの取捨選択ちゃんとなされてると思うので、まあこれぐらいは織り込み済みなのでは)

2021-04-12

anond:20210412224323

秒速5センチメートルで言うところの心がすり減ってる状態なんじゃね

今の状況じゃ難しいけど、1週間くらい休み取って普段行かないような所に旅行するとか情緒を取り戻した方が良いと思う

2021-02-20

お前が「花束みたい」と思い出した恋、昔の相手はとっくに枯らしてるぞ。

 最初に言っておく。俺は「花束みたいな恋をした」が大好きだし、元カノのことも嫌いとは思ってない。大筋は実話だが、バレ対策で所々の事実は曲げてる。この文に厳密に該当する個人は多分いないが、20代童貞ノンフィクションだと思ってくれて問題ない。

 タイトル通り。「はな恋」を見て俺が思い出した元カノは、「はな恋」を見ても元カレ(=俺)とのことなんか全然思い出さなかったらしい、という話だ。

 当たり前やろと思った人、盛大な独り相撲が好きなら読んでくれ。

 どこかにショックを受けた人、その幻想をぶち殺しにきたから読んでくれ。

 はな恋の中身の話もするから未見勢は早く観に行け。行って情緒に九頭龍閃されてこい。

 まずは思い出話。

 高3のとき、親密ってほどでもないけど話すと楽しいクラスメイト女子がいた。傾向は違うにせよお互い二次元オタクだったし、かといって自分世界に閉じこもり続ける訳でもない、それなりに真面目でそれなりに社会性があってそれなりにリア充を僻んでいるタイプだった。派手に迫害される訳でもなく、かといって異性にチヤホヤされる容姿でもないし浮いた話もない、そういうバランスの男女。たまに話が弾むうちに、お互いにちょっとくらい好感情が出るのは、ヘテロ若者だったら自然だろう。

 とはいえ高3だ。少なくとも都会ではない立地の(自称進学校で、大学が近くなる奴はまあまあレアだ。少なくとも俺は「最後だし気になる人には告白しよう」って思えるほど自己肯定感が高い高校生じゃなかった、遠距離の面倒くささを押しつけるのは気が引けるんだよ。だから例の彼女とも、別の大学行ってそれっきりなんだろうと思ってた。

 幸運なことに、あるいは不運なことに。俺も彼女も、違う専攻ながら志望校が一緒なのが分かってきた。一般試験を前提に難関(扱いの大学)に挑む勉強ガチ勢どうし、「一緒に受かろうね」という共闘意識はすぐに共有できた。

 共闘意識に加えて。「珍しく気の合う馴染みの女子男子)が」「同じ大学にいるなら」「お付き合いもできるのでは」という妄想だって始まってた。多分、彼女もそうだった。

 娯楽も限られ、空気の閉塞してくる受験期。これだけ利害の一致する人間がいたら頼りたくなる。教室やら予備校やらで顔を合わせる中で、少しずつ距離は近くなっていった。並んで歩いた、肩が触れた、バーガー店に寄り道した、ハイタッチした。ギリギリ友達範疇の、しかし交わす異性なんていなかった、そんなスキンシップがひたすらに幸福だった。リア充高校のうちにベッドインまで済ませている傍ら、ちょっと手が触れ合ったくらいで舞い上がるような高校生だった(今さらだ男子校勢には謝っておく)

 そうやって、言葉にはしないまま意識けが積み重なって臨んだ試験で、めでたく二人とも合格した。地方自称進学校で、ちょっとした快挙になるような大学だった。引っ越し手続きが落ち着いて、二人で祝勝会カラオケをして(君じゃなきゃダメ健全ロボがレスキュー!したのはうさぎですか?)、そのとき彼女から交際を申し込まれた。告白が叶った女の子が泣くんだって知った。

 親も応援してくれた難関大カップルで進む、進研ゼミもかくやという出来すぎた滑り出しで。お互いの好きなことは邪魔しないようにという(主に彼女の)方針だったから、サークルバイト優先で、一緒に過ごすことはそんなに多くなかった。それでも連絡は頻繁に取り合っていたし、相手が歩く新しい世界の話は純粋に好きだった。たまにファミレスで喋って、帰り道にキスするくらいで十分だった……俺がセッしたかったのは確かだったが、彼女からその手の話をされることがなかったぶん、踏み込みづらかった。まだ未成年だし、付き合いが長くなればそのうち、くらいの気分だった。自分を好きでいてくれる女の子が近くにいる、それで十分だった。

 そんな距離のまま後期になって、学業サークルも忙しくなってきた。お互いに真面目に取り組みたいのは分かっていたから、彼女からの連絡が少しずつ減るのも気にならなかった。

 試験期間が終わって、久しぶりに遊びにいって。そこで「別れたい」と言われた。納得もできないまま地獄に落とされて、それでも受け容れるしかなかった。水泳ときプールの中で海パンを脱がされるような日常だった小学校の頃以来、久しぶりに自死を考えかけたりもしたが、そんな気持ちまで彼女にぶつけるのはどう考えても間違いだったし(H誌のI田の件は絶許)、何とか立ち直った。カルチャーでつながった相手に振られてもカルチャーで立ち直ったオタクだ。気分転換の得意なフレンズなんだね

 あんまりな別れ方をした直後は絶縁状態だったが、数ヶ月もすれば傷も癒え、少しずつ彼女との交流も戻ってきた。そのときは明言していなかったが、サークルの先輩に心変わりしたのが大きな理由だったらしいし、今ではその彼と良好な関係が続いているという。俺自身、無害な友人としてはともかく、性愛対象としては魅力に乏しいと自覚してるし、そのくせ意識的にビジュアルを磨こうとも思っていなかったから、他の男に負けるのも無理はないと考えられるくらいになった。以前ほど親密ではないし直に会うことはなくなったが、たまには最近推しコンテンツ布教しあうような関係になったし、それが結構打率だった(というか言われる前から気になってる率が高い)ものからシンプルにオタ友として付き合えるようになった。何より、秘密を共有する相手というのは大きい。

俺は俺で、学年が上がるにつれて人間関係リソースを割けなくなってきたし(だから新しい相手もいないまま)、あそこで別れなくてもいずれ、という予感を抱くことも多かった。何より、その先が破局であったとしても、彼女との思い出には励まされてきたのだ。ひとときでも誰かに愛された記憶尊い、続かなくても間違いじゃなかった、違う道に幸あれ。本気でそう思えていた。別れたときに言えなかった「楽しかったね」だって、もう皮肉なしに言えたのだ。

 という風な経験を踏まえると。

「はな恋」がビシャビシャに刺さる人だな、というのは察してもらえると思う。

絹と麦が惹かれあっていく様子は高3の淡さを思い出した。初対面で作家の話ができるの最高だし、「電車に揺られる」と言っていたら気になる。

同棲中の過ごし方は進学当初に描いていた理想のものだった。同じ本で泣いたのは知っていたから、今度は一緒に読みたかった。

環境が変わると内面が変わるのを誠実に描いてくれたのも良かった。別れてからだって心は通じ合う、そんな関係性に自分たちもなれたと思っていた。

「はな恋」のキャッチコピーにまんまと乗せられた、これは俺たちの映画だ――という直感を抱いた頃、彼女も観る予定だとリア垢TLで見かけた。ただでさえコロナで人と会えない今、久しぶりに喋りたくなって、通話での感想戦を取り付けた。

 期待通り、映画の話は大いに盛り上がった、それはそれでちゃんと楽しかった。それは良いんだ。

 ただ、何を感じたか――というより「自分経験のどこに響いたか」は正反対だった。

 あらゆるシーンが彼女との思い出に接続されたと、缶ビールを片手に俺が語るのを聞きながら、彼女は段々と歯切れが悪くなっていた。顔は見えなかったが、多分げんなりしていたんだろう。

 やはり今が優先されるのが当然か、彼女が主に考えていたのは今カレとの馴れ初めや前途だったらしい。それは分かる。社会人なりたてとして当然。

 そこからが致命打だった。「君のことも思い出したけど、それは趣味が合う人がいる楽しさであって」「君と付き合っていた頃のことなんて全然思い出さなかった」「4年も経つのに君に思い出されて、ちょっとビックリしてる」

 つまりは、4年以上も前の恋人期を鮮明に思い出している俺に戸惑っていた。そんな言い方はしなかったが、完全に引いていた。

 俺から復縁を申し出たことは一回もないし、知らないなりに彼女と今カレの関係は(少なくとも言葉上では)祝福している。よりを戻せるだなんて全く期待していない。君の運命の人は僕じゃない、否めないというか今さら否定する元気もない。

 それでも。どうやら俺は、終わった恋に甘えすぎていた。彼女が「思い出」のフォルダに整理した体験を、ずっと大事に抱えたまま、昨日のように覚えたままでいる。

 新しい恋人が出来たからだとか、そもそも男女で思い出し方が違いやすいとか、そういう話も分かる。それでも俺は、かつての恋人の中で自分がどれだけ小さくなっているかを示されたのが相当にショックだったのだ。それだけ小さくできる存在が俺だ、そのことに今さら傷ついているのだ。

 また好きになれとか、振ったことを後悔しろとかじゃない。こんな映画を観たときに思い出してくれる、そんな存在はいたかった。絹と麦に憧れたのは、あれだけ幸せ現在を過ごしていたから以上に、幸せ過去を大切にできているからだ。パンフレット一枚目フレーズ号泣したの、俺だけじゃないだろ。

 薄桜鬼ヘタリアも黒バスも、見かけるたびに彼女が話していたことを思い出す。SAOゆるゆり麻枝准も、彼女は多分もう気にしていない。

 ラジオ映画評で宇多丸さんが言っていた、「別れた後でも、その思い出がある人生は素晴らしい」ことを描く映画じゃないかと。俺自身がそうだった、それを確かめさせてくれる映画だった。柔肌の熱き血潮は夢のまた夢、それでも、そんなに寂しい訳じゃなかった。あの頃に積み重なった初めての温もりは、どれだけ経っても心を温めてくれていた。そんな粘着質な感情なんて誰にも言えない、言えないけれど。彼女だってそうだったと信じていたのだ。別れたとはいえあんなに分かり合えていた。別れた後も上手く折り合いがついた、それはあの頃への愛着があるからだと思い込んでいた。

 あん未来が待っていた、それは一方通行の夢だ。ずっと知っている。

 あんな日々もまだ温かい、それも一方通行の夢だ。知りたくなかった。

 それでも好きになってくれた自分が誇らしい、そんな幻想だって、確かに明日への糧になっていたのだ。いつかそう思ってくれる人が現れる、それまでちゃんと生きようと自分に言い聞かせていた、それだって幻想だといよいよ痛感した。

 とはいえ精神に多大なダメージを食らったとはいえモラトリアムから目を覚ますには良い機会でもあったのだ。「自然な」出会いなんか一生来ない、やるならちゃんと金をかけてシステム使ってやるしかないし、ひとりで生きてく覚悟を決めたっていい。いずれにせよ、あの頃みたいな出会いなんて一生ない。少なくとも「俺には」ない。

 色褪せてきたことに気づかず、花瓶に飾ったままにしていた花束を。そろそろ片付ける頃合だろう。

「今回の件からお前が得るべき教訓は」別れた後の恋人に思い出話なんて、大抵の場合はするもんじゃない。胸の奥の花束は、陽に晒しときには枯れていく。

別れた後も思い出話に花が咲く人がいたら、それはそれで尊敬応援もする。けど、俺は違った。

かつて恋仲だった俺たちへ別れを告げる、いい機会だった。嫌いにならないまま、後悔まではしないまま、背を向けて手を振ろう。数年の時差はあったが、麦と絹の再演だ。

……ということを書きながら、段々と思いはじめたんだが。

秒速5センチメートル」を作ったときの新海さん、こんな気分だったんじゃないだろうか。ポスト宮崎駿というか終身名誉レぺセン童貞の誠くん、さっき「はな恋」も観たらしい誠くん、大丈夫? 話聞くよ?

2021-01-11

感動のない30歳のこの日

「30歳以上の人間は信用するな」っていう説があってさ

人間の成長発達では30歳までに世界の真理がすべて理解されるんだって

それ以降は忘却してくんだって

彼が何を言いたいのかわからなかった

そして2年後 彼を見たのはテレビドラマの中だった

……あいつは30で狂ったのか それとも

29で何かに気づいたのだろうか

オレはずっとあの会社で働き こいつと一生 暮らすのだろうか

明日で30になる

――戸田誠二「いきるススメ(2003)」収録「Don't trust over 30(30歳以上の人間は信用するな)」より



20歳までに死ぬんだ」「こんな苦しい世界は、そこまでで終わり」

そんな信念を持っている人間は、きっとどこにでもいる

自分もそんな思いを持った、そして当たり前のようにそれが叶わない程度のつまらない人間だった

30歳になるなんて想像もしなかったし、その先の人生に想定も無かった

かつてあれほどまでに真剣で切実だった思いが綺麗に失われていることに僕は気づき

もう限界だと知ったとき

会社を辞めた

――新海誠秒速5センチメートル


そう、かつてあれだけ「死にたい」と願っていた自分は、もうどこにもいない

少なくとも、意識の視界の範囲内には

30歳になることに、感慨すら覚えなくなる程度にはつまらない人間になった、なれた

いや、初めからまらない人間だったのが、魔法が解けたに過ぎないのかも知れない

長い思春期は、いつ終わったのだろうか

2020-08-23

米津玄師ファンを辞めた話

米津玄師国民アーティストとなって久しい。

もとよりアイネクライネをはじめとしてLOSER、ピースサインなど若者を中心に認知はされていたけれども、Lemonがこんなにも幅広い年代に聴かれる曲になるとは思っていなかった。音楽といえば昭和歌謡で止まっている私の母でさえもCDで何度も聴きライブDVDを繰り返し観た。その母よりもさら流行りに疎い父でも、とりあえずは「米津玄師」の名を知っているというほど、Lemonは彼の存在を世に知らしめた。

そして8月5日米津玄師の3年ぶりとなるアルバム『Stray Sheep』がリリースされた。Lemon、flamingo、馬と鹿など数多の人気曲を引っさげた「最高傑作」と評価されたアルバムだ。

当然私も買った。そして全曲聴き終わった後、脱力してしまった。「みんなのものになってしまった」と、ほんの少しの絶望と寂しさを感じたのだ。

私は彼の大古参ファンという訳ではないが、それでもハチ時代の曲はそれなりに聴いてきたし、米津玄師の名でメジャーデビューしてからはずっと彼を追いかけていた。ボカロPとしては伝説級の人物で、ボカロ全盛期と言われたあの時代を生きた人間しかこ感覚は分からないと思う。多分この感情を持っている時点で、これから米津玄師についていける人間のふるい落としにかけられていた。

ハチ(ボカロ)の曲をバカにしていた友人が米津玄師の曲を褒めているのを見るとムカつく」というのはLemon以前、もっと言えば一回目の転機になったであろうアイネクライネ以前から応援しているファンの中でのテンプレ感情である。「応援してたインディーズバンドメジャーデビューしてちょっと寂しい現象」と似たものなんだと思う。かくいう私もLemonが大ヒットを飛ばしている最中自分の事のように誇らしい気持ちの裏にどこかそれと同じ感情を抱いていた。それを拗らせに拗らせた結果がこのブログだ。(そのようなテンプレ感情を患わせた古参米津オタクのみんなにはなるべく新規ファンに優しくしてくれることを祈る)

ただ、それはある種仕方の無いことだ。ハチから米津玄師初期、アルバムでいうとdioramaやYANKEEあたりの曲と、BOOTLEGやStray Sheepの曲の雰囲気はまったく異なるから新海誠で例えると『秒速5センチメートル』と『君の名は。』くらい違う。

それでも私はあからさまに変わった彼の音楽に対して感じる寂しさを拭えきれなかった。

音楽の専門的なことはよく分からないので「この曲のこの音が〜」などと詳しい話はできないが、単純に昔の彼の音楽が大好きだった。好みの別れそうなおどろおどろしいサウンドや、少し毒々しい歌詞名前も付けられないような感情を代弁してくれたような優しい歌詞も。米津玄師は私にとって、教室の片隅にちょこんといる人間を、誰も知らないアミューズメントパークにこっそりと連れ出してくれる魔法使いみたいな存在だった。そこで集まったみんなは似たもの同士だった。一種選民思想的なものさえ感じていた。

だけど今では「好きなアーティスト米津玄師です」と言うのがはばかられる程の人気者になった。好きであろうと嫌いであろうと、とにかく新曲情報が入ってくる。そんなポップアーティストとなった。

米津玄師」の名のついたものはなんでも売れる。それくらい、彼は彼自身ブランドを築き上げた。もう小学生適当に作った曲でも、米津玄師製作と銘を打てば売れるんじゃないかって、そんな意地悪なことも考えたりするほど。

そして彼を好きであることはアイデンティティでもなんでもなくなった。

みんなが彼の曲を聴くから。彼の音楽大衆文化として消費されるようになったから。純粋に彼の心地よい魔法にかかっていたのが一変、彼の噂を聞きつけた野蛮な人間に土足で村を踏み入られたように感じられて、なんだか居心地が悪くなった。

何が悲しいかって、彼自身がそれを望んでいたことだ。

米津玄師は度々インタビューで「普遍的ものを作りたかった」と語っていた。そしてそれがLemonであった、と。

その言葉を聞いたときに、「みんなの歌」じゃなくて「私たちの歌」を作ってよ、と叫びたくなった。しかしそれと同時に勘違いしていたことに気づいた。私は勝手自分エゴ押し付けていたのだ。彼を自分代弁者だ、「こっち側」だ、と祭り上げていた。彼が見ている世界は、そんな小さなものではなかったのに。だけど、どうしてもそれが、置いていかれたみたいで嫌だった。

よくよく落ち着いてみると、こうして純粋に彼の曲を楽しめなくなってしまったのは、私が本当に好きだったのが「あの頃の米津玄師」ではなく「あの頃の米津玄師を好きな私」だったからかもしれない。それはそれでかまわない。

どれだけ私が寂しがったところで、彼はこれからも素敵な曲を書きもっともっと愛されるアーティストになっていくだろう。コンサートで「誰一人この船から落としたくない」と語ったように、これから米津玄師という船は正しく真っ直ぐ平等に、より多くの人を救うような、より多くの人が楽しめる方へと舵を切っていくのだ。

彼の素晴らしい旅路に祝福を。無惨にもその船から零れ落ちて溺れ死んだ人間からささやかな反逆心を持って言葉を送らせてもらう。





追伸・この文章を書いている最中米津玄師カロリーメイトCMに出ていることを知り、さら絶望した。

2020-07-17

anond:20090717010338

青春時代の傷を深く抉ってくるよな。

One more time, One more chance聴くだけで涙腺が緩むようになった。

カラオケで歌おうとするとぼろぼろ泣いて歌えない。

 

「僕はただ働き続け、気づけば日々弾力を失っていく心がひたすらつらかった」

見た当時、まさに主人公のように日々の仕事で失われる人間性自覚しつつ、行きずりで付き合っていた彼女と別れ、それでも身動きができず擦り減っていく自分傍観しながら生きていた。

山崎まさよしが歌い始めた途端に滂沱の涙を流し、過去の後悔やあり得た未来への羨望も、何もかもが綯い交ぜになりただただ泣いてすべてを忘れようとした。

秒速5センチメートル字面だけできつい俺ガイル

 

ついでに今も下り坂を転げ落ち続けセルフネグレクトを起こし人生ロスタイムをただ過ごす日々。

2020-03-22

社会についていけない

社会人になって早2年が経った。この2年で色々とあったけど、常に落ちていく一方であったように思う。

やる気に満ちて入社したのもつかの間、自分専門性はまったく活かせない仕事内容とわかり、急速に失われていった仕事への熱。

追い打ちをかけるように、学生の頃から付き合っていた彼女との別れ。

残業時間けが順調に増えていき、会社で夜を明かすこともしばしば。

その頃から人生生き方といった哲学的思考自分の中に渦巻くようになっていった。

古典も読むようになったが、結局、弾力を失った心には救いとはならず、1年足らずで会社は辞めてしまった。

中学の頃、秒速5センチメートルに深く感銘を受けたが、まさか自分主人公と同じような状態に陥るとは、その頃は思っても見なかった。

幸いなことに、次の職場はすぐに見つかり、専門性も活かせそうな職場だったため、今度こそはという気持ちもあった。

けれど、蓋を開けてみれば精神状態悪化の一途をたどった。

上司への報告に怯え、相談もできず、ひたすら1日が終わるのを待つようになり、

ただ休日けが待ち遠しい生活を送るにつれ、いよいよ自分社会についていけないと自覚するようになった。

最近は「〇〇すべき」「成長」「目標」といった言葉にも拒否感を感じる。

学生の頃はバイト研究も充実していて、自分未来が明るいことをまったく疑っていなかった。

そんな自分がこうなってしまうのだから、生きることはなかなか難しい。

正直、このままサラリーマンを続けていけるのか不安しかなく、いっそ周りの目を気にせずにまた辞めてしまいたいと思う。

自然が豊かなところでカフェでも開いて、のんびり生きていきたい。

今はまだ客観的自分を見ることができているけれど、もう疲れた

みんなどうやって生きているんだろう?

皆さんの経験を教えて下さい。

2020-01-14

秒速5センチメートルって映画

この男はずっとこの調子でボソボソ喋るのか?

2019-12-27

今日の夢:学校という閉塞された空間について

昨日、夢を見た。ずっと昔の夢。その夢の中では僕たちはまだ十三歳で、そこは一面の雪に覆われた広い庭園で、人家の明かりはずっと遠くに疎らに見えるだけで、降り積もる新雪には、私たちが歩いてきた足跡しかなかった。

――新海誠秒速5センチメートル


“いつも通り登校し、教室の真ん中にある自分の席に座る

教室の後ろ、左から2番目の席には、「現実」の小学校で友人だった男子生徒が座っていた

互いに目配せした後、私は席に向かう

隣席の女子生徒が何かをしている。どうやら、この人とは知り合いのようだ、見覚えはないが

授業が始まる。なぜか内容はマインスイーパーだった。

今日は新しい単元のようで、周りが悩んでいるのが雰囲気で分かった

一通りのルール規則解説された後、切り抜きの法則という聞き覚えのない法則提示された

さっぱり意味が分からなかった。

それを不思議に思い、いきなり場面転換した授業を不思議にも思わないまま、教員質問をする

「今のままで解けているなら、それで良いよ」と、そう言われた

そうか、教師がそういうのならそれでよいか、と納得し、また場面が変わる”

昨日の夢は、こんな雰囲気だった

私が“教室”にいたのも、すでに10年や20年は前の事だ

から今日は久しぶりに、学校特有のあの閉塞感を思い出した

から醒め、さらさらと砂細工が崩れるように薄らいでいく記憶感触ではあるけれど

先ほどまで確かにそこにあった、現実感の強い教室雰囲気、そして居心地の悪さ

やはり、あの空間は好きになれない

たとえ人生をやり直せたとしても

2019-12-06

20年前に別れた彼女への気持ちはなんと呼べばいいのだろう?

初めて付き合った彼女の事をいまだに思い出す

いまお腹いたくてウンコ我慢してるんだけど

はらいてぇ、あいつ引き受けてくれないかなこの痛み」

って思った。

いや結構頻繁に思う、例えば眠いときとか

「俺のこの眠気引き受けてくれないかな」

みたいなことを、週に1度はそんな妄想している。

このなんと呼べばいいのかわからない気持ちを維持してしまった戦犯はわかっていて

新海誠秒速5センチメートル

なぜ見に行ったのか覚えていないが、劇場まで見に行った

そこには初恋女性を忘れられない腐った俺みたいな男が、まるで壊れやすい宝物のようにキラキラと描かれていて

あ、俺の気持ちもこうやって綺麗に仕舞い込んでいいんだって、まるでゼロから始めましょうって言われたかのように目の前が開けた

それから俺は俺の人生を歩むことができて今は嫁も子供もいる

なので戦犯であり俺が前に進めたのは新海誠のおかげ、

別に昔を思い出したりはしないし、今の嫁に不満はまったくないし

仮に今あいつに会ったとしても付き合いたいなんて思わない

ただ、こうしてたまに痛いこととか辛いことがあると

「引き受けてくれないかなぁ」

と思い出す、いったいこの気持ちはなんと呼べばいいのだろう?

2019-11-10

そうして、人は悲しさや喪失すら失くして生きていくことになる

あたし忘れかけてる

お母さんの顔 忘れるはずないのに一瞬浮かばなかった

大好きだったお母さんの匂い

服は全部取ってあるのにもう防虫剤で分からない

いやだ 悲しくていい 忘れたくない お母さんのそばにいるんだ

私屋カヲルこどものじかん10

もう一度思い知ったから 色褪せていくこと

“思い出”に変わっていく

身を裂くようなさびしさを 悲しみを

忘れることはなくても 鮮やかな記憶として残せない

どう言い繕ったって どんなに どんなに誓ったって

時は動き 褪せていく残酷なほど

悲しくて そんな事実が悲しくて悲しくて

なのにもう 止まらない

お母さんを一番に想っていた私は“思い出”になっていく

まらない とまらない

高屋奈月フルーツバスケットフルーツバスケット20

この数年間、とにかく前に進みたくて届かないものに手を触れたくて

それが具体的に何を指すのかも、

ほとんど脅迫的とも言えるようなその思いがどこから湧いてくるのかも分からずに

僕はただ働き続け

気づけば、日々弾力を失っていく心がひたすら辛かった

そしてある朝

かつてあれほどまでに真剣で切実だった思いが綺麗に失われていることに僕は気づき

もう限界だと知ったとき

会社を辞めた

新海誠秒速5センチメートル

三界狂人は狂せることを知らず

四生の盲者は盲なることを識らず

まれまれまれまれて生の始めに暗く

死に死に死に死んで死の終りに冥し

弘法大師「秘蔵宝鑰」


死にたいエントリを書き散らし、はてブに煽られるのを繰り返さなくなって、もう何年経つのだろうか

真夜中にポエム製造しなくても生きていける人生に、いつからなったのか

自殺する想像が浮かばなくなって、もうどのくらいになるのだろうか

“――かつてあれほどまでに真剣で切実だった思いが綺麗に失われていることに僕は気づき

そうして、人は悲しさや喪失すら失くして生きていくことになる

そんな、何もない人生を送るくらいだったら

もう一度、もう一度だけでも、その喪失と傷付きを再体験

今度こそ悼みを魂の奥深くまで刻み付け

自らの血の痛みと温かさに酔いながら生きていきたい

何もかも忘れて、ぬるま湯のような平穏を生きるなら

どこまでも溺れて、苦しんで、藻掻いて、傷付いていたい

私は、自分の生と死と不在と欠損と希求真摯でありたい

2019-07-30

「天気の子」を嫁と見た

本当は普通にやってるブログで書きたいところなのだが、微妙実名を調べられる名前でやってるうえに、嫁の安全のため「嫁の存在絶対実名の分かるオンラインには書かない」と約束しているので増田に書く。その分嫁成分も含めつつ。

これまでの10ちょっと新海誠と嫁と自分とはつかず離れずの位置にいた。べつに3Pしてたわけではないが、デートのあとに部屋に入って「笑顔」DVDを見たりもした。嫁にアニメ成分はなかったし俺にもそれほどアニメ好きはなかったが、ゲームをやり込むよりもアニメを一緒に見るほうがいろいろを説明するには楽だったので嫁はアニメ好きに変わっていった。いつの間にか俺が見たこともやったこともない「ひぐらし」のアニメを全話走破したりしていた。なんだかんだで飛行機が止まって1泊多めに泊まらざるを得なくなったとき狸小路アーケードをトボトボ歩いて見に行ったのが「雲の向こう、約束の場所」だった。夜の上映で女性は嫁一人、同類扱いされたくなかったがおそらく他の観客と自分はそれほど違うようには見えなかったと思う。パンフレットを事前に読んで設定を把握しないと意味のわからないストーリー感想は「三ツ矢雄二が監修してたんだね」「主題歌の♥って川嶋あいに似てるよね」という微妙ストーリーとは関係ない話に終始した。その後地元でも上映した「秒速5センチメートル」には嫁は誘わず一人で見て、そのあとでDVDを買って自宅で一緒に見た。「星を追う子ども」はまともには観ず、大成建設CMを見かけるたびに「新海パイセンらしいね」と話し、いつの間にか動画配信が始まっていた「言の葉の庭」を一緒に見て、その流れだったかは忘れたが「君の名は。」を先に見に行ってから「たぶん大丈夫だ」と改めて誘って劇場で鑑賞し「パイセン頑張ったね」とお互いに喜びつつ今に至る。

長くなったが今回の「天気の子はいずれ見に行く予定だった映画だった。アニメをよく見るようになった嫁とは言え、二言目には「犯人誰?」と聞く性だからこちらも最低限調べて「セカイ系らしいよ」とは応えた。「おおまかに言って、『彼女を救えば世界が滅びるし、世界を救うためには彼女を見殺しにする必要があるジレンマ映画』」と答えたのが正しい反応だったかはわからないが鑑賞の2時間前だ。劇場は8割の入りで、スクリーンを正対して見られる席の中央を予約してしっかりと終わりまで鑑賞した。

終わったあと、適当に入った喫茶店での感想は、「いや、『君の名は。』と同じかどうかはわからないけどそれなりに名作だとは思うけれど、微妙だよね」だった。ここのところ「入れ替わってる!?」と同じくらいにハモったと思っていい。何かが微妙だったのだ。同じ場所で「微妙」だと思ったかどうかはわからない。ただ微妙だ、と思ったことだけは一緒だったのだ。

なんだかんだで瀧くんは似た風貌だったけど嫁は「瀧くん居たね」と声で特定していた。三葉かどうかはわからないがMIYAMIZUの文字自分にも読めた。スタッフロールだけで確認した四葉は嫁もどこにいるか特定できなかった。犬の2度めがわからないのも一緒だった。未成年に酒を飲ませないのと何があってもシートベルトは締めるのは今どきらしいなとも思った。幻の魚はいまいち意味がわからなかったうえにそのうちいなくなっていた。

「それにしても言ってた『セカイ系』とあそこまで同じストーリーだったとはね」と嫁には言った。ものの流れで序破Qみていて「翼をください」のあのシーンも見ているから構図が全く一緒なのもわかるし、予告編では:||の新画像も出ているしそれは思ったことだ。水に沈んだとは言え、二人とも「ポニョ」に思いをはせなかったのは今考えてみれば不思議かもしれない。

まあでもさ、北海道滅ぼしたこともあるパイセンからさ、東京くらい滅ぼすよな、と自分は思った。実際に滅んだのは「ガメラ2」での仙台のほうが、もしくは糸守町のほうが大きいのかも知れないけれども。

それにしても新宿再現具合は驚いた。大ガード越しに東口方面ネオンなめる画面、どれも架空名称には見えなかったから。もしかしたら意識外で架空名前に変えられていたものがあるかもしれないけれどね。あとK&Aプランニング新宿から(区はいっしょだけど)微妙に離れて、主な地域田端になるの、新海誠引っ越したのが理由だったりしたら笑うね、たぶん違うとは思うけど。

そういえば全国を巡回していた新海誠展にも別件での用事を作って嫁とは見に行ってたんだった。高校卒業してから大学入る前に1年の空白ができるの、あの頃の大学進学希望高校生にはありがちだったけどなんとなく親近感を持ったな。まとまらない話だけど、こんなところで。

2019-07-28

天気の子秒速5センチメートルとその他作品など

位置

ボーイミーツガールやって別離・再会やるなら定番

大人

"大人"を振りかざして感情に蓋をする感じは典型という感じか

此岸彼岸

天気の子の非常にうるさいプロダクトプレイスメントが効果的で良かった

草原に寝転ぶ女の子

これについてはまた考える

大丈夫かどうか

2019-07-25

よく考えてみれば秒速5センチメートルってキモかったね

送るつもりのないメールを打つとか意味わかんねーよな。

2019-07-24

anond:20190724230729

新海誠秒速5センチメートル最後の方山崎まさよしの曲をかけながら初恋のすれ違いみたいなのをやってて

それ以降性欲異常者シンカイが自身性癖を詳らかにする事を、まさよしする、という文化圏があるんだ

変な絡み方してすまん……

海賊

秒速5センチメートルで近づきながら「君の名は」と名前を聞いてくる天気の子(天気を操る悪魔の実能力者)

2019-07-20

「天気の子感想

他の人の感想批評を目にする前に、見たばかりの自分が感じたことを雑に書き留めておく。雑に。

結論からいうと面白かったし、楽しめた。

君の名は」のような複雑な構造をもたない、テンプレ的な物語を新海なりの作画演出で見せる映画

良い意味で頭の悪いボーイミーツガール

新海誠自分のことを利口に見られたいタイプかと思ったけれどそうでもなかった。

とくにこじらせている感じもすかした感じもしない少年少女の恋の物語

不思議少女出会う、その少女不思議な力を使うことで一時の幸せが訪れ2人は惹かれ合う、

しかしその少女が力を使いすぎたせいで悲しい別れが訪れる、

少年童貞力でミラクルを起こして少女との再会を果たす。

本当にどこにでも転がっているような話。

君の名は」がヒットしすぎて次回作ゆっくり練っている間もなくて

開き直って小細工なしの王道勝負しようと新海誠が思ったのかどうか知らないが、

個人的にはその試みは成功していると思う。

クライマックス、再会を果たした少年少女が2人で空から落ちていくシーンにはけっこうじんと来るものがあった。

どうやって着地するつもりなんだとはらはらもしたがカメラ変わったら廃ビル屋上鳥居の前にちゃんと戻されていた。

いいんだ、この映画は頭の悪い恋愛ストーリーなんだ。

帆高が家出をしないといけなかった事情だとか、

母親病気で死んだぐらいしかからない姉と弟の2人暮らしとか、

誰でも好きに侵入できる廃ビルなんか東京のど真ん中にあんのかよとか、

東京に雨を降らし続けている謎の存在の正体だとか、

なぜ晴れ女が人柱になったら雨がやむのかだとか、

とくに説明はされないけど、時間がなかったのかやけくそなのか前作で意図したことがちっとも客に伝わってなかったからなのか、

理由はともかく削ってよかったと思う。

空っぽにして作画演出の美しさを楽しむことができた。

ひなさんかわいいですね。ブヒ

公開前に新海が賛否両論になるといったのは、

帆高と陽菜が雨を止ませることよりも自分たちの幸せを選んだことについてだと思うんだけど、

それはべつに賛否を呼ぶようなことでもないような。

世界を敵に回しても僕は君一人を救うことを選ぶ、みたいなのセカイ系でさんざん見てきたんで

それに比べたらこんなのぜんぜんマシ、常識範疇

秒速5センチメートル」でも「君の名は」でもない、

童貞力はそのままに批評余地もあまりなさそうな頭悪いエンタメに走った新海についてという話なら

それは賛否両論あるだろうなとは思うけれど、自分としては楽しめたからよし。

前作が売れたからと個人的趣味に走って退屈な作品になりさがるようなのよりかずっといい。

もっと身悶えするような気持ち悪い新海が見たいという需要もわからないではないが。

『天気の子』は劣化君の名は。』な駄作だった

公開直前のインタビューで新海は「賛否が分かれるものを作った」と語った。

それを見て、「あ、いつもの新海に戻るのかな?」と思った。『君の名は。』で釣った客にポエム自己完結の新海ワールドをぶつけて全面戦争を仕掛けるのか! と。しかしそんなこたー全然なかった。蓋を開けてみれば『天気の子』は単なる劣化君の名は。』に過ぎなかった。がっかりだ。

ダメな点は色々あるがクリティカルだったのは物語感情がまだらになってるところ。ようは暗いシーンのあとにやや明るいシーンが来るのだがまた暗いシーンになるためどういう感情でいればいいのかが凄くわかりにくかった。

これは『君の名は。』と比較すれば差は歴然だ。

君の名は。』はややおセンチモノローグから始まるが、すぐに入れ替わりのコメディシーンにつながり、テンポの良いそれは見ていてとても楽しい

楽しい気分にひたっていてやや飽きを感じ始めた頃に瀧と先輩のデートが失敗し、「なぜか。もう二度と。俺と三葉との入れ替わりは起きなかった」という“謎”が提示される。

そして瀧は直に会おうと糸守を訪ねるが、そこで彗星の落下によって三葉がすでに死んでいることを知る(シリアス)、という感じだ。

君の名は。』のストーリーはこれ以上追わないが、コメディ→謎→シリアス目的明確化彗星が落ちる前に皆で避難する)→歓喜(かたわれ時の再会)→暗転→奮闘→大団円、と今どういう感情でいればいいのかということを物語が迷わせないつくりになっているし、『君の名は。』はそういった完成度を持った作品だった。

RADWIMPS楽曲も、シーンの移り変わりや強調に使われて非常に効果的だった。

翻って今作である

冒頭、ヒロインが天気の子になった経緯を説明されたかと思うと、家出してきた主人公新宿歌舞伎町世間の冷たさを味わうシーンに続いていく。いきなり説明→暗いシーンをカマされ気分は上がらない。

その後やや明るいシーンになるが、主人公ヒロイン生活環境がアレなので底部に流れるテンションは暗く、そしてそれがやがて表面化(その最たるはヒロイン消失)する。

その表面化も事前に予測がつくように設計されてるため、明るいシーンを見ていても「どうせ後で……」と落ち着かない。つまりずっと消耗させられっぱなしなのだ。これはキツい。

もうひとつキツいのは主人公が幼稚すぎて感情移入しづらいという点だ。

子ども主人公がなんだからそらそうだろ、という話はあるのだが、“学校”がフィールドだった前作とは違って家出してきた少年フィールドは“社会”になるためアテもなく家出してきたことやそれが故に困窮しても「帰りたくない」と言い張る姿はやはり幼く映る。

特にコイツやべーとなったのはヒロインが消えた理由理解しない周りの大人にキレ散らかすところだ。普通こういう情報格差によって周囲が無理解な時、視聴者としては主人公側の心情に立つものだが今回は中々そうなれない。何故か。それは視聴者主人公の側にも情報格差があったかである

俺は基本的主人公視聴者情報格差はない方がいいと考えている。視聴者が得ている情報によってこうすべきと思う行動を主人公が取らないと苛立つからだ。もし主人公視聴者情報格差を作るならフォロー必須だと思ってる。『天気の子』はそのいずれでもない。

ヒロインが消えると視聴者は早い段階で予測できる。そういう設計になっている。しか主人公はそれを察しないし、決定的な情報提示されたときも反応が鈍い。それなのに自分は周囲にキレ散らかすのだけは忘れない。ただのやべーやつである

主人公がそんなだからヒロインと再会し、気持ちを確かめ合うように互いの名前を呼ぶシーンも冷めた目で見てしまった。『君の名は。』のかたわれ時やラストシーンのよっしゃ感とは雲泥である

そろそろまとめに入ろう。最初に『天気の子』は劣化君の名は。』と言ったが、『君の名は。』とは何でどう劣化しているというのか。

君の名は。』とはひょんな出会いを果たした少年少女が超常現象によって引き裂かれ、残された側は相手ともう一度出会うために必死にもがいてそれを果たす“エンタメ作品である(『言の葉の庭』と『秒速5センチメートル』以前は“エンタメ作品”ではない)。よく見かける構造といえばそれまでだがいずれにしても『天気の子』はその形を踏襲している。しかし肉付きが圧倒的に劣る。

これまで挙げてきた要素はその筆頭格だし、その他にもふたりが再会するシーンのアイデア演出にも歴然とした差がある(「かたわれ時だ」は非常に美しい)。「忘れないように名前書いとこうぜ」からの「好きだ」のようなぐっとくる演出コメディ部分で手に名前や苦情を書いて伝えていた、という点とつながるのが良い)もないし、ラストシーン拙劣さは『君の名は。』に比べると目を覆わんばかりだ。「天気って不思議だ。ただの空模様にここまで心を動かされてしまう」という主張も正直「だから?」という感じで刺さらなかったというのもある(けっきょく大事なのは天気ではなく大事な誰か、という結論だし)。

君の名は。』がヒットしたから次もそれで、というのは理解できるし、これ以外でどうやれというのかとすら思う。ただ肉付きでここまで劣ってしまうなら違う構造の話にチャンレジして死んだほうがまだマシだったのではないか

というわけで『天気の子』はがっかりするほどの駄作だった。クソミソにけなしておいてなんだけど俺は新海誠ファンなので悲しい。

ほしのこえ』で新海を知り、『秒速5センチメートル』で「これは新海の集大成だ!」と吹き上がった過去を持つ俺でも『君の名は。』のPVを見たとき「あ、これは売れる」と素直に思った。実際その通りになったし(もちろんあそこまでの大ヒットになるなんて思いもしなかったが)、そんなクソウザ古参でも『君の名は。』が新海作品の中で一番面白いと胸を張って言える。

新海誠はいつまでも過去やどうにもならない何かに拘泥する男を描くだけのクリエイターじゃなくなっていた。それはとても喜ばしいことであり、同時に階段をいくつも上ったんだと確信した。『天気の子』のPVを見て嫌な予感はしたが、押し殺して封切り初日映画館へ向かった。嫌な予感を信じるべきだった。だって君の名は。』はPVからして面白そうだったんだから

前作の半分、悪ければ1/3ぐらいの興収だろう。口コミも広がらず、けっこうなコケ方をすると思う。

新海誠は新海的なものとの決着を『秒速5センチメートル』でつけ新境地を切り開こうとした。しかしそうして出来上がったのはジブリ劣化コピーだった。『言の葉の庭』という中編で再起を果たし、『クロスロード』という小品で手応えを得た新海は金字塔を打ち立てた。しかし次に作ったのは前作の劣化コピーだった。

新海はこの先、どこに向かうんだろう。今作が劣化コピーだったという認識なくして前には進めないと思うが本人も周囲もそれをひた隠して次なる場所を目指すんだろうか。

それでも俺は、そのたどり着いた場所を、わずかな恐れとともに待ちたいと思う。

2019-05-22

深夜のネットカフェで見たら死にたくなる作品教えて

昨日の夜中は秒速5センチメートル見て死にたくなった

今日も通う予定なので教えてほしい

別にアニメじゃなくてもいいしなんなら動画じゃなくて漫画でもいい

とにかく深夜のネットカフェで見たら死にたくなれる作品教えてほしい

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