はてなキーワード: 方向音痴とは
当日はひとりで横浜観光して、中華街、ウィンドウショッピング、赤レンガ倉庫とか山下公園で街並み観光を楽しんだ所存。
横浜は人生で二度来たことあった。一度目は校外学習で、班長だった私は道に迷って、帰りのバスの時間に遅れたことで先生にこっぴどく怒られました。方向音痴なんですね。昔から涙腺よわよわだったからバスの中で涙が止まらなくてみんな心配してくれた。だからあまりいい思い出はない。二度目の横浜は、コスモワールドにあるコスモパニックの非常口へ行かなければならなかったから。このコスモワールドは、みんなご存じ横浜の遊園地の名前。じゃあなんでそこに行かなければならなかったか、それは、SEKAI NO OWARIの聖地で、コスモパニックがなくなっちゃうっていう記事を見たから。部活あったけど行かないで終わるなんて嫌だったから、それも休んでまで行ったの。だけど今回コスモワールドに行ったとき、コスモパニックは、なくなっていなくて、ちゃんとあったんですね...私何のために二度目行ったんだろう。
この日周った中で一番楽しかったのは中華街かなぁ、食べ歩きは正義だよね。餃子、肉まん、イチゴマスカット飴、揚げまんじゅう、ダージーパイとか食べたけど、意外とコスパ良くって満足度高かった。ちなみにダージーパイは一人で食べるものではないので気をつけようね^^半分でギブったしそのあとのイチゴマスカット飴があまりに美味しくて白目剝いたわ
あと中華街で占いもしてもらった! ”鳳占やかた”っていうお店を選んで、手相と誕生日を見てもらうことにした。3300円で色々教えてくれたし意外と安いと感じたかも。占いって当たり前のことをあたかも自分のことのように言われるって友達とか有名人が言ってたから期待はしてなかったのよ。でも嘘でも背中押してもらえるようなこと聞けたらいいなって思って、勇気出して行きまんた!話によると、私って元気な人で、人と関わる仕事が向いてるらしい。今看護師になるために勉強してるからすごく心強い言葉でしたね。上司にかわいがられながら、専門的な勉強をするのがいいんだって、海外行くのもいいって言ってくれたから、行こうかなとか、口だけだけど考えてみてる笑 ちなみに今行きたい国はシンガポールです。それと、将来は結婚して子供も男女1人ずついるらしい。今は手相の結婚線ゼロって言われたし彼氏も好きな人もいないけど、本当にそうなるといいよねぇ、幸せになりたいぜ...普通の幸せな家庭を築くことがどれだけハードル高いことか、最近になって少し感じるようになってきた。29歳までに結婚観とかをはっきりさせれたらいいらしいけど、難しい。
夕方にはランドマークタワーの展望台行って、景色堪能してきましたよ!!もう綺麗ったらなんの、やっぱりライトアップされる時間に見たかったから日没して1時間後くらいに登ったの、正解だったな。展望台は景色見れるだけじゃなくて、ドリンクとフード頼めたり、読書するスペースがあったり、横浜の歴史見れる場所、椅子が階段状に設置されててゆっくりできる場所とかあって、なかなか素敵な場所だった。この期間はブルーロックとコラボしてたみたいで、ブルーロック好きの女の子たちもたくさん来てました。とっても可愛かったです。
その後は初めて会う友達と合流して、コスモワールドで遊んでプリ撮って、って死ぬほど楽しんできた!!あのジェットコースター最高に楽しいわ、見た目より怖くないんだよね、重力で頭取れるかと思ったけど。あとは二人で居酒屋行って、(私この日誕生日だったのでね!!!)新時代っていう居酒屋なんだけど全部美味しかったな。一番好きだったのやっぱり揚げ餃子かな∼、どる焼きもあれ正体何か分かってないけどすごく美味しかったですよ。お酒飲んで気持ちよくお店出ました。その次は隣にある”はなれ”っていうシーシャ行ってみた。友達がシーシャよく行ってるらしくて連れていってくれたにょ。人生初シーシャだったけど、頭ふっらふらして昇天するかと思いました、タバコも吸わないので煙耐性ゼロなんですねぇ。ドリンク飲みながら楽しんで寝そうだった。1時くらいまで楽しんだんだけどね、ドラマとか映画何見る?って話を友達としてたの、それで私Netflixだけ入ってること伝えたら、友達がU-NEXTのファミリー会員に誘ってくれてね...誕生日プレゼントとか言って入れてくれたのさ...もう最高でしょ?最高の誕生日でしょ...?後から本当にいいのか聞いたら、死ぬまで入ってていいんだって、あまりにも男前すぎるよね、ありがとう..........
その後は、もう夜も遅いから取っておいたビジホに泊まって、爆睡して朝迎えた。ホテル泊まるのって結構わくわくするんだよね、ただのビジホでもいつもと違う環境だからちょっとそわそわもする。今回チェックイン時間過ぎちゃったし泊まる人数も増えたのに、受付の方快諾してくれたのめちゃくちゃ助かりました、まじありがとう...
二日目は特に何をするか決めていなかったから、とりあえず朝食バイキング楽しんで、(しっかり取りすぎて食べ過ぎた)チェックアウト時間延ばしていただいて、12時までホテルでゆっくりしてました、この時間が堪らない!!
友達の朝食は私が受付の方に要らないって言っちゃったから(ごめんね)どこかカフェでも入ろうかってなった、んだけど、昼飲みありじゃね?じゃあ入る?ってなって居酒屋入ったりました。勝ち。
居酒屋出たけど行くところないから友達の最寄りで遊ぶかってなって、色んなお店入って、滅茶苦茶に楽しんで、友達の家お邪魔して、映画見てっていう最高のルーティーンを過ごしてやったんだぜ。昨日からずっと幸せなんだよな。友達に感謝しかない。ちなみに、なんとなく入った古着屋で一目惚れしたピアスを購入させていただきました!本当にかわいいよこれ、何気初めてのピアスかも、まだ安定もしてないんだけどね。着けるのが楽しみだ∼。他には茶葉とかティーバッグが売ってるお店に入って美味しいお茶を入れていただいて、とても心が温まりました、店員さん素敵な方だったし美味しかったです。
友達の家行ってからはおすすめしてくれた”インターステラー”っていう映画を見て、号泣してたら23時になってました。インターステラー、本当に面白いので見たことなかったら絶対見てほしいです。やはり信じるべきは愛ですね...何度も見ることで面白さが増す映画ですので是非!見てみてください!!お願いします!!その泣きはらした顔で、今日一緒に遊んだ友達が働いてるバーに誘ってもらえたので遊びに行きました。人生初バーだったからもうドキドキで、友達の友達もバーにいたけど、緊張しすぎてずっとヒトカラしてて...人見知りかコミュ障か分からないけど治したいですこの性格。色んな人と仲良くなりたいです。でも、その子たちが沢山話しかけてくれてお友達できました、ありがとう。その後も色んな方とお話しできて、同い年でも私の知らない世界を見てきた子と話したり、年上の方に人生相談に乗ってもらったりして、すっごく有意義な時間を過ごせましたよ。気付いたら朝6時になって、バーが閉まって、仕事終わりの友達に、同系列の仕事をしている方々の集まりに連れて行ってもらい、またカラオケを楽しみお酒を飲みました。綺麗なお姉さんが二人もいて、どう見ても20代前半なのに後から聞いたら30代って聞いて震えました。ありえない。私もあんな大人になってみせたいね。緊張と綺麗さでドキドキしっぱなしでした。一緒に飲めて嬉しかったです、ごちそうさまです...
その後は友達の家に戻って二人で爆睡して、夕方に私の実家に帰宅しました。すごい濃い三日間を過ごした気がする、体感。やっぱり色んな人と色んな経験するの楽しいですね。もっと私の知らない世界を見せてください。私の人生やりたいことまだ残っているのかもしれないねぇ。
なぜだかは分からない。毎夜7、8時間寝ているのだが、昨夜はうまく入眠できず、寝返りを打ったり本を読んだりしているうちについに朝になってしまった。
こんなのは久々で、学生以来かもしれない。オールとか、貫徹とか言ってたなそういえば。
前回の徹夜は顔色がゾンビになった覚えがあるが、丁寧なメイクのおかげもあって顔色は良好にしか見えない。
しかし頭は疲れていて、今朝何を着て行けばいいのか分からなくなり、支度も全然進まなかった。認知機能の著しい低下、と思った。
日中は意外と元気が出て、よもや私が徹夜明けだと誰も思わなかったであろう。
今日はさすがに眠れそうだ、と日が傾きかけた帰り道、いつものスクランブル交差点で長めの信号待ちをしていた。
「すみませーん」と突然元気目に話しかけられた。
うわっ、と思わず言って振り返ったら「ごめんねぇ、話しかけちゃおうって思って…〇〇への行き方って分かる?」とおばあちゃんが朗らかに言ってきた。
そのおばあちゃんの快活な感じ、浅黒く焼けてて、無駄にデカい宝石の指輪をしている感じが数年前に亡くなった祖母に似ていた。
〇〇は聞いたことが無かったので、「調べてみますね~」ととりあえずグーグルマップで検索した。おばあちゃんは「良かった~引っ越したばっかりで道分からなくなっちゃって。助かるわ~」と喜んでいた。
〇〇は自宅周辺だったようで地番まで聞いてみると、ここから歩いて1時間くらいかかることが分かった。
「歩いて1時間かかっちゃうので、バスで行った方が良いと思いますよ」と伝えた。「私、お金持ってきたかしら…」とおばあちゃんがポケットをごそごそしだすと、小銭入れが出てきて、バス代くらいは払えそうだった。
「私歩くのが好きでね、歩いてたらどこなのか分からなくなっちゃって」と言う。私も散歩で1時間くらい歩くのが好きなのだが方向音痴なので、分かるなぁと思った。
「バス停まで一緒に行きましょうか」と言って案内することにした。「いいの?時間大丈夫?帰り暗くならない?」ととても心配されたが、まぁ大したことない距離なので「近いんで大丈夫ですよ~」と答えた。
「ここはなんて地名なの?」と聞かれて、「△△ですよ」と答えた。「あなたはどこに住んでるの。遠くないの」と聞かれて、「△△なんで、近いんですよ」と答えた。
このやりとりが、10mおきくらいに発生したあたりで(このおばあちゃん認知症なんだな)と気付いた。
冒頭に書いたが、私は一睡もしていない。起きてから35時間くらい経過している。しかし穏やかに笑顔で「△△ですよ。ここから近いんです」を繰り返すことに成功した。
バス停にたどり着いた私は、ここでバイバイできるはずもなく、おばあちゃんがバスに乗り込むのを見届けることに決めた。
時刻表によればそんなに待たずに乗れそうだった。グーグルマップで調べた降りる停留所とバス代を書いたメモを渡した。
おばあちゃんは「あなたのバスはいつ来るの?私はここから歩いてすぐだから大丈夫よ」と言っていつの間にか私と役割交代していた。
「たぶんバスに乗った方が良いですよ」と私は答え、これ家の人に電話したほうが良いんだろうか…と思い始め「お家の人に電話かけてみますか?」と聞いてみた。
「うちには誰もいないの」と言うが、「家で待ってるのよ、嫁恐いのよ」とも言った。
何かが不安にさせるのか、最初に会話した時よりも明らかに認知症っぽい会話になっていた。何度も同じ話をするが、全く覚えていない。
「これ、あなたのバス?来てよかったわね」とおばあちゃんがまた言うので「おばあちゃんのバスが先に来ましたよ、乗りましょう」と整理券を取って渡した。
おばあちゃんが席に着いたのを確認し、私はなるべく大きな声でほかの乗客に聞こえるように「〇〇で降りてくださいね!」と2回繰り返した。
もし〇〇で降りる親切な客がいたらおばあちゃんに声掛けしてくれるかもしれないと思ったからだ。たぶんあのメモのことはもう忘れてしまっただろう。
バスが出発したのを見届けて「ふ~」と振り返ると、バス停には他のバスを待つ女子中学生らしき女の子がいて、私をじっと観察していたことに気付いた。
一人になった瞬間地声で「ふ~(やれやれ)」が聞こえてしまったなと思いさっさと立ち去ることにした。なぜか悪いことをしている気分になった。実際は一睡もできていない身体で道迷いの認知症のご老人をバスに乗せることに成功したのだが。
しかし〇〇に着けば道が分かると言っていたが、本当だろうか。190円だったし一緒に乗るべきだったか…と後悔したがすでに遅かった。まぁ、誰か何か助けてくれるでしょう。
日本はこういう何にも名付けられていない行為で成立しているんだな、と認知機能が著しく低下した脳で思った。
そんな話。
親友が入籍して結婚式をするので来てほしいというお誘いが来た。
もちろんお祝い事なので二つ返事で参加することを伝えた。
スピーチのお願いもされた。
緊張で吐きそうだし恥ずかしいけど頑張る。
ただ問題があって、私は地方在住なのだが結婚式会場は東京なのだ。
新幹線は往復2万。
結婚式にも参列してほしいとのことでヘアメイクの時間の兼ね合いもあって前泊しないと絶対に間に合わないため追加で宿泊費1万。(帰りにバタつきたくないので後泊も1万かかるがそれはこっちの都合なので黙って払う。)
ご祝儀3万。
もうこの時点で6万(+後泊1万)の出費である。
いや死んじゃうって。
従姉妹の結婚式に呼ばれたときは交通手段と宿泊するかの確認、ホテルの斡旋、新幹線チケットの準備まであったのでそういうもんだと思っていたけどまったくもってそういう確認がなかった。
こっちから聞くのもなあと思っているうちにホテルの早割もなくなり、新幹線の割引席が売り切れ、なにも割引がない状態で行くことになってしまった。とてもつらい。
東京なんて年に2回行くかどうか、さらに方向音痴なもんで電車の何線がどうとか乗り換えがどうとかどこにホテルとるとアクセスしやすいとかも全然わからん。電車は全部乗り換えアプリに頼ってる。
金かかりすぎじゃないか?
なんか調べたらお車代とかあるらしいけどああいうのって当日受付で突然渡されるんか?
ダルいよ〜〜〜〜〜
配慮ができる私!みたいな自己認知みたいだけどこっちがめちゃくちゃフォローしてやってコミュニティから脱落してねぇだけだから〜〜〜!!
優柔不断も連絡が遅いのも方向音痴なのもドヤられても困るしどっちかというと直して欲しいんだけど
特に優柔不断は決断コストを全部おっかぶせられてて気分悪くなるわ
アニメ見て感受性豊かアピしてる暇があったら生活しっかりやってくれ
ぜーんぜん感受性死んでるから、こっちは笑顔の裏で死ぬほどイライラしてるの全く気付いてないから
あとあの手の人間はなんで全てが決まろうとしてるときにちゃぶ台ひっくり返してくるわけ?
中華食えないならアレルギーあるか聞いてる段階か店の案出した段階で言えよ、イタリアンも和食もあっただろ
それは遠慮じゃなくて迷惑な我儘っつーの!
こういうの許せなくなってくるのも老化の一種なのかね
あーあ
音痴という言葉は、大正時代前後に造語されたようだ(西洋音楽との遭遇によって)
https://kogure.exblog.jp/14108924/
・・・「音痴」という言葉は、やはり近代になって西洋音楽が日本に入ってきてから使われるようになったと考えて、ほぼまちがいないことが明らかになった。音痴が新しい言葉であることのほかに、もうひとつ注目したいのは、仲間うちでは「私は音痴でして」と公言してはばからない日本人の態度である。
・・・音痴という言葉には、否定的な意味だけでなく、みんなの共感を得る肯定的な意味が含まれているらしい。否定的な意味では音痴ははずかしいこと(恥辱)であるが、肯定的な意味では、むしろ積極的に公言したくなるほどのことであるらしい。そして否定的な意味は意識されているが、肯定的な意味はあまり意識されていないようだ。
あいにくとブログ中に記載のある連載記事URLはリンク切れだが、興味深い話だ
以下の「なぜ音痴を経由するのか?」という質問の答えにはなってはいないけれど
「できないこと」をどこかポジティブなニュアンスすら含むように表現する言葉として便利なのは確かだったのだろうな
失敗した時に「気にしないで〜」って言いながら内心で死ねやカスが……ってブチ切れるの本当に無駄
本当は待ち合わせのたびに指定した場所に来ない(道わからないから)とか、自分が店予約したのに場所わからなくて迷うとか、まあただの方向音痴なんだが、そういうの本当はすごいイライラしてんのにそれで空気悪くなるの嫌で面倒くさいから「気にしないで」ってにこにこしてしまう
その方がその場のコミュニケーションのコストが低いからそうしてるんだけど、当然本当に気にしなくて改善されないしごめんごめん苦笑で済まされるから本当に出かけたくない。
普通に一人で行って欲しい、なぜならこっちは別に出かけたくないのに誘われてしぶしぶ出てきているから。本当はずっと家で引きこもって休んでいたいのに連れ出されてこの仕打ち、本当に休みがムダになって嫌
このクソ無駄な時間さっさと終わんねえかな?と思って爆速で飯食って即帰宅するようにしてるけど、最初から一言「道わからねえなら誘うなカス」(※言い方は変えるものとする)って言えば済む話なんだよな
言ってほしいのは「いつも道調べてくれてありがとう」(お前に任せてるとつかないからだろ!)じゃなくて、道分からないからタクシー頼むとか、下見しておくとかそっちなんだって
高身長の人が店員じゃないのによく上の商品をとってと頼まれるというまとめを見て、思い出したのを書いてく
鉄板。若い人からご年配の方までいろいろな人によく聞かれるが、方向音痴かつ説明下手なので申し訳ない。経験を重ねることで最近はスマホ使って検索したり説明したりすることを覚えた。英語で尋ねられると難しいけど。
自転車乗ってる時に体張って止められ聞かれたこともある(周りに他にも人はいた)。
これは実はあまりない。一方で父親は観光地で必ずといっていいほど頼まれる。
主にご年配の方に。
記憶に残ってるのは就活帰りに駅でロッカー(タッチパネル操作)の使い方を聞かれたことかな。
寄付はあまりしない。携帯貸しては怖いので貸さない。街頭アンケートは時間があればする。
旧字で旧仮名使いの古い本を読むわけでもないのに、どうしても活字の本の中での描写が頭の中でイメージしきれない。
読めない本の種類としては圧倒的に小説が多い。
一番の問題は、風景などの視覚的な描写を頭の中でしっかり思い浮かべるのができてないことだと思う。
知識が足りてないという事もあるし、ひとつひとつのパーツは理解できてもそれを頭の中で映像化するのが難しいのだ。
例えば
私は墓地の手前にある苗畠の左側からはいって、両方に楓を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。 するとその端れに見える茶店の中から先生らしい人がふいと出て来た。
夏目漱石はかなり分かりやすい素直な文体の作家だと思うけど、自分にはこういったちょっとした描写ですらイメージするのが難しく感じる。
墓地は思い描ける、苗畑は普通の畑とは違うのか?と不安になったのでググった画像で補完するがまあ大丈夫。
楓、広い道、茶店、どれも単体では想像できるけど、問題はこの光景が俯瞰で見えない、地図のように絵を描こうとしてもかけないのだ。
まず「左側」でつまづいて、苗畑と広い道の位置関係もわからない。
漫画ならこれらが全て背景絵として描かれてると思うので、なんの引っ掛かりも感じないだろうと思う。
小説だと光景を事細かに描写する必要もない場合もあるわけで、そういう時はある程度読者が好きにイメージすればよいんだけど、自分の場合あまりに曖昧にしかイメージできなくてその場面の全てがぼんやりしたものになってしまう。
小説自体は、場面ごとの描写がはっきりと頭の中で映像化できてなくても読み進めることはできる。
でも頭の中で映像化されていないとぼんやりした空間に登場人物がそれぞれ現れるだけという味気ないものになる。
ミステリー小説なんかでトリックとして建物の構造だとかが描写されてる時もだいたいよくわからない。
特に空間把握能力が著しく欠けているのかなとも思う、実際地図を読むのは下手だし方向音痴だし。
ただそれだけじゃなくてちょっとしたディテールとかも掴めない事が多いし、それが気になって中々先に進めなくなったりする。
小説の中で描かれる描写が、全部ちゃんと自分の頭の中で思い浮かべることができたらどんなにいいだろうと思う。
でもどうしてもそれができなくて、結局集中しきれず最後まで読みきらないことが多い。
子供の頃からあまり読書はしてこなかったし、漫画ばかり読んでいた。
今は漫画はたくさんあるから漫画でいいじゃんと開き直ってもいいんだけど、やっぱり小説をもっと読み込めたら楽しいんだろうなと思う。
なにか特訓の方法などあるんだろうか?
追記:
コメント色々ありがたい。
一番驚いたのは「そこまでイメージする必要はないのでは」という意見が多いことだった。
みんな小説など読んでる時は頭の中である程度具体的にイメージしながら読んでるものだと思いこんでいた。
ただ、言われてみれば登場人物の顔はおぼろげなまま読んでるのにそこは気になってないとか、自分の中に矛盾もあることに気づいた。
アファンタジアではないかという意見もあり、初めて知った言葉だけどこれも興味深かった。
自分がアファンタジアかどうかは分からないが、記憶をイメージとして思い出すことはできるので、そういうのとはちょっと違うのかもしれない。
今年は6月から意味が分からないくらい暑いせいで、この時期にまだ就活やってる人間への罰ゲームなのか? と思ったりする。7月は当然地獄。NNTは罰ゲームどころか地獄行きになった。
大体の企業は駅から徒歩数分で済むのだが、時々徒歩で歩いていいレベルを超えてきたりする。
しかも自分は方向音痴だから、大体迷う。徒歩15分は徒歩30分と見積もっている。知らない住宅地にデカデカとある謎の自然公園を泣きべそかきながら歩いたこともある。
とにかく汗をかく上にすぐに顔が真っ赤になるせいで、道行く人が全員「コイツ大丈夫かよ」みたいな顔をしているし、企業の人もなんか心配してる。
当の本人は自分の方向感覚が心配でたまらない。なんで逆向きに堂々と歩いていたのか不安になる。暑さなんてどうでもよくなり、時間との戦いに強制参加させられるのだ。
就活をして気付いたのだが、あれほど熱中症には気を付けろと言われているのに、暑苦しいスーツを着てさまよっている自分は何故か熱中症にならない。
インドア派でいかにも体力がなさそうなオタク顔の大学生だが、バケツから水を被ったんですか? みたいな汗をかきながら延々とコンクリートの道を歩き続けても、淡々としている。
不思議なもので、何回も迷い続けると身体が慣れてくる。信号待ちの間に水分補給を行っているのが功を奏しているかもしれない。
ヤマもオチもない話だが、駅で見かける世の就活生はなぜ涼しい顔をしているのだろう? 上着まで着て暑くないのだろうか? 自分は電車で隣に座った人に「汗臭くて申し訳ない」と俯くことしか出来ないのに。
まだ就活を続けている仲間たち、熱中症には気を付けよう。信号待ちの間に水分補給を取ろう。
あと、当たり前のことだろうがパンプスを履いたままで側溝の鉄の蓋の上を歩いてはいけない。私は今日も足を取られて罠に引っかかった野生動物のようになった。
俺はしょっちゅう迷ってるが。スマホ見てても目の前の道に確信が持てない。
札幌行ったことあるか? あそこ、碁盤の目状で街区には数字で番号が振ってあるんだが、俺は見事に迷いかけた。
同行してた友達は「なんで碁盤の目状の街で迷うんだよ……」とドン引きしていたが、仕方ない。見てる地図と身体の方向感覚が一致しないんだ。
(ついでに言うと、札幌で女性に道を聞かれたことがある。俺はご覧の通りの方向音痴なので適切な案内はできなかったが、札幌で迷って人に道を聞く人は俺以外にもいるんだな、と思うとちょっと安心した)
別にそれは構わない。質問に答えるかどうかはそちらの自由だ。無視する人の気持ちもわかる。
だけど「スマホあれば乗り換えが分からなくなることもないしGoogleマップがあれば道にも迷わない」というのは想像力が欠けた言い方なので抗議する。俺は迷う。スマホでgoogleマップを見ていても迷う。確信が持てない。だから人に聞く。
何度も言うが、答える義務はないので質問それ自体は無視してくれて構わない。警戒するのも理があるだろう。だが重度の方向音痴を存在しないかのように扱うのはやめろ。俺たちは存在している。俺たちの存在を無視するな。俺たちの存在を抹消するな。
さらに言えば、皆が「充電/ギガの残量が十分にあるスマホ」を持っていると前提するのも間違いだ。様々な事情でスマホを持っていない者もいれば、充電が切れた者もギガが残っていない者もいるだろう。だから答える義務があると言っているのではなく、全員が使えるスマホと適切な方向感覚を備えているという前提でものを言うのはやめてほしいというだけ。道を歩く全員が異性愛者だという前提で喋ったり、街に住む全員が健常者だという前提で都市計画をするのは間違ってるだろ? それと同じだよ。
ちなみに、警戒されることへの対策として、質問は諾否疑問文にするようにしている。「○○への行き方を教えてください」だと怪しいが(長話をさせて物陰に連れ込むつもりか? と勘ぐられかねない)、ジェスチャーも交えて「○○はこっちですか?」という質問なら答えやすいだろう。答えは「はい」「いいえ」「知りません」の3通りでいいわけだし。これは海外旅行でも使えるテクだ。「○○アベニューを左に~」みたいな詳細な説明を外国語でされても聞き取れる自信はないが、「イエス」「ノー」「アイドンノー」(あるいはそれに対応する現地語)くらいは聞き取れる。それを分岐の度にやればいずれ目的地には辿り着ける。海外だとSIMカード買ってなくてスマホ使えないとか普通にありそうだしな。
「ゲームでしか運転しないペーパードライバーが久々に運転したら、(本物なのに)めっちゃリアルなドライブゲームに思えてやばかった。ぶつかっても平気そうに見えた」
んな訳ないやろ、加速に伴うGや、実車のハンドル操作をゲームに思えるって空想がひどすぎるで。(ハンコン使っててもゲームと本物の差はあきらか)
「自分は免許持ってるけどほとんど運転してないもんで、もう怖くて……。今の車ってサイドブレーキがサイドのレバーじゃないらしいじゃん。」
サイドブレーキが運転に影響するのって最初の発車時のみだよね?レバーじゃないから恐怖を感じるのはどの部分?
「この前乗ったレンタカーのサイドブレーキが運転席の左前あたりにあるスイッチ型で、全然気付かず聞きに行くハメになった。手で引くのも足で踏むのもあるし、車種ごとにコロコロ変えんなよとは思う」
何で全車種共通の操作方法である必要あるねんな、説明書を読め。ジョイスティック操作の車が欲しい。
「恐山のユーロトラックシミュレータープレイ動画は本当に名作なのでぜひYouTube見てくれよな」、「恐山さんのトラック運転ゲームまじで面白いので見てほしい。」
その通り!
「俺は昔、休日はドライブをしていた→座ってばかりで身体に悪そうだから自転車に乗るようになった→青信号を渡っていたら右折車に跳ねられ怪我で半年間仕事できず無収入→自転車は復帰できたが自動車は無理。の流れ」
言ってる意味分からんし、自動車運転は冤罪やんけ。運転すると人を跳ねそうで怖いという話やで。
「「政治・宗教・野球の話はしてはいけない」に自動車も付け加えたほうが良いね」
「生活必需品だから苦手とか関係無いのに練習するわけでもなく嫌~とか苦手~とか文句ばかりいっちょ前に言ってるのが風当たりの強い理由じゃないでしょうか。」
練習しろっていうと、苦手・怖い・無理の言い訳オンパレード。運転上手い人も練習したんやんな。
「咄嗟にアクセルとブレーキ踏み間違えそうなので、万年ペーパードライバー。」
「車含め機械の操縦は得意なんだけど集中力を維持できなくて事故るの間違いなしなので運転はしないことにしてる」
それは「機械の操縦は得意」とは言わん、自動車運転と機械の操縦は天と地ほどの差がある。
「記事見てもコメ読んでも、じゃ乗らなきゃいいじゃんとしか思えん。結局慣れ。自動運転完成なんてのも高速ならともかく、情報量の多い下道をセンサーカメラ半導体で処理して進めるのは死人の山築いて百年先の話だろう」
乗らなきゃいいじゃんについてはその通り、慣れというか習熟するための練習が免許取得時に終わってるという認識がダメ。
こういう運転怖いとほざく奴らが、自動運転の普及を阻害することに問題があるのですがね。死体の山築いていいならすぐに普及するだろ、事故どころかシステム停止も許さんとなっているから百年先の話になる。
「少なくとも6割以上の男性は難なく、普通レベルに運転できているように見えるので、俺にだってできな訳がない!と思って練習した。今では運転を褒められることもあるが、どこかに苦手意識は残ったままである。」
偉い、それでいい。苦手意識残したまま普通レベルに運転できていればそりゃ褒められるよ。
「「バック中は左右が逆になる」左右盲だと思って生きてきたけどこれはないな。ハンドルを回すとタイヤが回した方に向いて、それに対して物体は内側にまわるイメージがある...何言ってるかわからんが。」
左右盲は左右不覚ではなく、左右がとっさにどちらか分からないこと。どちらかに曲がるのを理解することと左右は関係ないで。
「バック中は左右が逆になる」は、むしろ日ごろから左右を認識できているから混乱するものだと思うぞ。左右盲は自分からみて右だの左だの認識しとらんから混乱しない。
「左右盲でしょっちゅう右折と左折をミスるため、いつかアクセルとブレーキも間違ってしまうのではという恐怖から極力運転したくないけど、地方の郊外住まいはないと暮らせない…」
てめぇはアクセルは右、ブレーキは左と頭で考えてから踏んでるのか?右か左か分からなくなることと、方向が分からなくなることは違うぞ。
踏んでるペダルの感覚を認識していないなら感覚掴むまで練習するか、運転しないで生きよう。
「交通秩序は「みんながルール通りにふるまうはず」っていう暗黙の信頼関係で成立してるので、そこに寄りかかれない人は怖くて運転できないと思う。逆に言うとルールさえ守ってればほとんどの事故は起こらない」
練習してそのへんの信頼関係を感じ取るんやけど、練習せん上に「相手がルールを破ったら」という最悪のパターンのみ考えて運転するから、かえって周りに迷惑かけるんよね。
「自動運転な上にとってもカワイイスマートモービルこと馬、都市部でも小回りの利く人力車」
馬が自動運転なわけないでしょ、目的地設定できて寝ててもたどり着くのか?燃費(餌代、飼育費)もそれほど安くない。
「仕事で徹夜明けに運転して事故るのを二回やって人を殺すの時間の問題だなとなったので仕事と一緒に運転も止めた。」
うん、お前みたいなやつは運転しなくともよい。公共交通機関とタクシー使え。
「“苦手派としては足での操作が常識となってるってのが怖すぎる”実際、手だけで操作できるゴーカートとかは開発されてるのよね。乗ったことあるけど問題なく運転できた。今後は増えるかも」
ワシは手だけで運転したいけど、足の操作が苦手と言ってるやつは手だけで安全運転できるわけないと思っとる、手でやることが今より増えるのに対応できるわけがない。
「はやく自動運転が導入されてほしい」
「車幅感覚とバックは激しく同意。車幅は自分の車を保有すればわかってくるらしいが。バックは、まずは微小に動かして自分のイメージとのズレを修正してるが、毎回ビビってる。」
それでええで、車幅もバックも感覚をつかむまで練習やで。イメージとのズレを修正できているなら大したもんやで。
「私と同じだな。殺人マシーンになる自覚があったから卒検以来自動車は運転してない。(原付は乗ってた) “免許をとって練習をするも50分くらいで運転センスのなさを確信。「俺は車は運転しない!」と心に決めた”」
センスなんかいらんねん、ともかく練習あるのみ。50分なんて練習の内に入らんお遊びやで。
「車の運転に慣れるということは、紅の豚の飛行艇乗りみたいに無意識のうちに前後左右に注意を払い続けるようになるということ。」
そう、練習によってリソースの割り振りを制御できるようになるねん。注意してなくても前後左右の事象に反応できるようにな。
「バック逆転のやつ、言わんとしてることはわかる。進行方向でない車輪が曲がるってのに感覚が付いていけないんだろう。Rに入れたらハンドル切った方向に後輪が曲がる仕様だったら言われてる通りになると思う。」
ハンドルでタイヤを曲げてるって認識がないからそないなことになるんやで。フォークリフト運転したらええやん(だいたいが後輪で曲がる)。
「車のインターフェイスにデファクトスタンダードを求めながら不文律を否定するのはずるくない?/なんか「考えすぎて算数を苦手になる子供の話」系に近い印象があった」
単なる練習嫌いの言い訳やで、ダブスタになるのもムベなるかな。
「慣れですよ、慣れ。最初は誰でも下手で積極的に運転したくないと思うけど、それを越えて運転してると運転が楽しくなる。目的地なんてなくても、純粋に好きな車を運転すること自体が楽しい。」
慣れるために練習(運転)する必要があるのだが、奴らはとかく運転をしない。
「車の運転って体の色んなセンサー使いまくってやっと出来る事なので、上手いとか下手とか簡単に語れる事では無いよね。自分はめちゃ方向音痴なのでペーパーになったわ。」
そうだね、体中のセンサーを何の気なしに使えるようになるよね。(ゲームの時とは違うはず)左右盲ではなく方向音痴と記載するところは正しい認識ですね。
「原宿さんのコメントが私と同じ過ぎて泣ける。特にこれな。 “前から突っ込んでも、前から出ることができる駐車場の開発が待たれる。”」
「「運転苦手」だから丁寧になると思ってる。「運転好き」が上手いとは限らない。」
そだねー。
地下道や建物内で、外の風景が見えないときに、方位が分からなくなるので、
そういう場所に入る前に、人差し指で自分の生きたい方向を指しておく。
そして角を曲がるときに、その指のさす方向が変わらないように指を動かす。
方向感覚というものがそもそも存在しているのかは、分からないが。
デパートに入って、エスカレーター2~3階昇ったらもう入口の方向がわからなくなってしまう。
商店街も店に入ったら、自分がどっちの方向から歩いてきたのか分からなくなってしまう。
電車に乗った時、想像と反対に電車が動き出す(電車に乗った後180度回転することがあるため)。
この辺りは正直方向音痴の人あるあるなんじゃないかと思っている。
この前、古いゲームだがメガテン?をやって、ダンジョンを見た時に自分の感覚に非常に近くて感動した。
本当にあんな感じで、一人称視点で永遠に自分がまっすぐ前に向かって歩いていて、自分が右に曲がったのか、世界が左方向に90度回転したのか、感覚的に分からない。
地図を一瞬見ただけで、目的地に行ける人はすごい。本当にすごい。
一瞬で方向がわかるのだろうか?そういう人って、一体何を見ているんだろう。
地図上の建物の形や、道路の角度を、現実のものと照合している?それとも常に東西南北を把握してるんだろうか。
最新の車のように、上からの視点が搭載されているんだろうか。それとも、逆に自分の足元に地図があるように感じるのだろうか。
最近はコンパスを持ち歩き、おおざっぱな目的地の方向に歩いていくという手段をとっている。
駅の検索をしていた。Google mapが出てきたので覗いていると懐かしい地名が目に入った。
「今どうなってんだろうなあ」なんて軽い気持ちでそちらに寄り道することにした。
卒業した小学校や一部のスーパーはまだ昔のまま残っている。いや、昔のままというわけにはいかない。小学校は体育館を改修したり遊具がなくなっていたりと、場所は変わってないが昔とは少なからず趣が異なっていた。
通学路を歩いてみる。・・・・・全然わからない。多くの空き地に住宅が建てられ、当時あった家も建て替えられたりしているので景色がまるで違う。道路も増えている。
実際に歩けば距離感を掴めると思うが、Google mapだと見知らぬ街の風景に思えて方向音痴になる。どこを歩いてるかわからなくなってくるくらいだ。
迷子になったら途中で地図に戻ってまた黄色い人を落として地図の中に入る。
まさか生まれ育った街で迷子になるとは思わなかった。たとえそれがGoogle map上だったとしても…。
どうにか当時の自宅までたどり着いた。その家はまだ建て替えられてはいなかった。見た目もそのままで他の誰かが住んでいるようだった。
走馬灯のように幼い頃の記憶が蘇る。隣の家に1つ下の友達がいてよく遊んだな。ここの家の塀にボールをぶつけて苦情を言われたな。集会所で夏祭りをやったな。
もう数十年経ってるから細かいことまで思い出せない。なんとなくそんなこともあったなと懐かしむ程度だ。
自宅の周囲も散策してみよう。近所にあった八百屋や幼稚園はもうなくなっている。何年かに一度綺麗な花を咲かせていた山桜の林もなくなっていた。
随分と変わったなあ。
そこで人間が生活していく以上街並みの変遷は世の常とはいえ、自分の中身も書き替えられたような感覚になり空虚な不安を覚える。
また、年々変わり続けていくそこでの生活を考えると面白くもある。
そうか、今住んでいる場所も変わり続けてるんだよな。その場で暮らしていると見逃してしまう。時間が連続していると変化に対して違和感を持たずにやり過ごしてしまう。
懐かしくもあり、新鮮でもあり、なかなか有意義な時間を過ごしたと思っている。
機会があれば子どもでも連れて実際に行ってみるかな?