はてなキーワード: トランスジェンダリズムとは
そもそも「ターフ」ってのは“Trans- Exclusionary Radical Feminist”つまりトランスを批判してるフェミニストのことだぞ
https://www.bbc.com/japanese/articles/c9rzgexn444o
キャス医師はBBCのラジオ番組で、現場の臨床医たちはジェンダー関連治療について「ガイダンスも科学的証拠も訓練もない」状態にあることを懸念していると語った。さらに、ジェンダーにまつわる「有害な」議論が、専門家によるオープンな議論を妨げていると指摘した。
NHSではこれまで、子供や若者のジェンダー治療を取り扱う唯一の専門機関として、「性自認・発達サービス(GIDS)」をイングランドとウェールズで運営していた。
しかし2020年、NHSから独立した病院監査・評価機関から「不適格」と格付けされ、GIDSは2024年3月に閉鎖された。
NHSの検証では、こうした治療が「安全で効果的」だと証明する十分な証拠がないことが判明した。
イギリスの平等人権委員会(EHRC)は、平等法における「性別」の定義を「生物学的性別」に改正することを検討すべきと助言している。
トランスジェンダリズムの終りやね~
Keir Starmer 'shocked' by Rishi Sunak trans jibe in Commons
https://www.bbc.com/news/uk-politics-68239233.amp
英労働党党首がトランスジェンダーをバカにしたスナク首相を批判してしまう。
“労働党党首はBBCに、スナク氏は国内のすべての人を「安全」にさせる義務があると述べ、それは「基本的な良識と尊敬」についてだと述べた。”
英労働党はトランスジェンダリズムから目を覚まして、生物学的女性を守り、欧州のトランスを終わらす為に戦ってるはずなのに....どうして....
私はトランスジェンダリズムには大反対だし、トランスジェンダリズム批判の書籍が抗議によって発売中止に至った事には怒りを覚えているけれど
だからといってそれに対して「キャンセルカルチャー」だの「キャンセルされた」だのと言う言葉を用いている一部フェミニストにも反対している。
だって「キャンセルカルチャー」って、#me tooへのバッシングに端を発した、ミソジニストの使うレッテル貼り用語だよ?
立場を利用して性犯罪を繰り返してきた者に対する正当な批判を「キャンセルカルチャー」なんて表現して
例の書籍に対する出版差止はまさに言論の内容それに自体に対する抑圧であるし、そもそもその言論内容がトランスジェンダリズムという女性差別に対する対抗言論なので何ら問題のないもの。
これまで「キャンセルカルチャー」なるレッテル貼りをされてきた事例とは全然違う。
『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』って
原題の『Irreversible Damage: The Transgender Craze Seducing our Daughters』も何だかな…
our Daughtersって、結局少女達を誰かの『娘』という観点でしか見てないじゃん
なんでgirlsじゃ駄目なの?
の翻訳。執筆者はステットソン大学の心理学教授、クリストファー・J・ファーガソン。
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2020年に起きた比較的マイナーな(トランプ大統領や新型コロナと比較して)炎上ニュースの中に、ジャーナリストのアビゲイル・シュライアーの『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇(Irreversible Damage)』をめぐる論争があった。
本書は、みずからのトランス男性として認識するティーンエイジャーの「女子」の急増は、性別違和やトランスジェンダリズムが原因ではなく、社会から疎外されたアイデンティティが社会的な影響によって、本来他の精神疾患を持っている少女たちが誤って自分をトランスとして認識しているためだと主張している。
この本に自分の家族や娘を重ね合わせ、娘たちが直面している現実の問題を語っていると考える親もいる。(原注:シュライアーの見解を反映し、生物学的性別のみを反映することを意図しているため、ここでは「娘(daughters)」という用語を使用する。) しかし、多くのトランス活動家たちは、この本をトランスフォビックであり、敵対的であり、より広くトランスの人々にとって有害であるとして非難している。そのため本書への販売反対運動も広まっている。*1
私は最近この本を読んだので、ここに感想を述べておきたい。はじめに言っておくと、これは複雑で微妙な問題だと思う。しかし、現代の言論は、感情的な議論のどちらの側にも、ニュアンスや複雑さを認めることはめったにない。
基本的に以下のふたつの状況は傍から見てほとんど区別がつかないことは、残念ながら確かだ。a)トランスであると自認する青少年を含むほとんどの個人は本当にトランスであり、医学的な移行から恩恵を受けるであろうということ、b)青少年としてトランスであると自認しているが、境界性パーソナリティ障害やその他のパーソナリティ障害、自閉症スペクトラム障害など、アイデンティティの混乱を引き起こすような他の精神的健康状態にあり、これらの個人は医学的な移行からあまり恩恵を受けないかもしれない、ということ。
第一に、「ジェンダーは社会的構築物である」というスローガン(シュライアーがその大部分を支持している)に反して、ジェンダー・アイデンティティは視床下部に存在し、そのようなものとして、ほとんど不変であることが神経生物学的証拠から判明している。端的に言えば、トランスジェンダーは、ある性別の身体を持ちながら、別の性別の脳を持っているということだ。そのような個人は、尊敬と思いやりに値し、嫌がらせやいじめから解放されるべきであり、自分の好む代名詞や名前が尊重されるべきであり、恋愛、結婚、子供を持つこと、養子をとることも自由であるべきなのだ。
同時に、境界性パーソナリティ障害は、多重人格障害(解離性同一性障害)や双極性障害など、他の有名な精神疾患と併発したり、誤診されたりすることが多いという証拠もある。したがって、トランスであると自認する人の一部(すべて、あるいは大多数ではないことは確かだが)が、アイデンティティの混乱というより広範な問題を抱えている懸念もあるにはある。
本書を読んでいて、私はいくらか批判的にならざるを得ない点があった。その主なものは、シュライアーの科学への関心が、時として表面的であるという懸念であった。もちろん、これは本書に限ったことではないが、このようなセンセーショナルなトピックでは、科学的議論のいくつかにもっと精妙な検証が要求される。シュライアーは、この分野の学者たちのデータや意見を掲載し、リサ・リットマンの「急速発症型性別違和」*2と呼ばれる物議を醸した研究(過去にはこの研究自体が議論の対象となったが、研究の是非はともかく、科学的には嘆かわしいものであった)など、重要な(しかし是非の多い)研究をいくつか取り上げている。
ジェンダー・アイデンティティが生物学的なものに基づいているという考えを、それを示唆する証拠が豊富にあるにもかかわらず、シュライアーが平気で否定するのには呆れた。ある時、シュライアーはこう書いている。「XX染色体が刻印された女の子の脳が男の子の体に宿るというのは、生物学的にナンセンスだ」。染色体とは関係なく、子宮内でのアンドロゲン暴露が視床下部の発達に影響を与え、性自認に影響を与える可能性はある。そのことを理解していないこの見解に、私は顔面蒼白になった。
もちろん、この見解はシュライアーの創作とは言い難く、第二波フェミニズムにまでさかのぼる〈ジェンダー・クリティカル〉なフェミニスト(一般的に、この非常に論争的な議論においてトランス活動家と対立する側)を反映している。実際、この論争で興味深いことのひとつは、伝統的な右派と左派の対立というのではなく、左派を標榜する2つのグループの間の感情的な蔑視がしばしば反映されていることだ。
シュライアーはまた、インターネットに時間を費やしすぎることが少女たちにトランスであるという認識を抱かせる原因になっている、という考え方に奇妙なほど執着している。彼女は、ソーシャルメディアが精神衛生にどのような影響を与えるかについて、ジャン・マリー・トゥエンジ*3の研究を引き合いに出すが、トゥエンジの主張の多くがかなり徹底的に否定されていることを読者に知らせない。彼女がこの種のモラル・パニックにしばしば戻るのは気が散るし、急速に発症する性別違和という概念自体がモラル・パニックなのではないかと思わせられた。
とはいえ、彼女の論文を完全に否定する気にはなれない。実際のところ、トランスであると自認する女子の割合が本当に増えているのか、あるいは増えていないのかについて、きちんとしたデータは存在しないようだ。私の交友関係でも、伝聞的に、このようなことを耳にする機会が少しずつ増えてきているが、伝聞は証拠ではないし、もっと確かなデータが必要されている。
境界性パーソナリティ障害に加えて、性別違和も自閉症スペクトラムの思春期の女の子に多いという研究がある。この意味で、青少年が公言する性自認を、それ以上の診断的評価なしに医学的移行への動きとして受け入れるという肯定的アプローチには、明らかなリスクがある。これが、医学的移行に対するこのアプローチに懐疑的な最近の英国の裁判所の判決の背景にある理由のようである。
私たちは、どのような青少年が医療移行への迅速な移行から最も恩恵を受けるか、またどのような青少年がさまざまな介入からより多くの恩恵を受けるかについて、より良いデータが必要である。いずれも、トランスジェンダーの権利と福祉、そして彼らに課せられた敬意を損なう必要はない。学者には、急速に発症する性別違和が実在するかどうかを研究する余地が必要である。私は、査読と科学的再現性と訂正がこの問題を解明すると確信しているが、ツイッターの怒りに応じる形での科学的検閲は問題を混乱させるだけだろう。
結論として、ここには検討すべき有効なアイデアがいくつかあると思う。しかし、特にアイデンティティ・ポリティクスが激化している時代には、データの複雑さや困難な状況のニュアンスを考慮する意欲と、より多くの情報が必要であることを認める知的謙虚さを持った、より多くのデータに基づいた研究が必要である。
私は本書のどのような部分が論議を巻き起こしているかを理解するためだけなく。本書に反対する立場から検閲しようと努力する向きにも一読を薦めたい。しかし、科学について慎重かつ忠実な本を期待していたのであれば、この本がそうでないことは確かであり、その点で、本書がトランス・コミュニティで集めた否定的な反応はまったく理解できる。将来、質の高い、事前登録された、オープンサイエンス、インターネット検閲の努力から解放された科学的な取り組みが行われ、この複雑な問題をより明確に理解できるようになることを願うばかりだ。
*1……本書に対する販売反対運動が巻き起こったのは日本だけではない。
Amazonは同書のジェンダーの取り扱いに対するスタンスへの懸念から有料広告キャンペーンを打ち切ったものの、販売自体は行ったため、ヘイトに反対する従業員グループから販売中止の要請を受けた。結局Amazon社は「Amazonのコンテンツポリシーには違反していない」として、販売を継続し、その態度に失望した一部従業員はAmazonを辞めた。
また、大手量販店のターゲットではやはり論争を受けてオンラインでの販売を中止したが、翌日に再開し、三ヶ月後に再度中止した。
ここで興味深いのは、販売反対運動が出版社に対してではなく、販売プラットフォームに対してなされたことだ。日本でもヘイト本を扱っている書店に対する苦言などはたまに見られるが、反対活動によって販路を閉ざし実質上の販売中止させようという動きはあまりない。アメリカではAmazonが書籍販売について(日本より普及している電子版を含め)かなり独占的な勢力を占めていることなども関係しているように思われる。カナダでは図書館に対しても貸出の中止を求める請願が出されたという。
ちなみに出版元であるRegnery Publishingは保守系の老舗で、過去にはインテリジェント・デザイン説を擁護する書籍などを出し、そのたびに批判を受けてきた。『あの子もトランスジェンダーになった』で「エモやアニメ、無神論、共産主義、ゲイ」などが批判的な文脈で持ち出されるのもこうした文脈に沿っている。
*2……本書がサポートしている rapid-onset gender dysphoria (ROGD、急速発症型性別違和)はリサ・リットマンによって2018年に提唱された概念であるが、臨床的・科学的な証拠が不十分であるとして医学的診断としては認められていない。
*3……アメリカの心理学者。2017年に iGen という本で若年世代のナルシシズムとインターネットの関係を書いた。が、同書は多くの批判を受けた。
TRAに混じってトランスという盾を使って女性を叩きたいミソジニー男が多数存在するというのがまず1つ。
彼らはトランスがいかに女性の脅威となるかこちらがどれだけ訴えてもそれを無視し続けることによって自らのミソジニーを正当化している。
そして結論をはっきりさせておくよ。女性には「差別する権利」が本来存在する。そしてそれが家父長制社会によって抑圧されているのだ。
女性は男たちがオナニーしながら夢想するような心の綺麗な美しい存在ではない。そんなものを否定するのがフェミニズムだ。
ホモソーシャルの構成員たちは伝統的な「娼婦か従順な妻」の枠に閉じ込めて「女性はそんな汚いことをしちゃやだやだ!」と駄々をこねているだけなのだ。
女性にとっては、MtFのトランスジェンダーという生き物の実存そのもの、やつらが息をして日々女性の安心できる領域を侵犯しようとしていること自体が女性差別なのだ。
単に安心できる領域を侵犯しようとしているというからダメだということにとどまらない。繰り返すが「トランスジェンダーという実存」そのものが女性性への侵犯であり加害だ。
英語圏のフェミニズムでは”Sex is Binary"というスローガンがある。性分化疾患などの病気を抱えている方々でも彼ら彼女らは最初からはっきりとした性自認を持っていることは常識だ。
トランスジェンダリズムの名のもとに跋扈する変態たちはその原則に違反してエゴを膨らませたモンスターなのだ。
生物学はあなたのご機嫌をとらない。女性の領域は高貴で神聖なものであり、何人たりともそれを犯してはならない。
私達は、その尊厳を守る限りにおいて、私達の神聖な女性性を侵犯する獣を「差別する」権利がある。
ミソジニー社会では、差別するのは男の特権、女たちは男に仕えるか、聖人のように振る舞ってろという規範に縛られていた。これこそ家父長制の呪いだ。
もっとぶっちゃけて言っちゃうけど、私達は「マイノリティ」の中ではパワフルな存在だ。私達に聖人であれと要求するような規範などこの世にない。
どんなフェミニズムのテキストにも「どんな卑しい臭い生き物でも差別しちゃだめだよ!」などと書かれてない。
フェミニズムは抑圧された女性たちのための権利運動だ。汚い化け物に気を使ってやる必要もないし、そいつらのママでもなんでもない。
そしてなによりも女性にも言論の自由があることを忘れた?表現の自由、言論の自由はアニメ絵で自慰行為をしながら死んでいく男たちの特権ではないんだけど。
結局、トランスジェンダリズムの原因にあるのはこの社会の女性憎悪(嫌悪なんていう生易しいものではなく)だと思うんだよね
だってこの国で女に生まれてしまうと、小顔平行二重の細身華奢美少女に生まれてMARCH以上の大学に行ってホワイト大企業に就職し
30代前半までに同世代の男性と結婚して健常者の子供を産んで仕事を辞めずに働くという
針の穴を通すような完璧な生き方しか認められなくて、そこから少しでも外れると奥目口ゴボ骨スト中顔面だの売れ残りだの無産様だのと酷い言葉で罵られ
女でいる限りそこから逃れる術はない
トンデモヘイト本も何も、トランスジェンダリズムこそがまさにトンデモだし女性ヘイトなんだよ…
トンデモ医療本と比較している人がいるが、トンデモ医療なのはトランスジェンダリズムに基づいて行われる方なので
それも罠に嵌められていると思う
トランスジェンダリズムはペド容認なんで、JK好きの権力者にとっては都合がいいんだよね
勉強になるな~
https://femalelibjp.net/?p=1357
フェミニズムからトランスジェンダリズムへ――キャサリン・マッキノンとその政治的移行
マッキノンを含むトランス派のほとんどは、実際には「トランス女性」を生物学的に定義している。つまり、彼らは、生物学的に男性である人だけが「トランス女性」になれることを確信しており、「トランス女性」であることの必要条件を生物学的男性に置いている。「トランス女性」であるためには、何よりも彼らは生物学的に男性でなければならない。生物学的女性は「トランス男性」や「シス女性」になれても、けっして「トランス女性」にはなれない。生物学的男性だけが「トランス女性」になれるのである。
わはは、せやな
「トランス女性」たちは女性を、その長い髪、赤いマニキュアの塗られた爪、豊かな乳房、丸みのあるお尻、ヴァギナなどに還元したうえで、それらのパーツを疑似的に自分たちの身体上に再現して、自分たちを女だと称している。つまり、彼らにとって「女性」とは、これらの身体パーツの単なる寄せ集めなのである。GCフェミニストはまさにそれを批判しており、女性は、男でも視認できる「女性的な」身体パーツの寄せ集めではなく、生物学的ないし政治的なあらゆる差異と特徴を含むトータルな存在だとみなしている。
まさにその通りや。
さらに、マッキノンは次のように述べている。「女性は、実際には、私たちの身体によって従属したり抑圧されたりしているわけではない。私たちは染色体や卵巣から解放される必要はない」。
まず、女性を生物学的に定義することを拒否しているマッキノンは、「私たちの身体」という言葉でいったい何を指しているのか? 「私たちの卵巣」と言っていることからして、この「身体」は明らかに「生物学的女性の身体」を指していると解釈するしかないが、もしそうなら――マッキノンの規定によれば――それは生物学的本質主義になるではないか。
女性固有の身体が抑圧の条件であるからと言って、その身体性からの解放が女性の解放であるという結論にはならない。男性が女性をレイプするためには、ヴァギナを含む女性の身体が必要であるが、だからといって、レイプをなくす運動がヴァギナをなくす運動であったことは一度もない。
あったり前やな。
実際には、「トランス女性」が生きているのは「女性の生」ではなく、彼らが想像する「女性の生」にすぎない。何をしたら女性の生を生きることになるのか? 髪を長くして、化粧して、乳房を大きくして、ブラジャーをして、スカートを履いて、生活することか? もしそうなら、マッキノンは、女性をそのようなパーツや服装(社会的ジェンダー)に還元していることになる。
おい裁判官聞いとるか?
そもそも、「トランス女性」は、とりわけオートガイネフィリアに分類できる人々(「トランス女性」の大部分はおそらくそうだ)は、「女性にアイデンティファイしている」のではなく、女性の長い髪や化粧、赤い唇、女性のドレスやスカートや下着、女性の豊かな乳房、女性のすべすべの肌、女性的な振る舞い(男が考えるそれ)にアイデンティファイしているにすぎない。つまり、女性の外面、女性の装飾、女性のステレオタイプにアイデンティファイしているにすぎない。
彼女はこの論文において過去の自分の理論のほとんどすべてを放棄したが、過去から継続している面もある。過去の彼女との連続性がかろうじて見て取れるのは、彼女の年来の反生物学的立場である。生物学フォビアと言ってもいい彼女のこの反生物学主義は、女性身体の生物学的構造を徹底的に利用し搾取しようとする男性権力の核心をつかみそこない、その新しい運動形態たるトランスジェンダリズムの本質を理解しそこねる結果になっている。
"フェミニストのトランスフォーブの多くが、女性のジェンダーロールやステレオタイプにトラウマを持ち、身体的、心理的に、あるいは人生の野心において、それに適合しなかったことは明らかである。彼女らは女性として受け入れられ、評価されることに苦労したのに、一部のトランス女性がやすやすと女性として受け入れられていることに憤りを感じているようである。"
これは真に驚くべきインセル的主張である。つまり、GCフェミニストは「トランス女性」に嫉妬していると言いたいのだ。何かに対するフェミニストの批判を「女の嫉妬」に還元して説明する仕方は、ミソジニスト、インセルに典型的なものだ。女性の参政権のために闘ったサフラジェットの場合も、男に愛されない年増の女の欲求不満だと言われた。この古典的なミソジニー的主張がよりによってマッキノンによって繰り返されるとは!
彼女は、女性の多くが女性にアイデンティファイしていない理由として、「男性のいる何らかの集団の一員として自分を見る方がより尊厳があるからだ」と述べている。マッキノンが「トランス女性」という名の男性を女性カテゴリーに入れようとした心理もまさにこれである。
今では、彼女は、女性というカテゴリーそのものに男性を含めており、マッキノン自身が、自分を「男性を含む集団」の一員とみなし、そのことによって自分たちが「より尊厳ある」存在になったと感じているのである
名誉男性になりたいわけやね。