はてなキーワード: アムステルダムとは
アムステルダムでオランダ人、ロシア人、イギリス人とサッカーして、日本人同士の駐在員サッカーは吐くほど嫌いになりましたが
(写真が入れられないのでこちらに書きました情報商材ではないです)
https://note.com/eurogogo/n/n7daf40419633
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まさかNumberもこういう批判をされるとは思いません。こういった文章をかける人って非常にすくないので、
ともすると海外でサッカーをやっていた人の意見を採用しがちです。
でもそんなにかんたんな話ではありません。僕はサッカーはそこまでプロレベルではなくてもやってきました。
海外にいってもずっとサッカーを追っかけてます。なので批判できます。
オランダで駐在員サッカーチームにいてオランダ人サッカーチームとサッカーして思ったが楽しくサッカーをしたら、ミスを恐れずにサッカーをしたらいいってものではない。確かに同意はしたくなる。
自分もオランダに行った時駐在員チームでサッカーをしてめっちゃ怒られてオランダのゴッホ美術館前でオランダ人等とサッカーをしたらミスをおこられない開放感を味わった
でも、どちらかというとそうではない彼らは基本技術がうまい。太ったイタリア人はうまいし、ビールを飲みながらビール腹で70歳のオランダ人はうまい。
パスがうまいキックがうまい。普通にうまい。駐在員の日本人はうまくない。これは原因は文化だ。何十年サッカーをやってきたかだ。
確かに、駐在員チームで初めて怒られた時、「そんなパス、会社だったらクビだよ!」である。だし、ゴッホ美術館前の芝生で一緒にサッカーしたら開放感は半端ない。
でもそこが原因じゃない。基本的に彼らはうまい。元からうまい。イタリア人が何気なくフォンデル公園公園の芝生でサッカーをしていた。適当にやってくそうまい。
めちゃくちゃうまい。スペインのバルセロナで少年がビーチで何気なくしていたエラシコ。オランダではおじいちゃんがおばあちゃんとプレミアリーグを週末にゆっくり観戦しているのである。
これは文化の差だ。そんな批判文化レベルの浅い差ではないと思う。
彼らはずっとサッカーをやってきた。
だから強いのであって、そこはこんな批判文化の有無ではでは埋められない差だと思う。日本だってこれからはそういう国になっていく
沢山書いたやで
・実名主義
80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数の社会的人格を持って経済活動する事ができた。
職場で旧姓を使い続けても問題無かった。1986年に米国でマネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。
MDMAが非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。
心臓発作を惹起する為に規制。m.o.v.e.のmotsuが所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。
90年代のクラブではマリファナは普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙で景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員も米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。
・式場での結婚式
1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式、キリスト教教会一般的。
団塊世代のロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻の自由は憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手と結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。
団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。
古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。
1990年頃まで日本人の公共空間でのマナーは先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。
・外国で旅の恥をかき捨てない
かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本人旅行者(特に団体)は眉を顰められる存在だった。
遺跡に名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクターに痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。
これを西洋は宗教倫理の文化で日本は恥の文化、共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。
電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。
この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年頃から段階的に廃止された。
森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバのIIS(インターネットインフォメーションサーバー)サービスでHPを提供していたため。
終業時間になるとサーバとルータの電源を落として帰っていた。サイトの作成は役人の趣味みたいな感じで作っていた。
1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタはパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。
駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口に100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。
民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。
90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両とタクシーの客待ちで二重駐車になっていた。
2000年頃から増える。警察が路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。
和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習。
家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員と交渉で決めるという風になった。この為に店員は電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。
客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。
バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎(1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機と建物袖看板の道路使用料徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。
これに対応して既存機の撤去とスリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。
以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフ、リセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。
2006年ころに一世を風靡したネットブックでSSDが一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。
嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局、銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。
当然平日3時までしかやっていない銀行に会社員が行けるわけがない。
そこで振り込みの為に仕事を中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅。
18才は未成年で飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。
ゼミの飲み会で普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。
・線路を歩かない
都電やローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関が線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。
90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故が連続し、その後厳しくなっていった。
初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキーは酩酊するからダメ」と書かれている。
・小銭を所持しないで外出
1000円札の読み取り装置が一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道の券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。
この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。
1989年の消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉は公共料金以外殆ど使われていなかった。
・個室
和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。
・個人
家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員のプライバシーに踏み込む」という感覚が余りなかった。
「会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。
ウオークマンは街で個人的空間に浸るものだとして批判の対象になった。個人主義はそれ自体が罵倒文句だった。
全共闘運動はあらゆる権威を攻撃し、大学の知の権威というものも破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態が継続。やがて学生は脱政治化したが大学や学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。
90年前後の大学改革でICUや上智の比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり、学生が勉強するという当たり前の状態が復活した。
この為に卒業年1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。
・様々な塩製品
塩は国家専売品だったので専売公社の製造する塩以外の岩塩、ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可と標識の掲出が必要だった。
・「メイド喫茶」などの語
「メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制や階級制の象徴のような職業であって、戦後の身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤が一般的な「雇用」となった。
一周回ってメイドの構造が過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。
・キャノーラ油
キャノーラ油の原料は菜種。
米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。
米国で生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。
過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法が改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。
1991年に大店法が改正されるまではデパートの閉店時間はPM6時、スーパーの閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。
基本的に地元の商工会の意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正が商店街の全滅に繋がった。
・生ビール
ビールは酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール。
この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。
1970年代末にサントリーがフィルターで酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。
だから地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品の生ビールはサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。
バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。
それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。
これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導の対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。
1990年から。1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業の有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去。札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的。
1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。
冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまち、ひとめぼれが席巻するようになった。
駐車違反にバイクと車の別はないが、バイクの駐車違反は2006年まで摘発されていなかった。摘発を民間に委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗に駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。
・大学生の専攻無し
学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行や福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から。
貨幣の前身は、言語とともに、初期の現代人が他の動物が解決できない協力の問題を解決することを可能にした。これらの原型は、非フィアット通貨と非常に特殊な特徴を共有しており、単なる象徴や装飾品ではなかった。
17世紀のイギリスのアメリカ植民地では、当初から硬貨の不足という問題があった。イギリスの考えは、大量のタバコを栽培し、世界的な海軍や商船の船のために木材を切り出し、その見返りとしてアメリカ人の労働力として必要な物資を送るというものであった。つまり、初期の入植者は、会社のために働き、会社の店で買い物をすることになっていたのである。投資家と王室は、農民の要求に応じてコインで支払い、農民自身に物資を買わせ、さらに天罰として利益の一部を確保するよりも、この方法を好んだ。
植民地の人々の解決策は目の前にあったが、彼らがそれを認識するまでには数年を要した。原住民はお金を持っていたが、それはヨーロッパ人が慣れ親しんできたお金とは全く違っていた。アメリカン・インディアンは何千年も前からお金を使っていたし、新しくやってきたヨーロッパ人にとっても便利なお金であった。しかし、ニューイングランドの人々は、銀も金も使わず、自分たちの生活に最も適したお金を使っていた。その代わりに、彼らは獲物の耐久性のある骨組みという、その環境に最も適した貨幣を使っていた。具体的には、ワンパムと呼ばれる貝(ホンビノスガイ)とその近縁種の貝殻をペンダントにしていた。
貝は海でしか採れないが、ワンパムは内陸部でも取引されていた。アメリカ大陸の各部族には、さまざまな種類の貝殻貨幣が存在していた。イリコイ族は、貝の生息地に近づかずに、最も大きなワンパムの財宝を集めることができた。ワンパムを専門に製造していたのは、ナラガンセッツ族などほんの一握りの部族で、他の何百もの部族(その多くは狩猟採集民)がワンパムを使用していた。ワンパムのペンダントは、長さとビーズの数が比例しており、様々な長さのものがあった。ワンパムペンダントの長さは様々で、ビーズの数は長さに比例しており、ペンダントを切ったり繋げたりして、支払った金額と同じ長さのペンダントを作ることができた。
入植者たちは、本当のお金とは何かという問題を克服すると、ワンパムの取引に熱中した。貝(clam)は、アメリカでは「お金」の別名として使われている。ニューアムステルダム(現在のニューヨーク)のオランダ人知事は、イギリス系アメリカ人の銀行からワンパムで多額の融資を受けた。しばらくすると、イギリス当局もこれに同調せざるを得なくなった。1637年から1661年にかけて、ニューイングランドではワンパムが法定通貨となった。植民地の人々は流動的な交換手段を手に入れ、植民地の貿易は盛んになった。
ワンパムの終わりの始まりは、イギリスがアメリカ大陸に多くのコインを出荷するようになり、ヨーロッパ人が大量生産の技術を応用するようになってからである。1661年になると、イギリス政府はワンパムの製造を中止し、本物の金や銀、そして王室の監査を受けてブランド化されたコインで支払うことにした。この年、ニューイングランドではワンパムは法定通貨ではなくなった。1710年にはノースカロライナ州で一時的に法定通貨となった。ワンパムは、20世紀に入っても交換手段として使われ続けていたが、その価値は西洋の収穫・製造技術によって100倍にも膨れ上がり、貨幣が発明された後に西洋で金や銀の宝飾品が行き渡ったように、よくできたお金から装飾品へと徐々に変化していった。アメリカの貝貨の言葉は古風な遺物となった。百貝は百ドルになった。「Shelling out」とは、コインや紙幣で支払うことを意味し、やがて小切手やクレジットで支払うようになった。我々は、自分たちの種の起源に触れてしまったことを知らなかった。
ネイティブ・アメリカンのお金は、貝殻以外にも様々な形があった。毛皮、歯、そして後述する特性を持つ他の様々な物体も、交換手段としてよく使われた。12,000年前、現在のワシントン州で、クロービス族は、驚くほど長い角岩の刃を開発した。しかし、すぐに折れてしまう。これでは切ることもできない。火打ち石は「楽しむため」に作られていたのか、それとも切ることとは関係のない別の目的のために作られていたのか。後述するように、この一見軽薄に見えることが、実は彼らの生存にとって非常に重要であった可能性が高い。
しかし、ネイティブ・アメリカンは、芸術的ではあるが役に立たない刃物を最初に作ったわけではないし、シェル・マネーを発明したわけでもない。ヨーロッパ人も、昔は貝や歯をお金にしていたし、牛や金、銀、武器なども使っていた。アジア人は、それらすべてを使い、政府が発行した偽物の斧も使っていたが、この制度も輸入していた。考古学者が旧石器時代初期の貝のペンダントを発見しており、それがネイティブ・アメリカンのお金の代わりになっていた可能性があるからだ。
1990年代後半、考古学者のスタンリー・アンブローズは、ケニアのリフトバレーにあるロックシェルターで、ダチョウの卵の殻やブランク、貝殻の破片でできたビーズのキャッシュを発見した。これらのビーズは、アルゴン-アルゴン(40Ar/39Ar)比を用いて、少なくとも4万年前のものとされている。スペインでは、この時期に穴の開いた動物の歯が発見されている。また、レバノンの旧石器時代初期の遺跡からは、穴の開いた貝殻が出土している。最近では、南アフリカのブロンボス洞窟で、さらにさかのぼって7万5千年前に作られたビーズ状の貝殻が発見されている。
現代の亜種はヨーロッパに移住しており、紀元前4万年頃から貝殻と歯のネックレスが登場している。また、オーストラリアでは紀元前3万年頃から貝と歯のペンダントが出土している。いずれも高度な技術を要するものであり、もっと昔から行われていたと思われる。採集や装飾の起源は、解剖学的に現存する亜種の原産地であるアフリカである可能性が高い。人類が常に飢餓と隣り合わせの生活をしていた時代に、貝殻の製造には膨大な技術と時間が必要だったのであるから、収集してネックレスを作ることには重要な選択的利益があったはずである。
実質的な貿易を行っていない文化や、現代的な貨幣を使用している文化であっても、事実上すべての人類の文化は、ジュエリーを作り、楽しみ、実用性よりも芸術性や家宝としての価値を重視している。我々人間は、貝殻のネックレスやその他の種類のジュエリーを、純粋に楽しむために集めている。進化心理学者にとって、人間が「純粋に楽しむため」に何かをするという説明は、説明ではなく、問題提起なのである。なぜ多くの人が宝石を集めたり身につけたりすることを楽しんでいるのか?進化心理学者にとってこの問題は「何がこの楽しみを進化させたのか?」ということである。
進化心理学は、ジョン・メイナード・スミスの重要な数学的発見から始まる。スミスは、発達した集団遺伝学の分野から、共進化する遺伝子の集団のモデルを用いて、単純な戦略的問題(ゲーム理論の「ゲーム」)で使用される善悪の戦略をコード化できる遺伝子を提唱した。スミスは、これらの遺伝子が次世代への伝播を競っている場合、競争相手が提示する戦略問題に対してナッシュ均衡となる戦略を進化させることを証明した。このゲームには、協力の典型的な問題である「囚人のジレンマ」や、攻撃とその緩和の典型的な問題である「鷹と鳩」などがある。
スミスの理論で重要なのは、これらの戦略的ゲームは、近距離の表現型間で行われているが、実際には、究極のレベルである遺伝子間のゲーム、つまり伝播されるべき競争のレベルで行われているということである。遺伝子(必ずしも個体ではない)は、あたかも拘束された合理性(生物学的原材料と過去の進化の歴史を考慮して、表現型が表現できる範囲内で、可能な限り最適な戦略をコード化する)と「利己的」(リチャード・ドーキンスの比喩を使用)であるかのように行動に影響を与える。遺伝子が行動に与える影響は、遺伝子が表現型を通じて競合することで生じる社会的問題への適応である。スミスはこれらの進化したナッシュ均衡を進化的安定戦略と呼んだ。
性淘汰や血縁淘汰など、それまでの個人淘汰説の上に構築されていた「エピサークル」は、このより一般的なモデルの中に消え去り、コペルニクス的な方法で、個人ではなく遺伝子を理論の中心に据えることになる。このようにドーキンスは、スミスの理論を説明するために、「利己的な遺伝子」という比喩的でよく誤解される言葉を使っている。
旧石器時代の人間のように協力し合う種は他にほとんどない。雛の世話、アリ、シロアリ、ハチのコロニーなど、動物が協力するのは親族だからであり、親族にある自分の「利己的遺伝子」のコピーを助けることができるからである。非常に制約の多いケースでは、進化心理学者が「相互利他主義」と呼ぶ、親族以外の者同士の継続的な協力関係も存在する。ドーキンスの説明によると、好意の交換が同時に行われない限り(場合によってはその場合でも)、どちらかが不正を行うことができる。そして、普通はそうする。これは理論家が「囚人のジレンマ」と呼んでいるゲームの典型的な結果である。詐欺師と吸血者の集団では、常に詐欺師が勝つ。しかし、「Tit-for-Tat」と呼ばれる戦略を用いて、相互作用を繰り返すことで協力するようになる動物もいる。この報復の脅威が継続的な協力の動機となる。
しかし、動物の世界で実際にそのような協力が行われる状況は、非常に制約が多い。主な制約は、少なくとも一方の参加者が多かれ少なかれ相手の近くにいなければならない関係に限定されていることである。最も一般的なケースは、寄生虫とその体を共有する宿主が共生体に進化した場合である。寄生虫と宿主の利害が一致し、どちらか一方が単独で活動するよりも、両者が一緒に活動する方が適している場合(つまり、寄生虫が宿主にも何らかの利益をもたらしている場合)、Tit-for-Tatゲームを成功させることができれば、両者の利害、特に世代間の遺伝子の出口メカニズムが一致した状態である共生体に進化する。そして、1つの生物となるのである。しかし、ここでは協力だけではなく、搾取も行われている。それらは同時に起こる。この状況は、以下で分析する人間が開発する制度、つまり貢ぎ物に類似している。
寄生虫と宿主が同じ体を共有して共生体に進化するのではない、非常に特殊な例がある。寄生虫と宿主が同じ体を共有し、共生生物に進化するのではなく、同族ではない動物と高度に制限された縄張りを持つ、非常に特殊な例がある。ドーキンスは、クリーナーフィッシュを例に挙げている。この魚は、宿主の口の中を泳いで出入りし、そこにいるバクテリアを食べて宿主の魚に利益をもたらす。宿主である魚は、クリーナーが仕事を終えるのを待ってから食べるというズルをすることもできる。しかし、そうはしない。両者とも移動可能なので、潜在的には自由に関係を断つことができる。しかし、クリーナーフィッシュは個々の縄張り意識を非常に強く進化させており、偽造しにくいブランドロゴのように、偽造しにくい縞模様や踊りを持っている。宿主魚はどこに行けば掃除してもらえるかを知っているし、もし不正をしたら、新しい不信感を持った掃除魚ともう一度やり直さなければならないことも知っているのだ。この関係の入口コスト、つまり出口コストが高いので、不正をしなくてもうまくいくのである。それに、クリーナーフィッシュは小さいので、それを食べることで得られる利益は、少数の、あるいは1匹のクリーニングで得られる利益に比べて大きくはない。
最も適切な例として、吸血コウモリがある。その名の通り、獲物である哺乳類の血を吸う。面白いのは、良い夜には余剰分を持ち帰るが、悪い夜には何も持ち帰らないことだ。彼らの暗躍は非常に予測不可能である。その結果、幸運な(あるいは熟練した)コウモリは、洞穴の中で幸運でない(あるいは熟練していない)コウモリと血を分かち合うことが多い。彼らは血を吐き出し、感謝している受取人がそれを食べる。
このようなレシピエントの大部分は親族である。屈強な生物学者G.S.ウィルキンソンが目撃した110件の血反吐のうち、77件は母親が子供に食べさせるケースであり、その他のケースもほとんどが遺伝的な親族である。しかし、親族間の利他主義では説明できないケースも少なからずあった。これらが相互利他主義のケースであることを示すために、ウィルキンソンは2つの異なるグループのコウモリの個体群を組み合わせた。コウモリはごく稀な例外を除いて、元のグループの旧友にしか餌を与えなかった。このような協力関係を築くには、パートナー同士が頻繁に交流し、お互いを認識し、お互いの行動を把握するような長期的な関係を築く必要がある。コウモリ穴は、そのような絆を形成できる長期的な関係にコウモリを拘束するのに役立つ。
人間の中にも、非常にリスクの高い不連続な獲物を選び、その結果得られた余剰分を親族以外と共有していた者がいたことがわかるだろう。実際、人間は吸血コウモリよりもはるかに大きな範囲でこれを達成している。その方法が本論の主題である。ドーキンスは、「お金は、遅延した相互利他主義の正式なトークンである」と示唆しているが、この魅力的なアイデアをそれ以上追求することはない。我々はそうする。
人間の小集団の中では、世間の評判が一人の個人による報復よりも勝って、遅延型互恵主義の協力を動機付けることができる。しかし、評判を信じることには2つの大きな誤りがある。どの人が何をしたかについての誤りと、その行為によって生じた価値や損害を評価する際の誤りである。
顔や好意を記憶する必要があるというのは、認知上の大きなハードルであるが、ほとんどの人間は比較的容易に克服できると考えている。顔を認識するのは簡単であるが、好意を受けたことを思い出すのは難しい。また、好意を受けた人にとって、その好意がどのような価値を持つものであったかを思い出すことは、さらに困難である。紛争や誤解を避けることは、不可能なほど、あるいは法外に難しいことである。
パート2: https://anond.hatelabo.jp/20210906120933
パート3: https://anond.hatelabo.jp/20210906125926
パート4: https://anond.hatelabo.jp/20210906130017
オランダで年金生活を送る男性が、出会いの可能性を高めるため、年齢を法的に変更する法廷闘争を
始めた。
エミール・ラテルバンドさん(69)は、1949年3月11日から1969年3月11日へ、出生日の変更を求めている。
ラテルバンドさんは自身の要求を、トランスジェンダー(出生時の身体的性別と性自認が異なる人)の
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「名前は変えられる。性別も変えられる。年齢はなぜだめなのか?」とラテルバンドさんはオランダ紙デ
・テレフラーフに語った。
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首都アムステルダムの南東に位置するアーネムの地方裁判所は5日、公聴会を開いた。4週間以内に
判断を下す予定。
ㅤㅤㅤ
オランダ紙アルヘメーン・ダグブラドは5日、この訴えが認められるか裁判所は懐疑的だと報じた。
裁判所によると、個人に出生日の変更を認める法的仕組みがオランダには存在しないという。
ㅤㅤㅤ
しかしラテルバンドさんは、年齢によって自分が差別されていると感じると述べた。また、自分の雇用機会や
マッチングアプリ「ティンダー」での成功率に、年齢が影響しているとした。
ㅤㅤㅤ
「年齢が69歳では、制限を受ける。もし49歳なら、私は新しい家を買えるし、今とは別の車にも乗れる。
「ティンダーで69歳だと言うと、もう返事が来ない。49歳で私のこの顔なら、上等な位置につけるだろう」
ラテルバンドさんはさらに、医師によれば自分の肉体年齢は45歳だと主張し、自身を「若き神」だと説明した。
また、もし出生日を変更した場合、ラテルバンドさんは年金を放棄すると語った。
ㅤㅤㅤ
オランダの憲法は、年齢を基準にした雇用上の差別を明確に禁止している。
ラテルバンドさんはメディア司会者で、やる気向上の講演も行っている。神経言語プログラミングの
教育者でもある。
ㅤㅤㅤ
アニメ大手ピクサーが制作した映画「カーズ2」のオランダ語版で、登場キャラクター「ウラジミール・
トランコフ」の声も演じた。
自動車を減らして自転車を増やすと地域から渋滞と重大事故と公害が減って地域が良好化する現実があるんだからさ。
なのでパリやニューヨーク、ロンドン、アムステルダム、オスロなど先進諸国の首都や代表都市は積極的に自転車優遇、自動車抑制を政策レベルで進めているんだよな。
ノルウェーの首都オスロに至ってはマイカーはもっとも有害で最悪な移動手段だと位置づけ。
その為、マイカーの公道走行違法化を進めており、自転車は環境にも健康にも良い善良な移動手段だとして自転車が使いやすい環境整備を次々と進めている。
日本もマイカー禁止と自転車優遇、そして自転車シェアリングも含めた公共交通の整備を積極的に進めたほうが本当は合理的なんですよね。
しかしトヨタやホンダなど自動車産業からの悪しき圧力が癌となって交通行政の改善を阻んでいるのが日本の悲劇。
余談ではありますが「自動車は40年間で3396万円以上も無駄になり損をする負債」というコラムも注目を集めましたね。自動車は持っているだけで損をする金食い虫のお荷物であると。
負債とは、カネを生み出さず、費用がかさんでカネを失わせる持っているだけで損をするお荷物を指す。
更にこういった事実もある。交通刑務所懲役囚人のほぼ全員は自動車運転手、そして自動車乗車中の年間死者数は1200人以上にもなる。
これは国民の保有台数がほぼ同数である自転車と比較して3倍の数字。つまり自動車依存者は短命、早死に。自転車を活用したほうが長生きできるという事実を示す。
資産1億円以上を有する堀江貴文や西村博之、経済評論家の上念司など合理主義の利口な人ほど現代は自動車という負債を所有も運転もしないのが現実。
自動車って個人の所有と運転も割に合わないし社会に害悪がデカいからもっと課税、規制、取り締まり、罰則の強化を進めて減らしたほうが絶対に良いよな?
https://anond.hatelabo.jp/20210616172337
Googleストリートビューとか見てみ。Youtubeの最近の動画でもいい。ニューヨークを。
車線減らしまくって市街地に自転車専用道ネットワーク整備しまくってる。
オランダの代表都市アムステルダムはもっと前からそれをやってる。
自動車を減らして自転車を増やすほど渋滞も公害も重大事故も不健康も減らせて、自動車が蔓延するより人々の利益、社会的な利益、公益になるからそうしている。
https://anond.hatelabo.jp/20210616172337
自動車依存者が自転車に乗り換えれば乗り換えるほど、道路から重量約1000Kgの害物が減るわけだから当然だけどね。
ちなみに歩道において最も歩行者を殺傷しているのは圧倒的に多数で自動車が元凶。
歩道上でも圧倒的殺人王なのは自動車 - 大阪交通ニュース(はてなブログ版)
https://delalte.hatenablog.com/entry/20111021/1319158025
2月4日東京都大田区車が歩道に乗り上げ下敷きになった女性死亡
2月14日愛知県東郷町歩道でバックしてきたトラックにひかれ自転車の高校生死亡
3月24日大阪市旭区車がロータリー曲がり切れずに歩道に乗り上げ女性はね店に突っ込むはねられた女性死亡
4月13日神奈川県山北町車とダンプが衝突歩道にいた女性が巻き込まれ死亡
4月16日名古屋市中区車と衝突したバイクが歩道に乗り上げバイクの男性死亡歩道にいた男性重体
4月18日栃木県鹿沼市歩道の児童列にクレーン車突っ込み6児死亡
4月19日川崎市川崎区駐車場からバックしてきた車にはねられ歩道を歩いていた女性死亡
4月21日島根県松江市軽自動車が歩道に乗り上げ女性2人はね1人死亡
5月11日大阪市浪速区トラックが歩道に突っ込み2人はね死なす
6月15日東京都江戸川区車が歩道に突っ込み歩行者4人はね1人死亡1人重体
7月3日愛知県大口町駐車場から出ようとした大型トラックにはねられ歩道を走っていた自転車の女子中学生死亡
7月5日熊本県山鹿市信号待ち中のワゴン車にトラック追突歩道の登校中児童列に突っ込み女児1人重体(のち死亡)
9月25日茨城県鉾田市歩道にいた女性突っ込んできたトラックにひき逃げされ死亡トラック所有者逮捕
一方で、歩行者と自転車が歩道で衝突してどちらかが死亡する事故は餅の誤飲による死者数より少ない。
それほどまでに自転車は歩行者にとって安全な存在。自転車自体の重量が男性と女性の体重差程度しかないので当然。
自動車は重量約1000Kg以上もの害物なので徹底的に減らすのが正義であり、減らせば減らすほど道路の安全は向上し重大事故も減らせる。
歩行者の交通事故死ゼロのオスロ、その秘密は「クルマが走らない都市づくり」にあり | WIRED.jp
https://wired.jp/2021/02/04/oslo-pedestrianisation/
だから昨今は世界中の先進諸国の代表都市で自動車を減らして自転車を増やす政策が進んでる。市街地に自転車専用道をネットワーク整備したりね。
自動車を減らして自転車を増やすほど重大事故も公害も渋滞も不健康も減らせるため。
ちなみに現状においても自転車利用者は自動車依存者より事故率芋死亡率も低く長寿。
自動車 75,169,950台 0.0017% 0.0143% 0.574% 0.59%
自動二輪 3,589,551台 0.0124% 0.1426% 0.777% 0.93%
原付 7,892,793台 0.0029% 0.0749% 0.400% 0.47%
自転車 約71,500,000台 0.0008% 0.0118% 0.124% 0.13%
英国グラスゴー大学が26万人以上を医学的に追跡調査した結果でも、同様に自転車利用者がもっとも長寿だと判明している。
自動車を減らして自転車を増やすと地域から渋滞と重大事故と公害が減って地域が良好化する現実
なのでパリやニューヨーク、ロンドン、アムステルダム、オスロなど先進諸国の首都や代表都市は積極的に自転車優遇、自動車抑制を政策レベルで進めているんですよね。
ノルウェーの首都オスロに至ってはマイカーはもっとも有害で最悪な移動手段だと位置づけ。
その為、マイカーの公道走行違法化を進めており、自転車は環境にも健康にも良い善良な移動手段だとして自転車が使いやすい環境整備を次々と進めている。
日本もマイカー禁止と自転車優遇、そして自転車シェアリングも含めた公共交通の整備を積極的に進めたほうが本当は合理的なんですよね。
しかしトヨタやホンダなど自動車産業からの悪しき圧力が癌となって交通行政の改善を阻んでいるのが日本の悲劇。
余談ではありますが「自動車は40年間で3396万円以上も無駄になり損をする負債」というコラムも注目を集めましたね。
負債とは、カネを生み出さず、費用がかさんでカネを失わせる持っているだけで損をするお荷物を指す。
更にこういった事実もある。交通刑務所懲役囚人のほぼ全員は自動車運転手、そして自動車乗車中の年間死者数は1200人以上にもなる。
これは国民の保有台数がほぼ同数である自転車と比較して3倍の数字。つまり自動車依存者は短命、早死に。
資産1億円以上を有する堀江貴文や西村博之、経済評論家の上念司など合理主義の利口な人ほど現代は自動車という負債を所有も運転もしないのが現実。ひろゆきさん等は自転車には乗るようですね。
https://anond.hatelabo.jp/20210616172337
歩道の無い狭い道を疾走してきてこっちが避けないといけないし、人混みのなかに我がもの顔で突っ込んでくるのも嫌すぎる(最高速度違反及び、安全運転義務違反)。
こっちはただ歩いたり自転車漕いでるだけなのにクラクション鳴らして(警音器使用制限違反)どかそうとしてくるのも噴飯もの。なんでこっちがお前に合わせなきゃいけないわけェ!?
険しい顔して危険運転してるバス、トラック、タクシーの自動車も嫌だし、アホ面で車道を逆走している高齢ドライバーが運転する自動車も嫌。
以前は「自動車の維持費を10倍にして規制と罰則も3倍強化しろ!」って叫んでいたけど、もはや「自動車で違反を1度でもしたら生涯免許剥奪しろ!」って言いたい。ドイツで生涯免許剥奪適用の前例があるように。
自動車ってマジで邪魔すぎないですか? なんであんなに道路を占拠してくるんですか。自転車だったら4~6台は通行できる空間にドライバーたった1人という無駄をよく見る。無駄。邪魔。迷惑。
徒歩20分、自転車10分のところ5分にしたいからって重量、幅、速度的に極めて有害で更に代表的な公害車両である自動車に依存する卑しさ。人格がゴミ。
そのうえ平気で違法駐車していく遵法精神のなさ。そんなに自動車に乗りたいんなら背負ってろ!
嫌いすぎて定期的に「車カス」でツイッター検索しては、自動車が衝突してグルグルまわってる動画を見てゲラゲラ笑っている。
窓ガラスが血だらけになって、運転手がぐったりしてる海外事故動画もよく見る。
ちなみに日本の統計では自動車乗車中の年間死者数は1200人を超える。自転車はその3分の1以下。
保有台数における事故率死亡率統計を見ても自転車利用者のほうが車カスより長生き。
車離れが進んで自転車が増えるほど重大事故も公害も渋滞も不健康も減らせるというのは統計でも証明されている。
実際に人口あたりの交通死者数は自動車依存度が高い田舎ほど多い事実は都道府県人口あたりの交通死者数統計を見ればすぐにわかる。
自動車依存度が低い地域ほど人口あたりの交通死者は少なく、自動車依存度が高い田舎の地域ほど人口あたりの交通死者数が多い。
つまり自動車は人命を考えればもっと積極的に減らすべき「害物」だということ。
こんな俺に時代は確実に追い付いてきてる。
ニューヨーク、アムステルダム、パリ、オスロ等先進諸国の代表都市は車線を減らしてでも自転車専用道路ネットワーク整備を進めているからだ。日本もスローペースだがそちらの方向に進んでいる。
私既婚者
相手既婚者。年齢同じ。同じ会社の人だけど海外の子会社駐在員で単身赴任中。初対面。
数ヶ月にわたる長期海外出張先で駐在員が受け入れやらホテルの手配やら手伝ってくれるのだが、独身者は有志で日帰りや週末旅行に出かけてた。その時に出会った。
何回かグループ旅行で一緒になった後、私と相手のみ希望する行先があり、2人だけで旅行することに。行き先は国境を越えるので必然的に泊まり。
ただ以前も同室で泊まった事があり違和感は無かった。
個人的には、世代が同じだし生い立ちに共通点があって会話は比較的あったけど、正直好みの顔と体形じゃなかったので、異性として意識はしてなかった。
一泊目はツイン取ったはずなのにダブルだったりとトラブルもありながら何もなく、二日目の夜、二次会の店で2人でボトルを一本空けた後から雲行きが怪しくなって来た。
最初は偶然に体の一部が触れたのがきっかけだと思う。何となく身体の話になり、お互いの夫婦生活の話に。
知り合って間もない人に自分の内面を話しちゃってることに興奮し、性的対象として見始めたんだと思う。おそらく相手も。
雰囲気が変わったあとは早々に切り上げた。旧市街のレストランから中央駅ちかくのホテルまでの道のりはどちらからともなく手を繋いでいた。ああ、今晩この人とセックスするんだろうなと思った。家族の顔は思い浮かばなかった。
ホテルに着いたらすぐに交わった。
最初はお互い下半身だけ裸で。次にシャワー別々に浴びて全裸で。
相手は脱いでも好みの体じゃなかったけど、不思議と嫌悪感はなく、かえって好感を抱いた。
今回はしっかりツインの部屋だったんだけど結局ベッドは1つしか使わなかったのと、朝起きたら部屋のドアの鍵がしっかり閉まってなかったことを発見して焦ったのが印象に残ってる。
出張期間中は付き合いたての恋人みたいだった。相手のアパートに転がり込んで毎日ヤってた。ホテル不足もありバラけて宿をとってたりしたので周囲に不審に思われることはなかった。
日本の家族と電話して、その数時間後には平気でハメてたりした。安全日には生中出しもした。
帰国後は、社内ツールでweb会議のインビをおくり、自分は個室会議室を予約してイチャイチャ電話会議したこともあったが、仕事環境の変化でそれも難しくなり、時差もあり、3ヶ月ほどでほとんど連絡をしなくなった。
その後相手も日本に帰任したが、所属事業所が離れているし、この状況で会うような流れにもなってない。物理的にも時間的にも、距離や時間が空いてしまったことで、相手個人に対する男女としての好意は離散してしまったと正直に思う。
けれども、自分が不倫してからというもの、配偶者とのセックス中に想像するのは、不倫のシチュエーションばかり。自分でする時も含め、不倫ネタでしかエクスタシーを感じられなくなった。
コメントにぶら下がってる、不倫は麻薬、という言葉にひどく共感してこんな長文になってしまった。不倫の罪悪感、背徳感、非日常感、それらがすべて快感を増幅させて脳内の快楽の閾値をオーバーシュートさせたと思う。
アムステルダムのコーヒーショップで人生で一度だけ吸った葉っぱもこれ程までまた吸いたいとは思わなかった。仮に機会があっても自制できると感じる。
一方で不倫の快感は忘れられないし、また機会が目の前に現れたら快楽に負けてしまう自信がある。
天使のように可愛い息子と娘が寝静まった後、芸能人の不倫の話題をYahoo!ニュースで見かけると、身体が疼いてしたくなって来てしまうのを止められないのが自己嫌悪だ。
何で書き込んだかというと、自分も体験を吐き出したいという衝動に抗えなかったのと、後戻りできるところにいるなら、立ち止まった方がいいと表明したかったから。
一度壊れた身体の感覚は戻らない。世の中の忌とされてることは、先人たちが身をもって体験し、倫理的価値観や法に落とし込んできたものなんだなあ、と身をもって感じる。
なんかこれ以上書けないからこっちに続きを書くぞ.
https://en.wikivoyage.org/wiki/Kerguelen
€9,000 で Marion Dufresne の船室を予約する.日本円で110万ちょっとだ.観光客には年4回しかチャンスが無いから注意しろ.Réunionを出発し,28日だ.半分は海路,半分は陸路だ.インド洋を9,000キロも旅することになるぞ.途中でCrozet,ケルゲレン,アムステルダムを訪れる.もし科学者が便乗していたらSaint Paulにも立ち寄るが,誰も降りることはできない.
http://www.taaf.fr/Participation-a-une-rotation-australe-du-Marion-Dufresne
自動車を減らして自転車を増やすと地域から渋滞と重大事故と公害が減って地域が良好化する現実
なのでパリやニューヨーク、ロンドン、アムステルダム、オスロなど先進諸国の首都や代表都市は積極的に自転車優遇、自動車抑制を政策レベルで進めているんですよね。
ノルウェーの首都オスロに至ってはマイカーはもっとも有害で最悪な移動手段だと位置づけ。
その為、マイカーの公道走行違法化を進めており、自転車は環境にも健康にも良い善良な移動手段だとして自転車が使いやすい環境整備を次々と進めている。
日本もマイカー禁止と自転車優遇、そして自転車シェアリングも含めた公共交通の整備を積極的に進めたほうが本当は合理的なんですよね。
しかしトヨタやホンダなど自動車産業からの悪しき圧力が癌となって交通行政の改善を阻んでいるのが日本の悲劇。
余談ではありますが「自動車は40年間で3396万円以上も無駄になり損をする負債」というコラムも注目を集めましたね。自動車は持っているだけで損をする金食い虫のお荷物であると。
負債とは、カネを生み出さず、費用がかさんでカネを失わせる持っているだけで損をするお荷物を指す。
更にこういった事実もある。交通刑務所懲役囚人のほぼ全員は自動車運転手、そして自動車乗車中の年間死者数は1200人以上にもなる。
これは国民の保有台数がほぼ同数である自転車と比較して3倍の数字。つまり自動車依存者は短命、早死に。自転車を活用したほうが長生きできるという事実を示す。
資産1億円以上を有する堀江貴文や西村博之、経済評論家の上念司など合理主義の利口な人ほど現代は自動車という負債を所有も運転もしないのが現実。
COVID-19の疫病は特異な歴史的コンテクストに現れました。まず、グローバル資本主義と自由民主主義の折り合いをつけるには他に解決策(ソリューション)がないと30年間も信じてきた後で、人類は自らに課した昏睡状態からしだいに目覚めつつあります。状況が改善するかもしれないが、急激に悪化するかもしれないという考えにもはや誰も驚きません。
他方で、これまでの4年間、ブレグジット、トランプの大統領当選、ジェレミー・コービンの登場と失脚――じきにバーニー・サンダースも同じ運命をたどることになりました――といった出来事から、グローバル資本主義がかなりしぶといものだということが見えてきました。世界主義から排外主義へ、ネオリベラリズムから社会民主主義へ、イデオロギーがたんに変わるだけでは、社会的・経済的な諸関係は変わりませんでした。資本主義の完全な作り直しという課題に直面して、かつてはあれほどラディカルに見えたイデオロギーが無力で陳腐なものであることが明らかになりました。
現在の健康上の緊急事態をどう考えるべきでしょうか。COVID-19の引き起こした危機が世界を変えて開放する可能性に希望を抱く人は、すぐに失望することになるかもしれません。私たちの期待が過剰だというのではありません。ユニバーサルベーシックインカムやグリーンニューディール政策は妥当だし、まさに必要なものです。ですが、私たちは現行のシステムのしぶとさを過小評価し、また同時に、思想が堅固な技術的・経済的インフラなしで世界を変える能力を過大評価しています。そうしたインフラがあってはじめて思想を作動させることができるのに。
「ネオリベラリズム」のドグマは諸悪の根源とみなされることが多いですが、このドグマであらゆることの説明がつくわけではありません。知的には「ネオリベラリズム」には似ているものの、これとはまた別の悪について、10年ほど前から私は指摘しています。それは「ソリューション主義」といいます。
このイデオロギーは、ポスト・イデオロギー的であることを標榜しており、グローバル資本主義が生み出す問題や矛盾を解決しながらこれを動かし続けるために、いわゆる「実践的」な、個別の対応策をまとめたものを勧めます。そして驚くべきことに、こうした対応策には美味しい利益がついてくるのです。
ソリューション主義のもっとも有害な帰結は、スタートアップではなく私たちの政府がもたらします。ソリューション主義国家とは、その前の時代の監視国家が人間的になりつつもより巧妙化したもので、二重の使命を帯びています。イノベーションを引き起こす人々(デベロッパー、ハッカー、起業家)は御しがたい存在ですが、これらの人々がその能力と既存のリソースを〔現在のグローバル資本主義とは異なる〕他の社会組織を作る実験に用いないよう、ソリューション国家は気をつけていなくてはなりません。AIやクラウドコンピューティングの恩恵を十全に受けたいのなら、資金的に余裕のあるスタートアップを作らなくてはいけないようになっているのは、偶然ではありません。逆にそれは意図的な政治的努力の結果なのです。
その帰結。非商業的なしかたで社会を編成する制度を生み出す可能性があり、既存の体制を転覆するおそれのある試みは、頓挫する。そういったものは胚子の段階で殺されます。そういうわけで、ウィキペディアの流れをくむ団体はもう20年以上現れていません。とにかくデータが欲しい多国籍企業が世界を完全にデジタル化してゆく時代に、国家は自分の分け前を手に入れようと目論んでいます。監視が完全に行き渡ったことに加えて、企業が世界をデジタル化してきたことで、諸国の政府は市場を利するかたちでソリューション主義的な数々の介入を進めることができるようになりました。
ナッジ (nudge)の技術はソリューション主義の完全な実践例です。ナッジのおかげで、問題の原因は変えないまま、取り組みやすい作業の方に集中することができる。それは、個人の行動を不可変の現実(それいかに残酷な現実であっても)に「合わせる」という作業です。
ソリューション主義者のみなさん! COVID-19はソリューション主義国家にとって、9/11のテロが監視国家にとって持っていたのと同じ意味を持っています。しかし、ソリューション主義が民主主義的な政治文化に対して示す脅威は、〔監視国家よりも〕陰険とはいわないまでも、より微妙なものです。
COVID-19の危機にさいして中国、韓国、シンガポールがとった独裁主義的な戦略は評価されました。3国ともに、市民が何をしてよいか、してはいけないか決めるために、アプリ、ドローンやセンサーの展開をトップダウンで決定しました。西洋で民主主義的な資本主義の擁護者を標榜する人たちは予想通り、すぐさまこれらの国を批判しました。
エリートの臆見をもっとも雄弁にうたう詩人たるユヴァル・ノア・ハラリがファイナンシャル・タイムズのコラムで表明した代替案は、シリコンバレーのプロパガンダマニュアルからそのまま出てきたようなもので、知識によって市民を自律的にしよう! というものでした。
人道主義的なソリューション主義者はみんなに手を洗ってほしいと思っています。それがみんなにとって、社会にとってよいことだと知っているからです。中国政府が暖房や電気を切るぞと脅したように、みんなを力ずくで束縛するよりは、そのほうがよいと思っているのです。このような言説は、政治のアプリ化〔アプリで市民を監視し行動を制限する方向性〕にたどりつくだけです。手洗いの奨励をめざして作ったアプリがその人道的な見地によって報酬を受けたとしても、そうなるのです。
認知行動的な介入によって市民を自律的にしようというハラリの呼びかけは結局のところ、キャス・サンスティーンやリチャード・セイラーに代表されるようなナッジの擁護者が推奨するステップとたいして変わりません。こうして、過去数百年で最大の健康上の危機への政治的な対応は、石鹸や手洗い槽の自販機というかたちで「実践的な」言説に還元されてしまいます。これはサンスティーンとセイラーが〔共著の『ナッジ』で事例として紹介しているアムステルダム〕空港の小便器の形をめぐる思考〔小便器の底に蠅の絵を印刷するというナッジにより、男性利用者がトイレの床を小便で汚す率が大幅に減るというもの〕の系統にある発想です。
ソリューション主義者の想像の中では、あらゆる中間団体や制度は、歴史と同様、政治のシーンからほぼ消えてしまったので、他にできることはあまりないのです。ハラリやサンスティーンのような人たちにとっては、世界は本質的に、消費者としての市民、企業、政府で成り立っています。労働組合、アソシエーション、社会運動、そして感情と連帯で結びつけられたあらゆる共同的制度のことをこの人たちは忘れているのです。
「知識による自律化」というお題目は古典的なリベラリズムの根底にあるものですが、今日ではひとつのことを示しているだけです。もっとソリューション主義を、ということです。だから諸国の政府は、去年私が「生存のための技術」(survival tech)と名付けたもの(つまりスペクタクル(見せ物)としての資本主義が、その主要な問題を緩和しつつ続くようにするデジタル技術の総称)に大金を投資するものと予期しておかねばなりません。そうやってソリューション主義国家は自分が「中国の道」は採らないことを標榜しつつ、自己の正当性を強化することになります。
この危機から脱するためには「ポスト・ネオリベラリズム」の政治が必要なだけでなく、とくに「ポスト・ソリューション主義」の政治が必要です。まず、スタートアップか、中央集権的な計画経済か、といった人為的な二項対立はもうやめてもいいでしょう。この考え方は、私たちが今日、イノベーションや社会的な協力を考える仕方を規定しています。
新しい政治的議論の中心となる問題は、「社会民主主義とネオリベラリズムのどちらの勢力が市場で競合する力を制御できるか?」ではなく、「社会的な協力と連帯の新しいかたちを追求するうえで、デジタル技術がもたらす巨大な機会をどの勢力が活かすことができるか?」でしょう。
「ソリューション主義」とはだいたいのところ、「他に選択肢はない」(There is no alternative)というマーガレット・サッチャーの有名なスローガンを応用したものにすぎません。このようなロジックは残酷で実践できるものではないことを、左翼の思想家は過去40年間にわたって明らかにしてきました。とはいえ、〔このサッチャー的なロジックが〕破綻していても、政治的な権力を持つようになるうえで支障はなかったのです。結果的に、私たちの暮らす技術的な世界は、市場が支配する世界秩序を逸脱するような試みはぜったいに制度化されることがないようにできています。私たちの議論の輪郭〔つまり議論の組み立て方〕そのものが、そのような〔逸脱の〕可能性を排除してしまっています。
COVID-19への技術的な対応策を考えるさいに直面する困難は、ポスト・ソリューション主義的な政治の方向性が私たちにどれほど必要か示しています。イタリアのような国では――私はローマで外出制限の3週間目に入るところです――提案されるソリューションは酷いほどに野心を欠いたものです。私生活と公衆衛生のあいだで妥協点をめぐって議論が繰り返されており、さらには、これはハラリが示した方向性に従うことですが(「反抗または生存」を参照)、「生存のための技術」を使ってスタートアップがイノベーションを引き起こしやすいようにしなくてはいけないという議論になっています。
他の選択肢はどこに行ったのかという疑問が浮かぶのはもっともなことです。なぜ公衆衛生のために私生活を犠牲にしなくてはならないのでしょうか。テクノロジー企業や通信事業者が作った現在のデジタルインフラが、それを提供する会社のビジネスモデルにかなった利益をもたらすようにできているからなのでしょうか。
現在のデジタルインフラは、私たちを個別に消費者として識別し、ターゲティングを行うようにできています。集団の行動についてマクロなレベルで匿名の情報を提供するようなインフラを実装する努力があまりされてきませんでした。なぜでしょうか。そのような〔匿名のデータ〕分析をする必要について検討した政治的プロジェクトがなかったからです。非商業的なしかたで社会を編成する形態の中でも、とりわけ〔社会主義的な意味での大規模な〕計画はネオリベラリズムが用いる手法ではなかったからです。社会民主主義を信奉する人たちのなかでも、そのような手法を用いるべきだと主張する人はいませんでした。
現在のデジタルインフラは残念ながら個人が消費活動をするためのインフラであり、相互扶助や連帯のためのインフラではありません。デジタルプラットフォームと同様、現在のデジタルインフラは、アクティヴィズム、人の動員や協力といったさまざまな目的に使うことはできますが、そのような使い方は、たとえそう見えていなくても、高くつくことになります。
ネオリベラリズム的でもなくソリューション主義的でもない社会秩序の基盤としては、これはじつに脆いです(さらにこうした基盤には、消費者、スタートアップ、起業家とは違う働きをする人が必ずいなくてはなりません)。アマゾン、フェイスブック、あるいはあなたがお住まいの国の通信事業者が提供するデジタル基盤のうえにこの新しい秩序を建てる誘惑にもかられますが、そうしてもろくなことにならないでしょう。それは良くてソリューション主義者が跋扈する新しいフィールドになるか、悪くすれば、監視と抑圧に基づく全体主義的で押し付けがましい社会となるでしょう。
この危機的事態を権威主義的な体制よりも民主主義がうまく収拾できると熱く説く声が、左翼方面からさかんに聞こえてきます。このような呼びかけは無意味なものに終わる可能性があります。現在の民主主義は民主主義的でない私的な権力の行使にとても依存しているので、名ばかりの民主主義になっているからです。これぞ「民主主義」と考えるものをほめたたえることで、潰れかかっているスタートアップの見えない持ち分を意図せずほめたたえたり、スタートアップほどには無害でなくソリューション主義国家を構成するテクノクラートの持ち分をほめたたえたりすることになります。
もしこの生ぬるい民主主義がCOVID-19を生き延びることができるのなら、私企業の権力から完全に自由になるためにポスト・ソリューション主義の道をまず選ばなくてはならないでしょう。そうしなければ権威主義的な体勢への道へまた踏み出すことになります。それは「民主主義的価値」、「規制の機序」、「人権」について、以前にもまして偽善的なエリートの支配を許す道です。
Covid-19, le solutionnisme n’est pas la solution
*ナッジとは、「行動経済学や行動科学分野において、人々が強制によってではなく自発的に望ましい行動を選択するよう促す仕掛けや手法を示す用語」(株式会社日立総合計画研究所)
ワイはその時32歳で、28歳の女子とアムステルダムでスパスパ喫煙しながら年を越した。
直行便だったので11時間以上のフライトでだったけど疲れもなく、
荷物取って税関に行き、そこでなんて声かけられたか忘れちゃったけど、
「あちらの方でお話をお伺いしたく」みたいな優しい感じだった。
僕は、机と対面に置かれた椅子がある個室に連れてかれて、
奥側の椅子に座らされても、まだ「麻薬密輸容疑の取り調べ」と気付かなかった。
ちなみに僕は、バックパッカーではないけど、香港中国タイカンボジアに住んだり、
ヨーロッパもアメリカも行く、旅慣れてるとは違うけど、国内行くのも海外行くのも違いない感じ。
それも最後の最後に気付いた。まあ日本の成田に帰ってきてるんだから、
一人でも家には帰れるし。その時何を思っていたかと言えば、
何も思ってなかった。親が死んだとか、隣りに座ってた外国人について聞きたいとか、
自分のことなら知ってるけど、それ以外の自分の知らないことで呼ばれてると思ってた。
んで、狭い部屋部4、5人の男性職員が居たかな。正面の椅子に座る干高圧的な眼鏡のおじさん。
と、僕の横に若いお兄さん。
「荷物見せて下さい」
「どうぞー」
「財布もいいですか」
「どうぞー」
財布は若いお兄さんが調べたのだけど、風俗店の割引券を見つけられたのがちょっと恥ずかしかった。
「じゃあ、あの、服脱いでもらえますか」
「ええ」
「ズボンも」
「はあ」
ホテルに泊まって買い物して、コーヒーショップ(スパスパするお店ね)に3、4回行きました。と答えて。
まあ、自分は持ち込んでないこと知ってるからのほほんとしてたけど、
突然眼鏡おじさんが声を張って
「もう、ちゃんと白黒はっきりさせましょう!」
「はあ」
「はい」
レントゲン撮影して、白黒のフィルムを白く光るのに張り付けて、
ロートルのお医者さんが「これは便がつまってますね」とか説明して。
その時は女子も居たかな。ここぐらいで(あー飲み込んで密輸かー。そんなことするわけないじゃん!!)とムカついたくらい。
もしかして、確たる証拠も無いからレントゲン撮影は強制できなくて、
でも僕の同意を得なければ飲み込んでるかもしれない麻薬を見つけられないしで、
そこで「ン拒否するゥ」人も居るんだろうけど、拒否する理由が無いので。
それまで取り調べ的な口調と態度で言葉数少なく真摯に仕事に向かう表情(眉間にシワ寄せたり怒って怖いのではない)だったけど、
途端に優しく申し訳なさそうな口調になって、僕が聞いてもないのに。
「私も若いときに妻と旅行に行って、花が綺麗でしたねー」みたいな世間話をし始めて。
「外国でする分にはいいんですけど、国内ではダメですからねえ」「はい。はい」。
若いお兄さんは「僕は最初から何もしてないと思ってました。だって色々調べてるときにも、
全然普通でしたもん」とか言ってきたから、「でも知らないうちに鞄に入ってるかも、とかは考えました」って言ったらなんか
周りが「ざわっ」として、「いや、自分も知らなくて、かけらが落ちて入ってることもあるかもとか」と説明。
最後は「ご協力頂きありがとうございました!」と頭を下げられるようだったけど、
それはみんな知ってる正しく普通な職務だし、恐縮することじゃ無いと思うけど、
ここで「俺は悪いことしてなかったじゃないか!委託もない腹を探られて、
人を疑ってことは云々」と怒り出す人も居るんだろうな。
自分は潔白だと知ってて、相手がそれを調べて潔白だと結論出したのに、
京成線にのって帰るとき「オランダで買ったパイプを没収されましたよ!
未使用なら良いけど、使ってちょっとカスが付いてるからって!」って怒ってた。
身に覚えがあるなら必死に頑張るべきだけど、
ないなら協力しましょう。
たとえば、今年の6月13日にはロンドンでワールド・ネイキッド・バイク・ライドなるイベントがあり、環境問題を考えるという名目で、全裸で自転車に乗って疾走できる。このイベントはロンドンのみならず世界中で開催されているのだが、自分の語学力とアクセスの便利さを考えると、ロンドンが適切だろう。
あるいは、全裸でジョギングをしてみたい。しかし、その場所がわからない。一応、ミュンヘンのエングリッシャーガルテン(英国庭園)やアムステルダムの公園に、全裸で日光浴できる場所はあるのだが、おちんちんぶらぶらさせながらジョギングできるコースがあるかまでは確認ができなかった。
以前調べた時には、ベルリンのアルテミスかウィーンのゴールデンタイムか、どっちかのFKK(合法風俗)にはスポーツジムが併設されていた気もするが、そこでは全裸で走れるかもしれない。とはいえ、自分はブロンド美女とセックスするのが目的ではない。いや、ちょっぴりセックスしたい気もするけれど、対人恐怖症な気分のときは、とりあえずすっぽんぽんで走るだけにしたくなっちゃうかもしれない。
いちおう、美女との混浴と全裸水泳は、オーストリアの混浴サウナで経験済みだ。
別にヌーディストビーチでも構わない。バルセロナにもあるし、ほかの地域にもある。ギリシアの島で全裸で日光浴をしながら一日を過ごすのも素敵だと思う。南仏の全裸リゾートにもあこがれる。タイにもあるらしいが、とにかくそうしたところはアクセスが悪く、行くのがめんどくさい。バスに揺られているうちに、自分は野外でちんちんぶらぶらさせるためだけに、何でこんな長旅をしているんだ? ってアホらしくなるかもしれない。
賢者タイムのときには、お前ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアは回ったけれど、ナポリやミラノは行ってないだろ、そこに行け、で、ついでにどこか適当なところで全裸になれ、という声もして、それも悪くない気がしている。
単純にまだ世界で行っていない地域があるのでそこに行きたい欲もある。北欧やオーロラに興味があるし、東南アジアの寺院には全然足を運んでいないし、台湾も再訪したい。友人からはエチオピアにも誘われている。
オーストラリアやニュージーランドも悪くないが、これからどんどん寒くなる。オーストラリアやニュージーランドにもヌーディストビーチはあるし、ニュージーランドには全裸で洞窟をジョギングするイベントがあるそうだが、これもアクセスが悪い。ドイツには、ハルツ山地に全裸ハイキングができるコースがあるそうだが、これもやっぱりアクセスがあまりよくない。
それに、合法野外露出敢行のために海外に行くのもばかばかしい。何かサブテーマがほしい。絵画とか建築とか、それで時間が余ったら脱ぐ、そういう感じだ。
単純に裸を見られたいんじゃなくて、全裸になって自然の風に当たりたいのだ。旅行だけなら、例えば琉球のグスクだとか、那智の滝とか、国内でも行ったことないところもあるのだが、やっぱり素っ裸になりたい。
東欧美女とのエッチは金髪デリヘルがあるかもしれないが、それだけじゃない気がする。まずは脱ぎたい。だから、結論としてはさっさとコロナに終結してほしい。いや、ちょっと待て、調べたらフランクフルトにもミュンヘンにもFKKがあるのか、やっぱりブロンド美少女と3Pしたいぞフィーヒヒヒ! みたいな気分にもなるぞ。ああ、どうしよう。