はてなキーワード: 寄生虫とは
先週の月曜日の早朝、カラスに食われそうになっていた子猫をつい拾ってしまった。
子猫は獣医さんの見立てでは、拾った日時点で生後1ヶ月くらい。しっかり牙が生え揃っていたので、最低限の自分の身の回りの世話はできるはずと獣医さんは言ったのだが、実は全く何も出来ない赤ちゃん猫だった。
そんな子猫を育てるのは、まるで新生児育児しているようだったが、人間の赤ちゃんの世話と要領が似ているところがあったので、ヒトの子二人を育てている私には何とかなった。もしも子供を産む前にこんな子猫を拾ったらどうにもならなかった。
なんだかんだ、大変で忙しかったが、子猫の成長は想像のはるか上をゆく爆速ぶりで、何にも出来ない赤ちゃんだったのが、6日目には普通に皿から餌を食べ、決められた場所で排泄できるようになってしまった。
それはよかったのだが、10日目の朝には物凄いスピードで室内を縦横無尽に駆け回り、人の手で容易に捕まえられないほど機敏になってしまったのには焦った。もう我が家は子猫にとって手狭で、これ以上ここに閉じ込めておくのは子猫が可哀想だとおもった。
元から、我が家では猫を飼うことができないのは分かりきっていたので、子猫を拾ったその日から、いかに円満に子猫を手離すかを考えて動いていた。
子供の友達の家や私の仕事仲間などに猫を飼わないかと聞き回ったが、ほとんど断られた。これではらちがあかないので、動物愛護団体に頼ることにした。
動物愛護団体に問い合わせたところ、団体主催の譲渡会に参加できるのは生後2ヶ月以降の犬猫に限るという。また、寄生虫検査結果と生後2ヶ月の健康診断の証明書の提出、初回ワクチン接種を済ませることも、譲渡会参加の条件だった。
そんな訳で、少なくとも来月の上旬までは我が家で子猫の面倒を見るつもりだった。だが、子猫の運動能力の発達があまりにも目覚まし過ぎたので、10日目の朝には心が折れそうになっていた。
ところが、猫を引き取りたいと手をあげた人がいた。それはうちの下の子の友達だった。先週の木曜日、学校まで下の子を迎えに行くと、
「Aちゃんが猫飼うっていうからAちゃんを車に乗せてうちまで猫を取りに来てもらってもいい?」
という。唐突なことに、勿論本気とは思えなかった。Aちゃんの保護者の方にOKをもらわず勝手に車に乗せてうちに連れて来ることはできないし、子猫を連れて帰らせる事もできない。本当に子猫を飼えるのか、Aちゃんは保護者の方達とよく話し合うべきだ。そう下の子に説明して、Aちゃんにはご家族の方が迎えに来るまで学校で待つように言った。
その翌日、下の子はまた帰宅後に「Aちゃんは猫を飼えると言った。いつ猫をAちゃんにあげるのか」と問い詰めて来たが、Aちゃんの保護者から何も言ってこない限りはそんな話を本気に出来るはずもない。今すぐにでも猫を取りに来れるなんて言われたって……。
週末は子猫の世話に追われながらも成長ぶりを喜んでいるうちに過ぎた。
そして月曜日。子猫はたった一週間で赤ちゃんからやんちゃ坊主に急成長をした。動物病院に健診に連れて行った。どこにも具合の悪いところはなく、健康で順調に育っていると獣医さんは太鼓判を押した。次の受診は譲渡会に出す直前でいいとのことだった。
その日の夕方、下の子がAちゃんの母親からの手紙を持って帰ってきた。子猫の件で話をしたいので、電車をして欲しいとの事で、電話番号が書かれていた。
早速電話をしてみると、もうすでに猫をAちゃんの家に譲ることが決まっているかのような話になっていた。猫がまだ手のかかる子猫だという事すら先方にはちゃんと伝わっていなかったにも関わらず、翌日には引き取りに来ると言うので、その日はこちらの都合が悪いので、来るのは水曜日にして欲しいことと、それと子猫はまだ世話が焼けるので、もっと家族で話し合ってから決めて欲しいことを伝えた。
その頃、子猫はいともあっさりとトイレトレーニングを済ませようとしていた所だったが、まだ自分で上手く排泄の後始末をすることができず、しっぽや後ろ足をおしっこでびしょびしょに濡らしたり、うんちを踏んづけた足で歩き回るなど、危ういところがあった。しかし、先週の何にも出来ない赤ちゃんぶりよりはだいぶましだった。たった1日の間にも、子猫は見違えるほどに成長していく。水曜日にはよそにやっても大丈夫なほどに仕上がっているかもしれない。
とはいっても、子猫を飼うという事に全く迷い躊躇いがないというのもどうなのか。身体が小さいだけで成猫のように完璧な子を貰えると期待しているのではないか。
これまで、何人もの人達に断られ続けてしょげていたのに、いざ引き取ると言われるとマジかよと思ってしまう。子猫に情は湧いているが、だからといって手離したくないなんて無理を言うつもりはない。Aちゃん一家が子猫にとって良い飼い主となるのが心配なだけで。
そうやって悶々としている姿を子供達に見られると、期待させてしまうので、良くないと思い、子供達が寝静まってから夫と話し合った。やはり、あまりにも性急に事を進めようとする人を信用するのは難しい。だが、子猫の可愛い盛りが日に日に過ぎて行くというのも事実だし、本当に猫好きな人ならばどんなに手を煩わされたとしても、子猫の今を見て触れ合いたいと思うことだろう。譲渡会に参加できるまで、あと3週間以上あるので、なんなら数日試しに子猫を預けてみて、手のかかり様にどうしても我慢できなければ、返してもらって予定通りに譲渡会に出すことにしよう、と話した。
水曜日まで、いきなり活発度の上がった子猫の遊び相手をしつつ、後悔しきりで過ごした。自分達で猫の貰い手を探すんじゃなかった。譲渡会参加一本に絞ればよかった。譲渡会でなら、里親希望者にはスタッフから飼育環境や飼育の覚悟を厳しく問われる。日常の人間関係の中で譲渡先を探せば、人間関係を盾に良いように押しきられてしまい、必ずしも猫にとって良い結果になるわけではないかもしれない。
猫をやると言ったのに嘘だった。やると言ってた癖に直前になって気を変えた。そんな風にあちこちで吹聴されたら、私やうちの子供達はどんな風に見られるのか。
水曜日。午後にAちゃん一家がうちに来るので、私は子猫の遊び相手は返上して家の掃除に勤しんだ。子猫はちょうど平日休だった夫に面倒を見られていた。物がゴタゴタとあるから完璧にとはいかないが、こざっぱりとした。茶菓も用意した方がいいだろうか? と私が言うと、
「そうだなあ。猫を貰うというのに、まさか玄関先で済ませようとは思わんだろうし」
と夫は言った。
が、そのまさかだったのだ。放課後にAちゃん一家が揃って家までやって来たのだが、Aちゃんの母親は玄関先で猫を受け取ってさっさと帰るつもりでいた。猫の実物も見ずに連れて帰って、Aちゃんらお子さん達が「思っていたのと違う」とがっかりするのは避けたいから、実物を見てから飼うかどうか決めてくださいと私は言ったはずなのだが。
取り敢えず上がって、子猫を見てくださいと引き留め、夫にじゃらされて走り回っている子猫を見てもらう。Aちゃんの反応は今一つよくわからない。知らない家に来てはにかんでいるだけにも見えるが、無理やり「この猫でいい」と言わされているようにも見えた。
Aちゃんの母親に、試しに猫を抱っこしてみてくださいと言って、抱っこしてもらった。子猫は全然人見知りをせず、うちの家族に抱っこされた時のようにAちゃんの母親の手の甲を引っ掻いたり服の袖に噛みついたりした。しかし、Aちゃんの母親は可愛い可愛いを連発していた。私が子猫の排泄の世話のやり方を説明しても、嫌な顔をしないどころかなるほどと熱心に聴いていた。
Aちゃんが猫を欲しがったという話だったのに、Aちゃんの反応はいまいちで、だがAをの母親は一度抱っこした子猫を離そうとしない。どうやら本当に猫が好きで猫を飼いたくて仕方がなかったのはこの人のようだった。
この僅か数日の間に、Aちゃん一家は必ず猫を貰えると信じて疑わなかったらしく、子猫を迎えるための一式を揃えたらしい。猫ならなんでもいいです! と言い切ったのはどうかと思うけれど、この人ならちゃんと子猫を一生面倒見てくれそうな気がした。私の直感があてになるかはわからないが。
結局、私達に出来ることは限られているし、ここで外れクジを引いたとしたら、これは私の運というよりは子猫自身の運なのかなと思い、Aちゃん一家に子猫を引き取って貰った。
子猫と一緒に、子猫が寝床にしているキャリーケースとボロ布を持って行って貰った。それだけは譲れなかったのだ。何故なら、子猫はそのキャリーケース自体とボロ布をママだと思い込んでいるようだったからだ。子猫はモノを母親だと思って執着していたおかげで、うちの家族の誰かを母親と思って執着することはなかった。
キャリーケースとボロ布があればいつもママと一緒という気分でいるので、新しい家に行ってもちょっと見える景色が変わっただけで、何ともないと子猫は思うはずだ。
「子どものいる女性のほうが、幸福度が低い」少子化が加速するシンプルな理由
https://president.jp/articles/-/45525
ということで、共働き子持ちの女性が最も不幸であることが分かりました。
そして2位と3位の順番から、仕事の負担よりも子供の負担のほうが女性を不幸にしていることも分かりました。
子ども3人いる女性が一番不幸「産むほど幸福度が下がる」育児のリアル
https://president.jp/articles/-/46613
子どもの数が増えるほど、女性は不幸になることが分かりました。
女性の年齢、世帯所得、夫婦の学歴、就業形態といった要因の影響を統計的に除去しても、
「子どもの数が増えるほど、女性は不幸になる」という結論は変わりませんでした。
ネットのミソジニストは「専業主婦は寄生虫だから外で働け、そして2人以上産まない女は社会のフリーライダーだから産め」と攻撃します。
ネットの弱者男性は「女性は弱者男性と結婚して子供を2人以上産んで働け。弱者男性を専業主夫にしないのは男性差別」と主張します。
しかしこれらの罵倒に従って、弱者男性の子供を2人産んで、子供2人と弱者男性1人を養いながら、
賃労働と家事と育児と無賃セックスワークを一手に担うと、確実に不幸になるんですね。
確実に不幸になってまでミソジニストや弱者男性の言う通りにすべきか?(ミソジニストや弱者男性の命令に強制力はあるのか?)
そもそも無職で他罰的な弱者男性の子を残すことは、日本国のためになるのか?(発達障害・知的障害・容姿の悪さは遺伝するため、
将来の障害年金受給者・生活保護受給者が増えるだけになる可能性がある)ということをよく考えたほうが良いと思います。
https://web.kawade.co.jp/bungei/2454/
ハラリは、「Useless class」という言葉を用いており、これは「無用者階級」「役立たず階級」「不要階級」などと訳されている。
二十一世紀には、私たちは新しい巨大な非労働者階級の誕生を目の当たりにするかもしれない。
酒→中毒性あり
パチ→中毒性あり
これが現実だろ?
この状況の中でどうやって牛丼屋が経営を維持しているのかを聞きたかったのに「牛丼には中毒性があります!」っていきなりファンタジーぶっこまれても意味不明だわ。
男子中学生が毎日スイートブールとリプトンを買うように、女子高生がLINEで毎日張り付くように、大学生が毎日ソシャゲにログインするように、社会人が毎日コーヒーを飲むように、そんな立ち位置が牛丼の完成形だから。
それはシャブ漬けじゃねえんだよ。
家で白米を炊いてスーパーで買ったサバ缶と一緒に食うより、牛丼屋で金だけ払って片付けもしてもらうほうが楽チンじゃんって思わせることが勝ちパターンだから。
コイツマジで社内政治で肩書きだけ偉くしただけの寄生虫みたいなもんだろ。
お前が教えるべきは経営戦略じゃなくて「経営戦略をやってる感を出しつつ社内政治で結果を出す手法」だろうが。
38万じゃ教えられねってことか?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718246562963037506/comment/mamero5
mamero5 声がでかいやつには配慮するべきと思う。 フェミに負けないくらい弱者男性の数も多くなってきた。恋愛を外でやらない、ってルール作れるかも。
「フェミに負けないくらい弱者男性の数も多くなってきた。」っていうのがマジで認知が歪んでるとしか。
まず2000年から2005年頃のテキストサイト、これが完全に弱者男性文化だった。
「ネットには女がいない」という前提で、ホモソーシャル的な笑いを全面的に開陳できたのがこの時代。
さらに民度が下がって、テキストサイトにあったようなユーモアすら失った「ただの女性憎悪」が蔓延したのが2chまとめブログで、
テキストサイトとミソジニー文化を共有し、更に露悪的になった2chの書き込み(寄生虫女のコピペ等)が、
まとめブログという読みやすい形式になり、Twitterの登場と併せて広く拡散した。
「女性専用の町を作ろう」とツイートした女性が、男性差別・アパルトヘイトであるとして炎上した。
ツイフェミの登場と同時期に、白饅頭のようなアンチフェミnote収益化アカウントも登場。
常に男性による女叩きが先行しており、カウンターとしてツイフェミがキレ狂うも、
男しかいないテキストサイト時代、少数の女はいるが黙殺されるまとめブログ時代、
反論する女性が出始めたもののより多数の男性により罵倒されるTwitter引用RT・note時代。
覇権を握っている女権主義者の横暴に立ち向かう弱者男性、のような見え方をしているなら完全に認知が歪んでいる。
受験とかすっかり忘れてたけどノリでなんか旧帝大受かって、勉強したくないから蹴って、高卒で実家暮らしバイト生活
2年で飽きて辞めて、ニートでもやるかってなって、そのまま30過ぎまで大して裕福でもない家庭で寄生虫こどおじニート
そろそろ就職するかーと思って、なんかとりあえず適当な良さげなとこ入って、主任課長次長となんとなく昇進、給料も悪くない
まともに働き始めて5年目になるけど、周りも驚いてるのは分かるし、運も相当あるけど、まあ俺は優秀なんだろうな
しらんけど
で、なんだかんだ10年以上ガチニートしてた俺が言うけど、ニートも仕事も本質的にはなにも変わらんのだわ
ワナビ気分で業界入れば、そりゃいろいろ思てたんと違うなるわって話で、そういう奴が真っ先に辞めていくのは、ニートも仕事も同じだ
よく言われることだが、ニートするにも才能がいる
これは本当で、たしかに向き不向きがあると、俺も自分でやってみて感じた
そしてそれは、自分の意志が向いている方向と、自分が実際にやっていることの方向とが一致しているか、ということだ
俺は圧倒的に向いていた
そもそも俺は、本当の意味でニートをやりたくて、自らの意志でニートをやっていた
たとえそれが、さらっとノリで思いついたことであっても、俺はべつになにかを求めて探した結果として、その意志を得たわけではない
だから、両親にめちゃくちゃ迷惑をかけようが、金がなかろうが、娯楽にも飽きて一日中椅子に座ってるだけだろうが、俺は毎日が楽しかった
やりたいことをやってるから、大変な状況でも別に暗くはならなかったし、両親とも普通に仲良くやれていた
33歳で人生で初めて正社員になった俺だが、俺は嫌々ニートを辞めたわけではなく、就職して働きたいという方向に意志が向いたから、就職して働き始めたのだ
だから、ニート時代同様に毎日が楽しいし、どちらの方が良いなんて比べること自体に意味がない
俺は自分の20代を完全に潰したニート期間をまったく後悔していないし、得難い経験を積むルートを確かに選択した自分を誇りにすら思っている
本当にニートをしたいのなら、ニートをしたいと感じた自分自身を信じて、酸いも甘いもすべて受け止めて、しっかりとニートをすればいい
日がな一日なにもしないでアニメ見てシコってたいとか、俺ボッチ余裕だし意外と孤独イケんじゃね?的なノリ、わからんくはない
わからんくはないが、ぶっちゃけ、そういう思考の一切はどうでもいい
金の心配、将来への不安、必ずついて回るが、すべて一切合切どうでもいい
そういったどうでもいいものすべてを取っ払い、それでもニートやりたいという剥き出しの意志さえあれば、おまえはニートをやれる
自分に素直になれ
それが出来ない内は、ニートをしようが仕事をしようが、息苦しさが形を変えて、自分で自分に悩みを供給し続ける
思考や感情よりも前の、自分だけの原初の意志を見失ってしまっていることに、誰よりも自分自身が気付いているからこそ、
外部からの情報を頼りに、自分に合っていそうに思える他人のやりたいことに目が向いてしまうのだ
だから、おまえのやりたいことをやれ
外を見るのをやめろ
内を見ろ
やりたいことをやれ