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はてなキーワード: ネオリベラリズムとは

2019-09-27

==以下、引用==

(略)

以下の記述は、記憶によるもので、あいまいな点が多々ありますし、小沢さん言葉ではなく、私が自分なりに解釈、要約して書いている部分もあるので、誤解や間違っている部分があるかもしれないことを念頭にお読みください。

小沢さんは、これから自分の語ることは誰か特定の人を攻撃するものではないので誤解しないでほしいと何度も断った上で、「アートという罠:アートではなく」という講演を開始されました。

小沢さんが取り上げたのは、「なぜイギリス行政は貧しい地区でのアート振興にお金を出すのか、彼らは何を狙ってアートを援助したのか。」という問題です。

行政的にはその答えは明瞭で、

第一に、ローカル経済活性化させるためであり、

第二に、職を作るためであり、

第三に、セルフ・エスティームを高くするためであり、

第四に、(精神的に)人を健康にするためであり、

第五に、個人競争力をつけさせるためであり、

第六に、再犯を防止するため

なのですが、小沢さんはこういったアート政策が、実は新自由主義ネオリベラリズムの息のかかったプログラムのものであると指摘されました。

ネオリベラリズムとは、簡単にいうと、人びとを激烈な競争に巻き込んで、優勝劣敗、弱肉強食ジャングル法則を貫徹し、社会を一部の大金持ちと、残りの貧乏人に分断し、様々な格差が拡大することをもって良しとするような主義・主張です。

勝ち組新自由主義者たちは、アート媒介にして、貧しい人たちが暴動を起こさないよう社会の中に取り込もうとします。こっち側に入れてあげるよ、といった彼らの傲慢さは、ソーシャル・インクルージョンとでも言えば、何かカッコよく今風に響くから不思議です。

なぜ、ソーシャル・インクルージョンネオリベラリストたちには必要とするのでしょうか。端的に言えばそれは、暴動を抑え、革命を阻止するためです。そんなこと「野蛮」なことを、夢にも思わない人間を作り出すためです。

(略)

企業的な社会セラピー的な社会」で小沢さんは、セラピストの前で自らを語ることは、実は「灰色」=システムが用意した一定ヒエラルキーの下に、「あるべき自分」を位置づけて、希望を失っていくプロセスなのだ批判していました。

小沢さんは今回の講演で、同じことがイギリスコミュニティアートにも起きているといいます

セラピストが皆、気持ちいくらい落ち着いた低い声で、その患者たちをシステム内に柔らかく取り込むように、コミュニティアートも、誰にでも受け入れられるような、丸っこく優しくゆるーいアート媒介にして、貧しい人達が「暴発」しないよう、その力、希望ソフト去勢して、システム内に取り込んでいる、と批判しているのです。

イギリスではソーシャル・インクルージョン目的にすると企画書に書けば、補助金比較的容易に降りるということもあって、この言葉が大氾濫しているそうです。

そして、実際に許可して一年で700億円もの金を分配している男は、アートことなど何も分からない小役人で、アートを通じて、貧乏人の心に野心を高めさせ、燃えたぎらせ、優秀さへの野望を常に胸に抱いて他人を出し抜こうとする嗜好など、ネオリベラリストたちが好む欲望を植えつけることをアート政策目標にしているのです。

小沢さんは、こうしたイギリスの取り組みが「コピペ」されて実施されたのが、大阪ではないか世界地域はつながっているのだと主張されます

The Economistかいったネオリベの雑誌を好んで読み、「アーツビジネスの融合した創造性豊かな都市をめざす「創造都市戦略」を掲げた」(ウィキペディアから關淳一17大阪市長を名指しで批判している最中で、なぜかスカイプの音声が乱れ、もう時間ですからと急かされて、最後は駆け足気味の話になって終了。

小沢さんは1時間の講演を予定していたようで、話を止められた後、両手を頭に組んで仰け反っていた姿から、もう少し語りたいことがあったように見えましたが、私の気のせいでしょうか。

それにしても、これほど過激な、これほど尖りまくった講演は聞いたことがありません。

下手すると、企画趣旨を全てぶち壊すような、シンポジウム関係者激怒させ、二度とお呼びにかからないようなリスクをあえて冒して、小沢健二さんは自らが信じることを堂々と語ったのです。資料を持つ手は微かに震えていたとしても。

アートの力を信じる」というシンポジウムで、「アートという罠:アートではなく」という、まるでちゃぶ台をひっくり返すような講演をやる蛮勇さ。なんという毅然さ、なんという美しさだろう。私はただただ感動していました。

小沢さんは、どこにも帰属せず利害関係を超越した場所から、誰も反論しようがないお行儀のよい正論をぶつだけのイデアリストではありませんでした。

アートしている人たちの苦労を理解した上で、行政からお金であっても貰えるものならば、貰っていたほうが良いとはっきり言われました。

しかし、彼らの意思権力作用を十分理解しながらも、それを逆手にとって、何か思いも掛けないあらぬ方向に投げ返してやること、突拍子もない事件を呼び起こすこと、例えば、親のカネを使って自由に遊ぶ頭のいい不良少年、内から食い破るエイリアンのように振る舞うこと、

これは私の解釈ですが、そんな但書きを小沢さんは付けたかったのではないかと推測しました。

==引用ここまで==

2019-04-21

anond:20190420182904

民営化した方がよいものと逆に国営化した方がよいもの

改めて見直す時期に来たと思う。ネオリベラリズム

負の遺産清算するために。

2019-04-16

anond:20190416092337

学問研究を「投資」とみなしてしまうこと自体学問の死を招来する

思想だと思う。現在アメリカ日本で行われている研究評価

ネオリベラリズム経済学思想に基づいていると思うよ。

2019-01-20

anond:20190120164723

うん。わかってます。私もネオリベラリズムは大嫌いです。

更にあれはただ予算削減だけの手段しか使われてませんから

むろん、基本的な金すら賄えないような今の状態は良いとは思いません。

大学だけの裁量では、それこそ縁故だけになってしまます。更に、大学内に割り振ったとしても奪い合いです。ですが、大学なんて様々な研究者が入り交じるのです。

実のところ、大学の端と端ではお互いの研究理解できないでしょう。

とすると、大学のみではなく、近い研究者なら理解できる金の枠も必要だと思いますさらに、でかい金はやはりある程度審査を入れるべきだとも思います

anond:20190120163825

研究者として苦労していらっしゃるのでしょうか。

いまの研究評価の流れの背景には(シカゴ大学発の)ネオリベラリズム政治的圧力が強力に作用していると思います

2018-03-22

フェミニズムネオリベラリズム共闘岡田斗司夫批判擁護

岡田斗司夫の元愛人を名乗る人物twitter上で暴露漫画を描いたことでネット上で物議をかもしている。

これが非常に面白いのだ。

そもそも岡田斗司夫は80人近くの女性彼氏彼女関係をもっていたと発言したのだが、ふたを開ければというかあけるまでもなくわかっていたことだが、それは愛人契約以外の何ものでもないということがわかった。

もちろんその事実がわかった段階では岡田氏を擁護する者は少なかったし、消極的岡田氏を擁護する者はいても、全肯定したり、女の自業自得自己責任だと切り捨てる者は感覚的に少なかったように思われる。

しかし、この暴露漫画twitter上で話題になると岡田批判擁護拮抗しているように思われるのだ。(勝手に思っている)

何故なのか?

この疑問こそが僕の出発点だった。

僕の立場を言えば岡田氏のやっていることは100%間違っている。全否定である

のにだ。何故か批判派の論理はどこか矛盾しているように感じ擁護している側のほうにも正当性があるように感じてしまったのだ。これは考える価値のある疑問のように思われたので拙い知識で少し論じてみようと思う。

何故、岡田擁護側のほうにも論理的正しさを感じ、批判している側に矛盾を感じたのか。

これこそフェミニズムネオリベラリズムねじれ現象だと思うのだ。

批判派の論理フェミニズム思想によって行われ。擁護派の論理ネオリベラリズム思想によって行われているのだ。

しかしこの二つの思想は僕にとっては共闘関係にあり手と手を繋ぎあっている仲間だと思っていたのだ!(書いてる途中でしったのだが、どうやらフェミニズムネオリベラリズムはの関係性は大昔から論じられてきたらしい)

もちろんフェミニズムネオリベラリズム一枚岩ではないということは重々承知なのだが、もともと自由平等博愛という世界観を生み出した自由主義者たちが資本主義者と手を結びその中でで男女同権男女平等を唄うフェミニズム思想が生まれたのだと思えば、フェミニスト基本的自由主義者だしネオリベラリスト達が掲げる国際化グローバリズム思想とも

フェミニスト達は手を組めてしまうのだ。なぜならネオリベラリスト新自由主義者達は歴史伝統文化国家などを解体国境国籍をなくし市場を開いて自由に! 平等に! 競争貿易取引資本を儲けるという考え方なのだとしたら、

フェミニズムにとって邪魔伝統文化、家や血、身分階級からの開放と非常に親和性の高いものだということがわかる。

まりフェミニストの大半はおそらくグロバリストでありネオリベラリストなのだ

ネオリベラリストたちの多くは自分のことをフェミニストだと思っている事だろう。

岡田擁護論法はこうだ岡田氏はちゃんと見返りを与えている、それに選択肢も与えている、だったら女性自己責任であろう、と。

これは男女の関係を金や権力または見た目の美しさかっこよさのみで取引できるという考え方が染み付いているのだろう。

さらに付け加えれば金や権力、美貌以外の価値観こそ女性を抑圧し束縛するものだと思っている可能性すらあるのだ。

最近togetterにまとめられていた「フェミニズムを拗らせた結果、レイプもの売春ものしか受け付けなくなった人達(と、百合しか受け付けなくなった人達)」というのを読んだのだが、彼らは金、権力、美貌以外のもので男女が恋愛できるということを信じられなくなっているのだ! これは歴史でも伝統でも文化でも宗教でも国家でも家でも血でも身分でも階級でもなんでもいいんだけれど、そういったものにまったくリアリティを感じられない人たちに起こる現象ではないか? 彼らが異性と共有できる価値観なんてもはや金しかないと信じているのである

そんな彼らがフェミニズムを拗らせたと名乗っているのだから面白い

フェミニストネオリベラリズム正当性を与えネオリベラリストフェミニズム理論武装したのである

ネオリベラリズム思想なかには間違いなくフェミニズム思想を取り込んでいるし。フェミニズムなかにネオリベラリズムと共有する価値観はあるということは間違いない。

しかしこの岡田斗司夫問題で、一見、僕からすれば同じグループ人間たちが喧嘩を始めるという奇妙さによって、フェミニズムネオリベラリズムには価値観の多くを共有しているが、決定的に相容れない全く共有できない価値観があるということが浮き彫りになったのだ。(岡田氏本人がネオリベかどうかはよく知らない)

そんなの当たり前だろとおっしゃる方もいるだろうが、僕にとってこれは発見であり、フェミニズムという思想には大きな矛盾と逆説を抱えているように思ったのだ。

もちろん岡田氏を批判している多くの人は別にフェミニストなどではなくただ直感不愉快に思ったからだろうが……。そのなかに紛れているフェミニスト達を見ていると(岡田パワハラで性暴力女性の敵! といった意見岡田氏の様な恋愛資本主義的な思想正当性をもたせたのはフェミニズムなんじゃないのかと思わずはいられないのだ。

これまでフェミニストはどう考えてもネオリベラリストたちを利用してきたように思われる。

歴史伝統文化国家からの開放という理念男性社会からの開放という思想

国家主導の経済政策ニューディーラーケインズ理論のような社会主義的な政策を嫌うネオリベラリストフェミニストは利用し、

男女同権をネオリベラリズムによる労働規制の緩和と非正規雇用外国人労働者などを使った低賃金化といった改革によって達成した。

そして行き着いた先これである

自由平等過激に極端に推し進め規制は悪であるという考え方が導き出した論理こそ弱肉強食なのだ

金持ちがより金持ちになり。貧乏人はより貧乏になる。

クルーグマンスティグリッツ最近話題ピケティも言っている格差問題ネオリベラリズムによるところが大きいが、

フェミニスト達にも米国におけるトップ1%が金融危機以来95%の富を得ている等の責任があるように思えてならない。

女性差別があるなら是正すべきだしそれを反対する理由はない。

しかフェミニズムネオリベラリズムが手を組んだ事によって

ネオリベラリズム政策正当性を与えたことは言うまでもない。


僕は今フェミニストネオリベラリズムを利用したといったが、もちろんネオリベラリストフェミニズムを利用したことも疑いようのない事実だとは思う。お互いがお互いをうまく利用してやろうとしたのだろう。

からこそフェミニスト側が、ネオリベに裏切られた! 私達は被害者だというのはやめてもらいたい。ネオリベラリズム思想によってフェミニズム目的の大部分は達成したのだろうから。それが仮に弱肉強食さらされるという事であっても……。




別に男と女対立するのも結構だが、格差問題が深刻になりつつある今、フェミニストがやることはネオリベラリズム批判ではないだろうか?

フェミニスト達が今回の暴露漫画における岡田擁護派の論理、つまり弱肉強食という考え方を否定資本による自由平等批判しても、恐ろしいことにそれを望んでいたのは(少なくともそう見えた)フェミニストなのだから自分自分を殴っているような滑稽さ、それが僕の違和感であり矛盾であり、擁護派にもそれなりの正当性があるように思えた理由なのだ

家や見合い否定自由恋愛が生まれ、今度は家庭を否定し、恋愛資本主義にまでいきつき男女ともに恋愛による価値観は金と権力と美貌しかなくなるのも頷ける。

金と権力があればモテルやただしイケメンに限るなんてのもネオリベラリズムに毒されれば必然的帰結だろう。  

このような思考回路を持つ、岡田氏を擁護する人間岡田氏の様な人間を作り上げたてしまった責任の一部にフェミニスト達が関係していることを考えるとなんともいえない気持ちになる。

男女の平等を達成するためにネオリベラリズムを利用したらネオリベラリストによって性的被害を受けた、なんと皮肉なことか。

弱肉強食男女平等共存する社会が仮にあるとすればそれは旧石器時代のようなものではないか? それこそがフェミニストネオリベラリスト理想郷であることは疑いようもない。

もしそのような世界フェミニスト達が望まないのであれば、ネオリベラリズムによる巧妙な罠にだまされないことを願う。

実際に理想郷は猿社会というのが面白い

フェミニズムネオリベラリズム→猿社会」の大躍進政策

http://totb.hatenablog.com/entry/2015/03/31/230758

2018-01-26

anond:20180125183701

いや、全然違うでしょ。

ことばの由来から来たイメージか、あるいは、保守善、リベラル悪で、過激な変化をさせようとするリベラル悪だ。みたいなレッテルにしたいのかもしれんが。

保守日本の強い人がフルでパワーをつかえるようにする社会が良い社会だ。

リベラル外国含め様々な弱者配慮するのが良い社会だ。

というのが、あえて言うならできる定義でしょう。

保守リベラル言葉の原義はもう今では全く意味を為さない。日本本来風土によって、上記2つに吸収されたような状態

たちが悪いのは、外国との対立において、日本立場が良いというスタンスを、他のとくに経済論議憲法論議演繹すること。

で、保守から善、リベラルから悪のようなレッテルにしてしまって、強い人が好き放題するような社会が良い。というたちの悪い誘導みえる。

なので、これだけ複雑になった社会で、言葉定義ができなくなった右、左、保守リベラルなんて言う奴はまともに議論する気無いんだなとレッテル張ってもいいぐらい。

で、経済的観点から言えば保守ネオリベラリズム新自由主義)。リベラルニューリベラリズム社会自由主義)だ。

ネオリベラリズムは、規制税金をとにかくフラットにして金持ち日本の強い人がフルで自由活動できるようにするのが良い状態

ニューリベラリズムは、適度な規制や、累進課税を設け、再分配をして、弱者自由にのびのび活動できるようにするのが良い状態

から保守自由主義リベラリズムで、その一つのネオリベラリズムなのに、その棍棒リベラルをぶっ叩いてるという謎な状態だね。

更にいうと、30年以上前バブル前は日本ケインズ主義大きな政府だった。国が政策や強い累進課税借金による景気対策経済を強くコントロールしていた。

護送船団方式と言われるようなね。

これも、日本官僚みたいな強い人がフルでパワーを使えるようにするということで保守リベラル定義になれば保守となる。

その頃がどちらの定義になるかといえば、適度な規制累進課税を設けて、かつ、わざわざ借金してコントロールするということで、

ネオリベラリズムニューリベラリズム定義によればニューリベラリズムの方になるだろう。

なので、経済議論保守という事自体がもはや何を指すのかが意味不明瞭となる。

「今の政権がフルでパワーを使えるようにする」であれば今の定義で近いものとすればやっぱりネオリベラリズムなんだろうけどね。

外交においては、日本の強い人の言うことが正しい=保守外国の弱き人が正しい=リベラル

憲法においては、日本の偉い人が道徳国民教化するような憲法が正しい=保守国民一人一人の弱い権利保護するような権力者を律する憲法という立ち位置が正しい=リベラル

論旨によって全く意味合いが違う。とくに外交においては国民対立感情を煽れるから、その敵味方で保守リベラル善悪を作りたいというたちの悪い誘導が通る。

そういう意味で、右、左、保守リベラルなんていう言葉をすててしまって、各問題でどういうスタンスかを個人がそれぞれ持つのが当たり前になるようなのが良い。

日本議論においても同調圧力が強いから、保守スタンスだったらこの他の問題でも保守スタンスだろ?っていう同調圧力議論が歪められるのだから

2018-01-23

anond:20180123065758

まずはネオリベラリズムニューリベラリズム区別をちゃんとしろよ。

自分さえ良ければいいというのは、まさにネオリベラリズムの考えで、今保守を名乗ってる奴のスタンスだろ。

2018-01-22

自分被害者であるという意識を捨てられたのは、女と違って男は被害者であっても得をしないという、家父長制とフェミニズムネオリベラリズムがないまぜになった男女不平等社会のおかげであるので、少しは感謝しないといけないかもしれない。

2018-01-21

anond:20180121110833

ニューリベラリズム日本語に訳しちゃったら新自由主義なっちゃうのが混乱の原因だよね。

で、経済論戦で、ネオリベラリズム(右)、ニューリベラリズム(左)であれば議論をし易い。

日本場合はその右左が、中韓の取扱、道徳思想の取り扱い、少数弱者の取扱に混ざってしまっている。

かつ、その中で中心となるのは、中韓についての問題

もうこれでおわり。なおかつ嘘まざってるじゃん?(右)と「これ以上の」謝罪をする(左)

所詮日本社会をめぐる一つの問題なんだけど、中韓の右左の有利不利を他の問題にまで演繹しちゃってるのが日本の右左の議論がだめな理由だと思う。

anond:20180121095125

ちがうね。

右、左、両方とも自由主義では共通している。むしろ、かつての封建主義VS自由主義としての右VS左なんてのはなくなって、そういう意味ではかつての区分の左に全てなってるだろう。

で、自由主義金持ちが好き放題できる自由と、弱者がのびのび生きられる自由とを包括している。

から、どの方向の自由かがわからなくなってる。例えば。ネオリベラリズム金持ちより)と、ニューリベラリズム社会寄り)を両方新自由主義と訳されたり。

まあ。実際ネオリベの訳としての新自由主義のほうが有力だけど。

で、ネオリベラリズムが何故か保守となって、リベラル自由主義攻撃しているという謎な風景日本で見られる。

2018-01-20

anond:20180120180837

ああ、増田での話ではないのか。

お前はリベラル左翼からと言われたといっていつものここでつぶやいてるやつになんか言われたのかなと。

まず、第一に、いま政治スタンスというのは非常に多様化してます。まあ、昔から複雑だけども、それでも理解するために区分けみたいなのをしています

ただし、次第にその区分けから俺の敵だ。味方だ。みたいな使われ方をしています。なので、正直今の時代リベラル保守右翼左翼なんて区分をするやつは無視していいと思う。

これがネオリベラリズムみたいなのであれば、経済政府の介入を全く良しとしないスタイル(当然税金規制を嫌う)とある程度明白になってくるからマシですが。

リベラルというのは自由主義。と言っても、自由と言っても非常に幅が広いですよね?金持ち税金無しで暮らせるのも自由女性差別されずに働けるのも自由

対義語として保守というのが使われます。これは古き良きものを守るというスタンスです。

といっても、今の自民党政権新自由主義です。これは、ケインズ主義と対極となる形です。いずれも経済スタンスです。

30年前の自民党であればケインズ主義だったんですが、いつのまにやら新自由主義保守であって、その敵がリベラル自由主義というわけのわからん状態になってます

右翼左翼というのは、古くはフランス革命後の議席位置、及びそれに伴う政治スタンスです。

右翼重商主義左翼弱者主義、、、というのがかんたんに言った当初のスタンスですね。

といっても、これは経済スタンスを主にした考えです。当然、先に行ったように差別とか、逆に外国がどうのというのように視点がさんざん広がっています

で、次第に、俺はこのスタンス、お前のこのスタンスというレッテル貼り手段に堕していってます

なので、新自由主義なのに、リベラル自由主義否定するとか、この間の選挙で、全部が保守を名乗るとか言う訳のわからん現象になってます。当然です。ただのレッテル貼り手段に堕してるから

なので、ただのレッテル貼りから無視しておけ。あと、今の時代政治団体なんてかかわらんほうがいいよ?ワイの命令に従え!みたいなめんどくさいやついっぱいだから政治世界って。

2018-01-13

anond:20180113112340

「じゃあ、評定下げるか。ネオリベラリズム能力主義から仕方ないね。え?反対するの?フェミ団体ネオリベ能力主義を歓迎していたはずだけど?」

2017-12-10

anond:20171210172000

そもそもリベラル保守区分なんてあほくさい。

新自由主義ネオリベラリズム。とにかく規制を緩和し、再配分をやめろ)がなぜか保守側の意見になってているからねぇ。リベラルが入ってるのに。

2017-02-12

00年代10年代の総括

ゼロ年代に「勝った」志向とは何か。

それは、特定の「物語」に依拠せずに、情報経済のパワーゲームを乗りこなしコントロールする志向、端的に言えばネオリベラリズム志向だ。

そしてネオリベラリズムゼロ年代を通過し、反グローバリズムの潮流が良くも悪くも世界を動かし始めたのが現状。

コミュニタリアン時代が始まっている。

2016-07-31

http://anond.hatelabo.jp/20160730171310

リベラリズム自由主義

自由にしすぎて格差拡大してね?)

ソーシャルリベラリズム社会自由主義)←(影響を与える)←社会主義 →(社会主義共産主義の第一段階。理想郷を目指すのだ。ガハハ)→ 共産主義

福祉とかに金かかりすぎ。カットカット。)

ネオリベラリズム新自由主義


ソーシャルリベラリズム左派リベラル

ネオリベラリズム右派リベラル

呼称することが多い。


どっちも自由主義なので自民党リベラルを名乗ることも民主党リベラルを名乗ることも本質的には間違ってはいない。

ただし、共産主義だけはリベラルを名乗れない。

一部の共産党支持者は

日本共産党は昔の共産主義とは決別してて、いまは労働党みたいなもんだ」

といってソーシャルリベラリズム寄りだと主張してる(党名を変えて欲しいという意見はそのため)。

対して全共闘とかの過去の経緯から信用出来ない人が日本共産党共産主義であると言ってる。


ただ、上記を踏まえた上でソーシャルリベラリズムこそが(真の)リベラリズムである

自称するひとが多いので左派リベラル=リベラルである、という認識になってる。

2000年台の小泉竹中改革はモロに右派リベラルだった。

それに対抗して左派リベラル側がこっちはリベラルあっちは右派リベラル=(右派から保守みたいに結びつけて戦ってた。

ところが第二次安倍政権辺りから安倍左派リベラルに寄ってきてる。

その結果左派リベラル側の論理的土台が崩壊してしまって滅茶苦茶になってる。

2016-02-04

http://anond.hatelabo.jp/20150331114228

ネオリベフェミ共通性があるとは全く思ったことはないなあ。フェミニズムネオリベラリズムとは重なる部分はあっても、基本的にはファシズムからねえ。

ネオリベフェミ同調する部分があるとすれば、「性別によって機会の平等を毀損してはならない」という部分であって、先進国では法制度的には、すでに解消していることだから、この部分でネオリベフェミが共闘できる余地ほとんどない。

しろ法制度」という一点に限って言うならば、女子大学やある種の資格女性限定制度女性専用列車など、フェミニズム自由主義に反することばっかりやっているのであって、ネオリベから見ればそれは暴力しかない。

ネオリベ能力能力によって生じる格差と結果については、個性尊重という側面によって擁護することが多いので、女性法制度以外の「慣習」「人間関係」等々で結果的に低い位置に置かれているとすれば、ネオリベからすればそれは女性能力が低いからに過ぎない。

この場合女性能力の低さというのは、力が弱いこと(これは今もって重要格差であって、力の強弱そのもの重要ではなくてもそこから派生する犯罪被害率の高さは女性がこの社会で生きる高コスト体質を招いている)、健康リスクが高いこと(労働者として高コストである)、労働市場からドロップアウトする率が高いこと(もちろん労働者としての価値は低くなる)、等々のある程度、生与的な条件であるのは確かだ。

しかしそれで言うのであれば、そもそも能力とはある程度は生与的なものであって、女性であることは障碍者福祉などのようなイレギュラーケースへの対応とは同じくくりでは語られ得ない。

福祉全否定するネオリベ論者は少ないにしても、女性であることは障害者ではない、障碍者のような生物学的な「少数者」でもなければ「イレギュラーケース」でもないので、ただの能力しか規定できないので、女性が被る不利は、容姿が醜いこと、頭が悪いこと、性格が陰気で非社交的なこと、等々の他の「生まれながらの能力の低さ」と同じものしかない。ネオリベから見ればね。

まりネオリベから見ればフェミ大前提である、「女性姓の非差別性の克服」のそもそもの根拠フェミニズム提示できていないということだ。

従ってそれは数の多さで乗り切っている暴力しかないし、ファシズムのものである

それは、実際には無視できないハンディキャップを背負っている生与的な弱者社会制度的な保護対象になっていない者(たとえば男性ブサメンなど)からすれば生き難い自分たちに更に負担を強いる直接的な加害者しかない。

岡田斗司夫の件で、ネオリベから視点から見れば、岡田斗司夫行為には問題となる部分はまったくない。選択を提示し、気に入らない選択をしたからといって脅迫的な言辞を弄したわけでもない。

もちろん、実際には、「愛人契約」的なオファーを受けて、イラストレータ側が「相手の不興を買うのではないか」「仕事で不利になるのではないか」と恐怖を感じることはあり得る。そのことを見越したうえで岡田がそのオファー提示しているのは明白だ。

そう言う意味では岡田は「あくどい」のであって、人格的な意味批判されるのは当然だろう。

だが「恐怖を感じたこと」がそのまま保護対象になるわけではない。フェミ的な視点から言えば「女性が恐怖を感じたこと」それ自体岡田批判根拠になり得るが、ネオリベから観点からはそれは個人的感情に過ぎず、脅迫に相当する外形的実態があったのかどうかが問われ、その実態は無かった。

ネオリベ女性からと言って無条件に保護対象にはしないのだから

岡田の件でフェミネオリベ齟齬が生じたとすれば、フェミフェミファシズム性について無批判であり、ネオリベ批判的だからである

2016-01-25

今になって思うと民主党ネオリベラリストだったんだな

2000年代前半から2000年代後半の小泉-安部路線-ネトウヨから民主党政権までの時代ってまじでネオリベラル思想の大流行だったんだなと感じる。

小泉が色々破壊するとか言って郵政民営化はもろにネオリベラルな考え方だ。

また、ネトウヨ自己責任思想というのも大流行した。


そしてその勢いのまま公務員給料削減など緊縮を目指した民主党政権を奪取したわけだ。

でも、最近になってリベラル関係の基本を勉強しなおしてると、このあたりのやり方が完全にネオリベラリズム、つまり右翼の好む経済政策であることがわかる。

そしてそのネオリベラルの潮流は民主党政権で完全に瓦解した。


左派を名乗っていたはずの民主党経済政策右派的行動をとり、見事に失敗して結果として右派経済政策は駄目だということが知れ渡るようになって安部左派的な経済政策をとることになった。

ネオリベラル路線の息の根を止めたのは民主党だったわけだ。


そしてその民主党はいまだ自分達が右翼であることに気づかずに(左派リベラルを名乗り続けてる。


ネオリベラルの潮流が民主党によって破壊されたことに左派リベラルの俺は喜ぶべきなんだろうか。

それとも悲しむべきなんだろうか。


まるで喜劇だ。

2015-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20151217231325

リベラリズム封建的ものに対する反発からまれたのは確か。

ただ、その結果として強者がどんどん強者になっていって結果的経済的に弱い人とかの自由が逆に阻害されちゃってね?

という発想が出てきて当時流行ってた社会主義の考え方である福祉の考え方とかを取り入れるようになる。

これをニューリベラリズムという。

逆に、中途半端だったから良くないことになったんだって言ってもっと自由を追求すべきだっていう思想も出てきてこれをリバタリアリズムっていう。


で、増田のいってるのは最初リベラリズムのことだよね。

これをいわゆる古典的自由主義という。


リベラリズムって今、思想分派してんのよ。

あと、ニューリベラリズム福祉を導入した結果財政がやばくなって金たりないってところからネオリベラリズムっていう思想生まれる。こっちは市場政府が介入したり、福祉に金を使いすぎるなって発想。リバタリアリズムとにてるけど微妙に違う。

ネトウヨがよくネオリベって言われるんだけどそれのこと。

生活保護(福祉)を叩いてる時によくそういわれるよね。


で、今はニューリベラリズム左派リバタリアニズムネオリベラリズム右派とよばれがち。

フェミニズムリベラリズムと相性がいいと言われるのはニューリベラリズムの「弱い立場の人が自由を圧迫されている」という考え方と合致してたから。

安部経済的左派って呼ばれるのは積極的市場に介入するから

右派だとすると自由を求めて一切介入しないはずだからね。

民主党社会の部分は左派的なお題目を抱えることが多かったのに経済にはほとんど介入したがらなかったか左派からそこは直すべきって延々言われ続けてるわけね。


基本的現在自由を巡る争いはこの自由をどう扱うかが争点になってる。

自由大事だけど政府が介入しないと結果的自由が損なわれるっていう考え方と

自由であるために政府は介入してはいけないっていう考え方の対立なのね。


で、どの国もそうだけど今はこの二つの間を行ったり来たりしてる。

しかピンポイントで使い分けてることが多い。

元増田はどっちかなぁ?

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