はてなキーワード: 路上駐車とは
ColaboがPDF文書「Colabo及び仁藤夢乃さんに対する誹謗中傷について」(以下「説明文」とする。)との文書を公表している。( https://colabo-official.net/kaiken2211/ )
一通り目を通してみたが、個人的に説明が不十分かなと感じたことを列挙してみる。
※これをもって不正不当とするのではなく、個人的にもう少し詳細な説明が欲しかったなという部分です。
※勿論、誰にも、私個人に説明する義務も義理もないので、裁判を静観します。(双方ともに明らかにしていない事実はたくさんあるでしょうし)
※暇空茜氏の告発等と見比べて、現時点で不正不当と断定する根拠は足りていないと思われます。仁藤氏とColaboの今後の活躍を期待します。
(説明文3ページ。文中のスペースは原文まま。)
都からの若年被害女性等支援事業の受託金、DV等被害者支援交付金、自主事業としての収益 が含まれる。従って、都からの事業委託を受けている関係でColaboが東京都に対して行う報告は、(1)~(6)それぞれのうち、東京都からの委託事業として行った部分についてのみである。
このとおりだとすると、Webでの活動報告は常に都への報告よりも数字が大きいか同じでないとおかしいのではないか。
実際はWebでの活動報告が大きいこともあれば、都への報告が大きいこともあるようだが、理由はなんだろうか。集計期間が微妙に違ったりするのだろうか。(年度と年とか)
(説明文14ページ)
Colaboと繋がった女性が、仁藤やスタッフとと一緒に辺野古に行ったことはあるが、それはその女性たち自身が自らの意思で参加を決めたためである。
(略)
それとも、表にはでてきていないだけで参加者の自由意思を担保する何かがあるのだろうか。
https://mobile.twitter.com/erishibata/status/1579847848740663297
仁藤夢乃さんの新刊を読んだけど、支援対象の「女の子」たちを政治活動に巻き込むのはかなりダメだと思うわ。様々な要因で追い詰められて、支援者・団体を頼らざるを得ない状況の被支援者と支援者では、権力が非対称すぎるから、きっぱりNOが言えるかかなり怪しいと思う。
また、仁藤氏の著作によると、少女のコメントとして「沖縄で、辺野古に行って、基地の問題を初めて知ったり」とある。つまり、基地問題を知らない人に対して、ろくに説明もせずに辺野古に連れていったように読める。もちろん口述なので、正確には参加前に行く場所や活動の趣旨はきちんとつたえていたのかもしれないが、ここからは読み取れないので疑念を抱かせることになっているように思う。
(説明文15-16ページ)
このデマは、「Colaboが産婦人科医に対し支援対象女性の自己負担相当額を支払い、それを東京都からの委託経費でまかない、その金額相当額を医師が寄付金として団体に寄付している」という、事実と異なる決めつけに基づいている。実際には、上記に述べた通り、連携する産婦人科医の「無料プロジェクト」対象の診療の場合には、都の委託経費は使用していない。
バズフィードの記事によると、自己負担部分を団体が負担し、同額を団体に寄付しているようだが、これはキックバックとはいえないのだろうか。
説明文では、自己負担分を「それを東京都からの委託経費でまかない」という部分しか否定できておらず、「そもそも自己負担部分の減額等は違法(療担規則違反)ではないか?」との批判に答えられてないと思うので、更に詳しい解説を聞きたい。
(できれば厚労省か地方厚生局からのお墨付きが欲しい。参入したい事業者・医療機関は多いはず。)
つまり、この説明文では「都の委託経費を不正に取得しているのではないか?」という問題には回答できていても、「そもそも医療機関からの自己負担部分の寄付は違法では?」という問題には回答できていないように思えた。
https://www.buzzfeed.com/amphtml/naokoiwanaga/free-pill-project-drsong
保険診療の場合、患者さんの自己負担部分は団体に支援していただき、後程同額を団体に寄附するという形で医療を提供しています。
(説明文19ページ)
バスは、他の車両と異なり長距離を走行していない上、夏タイヤと冬タイヤを季節ごとに交換して使用しているため摩耗が遅く、2014年製のものでも現在も十分使用できているというに過ぎない。
確かに違法ではない、が極めて危険であり安全のためにも速やかに交換した方がいいと思う。
一般に、タイヤの耐用年数は使用開始から4~5年、製造年から10年(ただし、保管環境が良好な場合。本件の場合は路上駐車なので、10年はもたない可能性が高い。)程度である。
タイヤ購入費用を計上しているのであれば、当該バスを新車で購入したとしても、まず優先的にこのタイヤから交換する必要があるのではないかと思う。
(説明文22ページ)
一般論として、車を運転していたら記憶にない傷(植え込みの木々に擦ったり)があることは珍しくない(バスなどのように大型車両なら尚更)が、「何者かが故意に車体を傷つけたことは明らか」と断定する根拠が書かれていないように感じた。
つまり、暇空茜氏の主張(昔からあった傷ではないか?)と弁護団の主張(故意に付けられた傷である)の双方が誤りの可能性を捨てきれないように思う。
(説明文35ページ)
当然毎年作成しており、現に委託事業の申請の際に毎年都に提出してきたが、公告について問題意識が乏しいままになっていた。このたび都から指摘を受け、取扱いを確認検討し、また過去の決算も点検した上で公告することとした。なお現在はホームページに掲載する電子的方法としているが、今後は合理的な公告方法のあり方も含めて検討したい。
ならば批判者による指摘は正当だったのでは?と思う。
(説明文1ページ)
弁護団は、このような、女性差別に根差す卑劣な嫌がらせを断じて許さず
(説明文5ページ)
このような支離滅裂な言説を繰り出し続けるのは、真実は何かなどには一片の関心もないまま、ただColabo及び仁藤を貶め、集団で嘲笑することに興じる、侮辱的で女性蔑視的な態度
少なくとも形式的にはColaboによる不正不当の告発の体裁を取っている相手に対して、「女性差別」「女性蔑視的」と言える根拠はなんなんだろう(説明文には入っていないが、会見では「リーガルハラスメント」「女性全員への攻撃」であるとの主張もあった。)。
法律には詳しくないが、これは名誉毀損にはならないのだろうか。その場合、暇空茜氏が行ったとする(弁護団が主張する)名誉毀損があったとして、相殺(お互いさま)になったりしないのだろうか。
仁藤氏のためにももう少し穏当な表現で事実に反するところを指摘していって欲しい。
(追記)
ここ数日、自転車が歩道に侵入せざるを得ない理由について延々と言い訳をしている人達がいて自分もちょっと考えてしまった。
小さい商店は駐車場なんて持ってないから当然のように買い物客は路駐してる。
自家用車だけじゃなくて、ガス屋・運送業者の中型~大型の車両だって要件があるからと平気な顔で路上に停めて作業してる。
あとこれに拍車をかけているのが人が乗っている状態であれば一時停車なので路駐にはならないって謎のルール。
たとえば道交法を守らせる側ではずの警察車両なんて中に人が乗っているのでセーフですって顔でネズミ捕りや張り込みの最中ず~~っと路上に居座ってるんだよね。
冷静に考えるとコレは異常な光景だよ。
日本って自動車産業が重要な内需だからって自動車業界に甘いんじゃないかな?
狭い国土に相応しくない量を売りつけるために自動車に対して過剰に甘い社会になってる。
まあ自転車も同じ問題抱えてはいるんだろうけど、アイツらはまだ大きさが小さいから許せる所がある。
自動車はマジでさ、両側に路上駐車されたらもう完全に塞がる道とかあるわけじゃん?
マジ勘弁してほしいよこの状況。
まあこれをアウトにすると警察が張り込みする時に不便だろうから一生変わらないんだろうね。
ほ~~~んま身内に甘い権力サイド共よね。
その場を離れてなければ路上駐車にならないぞ
https://twitter.com/tomiahonen/status/1502588098777079808
このへん英語までさかのぼって読んだけど結局どういうことなのか謎だった
・なぜかキエフまであとちょっとのとこにきてる補給トラック(積み荷は重い弾薬系メイン)が2週間60キロにわたって列をなして路上駐車したまま。2週間自主ひきもりはさすがに退屈なのか道からそれてそのへんの民家にこんにちわしてる民間トラックドライバーもいるらしい。で、キエフ周辺のロシア軍、弾無し状態らしい。
←なんですすまないの? 前後にけっこう戦車いるんでしょ? やっぱロシア軍に徴発された民間トラックドライバーが反抗的なの?戦場にいくとこまでは俺の仕事じゃねえよって? たんなるよくある共産的怠慢? まあ犬5匹で羊100頭ってうごかすことはできても人で人動かすのは無理なんかね…
・なぜかウクライナ側はそっちからなら必ず通るってわかりきった一本きりの国道(意訳)を待ち伏せも攻撃もしてないらしい。←一時的に橋でも落としたのかとおもったけどそういうこともないらしい。まあ人道的にはそうなんだろうし、そもそもウクライナの所有する大事な国道なんだろうな。大事な交通路を自分から壊してしまうほどおいつめられてもないし。
・なぜこれでほぼ負け確なのにますます悪行詰んでるのプーチンさん…←やぶれかぶれなんかね?
別途
RANKINGって、RANK+KINGだと思っててんだが、RANK+INGらしいな。
知ってた?
世の中にはチャリこそウゼーという者の多なれど、チャリと同じかソレ以上にウザき者ランニングマンならんや
走るのに必死で余裕がねーから周り見てないんだけどそれを走るのを頑張ってるんだから仕方ないでしょで許されようとしてる
人の行き交う大路を勝手にテメーのトレーニングコースにしておいて全力で走ってるから周りが見えないんですだと甘えるな
ジムに行け
ママチャリっぽいのに電動アシストで意外と早いのだったりカッコイイ外観のクセにジジイチャリンコ並みのスピードだったり
ふぅー!マジ最悪!
3人で歩いてるときに2・1で別れるとボッチっぽいよね~~をいくつになっても気になっちゃうのね乙女かしらん?知らんわしねえ!
まあ大学生ぐらいなら多感なお年頃、ボッチへの恐怖で多汗が落とし所。落とすべきはてめえのタマじゃけえ死ねえ!
国を守ってますよって顔して制服で歩いてやることがチンタラ並んで歩いて進路妨害とは、テメーらが守ってるのはテメーの給料とメンツだけだってよく分かるよ本当死んで
まず何が最悪ってトロイチャリとか並んで歩くとかもコイツらがやってくること
コンボか?
親が一緒だと横にズラーって並びつつ子供がそこから飛び出してくるから歩道全部その一家の当たり判定で埋まる
そういや教習所の危険予測で子供が急に飛び出すのに注意しましょうとかあるけど、あれ当たり屋じゃん
それでも子供は悪くないってことになるとか権力がヤバすぎだろ路上の天竜人かよ
マジ最悪。
これをやられると途端に道が狭くなる
狭い道でやられるともはやその道が封印されることもある
人が乗ってるから停車なのでセーフですじゃねーんだよ
お前さぁ、ウンチをちゃんとトイレでするのと同じのが、車をちゃんと駐車場に止めることなんやぞ?
お前がやってるのは結局は野グソと一緒なんじゃい
ちゃんとトイレに行ってるつもりで路上にパトカーというでっかい野グソを垂れとるんじゃ
あーあー信じられんのーこの国ではポリスが野糞しながら人を裁いとるんかいな
むしろ「障害者を批判しちゃ駄目だよだって障害者なんだもん」こそが差別やぞ
とくに鬱陶しいのが車椅子やな
横に広いし押してる人もいるから縦にも長いわスピードもトロいし最悪の場合おつきの奴らが横に広がってたりして超巨大な当たり判定を形成しとる
あと周りに変なバリア貼ってんだよなやっぱ障害者って関わりたくないからさ
単なる怪我人でも同じようなもんだわ
松葉杖ピョンピョンマンとかジャンプが若干千鳥足気味だから次の移動先が見えねーんだわ
結局コレなんだよ全ての悪意の源泉は
もしも道路がもっと広かったらいろんな奴らがもっと幸せに共存できるわけ
日本の道が狭すぎるのが悪い
そしてその未知の狭さの根幹にあるのが「路肩があるではないか。使えよ」の精神で作られていること
ランニングマンも路肩走れってなっても、それはそれでバイクとかが引っ掛けそうになるっつーかマジでランニングマン後ろ見てねーからよ
道路族の連中が適当な公共工事で少しでも沢山道を増やそうと狭い日本に必死に張り巡らせた結果がコレだよ
山ばっかの狭い国になんでこんないるの?
人間減らそうぜ
グレタだって言ってるじゃん人間が増えすぎて地球が持たない時が来てるって
あいつらそのうちアクシズ落としてくるけどバカだから説得とか無理だし
ここはこっちが折れて人口に抑制をかけていくしかねーんじゃねえかな
あー話がそれたわ
沢山書いたやで
・実名主義
80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数の社会的人格を持って経済活動する事ができた。
職場で旧姓を使い続けても問題無かった。1986年に米国でマネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。
MDMAが非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。
心臓発作を惹起する為に規制。m.o.v.e.のmotsuが所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。
90年代のクラブではマリファナは普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙で景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員も米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。
・式場での結婚式
1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式、キリスト教教会一般的。
団塊世代のロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻の自由は憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手と結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。
団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。
古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。
1990年頃まで日本人の公共空間でのマナーは先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。
・外国で旅の恥をかき捨てない
かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本人旅行者(特に団体)は眉を顰められる存在だった。
遺跡に名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクターに痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。
これを西洋は宗教倫理の文化で日本は恥の文化、共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。
電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。
この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年頃から段階的に廃止された。
森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバのIIS(インターネットインフォメーションサーバー)サービスでHPを提供していたため。
終業時間になるとサーバとルータの電源を落として帰っていた。サイトの作成は役人の趣味みたいな感じで作っていた。
1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタはパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。
駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口に100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。
民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。
90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両とタクシーの客待ちで二重駐車になっていた。
2000年頃から増える。警察が路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。
和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習。
家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員と交渉で決めるという風になった。この為に店員は電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。
客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。
バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎(1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機と建物袖看板の道路使用料徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。
これに対応して既存機の撤去とスリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。
以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフ、リセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。
2006年ころに一世を風靡したネットブックでSSDが一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。
嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局、銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。
当然平日3時までしかやっていない銀行に会社員が行けるわけがない。
そこで振り込みの為に仕事を中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅。
18才は未成年で飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。
ゼミの飲み会で普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。
・線路を歩かない
都電やローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関が線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。
90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故が連続し、その後厳しくなっていった。
初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキーは酩酊するからダメ」と書かれている。
・小銭を所持しないで外出
1000円札の読み取り装置が一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道の券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。
この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。
1989年の消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉は公共料金以外殆ど使われていなかった。
・個室
和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。
・個人
家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員のプライバシーに踏み込む」という感覚が余りなかった。
「会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。
ウオークマンは街で個人的空間に浸るものだとして批判の対象になった。個人主義はそれ自体が罵倒文句だった。
全共闘運動はあらゆる権威を攻撃し、大学の知の権威というものも破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態が継続。やがて学生は脱政治化したが大学や学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。
90年前後の大学改革でICUや上智の比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり、学生が勉強するという当たり前の状態が復活した。
この為に卒業年1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。
・様々な塩製品
塩は国家専売品だったので専売公社の製造する塩以外の岩塩、ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可と標識の掲出が必要だった。
・「メイド喫茶」などの語
「メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制や階級制の象徴のような職業であって、戦後の身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤が一般的な「雇用」となった。
一周回ってメイドの構造が過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。
・キャノーラ油
キャノーラ油の原料は菜種。
米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。
米国で生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。
過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法が改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。
1991年に大店法が改正されるまではデパートの閉店時間はPM6時、スーパーの閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。
基本的に地元の商工会の意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正が商店街の全滅に繋がった。
・生ビール
ビールは酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール。
この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。
1970年代末にサントリーがフィルターで酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。
だから地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品の生ビールはサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。
バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。
それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。
これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導の対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。
1990年から。1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業の有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去。札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的。
1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。
冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまち、ひとめぼれが席巻するようになった。
駐車違反にバイクと車の別はないが、バイクの駐車違反は2006年まで摘発されていなかった。摘発を民間に委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗に駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。
・大学生の専攻無し
学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行や福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から。
引用URLは無い。ネットとかTVでの池袋の扱い全般への反駁&雑語りと思ってくれい。
これ嘘だから!元池袋史跡公園っていうのを豊島区がこしらえちゃってるけどこれ嘘だから!
あのさ、駅周辺のこの辺が池袋になったのって日本鉄道が池袋駅を開設してからの事なんだけど?
それまで池袋っていうのは東上線二駅目の下板橋駅周辺が池袋だったの。今でもこの辺は「池袋本町」って地名でこれは池袋本村、池袋村のメインの集落だった所なのよ。
「袋」っていう地名は川が湾曲してその内側の土地の事を指すのな。江戸袋とか大袋とか色々あるがみんなそう。
今は暗渠化された谷端川っていう川が屈曲しててその内側の高台が池袋本町(村)。池やら沼があったんじゃないかと言われているが記録が残ってないので池が付いた理由は不明だ。
そもそもこの元池袋史跡公園がある場所っていうのは昔は雑司ヶ谷村だったのな。池袋村と雑司ヶ谷村の境界は大体今の池袋駅南通路の辺り。
それなのに遥か数キロも離れた池袋村の名の由来になるはず無いだろ。豊島区は誤解の元だからあの公園撤去するか説明書書き換えろってーの。
余談だが山の手の台地の上で井戸を7~10m程掘ると水が出てくるんだが、それって粘土の関東ローム層の下に砂礫層があるから。だからこの谷端川がそれだけ谷を刻んだ下流では小石だらけになる。なので下流は小石川って呼ばれて地名にもなってる。
東京山の手って山あり谷ありって言われるけど、そうじゃなくて谷だけがある地形なんだな。富士山と伊豆の山が噴火した火山灰が積み重なって西高東低のかなり緩い勾配のまっ平らな台地ができた。
ここに多数の小河川が切り込みを入れた地形になっている。だから尾根の部分はほぼまっ平らな訳です。これは国道246の赤坂→渋谷手前とか国道254の春日→池袋六差路とかを走れば判る。この二つは尾根道の街道を車道化したものでとにかくまっ平ら。
因みに上野~赤羽等の線で台地がきっぱり切れ落ちて下町になってるのは海進時にそこからが海だったから。
というか、台地はもっと東に伸びていたが波に削られて海食崖が後退したと考える方が自然。上野~赤羽って京浜東北線に乗れば判るが崖が真っすぐでしょう?これって海食崖の特徴ですわ。
あと、陸地が角になっている所って波の入射方向、角の先に真っすぐな海岸線が延長されるように砂嘴や砂州が出来るけど、上野、赤羽の角地形の先には砂嘴の痕跡がありますよ。上野の場合は根岸砂州というのがあり微高地になっていてこの上に日光街道、千住宿が作られていた。赤羽の方は名前不詳なれど川口、戸田の喜沢の辺りに筋状の微高地がある。
脱線したがこういう地形だから山の手ではまっ平らな尾根部分では水を引けない。だから水田は出来ない。水利は限られたもので貴重だった。
農村である雑司ヶ谷村の水源だけ池袋村に属してる訳無いし(トラブルの元だ)、遥か離れた他村の水源地の名前に因んで池袋の村名が決まる訳ないやろ。
だから駅周辺が池袋になったのは駅が出来て以後の事なのだ。因みに古典落語でも池袋は結構出てくるんだけど、当然それは下板橋駅周辺の事ですよ。
駅にはそこに至る道路があるのが当たり前。でもそれは今の事であって日本鉄道って鉄道が官営鉄道1本しか無い時代に鉄道を敷いた道なき道を行くパイオニアだった訳。だから日本鉄道側が既存の街道に面して駅を作らなきゃいけない。
でも江戸時代には道路というのは軍事施設でもあった。だから数少ない街道以外は道らしきものはない。勝手に道を普請して罰せられたケースは数多くあり、その殆どは死刑だった。
それで、品川線(現山手線~赤羽線)から新規開業する土浦線(現常磐線 当初の始発駅は田端)に繋げたい日本鉄道は目白分岐としたかったが、雑司ヶ谷村に難色を示され更に巣鴨村に建設予定の近代的監獄(巣鴨拘置所、現サンシャイン)に重なると政府にダメ出しされてしまう。
そこで目白の北側のまっ平らな辺りで分岐する事にした。ここまではよく説明される事だ。
問題はここからで、雑木林しかない、集落すらない場所で乗客が駅に来れる様にするにはどうすればよいか?
中山道板橋宿の平尾追分から川越街道(現首都高中央環状線JCT~大山サンロード~ハッピーロード)が分岐し、そこから直ぐに分岐して雑司ヶ谷を抜けて早稲田に至る雑司ヶ谷道という道があった。これは金井窪~ローソンストア100池袋本町1丁目店を右折して平和通り~WEロード~明治通り~鬼子母神電停前~と続く現存する道だ。
この道と日本鉄道の線路が交わる所は踏切になっていた。駅を設置するならここしか無い。他に適当な街道に接近するところがないからね。
って事で今のP'パルコの左側に駅が作られることになったのだ。WEロードの正式名称は雑司が谷隧道だ。線路が増えすぎて踏切では危ないのでガードになったのだな。
Wikipediaの池袋駅の項には日本鉄道時代の駅の写真が貼られている。
これはWEロードの前身の踏切から撮られたもんだ。場所はP’パルコの裏手。
なのでこの汚いガード(の前身の踏切)は池袋の全ての始まりなんであるのよ。
サンシャインの前身は巣鴨プリズンで有名だがそれは東京裁判が決する迄の一時期で、東京拘置所だった。
東京拘置所を小菅に移転して跡地の再開発の話になった時に周囲の地権者、縁故者を集めて合意形成の場が開かれることになった。
ここで特に問題になったのが池袋駅直通地下街の建造で、強硬な反対派が居てその筆頭が東口の洋菓子店タカセだった。当時タカセは小売店の有力な顔役だった。地下道ができたら当然人の流れは変わり地面店は売上激減する。
その為に駅直結地下道の話は流れてしまい。東急ハンズ横からの短い地下道と東池袋駅がアクセスルートとなる中途半端な形になってしまった。
この地下道建設流れで当時タカセの地元での評判はかなり低下したらしい。
しかしその後の埼玉の植民地化=池袋駅~ハンズの学生向けの店舗の隆盛を見れば反対して正解だったとしか思えない。通路を兼ねた地下街なんてどうせ碌な集客力がない。そもそもハンズ前の道には丸の内線が埋まっているから地下街の幅は取れないんである。
なので学生向け店舗の経営者は出退勤の途上に今はやや寂れた感のあるタカセ前で一礼すべきである。若年向けのP’パルコだって地下道があったら出来てなかっただろう。P' のテナント一同もタカセ参りはすべきである。
ここなんだけど、池袋行く人でここのおかしさに気づく人ってどれだけいるだろう?
https://goo.gl/maps/UQN2f86tQk8xXQPv5
逆を向いてほしい。西武の搬入口だけがある。なのに信号機で管制されている。何故だろうか?
そのわけは南のびっくりガードの途中にある。
https://goo.gl/maps/BR5VUwN7iYPUv5Zx5
ここから入るとJR線路と西武線の間の空き地に出る(入っちゃダメよ)。実は当初のびっくりガードはここを上がってから西武線を踏切で渡って明治通りに出るというルートだった。
この坂の上はJR用地で昔は国鉄の貨物駅だった。つまり初代びっくりガードは国鉄をガードで潜って直角に折れて急坂を上り国鉄貨物駅の中を通り西武線を踏切で渡る。そして出てきた先がさっきの搬入口前の交叉点だったって訳。
現在の中央東口っていうのは元は西武線の改札だった所で、西武が運営するデパート、武蔵野デパートはエルメスがあるあたりにちょこんとあった。
しかし当時の西武の社長は貪欲な堤康次郎と堤義明。もっともっと増床だ!でも駅が邪魔だ!ならば線路を縮めて駅を向こうに追っ払えばいいじゃん。
という事で駅をずらすのに邪魔な踏切は廃止。その代わりに国鉄ガードの延長にガードを作った。そして踏切跡はデパート搬入口に転用。
井の頭線渋谷駅や世田谷線三軒茶屋駅とか、商業ビル建てるために駅をその向こうに追いやって客はその分歩けっていう工事するのがあるじゃないすか。あれムカつきますよね。
こういう訳で「西武デパートの搬入口だけの為に信号がある」状態が生まれた。一見それに見えなかったものがトマソン的である事を発見するとその由来が見えてくるって事ですわ。そしてびっくりガードなんて間抜けな名前が公的に使用されてる事の方がびっくりだわ。
昭和29年に地下鉄丸の内線が開通することになりそれに合わせて建築されたビルが結構残っている。LABIの建物が代表格でここは元三越。今も所有者は三越な筈。
昭和28年頃の完成なので今でも売り場の裏は非常~に古い。客用エレベータもエレガ時代は真鍮蛇腹式だった。それでは客がセルフオペ出来ないのでかごは替えられてしまった(着床位置も手動ハンドルで調整する方式だった)。
LABIの裏にマックがあるがここは三越が所有していて地下にLABIの搬入通路がある。マックの裏の建物はLABIの搬入口になっている。
新しそうなパルコも昭和32年竣工の東京丸物デパートの居抜き。
昔は携帯電話が無かったから待ち合わせ場所を家の電話で打ち合わせておく必要があった。新宿駅や東京駅には待ち合わせ場所としてアルプス広場や銀の鈴があるが池袋駅には無かった。
そこで末期の国鉄の人らが考えて作ったのがいけふくろう。いけぶくろだからいけふくろう。
国鉄はそれまでの親方日の丸体質ではダメな状況に至り、色々とサービスアップの為の試行錯誤をしていた。現在のJRより熱心だったが如何せんセンスがダサい。
いけふくろうもかなりの失笑を買ったと言われているがその後豊島区などがフクロウの里などの歴史修正主義を始め定着するに至った。
いけふくろう像があるのは北通路の階段付近という半端な場所だがこれはパルコの土地ぎりぎりのJRの土地であるから。いけふくろうのダジャレを考えた国鉄マンの同定をしなくていいのだろうか?疑問である。
サンシャインの地下駐車場のそのまた下には地域冷暖房の施設があって付近のビクトリアスポーツや東池袋駅やハンズのビルなどに熱供給を行っている。
これは触れている本やサイト、番組が多いが、実はその下に東電の変電所がある。これはサンシャインで働く人も知らない秘密なのだが、数年前にあった新座でのケーブル火災による東京大停電での停電地域によって変電所の場所が割れてしまった。
城北線豊島変電所というのがここで、終端変電所は内幸町の東電本社の地下である。
https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/hoan_shohi/denryoku_anzen/pdf/014_06_00.pdf
雑司ヶ谷道の駅北側は戦後商店街となって平和通りと名付けられた。だがどういう訳だかヤクザの事務所がこの道路沿いに林立するようになり、やがて抗争が勃発、殺し合いまで始まった。
90年代後半になるまで路上駐車というのはルーズに見逃されておりその辺にとめるドライバーが多かったが、事情を知らぬ者は平和通りの組事務所前にとめてしまう。
玄関前塞いで車止められたら誰でもいい気分はしないが組となればメンツの問題でもある。戻ってきたドライバーはそのまま事務所にお持ち帰りとなって凄まれ絞られ少なくない詫び賃を置いていく羽目になる者もいた。
お巡りさんに泣きついても「こんな通りに駐車したら身の危険になるのは当たり前でしょ」と説諭される始末。平和通りなのに。
やがて銃撃事件などが相次ぎ非常線で封鎖される事もしばしばとなった。シャブで錯乱したヤクザが突然暴行を加えたり物を破壊したり自分を刺して血だらけで歩いていたり警察に保護具で簀巻きにされている所がみられる事もあった。結構な高頻度で。北口のレンタルビデオ店G〇〇が入居するマンションなどは上がほぼすべて893となってしまった事で有名だった。
暴力団新法の施行でヤクザは激減してこれらの風物詩は過去のものとなった。
あの事故のあった道路はほぼ直線なのだがどういう訳か事故が多い。飯塚のは運動能力の問題だろうがスピードを出しすぎる車&Jウオークする歩行者両方に問題があるケースが多い。見通しが良すぎて油断するのだろう。
過去の事例では130km/hで邁進するフェアレディZがUターン中の1Boxカーに衝撃して1Boxの助手席女性が死亡するという事故があったが、普通Uターン側にも責任が問われる所、相手の速度が速すぎて予見不能として1Box運転者に無罪判決が出るという事件があった。
10年近く争っての事だが異例な判決である。その後も事故が続くので信号機を増やしたりしたのだがあんな予見困難な大事故が起きてしまった。
池袋にいわゆる駅ビルみたいなものはなくてデパートばかりだが、戦争で駅舎が燃えてしまったので戦後に鉄筋コンクリートで国鉄駅舎というのを作った…のだが直後に民間資本の建物を誘致する民衆ビル構想が立ち上がったので駅ビルは解体され丸物(現パルコ)や西武のデパートが建つ事になった。計画性無さすぎである。いや勢いがあったのか。
開通当時は武蔵野鉄道(買収)→西武、東上鉄道(買収)→東武だったから最初は変じゃなかったよってのが定番の豆知識記事だが、「東に東武」もあった。
サンシャイン手前~飯塚事故現場辺りの一帯は戦前東武鉄道の根津嘉一郎が所有しており根津山と呼ばれていた。雑木林だらけの池袋駅~護国寺に道路と都電を通す事になり全部手放したのである。
池袋東側の住人なら赤尾敏は誰でも知ってるけど日ころとか朝生とかに出てるらしい赤尾由美見た事ある人いない。だってあんた道場に居なかったじゃんよ。何赤尾敏赤尾敏って名前使ってるの?
お祭りには欠かさず来るね。で、それだけで「地元の人」って認知受けちゃう。贅六の落下傘なんだけどな。
内部疾患で1級の手帳を取った。支障は多少あるが普通の生活はできている。
障害者手帳には特典が盛りだくさんで、マジ最高。
多くの美術館や博物館が、特別展を含めてタダになる。ただし、箱根などにある私営の美術館などはタダではなくて割引きだけのようだ。
今度は、鳥獣戯画展をタダで見に行く予定。普通に行ったら、2千円以上かかる。
JRや私鉄は、介助者と一緒に乗れば常に乗車券半額。一人で乗るときも100km以上は半額。バスは常に半額。あと、タクシー券も(しょっぱい金額だけど)貰える。これは自治体によって違う。あと、都民なら都営はフリーパスになる。他でも公営はそうかもしれない。
いつ行っても1000円、介助者も。
まあ、時々見るので払ってたんだけど、半額になった。
高速は半額で乗れる
黙っていても金がもらえるのがマジで最高。
で、注意なんだが、年金と手帳の等級は、実は関係ない。私は手帳は1級だが、年金は3級だ。
簡単に言うと、働けない人は2級、その中でも特にヤバい人は1級、支障はあるが働ける人は3級の年金がもらえる。
年金は1階部分(国民年金)と2階部分(厚生年金)に分かれるが、2級は両方貰えるのに対して、3級は2階部分しかもらえない。1級は2級の金額が割り増しになる。
普通のサラリーマンなら、厚生年金部分は数万円~10万ぐらいになるだろう。なお、1階部分の国民年金は一律約10万程度だ。
私は、3級年金だが、普通に働いているので、ぶっちゃけ小遣いアップしたようなもんだ。
ヘルプマークを付けて、優先席の前に立っても、譲ってくれる人は少ない。なお、譲る人に男女差や年齢差はあまり無いように思う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/hashimotoaiki/20210309-00226455/
うん、トラック運転手に同情したり、荷主に怒りを感じる人がトップコメになってるのはいいと思う。
でも、なんでこの人たちは配送する側がトラック運転手を外に待たせているんだろうと思わないのだろう?嫌味でやっていると思うのだろうか?
でも入れないわけだ。ルールなのかなと思ったりするが、個人的にはその間も他のトラック作業してるんでしょと思うんだよね。
記事中を読めば積み込み作業も数時間のオーダーでやっていることがわかってて、搬入に知らせがきたらすぐに来いって言ってることは多分、配送が間に合ってないんだよね。
なので配送センターがパンパンで、どうしようもないんだろうなと想像出来ないのだろうか?
荷主に負担させろってのも、新しい配送センターのコストとか払わせるの?てか、荷主がどこにその金を転嫁するのよ。って思う。人間絶対損したくないんだもん。
前々からおかしいと思いつつしかたないで済ませてきたけど、でも、悪いけどやっぱりおかしいから声にします。
交通違反はけしからんです。実にけしからん。ドライバーは人の命を預かる人間としての節度が問われます。
資料調べたら平成30年の1年間で820,678件も発生してるんですよ。交通違反だけで。
なんと1日で2248.4件。なんてけしからん。
交通違反といえば無免許、酒気帯び、携帯電話、スピード違反あたりが事故に直結する危険な違反。
意図的でなければ起こらない違反でもある。そういう違反をする人間は本当に免許を取り上げてほしい。
・無免許 1,068件
・酒酔い 35件
・及び酒気帯び(0.15mg/l以上、0.25mg/l以上含む) 780件
・携帯電話 64,825件
・速度超過 62,958件
携帯電話と速度超過は流石に多いなって印象ですが、それでもどちらも10%以下。
酒酔い、酒気帯びに関しては合計しても0.1%にしかなりませんでした。
あれ?なんか思ってたのと違うな。
通行禁止違反とは、車両進入禁止の標識のある道路に進入してしまうこと。
主に一方通行の逆走などですが、これ以外に、時間帯によって右折や直線などが禁止されている交差点で誤って禁止されている方向に進んでしまうことも含まれます。
よく見ると8-20は直線左折のみといった内容の標識が道路脇にぽつん立っていたりするやつです。
幹線道路に交差する細道からの直進が、8時から12時まで禁止されているというものでした。
たまに通るときは夕方だったので、昼の間に直進できないとは知りませんでした。
違反したのは自分が悪いです。でも、そこにずっといたなら直進が危険だと知らせるべきじゃないですか?
言われてぴんとくる人もいると思いますが、多いんです。取締が。
そりゃ現行犯(?)が基本の取締ですからそうせざるを得ないこともわかります。でも、他の明らかに危険な違反と比べて多すぎやしませんか?
ついで一時不停止が135,143件。その後に信号無視が118,602件と続き、こちらもとても多くの件数が取締されています。
この二つはわからなくないですが、それでも場所によっては分かりづらい場所も多く、そういうところに限って取締が多いのも事実です。
更に続くのが、進路変更違反83,446件。指定通行区分違反が63,572件となっています。
進路変更違反は黄色い車線をまたいで車線変更をしてしまった場合、指定通行区分違反は左折・直進・右折などが指定されている車線から指定を守らないで進行してしまった場合などです。
昭和通り沿い、上野駅近く大きな歩道橋下なんて、3回通れば1回は違反取締を見るくらいの頻度です。
この道なんて特にそうで、走ったことのある人はわかると思いますが、昭和通り3車線のうち路駐で左側一車線が潰れているところから黄色車線が断続的に続いている上に突然右車線が浅草通り方面への右折車線に限定されてしまうので、知らないと勝手に別の道路に連れて行かれそうになります。
しかも知っている人は交差点手前から真ん中の車線にいるので、右側車線だけが場合によっては御徒町を越えたくらいからガラガラだったりして、気付いたら右折車線の直前まで進入してしまっていて判断の時間が極端に短くなるなんてことも重なったりします。
運転は免許制ですので、ハンドルを握り続ける以上は常に知識と意識をアップデートして安全運転に務めることが求められます。
だから、知らなかった。わからなかった。ですまされないものだということも理解できます。
ただ、この道路に限って言えば、昭和通りの路駐が交差点手前からしばらくの間だけでもなくなっていれば、結果的に中央車線の通りが良くなってほぼ解決する問題でもあります。
それって、本来取り締まるべきものが逆転してしまっていませんか?
お前ら黄色いライン超える車ばっかり睨みつけてないで、手前の道路の駐車違反を一掃してこいよ!と。
通行禁止違反、指定通行区分違反、進路変更違反だけで、年間293,842件という取締数は異常だろ。
取締数だけでそれだけということは、実際の数は更に数倍に膨れ上がるわけですが、本当にそれだけの件数のドライバー、意図的に違反を行おうとしているのでしょうか。
さて。
話は変わりますがここで違反金について考えてみたいと思います。
普通自動車の場合、通行禁止違反が7,000円、指定通行区分、進路変更で6,000円の違反金を支払う必要があります。
これをそれぞれの件数で掛け合わせてみると、この3つの違反だけでも、都内だけで年間19億円の違反金が警視庁に支払われている計算です。
一時不停止、信号無視についても、個人的にはとても判断が難しい道路などがあるので全てをドライバーの責任だとは言いたくありませんが、それを除いたとしてもこれだけの金額が違反金として支払われている状況なのですが、これって異常だと思いませんか。
道路上の安全を守るべきが警察の職務であるのに、年間にそれだけの件数の違反が発生する交差点や道路上の問題を放置しているのは職務怠慢であり、もしそれが違反金欲しさに放置されていたとしたならば、重大な責任問題さえ発生しかねないくらいの大きな問題だと言えます。
いくらなんでもこれではもはや事実上の通行税。そんなのが許されるならマジで日本は死んでくれ。
もちろん交通事故はなくなってほしいです。
そのために取締が強化されることは致し方ないことだと思いつつ、道路上の危険が放置されているとも言える状況で、取締数と違反金だけが増えていくのは果たして正しいことなのか疑問でしかありません。
平成30年の違反件数で45,582件はそれだけでもかなりの数ですが、それでも携帯電話の64,825件、速度超過の62,958件に比べれば少ないです。
何も路上駐車の全てを取り締まれとはいいません。特に物流に関するものについてはルールを定めた上で緩和されるべきだと思います。
ただ、特にタクシーによる駐停車禁止区域(主に交差点内とその端から5m以内、横断歩道から前後5m以内、車線変更禁止ラインのある右左折レーン)での客の乗せおろしは、歩行者を巻き込む事故に容易につながる本当にけしからん問題なので取締を強化すべきです。
曲がりなりにもプロを名乗る人たちが目先の売上を優先して堂々と違反行為を繰り返しているのが見逃されているのに、道路側の問題とも言える違反によって普通のドライバーばかりが取締されるのはどう考えてもおかしいです。
最後に、自動車の販売台数が下がっていく一方らしいですが、標識や交通ルールの分かりづらい場所に限って取締を強化しているような道路なんて走りたくないっていう気持ちが、そこにとどめを刺しにいっているような気がするので車メーカーさんも何かしらの働きかけが必要な時期にきているのかなって思いました。
自分は必要に迫られてハンドルを握ってるだけで、こんな道路、普通に考えて走りたいなんて思わないよ。これじゃ日本死ぬよ。警察に殺されかけてます。
参考資料
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/about_mpd/jokyo_tokei/tokei/k_tokei30.files/ktd020.pdf