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はてなキーワード: 相互扶助とは

2020-06-17

anond:20200616112704

目の付け所は素晴らしいと思う。

宗教人間人生幸福に過ごすために「たいへん緻密に設計されたシステムである

宗教がの有益さはこれまでの人類史を振り返れば明確であろう。

これまでの人類歴史の上で宗教が大きな役割果たしてきたのは、過去の人々が宗教家を名乗る詐欺師どもにいいように騙される無知蒙昧ぞろいだったから、だけではない。

宗教個人幸福に過ごすうえで、また集団が協力して社会を営んでいく上で少なくない利益をもたらすがゆえに、広く人類文化圏に受け入れられ、成長してきたのだ。

宗教が軽んじられがちな現代において、その有用性に着目した元増田視点は鋭い。

ただ、悲しいことに元増田認識は甘い、と言わざるを得ない。特に次の一文が元増田認識の甘さをよく表している:

宗教からあやうさとか搾取性をとって、支え合いとか張り合いの部分だけ残すことってできないんだろうか

おそらく、元増田のいう「あやうさ」と「搾取性」というのは以下のような定義で表せるものだと推察する (違っていたら教えてくれ)


これらは宗教の「非科学的」で「非合理的」な活動批判する上でよく槍玉にあがるトピックだが、宗教団体の中核をなすものであり、決して欠くことのできないものだ。

なぜなら、これらは宗教団体団体として活動継続する動機であり目的となるものからだ。

元増田言及しているように、宗教団体所属することの現実的メリットの一つは相互扶助活動だ。お互いがお互いの張り合いとなり、物理的また精神的に支えあうことだ。

当たり前だが、相互扶助活動継続するためには「団体」が「団体」であり続けなければならない。

「あやうさ」も「搾取性」もない宗教団体はただの仲良しクラブに過ぎず、簡単に瓦解する。元増田理想とするような団体が維持できるのは、「たまたまメンバー間の相性がよく、「たまたま」定期的なコミュニケーション継続できていて、「たまたま」外部から圧力さらされていない間だけに過ぎない。

そこそこ仲の良かった人たちと気づいたら疎遠になっていた、という経験したことのある人は多いだろう。

人間同士のつながりを維持し続けるためには、強い動機目的必要なのだ

2020-06-05

anond:20200605102426

これは俺の実体験なんだが、年収200万で生活を回しているうちは震災からって寄付とかできるか死ねくそが、と思っていたが、年収500万ぐらいを確保できている最近は、おお災害で困っている地域があるのかお布施するかぐらいの心のゆとりが持てている。

 

助け合う社会、じゃなくて「頼り合える社会」って言いかたするんだってさ。

まず個人に十分なパワーを与えるぐらい尊重して、それから相互扶助に参加する。

2020-05-31

anond:20200531195823

公民権運動から半世紀もたつのに、なぜ黒人貧困から抜け出せないのだろう。

アジア人だってアメリカ移住した当初は貧乏

東アジア人だけじゃなく、東南アジア人、インド人だってアメリカで一から生活基盤を築いて中流暮らしを手に入れている人が多いのに。

同胞相互扶助があるからって言うなら、黒人同士は同胞ではないのだろうか。

ヒスパニックもそういうところあるけど、数が多すぎると相互扶助しきれないってことだろうか。

2020-04-14

COVID-19 ソリューション主義解決策にならない

COVID-19の疫病は特異な歴史的コンテクストに現れました。まず、グローバル資本主義自由民主主義の折り合いをつけるには他に解決策(ソリューション)がないと30年間も信じてきた後で、人類は自らに課した昏睡状態からしだいに目覚めつつあります。状況が改善するかもしれないが、急激に悪化するかもしれないという考えにもはや誰も驚きません。

他方で、これまでの4年間、ブレグジットトランプ大統領当選ジェレミー・コービンの登場と失脚――じきにバーニー・サンダースも同じ運命をたどることになりました――といった出来事からグローバル資本主義がかなりしぶといものだということが見えてきました。世界主義から排外主義へ、ネオリベラリズムから社会民主主義へ、イデオロギーがたんに変わるだけでは、社会的経済的な諸関係は変わりませんでした。資本主義の完全な作り直しという課題に直面して、かつてはあれほどラディカルに見えたイデオロギーが無力で陳腐ものであることが明らかになりました。

現在健康上の緊急事態をどう考えるべきでしょうか。COVID-19の引き起こし危機世界を変えて開放する可能性に希望を抱く人は、すぐに失望することになるかもしれません。私たちの期待が過剰だというのではありません。ユニバーサルベーシックインカムグリーンニューディール政策妥当だし、まさに必要ものです。ですが、私たちは現行のシステムのしぶとさを過小評価し、また同時に、思想が堅固な技術的・経済的インフラなしで世界を変える能力過大評価しています。そうしたインフラがあってはじめて思想作動させることができるのに。

ソリューション主義国家

ネオリベラリズム」のドグマ諸悪の根源とみなされることが多いですが、このドグマであらゆることの説明がつくわけではありません。知的には「ネオリベラリズム」には似ているものの、これとはまた別の悪について、10年ほど前から私は指摘しています。それは「ソリューション主義」といいます

このイデオロギーは、ポストイデオロギーであることを標榜しており、グローバル資本主義が生み出す問題矛盾解決しながらこれを動かし続けるために、いわゆる「実践的」な、個別対応策をまとめたものを勧めます。そして驚くべきことに、こうした対応策には美味しい利益がついてくるのです。

ソリューション主義もっと有害帰結は、スタートアップではなく私たち政府がもたらします。ソリューション主義国家とは、その前の時代監視国家人間的になりつつもより巧妙化したもので、二重の使命を帯びていますイノベーションを引き起こす人々(デベロッパーハッカー起業家)は御しがたい存在ですが、これらの人々がその能力既存リソースを〔現在グローバル資本主義とは異なる〕他の社会組織を作る実験に用いないよう、ソリューション国家は気をつけていなくてはなりません。AIクラウドコンピューティング恩恵を十全に受けたいのなら、資金的に余裕のあるスタートアップを作らなくてはいけないようになっているのは、偶然ではありません。逆にそれは意図的政治的努力の結果なのです。

その帰結。非商業的なしかたで社会を編成する制度を生み出す可能性があり、既存体制転覆するおそれのある試みは、頓挫する。そういったものは胚子の段階で殺されます。そういうわけで、ウィキペディアの流れをくむ団体はもう20年以上現れていません。とにかくデータが欲しい多国籍企業世界を完全にデジタル化してゆく時代に、国家自分の分け前を手に入れようと目論んでいます監視が完全に行き渡ったことに加えて、企業世界デジタル化してきたことで、諸国政府市場を利するかたちでソリューション主義的な数々の介入を進めることができるようになりました。

ナッジ (nudge)の技術ソリューション主義の完全な実践例です。ナッジのおかげで、問題の原因は変えないまま、取り組みやす作業の方に集中することができる。それは、個人の行動を不可変の現実(それいかに残酷現実であっても)に「合わせる」という作業です。

ソリューション主義者のみなさん! COVID-19はソリューション主義国家にとって、9/11テロ監視国家にとって持っていたのと同じ意味を持っていますしかし、ソリューション主義民主主義的な政治文化に対して示す脅威は、〔監視国家よりも〕陰険はいわないまでも、より微妙ものです。

COVID-19の危機にさいして中国韓国シンガポールがとった独裁主義的な戦略評価されました。3国ともに、市民が何をしてよいか、してはいけないか決めるために、アプリドローンセンサーの展開をトップダウンで決定しました。西洋民主主義的な資本主義擁護者を標榜する人たちは予想通り、すぐさまこれらの国を批判しました。

エリートの臆見をもっとも雄弁にうたう詩人たるユヴァル・ノアハラリがファイナンシャルタイムズコラムで表明した代替案は、シリコンバレープロパガンダマニュアルからそのまま出てきたようなもので、知識によって市民自律的にしよう! というものでした。

人道主義的なソリューション主義者はみんなに手を洗ってほしいと思っています。それがみんなにとって、社会にとってよいことだと知っているからです。中国政府暖房電気を切るぞと脅したように、みんなを力ずくで束縛するよりは、そのほうがよいと思っているのです。このような言説は、政治アプリ化〔アプリ市民監視し行動を制限する方向性〕にたどりつくだけです。手洗いの奨励をめざして作ったアプリがその人道的な見地によって報酬を受けたとしても、そうなるのです。

認知行動的な介入によって市民自律的にしようというハラリの呼びかけは結局のところ、キャス・サンティーンリチャード・セイラー代表されるようなナッジ擁護者が推奨するステップとたいして変わりません。こうして、過去数百年で最大の健康上の危機への政治的対応は、石鹸や手洗い槽の自販機というかたちで「実践的な」言説に還元されてしまます。これはサンティーンセイラーが〔共著の『ナッジ』で事例として紹介しているアムステルダム空港の小便器の形をめぐる思考〔小便器の底に蠅の絵を印刷するというナッジにより、男性利用者トイレの床を小便で汚す率が大幅に減るというもの〕の系統にある発想です。

ソリューション主義者の想像の中では、あらゆる中間団体制度は、歴史と同様、政治のシーンからほぼ消えてしまったので、他にできることはあまりないのです。ハラリやサンティーンのような人たちにとっては、世界本質的に、消費者としての市民企業政府で成り立っています労働組合アソシエーション社会運動、そして感情連帯で結びつけられたあらゆる共同的制度のことをこの人たちは忘れているのです。

知識による自律化」というお題目古典的リベラリズム根底にあるものですが、今日ではひとつのことを示しているだけです。もっとソリューション主義を、ということです。だから諸国政府は、去年私が「生存のための技術」(survival tech)と名付けたもの(つまりスペクタクル(見せ物)としての資本主義が、その主要な問題を緩和しつつ続くようにするデジタル技術の総称)に大金投資するものと予期しておかねばなりません。そうやってソリューション主義国家自分が「中国の道」は採らないことを標榜しつつ、自己正当性を強化することになります

ポストソリューション主義政治のために

この危機から脱するためには「ポストネオリベラリズム」の政治必要なだけでなく、とくに「ポストソリューション主義」の政治必要です。まず、スタートアップか、中央集権的な計画経済か、といった人為的二項対立はもうやめてもいいでしょう。この考え方は、私たち今日イノベーション社会的な協力を考える仕方を規定しています

新しい政治的議論の中心となる問題は、「社会民主主義ネオリベラリズムのどちらの勢力市場で競合する力を制御できるか?」ではなく、「社会的な協力と連帯の新しいかたちを追求するうえで、デジタル技術がもたらす巨大な機会をどの勢力が活かすことができるか?」でしょう。

ソリューション主義」とはだいたいのところ、「他に選択肢はない」(There is no alternative)というマーガレット・サッチャーの有名なスローガンを応用したものにすぎません。このようなロジック残酷実践できるものではないことを、左翼思想家は過去40年間にわたって明らかにしてきました。とはいえ、〔このサッチャー的なロジックが〕破綻していても、政治的権力を持つようになるうえで支障はなかったのです。結果的に、私たちの暮らす技術的な世界は、市場支配する世界秩序を逸脱するような試みはぜったいに制度化されることがないようにできています私たち議論輪郭〔つまり議論の組み立て方〕そのものが、そのような〔逸脱の〕可能性を排除してしまっています

COVID-19への技術的な対応策を考えるさいに直面する困難は、ポストソリューション主義的な政治方向性私たちにどれほど必要か示していますイタリアのような国では――私はローマで外出制限の3週間目に入るところです――提案されるソリューションは酷いほどに野心を欠いたものです。私生活公衆衛生あいだで妥協点をめぐって議論が繰り返されており、さらには、これはハラリが示した方向性に従うことですが(「反抗または生存」を参照)、「生存のための技術」を使ってスタートアップイノベーション引き起こしやすいようにしなくてはいけないという議論になっています

他の選択肢はどこに行ったのかという疑問が浮かぶのはもっともなことです。なぜ公衆衛生のために私生活犠牲にしなくてはならないのでしょうか。テクノロジー企業通信事業者が作った現在デジタルインフラが、それを提供する会社ビジネスモデルにかなった利益をもたらすようにできているからなのでしょうか。

現在デジタルインフラは、私たち個別消費者として識別し、ターゲティングを行うようにできています集団の行動についてマクロレベル匿名情報提供するようなインフラ実装する努力があまりされてきませんでした。なぜでしょうか。そのような〔匿名データ分析をする必要について検討した政治的プロジェクトがなかったからです。非商業的なしかたで社会を編成する形態の中でも、とりわけ〔社会主義的な意味での大規模な〕計画ネオリベラリズムが用いる手法ではなかったからです。社会民主主義を信奉する人たちのなかでも、そのような手法を用いるべきだと主張する人はいませんでした。

現在デジタルインフラは残念ながら個人が消費活動をするためのインフラであり、相互扶助連帯のためのインフラではありません。デジタルプラットフォームと同様、現在デジタルインフラは、アクティヴィズム、人の動員や協力といったさまざまな目的に使うことはできますが、そのような使い方は、たとえそう見えていなくても、高くつくことになります

ネオリベラリズム的でもなくソリューション主義的でもない社会秩序の基盤としては、これはじつに脆いです(さらにこうした基盤には、消費者スタートアップ起業家とは違う働きをする人が必ずいなくてはなりません)。アマゾンフェイスブック、あるいはあなたがお住まいの国の通信事業者提供するデジタル基盤のうえにこの新しい秩序を建てる誘惑にもからますが、そうしてもろくなことにならないでしょう。それは良くてソリューション主義者が跋扈する新しいフィールドになるか、悪くすれば、監視と抑圧に基づく全体主義的で押し付けがましい社会となるでしょう。

この危機事態権威主義的な体制よりも民主主義がうまく収拾できると熱く説く声が、左翼方面からさかんに聞こえてきます。このような呼びかけは無意味ものに終わる可能性があります現在民主主義民主主義的でない私的権力行使にとても依存しているので、名ばかりの民主主義になっているからです。これぞ「民主主義」と考えるものをほめたたえることで、潰れかかっているスタートアップの見えない持ち分を意図せずほめたたえたり、スタートアップほどには無害でなくソリューション主義国家構成するテクノクラートの持ち分をほめたたえたりすることになります

もしこの生ぬるい民主主義がCOVID-19を生き延びることができるのなら、私企業権力から完全に自由になるためにポストソリューション主義の道をまず選ばなくてはならないでしょう。そうしなければ権威主義的な体勢への道へまた踏み出すことになります。それは「民主主義価値」、「規制機序」、「人権」について、以前にもまして偽善的なエリート支配を許す道です。

エフゲニー・モロゾフ

Covid-19, le solutionnisme n’est pas la solution

*ナッジとは、「行動経済学行動科学分野において、人々が強制によってではなく自発的に望ましい行動を選択するよう促す仕掛けや手法を示す用語」(株式会社日立総合計画研究所

2020-04-07

anond:20200407004819 現代では身内との縁を切るのは不可能です

縁切れと言う人多いけど。

江戸時代なら遠くに逃げれたかもしれないけど、現代役所データが繋がっているので、たとえ北海道から沖縄に逃げても身内のトラブルには最終的にこちらに連絡がきてしまう。

場所の追跡も簡単にできる。

移動も簡単にできる。

あちらが生活保護申請すれば自動的役所から扶養依頼がくる。

縁を切れるのは、相手がまともで去る物を追わない場合だけ。

狂気の身内と縁を切るのは不可能システムになってる。

言葉の通じない外国移住するぐらいしかない。お金もかかるし日本での生活を捨てるのは簡単ではない。

増田のように婚約者がいたり、母もいる場合、逃げることは完全に不可能だ。

安倍政権憲法改正

家族社会の最小単位であって相互扶助せよ」

この一文は増田のような家族を更に苦しめ文字通りの殺し文句になるから問題なんだよ

2020-03-26

anond:20200326184934

死ぬのは自由だけど、あなたが生まれから受けたすべての社会福祉相互扶助金銭的に精算し返済したうえで死んでください

とかどう?

2020-03-15

カウンセラーしろ占い師しろマッサージ屋にしろ何にしろ

他人に金出して頼むと1時間6000円から

家族や友人、恋人などの人付き合いの中で解消できてたものをアウトソースするとかかる費用

いかいかは考え方によると思う

正直、面倒な友人の相手に困ったことも何度かあったので、人付き合いでの相互扶助よりは金払ってプロに頼む方が楽だなと思う

他人と関わるのはやっぱり疲れる

2020-02-16

日本人助け合い拒否する理由

日本社会は「助け合いにあふれている」と考える人は2%。

20〜30代男性4割は助け合い拒否感も

https://www.businessinsider.jp/post-207610

なんで日本人は見ず知らずの人を助ける意識が低いのか?

最大の理由は、みんな思い当たるだろうけど

「恥の意識」だよな

兄弟とか友人の世話になったり借金するのは構わないと思っても

赤の他人の助力を受けるのはみっともない

助けられる先方もそのように考えるだろう(だから相手に恥をかかせてはいけない)

また、赤の他人を助けると「ええかっこしい」「偽善者め」と見られるのが怖い

結局そういう理由相互扶助が身につかない

――ここまでは多くの人がすでに同じ事を考えてるだろう

ではなぜ、赤の他人に助けられると恥だと思うのだろうか?

***

自分は見ず知らずの老人が大荷物を持っていれば

駅までは一緒に運んでやるとか苦には思わない

以前、階段乳母車を押してる人がいたんで下から支えてやったことがある

この場合、大荷物を持った老人にも乳幼児連れの人にも何の落ち度もない

が、自分が人に助けられるのは非常に忌避感がある

学生時代新聞配達の店で働いていたが、夕刊の配達時にはたびたび

前カゴに数kg新聞を満載した自転車を上手に停車して降りられず

路上に夕刊の束をぶちまけたものである

このようなとき、見ず知らずの通行人――確実に俺より身なりの良いビジネスマンだの

臭い新聞配達員の俺に近寄るだけで可哀相な若い女性などが拾ってくれようとすると

申し訳なさの余り切腹でもせねばいけないような気分になったものであった

だって、どう考えても、五体満足な成人男性自分が、上手に自転車を停められず

自分に夕刊の束をぶちまけてるのは、言い訳のしようなく自分のせいだ

自分やらかした失敗の処置赤の他人を手伝わさせると

相手に対して感謝の念をすっ飛ばして「加害者」になったような罪悪感を覚えてしま

そしてその加害者意識を味わいたくないがために

他人に助けてもらうのはイヤなのだ

無論、地面に散らばった夕刊を拾ってくれた人は

俺のせいで被害を受けたなどとは一切思ってない「かも知れない」

が、「かも知れない」であって、本心は分からない、それが怖いのだ

***

ではなぜ、人に助けられると罪悪感や加害者意識を覚えてしまうのだろうか?

思うに、善意には返礼が必要という前提のためだろう

まり、助けられたら相応のお礼をせねばならない

実際には、駅まで荷物を運んでもらった、新聞を拾ってもらった

乳母車で段差を越えるのを手伝ってもらった……といった程度のことな

有償の返礼などなく、一言「ありがとう」と言えば済む

が、「本当なら相応のお礼(自分の失敗に起因するなら「お詫び」)」

をしないといけないのに、それをせずに他人善意を受けるというのは

たか精神的な負債借金のように感じられる

(まあ、別の機会に別の赤の他人に親切にすればいいんだが、そんな機会はいつあるかわからない)

***

要するに、因果応報とか、権利には義務が伴うとか、目には目をとか

そういう「世の中はプラスマイナスゼロの均衡があらねばならない」

という価値観が、無償人助けを「自然に反する異例なこと」のように

思わせているのではないか

***

これがイスラム圏だと喜捨の習慣というものがあり

金持ちが見ず知らずの貧乏人を助けたりすれば死後アッラーに高く評価され

逆に助けられた方も「助ける機会を作ってやった」という善行と見なされるとかい

この後段部分が重要

まり一方的に助けられることを精神的な負債と思わずに済むような

宗教文化日本には伝統的にないのだろう

仏教渡来の初期には皇室悲田院とかやってたけど恒常的には定着しなかった)

ただまあ、この日本の「他人に助けられるのは恥」という文化のおかげで

日本では生活保護忌避する人が多く、社会保障費が安く済んでいるのは確実

悪い意味でも、世の中よくできてるよなあ……と感じるばかり

2020-01-29

イエ制度ムラ社会が悪いモノなのか分からなくなった

これらの制度文化については、個人自己決定権侵害しがちという観点でどちらかというと批判的でしたが、最近からなくなることがままあります

これらの共同体は、差別内包していたり、人権に対する制約を課していた一方で、弱者をすくいあげるセーフティネットとしての機能もあったと思います

そもそも相互扶助のために成立してきたものなので、セーフティネットとしての機能があるのは当たり前といえば当たり前ですが。

そう考えると、弱者の救済、もっと広く言ってしまえばリベラル的な目的意識に対して、イエやムラの枠組みって、もちろん各論では噛み合わない部分はあれど、手法としては普通に選択肢に入りうるのではと。

ただ、はてなざっと観測している限りだと、子育て世帯シングルマザーは救われるべき、恋愛弱者包摂されるべき、という論調がある一方、

イエやムラ制度に対しては、解体について歓迎こそすれ危機感を持つような論調はみられないように感じられます選択夫婦別姓の件とか見てても特に

これは乱暴に言えば、「セーフティネット解体」と、「弱者包摂」を同時に主張する矛盾とも言えるのかなと。

もちろん、弱者包摂もっと良い手段で実現すべきだ、という発想が前提なのでしょうが、そこに例えば家制度改善と維持(差別を軽減し、相互扶助機能を維持するような方向性)が選択肢として挙がってこない(ようにみえる)のは、何故なのでしょうか?

意見もらえると嬉しいです。

---

個人的にはイエ制度ムラ社会については、母と姑との関係性や父が地域社会で苦労していたのを見てきた経験から、良い印象は持っておらず、手放しになくなればいいと思っていました。

ただふと、リベラル風を気取っている割に、セーフティネットの一つを捨てることに手放しに賛成してたんだなあと気付き、こういった増田を書くに至った次第。

2020-01-26

家族制単位相互扶助って悪いことなん?

途上国って社会保証ない代わりに、家族での相互扶助を大切にしてるじゃん

誰かの生活たちいかなくなっても家族がいる

から子供をたくさん作る

少子化とは無縁

一番の少子化対策じゃん

家族単位相互扶助解体して、生活行き詰まったら国が支援するとなると

みんな安心ではあるけど、家族を作ろうとは思わないよね

一人でも生きていけるんだから

ひょっとして社会保証については発展途上国を見習うべきなんじゃないか

間違ってるなら、論理的反論よろしく

選択夫婦別姓がなんでこんなに騒がれるのか分かった

そんなもんどっちでもいいだろと思ってた

名前変えるのが嫌なら、パートナー自分名前結婚してもらえばいいだけやんけと

両方変えたくないなんてそうそうないだろうし

面倒くさいとか言い出したら、結婚自体糞面倒くさい制度だし

ただ、名前をどう名乗るかなんてのは表面的な問題だった

要するに本質は、父権的な家族制度を壊したい勢力とその家族制度を維持したい勢力との前哨戦だったんだな

そりゃ自民は維持したいだろ

家族単位での相互扶助社会保証の基盤にしたい人たちなんだら

また、政治チャンバラごっこかよ

野党はそんなチャンバラやってないで本質勝負しろ

父権的な家族制度を単位とする社会制度を壊しま

これでいいだろ

2019-11-23

バーニングマン行った女友達

バーニングマンってお前ら知ってる?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%B3

アメリカ砂漠相互扶助で暮らす祭りイベント

それ行ってきた女友だちが散々バーニングマン凄く良かったって褒めたあとに彼氏無職でどうのって愚痴り出して笑いが止まらなかった

あと今調べたら入場有料になってたし商業感高めっぽかった

https://en.wikipedia.org/wiki/Burning_Man#Timeline_of_the_event

2019-10-16

武蔵小杉タワーマンション騒動青山での騒動を見て思うんだけど

海外とかでさ、ゲーテッドシティとかあったり、すごいところでは金持ち同士が武装して自警団作って自治するぞ!って話になるじゃん

アフリカとか東南アジアでも、みんなで弓矢や槍持ち込んだりしてお互い持ち回りでパトロールとかそういうの始めるってドキュメンタリーとか見てたらよく見かけるけど

日本ではそういうの全っ然聞かないよな。

それどころか、ウンコ禁止令だとか利他的意見をいった住人を排斥しようとしたり、ウンコ人狼ゲーム初めて内ゲバとか始めだしたり醜く争い始めるよね

海外成金って成金どうして結構相互扶助でつるむけど、日本人の場合はなぜか内ゲバ始めるけど、これって国民性なんだろうか?

そういう人らとなんて出会たことないのでわからんが…

2019-10-14

自己責任論者は愚かではない

 ホームレス避難所に入れないという行政選択に対して、行政が正しいと言う主張をする際に「自己責任である」という言い方が目立つ。

 これに対する反論として「自分がそうなったときに助けられたりはしないのか」「怪我をしたり働けなくなったりしたらどうするのか」「障害を負ったりしても自己責任で済ますのか」というような、相互扶助社会福祉的な内容がスターをかき集めている状態だ。

 私個人は、生き延びるだけのスキルが少ないため、自分が助けてもらえる意見には賛成する。

 ただ、率直に言えばそうした主張は現代日本自己責任論者には決して届かないだろう。

 彼らは「そうなったら誰からも助けてもらえない」と確信しているから。

 生活保護受給者批判するのも、自分がそうなったときには「生活保護なんて残っていない」と思っているし、災害になって自分怪我を負ったりしたら見捨てられると確信している。

 それならば助け合えば、という意見は彼らにとって「ご尤も」だが、そもそもこれからの縮小の一途をたどる暗い未来において、助け合いという方法が残ることを(少なくとも双方に利益が少ないものについては)期待していない。

 経済縮小が進み、過去に類を見ない退廃が待っている現代日本においては、囚人のジレンマ無限繰り返し式によって起こるのではなく、自分(余裕があればその家族)がその瞬間に生き残れるかどうかという、一回きりのゲームしかない。

 だから、彼らは他人を助けることによって自分が得られる公共利益がない以上、排除することに抵抗はない。むしろ社会的リソースを奪う相手積極的排除し、自分が得られる数少ない利益を最大化することが求められる。

 ホームレス社会的弱者を見殺しにすることに抵抗は少なく、むしろ排除して税金自分たちに配分されることを必死に求めている。自分たちが生き残るために。

 だからこそ彼らは「そんなこと言ったってお前らも助けないんだろ?」と反論する。

 発言する貴方達が彼らを助けてくれないし、そして自分を助けてくれないことも知っているから。

 自己責任論を唱える人間は、決して愚かなのではなく、これから社会適応している、むしろ時代を先取りしている思考様式であると言えるだろう。

 それが、現代思考様式から見て到底倫理的でないとしても、封建制奴隷制のような過去思考様式倫理的でないと見えるのと同じでしかないようにさえ思う。

 むしろ、これから時代を生きる若者たちは、助け合いを叫ぶ人たちを追い詰めることに、ひとかけらの呵責も覚えないのではないか

2019-08-30

anond:20190830001654

オタクってなんで純女を巻き込むのかな。

Twitterとかで女のアニメアイコン使うなら、自分女装すればいいのに。

それで、女装オタク同士で相互扶助すればいいのに。

2019-07-28

年金すら払ってこない障害者は切り捨てるよね

この国に何も貢献する気もなく、ただただFREE RIDEし続けてきた連中が手足を失ってから慌ててけを求めてきてもさ、アリさんも苦しいかキリギリスさんは死んでねごめんねだよね。


そもそも国家っていうのはさ、共同体であって、相互扶助システムなんだよね。

人知を超えた場所から人を支配する神様とかじゃないからさ、お互いに支え合う気がない人はさ、いっそ死んでくれて構わないのよね。


これが、これまで既存政党を支持してきた国民の考えだよ。

別の考えがあるなら自分達が立候補してそれを示して、自分達が投票してくれば良かったのにやらなかったんだもの

2019-07-10

anond:20190710230233

相互扶助の元に成り立ってるもんだから

独立独歩で生きてるつもりなのかも知れないけど、お前が生きるその土台やインフラを作り上げた人達がいるって理解しないでここで他人を蔑むような発言ばかりしているから。

2019-07-03

anond:20190703090627

憲法なんて変える気まんまんやろ。

自民党改憲案第24条の「家族による相互扶助」の明記(&国家による保護は明記しない)は、社会保障削減への明確な意思表示やで。

この問題国民が考えなくて誰が考えるんや。

国が考えてくれる?

あのなあ。都合の悪い「国民」を切り捨てようと「国」が動くのを止めてるんが憲法役割なんやで。それを、国の都合のいいように改憲しようとしてる連中を信じるのは君の勝手やけど、少なくとも「国民の考えることじゃない」、は無いと思うわ。

2019-06-19

弱者男性が救われる唯一の方法

それは弱者でなくなることです。

相互扶助では弱者のままだ。

だが、強者になればもはや弱者ではない!

 

では、強者になるにはどうすればいいか

やはり圧倒的にオススメなのは筋トレだよねー。何しろ必ず効果が出る! 金持ちになるには生まれ育った環境が欲しい。頭が良くなるには遺伝素養が欲しい。だが筋肉はほぼ誰にでもある!

根気が続かない? いやいや、精神力も鍛えられる! むしろ筋トレによって精神力が鍛えられるまである! たぶん脳神経的なあれで、頻繁に使えば効いてくる作用がある。

 

弱者が辛いなら、強者になるべきだ。

この単純な理屈回帰せよ!

たぶんお前らは、フェミニズムを憎んでいるのに、そのレトリックに囚われている。レイプされる女に身体を鍛えろとか言うのは無理があった、そうだろ? だから救われるには身体を鍛えろ、とかは禁句になっていた。

から女よりKKOの方が救済されるべきだろ、となったときフェミニズム理論をそのまま引っ張ってしまったんだ。もはやお前らに筋トレして強くなれと言ってくれるやつはいない。

だがフェミニズム以前の弱者男性は救われていた!「男だろ、泣くな」という言葉によって弱者でなくなる道へと常に誘われていた。

取り戻せ!それを!三島由紀夫キチガイだったかもしれないが、たぶん弱者男性ではなかったし、お前がキチガイじゃないならだいたい大丈夫だ!

2019-06-06

anond:20190606193933

しろ

経済が落ちぶれて

社会福祉を一切なくした方が

人は家族相互扶助自分たちを守るようになるから出生率は上がる

社会福祉の充実と出生率の上昇は負の相関関係がある

2019-05-20

anond:20190520150139

ポスト自由主義は、自己他者自由尊重する社会的公正を指向する思想体系のことをいう。性的な分野での自由を主張する近代自由主義(モダンリベラリズム)とは異なり、それが人々の自由をかえって阻害するという考え方が根底にある。現代において個人自由独立した選択実質的保障し、極度の恋愛的、性的は貧富差における個人社会的自由侵害する偏見差別などを防ぐためには、政府による制限や介入をなくしたりするのではなく、政府地域社会による積極的な介入も必要であるという考えに基づく。

「公正」とは、ジョン・ロールズによれば「立場入れ替え可能性の確保」を意味する。これは人々に「社会のどこに生まれても自分は耐えられるか」という反実仮想を迫るものであり、機会平等と最小不幸を主張する。ロールズ格差原理では、格差ないし不平等存在は、それをもたらす関係につく機会が平等に開かれており、かつ、それによって社会で最も不遇な人々の厚生が図られない限り、その存在は公正ではないものとされている。

よって、ポスト自由主義積極的自由に基づく自己決定を推奨し、国家による性の再配分または地域社会による相互扶助肯定する。すなわち、市場原理主義では経済的容姿的、コミュニケーション強者利益を最大化する一連の行為のために、少子化問題構造貧困介護問題などさまざまな弊害社会問題が生じ、それは近代自由主義の「意図に反して」人々の社会的自由をかえって阻害しているとし、近代自由主義修正する思想である


階級間の融和不可能対立中央集権的な統制を是認しない一方で、近代自由主義者のように自由競争が市場における「神の見えざる手」のように最大多数の最大幸福自動的に実現するとは信じず、政府によって、各人の社会的自己実現をさまたげ、市場社会における相互欲求最適化や調整のメカニズムを阻害する過度の集中や不公正などの要因を除去することが、まさしく「自由」の観点から言っても必要だと考える。

なかでも○○は「自由放任の論拠とされてきた形而上学は、これを一掃しようではないか。持てる者に永久権利を授ける契約など一つもない。利己心がつねに社会全体の利益になるように働くというのは本当ではない。各自別々に自分目的を促進するために行動している個々人は、たいてい自分自身の目的すら達成しえない状態にある」と述べ、アダム・スミスに由来する「見えざる手」に信頼する自由放任論からの脱却を求めるとともに、具体的には不完全婚姻均衡からの脱却のための人口政策が、政府によって実現されることを求めた。

anond:20190519194550

遠い親戚でもなんでも、なんらかのコネがあれば、現金経済の外枠で相互扶助が働くので、低収入でも豊かにやっていける。

デイトレとかで月15万も稼げれば余裕。

2019-05-19

同性婚に関する自分意見まとめ

anond:20190519154156

便乗して、自分の考えをまとめてみる。

前提として、国の制度としての結婚は、国が管理やすい枠にはまって義務を負う代わりに、税金優遇などが受けられる制度という程度の認識で、あまり神聖ものと思っていない。

制度としての結婚

国として、人口増を見込める異性婚を推奨するのであれば、税金優遇における結婚という制度は異性婚に限られても仕方ないのではないか

もちろん、それとは別に同性カップル幸せに暮らせる制度が作れるなら、あったほうが良い。

言葉としての結婚

同性カップル関係性を表現するために結婚という言葉を使うなら、制度としての結婚混同しない前提でだが、現状でも同性で結婚したと表現するのは自由

婚姻届を出さなくたって結婚式は挙げればいいし、私たち結婚しましたというポストカードを知り合いに送るのも自由

同性パートナーがお見舞いに行けない問題

これは解決すべき。

ただ、既存結婚という制度同性カップルを含めるのか、同性カップル向けの制度を作るのか、2つの選択肢があるが、上記の点を考慮すると後者を新設したほうがいい気がする。

そもそも、見舞いに関しては同性カップルだけじゃなくて性的関係にない単に仲のいいおっさん同士とかでも行けるようにしておいたほうがいいと思う。

全くの他人同士でも相互扶助義務を負った関係性を登録すれば、ある程度税金優遇するような制度があってもいいんじゃないか。

そういう関係を認めたほうが、国の介護支出とか生活保護とかが減ってトータルの国の支出が抑えられたりしないかね。

相続

国として異性婚推奨なのであれば、異性婚関係とそれ以外で税額に違いがでるのは仕方がないか

一方で異性婚と差はつけるにしても、生計を一にしたおっさん同士が全くの他人より優遇されるような制度があっても良いと思う。

anond:20190519180144

キモくてカネのないおっさん同士が、せめて寄り合い所帯的に相互扶助して僅かな税控除を求めて偽装結婚

というのすら認めないのか

やっぱ世の中キモくてカネのないおっさんはとことん厳しいや

anond:20190519161543

マジレスすると、結婚相互扶助強制する仕組みなので

結婚している人が増える事は(子供の有無関係なく)社会的メリットはでかいよ。

独身者が困窮したらその独身者扶養できる親族がいない限り公的扶助するしかないが、

結婚してるならまず配偶者扶養義務が発生するからね。

大体税金負担が増えるってのは扶養控除を想定してるんだろうし、それだと元々片方が片方に扶養されている前提だろ。

それでそいつらが結婚してないただの同棲カップルなら別に扶養義務は無いしいつ別れるのも自由だし、

別れた後に被扶養者が自活出来ないなら税金使って生活保護でも受けさせるしかないわけだ。

事実婚ってのもあるけどややこしくなるから置いておく)

でも結婚していたら扶養義務があるから、例え扶養者と被扶養者の仲がこじれようと

離婚が成立しない限り扶養者は被扶養者を扶養し続けなければならない。

結婚ってのはそういう強制力を発揮する仕組みだ。

その義務により節約できる税額と比べたら扶養控除なんざ安いもんだろ。

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