はてなキーワード: 非合法化とは
ちんよしは比較対象にならないものを挙げるのがほんと好きだよな、議論する気があるのではなくミソジニーの俺様が女を叩きたいだけだから
普通の人間は格闘技とAVの背景の違いを丁寧に探して読み取って、社会的にあらゆる当事者にとって妥当性のある社会とは何かみたいな考え方してんだよ
そういう大所高所からものを論じたつもりになっていて実はすごく狭い世界でしかものを考えられてないのに虚勢を張っている状態に名前でもつけて、名刺の肩書きにでもして人に配って悦に至っていればいいのではないでしょうか。
AVを非合法化して、地下に潜られてより凶悪な犯罪に発展してしまうよりも、よりオープンにして契約解除の自由を当事者に与える方がずっとずっと有用だってなんで考えられないんでしょうか。
沢山書いたやで
・実名主義
80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数の社会的人格を持って経済活動する事ができた。
職場で旧姓を使い続けても問題無かった。1986年に米国でマネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。
MDMAが非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。
心臓発作を惹起する為に規制。m.o.v.e.のmotsuが所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。
90年代のクラブではマリファナは普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙で景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員も米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。
・式場での結婚式
1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式、キリスト教教会一般的。
団塊世代のロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻の自由は憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手と結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。
団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。
古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。
1990年頃まで日本人の公共空間でのマナーは先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。
・外国で旅の恥をかき捨てない
かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本人旅行者(特に団体)は眉を顰められる存在だった。
遺跡に名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクターに痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。
これを西洋は宗教倫理の文化で日本は恥の文化、共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。
電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。
この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年頃から段階的に廃止された。
森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバのIIS(インターネットインフォメーションサーバー)サービスでHPを提供していたため。
終業時間になるとサーバとルータの電源を落として帰っていた。サイトの作成は役人の趣味みたいな感じで作っていた。
1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタはパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。
駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口に100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。
民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。
90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両とタクシーの客待ちで二重駐車になっていた。
2000年頃から増える。警察が路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。
和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習。
家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員と交渉で決めるという風になった。この為に店員は電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。
客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。
バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎(1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機と建物袖看板の道路使用料徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。
これに対応して既存機の撤去とスリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。
以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフ、リセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。
2006年ころに一世を風靡したネットブックでSSDが一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。
嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局、銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。
当然平日3時までしかやっていない銀行に会社員が行けるわけがない。
そこで振り込みの為に仕事を中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅。
18才は未成年で飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。
ゼミの飲み会で普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。
・線路を歩かない
都電やローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関が線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。
90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故が連続し、その後厳しくなっていった。
初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキーは酩酊するからダメ」と書かれている。
・小銭を所持しないで外出
1000円札の読み取り装置が一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道の券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。
この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。
1989年の消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉は公共料金以外殆ど使われていなかった。
・個室
和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。
・個人
家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員のプライバシーに踏み込む」という感覚が余りなかった。
「会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。
ウオークマンは街で個人的空間に浸るものだとして批判の対象になった。個人主義はそれ自体が罵倒文句だった。
全共闘運動はあらゆる権威を攻撃し、大学の知の権威というものも破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態が継続。やがて学生は脱政治化したが大学や学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。
90年前後の大学改革でICUや上智の比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり、学生が勉強するという当たり前の状態が復活した。
この為に卒業年1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。
・様々な塩製品
塩は国家専売品だったので専売公社の製造する塩以外の岩塩、ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可と標識の掲出が必要だった。
・「メイド喫茶」などの語
「メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制や階級制の象徴のような職業であって、戦後の身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤が一般的な「雇用」となった。
一周回ってメイドの構造が過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。
・キャノーラ油
キャノーラ油の原料は菜種。
米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。
米国で生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。
過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法が改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。
1991年に大店法が改正されるまではデパートの閉店時間はPM6時、スーパーの閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。
基本的に地元の商工会の意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正が商店街の全滅に繋がった。
・生ビール
ビールは酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール。
この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。
1970年代末にサントリーがフィルターで酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。
だから地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品の生ビールはサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。
バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。
それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。
これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導の対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。
1990年から。1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業の有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去。札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的。
1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。
冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまち、ひとめぼれが席巻するようになった。
駐車違反にバイクと車の別はないが、バイクの駐車違反は2006年まで摘発されていなかった。摘発を民間に委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗に駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。
・大学生の専攻無し
学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行や福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から。
自閉スペクトラム症の症状がめちゃくちゃ改善するみたいな触れ込みで、それこそ鳴り物入りみたいな感じで臨床試験やった結果、
ってなんだよ。
ほとんど効かないという結果は驚きだけど、結果に対するブコメにもあった通り、そもそもASD当事者の脳のオキシトシン受容体の量が少ないのだとしたら、こういう結果になるのも無理はない。
「バカに付ける薬は無かった」とか厭味ったらしいブコメがあったが、皮肉としてはまあその通りかも。
そうなるともはや、脳に過剰な作用をもたらすような、かなり強力な薬物も検討しないとダメってことになる?
例えば、「エクスタシー」とか「ラブドラッグ」なんて呼ばれてるMDMAとか?
使うと溢れんばかりの多幸感で超ハイになって、夜の営みもキマりまくるとか言われるアレだ。それを利用してPTSDの治療にも使われてる国があるなんて話も聞くし、一応ASD向けにも研究はされてるらしいし。
とはいえ、このクスリは日本のみならず世界中で非合法化されている向精神薬な上に長期の使用で耐性がつく(=次第に同じ量じゃ効かなくなって、最後は過剰摂取で死ぬ)らしいから、実用化はほど遠いだろうけどな。
てか、そんな奴いないと思うがマジでダメゼッタイだぞ?使った結果どうなっても知らんってことで。
そんな事を思いついたくらいには、残念な結果だった。
仮想通貨をめぐる情報はアフィリエイトと仕手筋が入り混じりクソを煮詰めたがごとき肥溜めになってしまっているので、
損得抜きに「仮想通貨取引とはこういうものだ」という実感を書いておく。
通貨のコンセプトを読んで、「ユースケースは?スケールする?技術的課題は?」といったことがパッと頭に浮かぶやつが適している。
むしろ株取引に慣れた金融出身にはアドバンテージがないと考えるべき。
別に遅くはない。
ただし暴落する可能性もあるので遊べる金でふわふわするぐらいにしておけ。
やめとけ。 ツルハシを売る業者とツルハシを振るう業者が一方的に儲かるように整備されたクソ通貨。
最初に作られたという以外に特徴がない。近いうちにイーサリアムかリップルに抜かれる。
他のコインの購入は基本的にビットコイン建てで行われるという不幸な状況だから。
例えばどこかの取引所がイーサリアム建てで買えるようにした瞬間に、ビットコインの価値は大暴落する。
暗い。最近はマイニング不要の通貨とか、そもそもブロックチェーンですらない通貨が作られだしている。
まず少しでいいからブロックチェーンを勉強しろ。今国内で買えるヤツで挙げるなら↓だ。
一年忘れることが難しいなら、とりあえず買ったあと値動きを見ろ。
そして気の向くままに情報を漁れば良い。
取引所が破綻するリスクがあるので、万全を期すならハードウェアウォレット買って入れておけ。
90%は詐欺。9%は技術不足で沈没。0.9%は開発されるけどスケールしない。
もしあなたがエンジニアなら、その通貨のホワイトペーパー読んでみ。あまりのクソっぷりに失笑するから。
それでも買いたければ買えばいい。
すでにその通貨を仕込んでいる連中が叫んでいるだけ。
他の人が釣られて買うことにより値上がりを待ち、売り抜けをする愚劣なカスどもだ。
リップル。20円のころに200万買って、いまは3200万に化けた。
SBIの北尾が全力でSWIFTを奪りに行っているので、あと二年は寝かせる予定。
ごもっとも。ただ、正しい技術にお金を突っ込むのは投機ではないと思う。
「買うのは企業、株ではない」とバフェットも言ってるだろ。「買うのは技術、仮想通貨ではない」のだ。
その仮想通貨が提案する未来を信じられるなら、金を入れろ。短期で売るな。寝かせろ。
エンジニアが儲けを出しやすい特性もあるし、現状クソ通貨をクソだと言える人が少ないため他の人にももっと入ってきて欲しいと思っている。
90年代の前半から援助交際がブームになり新宿などには東南アジアの売春宿のような「デートクラブ」というものが存在し
そこは入って女の子と話すだけならタダなので年中いっていたのだ
デート成立で店に5000円払い女性には1-3万払っていたと思う
当時は女子高生がかけてくるのが一番多かったと思う
当時本当に援助交際が流行っていて例えば6人の女子中学生が電話してきて度胸試し的にそのうち5人がフェラするから2万5千円くださいというようなオファーもあった
もちろん援助交際は当時買う側は(東京では)合法だった(売る側は検挙はされないが一応非合法)
97年以降非合法化したので
若い子は好きだがべつに女子中高生に拘りはなかったのでそれ以後18歳以上の娘に限定した
現在は年取ったので風俗しか行ってませんが風俗も10代の可愛い子がたくさんいるのでべつに最初から風俗でも良かった気がするが当時は援助交際女子との駆け引きが面白かった気がする
12000人はとんでもないが当時は百人くらいと援助交際するのはそれほど珍しくなかったのではないか?
一人に30000円使ったとしても100人で300万で車一台分くらいだし
数年前まで「パチンコよりはましだし、いいんじゃない」の意見は明らかに少なかったと思うよ。いざ合法化が動き出したら「まあ、パチンコよりはましだし、いいんじゃない」となってる、前からそう思ってたみたいに。
なぜっていったら、もうそうなってるから、既成事実化しているから。でも、今日本にパチンコ屋が存在してないと仮定して、これからパチンコ合法化しようってなったらみんな反対するでしょ。その感覚。
それなら大麻合法化がいざ本当に議員が動き出したら「まあ、タバコよりは害少ないみたいだし、いいんじゃない」に容易に変わりうると思う。
あまりに日本人は現在の大麻を巡る状況に関する意識が低すぎる。
今どの程度の国や地域が大麻合法化しているか知っているだろうか。
嗜好用マリファナは2012年にワシントン州、コロラド州、2013年にはウルグアイで合法化されているが
エイズ、ガン治療の吐き気、鬱病、慢性腰痛などを抑えるのに用いられる医療用大麻は、
今週ニューヨーク州で合法化され、現在ではアメリカの23州ならびにワシントンDCで合法化されている。
医療用大麻が合法あるいは非犯罪化されている国はカナダ、ドイツ、ベルギー、チェコ、オーストリア、オランダ、イギリス、イタリア、スペイン、フィンランドなど20ヵ国以上にものぼる。
恐らくこの事実を知らなかった人の方が多いだろう。あるいは、それを日本で実現すべきかどうかなど考えもしなかったという人の方が多いだろう。
機会費用の考え方でいうと、我々日本に住む日本人は大麻を厳罰化することで何かを得ると同時に、何かを捨てていることを意識しなければならない。
日本は医療用大麻を認めず、また大麻所持に対し欧米に比べ非常に厳しい刑罰を課している。
大麻使用の違法を続けるにしても、そのことから何を得て、また何を捨てているかを認識した上で非合法化を続けるべきだろう。
治安、ハードドラッグへの入り口としての防止、労働意識の低下要因の排除等などが我々が大麻を非合法化していることで得ているものとして一応挙げられるだろう。
では、一方そのことで何を捨てているだろうか。
医療用大麻を使用することによって癒やすことのできる病気の苦痛さを、それが損ねるクオリティ・オブ・ライフを我々は選択的に捨てている。
大麻を吸うことによって癒やされる鬱の苦しみは科学的に証明されているが、大麻を吸うことで確実に減らすことのできる自殺者を我々は選択的に犠牲にしている。
医療用大麻を合法化すれば3000人は自殺者が減るのではないだろうか。うつ病患者も1,2割減るのではないだろうか。そうであれば、救えるはずの彼らを今我々は選択的に犠牲にしている。
本当にそれだけの数が減るのか分からない。なにせ、それを確かめるには医療用大麻の科学的実験と議論が必要なのだから。それなら、まずそれだけでも日本で始められないだろうか。
僕がガン治療で苦しむまでのあと何十年か後に状況は変わっているだろうか。
また池袋など度重なる事故で注目を集めている脱法ハーブだが、その報道は「危ないドラッグですね。いけないですね。法律を変えないと」程度だが
そもそも、これはなぜ流行っているかといえば大麻所持の刑罰が重いのがその一因ではないだろうか。
「脱法ハーブなんてやる奴が悪いんだから、どんどん取締りを厳しくすればいいし、大麻がどうとか関係ない」という理想論は分かるが
現実的にドラッグで気分を軽くしたいという一定層は変えることはできないし、大麻を厳罰化している結果、皮肉にも彼らはより危険な脱法ハーブに流れていることに目を向けるべきだろう。
脱法ハーブは当局とのイタチごっこが続き、どんどんよく分からない混ぜ物も増えていっているし、脱法ハーブを吸った結果の事故は増える一方だ。
大麻所持の厳罰化として僕らが得ているものの一つとして、脱法ハーブの蔓延、その結果としての事故があることは意識するべきだろう。
なにせ日本では大麻で捕まったら重犯罪人扱いなのだから、やる奴は健康上リスクがあるが刑法上リスクのない「脱法」のものをやるに決まっている。余談だが、小山田壮平はその点でダサい。
いや、大麻を吸って捕まれば、CDが店頭から回収される国だからしょうがないのかもしれない。
オバマが学生時代吸っていたなどと公言するなどアメリカを始めとする欧米と日本ではあまりに大麻に対する意識が違うし、そもそも日本では議論すら始めるのも困難だ。
日本では、我々が何をよしとして、何をよくないとするのかを意識的に決めていく、あるいは決めていくことができるという感覚が欠如しているように個人的に感じている。
同姓愛結婚にしても、日本では否定的に感じる人は比較的少ないのに、それが実際に法制化されることはない。「お上が決めることだから」だろう。
我々が共に行きているこの社会を「どう作り上げて、維持し、その社会の中でこの生を生きていく」という感覚がないのだ。それはいつの間にかできあがっている。
同姓愛が法制化される動きがないのは、いま法制化されていないという事実があるから、それだけだ。大麻に関する議論も同じように感じている。
僕は日本の常識というのは簡単に変わると思っている。一旦、既成事実化してしまえば、それは簡単に常識になる。
カジノ合法化を見てほしい。この前までは「カジノなんて日本には合わない、ありえない」という感覚をほとんどの人が持っていたはずなのに、
議員が動きだして、実際に法制化の話が動き出したら「ああ、そうなんだ、カジノ作るんだ」という感じで、恐らく法律は通るだろう。
だから、ヒッピー崩れが大麻の効用を訴えても状況は変わらない。今や「欧米ではこうしている」は利き目がないので、レディ・ガガやブラピやリアーナが大麻を吸っていようと大した効果はないだろう。
ワイドショーで自民党議員と教授と医者がなぜ医療用大麻を日本は合法化しないのか、日本では古来からうんぬんという感じの議論を始めるまで、日本の大麻に関する常識は変わらないのだ。
それまで、僕はアメリカへ旅する度に、友人の家で大麻を楽しむしか方法はないのだ。
村上春樹の言うように、日本では大麻を吸うリスクが高すぎて、それを犯してまで吸うものではないからだ。
だけど、これが合法化されれば、ずいぶん人生を楽に生きられる人がいるだろうになとその度に思うのだ。そして、脱法ハーブなんかよりもずっと安全なのに、と事故を伝えるニュースを見ながらまた思ったのだ。
「復讐のポルノ」を非合法化 ってニュースが流れた直後に東京三鷹女子高生刺殺事件のことも出てきたね・・・
昔自分も撮らせてくれっていわれたことあるし、職場を見せてあげると連れて行かれてそこでしようよとか云われたことがあった。
ちょうどファイル共有ソフトが問題になってたときであとあと何かあったら困るし(その人がそのソフト使ってるとこをみてた)やましいことなくても写真に写ること自体が嫌だったので断固として断ってた。
その人自体はその瞬間瞬間はプレイの一環として興味があっただけみたいでおもちゃとかと同列の興味本位でちょっとやってみたいお願いとかされてた。
でも映像残るのは絶対に自分ばかりトラブル被るもとになるし、ひょんなことから職場の不法侵入とかならないとも限らないし、両方拒否して、Hのときは毎回こっそり荷物チェックとかいろいろして気を付けてた。(しばらくしていいかげん嫌になって音信不通にした)
おもちゃのほうはほんとにホテルとかにおいてあるようなやつを一回だけ使って、「ぜんぜん良くない、おもしろくないしもうやだ」って不機嫌に言ったら慌てて、それから云わなくなった。
おもちゃのほうはたまたまそれが合わなかっただけかもしれないだけだけど、その相手は自分の「嫌だ」を重く見たってことだね。
嫌がってるのにやらせてくれないなら別れるっていうやつなら分かれるほうが良いに決まってる。
そんな天秤に掛けるまでもない脅しをするようなやつはこれからもくだらないことでそういう馬鹿なお願い/脅しをしてくるだろう。
・片方がどうしても嫌なことはしないけど、これからも仲良くしてセックスもする
・片方がしたいことが片方は嫌だから、別れる
・片方が嫌なことに付き合わされて弱みを握られた形を含みつつ付き合いを続ける(お互いに飽きたりトラブルになったとき所有者の機嫌しだいで問題のものはどう扱われるか分からない)
嫌なことをされるほうにとってどれが決定的に良くないことかは決まってるよね。
愛してるならとか好きならどうとか撮るほうがごねるらしいけど、交渉の余地・主張の機会のある場合なら断固として、断固としてが出来ないならいろいろ考えてやめさせるしかないよね。
社会で問題になるくらい沢山発生してるということは、それが難しいということでもあるんだろうけども。
自分はこういう関係で嫌だっていうのに暴力やら脅しとかで強要されるようなことが幸いなかったから嫌なら嫌って言わないととか単純に思えているんだと思うけど、
嫌なことは嫌で拒否することが出来るほうが当たり前のことだってわかっていないと、女性だけでなく男性であってもトラブルを抱えるもとになるよね。