はてなキーワード: 上智とは
東京の姉夫婦の子供が中学からずっと私立で、長年学習塾にも通ってきたが、たいして勉強ができず、このままでは明治大学くらいにしか行けないらしい。
教育にかなりの額を投資してきたようで、盆や正月にさえ学習塾へ行かせるほどに熱心だったから、てっきりエリートコースなのだと私は思いこんでいた。だからびっくりした。
私の母校は入試倍率が1.1を切る地方の県立高校で、学習塾に通っている子はほとんどおらず、学校が受験モードになるのは高3夏の運動会の後だったが、それでも校内偏差値が50あれば千葉大学や金沢大学を狙えた。姉も私も早稲田・上智を滑り止めにして国立大学へ行った。
県立高校の学費+参考書代でその結果なので、私立学校や学習塾に投資したらどれほど勉強できるようになるかと思いきや…東京では中学はともかく高校からは私立が当たり前だそうだが…東京の小中高校生は頭が悪いのだろうか?
いや、都道府県別の成績では東京はむしろ上位だから、かけてもらった金額の割に頭が悪いというべきなのか。
https://todo-ran.com/t/kiji/12090
自分で教科書と参考書で勉強するよりも、塾の講義や参考書の方が理解が深まるのか?
教科書・参考書の著者だって工夫を凝らしているだろうに、学習塾の方が良いと思う根拠が分からない。むしろすでに理解している範囲についてまで講義を受けることになるから無駄だろう。自分で勉強しろよと思ってしまう。
元増田の主張は間違ってるで。今は定員厳密化のせいで私立の難易度はバク上がりや。ゆとり世代で多朗したが、阪大を志望したワイが ICU と上智に受かってマーチなんかは結果すら見てないワイでも、今のマーチの偏差値を眺めていたら難しいと思うもん。
大学も予備校も高校も受験生たちも……なんというか、日本の大学受験はまだ未開だったんだなあと50代に突入した今冷静に振り返って思う
こういうこと言いっこなしだけど当時の試験問題の総合的レベルは今と比較して冗談みたいに低かったと思うよ
こういうのはスポーツと同じで時代が進めば必ずどんどん洗練されてレベル高くなるもんだから仕方ないことなんだけど、
2000年代くらいからセンターの過去問を戯れに見て(特に数学2Bや化学あたりが)明らかにやばくなってきてるのを感じて、
共通テストに突入してからハッキリとヤバいレベルに洗練されてなおかつ難度が爆上がりしててビビったもん
それにもかかわらず有名国公立の共テやセンターの合格者平均得点パーセンテージが俺の時代と全然変わってなくて
「ああ、AO入試とかの推薦枠が定員の3割もなかった当時と比較して、今一般入試ってもんは明白に次元の違う厳しい競争になったんだな」
と察した
俺たちの時代はさっきも言ったように大学受験界隈が本当に未開も未開で、
「睡眠時間7時間も8時間も取るなんて怠けてたら落ちる。そういう奴は必ず負ける」
とか
「みんなが解けないようなカルト級の難問を制する者が入試を制する」
みたいなアホ丸出しなことを平気で言ってて、
しかもそれが「ハッキリとした誤り」として訂正されることが全然ないくらいには正しい情報共有(そして良質な参考書が今の比じゃないほど少なかった)が難しい時代だった
あと日本史なんかだと
とか
とか
今考えれば「馬鹿じゃねーの、そんな問題に付き合ってられっか」で丸っきり相手にせず、さっさと基礎~標準問題を絶対取りこぼさないよう徹底的に訓練する以外ないんだけど、
当時の受験生たちは
「いーや、あのカルト問題だって実はどこそこ社の教科書にだけはちゃんと掲載されてる情報だったんだぞ?それを捨てるのは甘え。捨てる者は落ちる」
だなんて大真面目に言う者が大半だったから、みんな無駄な努力に無駄な努力を重ね、しかも予備校などの受験産業もそれを後押しした
だから詐欺みたいなカリキュラムの受験塾なんかを個人が立ち上げても余裕で商売になったんだろうなとも思う
例えば、
授業なんぞしないで滝行させるとか
試験とマジで何も関係ないスピリチュアル書籍読ませて感想言わせて詰めて泣かすとか
(実際、こういう笑えないほどお粗末でインパクト強い受験塾は存在していて、なおかつ年間200万とかの受講料を設定していても浪人生は押し寄せていた)
ただし、狂ったように加熱していたのは私大受験だけで国公立は平常運転だった
最後に1989年に私大と国公立両方受験した者達の合否データを示して終わろうと思う
【追記】
自分は、私大受験バブルのピークは過ぎてたとはいえ1993年に慶應経済「のみ」を受験して見事に現役合格したふかわりょうを尊敬している。
彼は電波少年の坂本ちゃん東大受験企画に呼ばれた時や内P唯一のレギュラーだった番組黎明期なんかに慶応卒をドヤる振る舞いを許容範囲で披露していたが、
あんな異常な時代に慶応経済に現役で受かったという事実や自負を全く表に出さない謙虚さは同世代として凄いと思う。
一方、
現役受験の年が私大受験バブルピーク年とほぼ重なっていて、結果的に二浪で明治大学文学部補欠繰り上がり合格した安住紳一郎は、
その浪人期間がいかに苦しく精神的にギリギリだったかをおりに触れて語り、
今でも学歴・受験ネタなら大学高校中学問わずやたらめったら詳しく、
なおかつ「今でも指定校推薦組を許してない」と公言してはばからないが、
あの感じはまるっと全て凄ーくわかる。
運悪くあの当時の受験地獄に晒されることになった世代の中で安住紳一郎の「二浪明治大文学部補欠合格」という結果はそれでもかなりいいほうだし、
結局東京神奈川千葉のどこの私大にも受からず人生捨てたような感じになった奴は腐るほどいた。
(余談だが、
私の地元というか受験可能な公立高校グループのなかでは都立日比谷が1番賢かったのだが、
当時は日比谷ですら現役時に法政合格を確保できれば同級生平均より明白に良い結果だったので
「こんな大学受験厳しかったんなら高校入試のとき大人しく法政行ってたわ」と嘆く奴が絶えなかったという笑えないエピソードがある)
最近SAPIXに廃課金して子どもに難関中学受験させる親たち、という話題をよく見かける。しかし自分が小学校から高校までずっと公立だったため、なぜ中学受験が勝ち組への最短ルートみたいな扱いをされているのかわからない。
高校でそこそこの進学校に行って勉強を続けていれば、指定校推薦で早慶上智ぐらい入れるし、予備校に通ってしっかり対策すれば、東大や医学部だって不可能ではないと思う。
地頭がいいから公立のペースは遅すぎて苦痛という子が、少し試験対策して身の丈にあった私立中学に進学するのはわかる。
でも大切な子ども時代を犠牲にして勉強してまで、難関中学に行くメリットってなんなの?中学によってはエスカレーター式で大学進学できる、親のステータス、他にある?
ワレ、上智出とんか?あ?ワレ?
https://twitter.com/paper_house_/status/1620326327911059456
ペーパーハウスくん
@paper_house_
Colaboに期待する役割を
「若年被害女性支援事業のノウハウをまとめ上げて全国展開すること」
と力説する赤い羽根の秋貞由美子さん
最終更新
狸穴猫/松村りか
@mamiananeko
·
7時間
返信先:
@paper_house_
さん
http://sophia-humans.jp/department/04_socialservices_03.html
https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-15H03434/15H03434seika.pdf
自分は美味しいところを抑えつつ相手に花を持たせるような器用な付き合い方が出来る。
三流大出身や高卒がいても相手に合わせて上手く打ち解ける能力に長けているので、癖の強い自営業者や中小の社長と付き合う仕事・非正規やバイトも沢山いる仕事の司令塔等に向いている。
よく誤解されるが営業に向いてるのは早稲田明治ではなく慶應上智青学。
対等な能力やバックグラウンドの人間との付き合いでは浮くのが多い。
どちらかと言うとハラスメント系の失態より数字やお金といったド直球のコンプライアンス系の失態を犯すのが多い。
語彙力や経済的な格差など自分と実力差のある人間との付き合いが苦手というか下手。
東大が顕著だが、東大や早稲田は周りも旧帝早慶だらけの環境に行かないとすぐ腐る。
優秀な同僚や上司に追いつきたい・認められたいという行動力が生きる指標になってるタイプが多いので誰にでも良い顔をする仕事には向いてない。
特に早稲田明治の男は営業イメージが強いが内勤的な仕事や技術職で成功する人が実は多い。
失態は圧倒的にハラスメント系が多い。
一人前の増田にとってはすべてが朝飯前
統一教会ネタにいっちょ噛みしたいのでプロテスタント系大学での統一教会の扱いについて説明するよ。
https://anond.hatelabo.jp/20220710130132
因みに日本のミッションスクールはイエズス会の作った上智大などの少数を除いて、殆どがプロテスタント系だ。これはプロテスタントの方が伝道師の資格が得やすいというのと、アメリカの影響を受けているからだ。
日本の多くのプロテスタント教会は統一教会と戦っているので、そのミッション校である大学では統一教会の活動ははっきりと禁止されている。「信教の自由」みたいな微温的な言い分には完全に聞く耳を持たない。
特にピリピリしているのが学内での勧誘や原理研の偽装サークルを通じたオルグで、入学時のオリエンテーションでかなりの時間を掛けて注意を受ける。
もし学内での勧誘が発覚したらかならずこうする、と強く警告を受ける。
曰く
1.当該学生は呼び出される。
2.教会の牧師や教授の説得チームが構成され親を交えた脱会説得。親が田舎に居る場合でも大学に出てきてもらう。
3.「説得に応じない場合」という譲歩の想定は無し。
4.偽装サークルを作っていた場合はサークルは強制的に閉鎖、関わった学生は全て停学の上で上記1と2コース。
5.停学の解除条件は統一教会脱会のみ(勧誘しませんの約束ではない)。
「統一教会には絶対に接近されるな、勧誘されるな、勧誘する立場までになったら退学だぞ」と念押しされるんだな。
その結果、ミッション校では完全に原理研フリーになってて、学生は統一教会問題というのは過去のもので既にこの世にないものと思っていたりする。それで、卒業したら統一がまだ現役で活動しているという事を知って驚いたり、逆に接近されても気が付かなかったりする。
増田も卒業後にネットで原理研の話を聞いて、あれってまだ現役だったモノなの?と驚いてしまったくらいだ。
なんでプロテスタントミッション校でこんなに統一教会を徹底的に排除しているのかというと、過去に非常に戦闘的な脱会運動をしていたからなんだな。
統一教会が国会などで問題になって盛んに報道されるようになったのは1990年以降なんだが、その前の80年代には霊感商法や洗脳的な集団生活などが問題になって来ていた。
それで牧師たちがこの邪教から学生や相談を受けた親の子息を足り戻す脱会運動をしていたんだがこれは説得とか生ぬるいものじゃない。何しろまず洗脳解除をしなきゃいけないから使う言語は肉体言語込みになる。
1.まずターゲットは道場や寮で集団生活をして宗教活動に励んでいるので、外に出るタイミングを見計らって路上などで親と牧師達で取り囲み、説得したり怒鳴ったり泣き落とししたり腕力で肉体的に説得して車に押し込んで連れ去ってしまう。その為には生活パターンの把握が必須なので張り込みもやる。
2.統一が身柄奪還の為に連絡を取りに来るので、家には戻さない。教会や大学の寮に入れる。とにかく身柄を確保してしまう。
3.洗脳を解く方法は逆洗脳。寝かせずに説得、キリスト教の教義の論争を仕掛けて全て論破しまくる、大声を浴びせて疲れさせる、急に泣き落とす、急に叱りつけてから急に話を聞いて心を開かせ過去の自分を思い出させる。信者のせいで崩壊した家庭の事を説明してこの先の事を考えさせる。
こんな風に非常に強引な手法で洗脳を解き、日常に復帰させる。その後のセミナー系カルトなどの例を見ても脱洗脳はみなこういう方法を取るようだ。
だけど教団側も手をこまねている訳じゃない。こういう手段で身柄を取り返しに来る。
・通勤通学路や家の近くで待ち伏せして「騙されているんだ帰ろう」と説得する。これは数度だけじゃなくて非常にしつこく、何年間、何十何百回も繰り返される。
だから教会とか寮とかの牧師達の目の届くところに住まわせる必要があるし、法廷闘争に対抗して弁護士を立てる必要もある。
だからネットとかで統一側に立って「信教の自由がー」「信者の人権がー」って言ってるのを見ると悪いが鼻で笑ってしまう。
人権は学校では「崇高なもの」みたいに教わるが法廷では誰もが主張できる武器である。武器を掲げているからそっちが正義みたいに思い込むのは学校のホームルームであって、こっちは法廷である。
本人の脱会が成功しました。おめでとう御座います…じゃない。その後も再オルグ対策は続けなきゃならない。
非常にしつこく信者が接触しに来るので、本人の引っ越しは当然のこと、家族も引っ越しする。その為に家を売り払う場合もある。
本人は何とか大学を卒業する。そして遠方に就職する。友人も本人を追えなくする。交友関係が切れてしまうが仕方がない。
とにかく身を隠す為の生活を余儀なくされるのである。まるで犯罪者だ。
実家の引っ越しには親の転職も含む場合がある。だから相当の金も掛かるし、人生も変わってしまう。でも信者のままで霊感商法に従事すると本人も家族も人生なんて無くなるからずっとましである。
プロテスタントの牧師達はこういう風に統一教会と戦って大学から排除していたのだが、他の私学、国公立では信教の自由の下で放置されていた。だから統一はミッションスクールから手を引いてやりやすい普通の私学国公立でオルグをしていた。
ところがオウム事件が日本中を震撼させると学内でのオルグが問題になってくる。
そこで多くの大学が方針を切り替えた。プロテスタント大学のように戦闘的な脱会運動や退学処分が当然のような方針ではないが、他のカルトと一緒に統一教会や原理研の勧誘に注意喚起が出され、「原理研の偽装サークルに注意!」と張り紙が出るようになった。
因みに1990年頃の大学改革で米国式の実学系学部が人気になり、旧来の学部でも実学系の講義が増えたのだが、その非常勤講師が自己啓発セミナーの勧誘を行う事が問題になっていた。それも当時にそういう講師を学期途中でも解雇にするという形になったのだが、、、後にこれら自己啓発系は企業の社員研修に食い込むようになってブラック企業隆盛の片棒を担ぐようになったのだな。
統一教会は1980年代末にはTVで大々的に批判されたので、こういう状況になると警戒されて学内で勧誘が非常に難しくなった。
そこで統一は名称の変更を言い出す。世界平和統一家庭連合、通称:家庭連合だ。
因みに「家庭」っていうタームは、1990年代の保守陣営の流行のようななのだ。
共産主義の親玉、ソ連が無くなって自由主義陣営と共産主義陣営の戦いという「歴史が終わっ」って戦う相手がいなくなってしまったせいで、陣営としてバラバラになってしまった。運動の核が無くなっちゃったのだな。それでマルクス主義フェミニズムなんかが家族という制度を攻撃している!家族や父性を大事にしようっていう風に再び集合するためのテーゼを共有したのだ。この時、この家族は大家族なのか、戦後の核家族なのかは敢えて問わないようにした。
この名称変更を文化庁はずっと拒否していた。理由は偽装勧誘の為なの明白だから当然な対応である。
これまでの経緯を見るとかなりヤバい事をしたと言っていいだろう。牧師らの長い戦闘的脱会運動とオウム事件で流れた血の果てに統一の勧誘名指しが無されたのにその効果をパーにしてしまった。
保守派の論客や自民党議員でカソリック信徒の人は多い。日本ではプロテスタントが専ら優勢なのに奇妙だ。
それは、以上の経緯で日本のプロテスタントがかなりリベラル寄りになっているって事が原因だ。
そもそも統一信者の霊感商法や家族崩壊という社会問題化を封じてきたのは反共議員達であって、憤怒の的だ。
(反共議員が多いのは自民党だったが、社会党にはもっと濃度の濃い反共議員がいた)
そういう事情が影響していると思われる。
だから日本のプロテスタントが左寄りだ!っていうはそうだと思う。
だが、ネットで「日本のプロテスタントは共産主義!」とかいうのを見る事もあって、そういうのを見ると「ああ、やってるなぁ/誰の影響か知らずに居るんだろうなぁ」と思うのである。
ラランドというお笑いコンビをご存知だろうか?ここ数年テレビへの露出も増えてきたサーヤとニシダという二人の男女コンビだ。
サーヤのほうは元々広告系の会社員、ニシダは帰国子女で上智を中退という経歴を経て事務所に所属せずフリーでやっていた。(今は個人事務所を作りサーヤが社長兼務してるらしい)
ある時期からニシダのクズさ、ポンコツぶりが酷いとお笑い番組などでイジられるようになっていった。
ニシダのクズ、ポンコツぶりとしては直接的に有名なのは遅刻癖らしく、とにかく平気で遅刻するしあまり反省もしないらしい。
そういうのが積み重なって、ニシダへの信頼というものが業界内でももてない、だからサーヤがピンでなら、となってしまうケースがどんどん増えているという状況。
ニシダ本人はバカではないしセンスもあると思うがこのままではヤバいということで、事務所の社長でもあるサーヤがYoutubeの企画としてニシダ更生のためのプログラムを作り動画として公開した。
俺はなんか面白そうだな、くらいの興味で見てみた。動画は1時間くらいあるので途中で飽きるかと思っていたがあっという間の1時間だった。
とりあえずこの時点で気になったら一度見てみてほしい。ただし仕事などで弱りきってる人間には刺さりすぎるかもしれないから注意は必要だと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=bCX_SPXgWtQ
ここから少し内容に触れていく。企画としては事務所のマネージャーなどごく近い人物から、冠番組のスタッフ、ゴッドタンなどで有名な佐久間宣行氏などがニシダについてインタビューされる映像がシアターで流され、それをなにも知らされてなかったニシダが見させられるという流れ。言ってしまえば吊し上げであり空気もけっこうなガチ感がある。(ただ、ひたすらイジメみたいに吊るし上げるとかではなく、十分礼節を持った言い方だったとは思う)
その様子を別室でサーヤとゲストの南海山里がモニタリングしている。山里が呼ばれたのはニシダが最も尊敬してる人だかららしい。
モニターしながら「刺さってますかね?あ、でもだいぶ食らってるみたいです」などサーヤが冷静にコメントを続ける。俺はもう見ていて辛くて辛くて泣きそうになってしまった。(ニシダは実際泣いていた)
ニシダがかわいそうだからではない、インタビューされている人たちの話が自分の事を言われてるとしか思えなくなってきてそれで辛かったのだ。
俺はお笑い芸人でもないので、言われてる内容が具体的に当てはまるケースというのはないのだけど、求められること、それに対してのニシダの逃げっぷりとかが、めちゃくちゃ刺さるのだ。
一番わかり易い例としてニシダが口癖のように言う「なるほどね」という言葉。ニシダは自分へのダメ出しなんかも全部この「なるほどね」で受け流してしまう。いやなるほどねじゃねえだろ、自分の事を言われてるんだぞ?
まったく飲み込めてないし、他人事のように客観視することで自分を見るのを避けてしまってる感じ。これって自分も思い当たるとこはたくさんあるのだ。
こういうニシダのダメなとこというのは、ニシダが極端だから目立っているだけで、少なからず共感できる部分というのは多くの人にあるんだと思う。
実際山里なんかはニシダの気持ちがよく分かるようで、何度も「俺もそういうとこはあるんだよなあ・・」と苦しそうな顔を浮かべていた。
そしてこの動画のクライマックスはインタビューの映像を見終わった後、そんな山里がニシダの元に向かい二人きりで話をする場面だ。
山里本人は自分もどちらかといえばニシダ側の人間だと思っているようで、行く前にサーヤには遠慮なく厳しく言ってください的なことを言われるがどうするか迷いが生じてる様子だった。
山里は席につくなり「俺はみんなが言うようにやらなくて今のままのニシダでいてくれていいと思ってる、そしたら俺の脅威が一人減ることになるから」という話をする。
ニシダにとって山里は尊敬する先輩でありある種目指している人物でもあるんだと思う。そういう人からこう言われて心が震えないわけがない。
山里はその後も色んな話をするが、そのどれもが俺の心にも刺さった。俺にとって山里という人物はなんの思い入れもないただの芸人さんなんだが、誰が言ってるかではなくて言ってる内容がすごくうなづけるもので重みもあったからだ。
尊敬してる先輩から直接言われているニシダにしたらすごい言葉として響いてるだろうと思う。そして、それなのに明日になったらまた忘れちゃうかもという事すら山里は見透かす。
そう、俺も尊敬する人から叱咤激励を受けて、もう俺は生まれ変わるんだ明日から、と決心した次の日にはもうケロっといつも通りのダメ人間に戻ってしまうような事は何度も経験がある。
山里は山里なりに色々と迷いながらも真摯に言葉を投げかけていった。ニシダの反応は涙をポロポロこぼしながらも終始モワッとした受け答えだったが、そういう反応になってしまうのも俺には痛いほどわかった。
ニシダの場合は芸人でありやや極端に過ぎるとこはありそうなんだが(普通の会社だったらクビになってるかもなあ)
少なくとも俺にはそのへんの意識高めな自己啓発本なんかよりはよっぽど刺さった動画だった。ニシダに山里のようになってほしいとは思わないが、自分のやりたい事ができる場を、自分で掴み取るとこまでいってほしいな、応援したいなと思いました。