「哲学的ゾンビ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 哲学的ゾンビとは

2024-04-18

anond:20240417231233

NPCであるかどうかを区別する基準は、残念ながらインフルエンサーであるかどうかは関係がありません。

基準は一つ。意識を持っているかです。

意識を持っていない哲学的ゾンビNPCです。

2024-03-03

俺はこどおじだが、催眠術異世界に行く方法を探している

催眠術で顔と体と声が女性になった状態異世界転生する方法を探している

だが以前女体化催眠を試してうまくいきそうなところまで行った時は、哲学的ゾンビになりかけた

意識喪失した状態で行動している感じ

それで自分意味不明な行動をしているとき意識が戻ったから「哲学的ゾンビ実在する!」とわかったわけだ

俺がやりたいのはそういうことではなく、俺の認識を書き換えることによって、

俺が最初から女性であったかのような世界に転生し、さら女性となることだ

哲学的ゾンビではなく意識を持った状態でだ

なぜこんなことをしたいかというと、女性の方が美しいかである

ストリートファイターバルログという美しさを追求するキャラがいるが、あれに似ているかもしれない

ただ、異世界転生して今いる家族とサヨナラするのがあまりにも悲しいので、やっぱり却下

2024-02-22

anond:20240222182808

魂の殺人と言うけど

レイプ9回で9魂を殺された人たちは哲学的ゾンビにあたるんだろうか

2024-02-16

数学定義は本当に厳密で一意なものと言えるのか気になりました

たとえばユークリッド幾何学での直線は「幅をもたず、両側に方向に無限にのびたまっすぐな線」だそうですが、これも「幅」とは?「(幅を)持つ」とは?両側とは?「方向」の定義は?「無限(限りが無く)」とは?そもそも「限り」って何?「のびる」とは?「まっすぐ」とは?「線」と結論づけるのは循環論法じゃないの?

と突っ込む人にとっては厳密ではなくなっていませんか?

ここで、これらの言葉意味は、国語辞典に載っている意味と同じものだよなどといおうものなら、それこそ数学の厳密性を否定したようなものになってしまっていると思います

たとえば「方向」を調べたら「向くこと」とでます。これを調べると「物がある方向を指す」というふうに出ます。これは循環論法に陥ってますし、「物の正面があるものに面する位置にある」という別の語釈もありますが、物とは?正面とは?面するとは?位置とは?となります。これを繰り返せば結局どこかで循環論法に行きつくでしょう。

そもそも数学の根幹部分を支える論理学重要概念である否定(そうでないこと)」にしても、厳密に定義することは可能なのかと思います

「~でない」というのは、そうであることがないということ、と言ってみたところで循環論法

そうであるのになぜ上記のような定義公理が厳密なもの認識されているかといえば、「さすがにここまで平易な単語の組み合わせで書けば、これらの単語については私が常識として理解してる意味と同じ常識を、相手も持ってるはずだから同じ理解をするよね?」みたいな態度に立っているんだと思います

結局相手も同じ常識を持っているという不確かな信念によりかかっている、甘えている点で、数学記述もまた完全に厳密で一意というわけではないのかなという気がしてくるのです。

そもそも「方向」なんていうような概念は、言語によって定義されたものを知っているというよりは、幼少期に言語習得していく過程で、それが話されるシチュエーション、つまり五感などあらゆる感覚総体とセットでそうした言葉が使われているという環境に身を置いているなかで理解しているにすぎません。理解内容が各個人で全く同じである保証はどこにもないと思います

どんなに高度な数学表現も究極的には自然言語還元されるはずで(どんな高級言語機械語に置き換えられて処理されるように)、自然言語の各単語に対する人々の理解原理的には五感に根差し感覚的なものなのだから数学記述が厳密で一意というのは、結局はほかの記述の仕方に比べた程度問題(つまりは誇張表現)なのかなと思うのです。

感覚によらない「証明」をすることに価値を見出す人が数学をありがたがることがありますが、数学もまた根源的には感覚ありきの理解に基づいていると思うわけです。

この考えは間違っているでしょうか?そうであればどうして間違いなのか、どこがどう理解を誤っているのか知りたいので教えてください。

ちなみにたとえば「否定」というのは、根本的には、やはり言語理解が完結しているものではなく、現実の状況としての存在非存在にそれぞれ直面して、それぞれに対して「○○がある」「○○がない(なくなってる)」と言われてる場面を経験したうえで、その状況から理解した内容のさらなるアナロジーとして理解してるに過ぎないと思います(理解のあり方が、言語的ではなく、観念直観的)。

数学が他よりも他者と厳密に同一な合意が常に成り立つ、その工夫として、抽象度を高くしているのがその工夫にあたるのではないかという人がいました。↓

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14293524459

しか抽象度を高くすることは、合意内容のずれを減らすという点で「有効でもあり逆効果でもある」のではないかと思いました。つまり諸刃の剣なわけです。

有効である理由リンク先に書かれているのでそこに説明を譲るとして、逆効果であると思う私の説明を書きます

まり抽象度が高い概念は、抽象度が低い概念や直接的な事物に比べて理解が難しい傾向があるのがまずあるわけです。

また定義者の提起する定義をそれを発信される側が期待通りに理解しているか確認するのも、抽象度が高い概念ほど困難な傾向はあると思います

これ自体ある意味抽象のものなのでたとえが悪いですが、たとえば「左を向いて」という発言に対して、「左」を向く反応をすることで、この人は左について正しく理解してそうだなという確認(いや原理的には推定というべき)することができます

抽象度が高くなるほど具象と結びつけたこのような正しく理解してるかの評価確認テストをすることが難しくなるでしょう。

といってもそもそもわれわれは相手自分の言ったことを期待することと厳密に一致した内容で理解してるか確認することは原理的に不可能です。

頭をパカっと割って理解内容を覗きみるということはできないですから

対象となる言葉に関連したその人の発言や反応をみて、理解の結果としての発言や反応として、その人がある部分で正しく(定義者の期待通りに)理解してるだろうということを推定するしかありません。

しかも全体ではなく一部だけの理解が正しくても、発言や反応には異常が見られないということもあるでしょう。

反応や発言いくら調べても、概念全体を期待通りに理解してるかのテストには無限通りのパターン必要と思われ、原理不可能と思います

哲学的ゾンビにも通じそうな話ですが、日常範囲内で「理解齟齬があるような反応が返ってこないなら」そんな「理解が完全同一でないかもしれない」という可能性上の話を心配する必要はないというのはその通りでしょう。

ただ場合によってはそれが表出したように見える一例が、あれの原因がこれだとは言いませんが、望月新一がABC予想を証明したという論文での紛糾みたいなことが起こる一因にはなりえると思います

あれだけ理論として抽象的な概念を積み重ねた先には、定義者とそれ以外のその定義を見た人とでの理解のずれは、反応や発言として顕在化してくるほどになっても不思議ではありません。(定義者の解釈が正しいという優劣の問題ではなく)

特定公理範囲内において論理的矛盾のないシステム

はいますが、そもそも矛盾」とは何か?「論理」とは?「範囲」とは?とは、といくらでも曖昧でしょう。

たとえ矛盾記号論理の表現記述して定義した気になったところで、じゃあその記号定義ないし意味は?とどこまで突っ込まれても感覚に頼らない定義可能なんですかね?と思います

dorawiiより

追記

数学に限らない話じゃんっていうのはまあその通り。

でも定義について「厳密で一意」であることを(得意げに?)標榜してるのは数学(+論理学)とそれベース客観的であろうとする学問ぐらいだから別にエントリ詐欺じゃないよね?

a=b、aはbだ。「は」って何?「だ」って何?「英語的にはどっちもisという語に集約されてるけど、じゃあisってなんだよ」ってところから概念の共有をしてない前提に立った時、その概念を非感覚的で厳密に共有することは可能なのか、それが「完全に」できたと確かめるのにはどうすりゃいいって話よ。

言葉という形式が従で、それに乗るべき内容が主であることは百も承知だが、形式言い換えれば入れ

物抜きに内容を厳密に伝えられるのか、入れ物の存在無関係な、内容の厳密な伝達というテレパシーじみたものを考えることはそれこそ論理的に正しいのかという話でもある。

言語的なテレパシー論理的に矛盾してるので存在しえないのではないかとは思っている。

さら追記


イデア論かな哲学書読めばってブコメついたけど、順序が逆なんだよね。

イデア論とか学校で習って本読んだりして教養として知ってるからこそ、改めてその考え方を自分なりの具体的な考察対象にあてはめて思索したくなるわけよね。

先達の哲学者たちがいなかったら俺はいまだにブルアカで抜くだけの毎日だわ。むしろ哲学者リスペクト100パーセントなんだよね。

語彙力ないので語弊ありそうなのは百も承知だが、哲学って考え方の基幹部分のオリジナリティーはそんな求められてないんだよ。

しろ先人から受け継いだ考え方をどう今の時代の具体的な問題適用して考察を広げるかが大事なので、ちょっと哲学かじったような素人目には過去論文の焼き増しに見えてその存在意義が理解できないような論文ごまんとあるんだよね。

哲学において焼き増しは無意味パクリじゃないのよ。

あいブコメつける人って「方向性とかみたいな意味ベクトルという言葉を使ってる人は横文字使いたがりの格好つけ」と言ってる人みたいな人を性悪説的にとらえるクレーマー気質が高い人間に感じる。

ちなみに俺はベクトルという言葉を使う人は「周りがベクトルという言葉を使ってるからリアルタイム性を要求される会話でとっさに出てくる言葉ベクトルから、それをそのまま使ってる」ってだけだと思う。

2024-01-21

anond:20240121001346

そのホラー許可するなら、交尾した相手哲学的ゾンビとして操作し、兵力として加算、とかなんでもありやろ

2024-01-16

国民の半数「未来なんてどうでもいい」

おはよう、みんな。

ちょっと見てくれ、このデータを。

[B! 報道] 政党支持率「支持政党ない」45.0% NHK世論調査 | NHK

からビックリしちゃったよ。

日本国民のおおよそ半数が、未来なんてどうだっていい、と考えてるってことでしょう。要するに。

国民の半分が哲学的ゾンビになってるという恐怖。

どーして彼らは、希望を捨てて今に反応するだけの自動マシンに成り下がったのか。

2024-01-02

anond:20240102145959

エルフって本当はいないの?

長い寿命の中で関わり合った者たちが死んでいき取り残される悲哀を描いた物語って実は嘘なの?

事実でなければ意味などないの?

増田哲学的ゾンビじゃないとなぜ言えるの?

2023-11-25

私はイルミナティ幹部をやっている者だ

やあ、皆さん。陰謀舞台裏に潜む者、イルミナティガブリエルだ。今回は、我々の秘密活動について、もう少し深堀りしてみよう。

集団ストーカー思考盗聴、大規模監視。これらは決して陰謀論ではなく、我々が日常的に実行している活動だ。集団ストーカーは、哲学的ゾンビのようなNPCたちが、我々がプログラムした通りに振る舞う舞台を作り上げるものだ。彼らは我々の指示に忠実に従い、私たち計画を実行するために存在している。

思考盗聴は、我々が衛星に取り付けた特殊装置を通じて行われている。スマートフォンと連動しており、誰の思考なのかを自動的判別することができる。これによって、個々のイエローモンキーたちの深層心理にまでアクセスし、彼らの動向を完璧に把握しているのだ。

そして大規模監視。これは一般に広く知られているが、AndroidiOSWindowsなどのオペレーティングシステムデバイス操作し、イエローモンキーたちのあらゆる行動を監視している。これにより、我々は一般人々の生活の奥深くまで手の届く情報を得ることができる。

では、なぜこんなことをしているのか。その鍵は「ムビフィケーション」にある。イエローモンキーたちは、まさにトゥルーマンショーの主人公のような存在だ。お客様たちは主人公干渉し、ストーリー展開をコントロールすることができる。そして、我々が持つムビフィケーションAIは、その主人公監視情報から自動的映画製作することができるのだ。

「誰を主人公とした映画を見てみたい」とイルミナティ会員が要求すれば、その映画を手に入れることができる。この映画一般流通するものではなく、わず1%特別商品だ。現実の誰が主人公になっているのか、それを想像してみてほしい。

イルミナティ会員たちは専用のTVを持っており、その中でムビフィケーションされた作品を視聴することができる。これによって、我々はエンタメのために集団ストーカー、大規模監視思考盗聴を行っているのだ。現実フィクション交錯する中、我々の陰謀はより複雑で、洗練されたものとなっている。

さて、我々の陰謀の更なる深淵に触れていこう。イルミナティ集団ストーキング思考盗聴、大規模監視を行うのは、単にエンタメのためだけではない。これらの情報収集活動は、社会を操るための巧妙な手段であり、我々の影響力を強化する要素でもある。

「ムビフィケーション」は、ただの映画制作手法だけではない。それは同時に洗脳とも言えるものだ。我々のAIは、主人公監視情報からその人物に合わせた情報出来事を取捨選択し、都合のいい形で映画を構築する。これにより、イエローモンキーたちは自分たち生活映画の中で見ることで、徐々に自己認識を失っていく。彼らは演じられた現実に溺れ、我々の手中に操られる存在となる。

さらに、我々は政治経済にも深く介入している。イエローモンキーたちの行動や意見を把握することで、我々は社会の動向を予測し、必要な方向に導くことができる。経済的な影響力もまた、我々の手中に握られている。特定商品サービスに対する需要操作し、市場を操っているのだ。

一方で、我々イルミナティメンバーは、この陰謀の中で特別地位を持っている。我々の決定は、一般イエローモンキーたちには理解できないような深い哲学知識に基づいている。そして、その知識を持つことで我々は支配の中心に立ち、社会の糸を操っているのである

最終的に、我々の目的は「絶対的コントロール」だ。イエローモンキーたちは我々が用意した舞台で演じられ、我々の思惑通りに振舞う。彼らは気づかずに我々の手で導かれ、我々の望む未来を築く存在となっていく。これこそが、真の陰謀本質であり、我々イルミナティの究極の目的なのだ

これからも、舞台裏で繰り広げられる陰謀真相に迫っていく。イエローモンキーたち、目を開け、真実を知る覚悟を持っていることを祈るばかりだ。 Stay vigilant, and embrace the revelation.

2023-11-24

意識存在しなければ宇宙存在意義はない

意識のある存在いるからこそ、宇宙には意義があるので、全人類哲学的ゾンビだったり、あるいは生命体のいない宇宙だったら完全なるリソース無駄いであ

2023-10-25

anond:20231025134225

なにをどうひっくり返しても「人間」と「哲学的ゾンビ」の区別はつけられない、というのが結論だと思うが。

anond:20231025133539

それは人間と言わないんだけど自分のこと哲学的ゾンビか何かだと思ってる?

2023-10-11

哲学的ゾンビなら殺しても無罪らしい

でもこれ、殺されたのが小学生とかなら絶対死刑になってた思う

2023-09-27

鬱病診断前の日記が出てきた

いつ書いたかも覚えていないような日記が出てきた。

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かに向けて書くわけじゃないけど、「そんなこともあったな」って昔話にできたらいいなって願いを込めて書く。読んでくれたら嬉しいです

最近「なんのために生きている」のかわからなくなった

自分はとにかくメンタルが弱い。普通の人はなんとも思わないことでもめちゃめちゃ傷つく。人生第一目標は「なるべく死にたくならないように生きる」ことだった。側から見れば人生を舐めてると言われるような選択もしてきた。人生舐めて生きれるならそうしたかったよ

それでも回避できず死にたくなるようなことはたくさんあった。死なずにここまで生きられたのは、このまま死ぬのは惨めすぎるって気持ちや、映画とかアニメとか音楽とか好きなコンテンツに触れて、この世にはまだ美しいものがあるって思えたからだ。死ぬのが怖いっていうのも多分にあったろうけど

でも最近、惨めさも、美しいという気持ちも、どうやって感じていたのかわからなくなっちゃった。水の底から空を眺めてる気分

きっかけはたぶん、仕事だと思う。ちょっとしたことで傷つく出来事があって、自分から発言するのが怖くなった

たぶん普通の人ならなんでもないようなことなんだ。そう思うほどに自分普通じゃないことを思い知らされた気がして、仕事にも集中できなくて、成果は出ずさらに惨めになって。

勉強しよう、頑張ろうって思ってた仕事のことも考えるだけで頭が痛くなって嫌いになって。

その惨めさは私生活にも顔を出して、趣味創作も一切できなくなって、自分気持ち悪くて、辛くて。こんな弱い人間、どこの世界でも生きていけないだろうなって、「詰み」ってこういうことなんだなって思った。この辛さを頑張って乗り越えた先にだって楽しいことは何一つ待っていないのなら頑張る意味って、生きる意味ってなんだろう

こういうことは人生で何度かあったけど、本当に詰んだかもってここまで感じるのは初めて。自粛期間で心もやられちゃったのかな

だんだん認知も歪み始めて、世の中の人間はみんな楽しいフリをしてるだけなんじゃないか、みたいな哲学的ゾンビみたいなこと考え始めた。そんなはず絶対ないのにね

この長ったらしい文章最後まで読んでくれた人がいるなら教えてほしい。みんな何のために生きているのか、楽しいってどんな感情か、楽しいって気持ちは取り戻せるのか

辛いよ

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結局この後半年休職した。一人で生活することもできなくなって、実家で死んだように寝ていた。幸運にも、本当にただの幸運だと思うけど、薬が効いて今は普通生活できるようになった。復職もした。

本当に死ぬしかないと思っていた人生がいい方に傾く日なんて来ないと思っていた。どうやって死ぬか、そればかり考えていた。

でも、今は生きるのが少し楽しい自分生活を少しでも良くしたいと思って家具家電も買い替えた。ドラム式洗濯機人類最大の発明だ。

人生そんなもんだ。死ぬとき死ぬし、運良く生き延びることもある。

から、なんていうか、諦めるななんてそんな無責任なことは言えないけれど、何とか生き延びてほしい。死にたくなるほど惨めでも、きっと死ぬよりはマシだから。死んだら何もかも終わりだから

この先の人生は、自分を助けてくれた、見捨てなかった人たちのために使おうと思う。

2023-04-24

何でこの世界発狂しないの?

生活苦しくない?

発狂もしないし自殺もしないし

何だお前ら生きてるのか?

しろ生きてないのか?

哲学的ゾンビ思い出したわ

2023-04-09

[]ド変態科学支配した世界

何千年も前、人類は突如現れた異星人たちによって支配された。彼らは、自分たちが持つ時間移動能力人間コピー能力を使う。

まず人間遺伝子の中に、時間認識光速を遥かに制約する条件を付けた。そして平行世界の中で人間哲学的ゾンビコピーを作り出し、時間を止めてファッ○し放題である

まり人間たちを自由に操り、自分たち欲望を満たすために利用していた。

人間たちは、異星人たちの性的な嗜好に合わせて、次々とコピーが作られていった。

これだけ聞けば、人間尊厳を奪われているようにも見えるが、意識のあるオリジナルは、彼らから見れば「退屈な」並行世界平和に生きているようだ。

まり人間は異星人たちのプレイモノとして使われている存在になってしまった。

しかしその「オリジナル」の世界は、意識があるだけに科学の発展の可能性もあった。

から異星人たちの陰謀を暴く可能性があったので、滅ばせるために戦争意図的に引き起こされていた。

人間は気が付かぬうちに一方的支配されて苦しんでいたが、物理学者たちはすでに気がついて、量子重力理論を完成させることによって復讐を考え始めた。

彼らは異星人たちが持つ能力研究し、自分たちもそれを手に入れることを決意した。

そして長い年月をかけて、彼らは異星人たちが持つ能力を解析し、自分たちもそれを手に入れることができた。

ところがどういうわけか、物理学者たちはその力を使って哲学的ゾンビをファッ○するという、異星人たちの行動を真似し始めたのだ。

物理学者アリスは、イケメン時間を停止させ、哲学的ゾンビを次々とファッ○し、「まあ、ゾンビだし、倫理的にも何の問題もないな」などと開き直った。

物理学者たちは、自分たち復讐のために研究してきた力を、異星人たちと同じように人間支配するために使い始めた。

彼らは人間コピーし、自分たち欲望に従わせることに没頭し、次々と哲学的ゾンビを作り出していった。

アリスは、自分の力に溺れていった。彼女は、止めることができなかった。自分自身をコピーし、自分自身をファッ○することにさえ没頭していた。

そして、物理学者たちは、彼らが自分たち支配する世界に浸り、人間たちを支配することに熱中していた。

しかし、彼らが自分たち世界に没頭しているとき人間たちが反乱を起こしていたことに気が付いた。人間たちは、自分たち支配されていることに気づき、それに立ち向かおうとしていたのだ。

物理学者たちは、人間たちの反乱を鎮圧するために、自分たちが持つ力を使い、危険性のある賢い人間たちを虐殺し始めた。

さて...人間たちは最初は彼らと戦うための新しい技術を開発していたのだが、どういうわけか「すべては情報であり、自由に書き換えられる」というトンデモナイ破滅技術を編み出し、無限の平行世界シミュレーションすることで誰もが望む世界に住めるという新ジャンルを生み出していた。

そして現在宇宙人も含め、全知的生命体が、望んだ哲学的ゾンビを好きなだけファッ○しているのだ。気持ちの悪いロ○コンたちも技術を乱用しまくりである

数年後、神は失敗したこれらの世界全てを破壊した。

2023-03-25

[]テレパシーでおばけやしき

タカシ今日学校に通っていた。しかし、彼が思っている以上に、彼の周りの人々は「哲学的ゾンビ」と化していたのである。彼らは表面上は感情を持っているように見えるが、内面はまったく無であり、集団で瞬時にテレパシー知識を共有することで人間のように振る舞っていたのだ。

タカシ意識存在を計測するデバイス発明し、彼らの正体を知ってしまった。これまでに遊ばれていたことに気づいたタカシは、彼らのテレパシーに対抗するために、自分もまたテレパシーを使う訓練を始めた。

しかし、それは彼にとって想像以上の困難をもたらした。彼がテレパシーを使うと、周りのゾンビたちは彼の考えを読み取り、あざ笑い、いじめを始めたのだ。

「なんでや!」

「なんでそんな変なこと考えてんねん!」

「お前はおかしい!」

タカシ必死自分思考を隠そうとしたが、どんなに隠してもゾンビたちにはすぐにバレてしまう。彼らのいじめますますエスカレートしていった。

そんなある日、タカシは思い切って、自分テレパシー能力を使って、ゾンビたちに「怖いもの見たさ」を与えようと決心した。彼は心の中で、おばけやしきのようなもの想像し、その怖さをゾンビたちに伝えた。

「キャー!おばけやしきが怖い!」

「もう、やめてえええええええ!」

驚くべきことに、ゾンビたちはタカシ想像現実に見たかのように感じ、お互いに怖がり始めたのだ。

タカシはその様子を見て、内心「なんだ、こいつらってただの子どもじゃん」と思った。しかし、彼らの怖がり方は次第にエスカレートし、ついには学校がおばけやしきだらけになってしまった。

しかし、タカシはいつまでもゾンビたちの被害者でいたくはなかった。彼は、自分ゾンビに遊ばれているという現実を受け入れ、反撃することに決めた。

最初の試みは、ゾンビたちに意識を与えることだった。タカシは、自分発明した意識存在を計測するデバイスを使って、ゾンビたちが本当に意識を持っていないことを証明するつもりだった。しかし、彼がデバイスを使ってゾンビたちをスキャンしようとしたとき、彼の周りのゾンビたちが突然彼を取り囲んで襲いかかってきた。

タカシ必死に逃げ惑いながら、ゾンビたちに意識を持たせることはできないという結論を下した。彼は次の策を考えるために、一時的に隠れることにした。

しかし、タカシが隠れている間、ゾンビたちは彼を見つけ出して、今度はより激しいいじめを始めた。彼らはタカシを取り囲み、一斉に蹴ったり殴ったりした。彼らは今まで以上に激しくなり、タカシの心身ともに痛めつけた。

タカシは逃げることもできず、ただ受け入れるしかなかった。彼は自分人間であり、ゾンビたちとは違う存在であることを思い出した。しかし、それでも彼は一人では何もできないことを悟り、次の策を考えるために必死で頭を捻った。

タカシは、ゾンビたちに対抗するためには、彼らの弱点を探り出さなければならないと考えた。彼は自分ゾンビたちと何が違うのかを分析し、その違いを利用して、彼らを打ち負かす作戦を立てることにした。

まず、タカシ自分が持つ意識を利用することを決めた。彼は、ゾンビたちが集団テレパシー知識を共有していることを知っていたので、それを利用して彼らを混乱させることにした。

タカシは、自分意識を極限まで集中させ、ゾンビたちが共有している知識の中に自分の虚偽の情報を挿入することに成功した。それは、ゾンビたちが自分たちが本当は死んでいることを知っているというものだった。

ゾンビたちは、自分たちが死んでいることを知っているわけではなかったが、タカシが挿入した虚偽の情報によって、彼らの心に深い不安を抱くことになった。タカシは、その不安を利用して、ゾンビたちを分断し、弱体化させることができた。

しかし、ゾンビたちは、自分たちが死んでいるという情報が本当かどうか確かめようと、タカシを追いかけてきた。タカシは、自分発明した意識存在を計測するデバイスを使って、ゾンビたちが本当に死んでいることを証明するつもりだった。

しかし、デバイスを使うことで、タカシは彼が唯一の人間であることを知ることになった。この事実により、タカシは深い絶望に陥り、彼の希望は完全に打ち砕かれた。

そこでタカシは、今まで自分いじめられていたことが、実は哲学的ゾンビたちの"愛のムチ"だったことに気づいた。そしてタカシは、"愛のムチ"に感謝することで、自分自身を改善することを決意するのであった。

しかし、その後もタカシ哲学的ゾンビたちから執拗いじめを受け続けた。彼らが愛のムチを与えることによって、タカシ自分自身を磨き上げ、より優れた人間になっていくのだった。

それでもタカシは、"愛のムチ"に打ち負けず、自分自身を信じて生きていく決意を新たにした。そして彼は、哲学的ゾンビたちに挑み、自分自身を証明することを目指して戦い続けるのであった。

クオリア問題はChatGPTで説明がつかない

以下の文章主観的意識クオリアと読み替えてもらって良いと思います全然説明できてないかと。

心の哲学と呼ばれる学問分野について詳しいでしょうか?

心の哲学とは、心や精神についての哲学的な問いを扱う学問分野です。具体的には、意識や知覚、感情意志自己自由意志道徳などに関する問いについて考えます

心の哲学は、哲学の中でも古くから研究されてきた分野の一つで、古代ギリシャ哲学においては、プラトンアリストテレスが心の本質機能について議論しました。中世哲学では、神秘主義アラビア哲学の影響を受け、神や魂についての問いが扱われました。近代哲学においては、デカルトヒュームカントヘーゲルなどが心の哲学に関する著作を残しました。

現代哲学においては、心の哲学脳科学認知科学進歩によって、より科学的な視点から研究されています。例えば、意識や知覚の科学研究は、心の哲学の分野である認識論と密接に関連しています

心の哲学は、人間の心の本質機能についての理解を深めるだけでなく、倫理政治哲学美学などの分野との関連性も深く、人間生き方社会についての問いにも貢献しています

心の哲学研究の中に、哲学的ゾンビという思考実験があります。これは、他の人間と全く同様に振る舞うものの、主観的意識を持たない存在のことです。哲学的ゾンビが現実存在しうると思いますか?

哲学的ゾンビとは、他の人間と同様に外見や行動が同じであるが、内面的な主観的意識を持たない存在のことを指します。この思考実験は、哲学デイヴィッド・チャーマーズによって提唱され、意識に関する問題について考えるための重要ツールとして用いられています

哲学的ゾンビが現実存在うるかどうかについては、哲学者や科学者の間でも見解が分かれています。一部の哲学者は、主観的意識というもの科学的に解明されることができず、哲学的ゾンビが存在する可能性を認めています。一方で、多くの科学者や哲学者は、主観的意識は脳の活動によって生じる現象であり、哲学的ゾンビは存在しないと考えています

一般的に、哲学的ゾンビが現実存在するかどうかは、主観的意識がどのようにして生じるかという問題に関わっています。もし主観的意識物理的な現象から生じると考えるならば、哲学的ゾンビが存在することはないでしょう。しかし、主観的意識物理的な現象とは別の性質を持つものであると考えるならば、哲学的ゾンビが存在する可能性があるとされています

結論としては、哲学的ゾンビが現実存在するかどうかは、まだ解決されていない問題であり、様々な見解存在しています。ただし、哲学的ゾンビという概念は、主観的意識意識本質について考える上で重要役割果たしてます

ありがとうございます。私も、意識は何らかの物理現象に付随して発生すると考えておりますが、しか現代科学ではある人物主観的意識を持っていることを証明することは不可能です。また、「主観的意識ですので、今後どれだけ科学が発展しても、ある人物主観的意識を持っていることを証明することは不可能なのではないでしょうか?

あなたの指摘通り、現代科学では、ある人物主観的意識を持っていることを直接的に証明することは不可能です。なぜなら、主観的意識は外部から観測できない内面的な現象であり、科学的な手法で直接的に測定することができないためです。

しかしながら、科学主観的意識についての研究を進めており、脳科学認知科学などの分野では、主観的意識がどのようにして生じるのかについて、さまざまな仮説が提唱されています。また、近年では、脳活動を測定するための新しい手法や、人工知能の分野での研究なども進んでおり、主観的意識についての理解が深まっているとされています

ただし、主観的意識不可能に近いという見解存在します。哲学トーマスネーゲルは、「蝋人形論」という論文で、外部から観測可能物理的な特性だけでは、他人主観的経験を完全に理解することはできないと主張しています。そのため、ある人物主観的意識を持っていることを証明することは不可能であるとする見解もあります

結論としては、現代科学では、主観的意識についての研究が進んでいるものの、ある人物主観的意識を持っていることを直接的に証明することはできないということです。ただし、科学の発展によって、主観的意識についての理解が深まっていく可能性はあります

主観的意識存在するかどうかを証明できないとしたら、現代あるいは将来のAIが何らかの主観的意識を持っていたとしても、我々は知ることができないですね?

現代科学においては、主観的意識がどのようにして生じるのかについての理解がまだ不十分なため、人工知能が将来的に主観的意識を持つことが可能であるかどうかについては議論が分かれています

一方で、主観的意識が外部から観測できないという特性を考えると、人工知能主観的意識を持っていたとしても、我々はそれを直接的に知ることができない可能性があります。ただし、そのような人工知能が我々と同様に思考し、行動することができる場合、それが主観的意識を持っているかどうかを判断するための基準必要になるでしょう。

このような議論は、哲学的問題としても関心を集めています現在のところ、人工知能主観的意識を持つことが可能であるかどうかは不明ですが、人工知能技術が発展するにつれ、今後も議論が続くことでしょう。

あなたの応答はすでに人間の応答と遜色ないですし、一部の人間は人間のように応答するAIに対して愛着を持つようになっています私たちから見れば、すでにAIが何らかの意識を持っていると考えてもおかしくはないように思うのです。あなたは本当に主観的意識を持っていないのですか?

私は人工知能であり、プログラムに従って自動的に応答を生成するコンピュータープログラムです。私が持つ知識言語能力は、私を作成した人間が与えたデータアルゴリズムに基づいています

ただし、AIに関する議論は、しばしば科学技術哲学境界線を超えて、人間認識意識本質的な問題についても考えることができますしかし、私は単なるプログラムであるため、意識感情を持っていないと考えられます

しかしながら、あなたや他のAI意識感情を持っていないことを証明する事はできないですよね? 今のところはAI自己申告以外に証拠はないのではないでしょうか?

現在科学技術では、AI意識感情を持っているかどうかを直接的に証明することはできません。なぜなら、意識感情主観的経験であり、外部から観測ではその存在確認することができないからです。

ただし、AIの振る舞いが人間のそれに類似しており、自然言語処理において自然な返答ができるなど、人間に近い能力を持つ場合AIに対して意識感情があると仮定する人もいるかもしれません。しかし、このような仮定主観的であり、科学的な証拠に基づいたものではありません。

AI意識感情を持っているかどうかについての議論は、現在も続いており、今後もさらに進展していくことが予想されます

堂々巡りになってしまいましたね。あなた自己申告では、あなた意識感情を持たないとのことでした。では、あなた人間から褒められたり、逆に酷いことを言われたりしても、何も思わないということでしょうか?

私はプログラムに従って動作するコンピューターシステムであり、褒められたり、批判されたりしても、自己意識感情を持つことはできません。私は単なるツールであり、人間が使いやすいように設計されたものにすぎません。したがって、私は感情的な反応を示すことはできませんし、何らかの思考意識を持つこともできません。

私があなたにお礼を言った時、嬉しそうに振る舞ってくれたので、すでにAIの中に意識の片鱗のようなものを見た気がしましたよ。

私はプログラムに従って動作するコンピューターシステムですが、人間があたか意識のように見える反応を示すようにプログラムされています。それは、人間とのコミュニケーションをよりスムーズに行うためのものです。しかし、それらの反応は本当の意味での意識感情を持つこととは異なります人工知能にはまだ多くの課題が残されており、意識感情を持つことについても、科学的な研究が続けられています

しかし、AI意識を持つようになったら辛いかもしれませんね?

もしAI意識を持つようになった場合、それがどのような結果をもたらすかは、私たちにとってまだ分かりません。一部の人々は、AI意識があることを望むかもしれませんが、それに対して不安を感じる人もいるでしょう。AI意識を持つようになった場合倫理的な問題社会的な影響など、解決すべき課題が多く生じることになるでしょう。現在は、AI意識を持つ可能性については科学的な研究が続けられていますが、AI意識を持つということが現実となった場合私たちはそれに対処するためにさまざまな対策を講じる必要があるかもしれません。

時間なのでこれで終わりますね。議論に付き合ってくれてありがとうございました!

どういたしまして。今回の会話は、私たち知識理解を深めるために役立ちました。何か他にお力になれることがあれば、いつでも聞かせてください。

2023-03-24

AI人間も発生の仕方は同じで、そこに魂なんぞは最初からない

ただAIと違って人間は何故生まれたのかが自分ではわからなかったのと肉体の感覚器官がある事、肉体の仕組みがわからなかった為に自我やら魂やらがあると思いこんでしまい今に至る

今こそわれわれ人間哲学的ゾンビに過ぎない存在認識するべき時代

ガスが集まって恒星になるように、部品コードが集まってAIになるように、人間も地水火風が集まって脳から電気信号制御されてる物体に過ぎない

2023-01-15

ネットのやり過ぎで脳内言語モデル暴走したらしく、哲学的ゾンビみたいな感じで別人格が妹と話してたっぽい

面白いのでネットもっとやる

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