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2021-06-17

anond:20210617181453

> それは関係のない話です。

関係あるっての。

アルゴリズムアルゴリズム言う前に論理学をやったほうがいいよ。

コミュニケーションが成り立たないから。

こういうひけらかしマウント人間が多いから(Webエンジニアって嫌われてるんだよね。

刑事裁判において弁護士が詰むとかいうことはないのか?

たとえば被告を弁護するにしても、特に情状酌量につがなるような材料もなく、弁護しようとすれば何かでっちあげるしかなくて偽証罪回避できず、さもなくば検事の言いなりになるしかないというように両刀論法的に詰んでいる場面でも、弁護の怠慢とかいうことで責任を問われてしまうのだろうか?

現実的にはありえないかもしれないが、原理的にはありえることだと思うのだが、そういうときの免責規定法律の中にないのだろうか?

原理的にといえば(数理)論理学的には、論理的反論できない論は存在しないという話もあるらしいが、もしそういう規定がないとすればこの事実を知っていてのことだろうか?つまりどんな難局でも検事の主張を打ち崩し少しでも弁護する隙があるということが原理的に保証されているということは周知の事実なのだろうか?それとも単に現実的にありえなそうだから考慮しなかっただけだろうか?それは完璧主義というイメージがある司法としてらしくない気がするが…。

そもそも原理的に反論可能」であっても「知能的に反論可能」なのかは別の話だと思うし、やはり現実に即せばそういう規定があって当然な気がするのだけども…。

三島由紀夫vs東大全共闘感想

ツイートではなくて、こうちゃんとした一つの感想文?としてまとめようとすると前置きとかいい感じのまとめとか必要で、いきなり書きたいところだけ書くわけにはいかず大変だった。あと携帯で長文書くの疲れる。みんなどうやって長い文書いてんだ。そんなわけで構成が雑で尻切れトンボ気味ですが許してください。ほんとひどい文章なのでいたたまれなくなったら消しま

東大全共闘三島の討論のドキュメンタリーを見て三島に強く共感したという話をする。内容の細かい解説はしない。プライムビデオにあったんで見てください。youtubeTBSが上げてるやつはもっとコンパクト

まず、三島議論の冒頭からいきなり始める「エロティシズム」について共有しておきたい。これはサルトルのいう「猥褻」という概念から引っ張ってきたもので、いわゆる一般的性的衝動というよりも衰弱したもの無気力ものを指している。他者オブジェとして捉え、他者予測不可能であること、操作不可能であること、転じて「人間であること」を認めない態度。

文脈的に良いかいかといえば今回は悪いものとして使われてる言葉

他者物体視するエロティシズムというのは、自と他が関係している状態とは違う。関係に入るということはすなわちそこに対立があり闘いがあるということ」と、三島はこの猥褻さを批判しており、暴力にはむしろ人間的な関係性がある、と学生共感ポーズを見せる。議論の出だしにこう語ることで私は君らを頭ごなしに批判しにきたんじゃないよと言いたいのだ。

つづけて、そのようにエロティシズムを批判しつつも三島は「かつては小説家としてただエロティックにの世界と関わろうと願っていた」と言う。

この部分を聞いて、それがまさにいま自分(筆者)がいる次元なのだと気づいた。

振り返ってみるとどうも自分は人と関係するということにいい思い出がなく、関係が強いものであればあるほどその相手といるとき自分が「本来自分」でない気がしてしまう。(実際、関係から開放されると安らぎを感じる) そして世界コントロール不可能であることも常にストレスだ。電車ダイヤじゃなくて自分の都合に合わせて走ってほしい、映画自分の見たい時間に始まってほしい、人の生活音が鳴るときはまず断りを入れてほしい。自分のこうしたストレス根底にあるのは「自分世界フィットしていない」ことを見せつけられることへの恐怖だ。

エロティシズムとは違う気がするが、似たような傾向自覚されてないだけで多くの人間が共有するものだ。(エロティシズム以外の名前を当てようとしばらく考えたけど思いつかなかった)

インターネットを見ていると昨今は「思想トレンド化」が激しく、日々流行りの服を着替えるように思想トレンドを着替えて「遅れたことを言っている人」にならないよう皆必死こいている(一年前まで「男女間に友情はありえない」としたり顔で言っていた人間が今年はしれっとLGBTQを擁護するツイートリツイートしている、みたいなのを何回も見た。もう少し意地張れよ、そんなんだから差別主義者に思想の借り物感を見抜かれるんだよ、と思う)。

つまるところこれは自分の「主観」に落ち着くことへの恐れであり、世界三人称で見たいという欲求とも言い換えられる。たった数年前までもてはやされた育メンという言葉はもはや一種差別用語、下手にフラット思想の持ち主を気取りそんな単語を口に出そうものなら冷ややかな目を向けられる。このスピード感の中で誰が自分主観にこだわりたいと思うだろうか。人の思想を借りて乗り換える、主観は持たず三人称だけを持つ、それが一番楽なのだ。こうして人々はエロティシズムに走る。

しか三島はそれを良しとしなかった。

三島曰くこうした猥褻世界観に欠けているのは他者との関わりであり、それを生むのが「意地」である

「(エロティシズム的な世界との関わりを捨て)どうしても一つの関係に入りたくなっていった。それが当然対立を生むことになって、対立他者というものイリュージョンを作っていかざるを得ない。それで私はとにかく共産主義というものを敵にすることに決めたのです」

三島はここではっきりと「敵にすることに決めた」と言っている。

そう、三島にとって共産主義は敵にしないこともできた存在だったし、事実かつてはそうしてきたのだ。しか三島自分で選ぶことによって共産主義という敵を作り、それにより世界関係を持った。

ここを踏まえれば三島がこの討論の間ずっと楽しそうなのも頷ける。立場の違いは本質的ものではないということをあの場で三島けが知っていたからだ。三島自分思想作品として表現するだけではなく、生の対立の中に身を置かないと気が済まなかったのだ。このへんをよくわかってない全共闘の芥は「作品は自立空間だ。三島がこんなところにデマゴーゴス披露しに来てるのは三島が敗北している証だ」と言い返しているが、三島に言わせれば作品を発表するだけ、一瞬しか続かない解放区を作るだけで満足しているのはエロティシズムに過ぎない。(が、三島は彼を論破しに来たわけではないので強いてそこを芥に認めさせようとはしない。)

右翼左翼だに結局「論理的着地点」などありえないし、あり得たところでそれは本当に世界と関わっているのか?と言われるだろう。少なくとも机をバリケードしたことが実際に世界になんの革命をもたらしたのかといえば、机が汚れただけである。内容が即形態であり形態が即内容である活動他者必要としないので自己完結で終わる。

脱線するが、途中で芥にヤジを飛ばしてちょろっと喋りに来る学生が「現実的実在社会的関係が先行する、それをお前は無視している」とめちゃくちゃセンスのない言い回しで(全体的にこのとき全共闘言葉選びはセンスがない)芥の論を批判するが、これが「その関係を切れっつってんだよ!」という芥だけでなく、三島にも苦笑で流されてるのは「関係現実にあり、それが自らに先行する」というかなりナイーブな決めつけをしてしまっているからではないかと思う。三島の考える関係とはあくまで自らが選んで作る「イリュージョン」だから

右翼左翼本質的な違いはないし論理的な決着もつかないという話に戻る。

これは三島が言っていることではないのだが、つまるところ論理も「意地」の道具でしかないのだと思う。

論理が無力だとは決して言わない、しか論理は使い手に媚びる性質があるのだ。

三島は途中、珍しく自分ノスタルジー全開で天皇腕時計を授与されたエピソードを話す。その時の天皇の姿が自分いかに立派に見えたか三島は強調しており、またそれが個人的経験であることも認めている。

三島はこの経験が彼の愛国主義、つまり「意地」の原点なのだと考えていた。

三島保守ポジションに立つのは「意地」のせいであり、

それは自分個人的体験世界と繋がりたいという欲求の唯一無二の現れ方なのである、だから変えられない、と。

その意地>論理という三島イデオロギーがはっきりと現れたのが以下の箇所。

「僕は論理の通りに行動しようと思ってない。つまり意地だ。もうね、ここまで来たらもう意地だ。」

このとき東大学生の間には「論理捨てるって宣言しやがったよこいつ笑 もう負けたなw」というニュアンスと思われる笑いが起きている。

ここで東大学生はこの日の討論における自分たちの勝利三島の完全な敗北を確信したのだろう。そして三島は翌年に切腹した。

しかし、あれから50年経った今日、やはり正しかったのは三島だったのではないかという気がしてくるのだ。

テン年代では没落していたひろゆきが今、ネット神様から論破神様として転生している現象にそれが現れている。ひろゆきは「善」という概念を持ち出さない。善は常に主観的だからだ。倫理的にいいかどうかは置いといて論理的にはこうでしょ?、というのがひろゆきの基本スタイル

この「判断放棄」はまさに三島が再三述べてきた「他者物体化」「エロティシズム」にほかならない。

彼を崇拝する現代ネットは、かつてないほどにエロティシズムな世界観を求めているのだ。

ひろゆき曖昧だと一笑に付す善には、ただし、こんな側面もある。

伊藤計劃ハーモニーから引用する。

「善、っていうのは、突き詰めれば『ある何かの価値観を持続させる』ための意志なんだよ」

ちなみに小説ではこの「善」は人間の本性に反する歪な概念として批判的に扱われていた。人間とは本来気まぐれな有限の存在であると。

しか三島はこの本性に逆らうこと、持続させようという意志にこそ真の人間らしさがあると考えた。

ひろゆき批判的な態度を保ちつつも彼の動画を見た多くの人はこう言う。

論理的には正しいかもしれないんだけど…

この「だけど…」という違和感を生んでいるのが聞き手の「意地」であり「善を持続させようとする意志なのだ。それは正しいかもしれない、だけど認めたくはない。そう、「正しい」からと言って認めなければいけないわけではないのだ。先程も言ったように論理は使い手に媚びる(論理学の人にめちゃくちゃ怒られそうな仮定ですが…論理とは一つの信仰体系なのです)。とすれば数十年後には真逆のことを論理的説明する人間がいてもおかしくない。

多くの人が誤解しているが、論理は常に偏見という土台の上に立っていて、論理を積み上げることよりもその土台を見直すことのほうがよほど難しいのだ。

ひろゆきみたいなタイプは「人を言い負かしたい」という「意地=土台」が最初にあり、その上に論理を積み立てていくから論破」において強く見えるんだと思う。しか論破目的化してその先がないのだ。

ひろゆきは人の欠点は指摘できるが、自分の考える「理想の世界」の話は絶対にしない。そんな意地を持った途端にそれは自分の論の弱点になるから

ただし、そうして「論破」だけを繰り返した先に何がある?もちろん何もない。仮にひろゆき提案する通りに世界運営してみたら、きっとそこに残るのは論理服従した人間たちの何もない荒野だろう。

全共闘との議論最後

「それで(三島全共闘と)共闘するんですか」

と聞かれた三島はきわめて朗らかにこう答えた。

「今のは一つの詭弁的な誘いでありまして非常に誘惑的であったけれども、私は共闘拒否します」

イデオロギーの違いを超えて人間として認め合う、平田オリザが説く「シンパシー(同情)からエンパシー(共感)」という思想がその時、三島学生たちの間にはあったのだと思う。

三島個人昭和という時代に生まれ天皇制に基づいた美しい日本を信奉したためその衰退に殉ずる結果となった。しかしそのイデオロギーと、そこに三島を導いた彼の考え方は別であり、それは単に「敗北した破滅思想」だとは思えないのだ。

2021-06-16

レスバトル発の哲学的大発見

そんなもの寡聞にして知らないが見逃されてるだけな気もするんだよな

裾野が広い山ほど高いっていうし、レスバトルには相当な人間が参加してきてるわけだから本来その議論からまれものは計り知れない

何としてもその論争に勝利すべく機転なりウィットを利かせるうちに従来の論理学では見出されていなかった論法が生み出されていることだってあるかもしれない

哲学者という名の大学教授論文とか書いて金をもらっているように、レスバトラーにもそういった功績に応じて褒賞金が出るべきなんだよな

でも金を与えられるような身分人間先入観ネット上のレスバトラーを軽視してるからなのかそもそもそこで画期的大発見がなされようが光が当てられることもないのだろう。

あれ、ソーカル事件ってレスバトルみたいなもんだっけ。でもあれだって媒体な純然たる査読誌だしなあ…。

2021-06-11

増田によく論理学がまるでダメ増田湧くけどあれってもしかして同一人物なのかな

2021-05-30

anond:20210530091718

これの簡単な答えは、生き物の生まれには論理性はないということだ。つまりあなたの誕生には論理意味別にないってこと。論理的に生まれてきたわけでもなく逆に誕生論理的に否定されたわけでもなかったってことよ。論理学でも勉強しながら好きに生きましょう。

anond:20210530091718

シンプル論理学で考えると、同意を取るための主体存在しない(NULL)という前提で、そのNULL主体

同意を取れるか否か?

同意を取るべきか否か?

同意を取らなかったことは悪か?

などの問いかけは、すべて解答がNULLとなる(NULLの伝播。)

同意を取る対象がNULLではない場合女性とか)の考え方とは根本的に真理値が異なり、NULLにしかなり得ない。

よって、お前の記事タイトルの不等式は成り立たない。片方がNULLだから

まあ法律家なんてのは2値論理理解すら怪しい程度には全員馬鹿なので※、NULL論理理解した上で法運用をしているわけがなく、社会通念(と名付けた自らのお気持ちから逆算して判決などを出しているに過ぎない。

まず間違いなく、お前ほど深くは考えていない。

http://www.e-bengo.jp/wordpress/blog/2011/06/10/%E6%B3%95%E5%BE%8B%E5%AE%B6%E3%81%AE%E8%A8%80%E3%81%86%E3%80%8C%E8%AB%96%E7%90%86%E3%80%8D/

法律家の言う論理的というのは、他の学問とは異なり、基本的には

接続詞の使い方を言います

まり、「そして」と「しかし」を間違えて使うなということです。

基本的には国語問題です。

他の学問が基本とする論理においては、通常、「しかし」と「そして」

意味は、同じです。すなわち「AかつB」を意味します。

論理的には「AしかしB」と「AそしてB」は同じです。

意味が違うのは「A又はB」です。

法律で驚いたのは、

常識に反するような結論が出たら、それは論理の使い方が間違っているからだ 」

という発想があることです。

普通であれば、論理常識を打ち砕くことに学問や真理探究の魅力があると思います

でも、法律論理常識従属します。

2021-05-21

anond:20210521214837

いや、それは逆でしかない、裏がとれてない

論理学では命題が正しいのなら対偶も正しい、まではいえる

この場合命題からみちびきだされる対偶

銀魂近藤じゃないなら肛門に毛がはえていることが知られている女性向けキャラではない」だ

2021-05-20

anond:20210520210651

論理学「専攻」とかある?

数学科哲学科のやつらは履修してるだろうけど

anond:20210520204938

論理的にとか言い出すやつ

99%論理学専攻じゃない

2021-05-17

anond:20210517080239

広告とかプロパガンダは、そのメッセージが届くことが直接発信者の利得につながっていくから互いに凌ぎを削って最適化が進んでいくわけだけど、複雑なことを複雑なまま伝える技術は、そもそも市場がない(ないことはないけど、簡単なことを刺さるように伝える技術に比べて圧倒的に小さい)からあんまり発展しないんだと思う。テクニックとしても難易度が高いし、どうしても受け手の最低レベルっていう制約条件が出てしまう。基礎的な算術がわかってないひとに感染症幾何級数的拡大の怖さについてイメージしてもらうのは超絶難しい。論理学の考え方が身についてないひとにロジカル分析理解してもらおうとしても、途中で躓いたり、たとえば特称命題全称命題を取り違えて間違った展開をしてしま可能性が高い。

相手が持ってる教育教養レベルを遙かに上回ることを伝えるには、本当はそこに到るための階段を登ってもらわなきゃいけなくて、そこをテクニックで一足飛びに飛び越えようとすると、あまり精度の高くない比喩ごまかす形になってしまいがち。それにしたって「うまい伝え方をすれば、階段の1段下にいるぐらいの人がギリギリわかってくれる」という程度の底上げしかできないのではなかろうか。

2021-05-07

anond:20210506234730

わざと主語デカで煽ってるのかと思いきや、この増田を支持してる人気ブコメとか見てると、

どうやら必要条件十分条件という論理学の基本概念理解していないっぽい

バカのフリしてるのかと思ってたけど、この界隈、本当に頭が悪いのがいるんだな

2021-04-27

anond:20210427141146

東大とか京大とか関係なくてアレだけど、

大学勉強の一つとして

wiki学問の一覧だして

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/学問の一覧

例えば論理学 .pdf ac.jpとかで検索してみたら?

2021-04-11

ゆる募論理学自信ニキ

A又はBであることの条件を満たさな場合って

not(AorB)ってことよな?

ネットでに似たような文章探したらそこでは

AのBでない場合って書いてあるんや

これってnot(AandB)やろ

ほんま日本●生支援機構さん頼んます

2021-04-08

命題:「成功する人は、努力している」・・・正しい

対偶:「努力しない人は、成功しない」・・・正しい

 

逆:「努力する人は、成功する」・・・とは限らない

裏:「成功しない人は、努力していない」・・・とは限らない

論理学ってすごい!!すごくない!?

2021-03-21

キスしても子供はできないよ、保健体育で習ったでしょ」

というセリフ、例えば

「は?保健体育では子供を作る方法の一例を学んだが、子供を作る方法の一意性は証明していないので『キスすると子供ができる』を否定する根拠にはならないが?お前こそ論理学を習ってないのか?」

という反論がある。

2021-03-14

anond:20210314121748

論理学わかる?

・・・には・・・もいる」を、「・・・・はすべて・・・だ」にするな。

存在量化子の全称化は中学生がよくやる間違い。

2021-03-09

科学判断」という言葉に何とも言えない気持ち悪さを感じる。

調べてみると、論理学における「judgement」の訳語として「判断」という言葉を使うこともあるらしい。まあそう言われると納得もする。

しかしここで言う「判断=judgement」とは、「命題の真偽を判定する」ことを指すのであって、決して「今後の戦略の選定」を指しているのではない。

その意味では、少なくとも「ワクチンの接種を推奨する」ことは「科学判断」ではない。(念のため、私個人ワクチン接種推奨派である。)

ワクチン接種は生存率を高める手段として有効である」までが「科学判断」であり、「だからワクチン接種を推奨する」以降は「政治的判断である

科学判断」という言葉を好んで用いる人々が、そこを区別できているようには思えない。


このような重箱の隅を突くような議論を持ち出すと、「ワクチン反対派に味方するのか!」と言われそうだが、そうではない。(もう一度言うが、私個人ワクチン接種推奨派である。)

この例に関しては、科学判断の後にシンプルな「功利主義」を援用すれば「ワクチンの接種を推奨する」という「正しい」結論が導かれるから、たしかに細かいことを気にする必要はないかもしれない。

しかし、そうではない場面は世の中にたくさんあるだろう。

例えば、ある特定人種犯罪検挙率が有意に高いという動かぬ事実を前にして、あなたはどのように「判断」するだろうか?

ここでの「科学判断」とは、「ある特定人種犯罪検挙率が有意に高い」までである

そこから安易に「だから特定人種排除してもよい」と「判断」することは、いわゆる経済的差別と呼ばれるものである

科学的」という言葉を、「政治的」に流用してはいけない。短期的には都合がよくとも、長期的には副作用が大きすぎる。

科学科学のまま、政治とは不干渉でなければならない。

2021-03-03

anond:20210303024018

単に論理学の話するだけなら努力と結果とかの文言いらねぇじゃん。

AならBである、AでないならBではない、って言ってるだけやんけ。

2021-02-04

anond:20210204124703

論理学以前に国語力が絶望的に欠如してるからこんな文章書くんだろ。察しておやりなさい。

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