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はてなキーワード: 論理的矛盾とは

2024-02-16

数学定義は本当に厳密で一意なものと言えるのか気になりました

たとえばユークリッド幾何学での直線は「幅をもたず、両側に方向に無限にのびたまっすぐな線」だそうですが、これも「幅」とは?「(幅を)持つ」とは?両側とは?「方向」の定義は?「無限(限りが無く)」とは?そもそも「限り」って何?「のびる」とは?「まっすぐ」とは?「線」と結論づけるのは循環論法じゃないの?

と突っ込む人にとっては厳密ではなくなっていませんか?

ここで、これらの言葉意味は、国語辞典に載っている意味と同じものだよなどといおうものなら、それこそ数学の厳密性を否定したようなものになってしまっていると思います

たとえば「方向」を調べたら「向くこと」とでます。これを調べると「物がある方向を指す」というふうに出ます。これは循環論法に陥ってますし、「物の正面があるものに面する位置にある」という別の語釈もありますが、物とは?正面とは?面するとは?位置とは?となります。これを繰り返せば結局どこかで循環論法に行きつくでしょう。

そもそも数学の根幹部分を支える論理学重要概念である否定(そうでないこと)」にしても、厳密に定義することは可能なのかと思います

「~でない」というのは、そうであることがないということ、と言ってみたところで循環論法

そうであるのになぜ上記のような定義公理が厳密なもの認識されているかといえば、「さすがにここまで平易な単語の組み合わせで書けば、これらの単語については私が常識として理解してる意味と同じ常識を、相手も持ってるはずだから同じ理解をするよね?」みたいな態度に立っているんだと思います

結局相手も同じ常識を持っているという不確かな信念によりかかっている、甘えている点で、数学記述もまた完全に厳密で一意というわけではないのかなという気がしてくるのです。

そもそも「方向」なんていうような概念は、言語によって定義されたものを知っているというよりは、幼少期に言語習得していく過程で、それが話されるシチュエーション、つまり五感などあらゆる感覚総体とセットでそうした言葉が使われているという環境に身を置いているなかで理解しているにすぎません。理解内容が各個人で全く同じである保証はどこにもないと思います

どんなに高度な数学表現も究極的には自然言語還元されるはずで(どんな高級言語機械語に置き換えられて処理されるように)、自然言語の各単語に対する人々の理解原理的には五感に根差し感覚的なものなのだから数学記述が厳密で一意というのは、結局はほかの記述の仕方に比べた程度問題(つまりは誇張表現)なのかなと思うのです。

感覚によらない「証明」をすることに価値を見出す人が数学をありがたがることがありますが、数学もまた根源的には感覚ありきの理解に基づいていると思うわけです。

この考えは間違っているでしょうか?そうであればどうして間違いなのか、どこがどう理解を誤っているのか知りたいので教えてください。

ちなみにたとえば「否定」というのは、根本的には、やはり言語理解が完結しているものではなく、現実の状況としての存在非存在にそれぞれ直面して、それぞれに対して「○○がある」「○○がない(なくなってる)」と言われてる場面を経験したうえで、その状況から理解した内容のさらなるアナロジーとして理解してるに過ぎないと思います(理解のあり方が、言語的ではなく、観念直観的)。

数学が他よりも他者と厳密に同一な合意が常に成り立つ、その工夫として、抽象度を高くしているのがその工夫にあたるのではないかという人がいました。↓

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14293524459

しか抽象度を高くすることは、合意内容のずれを減らすという点で「有効でもあり逆効果でもある」のではないかと思いました。つまり諸刃の剣なわけです。

有効である理由リンク先に書かれているのでそこに説明を譲るとして、逆効果であると思う私の説明を書きます

まり抽象度が高い概念は、抽象度が低い概念や直接的な事物に比べて理解が難しい傾向があるのがまずあるわけです。

また定義者の提起する定義をそれを発信される側が期待通りに理解しているか確認するのも、抽象度が高い概念ほど困難な傾向はあると思います

これ自体ある意味抽象のものなのでたとえが悪いですが、たとえば「左を向いて」という発言に対して、「左」を向く反応をすることで、この人は左について正しく理解してそうだなという確認(いや原理的には推定というべき)することができます

抽象度が高くなるほど具象と結びつけたこのような正しく理解してるかの評価確認テストをすることが難しくなるでしょう。

といってもそもそもわれわれは相手自分の言ったことを期待することと厳密に一致した内容で理解してるか確認することは原理的に不可能です。

頭をパカっと割って理解内容を覗きみるということはできないですから

対象となる言葉に関連したその人の発言や反応をみて、理解の結果としての発言や反応として、その人がある部分で正しく(定義者の期待通りに)理解してるだろうということを推定するしかありません。

しかも全体ではなく一部だけの理解が正しくても、発言や反応には異常が見られないということもあるでしょう。

反応や発言いくら調べても、概念全体を期待通りに理解してるかのテストには無限通りのパターン必要と思われ、原理不可能と思います

哲学的ゾンビにも通じそうな話ですが、日常範囲内で「理解齟齬があるような反応が返ってこないなら」そんな「理解が完全同一でないかもしれない」という可能性上の話を心配する必要はないというのはその通りでしょう。

ただ場合によってはそれが表出したように見える一例が、あれの原因がこれだとは言いませんが、望月新一がABC予想を証明したという論文での紛糾みたいなことが起こる一因にはなりえると思います

あれだけ理論として抽象的な概念を積み重ねた先には、定義者とそれ以外のその定義を見た人とでの理解のずれは、反応や発言として顕在化してくるほどになっても不思議ではありません。(定義者の解釈が正しいという優劣の問題ではなく)

特定公理範囲内において論理的矛盾のないシステム

はいますが、そもそも矛盾」とは何か?「論理」とは?「範囲」とは?とは、といくらでも曖昧でしょう。

たとえ矛盾記号論理の表現記述して定義した気になったところで、じゃあその記号定義ないし意味は?とどこまで突っ込まれても感覚に頼らない定義可能なんですかね?と思います

dorawiiより

追記

数学に限らない話じゃんっていうのはまあその通り。

でも定義について「厳密で一意」であることを(得意げに?)標榜してるのは数学(+論理学)とそれベース客観的であろうとする学問ぐらいだから別にエントリ詐欺じゃないよね?

a=b、aはbだ。「は」って何?「だ」って何?「英語的にはどっちもisという語に集約されてるけど、じゃあisってなんだよ」ってところから概念の共有をしてない前提に立った時、その概念を非感覚的で厳密に共有することは可能なのか、それが「完全に」できたと確かめるのにはどうすりゃいいって話よ。

言葉という形式が従で、それに乗るべき内容が主であることは百も承知だが、形式言い換えれば入れ

物抜きに内容を厳密に伝えられるのか、入れ物の存在無関係な、内容の厳密な伝達というテレパシーじみたものを考えることはそれこそ論理的に正しいのかという話でもある。

言語的なテレパシー論理的に矛盾してるので存在しえないのではないかとは思っている。

さら追記


イデア論かな哲学書読めばってブコメついたけど、順序が逆なんだよね。

イデア論とか学校で習って本読んだりして教養として知ってるからこそ、改めてその考え方を自分なりの具体的な考察対象にあてはめて思索したくなるわけよね。

先達の哲学者たちがいなかったら俺はいまだにブルアカで抜くだけの毎日だわ。むしろ哲学者リスペクト100パーセントなんだよね。

語彙力ないので語弊ありそうなのは百も承知だが、哲学って考え方の基幹部分のオリジナリティーはそんな求められてないんだよ。

しろ先人から受け継いだ考え方をどう今の時代の具体的な問題適用して考察を広げるかが大事なので、ちょっと哲学かじったような素人目には過去論文の焼き増しに見えてその存在意義が理解できないような論文ごまんとあるんだよね。

哲学において焼き増しは無意味パクリじゃないのよ。

あいブコメつける人って「方向性とかみたいな意味ベクトルという言葉を使ってる人は横文字使いたがりの格好つけ」と言ってる人みたいな人を性悪説的にとらえるクレーマー気質が高い人間に感じる。

ちなみに俺はベクトルという言葉を使う人は「周りがベクトルという言葉を使ってるからリアルタイム性を要求される会話でとっさに出てくる言葉ベクトルから、それをそのまま使ってる」ってだけだと思う。

2023-09-21

笑いって3種類しかないよな

バカさ加減などに対する嘲りの笑い

赤子を愛するときのようなほほえみの笑い

社交的に仕方なく笑っているふりをする作り笑い(苦笑いも含む)

追記: くすぐられたときの笑いもあるか。あと論理的矛盾に対するおかしから笑う場合は嘲りじゃないな。。

2023-02-10

anond:20230210120011

三島由紀夫檄文

 檄

   楯の会隊長 三島由紀夫

 われわれ楯の会は、自衛隊によつて育てられ、いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかつた男の涙を知つた。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国精神を相共にする同志として共に富士原野を馳駆した。このことには一点の疑ひもない。われわれにとつて自衛隊故郷であり、生ぬるい現代日本で凛烈の気を呼吸できる唯一の場所であつた。教官助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとへ強弁と云はれようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

 われわれは戦後日本が、経済的繁栄うつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本歴史伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを夢みた。しか法理論的には、自衛隊違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義頽廃根本原因をなして来てゐるのを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである自衛隊敗戦後の国家不名誉十字架を負ひつづけて来た。自衛隊国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によつて、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。

 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、自衛隊国軍名誉ある国軍とするために、命を捨てようといふ決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動前衛となつて命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である政体警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によつて国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう。日本軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本歴史文化伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねぢ曲つた大本を正すといふ使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしてゐたのである

 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起つたか総理訪米前の大詰ともいふべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終つた。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変わらない」と痛恨した。その日に何が起つたか政府極左勢力限界を見極め、戒厳令にも等しい警察規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢て「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである治安出動不用になつた。政府政体維持のためには、何ら憲法抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬つかぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家にとつてはそれでよからう。しか自衛隊にとつては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。

 銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日といふ日は、自衛隊にとつては悲劇の日だつた。創立以来二十年に亙つて、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとつて、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正政治プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党共産党が、非議会主義方法可能性を晴れ晴れと払拭した日だつた。論理的に正に、この日を堺にして、それまで憲法私生児であつた自衛隊は、「護憲軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか。

 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みてゐたやうに、もし自衛隊武士の魂が残つてゐるならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。男であれば、男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。我慢我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しか自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかつた。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかつてゐるのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤのやうに黙つたままだつた。

 われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロール民主的軍隊の本姿である、といふ。しか英米シヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。

 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞自己冒涜の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐つたのか。武士の魂はどこへ行つたのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になつて、どこへ行かうとするのか。繊維交渉に当つては自民党売国奴呼ばはりした繊維業者もあつたのに、国家百年の大計にかかはる核停條約は、あたかもかつての五・五・三の不平等條約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。

 沖縄返還とは何か? 本土防衛責任とは何か? アメリカは真の日本自主的軍隊日本国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊永遠にアメリカ傭兵として終るであらう。

 われわれは四年待つた。最後一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。日本日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値所在諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである

  (三島森田事務所刊『「楯の会」のこと』より)

2022-10-22

「わかりやすい」「論理的矛盾がない」はすなわち事実じゃねえ!

誰かの主張に見出した「わかりやすさ」や「論理的矛盾のなさ」はすなわち事実意味しねえ!

人間時間は有限だ!

意図的かに関わらず、主張に不都合情報は省かれる!

科学手続きに基づいて長年研究やってる奴だって得てしてそういった視野狭窄に陥るんだ!

事実かどうかは絶えず疑え!

曖昧根拠誹謗中傷に走るな!

他人誹謗中傷簡単に乗っかるな!

そもそも誹謗中傷をするな!

議論しろ

5W1Hを明確に淡々と支持あるいは批判しろ

自分の主張に間違いがあると感じたらこだわりを捨てて素直に認めろ!

2022-08-01

anond:20220801061412

夫婦別姓が良いんだけど法律上できないから今は夫の姓です」でも真フェミ認定から落とされる

こんなこと言ってるのはフェミアンチ寄りの人間の中でもかなり少数では…?

少なくともブコメツイッターネームアンチフェミ殆どそこまでは極端でないだろ

そもそも過去論理的矛盾を指摘されたのならひと言「こうでした」と言えばいい

それをした上でなお叩かれるならかわいそうだが、実際には無視逆ギレ殆どじゃん

説明がなければ引っ張られるのは世の常や、無視し続ければ波風すぎると思ってる政治家みたいな姿勢特にネットでは嫌われる

お前の言ってるような構図だとして例えば100人がアラを探してきたとしても、結局内容的に数点で済むならまとめてでも説明すべきだよ

いくら指摘者が多いからと言ってまとめて説明しきれないくら矛盾点が多かったらそれはそれで問題ありだろ

2022-07-14

右派左派自分たち論理的矛盾に苦しめられつつある

安倍元首相の死は、日本人党派性論理的矛盾暴露した。


右派安倍保守的姿勢韓国系カルトとの繋がりの矛盾

左派安倍保守的姿勢国外から評価矛盾


安倍は隠すことのない保守的イデオロギー左派的な政策をその都度使い分けてクレバー政権運営を持続させた。

保守でありながらフェミニストであり、保守でありながら親外国人であった。

支持者や非支持者はその論理的矛盾に適切な批判を行えずに苦しんでいる。


フェミニズムに反しているように見えて、女性社会進出を進めることで国外左派知識人賞賛される。

排外的であるようにみえて諸外国と多数の外交的努力を重ねることで多くの外国人政治家賞賛された。

今まさに安倍のそういった行いが可視化している。

安倍評価はまさに分裂的だ。彼は右派であり左派である


さて岸田政権下での我々はどのような態度を取るようになるのだろうか。

2022-07-03

anond:20220703123959

めっちゃ横だけど、むしろ論理的矛盾を起こさないなら争点になるような絵を使ってアピールしたほうがわかりやすいんじゃないの?

なぜか赤松先生はその辺の線引きに深く言及しないけども。

2022-05-04

表現規制をする女性たちって昔は「PTA」じゃなかったっけ?

昭和フェミニスト

筒井康隆短編集「くたばれPTA」には表題作「くたばれPTA(昭和41年)」と「女権国家の繫栄と崩壊昭和45年)」がある。

女権国家の方はミサンドリーを拗らせた女性革命を起こし、女性中心の社会を作る話だ。

一方くたばれPTAの方はSF作家教育上不健全漫画ということで出版規制される話である

どちらもフェミニストPTA否定的かつ攻撃的で、インターネットが当時あったら叩かれるだろうなぁといった内容だ。(当時もバッシング受けたのかな?)

さてさて、私が気になったのは現在フェミニストの主戦場「不健全表現を控えるべき」というのはPTAの役目じゃなかったっけ?ということ。

昔のフェミニスト女性地位向上、社会進出あたりのことを主戦場にして戦っていたようである

女権国家においても権力に見栄と権力に執着する女性という書き方でフェミニスト表現していた。

筒井氏はフェミニスト当事者ではないため、認識不適切という批判は受け付ける。ただ小説としてデフォルメした際に強調した点が権力の話だったというのは一考に値する)

令和のフェミニスト

対して今のフェミニスト表現規制が主な活動のように見受けられる。

最近活動でも目立っているのは新聞広告に関する表現への批判献血でのキャラクター利用などだ。

フェミニスト昭和フェミニストより、昭和PTAの方が近いのではないか

ここで「PTA漫画ゲームといったもの全般に不健全としたが、フェミニスト女性性的搾取した媒体のみを不健全定義しているため異なる」といわれるかもしれない。

しかし、不健全定義事態によって異なる。

明治自体においては小説は不健全コンテンツであったが、昭和平成では高尚な芸術だ。

漫画ゲーム昭和には不健全だったが、受け入れられた令和では日本代表するカルチャーになっている。

そして未だに不健全の枠にとどまっているコンテンツが「エロ」または拡大解釈によってエロ解釈された「萌え」ということになる。

フェミニストPTA思想の違い

フェミニストPTAも両方女性だし、思想が似ていても当然じゃないかと言われると思うが、建前上はそうではない。

PTA家族(主に子供)の健全な営みを行うための主張として表現規制を訴えている。

近い思想青少年健全育成条例などで、こちらを支持している石原都知事右派人間だ。

まり国家社会のために不適切コンテンツ抑制するというのがPTA的な表現規制の建前である

一方フェミニズム女性社会的な抑圧から解放するための左派的な側面が強い思想だ。

どちらかというと真逆であるという思想が、いつも間にかすり替わっている。

表現規制派の活動

ややこしいので、以下では昔PTA表現規制をしていた人と現在フェミニストとして表現規制をしている人を「表現規制派」と呼ぶことにする。

まり何が言いたいのかというと、表現規制派の人たちは「健全育成」や「フェミニズム」という思想に基づいて表現規制をしているのではなく、

表現規制」という思想社会に実現するために「PTA」や「フェミニズム」といった建前を利用しているのではないだろうか。

こうすると現在表現規制派の人たちが全くフェミニストらしい活動をしていないのに説明がつく。

ウクライナでの強姦を取り上げず温泉娘に憤り、映画監督性的搾取に目を反らしつつ新聞広告を敵とする。

表現規制派にとっては表現規制が最も大切な主義であり、フェミニズムは建前を尤もらしくするための道具なのだ

というわけでフェミニズムを叩いても、論理的矛盾をついても、ゴールポストは動かされる。

表現規制派は女性のためでも社会のためでもなく、表現規制のために表現規制を行っている。

なぜ表現規制をしているのかというところまでは個人問題なので分からないが、

自分が好ましくないと思う表現があったときに、多かれ少なかれ人は不愉快になる。

その不愉快社会正義見出しバッシングするかしないかの違いである。

表現規制派がフェミニストを名乗るまで

ではなぜ表現規制派がPTAからフェミニストにかわっていったのだろうか。

これに関しては全く不明だが、おそらく「PTAになれなかった層を取り込むため」ではないだろうか。

未婚率が上昇している。昔は誰でも結婚出来た時代だが、今はそうではなくなった。

PTAになれるのは結婚し、子供がいる女性だけだ。

このハードルを越えられなかった表現規制派の女性親和性が高かったのがフェミニズムだ。

フェミニズムはもとより結婚をしない女性を救うような思想だった。

地位向上で女性が一人でも生きていければ、結婚出産もしなくても幸福になれると考えられるからだ。

そこでPTAになれなかった女性たちが表現規制を行うためにフェミニズムと結び付けた。

フェミニズムは誰でも参加可能なのでPTAよりも参加しやすい。

よって現在思想がちぐはぐのフェミニズムが生まれしまったと考えられる。


表現規制に関してはフェミニズムを叩いても仕方がない

こうして表現規制派が無理筋批判をした際、フェミニズムが叩かれるようになった。

しかし、これはあまり無意味なような気がしないでもない。

昔は悪の権化だったPTAは、今では面倒な無賃労働としてママさんからしか文句を言われていない。

このままフェミニズムの印象が悪くなって社会的な発言力を失った場合

表現規制派がフェミニズムから出ていって、また新たな宿主を乗っ取って批判を繰り返すようになる。

表現規制派は特定思想を持つ者ではないので、現在寄生している思想や団体を批判するより、

疑似科学陰謀論に対する免疫のようにリテラシーを高めて対処をしなければならない。

2021-11-19

anond:20211119115056

TheHabanero 普段あれほど「サヨク大衆愚民扱いするから支持されない」と謳っておきながら、ここまでド直球に野党支持者を愚民扱いする言説にはなんだかんだで乗っかるのな右派諸氏ら

論理的矛盾を突いたつもりになってんのか? あほか。当たり前だろ

大衆=我々」と考えれば何も矛盾しない

右派諸君自分大衆だと思っているのだから

サヨクは我々を愚民扱いするから我々支持されない」

というだけだぞ。

2021-11-06

女・左翼が出しゃばって来たときにすべきこと

  1. 主張の内容は読まない。反論意見を述べず、相手土俵に乗らない。
  2. 論じてる内容に誤字脱字や短文の論理的矛盾があればそこのみつく。
  3. ツイッターフェイスブック・その他SNSアカウントをチェック。
  4. 違法では無いマナー違反・強い言葉死ぬ・罪・嘘等)・信号無視駐車違反著作権侵害など法令違反を探す。
  5. 見つけた瑕疵相手の主張を適当に絡めて非難する。

フェミであれば、他社の権利侵害していること。左翼であれば守れない弱者がいる事等。

弱者には自己責任で成長すべき等。

とにかく相手の言っていることに意見してはいけない。

2021-10-07

anond:20211007140317

当時の良心フェミは近づかなかったんじゃないのしらんけど

一方でフェミ活動をしてない一般の女の危険に接近する権利を守るというなら、

吉原の悪い部分は叩いて観光客観光権も守るんじゃないのしらんけど

スラムツーリズムになってたらポリコレ的には批判対象だがその場合観光する男も含め男女関係なく批判対象からフェミニズムの文脈じゃないんじゃないのしらんけど

女にとって悪い部分があるものを女が観光することを女が擁護することを二枚舌に感じるんだろうが論理的矛盾はないと思うぞしらんけど

2021-09-04

anond:20210904195748

でもだいたいフェミが言っていることはおかしい(論理的矛盾)よね

そしてその矛盾を突くと...

2021-07-12

反出生主義者って何で生まれてくる子の幸福度勝手に決めてるの?

別に反出生主義者を煽りたいとかそういうんじゃなく、人生幸福度を決めるのは個人個人であって反出生主義者じゃないよな?って純粋に思うんだよね。

不幸な子を生み出すべきじゃないと言うけれど、不幸かどうかは子が決めることでしょ?

そもそも幸福度ってどうやって測ってるの?絶対評価相対評価?反出生主義者は何を基準としてその子を不幸だと判定しているの?

例えばヒジャブブルカを着用する文化圏女性幸福なの?不幸なの?

おそらくはてサヨの皆さんは「その女性自由意志に基づいているのならば不幸とは言えない」って返してくれると思うんだけど、つまりこれは子が幸福かどうかを決めてるって判断で良いんだよね?

多分なんだけどさ、反出生主義って歴史的には結構古いんだけど全く議論が進んでなくて反出生主義者自身ロジックをまとめきれて無いんじゃない?

反出生主義者自身心中では膨大な論理的矛盾を抱えている状態なんじゃない?

反出生主義者が反射的に感じた考えと、反出生主義が矛盾するみたいなこと結構あるんじゃないかと思うんだけど?

仮定の話をするけど、反出生主義者が自身人生を不幸に思い、周囲を見渡すと不幸な子が一杯居る。不幸な子をこれ以上増やすべきでないと考えたとする。

これ完全に自分他人人生主観上で判定してて客観視出来てないよね?客観的に判定できないロジックが本当に合理的ロジックだと思うの?

マジで純粋にね、そう思うんだよ。

2021-05-20

伸びた増田記事追記反論とか修正とか続編記事書く奴はマジでゴミ

どんなに論理的矛盾をつかれても反論するな。

こっちの無知や誤字脱字指摘されて恥かいても修正するな。

調子乗って続編の記事とか書く奴は一番最低の雑魚


その記事はそのツッコミどころや薄ら寒い部分含めて伸びてんだよ。

なんでやねん!」「こいつアホだろ」って反応やその場の空気感含めて一つの作品なんだよ。

センスあるなって思う増田見つけても後で【追記あり】とかタイトルに書いてると「あちゃー、この人も、”そっち側”、だったんだね……」ってすげー萎えるんだよ。

誰もリアクションがない状態ならともかく伸びた後に伸びた理由を打ち消しするような行為はどんな形であれ蛇足の極み。

引き際を知れゴミ

2021-04-29

anond:20210429143618

論理的には、煽りの有無と論理性は関係無いんだよなぁ

論理的であるとは論理的矛盾や論理的飛躍を含まないということなので、論理的矛盾や論理的飛躍を含まない煽りなら入れても論理性は保たれる

君が言いたいのは論理的かどうかじゃなく、合理的合目的的かどうかかも

2020-12-27

anond:20201226231316

知らないフリをする程度のことはみんなしてるから

てか1個マジで論理的矛盾を起こしてるんだけどまさか気づいておられない?

2020-07-03

SIer で生きていくためのノウハウを伝授するよ

技術に対して深く追求してはいけない

論理的矛盾に気がついても誰にも言ってはいけない

仕事はしなくても良いから報告連絡はすること

相談はなんの役にも立たないのでしてはならない

・手を動かすよりも口を動かすこと

無駄残業は多いにすべき

自分に優しく目下に厳しく上司胡麻

・何かを変えるのではなく維持に務める

・新しい何かをやるように言われたら、知ってても知らないと言うこと

・表面上の積極性を出しつつも何もしない

仕事より査定資料

2018-12-06

精子の嘘

精子は何億とあり、その中の一つ、あるいは数個が卵子に入り込み受精となる。

誰でも知ってるような話だが、本当にそんなことがあり得るのか?

多くても10を超えないというのが嘘くさい。

単位が億だぞ。せめて100とか1000だろう。

これは嘘がある。単位にか、卵子バリアを貼るプロセスにかは分からない。

とにかくどこかに論理的矛盾がある。

科学者によってでっち上げられた嘘が。

2018-02-25

せめて「差別ではあるよね」で合意できないのか

私は男だけど、女性専用車両には賛成。

痴漢被害が酷いというのは聞いているし(リアル人とはそういう話をしたことはないけど、ネット上で上げられる声を聞いてると酷いというのがわかる)、トラウマになって女性専用車両しか利用できない状況に追い込まれる人がいるのも知ってる。

女性専用車両には今後も(気づかずに、あるいは忘れてうっかり乗っちゃった、とかはあるかもしれないけど、少なくとも意図的には)乗るつもりはないし、わざわざ乗り込んで反対運動やってる連中は頭おかしいんじゃねーのと思う。周りを威圧するとか、クズすぎでしょ。

痴漢という犯罪がなかなか撲滅されない現在において、女性専用車両という解決には一定合理性があり、それで救われる人が大勢いるのなら、私はそれに反対しない。敢えて乗車して、トラウマ抱えてる人を怯えさせようとも思わない。

でも形式的には差別だよね?

犯罪者の多くがその属性を持っていることを理由に、ある生得的な属性を持っている人の多くを公共の領域から締め出す行為は、差別だよね?

差別だとみんなが合意してるなら何も言うことはない。現状、男性社会的権力を持っている以上、この程度の差別は甘受すべきだという理屈もわかる。別の差別を漸減するためにより小さな差別容認されるべきという主張もわかる。上で書いたように、私にはその差別に反対するつもりは特にない。

でも、「差別じゃない!」という主張が執拗に繰り返されるのはまったく意味がわからない。なんでそこを否定しようとするのか。差別だが必要悪である、でいいじゃん。多くの人(私も含む)はそれで納得するよ。なんでそこにこだわるの。上の「ある生得的な属性」に別の属性を代入してごらんよ。大問題しょうが男性社会的には強者であるからこの程度は仕方ない、ってだけで、本質的には差別しかないでしょ。

差別である」という前提を共有できないなら、それは差別であると主張し差別解消のために強硬手段を採る運動にも一定正義はあると見做さざるを得ない。

ブコメに応答

murasakizaru 事故が頻発してる道路をやむなく私有地にはみ出して通る人に「不法侵入ではあるよね?私は刑法犯ですって認めろよ、言えよ犯罪者」と迫る意味は?意図は?痴漢利益の為に惜しみ無く情熱を注ぐ連中。

そもそも住居侵入だと思ってない人が大勢いるみたいだから、それが形式上住居侵入にあたるよね、という指摘は必要では。

underd 「間違いなくそ属性自体に起因する問題があるケース」は差別って呼称が妥当なのか議論の余地があると思う。そしてその状況では強硬手段正義ありと見做さざるを得ない、とは思わない

痴漢って男性という属性に起因する問題なのか。知らなかった。痴漢排除することはまったく問題にしておらず、痴漢をしていない多くの男性排除することを差別的な扱いだと主張しているんだけどな。そして、その差別是認するとも書いているよね。この差別には正当な理由があるから是認する、と言っているのに、差別じゃない! と言われるのは本当に困惑する。そう言われたらこっちも「これは差別ですよね」と言い続けるほかないわな。

shima2tiger だから何?女たちは男性差別した上で安全場所を得ているんだから、申し訳ないと思えってこと?性犯罪から身を守るためにそこまで卑屈にならなきゃいけないの?

差別絶対悪であり、その構造受益者はすまなそうにしているべきだという前提に立つなら、申し訳ないと思うべきなのでは。差別は時に必要であり、その受益者も堂々としていて良い、と思うなら堂々としていればいいんじゃないの。私は差別だとは言ったけど申し訳なく思えなんて言ってないよ。

nennoyuraku “ある生得的な属性を持っている人の多くを公共の領域から締め出す←シェルターとして女性車両を用意することがこれだとは到底考えられない。事業者が妥当な目的のため女性向けとした場所は公共の領域じゃないでしょ

すごい! 公共交通機関がその一部を「○○限定」にすれば公共の領域じゃなくなるんだ! その調子日本人専用車両とかも作っていこうな。

sand_land 専用車は優遇=男性差別って認識なら少しズレてる。専用車=空いてて快適とは限らん。性犯罪被害遭遇率が下がる以外はほぼ普通車両と同じ。更にその性犯罪は尻に触る程度じゃない。下着やそれ以上弄るとか普通よ。

私は「性別根拠にして犯罪者と同じ性別に属することを根拠として公共の空間への立ち入りが制限されるのは差別である」と主張しているのであって、「女性専用車両女性優遇のVIP車両! ずるいずるい!」なんて言ってないし、性犯罪の深刻さも否定してないよね? そういう主張をする反対派がいることは事実だけど、少なくとも私はそんな主張をしていない。

itotto 仮にこの意見合意したら次は差別だったら止めろになるんでしょ?馬鹿らしい。

その時は「あらゆる差別は悪であり即時廃絶すべきだ」派と闘えばいいのでは。私はこういう事情があるならこの差別は現状しゃーないな、って思うけど、どんな理由があっても差別を許せないひとというのは一定数いるので、頑強な反対派ってのは出てくるかもしれない。でもそれを防ごうとして「これは差別じゃない」と主張するなら、こちらも「いやこれは差別ですよね」と言わざるを得ないわけで。

kutabirehateko 日本での性暴力発生率は通勤通学時の交通公共機関が群を抜いて多い。避難所を利用しなければ通学も通勤もできない女性ハンディ無視することこそ差別だ。

「性暴力からの避難車両」なら差別じゃないんじゃない? 男女を問わず、性暴力に遭うことを恐れるひとであれば誰でも乗れる。結果として乗客女性だらけになったとしても、当然それは差別ではない。仮にこういう運用がなされるなら私は差別だとは主張しないよ。もちろんその場合、過去に痴漢された経験のある男性も乗れるわけだけど、これは制度趣旨からいって当たり前だよね。

それじゃ嘘をついて乗ってくる男性いるかもしれないという懸念もあるかもしれないけど、痴漢されやすい外見などというものはなく、性暴力被害者服装や外見で見分けることはできないのだから、それは仕方ないんじゃないの。

shin2rou アファーマティブアクション差別ではないでしょう。どうしてそこのこだわるのかマジ意味不明

アファーマティヴ・アクションマイノリティ大学入学や昇進などの審査において「優遇」するという施策なんで、女性専用車両アファーマティヴ・アクションだから差別じゃないって言ってるひとたちは「女性専用車両は、女性を優遇する車両である」と主張しているってことになるけど、本当にそれでいいんですかね。

ところでもちろんアファーマティヴ・アクションもやりようによっては違法な差別になりえるわけだが。カリフォルニア大学評議会対バッキ事件(Regents of the University of California v. Bakke)では、アファーマティヴ・アクションのせいで入学できなかったと訴えた白人学生が勝訴して入学してる。アファーマティヴ・アクションだから差別ではない、って、お前アファーマティヴ・アクションって言いたいだけやろ。

mionosuke 「区別」じゃね? 性的嫌がらせを行いうる人達という区別が、男性女性かで分けられたのだから。「差別」だとすると、差別をされたという被害者意識が生じる。

被害経験の有無とか性犯罪歴の有無とかで区切るなら(人権問題ではあるかもしれないけど)差別じゃないけど、一律に性別で区切ったらそれは差別に決まってるじゃん……。確かにいちばん多いのは男性女性への性犯罪で、最も対策リソース割くべきなのはそれだけど、男性男性女性男性女性女性性犯罪だってあるわけで。

kincity 巷に溢れる女性差別に対しては「他人人権毀損されても興味ありません」が「自分差別されるのは実害なくとも1ミリも許せません」という人権意識の人らとは差別の定義が違うのだろうで、そこ争って何になるの?

この増田では書いてないだけで、私は選択夫婦別姓賛成女性再婚禁止期間反対、婚姻適齢の18歳への統一賛成、プロチョイス性犯罪厳罰化賛成派ですが何か。

zyzy その理屈だと「黒人白人追い出して独立国家作ったアフリカの国々も差別」って話になる。これ書くと「くにはさべつとかいったきちがいがぁ」ってのが沸くけど、それなら女性専用車両差別というのもきちがいなだけ

ジンバブエムガベ大統領白人農場主の土地没収した時は非難轟々で経済制裁までされたじゃないですか! やだー!

というか真面目な話、独立する時に白人を追い出したアフリカの国ってどれぐらいあるの? 私はアフリカ史には詳しくないんで教えてほしい。確かボツワナのセレツェ・カーマ白人との共存政策掲げてたし、ローデシアジンバブエに変わった時も白人は追い出されてないし、南アフリカアパルトヘイトが終わった後も白人追放されてないよな。

そもそも、ある民族の独立国家を作るに際して特定民族集団を追い出す行為は「民族浄化ethnic cleansing)」という人道に対する罪なんだが。旧支配者層だから追い出していいってどこの国際法に書いてあるんですかね。コソボ建国に際して旧支配者層であるセルビア人への迫害を行ったアルバニア人指揮官普通に戦犯法廷に訴追されてるし、ツチ族植民地時代は優遇されてたっていう理由はフツ族による迫害の免罪符にはならんよな。女性の権利を重視する人がまさか民族浄化肯定するとは思わなかった……

totoronoki この問題ってどこに着地したくて声を上げてるのかわからない人ばかりなんだよな。相手論理的矛盾を指摘するのが楽しいだけなの? 男性専用車両が設置されれば差別問題は解消するよね?

差別であることを否定するな」っていう着地点、そんなにわかりにくい? 「差別だけど必要悪だよね」が多数意見ならいちいち「これは差別だ!」なんて言わないよ。「差別じゃない」って強弁するひとがいるから「差別です」って言ってるだけ。あと男性専用車両差別だよ……

sdtrd 差別だから廃止しろって強硬な主張と行動を行ってる集団が実際にいる状況で差別だと認めろって言われてもな。認めたら廃止しろって迫るんだろって思う程度にはネット上の男を信用してない。

運動上の都合で差別差別じゃないかが決まるんだ……(困惑)。運動の都合で差別の定義を変えていたら、お前らの主張する「差別」なんてどうせ都合のいい定義なんだろそんなん信用できるかって思われても仕方ないのでは。どういう連中がいようが差別差別、そのうえで容認できる差別かそうでないかを論ずるべきでしょうに。

tikani_nemuru_M 増田も結論部で「不当な差別」と「許容せざるを得ない差別」を分けている。ならば、前者を「差別後者を「差別ではない」と言ったほうがシンプルで、子供にも説明やすいだろう。よって増田の主張は不適当

でも、それだとその2つが連続的な、同質な行為だということが理解できなくならない? 私は、子供に「男性痴漢が多いか男性の入れない女性専用車両がある。これは差別ではない」と、「○○人の犯罪者が多いからといって○○人を排斥しようとするのは、不当な差別だ」ってどう違うの? って聞かれたら答えに詰まると思う。だってどっちも、一握りの犯罪者をもとにある集団を推し量る、っていう同じ行為じゃない。だったら、どちらも差別と認めた上で、差別を漸減させていくために何が必要かって話にした方がいいんじゃないの?

それに、2つを別々の言葉で扱うことは、片方を「あって当然で、解消しなくていいものだ」と捉えることにもなる。そうじゃない。痴漢が撲滅され、女性が何の不安も感じずに電車に乗る日が来るなら、女性専用車両なんて必要ない。それはあくまで、日常的な性暴力の脅威に対抗するために、やむを得ず認められている差別にすぎないんだ。それは差別認識されるべきだ。いつかその存在正当化されなくなる日が、目標にされるべきだ。私はそう思う。

というか、「自衛隊は暴力装置発言炎上したときは、「自衛隊の振るう力とヤクザの振るう力に根源的な違いはなく、また暴力装置であると指摘することは自衛隊員での侮辱ではなく、暴力装置と認めた上でどう統制するかが重要」というのが良識派の意見ってことになってたよね……? その見解を支持するリベラル派としては、何で同じ理屈が認められないのか本当に理解に苦しむ。

hyoutenka20 女性専用車両まで「差別」という範囲を広げるなら、今後一貫してその主張を通してもらい、ネットにあふれる民族差別女性差別発言にも是非戦ってもらいたい その前提の上なら「差別」とする人の考え方は理解する

増田だからなんの証拠も出せないけど、戦ってきたよ。民族差別にも女性差別にもセクマイ差別にも(はてブはてダで)NOと言ってきたよ。その上で言うよ。これは(罪が無いかあるいは軽いだけで)差別だって

keytracker こんな相手不快にさせる事してたら、さらに溝が深まるだけだろ。こんな屁理屈捏ねるなら法で縛るようになるだけ。差別だと思うなら、信用されるように行動すべきじゃないのか?日系人はそうやって信用勝ち取った

日系人がどれだけ怠惰で鼻持ちならない連中であったとしても日系人排斥日系人強制収容排日移民法差別でしょ……まさか女性の権利を主張する人が差別される側に努力を求めることを肯定するとは思わなかった。

ueno_neco これまで「差別」という言葉部落差別とか黒人差別のように使われてきたわけで、それらと並列の表現をするのに違和感あって当然でしょ…。女性専用車設置理由は痴漢であって、女性による男性差別じゃないでしょ…。

でもやってることは同じだよね、というのが指摘の趣旨だよ。「○○出身者は犯罪率も高くて危ないから○○出身者は(犯罪歴の有無にかかわらず)入社させないようにしよう」が差別なら、「痴漢の多くは男性なのだから男性を(痴漢だろうがそうでなかろうが)特定車両に乗せないようにしよう」も差別でしょ。

もちろん、これは「○○出身者はなんか汚らわしいから嫌い」「○○人は劣った民族だから排斥すべき」とは違った行為だ。そういった偏見のみを「差別」と呼ぶのなら、確かに女性専用車両差別ではない。ただしその場合、「女性は中途退社する割合有意男性よりも高いので、女性管理職候補にはしません」も差別ではない、ということになってしまうが、本当にそれでいいのか。私はそれは不当な差別だと思うし、それを差別ではないとする主張は詭弁だと判断するが。

ところで、私は「女性による男性差別」とは一言も言ってないような。当然この場合、差別主体鉄道会社であって、女性客ではないよね。

yuhka-uno 差別ではない。いじめ被害に遭った子が別の教室で授業を受けられるようにする措置は、差別ではないから。

痴漢被害に遭遇したことのない女性あるいは傍観者だった女性あくま仮定上の存在ね)が入れて、痴漢被害者男性が入れないのは、被害への措置として不適当だよね。上で書いたけど、被害に遭った/遭うことを恐れるひとなら性別を問わず誰でも乗れる、そのかわり女性でもそんな恐怖を感じていなければ乗れない、なら差別と言うつもりはない。

あと、救済措置であることと差別であることは矛盾しないよね。救済という大義のための必要悪として差別を許容するという趣旨の文にそんなブクマされても……

「そんなに差別と認めさせたいなんて、増田は何が目的なの?」

同じロジックで不当な差別をさせないため。

「犯罪率が高い集団の成員をまとめて排除するのは差別じゃない」という論理は、たとえば歴史的差別されてきた結果として犯罪に手を染めることが他の地域の人よりも多くなってしまった地域の人を差別することにつながる。私企業なんだから別に勝手に『女性専用』を設定していいだろ」という理屈は、私企業が「日本人専用」や「○○人お断り」をすることを許容してしまう。「これは差別ではない、区別だ!」という言い方は、女性不利益を受けたときに「でもこれは区別だから」で済ませる余地を与えてしまう。

(※地下猫さんの指摘を受けて訂正。この部分は、あくまで「犯罪者の多くがその属性を持っていることを理由に、ある生得的な属性を持っている人の多くを公共の領域から締め出す行為であることを前提に、それは私企業行為だからとか区別だとかいう反論が来ることを想定して、その理屈はだめでしょ、と言ったつもりだった。言葉足らずで申し訳ない。ここは誤解されてもやむなし)

それらは不当な差別だ。でも、不当な差別と現今の環境下では許容せざるを得ない差別は、外形上区別できない。だったら、変な理屈をこねて後者を「差別じゃない!」と言い繕うべきじゃない。それは前者をも免罪してしまう。

加えて、差別差別である認識されていない状況はそれ自体が不正であるから、というのもある。「○○は単なる区別だから、差別じゃないよね~」という言辞に、どれだけの被差別者が苦しめられてきたか。そんな言い分を許さないことは、正義への一里塚だよ。

2018-02-13

anond:20180213171933

私もこれはIBM側に非があるような気がしてる。

開発委託費約22億円というと、RFPは数百ページになる規模でしょ。

文化シヤッターは割と真面目に要望を出してたと思うんだよね。

IBM側の最初のPMは、ちゃんとヒアリングして要望を満たすRFPを作り上げた。

その結果出来上がったシステムが、

Salesforce1 Platformの標準機能実装した部分が5%、同基盤上でカスタム開発した部分が95%だった。

なのね。

95%もカスタムしてるって、相当要望聞いちゃって頑張っちゃった感がありありなんだけど、

これって、あっちの画面の機能とこっちの画面の機能の間に論理的矛盾があって挙動おかしくなる系のバグを大量に含みやすいのよね。

本当は仕様を詰める段階で、相当注意深くIBM側が設計すべき部分なんだけど、PMがアホで矛盾のある仕様に気づかず

えいやで作っちゃった。

それでバグの数が1000件!

IBM側の責任バグ200件と主張してるけど、それを修正するよりも

これを標準機能が80%以上、カスタム部分が20%以下になるよう開発し直す。

したほうがお得というのだから最初システムはとんでもないおんぼろ煙突システムだったんじゃないかな。

2016-12-22

日本映画評論界に失望した

今年は邦画のいい作品目白押しだった。

シン・ゴジラ」「君の名は」「聲の形」「この世界の片隅に

アニオタ自分的には4巨塔だったが、それ以外にもアイアムアヒーローやHIGH&LOW葛城事件、怒りなど様々な作品目白押しだった。


しかし、「君の名は」に関する評価についてははっきり言って失望している。

ここまで見る目がなく、日本一般大衆海外批評家海外アニメファン思考がこんなにも離れているとは思わなかった。

イギリス大手3誌の高評価ロサンゼルス批評家協会賞の受賞。

また、フランス映画通に有名なカイエ・デュ・シネマが★5をつけたことなどを見ると海外批評家筋はかなり高いクラス評価をつけている。※カイエ千と千尋にすら★5ではなかったと思う。

もちろん脚本論理的矛盾点を指摘している人もいる。

その上でこれだけの高評価を叩き出しているのだ。

まり作品の軸はきちんと他にあると明確に認識しているということになる。


中国での売上や海外アニメファン内での盛り上がり。

台湾タイ香港中国ユーザーレビュー投稿サイトでも超ハイクラスのレビュースコアを叩き出し

また、まだアメリカで公開されていないとは言えiMDBでは8.8という異常な点数である。(恐らく最終的には8程度になると思われるが。


また、作品評価する際の下手くそさもコレだけ目立つとは思わなかった。

とんでもなく下手くそ比較論で敵を多数作り上げ、比較されたそれぞれの映画ファン対立を誘発し映画界の盛り上がりを落とすような褒め方など

まり稚拙で幼稚な論評をする人が絶えない。

なるほどこれが日本映画界が沈没する一つの要因なのだなと思い知らされた。

今のうちにこの習慣を改めないと海外とどんどん意識乖離し、市場に捻れきった評論があふれることになる。

ナショナリズムで凝り固まった論評をする人が増え、近視眼的で客観的ではないレビューが増えることを危惧している。

そう、あの「ゲハ」のようにだ。

海外日本評論がずれる事による最大のデメリット可視化したのがゲハなのだ


個人としてはとてもいい映画だと思うが、あれだけハイコンテキストな「シン・ゴジラ」を海外で受けると思っていた人は反省してもらいたい。

また、「この世界の片隅に」のような静謐さを備えた伝統日本映画的なアニメーションもなかなか評価され難いだろう。

※japantimesは3/5の評価を下した。政治的な要素もマイナス作用する可能性は十分に高い。もちろん一定程度の評価は私も受けるとは思っている。


個人的には、この世界の片隅により「聲の形」の方がまだ海外では評価されやすいと思っている。

公開されるのを待たねばならないが楽しみにしておこう。


さて、言いたいことはとりあえず言い終わった。

この先海外に売り込むアニメ日本評価されるアニメに大きな違いが生まれ可能性すらありえる。

と言うか既になっている。

今のところ十分に楽しめているが、日本評論家発言を見ていると日本映画市場が「ゲハ化」する可能性は十分高いと思っている。

引き続き見届けていきたい。

2016-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20160117115551

この人には思考力が欠如している。

なぜ二次創作規制することがコンテンツの豊かさにつながるのか触れらていないし、

規制すべきと先には言いながら、性差によっては認めるべきだとする。

極めつけは、この論理的矛盾を肯う根拠として、「女性の性欲は綺麗な性欲だから」と言う。

性差において性欲に美醜はないと思うが、少なくとも、この書き手の心は著しく不潔だ。

2016-01-09

被差別者矛盾してもいい

新春暴論2016――「性的少数者」としてのオタク

山口浩 / 経営学

http://synodos.jp/society/15869

について、まぁすこし前に流行った弱者男性と同形の議論だよね基本は、そして弱者男性議論と同様に根本的に間違えてる部分がある。

被差別者矛盾しても構わないのだ。

山口氏は単純なロジック問題として語ってしまっている。

これに対してコメントを見てみると

それ以前に当事者運動すらないのに、「被抑圧下で権利主張を行うマイノリティ」に対して自分たち以外の権利獲得・保護まで一方的に背負わせるのは無理筋だと思います

LGBT包含しにくい勢力をLGBTと同等の勢力と多数派が認めればいいだけでは。少数者はひと固まりになるべきてのは押し付けに過ぎない

分かるけど「お前らの運動思想的に無矛盾じゃないからニセモノ!」って足引っ張るのはやめような。オタクオタクで頑張れ。共闘はできなくても互いに応援はできるはず

ロジックというよりは戦略面での反論が多い。

考えてみれば当たり前だ、そもそも論理を貫き通せばそれでOKなら、差別のものがとっくの昔にこの世にないはずだ。となれば必然運動論理を超えた、つまり矛盾を含むことになる。

論理的には山口氏は正解だろう。「性的少数者は守られるべきか?」「多様性擁護されるべきか?」という直截な疑問にLGBT側の多くの人間留保を付けずに「YES」と答えられないのではないか。そして留保を付けた途端、この教条絶対性は揺らぎ、次なる理由を求められることになる「では、なぜLGBTだけが?」「その理由は?」

理由など無い、たまたま自分かあるいは近しいところにその当事者がいたとか、そういう理由ならあるだろうが。論理的説明は無い。

こうした運動にとってロジックは「根拠」ではなく「道具」に過ぎない、ってことをわかってない。まず第一に「ある特定差別解消」という恣意的目標があり、ロジックは都合のいいものだけ後付けされる。そんなことはわかった上で、なのかもしれないが。

 

なぜ矛盾してもいいのか?

それはそもそも第一の目的が「論理性の追求」などではなく「ある特定差別解消」だからだ、この目的のもとに、手段の(特に論理的正当性は言ってしまえばどうでもいい。そもそも論理的であるべき(矛盾すべきでない)とする論理的理由は無い。それは常に(他の場面でも)戦略的ものだ。

そう、戦略だ。ここに山口氏の主張をベタに受け取る上記の反論の未熟さが伺える。彼らも分かってるはずだ、ここにはコンスタティヴではない、パフォーマティヴな意図が隠されていると。

被差別者矛盾してもいい、そのことには論理的正当性すらあるが、一方で戦略的にはよろしくない。大半の人間馬鹿から矛盾してもいい」ことを理解できないし、となると論理的矛盾論理的ではなく戦略的な足かせになる。

彼らがやるべきは「その言い分は戦略的にまずい」とコンスタティヴに言ってしまうことではなく、山口氏と同様にパフォーマティヴな意味を獲得する論理ゲームに参加することだ。

彼らは勘違いしている。これは「論理的正当性」という称号を賭けたただのゲームなのだ。これを獲得すると「説得力」という全然論理的には役に立たないが戦略的に役立つものが手に入り、逆に負ければ論理的には全く問題ないにもかかわらず戦略的には大きなリスクを負うことになる。

彼らは文章の表層に表れる論理ゲームしか見えていない、その上空で展開されるメタ称号争奪戦略ゲームが見えていない。彼らは「論理より戦略考慮しないと」と言うわりに自らの戦略的位置・意味には驚くほど鈍感だ。正しいことを言ってればいいわけじゃない。

論理ゲーム勝敗戦略ゲームの戦況に影響を与えるということ、この簡単な事実を前提とした意見は残念ながら今のところあまり見られない。

2015-11-10

「人の言うことを素直に聞きなさい」

目上の人が目下の人に、どんな論理的矛盾があってもそれをねじ伏せるための言葉

2015-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20150531203937

具体的なフェミニストの方はむしろ僕の批判対象外であるばかりか、尊敬対象であることがほとんどだと思いますよ。

そういう方のフェミニズムというのは、哲学的論理的基盤がしっかりとあり、「どうして女性の権利拡張すべきなの?」という質問にも真正から答えられる人が大半でしょう。恐らく。

そして弱者男性との関係についても、上記の質問の答えと矛盾が無いように弱者男性も助けるか、あるいは助けない理由弱者男性は助けなくてもいいが、女性は助けるべき理由)を述べられる人が大半でしょう。恐らく。

そういうわけで論理的矛盾が無いわけですから、当然批判のしようがありません。むしろ尊敬されて然るべきです。

逆に、弱者男性との関係において、その「女性の権利拡張すべき」という信念との矛盾を露呈してしまうようなフェミニズムは、端的に言っていらないんです。フェミニズムにとっても邪魔でしょうそんなもの

しかし残念ながら、フェミニズム最前線はともかく、その後続となる一般人フェミニズムと呼べるであろう集団は、そうした矛盾を抱えてしまっている。

これは掃除した方が互いの為だろうというのが僕の動機です。

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