「自然数」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 自然数とは

2024-04-17

anond:20240417114946

x^n+y^n=z^nに該当する自然数存在しないこと自体は非常に簡単理解できる

x=3, y=4, z=5, n=2を代入すれば等号は成り立ちます

3^2+4^2=5^2

三平方の定理って知らないのですか?

   ① 本件での数学課題は、結局のところ、x^n+2y^n=4z^n という課題については無限降下法という手段が用意されているが、2,4がない場合方程式に対しては

     用意されていないこと ( なお、n≧3という条件は大量に言い付されているのでここではいちいち付言しない)

   ②

     小学生中学生は、 x^n+y^n=z^nに該当する自然数存在しないこと自体は非常に簡単理解できるし、その理由を知りたいと思うにもかかわらず、自らそれをノート

     書いて探求する時間も与えられていない (こつこつと積み重ねていけばそのうち到達するだろうとは予想されても誰もやろうとする者がいないこと)

   ③

      吉崎佳弥の場合は、 x^3+y^3=z^3の場合について、紙に書いて検討する能力もないこと。(自分でやったことはなく、工場で作られた、岩みたいなしっかりしていてなおかつ頭がいい

    と思っているカンニング野郎詐欺師から

      ④  旭川市長は性格が洗練で潔白であり、品性のいい者でなければならないが、吉崎は、カンニングが得意な少年であり、政治的大道香具師、鵺的な存在であり、

         という、月刊ペン事件損害賠償被告著作した本に書いていることを地で行っている。(昭和55年最高裁判決

2024-04-07

[] 無限存在するか

数えることを学ぶとき無限に遭遇し、永遠に数え続けることができることに気づきます

それほど独創的な観察ではないですが、いつでも1を足してさらに大きな数を得ることができるため、数えることに終わりがないことが、無限重要性質です。

無限にはさまざまな種類があるため、それほど単純ではありません。 1、2、3 などの自然数の量は「可算無限」と呼ばれる最も単純な種類の無限にすぎません。

正式には、自然数から他の集合への1対1の写像(注: 勝間さんではありません)がある場合、この集合は自然数と同様に無限であることを意味し、同じ種類の無限です。

実数場合、その写像存在しないので、より大きな無限となります

さて、無限演算定義するとどうなるでしょうか。無限大に1を加えても無限大になります自然数のある数を無限大で割るとゼロになります

まり無限大に1を加算すると、結果は同じ種類の無限大になることを意味します。

これらの関係方程式として記述する場合には問題が起こってしまうことがよく知られます

無限大を無限大で割ったり、無限大にゼロを乗算したりする場合さら意味不明になります

実際には数学者無限対処する方法をよく知っています。ただ注意しなければならないのは、その無限がどこから来たのかを追跡することです。

たとえばxが無限大になると無限大になるx squareのような関数があるとします。

それを指数関数で割ると、これもxで無限大になります

まり無限無限で割ることになります

しかしこの場合、結果はゼロになります

無限大がどこから来るのかがわかっていれば、もう一方から1を引くこともできます

実際、物理学者は場の量子論で常にこれを行っています

たとえば、1/イプシロン、1/イプシロン二乗イプシロン対数などの用語がある場合があります

これらの各項は、イプシロンからゼロまでの無限大を与えます

しかし2つの項が同じ無限大であり、イプシロンの同じ関数であることがわかっている場合は、数値と同様に加算または減算できます

物理学では通常、これを行う目的計算最後にそれらがすべて互いに打ち消し合い、すべてが理にかなっていることを示すことです。

したがって数学的には無限は興味深いですが問題はありません。数学に関して言えば、無限をうまく処理する方法を知っています

しか無限存在しますか?

数学的な意味存在します。つまりその特性分析してそれについて話すことができるという意味です。

しか科学的な意味では、無限存在しません。

科学的には、観察を説明する必要がある場合にのみ、自然理論の要素が「存在する」と言えるからです。

そして無限を測定することができないので、観察するもの記述するために実際には無限必要しません。

無限大は測定できないという問題は、ゼロ問題と密接に関係しています

たとえば、点の数学抽象化を考えてみましょう。物理学者は点粒子を扱うときに常にこれを使用します。点のサイズゼロです。

しかし、実際にサイズゼロであることを示すには、無限に正確に測定する必要があります

したがって、測定精度が許容するものよりも小さいこしか示せません。

無限ゼロ物理学のいたるところに存在します。

宇宙や時空のような一見無害なものであっても。空間数学を書き留めた瞬間、そこにはギャップがないと想定します。

無限に多くの無限の小さな点で構成された完全に滑らかな連続である仮定します。

数学的にはこれは扱いやすいため便利な仮定です。そしてそれはうまく機能しているようです。

それがほとんどの物理学者があまり心配していない理由です。彼らは無限有用数学ツールとして使用しているだけです。

おそらく物理学無限ゼロ使用すると間違いが生じるのは、これらの仮定科学的に正当化されていないためです。

そしてこれは、宇宙量子力学理解役割を果たす可能性があります

ジョージ エリスティム パーマーニコラス ギシンなどの一部の物理学者が、無限使用せずに物理学を定式化する必要があると主張したのはこのためです。

2024-03-26

   フェルマー定理幾何ではなく整数論である。どんな内容かと言うと、

  (1) x+y=z を満たす自然数は大量にある。

  (2) x^2+y^2=z^2を満たすものは無数にある。

  (3) x^n+y^n=z^n を満たすもの存在しない。

    ということである。それが美しいということは、子供でも非常に分かりやすい。 この形式をした式に該当する自然数一見ありそうで一個もないかである。きれいさっぱりありませんというのが

  美しい。証明技術的に出来るようになっていて分かりやすい。

    これに対して、幾何学も、組み合わせ論も同じようになっているが、非常にむつかしい。

  何で私がこれに興味を持っているかというと、 数学問題発見されるもので、しか証明ができるようになっている。それがゲームみたいで面白いからというだけのことである

   

2024-03-24

   メネラウス定理とチェバの定理は、 それ自体が美しいから、習うんだよ。それ以上複雑なものはない。

     コラッツ数列は、  任意自然数 n から操作して必ず1にいくものである。 極めて高いところにある予想で、説明はまだ出来ていない。

  よく使用するもの

      幾何学    パスカル定理 ・・・  それ自体美しい上、 他の問題証明中に出現する

   数学的帰納法

   鳩ノ巣原理 ・・・  組み合わせ論

       

2024-03-19

   無限降下法という人間の頭の中にある手段を使うと、 x^3+y^3=z^3に解がないことを説明できるが、スーパーコンピュータを使っても延々と演算が続くだけで、

   該当する自然数はないということを示すことはできない。したがって、いくら大量に計算機を並列しても、上の式はないことを示すことは不可能である

2024-03-16

https://anond.hatelabo.jp/20240316185300

 x^4 + y^4 = z^4 は、  あてはまる自然数解が1つもないので、 そんなことをどうやって正確に証明するかというと、 1つしかない、 背理法しかないわな。背理法っていうのは

   あてはまるものがあると仮定して矛盾を出すというものだわな。それでできますということですが、やたら難しいので自分ではできませんと。

  東京大学入試でも、難しすぎて出題できない。はい

   あのな、あべしもってみ、冷静に考えろ、これ、 あてはまる自然数がないんやぞ、なあ、無限遠点のところでも、悪い分岐してるんやな、ラミュフィケーションになってるんやな。

  なら自分で解答書いてみろよお前、詐欺やないか

2024-02-21

[] 数学は量子物理学と同様に観察者問題がある

量子力学における観測問題についてはよく知られるように、人間主観性が量子実験の結果に重要役割果たしている。

ドイツ物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクによる有名な引用がある。

私たちが観察するのは現実のものではなく、私たち質問方法さらされた現実です。」

例えば有名なダブルスリット実験では、スリットの後ろに検出器を置かなければ電子は波として現れるが、検出器を置くと粒子として表示される。

したがって実験プロトコル選択は、観察する行動パターンに影響する。これにより、一人称視点物理学の不可欠な部分になる。

さて、数学にも一人称視点余地はあるか。一見すると、答えは「いいえ」のように見える。

ヒルベルトが言ったように、数学は「信頼性真実の模範」のようである

それはすべての科学の中で最も客観的であり、数学者は数学的真理の確実性と時代を超越した性質に誇りを持っている。

ピタゴラスが生きていなかったら、他の誰かが同じ定理発見しただろう。

さら定理は、発見時と同じように、今日の誰にとっても同じことを意味し、文化、育成、宗教性別、肌の色に関係なく、今から2,500年後にすべての人に同じ意味があると言える。

さて、ピタゴラス定理は、平面上のユークリッド幾何学の枠組みに保持される直角三角形に関する数学声明であるしかし、ピタゴラス定理は、非ユークリッド幾何学の枠組みでは真実ではない。

何が起こっているのか?

この質問に答えるには、数学定理証明することの意味をより詳しく調べる必要がある。

定理真空中には存在しない。数学者が正式システムと呼ぶもの存在する。正式システムには、独自正式言語付属している。

まりアルファベット単語文法は、意味があると考えられる文章を構築することを可能にする。

ユークリッド幾何学正式システムの一例である

その言語には、「点」や「線」などの単語と、「点pは線Lに属する」などの文章が含まれる。

次に正式システムのすべての文のうち、有効または真実である規定した文を区別する。これらは定理である

それらは2つのステップで構築されれる。まず、最初定理証明なしで有効である宣言する定理選択する必要がある。これらは公理と呼ばれる。

これらは正式システムの種を構成する。

公理から演繹は、すべての数学コンピュータで実行可能な印象を生む。しかし、その印象は間違っている。

公理選択されると、正式システム定理構成するもの曖昧さがないのは事実である

これは実際にコンピュータプログラムできる客観的な部分である

例えば平面のユークリッド幾何学と球の非ユークリッド幾何学は、5つの公理のうちの1つだけで異なる。他の4つは同じである

しかしこの1つの公理(有名な「ユークリッドの5番目の仮定」)はすべてを変える。

ユークリッド幾何学定理は、非ユークリッド幾何学定理ではなく、その逆も同様。

数学者はどのように公理を選ぶのか。

ユークリッド幾何学非ユークリッド幾何学場合、答えは明確である。これは、単に説明したいもの対応している。

平面の幾何学であれば前者。球の幾何学であれば後者

数学は広大であり、どのように公理選択するかという問題は、数学の基礎に深く行くと、はるかに感動的になる。

過去100年間、数学集合論に基づいてきた。

すべての数学オブジェクトは、いくつかの追加構造を備えたセットと呼ばれるものであるということだ。

たとえば自然数のセット1,2,3,4,...は加算と乗算の演算を備えている。

一般的なセットとは、数学で正しく定義されたことがない。

集合論特定正式システムによって記述される。Ernst ZermeloとAbraham Fraenkelと、選択公理と呼ばれる公理の1つに敬意を表して、ZFCと呼ばれる。

今日数学者は、すべての数学を支える集合論正式システムとしてZFCを受け入れている。

しかし、自分自身を有限主義者と呼ぶ少数の数学者がいる。

彼らは、無限公理と呼ばれるZFCの公理の1つを含めることを拒否する。

言い換えれば、有限主義者正式システムは、無限公理のないZFCである

無限大の公理は、自然数の集合1,2,3,4,...が存在すると述べている。すべての自然数に対してより大きな数があるという声明(「ポテンシャル無限大」と呼ばれる)よりもはるかに強い声明である

有限主義者は、自然数リストは決して終わらないことに同意するが、いつでも自然数の集合の有限の部分集合のみを考慮することに限定する。

彼らは一度にまとめたすべての自然数の合計が実在することを受け入れることを拒否する。

したがって、彼らはZFCから無限公理を削除する。

この公理を取り除くと、有限主義者証明できる定理はかなり少なくなる。

正式システム判断し、どちらを選択するかを決定することができるいくつかの客観的基準...なんてものはない。

主観的には、選ぶのは簡単である

時間空間を超越した何かを象徴しているので無限大が大好きだ」と言えば無限大の公理を受け入れることができる。

ゲーデルの第二不完全性定理は、十分に洗練された正式システム(ZFC等)は、自身一貫性証明することができないと述べている。

数学者は、今日のすべての数学の基礎であるZFCが確固たる基盤にあるかどうかを実際に知らない。

そしておそらく、決して知ることはない。

なぜなら、ゲーデルの第二の不完全性定理によって、より多くの公理を追加することによってZFCから得られた「より大きな」正式システムにおけるZFCの一貫性証明することしかできなかったから。

一貫性証明する唯一の方法は、さらに大きな正式システム作成することだけだ。

数学を行うためにどの公理選択すべきかについて、実際には客観的基準がないことを示唆している。

要するに、数学者が主観的に選んでいるというわけである自由意志に任せて。

公理のための主観的基準というのは、より豊かで、より多様で、より実りある数学に導くものを選ぶという人は多い。

これは自然主義と呼ぶ哲学者ペネロペ・マディが提唱する立場に近い。

自分自身制限する必要がないので、無限公理を受け入れる。

特定公理のセットを選択する行為は、量子物理学特定実験を設定する行為に似ている。

それには固有の選択肢があり、観察者を絵に導く。

これが、一人称視点とそれに伴う自由数学において正当な場所を取る方法である

2024-02-18

anond:20240218142849

そもそも

全ての自然数加法による計算は、感覚ではなく公理定義から導出出来るものであるということの一例と私は考えています

1+1=2は直感的に正しそうだけど証明可能不可能かは大問題証明できないと数学破綻している可能性があります

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13293425613

みたいな主張、ようは「数学的に証明されたら感覚的なことではない。感覚じゃない事実なことを示すために証明するんだ」みたいな主張に対する違和感から始まってんだよね、元増田は。

いや、定義自体が、人間インプットされた「同一/非同一」とか「書き換える」みたいな原始的観念/身体感覚依存してる部分が多少なりともあって、このプリセットが全人類で同一か確認する術が不可知なのだから

感覚あいまいなもとみなし、そこから『全く』逃れるために証明するんだ」という考え方は、誤りだろって突っ込みたい動機から始まってるんだよね。全くじゃなく、程度問題だろ、全く感覚の影響を排除できてるというのは思い上がりだろっていう。もちろん厳密であろうと努力する態度は尊いと思うよ。

なんか最近"数"が増田流行っているみたいなので、ワイくんも作文してみました

数の概念文化歴史によって変化してきた。古代ギリシアでは、1は数ではなく単位とされていたが、現代では自然数の集合 N の最小の要素とされている。

 

数の概念哲学的問題を引き起こすことがある。無限や超準数といった数は直観に反する性質を持つ。例えば、無限自分自身に加えても変わらないという性質を持つ(∞+∞=∞)。超準数もまた通常の数の演算法則が成り立たない(ω+1≠1+ω)。

 

数は実在するのか、それとも人間の心の産物なのかという存在論的な問いもある。数の実在主義は、数は客観的実在であり、人間の心とは独立して存在すると考える。数の構成主義は、数は人間の心の産物であり、人間言語思考依存して存在すると考える。プラトニズムは、数はイデア界に存在する普遍的実在であると考える。ピタゴラス主義は、数は万物の根源であると考える。論理主義は、数は論理的な体系から導き出されるものであると考える。

 

数の概念数学の基礎付けにも関わる。数学公理定理は、数の概念に基づいて構築されているが、その正当性や完全性には限界がある。ゲーデル不完全性定理は、数の概念を用いた形式体系には矛盾しないが証明できない命題存在することを示した。

 

数の概念は、かつて客観的現実を表すものと考えられていたが、量子論の発展により、数はより複雑で主観的ものである可能性が高まった。古典物理学では、数は物理量と一致していたが、量子論では、数は物理量とは別の抽象的な概念として使われている。

 

自我自由意識と同様に、数の本質はまだ解明されていない。しかし、量子コンピューターは数の概念を利用して作られており、数は物理システム表現する有効ツールであることは、どのレイヤースケールにおいても明らかである

 

数の概念私たち知識理解拡張するものであり、同時に私たちの疑問や不確実性を増やすものでもある。

 

数の概念は、私たち世界に対する見方を変える力を持っている。(どやああああ)

 

————————-

流行を作った増田

数学定義は本当に厳密で一意なものと言えるのか気になりました

https://anond.hatelabo.jp/20240216124331

 

 

 

書き起こす必要があるときちゃん文章書いてます。まとめの参考にしてね

anond:20240310160032 anond:20240310173949

メタイデア

数学における自然数みたいなもの定義、が形成する概念を、たとえば数式の3という表記が指示する概念が、我々が日常見てる、3個のりんごやひもとその3倍のひもが並べられてる光景や、時計の長針と短針が三目盛り分ずれてるみたいなのから得られる共通世間一般に3とよばれる性質と同じだと思うのは、すでに「解釈」なんだよな。

数学において3、「0の次の次の次の数」と自然言語では説明されるような概念はただの操作対象である記号列でしかない。

その記号列にどんな意味を持たせるかは、「物理現象の中に見いだされる3という性質」以外にもあるかもしれないし、ないかもしれない。

「直線と呼ばれるもの定義」についても、幾何的なイメージ解釈するのも、イデアル?だかで解釈するのも勝手日常生活の個数や順番などとして見出される3の性質も、それと同程度に解釈しかない。

トポロジーなんかが典型的だと思う。あれが示す証明が、幾何的なイメージとしての立法内包する何かに対する性質を示してると考えるのは解釈しかない。

そうすると自然言語認識してる3や△というのは、たとえそのもっと理想的ものを持ち出しても、数学定義にとっては一段レイヤーの低いイデアということになるかもしれない。

数学定義に対して、複数の3や三角形というイデア解釈として結びつくなら、数学定義メタイデアか。

その前は、定義もまたイデアとするなら、3や三角形物理イデア、と物理的を冠して存在する領域区別すればいいのかなとか思った。

anond:20240217133852

もっと根源的な問題として、推論規則の「一覧表」があるとして、あるマスの記号とあるマスの記号列の関係それ自体を厳密に記述することは可能なのか?と思う。

はい. もちろんできます. 例えば数理論理学の本などを参照していただければ, 証明体系などの数学定義が与えれらています.

私は「書き換え」のように自然言語を使って表現していますが, これらの操作などももちろん数学的に定義されます. 「操作」とは何かという疑問をお持ちでしたらラムダ計算理論が参考になると思います. そしてこれらの操作は全て計算可能です, 平たくいうとプログラムとして実装できます. これらは全く感覚的なものではありません.

・(その他の部分に関して)

何が問題意識としてあるのかが私ははっきりとつかめていません. すいません.

例えば自然数概念を共有していれば上記概念(証明体系等)は一意的に共有できるものです. 一方で例えば何も共有していない全く無の人にこれらの概念を共有するのは困難だと思われます.

卑近な例でしたら, 数学を全く知らない人に突然これらの定義を見せたら, ただの絵や呪文に見えるでしょう. (私はそれはそうだと思います. 数学に対してどういう普遍性を求めているのか分かりませんが. )

最後に, 哲学的にそのようなトピック議論したいのであれば, 無理に数学言葉を使わなくとも可能だと思われます. 時には数学における言葉遣いが通常の言葉遣いと異なる場合もあります. また度々言及れい事柄のいくつかは様々なな分野で歴史的議論, 研究されているトピックがいくつもあります. いくつかの文献を読んでみて一度整理されると, 誤解, 車輪の再発明を避けることになりますし, あなたがどういう問題, 問題意識を持っているかをきちんと言語化する助けになると思います. それに加えて, これまで人々が様々な学問領域で積み重ねてきた多くの結果に敬意を払うことが重要であると私は考えます.

申し訳ないですが, 一度この議論は終わりとさせてください. 参考になれば幸いです.

2024-01-30

anond:20240130154949

30歳 以上の自然マンコ について、臭い + 味 = 汁気 となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない

2023-12-12

[] 2023-12-12

無限は様々な人たちを当惑させてきた。周囲の物理世界で観察されるものはすべて有限。

観測可能宇宙原子の数でさえ、想像を絶するほど大きいとはいえ、やはり有限。

無限は本当に存在するのか?

数学はおそらく、無限とつながるための最も知性的論理的方法を与えてくれる。

数学的な無限理論は、19 世紀末ドイツ数学カントールによってほぼ独力で作成された。

自分アイデアを追求するために、カントールは途方もない勇気を示した。批判者たちに答えて「数学本質はその自由にある。」と書いたのである

数学では、選択された公理論理規則に厳密に従わなければならない。

しかし、そのルールの中においては、本当に想像力を羽ばたかせることができる。数学には独断偏見が入り込む余地はない。

カントールの考えは、無限大は数ではなく、むしろ集合の性質であるというものであった。

2 つの集合 A と B が与えられると、A から B への「写像(勝間さんじゃないですよ)」について考えることができる。

これは、 B の要素を A の各要素に割り当てるルールである

カントールによって導入された重要概念は、集合 A と B の間の1 対 1 対応である。これは、Bの各要素がAの1つの要素にのみ割り当てられるような、A から B への写像である

Aが有限数の要素 (たとえば、n) を持ち、B が別の集合である場合、B にもn要素がある場合にのみ、AとBの間に1対1の対応関係存在するという定義である。 

ここで、無限集合の概念を導入できる。これは、Aと有限集合Bの間に1対1の対応がないような集合Aである。たとえば、自然数の集合 N={1,2, 3,…}は無限集合である

ここまでの理論はかなり単純だ。しかしその後、カントールは驚くべき発見をした。互いに1対1対応していない無限の集合が存在するのである

言い換えれば、無限大にはさまざまなサイズがある。

たとえば、集合Nと実数の集合Rの間には1対1の対応がないことがわかる。

カントールの対角線論証とも呼ばれる証明があるが、これはかなり美しい証明と言われている。

そこでは実数の集合と自然数の集合の間には 1 対 1 の対応関係がないということが示されている。実数の「無限大」は自然数の「無限大」よりも「大きい」と言える。

この 2 つの間に「無限」は存在するのか? これは、数理論理学における最も深い問題の 1 つである、有名な「連続体仮説」につながる。

2023-12-06

一袋1000円です。二袋で2000円、三袋で3000円です。

1袋1000円だけ言えば十分だろ。

逆に二袋で2000円、三袋で3000円などと言わないと二袋三袋の合計金額がわからないやつは四袋五袋の合計がわからんだろ。

まりそんな人を想定するなら、自然数個の値段を延々と言い続けなければ筋が通らない実際は一度に客が物理的に買える在庫あるだけの分だけ言えばいいってのはあるが)

だったらこれほどの単純なかけざんは自力でできるやつのみを対象とした説明にするほうが潔い

2023-11-10

anond:20231110223828

無視無視って君は昆虫かよ

異常独身男性のすることがその程度の語彙力と頭しかないのか

いか?君がさっきから言ってるのは女がやんちゃな男を支持しているのに、自分だけ持てないってことの腹いせでしかない

そこを隠して相手がハングレだとかいって誤魔化しているのが見え見えなの

無視しろ無視しろってあと何回ほざく予定?自然数の中で答えてね

2023-09-25

anond:20230925130841

最小値が定義できる集合は半順序集合

ただし最小値が存在しない場合がある(実数体R、実数の開区間(0, 1)など)

空でない任意の部分集合が最小値を持つ集合は整列集合(自然数Nなど)

2023-09-20

https://anond.hatelabo.jp/20230920033610


   解法として、  2円と5円があると仮定した場合

    2K+5Lと表現できるが、  K,Lは0も許される。偶数円については、  L=0とすれば全て支払える。奇数円については、

     2K+5= 2(k+2)+1 とすることで、支払える。

    これは、2,5の場合であるしかし、このような考え方が、他のGCD=1となる全ての自然数の組について適用可能かどうかが問題である

     もっとも有名な問題であり、平成12年の国際数学オリンピック予選の出た問題は、3K+5Lの場合である。これのフロベニウス数を求めよというのが問題だった。

  正解は、公式から、15-8=7円であるしかしこれはIMO予選の解法ではない

     3K+5Lが、8円以上のものは全て支払えることをどう証明するか。予選でははっきりいって答えだけ書けばいい。従って高校等で習っていれば瞬殺である

2023-08-07

anond:20230807214545

41.1倍して88になる自然数っていくつだろう?

「88人の女性あなたいいねしました❗️前週の41.1倍です❗️」

2023-07-31

anond:20230731165755

内容はそれでいいんだけど、デデキント切断なんだから無理数の話絡んでくるよね

実数自然数で濃度違うのにそれいいきっていいのかよくわかんないのに「自明です」で押しきろうとしてるのが

説明力が著しくないゴミってことよ

anond:20230731155713

逆だろバカ

自然数無限になることが証明されるから自然数無限に増やせるんだろ。

その程度がわかんないやつが数学土俵に上がってくるな

anond:20230731155437

数学ってほんと社会の役に立たないんだなと思いました。

自然数なんて無限に増やせるんだから無限なのに、それすら証明がないとダメですとか無能の極み。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん