はてなキーワード: 絶対数とは
高齢者が投票に行くから政治家は高齢者優遇政策を公約にいれるし、当選すれば公約を実行せざるを得ない
高齢者が投票に行かないことを前もって宣言しておけば、政治家は現役世代や子どもたちのための政策を考えて出馬する
当選後も人気取りのための政策に金を捨てるのではなく将来の日本のための政策にリソースを当てることができる
今回の選挙でわかっただろ、若者は明確に苦しんでて、それを解決してくれる政治家を求めている
たとえどれだけ若者の投票率が上がったとしても、高齢者は絶対数が多いんだから五分五分にしかならない
つまり高齢者が投票する限り日本の限りあるリソースの50%がドブに捨てられるわけだ
少子高齢化対策や貧困救済政策を掲げる政治家に投票するのではなく、周りのジジババに投票自粛を勧めてくれ
そうすることで漸く全力で日本を良くするための政治ができるようになる
軍事とか原発とか、年齢関係ない政策に関与したい気持ちはあるだろう
一方で政治家として参政するためには選挙で当選しないといけない
そしてそのために選挙前も当選後も無駄な金と労力を割かないといけない
少なくともうちの職場はそう
古い職場なので男女比に偏りがあるからハラスメント加害者の絶対数は男のほうが多いんだけど人数あたりのハラスメント加害者の数は女性の方が多かった
女性によるハラスメント加害としてよくあるのは、職場の昼休みや休憩時間、飲み会の席なんかで同僚の悪口を言うケース
女性の中には直接本人に悪口を言うのではなく井戸端会議的にその場にいない人の悪口を言って共感されたがるムーブをする人がちらほらいる
クライアント等のチーム共通の敵や遠い遠い今後関わることもないような部署の人の悪口ならともかく、普通に今後関わり合う人の悪口を言う人が結構いるから始末に負えないなと思う
中にはチームメンバーの悪口を同じチームの別の人に言ったりするケースもあった
どうも一部女性の中には悪口を言うことで仲良くなれる的な誤った認識を持っている人が少なくないようだ
「人の悪口を聞かされるのは不愉快」「悪口を聞くと影で自分の悪口も言ってるのではないかと思い信頼感がなくなってくる」等の、ごく常識的な感覚が欠落している
この手のハラスメントについては、悪口を聞かされた人がハラスメント相談室に密告して事態が発覚するケースが多い
「実際に悪口を言われている人が冷遇されている場面を目撃した」
といった形で、相談が寄せられる
もろもろ事情聴取した後にハラスメント加害者に対して叱責すると、たいていは「そんなつもりじゃなかった」「相手も同調して喜んでいた」等の言い訳を重ねた挙句に後日「私は嵌められた」的な被害者ムーブをする場合が多い
このあたり、セクハラやパワハラ他どんなハラスメント加害者もこういう感じなんだよなーといつも思う
職場の同僚に愚痴とか悪口とか言ってる人はほんとやめた方がいいと思うよ
そういう幼稚な共感で信頼関係を構築できるのはマジで学生の間までだけだと思う
任意の入力を任意の出力に変換するのが人民の役割であり、頑張りどころであるはずだ。
常にリーダーは大目標を示し、人民はどうすれば大目標を達成できるのか、それこそ一億総火の玉となって考えるのだ。
無論、達成できなければ、原因となった人物は責任をとることになる。つまり、究極的には首をくくる。ゆえに達成できないなどということは考えること自体が自殺的で、許されず、また不自然な力学でもある。文字通り死ぬ気でしゃにむにやるだけである。
ところがこのところの日本男児は情けない者が増えた。大目標のために体を張ろうという気概のあるものは随分珍しくなった。豊かさの反動とでもいうべきか、これはこれとして喜べる点もあろうかと思うが、リーダーとしてはいただけない。弾丸が不足すれば、戦の行方など望むべくもない。
そこで女子からも気概のあるものを取り立てることとする。大変画期的で先進的な考え方を導入するのである。考えてみれば総人口のおよそ半数は女子であるから、優秀な男子が足りなければ、自然、優秀な女子を求めることとなる。
それから、外国人にはまだまだ気概のある若者が多い。かつての我が国のように、未来を見据えて意気揚々と取り組む若者が外国には滅法多い。こうした新たな血を取り入れることで、国力の底上げを図るわけである。
これらの労働力というのは、情けない今日の日本男児のけつを拭く役回りではあるものの、絶対数として切れる首の数は確保しなければ、やはり回る首も回らないというのが現実である。
私の要点は、つまり、あなたの論理は自らの役割を放棄した全く無責任な絵空事であるということだ。自らが何をすべきか?それはつまり、大目標に向けてひたすら前進することである。何が大目標であるべきか、などと考えを巡らせる必要はないし、越権的思い上がりと言うべき代物である。大目標に意見を持つということは、つまり体制に対する反逆を企図していることに他ならない。もしも真に述べるべき価値のある意見があると信じるならば、相応しい立場に上るその日まで口を閉ざすのが賢明である。相応しい立場にない者が意見を持っても、所詮は床屋談義の域を出ないのである。そのことを自身で弁えているからこそ、力を求めて刻苦勉励を重ねるよりは、安易に言論じみた同化を演じてしまうわけでもある。
もしもあなたが若いならば、考えを改めるチャンスがある。与えられた役割を全うせず、遠き天の彼方に唾を吐くのか、それとも国家安寧のために微力を尽くすのか、選ぶことができる。真剣に考えてみてもらいたい。それこそ、命をかけて黙考されたい。