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2021-05-12

子供本人に同意を取らず、強制的人生を始めさせていい理由

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/business.nikkei.com/atcl/gen/19/00294/050700003/

 

俺は、意識がない相手になにかを強制するのは加害行為だと思っていて、わりとリベラル寄りに見えるはてなーのみなさんもそんな風に考えてるんだろうと思ってたんだけど、このブコメ欄をみるとどうも違うらしい

先々週、赤ちゃんまれました!めちゃかわいい

これ、俺には

先々週、酔わせた女とパコリました!めちゃ気持ち良かった!

くらいのヒデ文章に見えるんだが、なんか100スターとか集めていて、べつに叩かれてる雰囲気でもない

どうやら、まったく意識のない相手に、いっさい同意をとらず、強制的に人生を始めさせるのは、別にいいことらしい

 

なんでなんだ

俺には正直、まったく理解できない

デカい加害だろ

意識がない間にセックスされて嫌だった

物心がない間に人生を始めさせられて嫌だった

この二つにどんな違いがあんだよ

どっちかといったら後者の方が影響でかいし、ヤバいだろ

自分たち生殖欲を満たすために、まったく関係ない第三者を巻き込むなよ

同意が大切」っていうかけがえのない人権意識はどこにいってしまったのですか?

まれる前のガキは非存在カスから権利なんて一切認めませーん!やりたい放題でーす!ってこと?

まあそうなんだろうなあ

でもなんつうか、ひどいよ

事実として、生まれることに同意して生まれ人間って一人もいないわけじゃん

産まなかったら、「同意してないのに勝手人生を開始された」っつう人は文字通り生まれないわけじゃん

それだったら、やっぱり産まないべきなんじゃないのか

幼稚な生殖欲求を満たすために他人を巻き込むな

てめえで処理しろ

という話になるんじゃないのか

2021-04-03

「生きがい」のために子供作んなよ!!

の子供がまた「人生、ひとりで何の目的もない状態だとキツすぎる!なんとか気合いで相手見つけて子供作って、子育てに没頭することで苦しみから目を逸らすぞ〜」つって子供作るんだろ?

それが負のスパイラルじゃなかったらなにが負のスパイラルなんだよ

しかも、結婚率、ドンドン下がってるやんけ〜ッ!!

結婚子育てこそが人生意味、それをやらねえ人生なんて完全に無意味!!なんて主張をするつもりはない

しかし、おそらく、凡人が結婚子育てもしないとなると、かなーり虚無感ある感じになります

凡人、たいした趣味もねえから

漫画読んでゲームやって映画ドラマ見て、程度が関の山なんすよ 凡人には

絵描いたり物語想像したり、そういうことはフツーできねえの 消費するしか能がねえの

そんで、その消費によってムチャクチャ楽しくなれるか否かも才能次第なの

呪術廻戦、おもしれー おわり これが俺の感想

虎杖くんに宿儺が宿って…って一連の流れは、妊娠になぞらえることができる!!!とか言って考察を繰り広げ、楽しむことができるのはひとつの才能なわけですよ

俺みたいなのは創造性も感受性もなく、そのくせいっちょまえにつらさだけは感じられるので、勤労人生がヒジョーにキツいのだ

何してもそんなに楽しくないし、常にだるくて、何もしたくないが、何もしないわけにも行かず、毎週とっても憂鬱気持ちで月曜を迎えるわけですよ

そんで金曜の夜だって別にウキウキではないんだ

せいぜい「ホッとする」くらいのもんですよ

人生において、プラスの瞬間が全然ねえの マイナスゼロになるって意味での浮上しかないの 水面より上にいかないんですよ

多分恋愛とか子育てとかがうまくハマるとホルモン的なものがドバドバ出て、それなりに人生を楽しめるようになるのかも

(親)幼少期→つらい→育児楽しい!→死

(子)非存在非存在→幼少期→つらい→育児楽しい

こういう、自転車操業的な生命サイクルを繋いでいこう的なことを考えてるんでしょう

でも、そうならなかったらどうなるんだって話だよな

KKOとか、あきらかにまれなかった方がよかった存在じゃん

本人も楽しくないし、周りも不快な思いするだけ

ただ悲しいだけですよ

我が子がそうなったらどうする、ってのをキチンと考えて子供作ってんのか?みなさんは

自分子育て人生後半部分の苦しみから目を背けてさあ!

子供最後までたっぷり己と向き合って、自殺してえとか思いながら死んでいくことになるわけですよ

どう責任取るんだよ

取れないだろ

取れないなら産むなや

人生のキツさ、知らんのか?

知らんのならまだわかるが、自分の子供に「社会は甘くない」みたいなことを言い聞かせる謎の親、相当数いるんだよな

なら産むなや〜〜〜ッッ!!!!!!

そんな場所に送り出すかあ?普通!!

なんで偉そうに人生のキツさを我が子に説いたりできるのか?これがわからない

レイプしながら「無理矢理犯されるのはすごく痛いし、キツいんだぞ!」って真顔で説教するようなもんだろ

意味わからん 死ねしか言いようがない

じゃあそんなことやるな

産むなや

なぜ産む?

猿か?

2021-03-20

出産なんてゴリゴリの加害をやるのに弱者ヅラかよ

弁護士の人が、マタニティマークをパロって「お腹赤ちゃんはいません」と印刷したTシャツを作ったらしい

https://twitter.com/ryouheitakaki/status/1372188849611317253?s=21

腹が出ているのはデブなだけですよ、的な、まあ雑であまり面白くもない冗談

ただ、まあその程度だ つまらんだけ

 

しかし、これへの反応がスゴイ

中絶流産経験のある人が傷つくんですゥー!つって、無数の人が群がってボコボコにしている

吐いたとか泣いたとか言ってる人もいる

傷つきやすすぎだろ

そんで、出産意味を考えたことねえのかな、コイツ

同意なんて一切とらずに平均80年ある人生強制的押し付ける」なんて、もうゴリゴリ加害行為じゃん

ヘタしたら殺人より加害性高いよ

死んだらそれまでで、苦しみは持続しない

まれたら死ぬまで苦しみが続く 長さが違う

つか、生まれなかったら殺されることもねえしな

出産、えげつねえ暴力じゃん

それを失敗したから何なんだよ

胎児に対しては「こんな世に生まれないでよかったですね」

親に対しては「目論みが失敗したな」

それ以上の感情はねえよ

ぜんっぜん可哀想でもなんでもねえ

10年かけた殺人計画が失敗した!その悲しみを思い出させるな!つって殺し屋コンテンツ喧嘩を売る狂人がいたとして、なぜそいつ配慮せないかんのか

いや、そもそも生殖すんなや で終わりじゃん

罪もない、放っておいたら非存在のままでいられたものが、エゴによってこの世に引っ張り出されて苦しみ始める瞬間、まごうことな悲劇なんだよな

妊娠出産、なぜか「幸せもの」扱いされてるけど、幸せなのは子供以外の人間だけじゃん

子は宝!とか言ってるやつらも、30歳になって働かねえで食っちゃ寝してる元・子供には超冷淡 子は宝なんじゃなかったのか? 何歳だろうと子は子だよなあ?

まれたくて生まれたわけでもなく、育ちたくて育ったわけでもない存在に対して、クズだなんてよく言うよな

 

親になる人間マジで理解できん

なんであんなに自分の加害性に目を瞑れるんだ

やっぱ、ヘンなホルモンが出て気が狂うのかな

そう思うと普通に可哀想な気はする

つか、親になった人間も子といえば子なんだよな

好きで馬鹿になったんじゃないだろうし、責めちゃあいけないのか

この世って難しすぎるよ〜

2021-02-07

生殖被害に遭った

加害者現在50〜60代の男女

俺は何も言っていないのにも関わらず、気がついたら強制的人生を開始させられていた

俺は一貫して何もしたくない、楽がしたいと言っているが、向こうはそれに対して「甘えるな」等と言ってくる

因果関係おかし

俺はそもそも生殖被害にさえ遭っていなければ、いまも非存在として虚無を謳歌していたはずだ

あらゆる義務生殖被害にあった瞬間に生まれ

加害者以外が俺を糾弾するのはセカンドレイプ 的側面があって倫理的には良くないとはいえ、まあ言論の自由範疇と言っていい

しかし、加害者自身が、加害行為によって俺が負ったものを俺の責任としてくるのはおかし

俺の代わりに労働し、納税し、すべてを捧げてしかるべきだろう

しかし、この社会は非常に未成熟で、猿みたいな価値観人間しかいないため、俺の被害被害として認められることは一生ない 悲しいことだ

せめて俺自身生殖加害者にならないようにしようと思っている

2021-01-30

anond:20210129235627

別に非存在証明をしてくれと言っている訳じゃないんだけれど…。

意味がないと言い切るからには理由があると思って。理由があるのなら知りたいんだけれど、無いのなら結局、検索避けを面倒臭がる人たちの正当化しかいね

2021-01-15

映画編集していなかったことにするって、どこぞの非存在彷彿とさせて面白い

2021-01-14

anond:20210113171215

存在=(+)=陽性

非存在=(-)=陰性

陽キャ陰キャなんて言葉が出てくる前から学術用語じゃ

から出てきた解釈の方が譲れとぬかすとかおこがましいわ

2021-01-09

個人的経験として無断アップロードサイトを利用してたのは金がなかったからだし

給料低いのが原因

ニコニコで一度も無断アップロード動画を見たことがない人間だけ石を投げていい

著作権侵害親告罪から

まあ今は非親告罪化しちゃったけど

ここで問題にしているのは著作権者に対するあなたの態度であって法律存在非存在ではない

まさか

法律ができる前までは著作権者は喜んで無断アップロードされていたけど、法律ができた瞬間に無断アップロードを歓迎しなくなった」

なんて世迷い事を言うことはないだろうね?

「無断アップロード死んでほしいわ~」って思ってる著作権者が大部分であることが分かってて見てたクソカスだよね?

2020-10-28

子ども〉のための哲学永井均)を読んだ感想 前半

理解」をどう考えているか、これについての私の根幹(基礎)はオートポイエーシスに準じている。

オートポイエーシスの詳しい説明は省くが、神経細胞情報伝達を行う際、シナプス行為理解しない。ひとつ作業を行うのみであり、結果のための行為連想しない。シナプスにとっては、「物質を伝達する」という行為目的であり結果となり、それらが組み合わさって何が起こるかを理解しない。

まり、最終的に現れるもの(たとえば人体の中で起こりうる結果反応など)はすべて、「行為副産物」としてしか存在し得ないということ。これは非常に重要事実である

本来理解」というものもそのように行われるべきである。一番重要なことは「わからない」ことである。わからない、を通過しない限り、「理解(と呼びたくなるようなもの、それに準ずる、付随する周辺のものもの)」を得ることはできない。

これについては同授業を受け持っていた河本英雄の「飽きる力」なんかを読めば少しわかると思う。

この文を書き始めた当初は、この前提を元に本文を整理していこうと最初は考えていたのだが、結局本文に「哲学哲学をしている瞬間にしか浮上しない」とはっきり銘打たれていた。だからもはや、一文を取り上げて「ここの箇所は〜」などと言語化することは意味を持たない。それ(ここでは〈哲学〉とする)が"それ"たらしめるやり方でのみ、発見できることであるならば、そう(そのやり方で)やる他ないと思うので、それに倣おう。

あとあちこちに書くのも煩わしいので、一度に留めるが、わたしが書いている内容について読み違えや相当しない批判(等)があれば、気づいた場合指摘してほしい。(それこそがきっと哲学なのだろうし。)

はじめに(5p)、から問いの合間に(125p)までを読んで

・〈哲学〉(「哲学」ではない)について

本文にあるようなやり方の〈哲学〉については実感がある。実感はあるが、しかしそれは子どもの時からすでに最初から青年の」〈哲学〉であったように思う。少なくとも、目の前に与えられた課題は年端のいかない子どもには大きすぎたし、それについて、しかし取り組む以外の選択肢を(子どもながらの純粋性ゆえに)持つことができなかった。だから最初から、なぜ〈他者〉がいるのか、という疑問は生じずに、〈他者〉と対峙するにはどうすべきか、をひたすら〈哲学〉し続ける時間が幼少期〜思春期であった。

からなるほど、やはり「疑念」が問いを生むのであり、疑念を持たないものは問いに遭遇しない。よく感じる違和感は、「問いを持たない人間」と(「問いを持つもの」と)の世界の断絶である世界には大きな断絶があるということを改めて実感したのだった。(断絶の是非はここでは問わない)

・〈ぼく〉という特別さの有無について

さて、書いたようにわたしは「なぜ〈ぼく〉が存在するのか」という疑念を持たなかったのでその問いに衝突していないし、そして付随する「〈ぼく〉という存在特別さとはいかなるものか」という問いにも当たっていない。しかし読み進めていくと、「特別さ」を論じれば論じるほどそれは「一般性」に落とし込められていくという矛盾が現れ、結局「言語での言い換えを繰り返すよりほかない」という結論(?)に達している。とりあえず本文の結論についてはさておき、わたし感想を書いておく。結果から述べると永井均認識論的傾向(95p)とは真逆であり、非存在論的(本文に即して使う)立場にいると言わざるを得ない。

まず78pに自分が二人に分裂した際に、もう片方をどう「認識」するかという問題。少なくとも、それが「〈ぼく〉であるか、でないかは、ワカラナイ」というのがわたし意見である。つまり意識としての〈ぼく〉が2地点に存在して、それぞれの思考でそれぞれを〈ぼく〉としない、という前提にどうしても立つことができない。

特別さの証明からは少し離れるが、「攻殻機動隊」という作品はこの独我論観点なしには見ることができない。登場人物たちは車を買い換えるようにボディ(身体)を換えることができ、脳(アニメ内では脳核と呼ぶ)に宿った意識アニメ内ではゴースト)はそのままで、新しい肉体を得る。しかしそれは本当に連続性を伴った自己なのか?確認するすべはない。

まあ結局、「確認認識)できるとしたら」という前提で論じている内容において、反駁することはない(できない)。なので、真逆認識論にたった時に、どのようにしてその「特別さ」を得るかというのを考えてみるとこうである他者認識できている限り、その「特別さ」を論じることはできない。理由はなんでもいいのだが、例えば「論理他者に向かって開かれている」ことは明白である。少なくとも、本書のように、本は他者が読むことを前提として書かれている。おそらく永井均としては「普遍化できない偶然性の問題」を「論理」立てることこそが〈哲学である、ということを言いたいのではないか、と思う。しかし、わたしの知る範囲ではそれは矛盾する。であればやはり(今の所は)前提を変えてみるしかないのである

ないことの確認はできない。つまりそれを鑑賞する他者がいないことを確認できない位置に移動して、ようやく「特別さ」が浮上するのではないか。そしてそれはすなわち、99pで引用されているウィトゲンシュタインの一節に他ならない。結局は「理解されない」ということを目指さなければ、少なくとも「特別さ」を論じることにはならない、ということだろう。

(余談だが99p9lの永井解説についてはまだ理解が追いついていない。いずれ何度か読み直してみよう)

言語言語性について

ウィトゲンシュタインの本を読んだことはないが、ウィトゲンシュタイン友達をつくらず、本当に人里を離れてたった一人で暮らしていたという逸話を知っていて、勝手に親近感を寄せているのであるが、それはともかく彼の主題命題)に「言語」があったというのは興味深い。

わたしは〈哲学〉についての興味をある時点である程度(完全にではないが)喪失した。それはそもそもわたし最初に向き合った命題が「他者」であり、自己ではなかったことなんかも関係していると思う。そして、「他者」を自分なりに〈哲学〉して18年くらいたったころに、自分なりの「納得」(102p)に到達してしまった。本来、〈哲学〉のみならず、人生だとか生きるだとかいうことは「満足」を永遠に避けることだと考えている。「得て」しまったらそこはゴールなのだ。ゴールっていうのは何にもない場所だ。しかし、「他者」に限っては、(とにかくわたしがそれを生きる上で最も苦手としているがゆえになおさら結論を得てしまった。そしてわたしは〈哲学〉する目的(あるいは理由)を喪失したのだ。

しか言語に関する関心が残った(に関する関心は重言だろうか)。本文でも「読み換えが無限になされる場所(98p)」について書かれているが、この点に関してわたしは非常に興味がある。物事表現が、「言語分野」に大きく偏っている人間社会面白いことに動物社会とは全く異なるらしい)において、その役割は異常なほどである言語をどのように理解し、駆使するか(論理思考など)、これを〈哲学〉とどう関連づけるか、というのも面白い命題である。例えば思考についていうと言語以外の役割が大きい。つまり「頭の中で考えたことを文章にする」というのは、その時点で「考えたこと」から抽出が起きているのである。おそらく永井のいう〈哲学〉は「考えたことまで全部」を含むはずであるから抽出された、アウトプットされた結果のみを受け入れる(ざるを得ない)という現状には実は即していなかったりするのではないかわたしは今の本業言語ちょっとだけ"学")なのであるが、こういった観点を与えられるのは、やはり読書(時には他者自分の内側に入れてみること)もいいなあと思った。

・世の人が平均的に上げ底を見ようとする世界は遠い

なんにしても、とにかく、「無駄」が必要である(115~116p)という、それこそが本質であるという点にはその通りなのでその通りとしか言いようがないし、やはりそうであった、という安心を再び得る。結局資本主義的な世界にいると、いつ何時も、寝ても覚めても視界に入ったものから、耳に入ったものから、全てにおいてから常に四六時中見張られ、「資本主義的な価値観に即して生きているか」を刷り込みをされ続ける(そしてこれはきっと死ぬまで終わらない)。おそらく、これは想像しかないが、哲学をやろうとアカデミーなかに駆け込んで、その中で安息を得たとしても、その「刷り込みから逃れることはできないのではないか。(数学者望月先生のように「数学を生きる」ことができるレベルまで達せられていればもしかしたら、刷り込みから逃れられているのかもしれないが、これもまた憶測の域を出ない)

〈ぼく〉という特別さの有無を求めるより圧倒的に明快で単純で本質的なこと(無駄を生きるということは)なのに、たまたま、悲しいことに、全くもって信じられないほどの不運な状況であるがゆえに、それが通用しない(しづらい)世界にいるのだ。それを嘆くことは10年くらいやって飽きたが、時折(残念なことに恒常的な機会を得ていない)こうして「本質」に触れることで「正気」を取り戻すというのは大事作業である

さて本文の(前半部分の)感想は異常であるが、2点反駁したい箇所があるのでそれも書いておく。

1箇所目(17p,9l)

あっさりと「哲学し続ける内的必然性をなくした」などと書いてあるから吃驚仰天である。内的必然性と引き換えに得ることができるものほど「瑣末な」ものはない。これでは魂を売ったのと同義ではないか。何度か他の場所でも書いているが、「価値観他者に阿るのは心臓他者に預けているのと同じことだ」とわたしは思う。他者自己存在理由にはなり得ない。少し引用を用いるが「心の哲学まとめWiki」より、一文。「〈私〉とは世界を開闢する場であり、そこから世界が開けている唯一の原点である」と考える(『〈魂〉に対する態度』p.123,p.187) 。

その原点である自己をなぜ切り売りできるのだろう?「欠陥を売り物にする方法で得た救い」なんていうチンケなものはさっさと捨てるべきである世界とつながる唯一の原点=〈私〉をもっと大事にしなさい。

2箇所目(111p,11l)

この人は政治政治議論をなんだと考えているのだろう。そもそも、少なくとも望むと望まざると関わらずに(生まれた時からすでに資本主義社会に生きているように)、法治国家に生まれしまったのだから、その国家の参画者である限り「政治を避けて」は生きれない。自ら国籍を捨て(例えばスノーデンのような)、亡命を図るなどの意図画策があれば別であるが、生きていれば必ず住民税がかかり、ものを買えば必ず消費税を払っているのと同様に、政治をせずに生きることはできない。酸素をなくして呼吸ができないのと同義だ。なのにこの人はまるで自分政治、または政治議論したことがないかのように宣う。しかし指摘したいのはそのアティテュードではなく、政治議論方法についてである

自分と同じ主張を別の論拠から擁護してくれる人は、最もたのもしい協力者だろう」とは一体、どうしたらこんな思想にたどり着けるのだろうか。圧倒的に間違っている。(これだから日本左派は無様なんだ)

はっきり言っておくが、政治議論はその主張の是非ではなく、その論拠にある。だから全く異なる人間政治家)を支持していても、その論拠次第によっては戦友となりうるし、同様に全く同じ政治家を支持していても論拠によっては一線を画する必要があるのだ。当たり前の話であるタイムリー話題したことだが、「マスクをつけないということは、マスクをつけたくないという人間擁護する態度を含意しない」。これは明白で、結果(マスクをつけない)が同じだからと言って論拠が異なる場合、それは全くもって「たのもしい協力者」なんかではあり得ない。

5000字も書いてしまった。後半は気が向いたらかく。

2020-09-15

ありがとう安倍総理

私は反出生主義者なので安倍政権下で日本少子化が加速したことについては安倍総理感謝しています

出産によって生老病死強制され、新たに苦しむ人がこれ以上増えないよう総理大臣が変わってもさら少子化が進み、無子化を実現し非存在絶対安全平穏が守られ続けること願います

2020-08-10

anond:20200809090341

最悪な奴ら。

大学学問を何だと思っているんだろう。

無神論者の癖に神学部の授業に潜り込んできて、神の非存在性の証明とやらをいっちょ前にやらかすのに似てる。

せめてまともな大人に育って黒歴史だと感じるようになってくれることを祈る。

2020-02-24

日本版CDC必要もの

岩田さんがCCJ記者会見で主張していたCDC必要ものと、日本官僚組織との差異を書く。まずは下記が記者会見における記者から質問岩田さんの答えである

質問: Do you think of the problem that you saw on the ship originated from was it because of the bad examples of a scientific decision making in terms of the crisis management that was happening on the ship?

答え: The simple answer is the lack of CDC as I said before. Why the situation inside that cruise ship had an inadequate infection prevention? I think (this) is because of the lack of principle. The infection prevention is a principle, and the principle will lead to the procedure not the other way around.

The principle will never be given by the bureaucrats, because they never had infection prevention training, they don't have an experience, and they don't have a system. CDC has should have all of these.

質問You have argued Japan need something like a CDC. Could you elaborate more about your argument? What shortcoming do you see in the current system in Japan?

答え:For CDC, you need to have a concrete, separate, independent system among experts who can make a dicision in responding to these infectious disease epidemics. This has to be proffesional, they need to have an authority, they need to have an autonomy, and they need to have a clear independence. There should not be any cross-cutting from anybody from the backyard, because I've seen many things that are decided behind the scene.

この会見から、いまの官僚組織問題点は下記が含まれ可能性がある。

なぜ官僚組織がだめなのか

CDC官僚が入ると何がダメなのか。官僚の持つ悪い特徴は下記のとおりである

上記の特徴から官僚組織に入った瞬間に非科学的な、空気を読んだ、防御的な、ただしもっともらしい類の行動が実施される。今回のクルーズ対応はまさにその通りである。下記にいくつか非科学的な判断官僚によってなされた例をあげる。

2019-10-26

anond:20191026210803

○第5章『妊娠中絶:「妊娠中絶反対派」の見解

(『本書の概要』で述べるとおり専門的すぎるため省略)

○第6章『人口絶滅

●『人口過剰』

●『人口に関する道徳理論に潜む問題解決する』

・『パーフィット人口問題

p.176 人格影響説…非同一性問題非人格的総計説、非人格的平均説…新たな理論Xを求める。

・『反出生主義が理論Xに適合する理由

p.181 人格影響説は…出生は確実に悪いため解決できる。

p.181 非人格的総計説は…とにかく人間を増やすべきだという「いとわしい結論」と、まだ存在しない人間対象とする誤った前提を否定できる。ただし、人口サイズに対するガイドラインはなくなる。非人格的平均説は…人間の出生に条件を付ける「単純な追加の問題」を否定できる。…非人格説は幸福の最大の総量/平均値ではなく、不幸の最小の総量/平均値を目指すべきだ。よって、理想的人口ゼロだ。

・『契約主義

●『段階的絶滅

・『人口減少がQOLを低下させる場合

p.191 高齢化。とくに一部が「最後の人類」となることはQOLを大幅に低下させる。

・『人口ゼロまで減らす』

p.194 現存の人々のQOLを良くするために新たに生命を作ってもよいか。また、その条件は。

p.195 総計的人格影響説、平均的人格影響説…不幸から見た場合、平均説は明らかに誤り(QOLが悪い人生が60億あるより、120億ある方が悪い)。総計説なら部分的に許される。

p.198 平均説・総計説とも功利主義に対するのと同じ批判を受けうる。→権利義務論:厳格な説ならすべての子作りは許されない。厳格でない説なら部分的に許される。

●『絶滅

p.202 小惑星の衝突といった外的な脅威、持続不可能な消費、環境破壊、疫病、核兵器生物兵器

・『絶滅への二つの手段

p.203 皆殺しか、段階的絶滅か。

・『絶滅に関する三つの問題

p.204 ①皆殺し②「最後の人類」への害悪人間がいないという状態…①は明らかに悪い。②は最後世代の方が、最後から2番目の世代より、未来への願望・欲望が絶たれるという点で害悪が大きい。ただし、これは絶滅が早いほどにいいという議論矛盾しない。③道徳主体理性的思考者がいなくなり、多様性もなくなる。それらの受益者はいないし、「永遠の相のもとで」価値があるか不明だ。

○第7章『結論

●『反直観であるという反論反論する』

p.210 「道徳台帳」という功利主義理論を退けるピーター・シンガー。「失望主義(反失望主義」を退けるニルス・ホルタッグ。

p.211 そもそも直観的だというのは判断材料として有力ではない。…この結論(反出生主義)が反直観的という理由否定し、背理法的に非対称性を退ける。…快楽の不在は悪で、苦痛の不在は「悪くはない」と見做すことはできない。さらに、支配的な直観は①他人害悪を与えることを子作りに限って度外視している、②出産奨励する直観心理学的に歪められている、という問題がある。

p.214 背理法的に非対称性を論じることができると見做せば、我々より悪い人生を送る人々に、我々の直観を同様に反直観的と非難されることになる。

●『楽観主義者への応答』

p.215 楽観/悲観主義には事実価値判断の2つについてがある。無論、反出生主義はどちらも悲観主義だ。

p.216 反出生主義の楽観主義転回=避けられない絶滅を良いことだと考える。他の人々にとっては悲観主義的だ。

p.217 楽観主義者は悲観主義を苛立たしく思い、非難する。出生は「覆水盆に返らず」で、自分を憐れまず、いか自分が恵まれいるか考え、人生をフル活用し、喜びを感じ、前向きに考えなければならない…①人を元気付けるというだけでは正当とは言えない。②自己を憐れむことなく自らの存在を悔やむことはできる。何より、反出生主義はまだ生まれてこない子供のためのもの利他的だ。盆からこぼれてもいなければ、こぼれる必要もない。③自分人生に満足すべきだという意味を読みとって「いか自分が恵まれいるか考える」ことは、自分に都合のいいように解釈することを必然的に伴い、そうしろという命令には全く説得力がない。反出生主義は苦痛拡散をせず、なおかつ自分人生をより悪くなくすことができる。④楽観主義苦痛に対する妥当否定ではなく、ただの無関心でしかない。明るい方向がつねに正しいというのは、ただの無根拠イデオロギーだ。自己欺瞞を回避できれば、集中して取り組まなければならないのは、おおむね希望より逆境だ。彼らは幸せかもしれないが、だからといって正しいわけではない。

●『死と自殺

p.220 存在してしまうということはつねに害悪だという見解は、死が存在しつづけるより良いということや、自殺がつねに望ましいということを意味しない。存在するもの存在しつづけることに様々な利害関心を持ちえて、人生を続けるに値しないほどの害悪は、それらの利害関心を無効化するほどでなければならない。

p.221 実際、存在することの害悪の大きな1つは死ぬこと(不死ではないこと)だ。

p.221 エピキュリアン:死は死ぬものにとって悪くない。死が来た時点でその主体存在せず、よって死は経験できない。…①すべての条件が同じなら、長い人生は短い人生よりいい。②死んだ人間の願いは尊重すべきだ(もし死は害悪でないのなら、死後生じることで害悪ないことはない)。何より、③殺人はその犠牲者を害するという直観に反する。

p.222 ①存在することが害悪だと考えるひとさえ、同意くその人を殺すのはその人を不当に扱っていると考える。②予防原則:エピキュリアンの見解が間違っていた場合、深刻な害悪がもたらされるが、反出生主義が間違っていても、害悪がもたらされることはない。

p.223 生前非存在と死後の非存在非対称的だ。人に歴史個人歴史から構成される。

p.223 「生前の」人物から奪うというのは…害されるのが「生前の」人物なら過去への因果関係が生じているという議論…死が害する瞬間は「つねに」または「永遠に」だ(例:「最後から2番目の大統領」は「つねに」、「永遠に」そうだ)。…デイヴィッド・スーツ「それは「純粋関係的な」点において惨めであるということで、彼が害されているということは言えない」。

p.225 ともあれ、反出生主義はエピキュリアンを意味しない。エピキュリアン:死は害でも益でもない。→エピキュリアンの見解を退けるとすれば①死はつねに害悪である。②つねに利益である。③害悪である場合利益である場合もある。…①②は明らかに間違い。反出生主義は③で、QOL評価と、それが存在しつづけるのをやめるべきとき基準は、自己決定の原理によるべきだ。しかし、一般的見解より合理的自殺に寛容なことは確かだ。実際、西洋文化ほとんどを含む多くの文化合理的自殺への大きな偏見がある。

p.228 一旦、誰かが存在してしまい、その人への愛着形成されると、自殺苦痛を引き起こす。せいぜい子供のいない人生苦痛比較することで和らげるだけだ。さらに、周辺の人への害が増えることがあり得る。

●『宗教的見解

p.229 旧約聖書でヨブは生れてきたことを悔い、エレミヤはさら堕胎してくれなかったことを恨んでいる。タルムードヒレ主義とシャマイ主義の論争で、人類は作られない方が良かったという後者に軍配を上げている。

●『人間嫌いと人間好き』

p.231 反出生主義は人間好きによるものだ。しかし、人類自分から絶滅せず、多数の苦痛が生まれつづけるだろう。これこそ、人間嫌いが反出生主義に達しない理由だ。…人々は反出生主義も子作りをやめることも受けいれないだろう。それが人間好きに由来するとは考えにくい。それは人間に対する悪意ではなくとも、存在してしまうことへの害悪への、自己欺瞞的な無関心によって行われている。

デヴィッド・ベネター『生まれてこないほうが良かった』要約

本稿の著作権著作人格権は完全に放棄する。無断での利用・転載はむしろ推奨する。

○第1章『序論』

p.10 子供を産むことの決断には様々な理由があるだろうが、そこに存在することになる子供の利害が含まれているはずはない。

●『誰がそんなに幸運なのか?』

p.12 「生はあまりにも酷い。生まれしまわない方がよかっただろう。誰がそんなに幸運なのか?」(ユダヤ人格言

「決して誕生しないことは、死ぬ運命にある人間にとっては最善の事柄だろう。しかし、このことは十万人のなかの一人の人間だってほとんど生じない」(フロイトジョーク)…「非同一性問題」→私たちはたしか非存在がよりよい状態にあるとは言えない。しかし、存在するものについては、存在することは当人たちにとって悪いことだと言える。「これは哲学的ゲームでも冗談でもない」

p.15 生殖をするカップルは、苦しみを生みだす氷山の頂点にいる。遺伝的な起源責任。=デレク・パーフィット起源説」

●『反出生主義と出生を促進する偏見

p.16 反出生主義の偏見子供嫌い、子供を持つことによる自由財産制限

p.17 出生の偏見子供をもたないことは利己的で未発達→①子供は別の人間なのだから子供もつ動機利己的でしかありえない。②(1)子供もつことはしばしば不注意の結果でしかない。(2)生殖衝動原始的ものである

p.19 全体主義者の政治団体軍事的理由生殖奨励する。民主主義国家も、つねに生殖を支持する層が勢力の大半を占めている。…あらゆる国家移民より生殖により人口構成されている方が正当化される。

●『本書の概要

●『読者への指針』

○第2章『存在してしまうことが害悪である理由

●『存在してしまうことが害悪であるということがあり得るか?』

p.27 「非同一性問題」「未来個人パラドックス」…(ex)遺伝性の障碍

・『生きる価値のある人生と生きる価値のない人生

p.29 非存在存在比較できないため、存在することがしないことよりも「より悪い」と言うことはできない。…存在害悪は単に「悪い」というだけで十分だ。

 …誰かが死んだ方がマシだと考えるとき自分状態が良くなると考えるわけではない。存在しなくなる方が良いほど人生が悪いものである可能性と同じく、はじめから存在しない方がいいほど人生が悪いものである可能性はある。

p.31 誰かが存在していることとしないことを比較するのは、2つの状態比較するのではなく、まったく別の事態比較することだ。…障碍が耐えがたいにしろ人生を生きるに値しないものにするほどではない場合は、そうでない場合より難しいと考えられている。=生きるに値する人生において、存在するよりしない方がいいというのは矛盾だ。→これは「生きるに値する人生」という表現多義性が原因だ。

・『始めるに値する人生と続けるに値する人生

p.32 「生きるに値する人生」は実際には「生き続けるに価する人生」だ。だが、問題は今はまだない人生であり、これに「生きるに値する人生」という表現を使うことはできない。「始めるに値する人生」を始めない方がいいというのは矛盾だ。

p.34 道徳的問題に関わる意味で、人が存在するようになる過程は長く、段階的だ。

●『何故存在してしまうことは常に害悪であるのか』

・『快楽苦痛非対称性

p.40 非存在苦痛がないことはいいことだと言える。可能性において存在する誰かの利害で判断することができる。我々は、自分たちについて存在しなければよかったのにと仮定することができる。

p.42 人々を幸福にする積極的義務があると考えている人でも、幸福な人々を存在させる積極的義務があると考える人ほとんどいない。

p.44 非対称性思考実験「遠く離れた(異国の住民の)苦痛と、無人場所無人島・火星)」(…非対称的判断)で実証できる。

p.46 積極的功利主義者は幸福を増加させようとする。そこにも①人々を幸福にすること、②幸福な人々を生みだすこと、の違いがある。①は倫理要請だと言える。しかし、②を倫理要請だとすると、個人価値幸福価値から派生することになり、人々を幸福を生みだす手段だと見なすことになる。

・『存在することと決して存在しないことを比較する』

p.52 つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力もつ人を比較すれば、存在しないことの利点がつねに勝ることは明らかだ。回復するのは手段的な善であり、内在的な善ではない…という批判は成立しない。実在する人物について善がないことに「奪われていない」という判断ができるのは手段的な善のみだ。この区分意味がない。

p.54 楽観主義者快楽苦痛費用対効果分析…は「存在しない」場合との比較でなされていなく、無意味だ。…快楽苦痛の2倍以上の値がある場合、「存在する」ことの費用対効果分析は成立する。しかし、QOLを決定する快楽苦痛割合苦痛の下限の問題がある。何より、思考実験「つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力もつ人」はつねに相対的に前者が勝る。

・『別の非対称性

p.59 シフリン:より大きな害悪を防ぐために小さな害悪をもたらすことはいい。しかし(純粋な)利益をもたらすために害悪をもたらすことは悪い。よって、生殖は悪い。存在利益をもたらすとしても、あらかじめその存在の承諾を得ることは不可能だ。また、その仮想上の承諾を想定することもできない。…①存在しなければ害悪を被らない。②存在することの害悪は耐えがたいものでありえる。③人生という害悪を逃れるには大きな代償を支払わなければならない。④仮想上の承諾はその個人人格無視している。…そもそも、出生が利益もつことはない。

p.63 出生された人物権利生殖侵害するということは、その権利請負人間はその時点で存在していないためにありえない…という議論生殖特別な特徴を無視している。害悪を被り「得る」ということで、特別権利を認めるべきだ。なぜなら、存在しない権利がないということはありえない。…自律していない存在(=子供)にはより大きな利益をもたらすために害悪を与えていいというパターナリズム的な議論…は、子供とまだ生まれていない子供は異なり、出生は絶対に悪いということで否定できる。

p.64 フェーイゲ「反失望主義(antifrustrationism)」:選好が充足した場合も選好がない場合も等しくいい。悪いのは選好が充足しない場合だけだ。よって、出生は悪い。

・『生まれたことを悔いないことに逆らって』

p.68 自らの人生を楽しんでいるという理由で、存在してしまたことを良いことだと考える…もし存在してしまわなかったら、その楽しみを逃す人はいない。しかし、存在してしまわなかったことで、苦しみがなくなるのは良いことだ。

p.69 存在して良かったかどうかを間違うはずがないと考える…存在してしまった当人存在が良い/悪いということは、存在してしまたことが幸福/不幸ということと同じではない。

○第3章『存在してしまうことがどれほど悪いのか』

●『人生の良さと悪さの差が人生の質にはならない理由

p.72 人生の良さと悪さの差は、順番、強度・頻度、人生の長さ、閾値、で人生の質とは変わってくる。

●『何故人生の質の自己判断は信頼できないのか』

p.75 ①ポリアンナ効果:楽観主義人生の質を改善するらしく思われる要因のほとんどは、人生の質の自己判断にあまり影響を与えていない(例:体の各症状に対する自分健康状態への判断がほぼ一致するのに、幸福への判断とはあまり一致しない)。②適応。③比較幸福自己判断は、実際は相対的指標による。

●『人生の質に関する三つの見解のどれをとっても人生はうまくいかない理由

・『快楽説』

p.81 人間人生の大部分をマイナス精神状態で過ごす…空腹、渇き便意尿意疲労ストレス、暑さ・寒さ。前述の3つの心理学効果無視されているだけ。さらに…持病・加齢:痛み・苦しみ、眠気、挫折感。災厄:アレルギー頭痛挫折感、苛立ち、痒み、寒気、生理痛・閉経後の火照り、吐き気低血糖、発作、罪悪感、恥、退屈、悲しみ、憂鬱孤独無力感喪失感、その他、被害感情全般

・『欲求充足説』

p.84 精神状態について判断を間違うことはなくとも、欲求については間違うことがありうる(単に快楽を追求している場合は除く)。…欲求は当然、満たされていない時間の方が長い。また、欲求が満たされるのは一時的で、そもそも欲求が満たされないことも多い。現状維持欲求さえ、実現は不可能だ(老い、死)。

p.86 マズロー「つねに新たな欲求が生じる」。イングルハート人間永遠幸福を得ることができるなら、何ら行動しなくなる」。マズロー人間はおおむね幸福で、不満足は病的状態だと言うが、ショーペンハウアーは不幸こそ人生の当然の状態だと言う。

p.88 欲求の充足までに困難があった方が、あるいは充足の過程のものが良いという議論…は明らかに不条理だ。

・『客観的リスト説』

p.92客観的リスト」は「永遠の相のもとに」ではなく「人間の相のもとに」構成されている。…40歳死ぬことが不幸だとして、90歳でそうでないのは何故か? 「色んな芝生に生えている草を数えることに人生を捧げている男」(ロールズ)の人生無意味だが、その視点人類視点は大差ない。

p.93 人生の質は「人間の相のもとに」判断すべきである、あるいは、具体的な背景に応じて判断すべきであるという議論…は明らかに不条理だ。

・『三つの見解についてのまとめ』

p.98 害悪に満ちた人生を、①すでに存在している人のためでなく、②功利主義的な目的でなく(また、そうであっても)、生みだすことはできない。人生の質の判断は当てにならず、よって、人生を続けるに値するかは別論だ。

●『苦痛世界

〇第4章『子供を持つこと:反出生的見解

●『子作り』

・『子作りの義務はない』

p.103 子作りの義務…①射程:子供を(1)何人か、(2)できる限りたくさん、持つ。②正当化理由:(1)存在させられる人々の利害関心、(2)その他(他者の利害関心、功利性、信仰、等)。…存在させられる人々の利害関心によれば、子作りの義務はあり得ない。それ以外の理由ならあり得るが、それにしても相当に疑わしい。とくにできる限りたくさんの子供を持つべきだという場合は。

・『子どもを作ってはいけないという義務はあるのか?』

p.105 生殖衝動、子作りへの関心…「性交への関心」「親になることへの関心」と「子作りへの関心」を分ける。前2者に子作りは必要ない。

p.107 他者の関心…両親、部族民族国家しかし、こうした他者利益を適えることは、それによる当人利益を適えることと表裏一体だ。

p.109 子作りへの関心は…これまでの議論から権利制限されるべきだ。

●『子どもを作る自由

・『子どもを作る権利とされているもの理解する』

p.113 子供を持つべきでない道徳的義務があるなら、子供を持つ道徳的権利はあり得ない。よって、子供を作る権利は(愚行権を含む)法的権利だ。

・『子どもを作る権利自律性に根拠付ける』

p.114 法的権利道徳的義務対立する場合、そうした方が良いという仮説を必要とする条件付きのものとなる。そして、阻却可能条件(子供を作るべきでない)がつねに適合する場合、その法的権利妥当ではない。

・『子どもを作る権利無益さに根拠付ける』

p.115 政府子供を持つべきでない道徳的義務を認めると、施策としてあり得るのは①権利を与えず自由放任する、②禁止する、のどちらか。①は権利を与えず容認するというのは矛盾で、いずれも積極的な②を包含する。②はその道徳的代償が子作りの禁止による利益を上回ることはないと思われる…非最大化主義的非帰結主義者の見解

・『子どもを作る権利意見の相違があるということに根拠付ける』

p.116 法的権利とその正当化にはこのことだけで十分だ。危害原理必要条件:ある行為害悪であるかどうか意見の相違がある場合は、危害原理の射程の外にある(例:人工妊娠中絶)。…ただし、奴隷制のように、ある行為害悪議論余地があるだけでは許されないものもある。

・『子どもを生む権利妥当意見の相違に根拠付ける』

p.118 危害原理例外となる意見の相違は妥当/無条件のどちらか。奴隷制アパルトヘイトは明らかに妥当ではない。

p.120 少なくとも反出生主義が最も優れた反論比較して十分に検討されるまでは、妥当判断のできる理性的な人々によって、意見妥当に違えることができるかは結論付けられない。

p.121 少なくともリベラル社会において子供を作る法的権利撤回されるのには長い時間がかかり、そのときにはその意見は広く認められているだろう。それまで、新しい人間存在させてはならない道徳的義務を認めつつ、子供を作る法的権利を認めることはできる。…実際、テイサックス病やハンチントン病のような遺伝性の病気エイズのような感染病など、他の場面では許されないほどの害悪を与えることが、子供を作る場面では容認されている。

●『障碍とロングフライフ(望まずに生まれた命)』

p.123 障碍…障碍は社会構成されたもので、実際には障害(disability)ではなく不能(inability)だ。また、障碍の出生前診断政治的に悪いメッセージとなるという「表出主義者」の議論…障碍が不能ということは、「より悪い」ということを否定するものではない。健常者と同じQOLを持つ障碍者も、さらなる障碍についてはQOLを低く見積もる。また、反出生主義はむしろ平等主義だ。

p.132 ロングフライフ訴訟は①子供を持つ法的権利に関する妥当意見の相違。②QOL評価個人的なものだ(とくに現在のロングフライフ訴訟代理人によることが多い)。もし判例ができれば、もうQOL評価個人に独特なものではない。の2点の課題がある。

●『生殖補助と人工生殖

・『生殖倫理と性倫理

p.135 セックスは子作りの目的でなされる場合のみ道徳的容認されるという多くの反論がある見解オーラル・アナルセックスレイプ不倫不妊症)を、反出生主義は「性倫理の反生殖見解」として完全に退ける。

・『誕生悲劇婦人科学(gynaecology)の道徳』…『悲劇誕生』と『道徳の系譜(genealogy)のもじり。

●『将来生まれてくる人間を単なる手段として考えること』

p.140 1人の子供を救うために新たに子供を持つという場合は…(a)自分たちの関心(interest)を満たすため、(b)今存在する子供に弟妹を与えるため、(c)家族部族民族種族を大きくするため、(d)何の理由もない、という場合よりはるかに良い。これらは、他人手段として扱ってはならないというカンティアン命題によりいっそう当てはまる。

デヴィッド・ベネター『生まれてこないほうが良かった』要約

本稿の著作権著作人格権は完全に放棄する。無断での利用・転載はむしろ推奨する。

○第1章『序論』

p.10 子供を産むことの決断には様々な理由があるだろうが、そこに存在することになる子供の利害が含まれているはずはない。

●『誰がそんなに幸運なのか?』

p.12 「生はあまりにも酷い。生まれしまわない方がよかっただろう。誰がそんなに幸運なのか?」(ユダヤ人格言

 「決して誕生しないことは、死ぬ運命にある人間にとっては最善の事柄だろう。しかし、このことは十万人のなかの一人の人間だってほとんど生じない」(フロイトジョーク)…「非同一性問題」→私たちはたしか非存在がよりよい状態にあるとは言えない。しかし、存在するものについては、存在することは当人たちにとって悪いことだと言える。「これは哲学的ゲームでも冗談でもない」

p.15 生殖をするカップルは、苦しみを生みだす氷山の頂点にいる。遺伝的な起源責任。=デレク・パーフィット起源説」

●『反出生主義と出生を促進する偏見

p.16 反出生主義の偏見子供嫌い、子供を持つことによる自由財産制限

p.17 出生の偏見子供をもたないことは利己的で未発達→①子供は別の人間なのだから子供もつ動機利己的でしかありえない。②(1)子供もつことはしばしば不注意の結果でしかない。(2)生殖衝動原始的ものである

p.19 全体主義者の政治団体軍事的理由生殖奨励する。民主主義国家も、つねに生殖を支持する層が勢力の大半を占めている。…あらゆる国家移民より生殖により人口構成されている方が正当化される。

●『本書の概要

●『読者への指針』

○第2章『存在してしまうことが害悪である理由

●『存在してしまうことが害悪であるということがあり得るか?』

p.27 「非同一性問題」「未来個人パラドックス」…(ex)遺伝性の障碍

・『生きる価値のある人生と生きる価値のない人生

p.29 非存在存在比較できないため、存在することがしないことよりも「より悪い」と言うことはできない。…存在害悪は単に「悪い」というだけで十分だ。

 …誰かが死んだ方がマシだと考えるとき自分状態が良くなると考えるわけではない。存在しなくなる方が良いほど人生が悪いものである可能性と同じく、はじめから存在しない方がいいほど人生が悪いものである可能性はある。

p.31 誰かが存在していることとしないことを比較するのは、2つの状態比較するのではなく、まったく別の事態比較することだ。…障碍が耐えがたいにしろ人生を生きるに値しないものにするほどではない場合は、そうでない場合より難しいと考えられている。=生きるに値する人生において、存在するよりしない方がいいというのは矛盾だ。→これは「生きるに値する人生」という表現多義性が原因だ。

・『始めるに値する人生と続けるに値する人生

p.32 「生きるに値する人生」は実際には「生き続けるに価する人生」だ。だが、問題は今はまだない人生であり、これに「生きるに値する人生」という表現を使うことはできない。「始めるに値する人生」を始めない方がいいというのは矛盾だ。

p.34 道徳的問題に関わる意味で、人が存在するようになる過程は長く、段階的だ。

●『何故存在してしまうことは常に害悪であるのか』

・『快楽苦痛非対称性

p.40 非存在苦痛がないことはいいことだと言える。可能性において存在する誰かの利害で判断することができる。我々は、自分たちについて存在しなければよかったのにと仮定することができる。

p.42 人々を幸福にする積極的義務があると考えている人でも、幸福な人々を存在させる積極的義務があると考える人ほとんどいない。

p.44 非対称性思考実験「遠く離れた(異国の住民の)苦痛と、無人場所無人島・火星)」(…非対称的判断)で実証できる。

p.46 積極的功利主義者は幸福を増加させようとする。そこにも①人々を幸福にすること、②幸福な人々を生みだすこと、の違いがある。①は倫理要請だと言える。しかし、②を倫理要請だとすると、個人価値幸福価値から派生することになり、人々を幸福を生みだす手段だと見なすことになる。

・『存在することと決して存在しないことを比較する』

p.52 つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力もつ人を比較すれば、存在しないことの利点がつねに勝ることは明らかだ。回復するのは手段的な善であり、内在的な善ではない…という批判は成立しない。実在する人物について善がないことに「奪われていない」という判断ができるのは手段的な善のみだ。この区分意味がない。

p.54 楽観主義者快楽苦痛費用対効果分析…は「存在しない」場合との比較でなされていなく、無意味だ。…快楽苦痛の2倍以上の値がある場合、「存在する」ことの費用対効果分析は成立する。しかし、QOLを決定する快楽苦痛割合苦痛の下限の問題がある。何より、思考実験「つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力もつ人」はつねに相対的に前者が勝る。

・『別の非対称性

p.59 シフリン:より大きな害悪を防ぐために小さな害悪をもたらすことはいい。しかし(純粋な)利益をもたらすために害悪をもたらすことは悪い。よって、生殖は悪い。存在利益をもたらすとしても、あらかじめその存在の承諾を得ることは不可能だ。また、その仮想上の承諾を想定することもできない。…①存在しなければ害悪を被らない。②存在することの害悪は耐えがたいものでありえる。③人生という害悪を逃れるには大きな代償を支払わなければならない。④仮想上の承諾はその個人人格無視している。…そもそも、出生が利益もつことはない。

p.63 出生された人物権利生殖侵害するということは、その権利請負人間はその時点で存在していないためにありえない…という議論生殖特別な特徴を無視している。害悪を被り「得る」ということで、特別権利を認めるべきだ。なぜなら、存在しない権利がないということはありえない。…自律していない存在(=子供)にはより大きな利益をもたらすために害悪を与えていいというパターナリズム的な議論…は、子供とまだ生まれていない子供は異なり、出生は絶対に悪いということで否定できる。

p.64 フェーイゲ「反失望主義(antifrustrationism)」:選好が充足した場合も選好がない場合も等しくいい。悪いのは選好が充足しない場合だけだ。よって、出生は悪い。

・『生まれたことを悔いないことに逆らって』

p.68 自らの人生を楽しんでいるという理由で、存在してしまたことを良いことだと考える…もし存在してしまわなかったら、その楽しみを逃す人はいない。しかし、存在してしまわなかったことで、苦しみがなくなるのは良いことだ。

p.69 存在して良かったかどうかを間違うはずがないと考える…存在してしまった当人存在が良い/悪いということは、存在してしまたことが幸福/不幸ということと同じではない。

○第3章『存在してしまうことがどれほど悪いのか』

●『人生の良さと悪さの差が人生の質にはならない理由

p.72 人生の良さと悪さの差は、順番、強度・頻度、人生の長さ、閾値、で人生の質とは変わってくる。

●『何故人生の質の自己判断は信頼できないのか』

p.75 ①ポリアンナ効果:楽観主義人生の質を改善するらしく思われる要因のほとんどは、人生の質の自己判断にあまり影響を与えていない(例:体の各症状に対する自分健康状態への判断がほぼ一致するのに、幸福への判断とはあまり一致しない)。②適応。③比較幸福自己判断は、実際は相対的指標による。

●『人生の質に関する三つの見解のどれをとっても人生はうまくいかない理由

・『快楽説』

p.81 人間人生の大部分をマイナス精神状態で過ごす…空腹、渇き便意尿意疲労ストレス、暑さ・寒さ。前述の3つの心理学効果無視されているだけ。さらに…持病・加齢:痛み・苦しみ、眠気、挫折感。災厄:アレルギー頭痛挫折感、苛立ち、痒み、寒気、生理痛・閉経後の火照り、吐き気低血糖、発作、罪悪感、恥、退屈、悲しみ、憂鬱孤独無力感喪失感、その他、被害感情全般

・『欲求充足説』

p.84 精神状態について判断を間違うことはなくとも、欲求については間違うことがありうる(単に快楽を追求している場合は除く)。…欲求は当然、満たされていない時間の方が長い。また、欲求が満たされるのは一時的で、そもそも欲求が満たされないことも多い。現状維持欲求さえ、実現は不可能だ(老い、死)。

p.86 マズロー「つねに新たな欲求が生じる」。イングルハート人間永遠幸福を得ることができるなら、何ら行動しなくなる」。マズロー人間はおおむね幸福で、不満足は病的状態だと言うが、ショーペンハウアーは不幸こそ人生の当然の状態だと言う。

p.88 欲求の充足までに困難があった方が、あるいは充足の過程のものが良いという議論…は明らかに不条理だ。

・『客観的リスト説』

p.92客観的リスト」は「永遠の相のもとに」ではなく「人間の相のもとに」構成されている。…40歳死ぬことが不幸だとして、90歳でそうでないのは何故か? 「色んな芝生に生えている草を数えることに人生を捧げている男」(ロールズ)の人生無意味だが、その視点人類視点は大差ない。

p.93 人生の質は「人間の相のもとに」判断すべきである、あるいは、具体的な背景に応じて判断すべきであるという議論…は明らかに不条理だ。

・『三つの見解についてのまとめ』

p.98 害悪に満ちた人生を、①すでに存在している人のためでなく、②功利主義的な目的でなく(また、そうであっても)、生みだすことはできない。人生の質の判断は当てにならず、よって、人生を続けるに値するかは別論だ。

●『苦痛世界

〇第4章『子供を持つこと:反出生的見解

●『子作り』

・『子作りの義務はない』

p.103 子作りの義務…①射程:子供を(1)何人か、(2)できる限りたくさん、持つ。②正当化理由:(1)存在させられる人々の利害関心、(2)その他(他者の利害関心、功利性、信仰、等)。…存在させられる人々の利害関心によれば、子作りの義務はあり得ない。それ以外の理由ならあり得るが、それにしても相当に疑わしい。とくにできる限りたくさんの子供を持つべきだという場合は。

・『子どもを作ってはいけないという義務はあるのか?』

p.105 生殖衝動、子作りへの関心…「性交への関心」「親になることへの関心」と「子作りへの関心」を分ける。前2者に子作りは必要ない。

p.107 他者の関心…両親、部族民族国家しかし、こうした他者利益を適えることは、それによる当人利益を適えることと表裏一体だ。

p.109 子作りへの関心は…これまでの議論から権利制限されるべきだ。

●『子どもを作る自由

・『子どもを作る権利とされているもの理解する』

p.113 子供を持つべきでない道徳的義務があるなら、子供を持つ道徳的権利はあり得ない。よって、子供を作る権利は(愚行権を含む)法的権利だ。

・『子どもを作る権利自律性に根拠付ける』

p.114 法的権利道徳的義務対立する場合、そうした方が良いという仮説を必要とする条件付きのものとなる。そして、阻却可能条件(子供を作るべきでない)がつねに適合する場合、その法的権利妥当ではない。

・『子どもを作る権利無益さに根拠付ける』

p.115 政府子供を持つべきでない道徳的義務を認めると、施策としてあり得るのは①権利を与えず自由放任する、②禁止する、のどちらか。①は権利を与えず容認するというのは矛盾で、いずれも積極的な②を包含する。②はその道徳的代償が子作りの禁止による利益を上回ることはないと思われる…非最大化主義的非帰結主義者の見解

・『子どもを作る権利意見の相違があるということに根拠付ける』

p.116 法的権利とその正当化にはこのことだけで十分だ。危害原理必要条件:ある行為害悪であるかどうか意見の相違がある場合は、危害原理の射程の外にある(例:人工妊娠中絶)。…ただし、奴隷制のように、ある行為害悪議論余地があるだけでは許されないものもある。

・『子どもを生む権利妥当意見の相違に根拠付ける』

p.118 危害原理例外となる意見の相違は妥当/無条件のどちらか。奴隷制アパルトヘイトは明らかに妥当ではない。

p.120 少なくとも反出生主義が最も優れた反論比較して十分に検討されるまでは、妥当判断のできる理性的な人々によって、意見妥当に違えることができるかは結論付けられない。

p.121 少なくともリベラル社会において子供を作る法的権利撤回されるのには長い時間がかかり、そのときにはその意見は広く認められているだろう。それまで、新しい人間存在させてはならない道徳的義務を認めつつ、子供を作る法的権利を認めることはできる。…実際、テイサックス病やハンチントン病のような遺伝性の病気エイズのような感染病など、他の場面では許されないほどの害悪を与えることが、子供を作る場面では容認されている。

●『障碍とロングフライフ(望まずに生まれた命)』

p.123 障碍…障碍は社会構成されたもので、実際には障害(disability)ではなく不能(inability)だ。また、障碍の出生前診断政治的に悪いメッセージとなるという「表出主義者」の議論…障碍が不能ということは、「より悪い」ということを否定するものではない。健常者と同じQOLを持つ障碍者も、さらなる障碍についてはQOLを低く見積もる。また、反出生主義はむしろ平等主義だ。

p.132 ロングフライフ訴訟は①子供を持つ法的権利に関する妥当意見の相違。②QOL評価個人的なものだ(とくに現在のロングフライフ訴訟代理人によることが多い)。もし判例ができれば、もうQOL評価個人に独特なものではない。の2点の課題がある。

●『生殖補助と人工生殖

・『生殖倫理と性倫理

p.135 セックスは子作りの目的でなされる場合のみ道徳的容認されるという多くの反論がある見解オーラル・アナルセックスレイプ不倫不妊症)を、反出生主義は「性倫理の反生殖見解」として完全に退ける。

・『誕生悲劇婦人科学(gynaecology)の道徳』…『悲劇誕生』と『道徳の系譜(genealogy)のもじり。

●『将来生まれてくる人間を単なる手段として考えること』

p.140 1人の子供を救うために新たに子供を持つという場合は…(a)自分たちの関心(interest)を満たすため、(b)今存在する子供に弟妹を与えるため、(c)家族部族民族種族を大きくするため、(d)何の理由もない、という場合よりはるかに良い。これらは、他人手段として扱ってはならないというカンティアン命題によりいっそう当てはまる。

○第5章『妊娠中絶:「 Permalink | 記事への反応(1) | 21:07

2018-11-03

anond:20181103072743

まじそれ。全く論理的ではないと思う

説明証明がされてない事と非存在証明は全く違う

でも多いよな。

論理的だよと思い込んでる馬鹿

2018-08-21

anond:20180821053048

観察例がひとつあれば何か立証できると思ってる人?逆に観察例がなかったら非存在を立証できると思ってる人?

大丈夫か。

2018-02-11

生きるのがダルい

「AのためにBは生きる」

「〇〇は良いこと」

「良い」という動詞は二項述語であると思う。なんのため?だとか何に?と書くことが可能からだ。

たまにというかよく、なんで生きるんだろなぁと考えてしまう。もし何かを成し遂げるためならその成し遂げたことは何のため?と問いが続いて、この問答は終わった試しはない。私個人でだめなら人一般で試してみても、人が生きる理由を作るためには、生きることを肯定することに必要な「良い」という二項述語のために人より上位の存在必要となってくる。神?存在非存在証明できない。まあ神みたいな端っこに行きついたとしてもそこで止まる理由さえも見つけないといけないんだけど。

それなら生きる理由別にないんじゃないか、となる、けれど死ぬのは怖い。怖いって表現は適切ではない気がするけれど自分ボキャブラリーでは怖い以外の当てはまる言葉を見つけることはできない。

理由はわからない終わりも見えない人生を生きるのがダルい。生きやすくするルール自分なりに見つけようと思ったけれど人一般の生きる理由が見つからない以上個人のものを見つけることもできない。眉間にひたすら水滴を垂らされる刑を受けている気分だ。

そんな刑を受け続けるのはダルい。何もわからず飯食って勉強して働いてウンコしてセックスして生きていくだけ。気分のいい時はいろいろやって気分の悪い時に反省してそれを考えての無限ループ先読みなさすぎは意味のないことなのかな、私は先を読まないとやってられないよ。

結局、何かと物事を"良い"方向に持っていかなければいけない、という考え方に縛られているのかなぁとここまで書いて思った。良くなくてもいいならどうやって生きていけばいいのだろう。とりあえず生きていけばいいのかな。どこまでダメになろうと自分がそれで納得できるのならいいのだろうか。

多分そうなんだろうな。でも自分は納得できないだろうなぁ。10年後にも何もできない自分辟易とするのだろう。

生活はまだできそうにない。

2017-12-30

anond:20171230214325

ありがとうございます。とてもおもしろいです。

いくつか追加で疑問が湧いたのでお答えいただければ幸いです。

幸福が不幸の期待値を上回る場合合理的とは言えますが、拒否権なしにそれを行使することが倫理的問題です。

「喜び」の機会が奪われても存在しない者に取っては何の不都合もないのに対し「苦痛」を受ける機会がなくなるのは誰にとっても(存在していなくても)良い事です。

非存在には不都合はありませんし、未来過去も機会もなく、したがって良い事、というのもありえないのでは?

拒否権存在と同時に生じるもので、どこから存在、生であるかは議論が分かれるかと思いますが、着床を生としたら拒否権をもたないもの中絶するのも道徳的に良くないのでは?

また相手拒否権なしに何かを行うことが非道徳的かは明白ではない難しい問題だと思います意識不明心停止者に拒否権はありませんが、蘇生処置を施すのは非道徳的でしょうか?非道徳的とする立場も当然あると思いますし、そういう考え方も良いとは思いますが、明白とは言いがたいのではないでしょうか。

本能容認することとそれを善とし肯定することは違います。一番初めに書かれている通り自然主義誤謬です。

おっしゃるとおり、容認することと善とし肯定することとは違うと思います。ところで反出生とは出生すなわち生殖行動を容認できない立場ではないのですか?容認はできるのですか?

anond:20171230111228

三児の父ですが概ね同意です。俺達は雰囲気で子作りをしている。

お互い新しい価値観を受け入れることを恐れずに建設的にお話ができるなら、いくつかご質問

ひとつ

幸せになる可能性がある」より「苦痛を感じる可能性がない」方が良いのは明白です。「マイナスは確実にあるが、もしかしたらプラスもある」より「確実にマイナスはない」のほうが合理的です。

ここをもう少し詳しく。「明白です。」「合理的です。」の根拠がないように見えます

幸福苦痛プラスマイナスで捉えることができるならば、期待値プラスの際に生むことが正当化できませんか?

ふたつめ

幸福苦痛存在しない「生まれなかったもの」と

苦痛の多い「生まれもの

とを比較していますが、非存在について語ることは不可能なのでは?

まれていないものには意思人格もない、とかそういうスピリチュアルな話ではなくて、

存在でないものには幸福苦痛存在しないという状態すら存在しないので比較することはできないでしょう、という話です。

みっつめ

死の苦痛をかなり大きく見積もっておられるようですが、論理的に考えれば死を経験した人は存在しないので苦痛かどうかはわからないのでは?

快楽原則根拠に、遺伝子が死を憎むから本能的に恐怖、苦痛を感じるのだ。という話になると本能的に(=論理的でなく)死を忌避する姿勢容認するということになります

それが容認できるならば、本能的な生殖容認できるのでは?それができないならば、それは論理ではなく感情問題なのでは?

2016-09-08

http://anond.hatelabo.jp/20160908160709

>えっとね、別に量子論を語っているわけではないでしょ。

いや量子論が前提で語ってますがっていうか現行科学量子論説明できることがあることが判明してるから

量子論理解は途上でもそれが正だとみなすことを自然としてます

なので俺もそれに乗っ取って運命自己選択権ありと判断してるので

あなた量子論を認めない、もしくは除外するというなら議論にならない。

ついでにいうと量子論ではその「ウチ」も「ソト」も存在非存在のゆらぎの中に全部含まれいるから。

量子論抜きにしても一番最初の「ソト」である宇宙誕生観測して説明できなければ「ソト」が決まっているかどうかも分からないだろ。

宇宙誕生のソト以外は全部その下の「ウチ」であって宇宙誕生の「ソト」を観測できない以上、その理論は成り立たない。

単に人間スケールで見ただけの実生活に元ずく考え方であって宇宙歴史からしたら人間指定する「ソト」も「ウチ」も、「ウチ」でしかない。

http://anond.hatelabo.jp/20160908154654

観測である自分量子論から除外してる方がオカルトしょうが

ミクロだけでなくマクロにおいても作用されていると考えるのが今の主流科学から

シュレディンガーの猫実在非実在のゆらぎにあるのは猫だけでなく観測である自分自身も含まれていることくらい知ってるんだよな。

なら観測自身も見ている自分と見ていない自分存在非存在分岐されているのに

結果が集約した後はどちらかしか存在しないのはどこで決まったと思う?

ランダムランダムしかないんじゃなくてそこに観測者の存在が介在するからこそ結果が1つしか得られなくなる=観測者も参加型の選択権を所持しているってこと。

ランダム性に意志選択が反映されないなら実在非実在のゆらぎの状態のまま結果も収束するわけがないんだが。

観測するという行為が結果を導き出していることは理解してる?

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