はてなキーワード: 架け橋とは
総合点は★★★★☆(星4つ)
2回目の前に制作陣のインタビュー記事などを読んで細かいネタが仕込まれているのに感心しつつ楽しめました。
良作画で動いていたのはすごく良かった。
特に「編集」作業シーンを「切る」ことに注目してアクションのある絵に再構成していたのは面白かった。せっかくのアニメなんだから動きのあるシーンはあってしかるべきだなあと。
あとこれは明確には示されてなかったので多分なんだけど。
「撮影」パートのクライマックスである「みんなでアイデア出して偶然虹まで撮れたカット」も切ったんだよね?
「撮影」パート成功の象徴のようなカットまでも切ることで、ジーン君の「映画のためには他の全てを切ることも厭わない」という面を表しているんだと思う。
しかし、それを明示してしまうと「空気を読んで仲良くすることを大事にするマス層」には理解不能で嫌われてしまうだろうから匂わせるにとどめたんだろうなと思っている。
ところで全体的にジーン君がウェットというかシリアスというか常人の枠から半歩しか踏み出していないという感じを受けた。
原作ではもっと狂人なんだよなあ、特に巻が進むほどに。「友情を、会話を、家族を、生活を、切れ!」とか原作ジーン君は言わない。
当たり前すぎるからわざわざ言わない。「息を吸え! 息を吐け!」って普段はあんまり言わないじゃないですか。
でもまあ1巻ベースだとああいう解釈もアリだと思う。むしろジーン君の物語って感じも出たと思うし、そもそもあまりに狂人狂人してるとマス層がまったく感情移入できなくなるから映画版としてはあれで正解だと思う。
さて、ここから減点材料なんだけど、アラン君および資金調達パートがぜんぜん響かなかった。
まずアラン君、お前は何なんだ。
再会して「あの時はノート悪かったな」とか言ってたけど、特に謝るほどのことでは無くないか。
たまたま雨の日にぶつかったらジーン君がノートを水たまりに落としただけじゃん。寝坊してメモやななにやらぶちまけつつ部屋を飛び出すような粗忽なジーン君なんだし。
ところでそういえば、その粗忽シーンもちょっと違和感あるんだよね。映画だけの男ジーン君が大事なオーディションの日に寝坊したり資料ぶちまけダッシュしたりするかね?制作陣インタビューによるとナタリーちゃんとの出会いのシーンをインパクトあるものにするためにすれ違い構成にしたっぽいんだけど、それってストーリーのためにキャラが捻じ曲げられてるよね。いや、構成自体は悪くはないんだけど、やっぱりそのためにキャラを捻じ曲げられると違和感あるんだよねえ。違和感と言えばナタリーちゃんがニャリウッドに上京するためにバイトで金貯めたっていうシーンでビルの窓磨きしてたけど、あれって上京してからのバイトじゃないとおかしいよね。原作にも窓磨きバイトのシーンあるけどニャリウッドでのことだし。ナタリーちゃんの故郷は農村地帯みたいだしビルなんてあるの?いやいまどきドコにでもそれなりのビルくらいあるのかもしれないけどミスマッチだとは思う。
まあ話を元に戻してアラン君ですよ。
アラン君が謝るってことは、元々のシナリオ的には学生時代のアラン君はもっとひどい奴にするはずだったんじゃない?それこそ、一度拾ったノートを破るとかまた捨てるとかするはずだったんじゃない?それなら「あの時はノート悪かったな」「暗記してたから平気」に違和感無くなるんよね。でもそこまでやっちゃうとあまりに悪すぎて資金調達したとて許されないというか、ジーン君とお茶することすら「なにこいつ?」って感じになってしまうから描写をぬるくしたのではないかなとか思いました。
でまあアラン君からも一回離れて資金調達なんですけど、最悪、ポンポさんなりおじいちゃんなりの私財とかコネクションとかで調達できないものなんかね?二人とも超有名ヒットメーカーなわけだし、財産もコネクションもすごいだろうし、なんなら主演のマーティンさんだって世界一の俳優なんだから金だってうなるほど持ってそうだしスポンサーになってもらえないもんかね?縁もゆかりもない銀行に出資を頼むより先にいくらでもアテはあるんじゃないの?いや、もちろんそういうアテを全部当たって、それでも足りなかったんだっていうならハイソウデスカとしか言えないんですけども。
まずアラン君、クビを賭けたギャンブルをした風だけど、そもそもその職場を辞めようかと思ってたくらいだからノーリスクなギャンブルだよね。なんだかなあ。
そんでクラウドファンディングに生中継でって無茶にもほどがあるけど、それ以上にひどいのは役員連中の手のひら返しの速度ですよ。頭取が出てきてOKしたとたんに「融資成立だー! ワッハッハー!」じゃないんだよ。お前数秒前まで大反対してたじゃねーか頭取がOKしたらまるで「ボクも本心では融資したかったんだけど立場上できなかったんだよね。結果として融資成立してヨカッタヨカッタ」みたいなポーズ決めてんじゃねーよ。いや、そういう変わり身の早さで出世してきたヤツだと言われたらハイソウデスカなんですけど。
アラン君に話を戻して、彼は「クリエーターでないマス層の感情移入先」として作られたキャラなんだと思うんですよ。
監督である平尾隆之氏のインタビュー記事(例えば https://gigazine.net/news/20210720-pompo-the-cinephile-takayuki-hirao-interview/)なんかを読んでいると「マイノリティがマジョリティに一矢報いる」というテーマをお持ちのようなんですね。
「マジョリティ」=「マス層」ですよ。
このテーマは商業作品で表現するのは非常に難しいテーマだと思うんですよ。
だって多数の人に受け入れてもらうことが商業的成功なわけですよ。マジョリティに快感を得てもらわないといけないわけですよ。そうしないとお金が儲からないわけですよ。
しかしね、「マイノリティがマジョリティに一矢報いる」ストーリーで「一矢報いられたマジョリティ側の人間」が快感を得るかっていうと難しい。だって矢が刺さってるんだよ。痛いじゃん。それで快感なのってドMくらいじゃん。
そこでアラン君の登場なんですよ。アラン君はマジョリティ側の人間なんだけどマジョリティ世界の強者である上司や取引先をしくじったりして、いまいちうまくいっていない状態なわけですよ。つまり、マジョリティ世界という巨大なピラミッドの底辺層なんですよ。でもピラミッドの底辺だから数的にはかなりのボリュームゾーンなんですよね。この層の人たちが「なろう系ヒットの母数」だと思うんですけどね。マジョリティ世界に身を置きながらもうまくいかず底辺をはいずっているのでいっそのこと異世界転生して現世のしがらみリセットしてチート能力で無双したいとみんな思っている。「みんな」ですよ。つまり「マス層」ですよ。
そんなアラン君はマイノリティ側と見下していたジーン君が思いのほか成功していたもんだから、マジョリティ側からマイノリティなジーン君を手助けするポジションに立とうと思い立つわけですね。異世界転生強くてニューゲームですよ。コミュ障マイノリティが苦手な資金調達ネゴシエーションをリア充なオレ様がやってあげようってーわけですよ。同じ立場ならみんなそう思う。コミュ障な天才クリエーターのマネージャーになってソイツと社会の架け橋になるだけでオコボレもらいてえなあって誰だってそう思う。オレだってそう思うんですよ。コミュ障だから無理なんですけどね。そんな知り合いもいないし。
つまりアラン君は、平尾氏の「マイノリティがマジョリティに一矢報いる」というテーマ実現のために生み出された舞台装置なんですよ。いまいちうまくいっていないマジョリティの感情移入先であり、途中からマイノリティ側に与してマジョリティ側への一矢となる存在なんですよ。テーマと商業的成功を繋ぐための存在なんですよ。
でも、なんかつまらねーんだよなあ。
思うに「マイノリティがマジョリティに一矢報いる」というテーマと「ポンポさん」という題材の相性が悪かったんじゃないかなあ。
原作ポンポさんはね、マジョリティのことなんて基本的に無視してるんですよ。あくまでも映画業界の中でクリエイターや役者などの能力があり個性的な人々にフォーカスして活躍を描いているんですよ。「すごい人がすごい能力を発揮してすごい活躍をしました。」っていう話なんですよ。これは「チート無双系」にも通じると思うんですけど、すごい人がすごい活躍をするだけでも面白い話は作れるんですよ。
そんな原作ポンポさんに「マイノリティがマジョリティに一矢報いる」というテーマを盛ろうとしたら、そのままじゃうまく盛り付けられないよね。なので、アラン君&資金調達パートで補強したんだろうね。でも、原作にはまったく存在しなかったテーマを盛り付けるために、かなり強引でイビツで不格好な補強になっちゃってるんだよなあ。
結論。
原作ファンとしては、ポンポさんには原作に存在しないテーマは乗っけずに素直なアニメ化だけしてほしかったなあ。
と思いました。(小並感
10:56
あの人の話って(ないことにされてる)デビュー作から最新作まで、何かしら通じるテーマ、また一貫性がある
てんで性悪キューピットからレベルEまで、話のオチっておんなじなのよ
例えば幽遊白書なら、人間界と妖怪の世界、二つの世界と生き方、また価値観の相違があって、その架け橋になるのが主人公たちなのよね
で、結局その二つの世界と“人々”が行き交い繋がり合うところで幕が降りる
先生白書のほうでは、元アシスタントさんが冨樫先生は、「子供たちを楽しませるために書く」って明言してた箇所がある
その子供を楽しませる、という言葉の意味を深掘りしてみると、また違った読み方が可能になる
もちろん少年漫画としてのフォーマットで、緊迫のバトルシーン、また友情・努力・勝利の理想的な少年少女像も描かれる
とはいえ、あの人の描写は大人が見てもえげつなさを感じるものが多々ある
児童心理学のほうでは、子供にとって最も恐ろしいのは、自分が世界の情報から遮断されてると感じること…なんて言われてる
あの人は子供を楽しませるために、の他に、また別の主題があるんじゃないだろうか
砂糖をまぶしたようなユートピア的なおもしろおかしい漫画でなく、現実で実際に起こってる恐ろしい事件、出来事をファンタジー世界に落とし込んで描く
彼は真に子供たちのためを思って、あえて大人でも重いテーマ、また描写を繰り返し描いてるんじゃないだろうか
最近は特に“多様性ブーム”、“LGBTブーム”だなんて言われてるけど、彼は90年代からトランスジェンダーの高校生が主人公のスポーツ漫画を書こうとしていた
レベルEでは(おそらく)インターセクシャルのキャラや、またレズビアンについて踏み込んだ一章がある
この世界があまりいいもんじゃないのも、人間関係なんてめんどくさいだけなのも、人生が惨めなのも、そんなことある一定の年を重ねれば皆分かってるよね
でもだからこそ、理想に向けて努力すること、お互いを尊重し合いながら対話を重ねることが重要視される
冨樫先生はかなり初期から文化多元主義やジェンダー論、クィアスタディーズ、先進国が途上国を搾取してゴミを押し付けること(この辺りはバーゼル条約、環境型レイシズムとか、流星街辺りの問題かな)などなど、いろんな社会問題に切り込んで来た作家だと思う
その作風はきっと、この惨めで誰も救われない世界で、子供たちがなんとか問題に立ち向かって、また世界をより良くして行くための一助になる、そんな後押しをするためのものだったのかと思う
だってこのいびつな社会を作ったのは他ならない私たち大人だもん
少年ジャンプのターゲット層は小学生から30代ぐらいの大人だって聞いた
大人として読む(また創り描く)としたら、作品内での残酷描写は避けられないだろう
またその意思を無視して読むとしたら、受け手として無礼じゃないかとも思う
12:26
蟻篇あとのヒソカ人気下落、あれって選挙篇辺りがつまらない…よりかは、蟻篇が突出してたからじゃないかな
まず蟻篇だとメルエムとコムギの本来“分かり合えない”者同士が友愛で結ばれる、またコムギのような視覚障害者が才能を発揮する…とか、大切な友達を助けるために自分の命も惜しまない、弱い者を助けるために強い者が立ち上がる、もし罪を犯したとしても更生することが出来る、どんな姿になり果てても親子の情愛は不変のもの、そういう至極まっとうだけどいざ自分でやるとなったら難しい物事、ある種の人類普遍の理想を描いちゃったからじゃないかな
その後でヒソカとイルミがキルアたちを追い掛ける話なんて読んだら、大の大人が子供相手に何してんの?って感じられても仕方ない…
それにヒソカは確かに強キャラだったけど、王様とか会長には敵わなさそうじゃん
その上会長がもう常人には理解不可能な域まで修行でイッちゃって、ヒソカより手強い狂人キャラが出て来ちゃったわけだもん
ヒソカはサイコパス診断で測れるタイプだけど、会長のはもうヤバいとこ行きまくりで誰も理解出来ないでしょ、感謝の正拳突きとかマジで意味不明じゃん…
あと、ネット上で書き込んでる人たちが大人として成長したって見方も出来るかな
中高生ぐらいで読んでたら頭が切れてヤバいことなんでもやっちゃえて、世間の枠組みから外れてもたった一人で生きてける…そんなアウトサイダーに惹かれるのは当然だろうしさ
でも今メインでハンタ追ってるのってとっくに成人済みの人たちでしょ
身も蓋もないこと言えばあれ単に人殺しだもんな
最近のヒソカへの幻滅って、別に悪いことじゃないし、今後のエピソードに期待大って印象かな
体とか心壊してんなら仕方ないけど、ただ面倒なだけなら冨樫仕事しろ
ちょっと昔のネトウヨの言うことは「中国の陰謀がー!」「韓国の陰謀がー!」「在日朝鮮人がー!」レベルだったのだが
最近は「ディープステート」なるものをぶちこまれて更に先鋭化してしまった。
トランプが負けたことを受け入れて元の日常に戻ったのかと思っていたが、違うのだ。
トランプが反旗を翻して「ディープステート」を駆逐する日を彼らは今か今かと待っているのだ。
ディープステートというのは要するに「世界を裏で操ってるめちゃくちゃ悪い組織」らしい。マーベルコミックの世界で言えばヒドラみたいなやつ。
実は一部界隈ではその「ディープステート」をトランプがやっつけた、という話になっていて、だからトランプは彼らに信奉されている。
「ディープステート」の根拠はろくに無いのだが、陰謀論の穴を埋める存在として、また複数の陰謀論の架け橋として便利に使われている。
人工地震、ワクチン、児童誘拐、ユダヤ、安倍晋三は李朝末裔で反日でディープステート
トランプはあちこちのディープステートの拠点を米軍を使って壊滅させ、その拠点から世界の国家予算の数万年分の金塊を奪ってきた
などと彼らは述べており、もう手がつけられない状況だ。
筆者は20代半ば、いつになったら名実共に大人になれるかと思案したりはするものの、まかり間違っても子供を名乗れるような歳ではない。
うっせぇわ/Ado https://youtu.be/Qp3b-RXtz4w
Adoの勢いは止まることなく、17歳最後の日である10月23日、メジャーデビュー曲「うっせぇわ」を発表。楽曲を手がけたのは、Adoがカバーしていた「邪魔」、「馬鹿」などでも知られる、2020年最も躍進したボーカロイドプロデューサー・syudou。Adoはハイテンションかつナイフのように尖りまくったボーカリゼーションによって、毒っ気ある低音から耳を突き刺すハイトーンまで歌声を自在に使い分け、鬼気迫る迫力で圧巻の歌唱を聴かせてくれた。意外にもチェッカーズやPsysalia Psysalis Psycheを彷彿とさせる隠れキャラのようなフレーズを忍ばせる言葉遊びの妙。ど頭から内に秘めた思いを叫ぶ〈正しさとは 愚かさとは それが何か見せつけてやる〉というパンチラインが頭から離れない。強烈なインパクトを持ったこの楽曲は、YouTubeにて2000万回再生を突破した(12月24日時点)。
__Ado、歌い手としてヒット連発 「うっせぇわ」「レディメイド」…ボカロ音楽とJ-POPの架け橋となるか より引用
(https://www.google.com/amp/s/realsound.jp/2020/12/post-680013.html/amp)
今月半ばくらいまでは、『うっせえわ』、Ado共に賞賛する声の方が目立っていた記憶がある。ファンや彼女の曲を好意的に思う層の目にしか留まっていなかった、というのも大きいと思う。
それが、ここ数日でガラリと様変わりした。
ツイッター検索のサジェストは「うっせえわ 共感性羞恥」「Ado 嫌い」など否定的なもので埋め尽くされ、YouTubeのMVのコメント欄でも批判、中には中傷に近い発言が散見されるようになった。
きっかけは、先日のミュージックステーションへの電話出演だったのではないか。私はそう睨んでいる。
上司も母親も、「子供は大人になったことがないけど、大人は子供だったことがあるんだから、分かるわけないなんて偉そうに」「子供は大人を敵視していればいいから楽だよな」と散々な言いようだった。どちらも60近い年齢だ。
常識を押しつけてくる敵__大人を詰って罵って、憂さ晴らしするための歌が、一般の人々に、大人の耳に届いてしまったのだ。ああもハッキリと色濃い悪意を向けられては、大人もいい気はしないのだろう。
そりゃあ、創作物に大して抱く思いは自由だ。頭に浮かぶ感想まではどうしたって妨げられない。
でも別に、18歳の作者の見える場所で、痛い曲とか出来損ないの歌とか言わなくてもよくない???
創作されたものに対して、聞き手がどんな感想を持つのも自由だ。第一メジャーデビューした彼女はプロのミュージシャンなのだから、否定的な意見も飛んでくるだろうし、必要なら受け止めなければならない。
それでも、作品を批判するときには最低限の敬意を持たなければならないと私は思う。作者への敬意を欠いた非難は、もう誹謗中傷となんら変わらないのではないか。
とはいえ、私も社会人になって数年経つから、『うっせぇわ』に共感できるとは言い難い。というよりもこの歳になって、『うっせぇわ』に感涙している人間がいたらちょっと驚く。
元々優等生でなかったのもあるが、自分より年上の大人に敵意はそこまでない。というか深い怒りや悲しみという感情自体、エネルギー溢れる子供だけのものなような気もする。25を越えると怒ったり悲しんだりする余裕も体力もない。もちろん元気な25歳も30歳もいるのだろうご、少なくとも私は、あなたが思うより健康ではない。
上司の空いたグラスに酒を注ぐのも、焼き鳥を串から外すのも別にどうでもいい。それで人間関係が円滑に回るようになるのなら、ヒステリックに拒否するほどのことでもない。
たぶん、大人になったからだ。子供のときは許せなかったのかもしれないが、記憶はだいぶ薄れてしまった。前述したように、私の親世代には「子供は大人になったことがないけど、大人は子供だったことがあるんだから、分かるわけないなんて偉そうに」語る者もいるのだが、忘れているから分からない、子供の気持ちもきっとあるのだろう。
ここからは余談かつ個人的な意見にはなるが、『うっせぇわ』の語り手(歌い手?主人公?)は中高生でもよかったような気もする。あの語り手は恐らく社会人だと思うのだが、社会人として見たときに少し子供っぽいきらいはある。自分も大人に分類されるだろうに、(歳の離れた人間を指しているであろうとはいえ)同じ大人にああまでヘイトを向けているというのは少し幼い、もしくは不自然であるかもしれない。
あの語り手の無敵感も、自分を天才と豪語する自信も、中高生特有のものに見える。私もかつては自分を特別な存在だと思っていたが、今では黒歴史だ。凡庸な大人の自分万歳。
秘密基地で子供たちが隠れてヒソヒソやっていた大人の悪口。突然、外に出て大人の目に触れたから、こんなに燃えてしまったのではないか。
生意気にも歯向かってくる子供がムカつくのは、容易に想像できる。子供は「大人は分かってない」と喚くが、むしろ子供こそ大人を分かっていない部分もあるだろう。経験していないから。
しかし、『うっせぇわ』は語り手こそ社会人で描かれているから違和感があるけれど、子供の子供による子供のための曲だ。大人がMVで中傷コメントをしていく必要はない。
男性の問題でも女性の問題でもなくその性別をもって生活をしている人間の問題だから人間を人間たらしめている社会の問題でしょ
肉体とちがう性別をもった動物がこの世に生まれている可能性は肉体の機能的に性別がどちらでもない以外はないでしょ
精神に性別があるのだとすればそれは男性なり女性なりということが言えるのかもしれないけど 精神って性別あった?
性別によって精神が異なるのも含め 年齢でも地域でも状態でもかわるでしょ
異常行動をする健常人なんていないって思ってた?
異常行動をするのは全員精神が異常だと思ってた?
お気持ちがお金になったり実際に物理世界に干渉するように架け橋をもったのはそれを包括する社会でしょ
死ねって唱えると人が死んだとするならそれは魔法の力でも科学でもなく その人の権利とお気持ちをだれかやなにかが反映したりできる社会が機能したってことじゃん
ほぼ全部人力で人類文明が成り立ってる中で 性別だの肉体だの権利だのってみんなでつくった社会ってなまえのスクリーンに映った共有幻想なのでどんな幻想を描くかって社会の在り方でしかない
スクリーンにあらかじめ色がぬってあればなんでも色付きになるし やぶけていたり汚れていたりしたらその部分には何があるかだれにも不明な社会の闇になるだろうし
どんな社会がお好みかはしらないけど 各個人がそうあってほしいとおもう社会について実際作る側になるか(選挙権) 直接はできないのでだれかに任せる(被選挙権) 作ろうという団体に所属して意見をきいてもらうか(政党参加) そういうとこからでしょ
※ツイフェミとはTwitter上でフェミニズムチックな言動を行うが学問としてフェミニズムを勉強したことはなくリアルで積極的に活動しているわけでもない方々の総称です。
いわゆる"萌え絵"バッシングとはつまるところ、オタクが見て息を荒くしているのを想像すると気持ち悪いという生理的現象による不快感を理由としているのは誰もが認めるところであるはずなのに、昨今は「公共空間に出すのが問題」「描かれた意図と文脈の問題」「TPO考えろ」「規制しろとは言っていない」「見えないところで勝手にやればいい」「表に出てくるな」という方向にシフトしてきている。もちろん旧来の「オタクキモい」「こんなの見たり描く奴は一生結婚できない童貞の引き籠もり」「パブリックエネミーだ」式の批判を展開する御仁もいらっしゃるが相対的には減ってしまったように見える。
差別を糾弾する正義の立場であるという自己認識が邪魔をして心の奥底にある罵詈雑言を隠すための論理武装が必要となり、本人ですら言語化できないマジックワード"性的消費"を武器にしたことが自己矛盾やツイフェミ間でさえ見解の相違を生んでしまっているのではないだろうか。「オタクに人権は無い」「オタクなんて全員犯罪者予備軍だ」と週刊誌や口さがない方々が公言していた時代に比べれば随分と人権意識も向上したものだ。だが結果的にはこの杜撰な論理武装が様々な軋轢(定義が一意に定まらない用語を用いた議論は不毛である)を生んでしまった。オタクとはとどのつまり変な理屈を見れば「いやそのりくつはおかしい」と早口で突っ込む動物なのだ。そして動物に理屈など必要ない。ただ一言、もっと素直に「オタクキモい!」と言えばいいのだ。それは半世紀近くも前から繰り返されてきた日常である。太陽が東から昇り、西に沈むぐらいに自然なことだ。関西で言えば「儲かりまっか」に等しい挨拶だ。挨拶しただけで怒る人も世の中にはいるかも知れないが、殆どの人はにこやかに挨拶を交わすだろう。たったそれだけで不毛な争いはなくなる。挨拶は心の架け橋。挨拶が世界を救う。
ある友人に我慢できず、他の友達に話すのも気が引けるので筆を執ることにした。
私の自分語りを多分に含んだ愚痴のような物なので、肩の力を抜いて読んでいただければ幸いだ。
私はしがない字書きの大学生である。中学生の頃には仲の良い友人二人と、自分たちを模したキャラクターを架空の世界の中活躍させる創作を交換ノートの中でやっていた。元々絵を描くことも好きだったが、どう足掻いても上手く描けないことに諦めを感じ、気付けば文章ばかりを書いていた。
高校に入ると文芸部に入った。入部届けを提出するまで、入ったことは親には黙っていた。シンプルにそれまでやっていた吹奏楽に嫌気が差しただけなのだが、高い楽器(丁度自分の貯めていたお年玉やらお小遣いやらの全額程度だった)を買ったというのに吹奏楽を続けなかったので、父親は後にも先にも無いほど激怒した。当時の私は相当にショックを受けたが、まあこれは関係の無い話なのでやめておく。
とにかく文芸部に入ったのだ。正直本当に楽しかった。気の合う友人もできた。文学という架け橋が無かったら話すことも無かったような、私とは系統の違った部員と一冊の本を作るのは刺激的だった。空が白んできても何も浮かばず空虚な日の出を見たり、締切の為に定期テストそっちのけで徹夜をしてキーボードを叩いて編集をしたり、高校生なりの熱量で部活を、書くことを、“創作”を、楽しんでいた。
恐らく想像がついている方もいらっしゃると思うが、私はオタクである。とはいえ、二次創作をイラスト等の投稿や閲覧が楽しめるSNSに投稿を始めたのはつい最近で、それまでは内輪のオリキャラでの創作小説を書いたり、時には友人を主体にした夢小説を書くこともあった。
そんなこんなでここの所二次創作を楽しんでいる私であるが、どうにも腑に落ちないことがある。
端的に言ってしまうと、あまり好かない友人がいるのだ。彼女は高校1年生の頃からの友人で、ありがちな書き方ではあるが彼女をAと呼ぼうと思う。(A以外にアルファベットは出てこないので、特に気に留めて置く必要はない。)
Aは自信家だった。帰国子女のAは英語を始めとして成績優秀で教員にも好かれる模範的な生徒だった。本人はそれを隠すこともなく、「私は天才だから」「と言うより、努力型の秀才なんだけどね」と言ってのけていた。努力を惜しまない姿勢は素晴らしいし、怠惰な私は純粋に尊敬したが、その努力をひけらかす行為はいただけなかった。受験期にはキーワードをページいっぱいに書き連ねたノートやボロボロになった単語帳を常に持ち歩き、志望校の赤本まで隠さず机の上に置いてあった。私は「落ちたら恥ずかしくないのかな」とぼんやり思っていたし、本番当日にもAは「Twitterしてる場合じゃないけど不安 報われなかったらどうしよう」だの「爆死」だの呟いていたが、最終的にAは無事合格し、その大学へと進学した。
思うに、Aはオープンな性格なのだ。未だにTwitterの鍵垢同士で繋がっているのだが、課題の進捗やらをよく呟いている。「自称天才だから(オンデマンド)授業明日の分全部受けてレポートまで書いた」「虚しいから労って(レポートの画像)」などなど。活きの良い大学生である。
さて、本題から離れてしまったが、私がお話したかったのはAの創作についての話である。
実はAは高校在学中から一次創作を嗜んでいた。Aはもう一人の友人とタッグを組んで自作のゲームを作ろうとしているようだった。所謂ファンタジー物で、次々とキャラクターを生み出してはストーリーの核となる部分を練ったり、キャラクター自身の掘り下げをしていた。
なぜ私がそれを知っているのか。それは彼女が片っ端からTwitterに放流するからである。興味が無いので完全にスルーしていたが、AやAの周りの友人はいつもAの生み出したキャラクターの話をしていた。
彼女はゲームのシナリオとなるその“創作”の本筋を書いて、もう一人の友人は立ち絵や背景を書いていた。
Aのそんな旨の呟きをよく見かけた。
そのうち、Aの周りにいる友人は、そのキャラクターのイラストを描き出した。漫画にせよ小説にせよ映画にせよ、ストーリーを追ううちにキャラクターの個性を見出す私にとっては、設定や性格が書き連ねられた一枚絵を見せられても特に何も思わなかったが、友人たちは違ったようだ。確かに毎日それらのキャラクターの話を聞いていれば興味を持つのも自然だろう。
最初こそAは大いに喜んでいたが、そのうちさして大きなリアクションをとらなくなっていった。そのうち、「おまえらのファンアート15溜まったら本編まじで進めるわ、ケツ叩いてもらわないと無理かも」といった旨をツイートしていた。
Aとタッグを組んでいた友人は、徐々にTwitterに浮上しなくなっていった。その代わり、Aは自分のことを“字書き”と自称することが増えて、ゲーム制作の話は一切しなくなっていった。
Aはよく産みの苦しみの類いのツイートをする。
そう言って一通り喚き散らした後、「やっぱり今日は書けないから寝よう」と言って日付の変わる前には就寝している。
なるほど、AもAなりに書くことを楽しんでいるようだ。いつか自分の創作を完成させて、それが大々的に二次創作される日を夢見ているらしい。丁度今、絵の上手い他の友人に描いてもらっているように。
四の五の言わずに書けよ。
一発当てたいなら本気で完成させろよ。
甘えてんのか。
もちろん私は今の文壇をリードするような大作家でもなければ、新進気鋭の小説家でもなんでもない。しかし、Aよりも文字を書くことは数こなしてきた。適切な表現が思い浮かばなかったり、心苦しくても大部分を削除してエンディングを書き直したり、寝食を忘れて夢中になって書いていたこともある。もちろんそれが重要なことでないこともわかっている。
「わたし、○○(私の本名)ちゃんのことすごいと思うよ。文芸部に入ったら、締め切りとかそういう重圧で死んじゃいそうだもん。自分の好きな物上手く書けなそうじゃない?」
私はこれに何と返したかは覚えていない。しかし、文芸部は私に書き終えることの大切さを教えてくれた。
オープンな彼女は書いている最中の苦しみを漏らすことを抑えていられない。しかもそれをやたらと文学的に表現しようとする。浮かんでこない、降ってこない、突然書けなくなる……、そういったありきたりの表現で。Aはやたらと“創作”や“小説”という言葉を使いたがった。自分が今しているのは“創作”で、“小説”を書いている。その行為に酔っているように見えた。けれど言葉が固くなってはいけないと思っているのか、進捗状況が載ったスクリーンショットに映る文はなろう系を模したような劣化させたような文体なのである。
「私の文幼稚なのはわかってるんだけど、かっこつけた描写はしたくないな。児童書目指してるし」
子供が読みやすい文、単純に砕けた文、そして口語ばかりで仮名遣いの怪しい文。難解な表現を使うことと、状況を説明するために上手く言葉を組み立てること。これらは明確に分けられていると思う。斜に構えた描写を、子供には解しがたいと思っているのだろうか。私は自身の素の書き方がかなり固いこともあり、まるで自分が“かっこつけた描写”をしているような気がしたこともあり、なんだか頭にきてしまった。
また、数日後にはこんなツイートもあった。
「承認欲求足りな過ぎて手っ取り早く誰かに褒められたいけど、二次創作は書けないからなぁ」
私は、自分の書いた二次創作を「承認欲求を得るための行動だ」と言われたように感じたのだ。書いた物を貶されるのは嫌だけれど、書く動機をAのようにあからさまに「誰かから評価されるため」にすり替えられるのが耐えられなかったのだ。ネットに公開している以上、何らかの反応があることはもちろん嬉しい。しかしそれ以上に、頭に浮かんできたシチュエーションを練ってひとつの話を作ることが楽しいのだ。
今思うとAはそこまで考えて発言したように思えない。恐らく私の考えすぎだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いし、何を言ったかより誰が言ったかが気になる質なのかもしれない。
SNS上でのAとの繋がりを消そうにも、そのアカウントには共通の友人が多く、彼女たちが気を利かせて私の転生後のアカウントをAに伝えてしまうことは想像に難くない。かと言って「繋げないでくれ」とあからさまに嫌う素振りを見せて友人関係にヒビを入れたくもないし、ログアウトしてしまうと他の友人の呟きまで見れなくなるのも寂しい。そういうわけで今でもAとはFF内で、表向きは仲良くやっているわけである。
さほど苦ではない。しかし確実に自分がストレスを感じていることはわかるので、いつか縁を切ろうと思っている。
結局これはさして大きな問題ではなく、周りからチヤホヤされている人間を妬ましく思っている私の醜さが露呈しただけなような気がしたので、この辺で筆を置いておこう。自分の“創作”のスタンスに口を挟まれて気分を悪くするのは、私自身もそうだから。
カスタマーサポート(お問い合わせ担当)を数年やって来ていろんなお問い合わせを見て来ました。
その中には確かにこちら(企業)側が悪いから怒ってるとかは理解出来るし、当然だなと思うこともあります。
理不尽な文面も確かにあるけど、個人的に理不尽並みに厄介なのが
「壊れた」
「できない」
などの一言だけの文面のお問い合わせです。
こっちも一応人間だから頑張ってこの一文から何が起きてるかは調べるけど、ほとんど理解できないからも何が起きてるかを聞きますが正直手間。
お問い合わせは客と開発を繋ぐ唯一の架け橋だから、どうやったら問題が起きたとかを伝えないといけないので、詳細がないと伝えられないのです。
だからお問い合わせをするならせめて
「いつ」・「何をして」・「どうなった」
の3つは最低書いて欲しい。
じゃないと問題の調査もできないし、開発に伝えれないので開発が修正出来ないしで無駄に時間がかかる。
さっき開発へ伝えるって言った通り、カスタマーの人は開発に携わってないです。(企業による)
しかも場合によっては担当した人が初めてカスタマーをやる場合もあるから具体的に伝えてくれるとスムーズにいきます。
場所によっては開発とか上層部とかは基本お問い合わせを見ない場所もあり、お客さんの文句は下っ端のアルバイトとかがほとんど受け止めてたりします。
そんなため言い返せないし、ずっと謝罪だしでメンタルがエグいぐらいに折れます。
メンタル折れた状態でお問い合わせをやった場合、私は感嘆符・絵文字・顔文字があるだけ頭が痛くなるようになりました。
これを読んでる人で「お前本人のことじゃないんだから、メンタル折れるとかありえんだろ」と思ってる方。
商品に言っているんじゃなくて自分自身に言ってると錯覚していたりするのでめっちゃ心にダメージが来たりします。
長くなってもいいので詳細にお伝えください。
旭日旗(平和の少女像にまとわせ、日韓表現の自由の架け橋にしよう!)
漫画ワンピース(展示内容には含まれないが、原作に旭日旗を思わせるイメージが数回登場するため、韓国戦争記念館での「ワンピース特別展」そのものが中止)
六四天安門事件 武力弾圧の映像(中国共産党による監視統制。天安門事件関連の学術雑誌ですら中国国内からはアクセス不可)
悪魔の詩(翻訳者が殺害された未解決事件。焚書騒動、イラン最高指導者ホメイニによる原著者の死刑宣告など)
ヒトラー人形(デ・アルチャろう人形館からヒトラーのろう人形を撤去。米国のユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」など海外から強い批判)
広島に原爆投下した米軍B29爆撃機「エノラ・ゲイ」と原爆被害、歴史的背景(原爆被害や歴史的背景も含めたエノラ・ゲイの展示について、退役軍人団体の抗議により原爆被害、歴史的背景をスミソニアン博物館から撤去)
天皇コラージュ作品(昭和天皇の写真やきのこ雲、骸骨などのコラージュ。沖縄県立博物館・美術館で展示中止)大浦信行さんの作品は「表現の不自由展」に入っているらしい。
自衛隊車両(神戸市大丸須磨店のイベント「夏休みパラダイスin 須磨」の展示が市民団体の抗議により中止)
中止を阻止するために展示を充実させよう!
津田大介さんの全責任の下でこれらを展示するよう求めてバランスを取るほうがいい。
津田大介さんには文字通り命を懸けて、世界の表現の自由のために戦ってほしい。
あとなんか他にある?
反応から
シャルリーエブドは襲撃前から継続して風刺画を掲載しているので、一連の流れを展示すると見ごたえがありそうです。
「二度目の人生は異世界で」は中国からの抗議で、アニメ化中止、小説版出荷停止になった作品ですね。
ナチスっぽい衣装は乃木坂ではなく欅坂かな?欅坂から衣装提供を受けるのは難しそうですが、サイモン・ウィーゼンタール・センターからの批判に屈することなく表現の自由のために展示を続けてほしいですね。
もうすぐ春やって来てわくわくする、
この時期の話題と言えば!
桜前線がそろそろ来ます桜咲きますよーのウエザーニュースか低周波治療器の話じゃない。
でも私知ってるの!桜が咲く方程式!
ある期間の最低気温を足して累計が一定の数になったら桜が開花するって単純なロジックなの!
これで全て謎は解決よ!
もうさ、この話何回もして悪いんだけど、
川に洗濯に行っていた婆さまの気持ちが分かる感じで重たい洗濯物をもうしなくていい感じ。
私増田で連載だなんて、
そんなお恐れタコと書くつもりじゃなかったけど
でね、
以前使っていたのはパナソニックのやつ。
悪く言うつもりは一切無いの!これはこれで凄くよかったの!
私使い続けていて墓まで持って行くつもりで不満なんてなにひとつ無かったのよ。
で新しいヤツはその全ての私が思っていた、
友達100人できたらいいな!ってこの春入学の新一年生が安直に思うぐらい、
パシっ!パシっ!とかゆいところに手が届いた感じなのよ。
エイドリアン!ってファーストドリンクで注文した名物生卵10個ジョッキを一気飲みして
悪徳商会の一番悪そうな人が不味い!もう一杯!って言っておかわりしちゃいそうな勢い!
そんでね、
刺激の強さを最大限に求めていたからそれはオムロン以上パナソニック未満と、
前者の方が圧倒的だったのよ。
ドラゴンボールのスカウターで言う大きな戦闘力を測ると耳元で機械が爆発するかしないかぐらいの新旧雲泥旅館の別館は本館をも越えるホスピタリティなぐらいの違い。
そんな施しを受けているぐらいよ。
もうこれで私には十分。
低周波治療器を求めるジプシーの旅は一旦幕を下ろすことにしたの。
母をたずねて三千里でいきなり千里中央駅前で買い物行ってる母ちゃんに会っちゃってタイトル回収!はい解決!
みたいに旅の終わりはあっけなく告げられたわ。
次ぎまた書くとしたらそれは壊れた時ね。
うふふ。
先週食べ過ぎたので調整よ。
このぐらいの量しか入ってないのかよって物足りないわ。
仕方ないわね。
あんまりこれらの野菜から何かが染み出てる感薄いぐらい薄いけど、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://anond.hatelabo.jp/20160622100234
また昔書いた記事が取り沙汰されているのに気付いてしまいました。
この記事は自分の人生の写し鏡のようです。事実を曲げず素直に書いた分、読んだ感想として幸せな結婚もあるよ書き手がクズだよとマウントを取られたり叩かれることには結構ダメージを受けます。著書買ってるような名のある作家さまにまで叩かれてたときはさすがに少し泣きました。でも大ファンです。人生の内に貴殿に文章を読んで貰えて光栄でした…といきなり誰ともなく私信失礼。
ただ、部分部分では共感して頂けたり、書いてくれてありがとうと仰ってくれる方もいることを考えると、決して書いたこと自体は無駄ではなかったのだと、一旦は縮み上がった心臓の辺りを撫で下ろしています。
そんな筆者のそれから二年半後の話です。
金銭感覚に関しては自分がだいぶまともになったため、小遣い制も続行ではありますがその範囲内で収められるようになりました。
やはり私の人生から絵を描く、文章を書くということを取り上げることは難しく、どれだけそれが大切なことであったかを話し、どうしてもやめられないのだと謝罪をしました。出会ってから丸4年かけて。何かあるたび、ことあるごとに。離婚の話も時々しながら、それでも私は彼と分かり合いたかったのです。
旦那は守銭奴でもあるので、イベントの度に黒字を出さないと、というプレッシャーはないことはないですが、趣味なのにかけたお金にリターンがあることがプラスに働き、その点でも理解を得るのに成功しました。私は少しずつ趣味で得た収入で活動を回し、今では毎回イベントで黒字を出せる位までになりました。(家計の電気代、通信費は自分持ちで、税金もペイしてます)
「俺も同人活動やってみようかな」
どうやら、私の活動を観察し続けた結果、副収入になりえる趣味があるのを羨ましく思ったようです。原作はお前と一緒に観ていたのでわかるし、文章ならば俺も書けると。同カップリングで書けば私の取ったスペースに置いて貰えるのでわざわざ旦那が申し込む必要はない。萌えているかどうかは微妙なところであるが、金になるならやってみたいとの事でした。
私は大賛成でした。収入を得るのはとても難しいことだけど、世の中に自カプの本が増えるのは喜ばしいことだ。自分の活動を見ていて刺激になったのならばこれほど嬉しいことはない。是非私のオススメの同人誌も見てくれと、旦那相手に全力で布教しました。旦那はとりあえずそれを全部読んでくれましたが、わかりやすく絵がきれいでエロい内容の物を良いと言うタイプで、個性的な絵柄、作り込んだ話の物はぴんときていなかったようです。ロム専の心理の参考になるな…と思いながら布教を続けました。
「これ全部プロじゃない人が書いたのか?」と彼はとてもびっくりしていました。プロも含むけど、大体の方がアマチュアで、カップリングに萌えた結果本を出さずにはいられないで書いたものだよ、と教えると彼は随分悩んだような顔をしていました。
しばらくそのままほっておいて、創作をするかどうか様子を見ていましたが、その後も別に忙しいというわけではないのに書き始める様子が全くありませんでした。気になって聞いてみると、やっぱやめたとの事。
私は旦那が書く自カプの小説がどうしても読みたくてリアルに土下座してお願いしたのですが、言い分を聞いてそれ以上何も言えなくなりました。
「正直舐めてた。でもやってみようと思って触れてみて初めてわかった。これは、俺のような半端な好きじゃ出来る物じゃない」
彼は、打ちのめされていました。その気持ち、私もわかります。好きだという想いが強く、愛の伝わる同人誌との出会いで、如何に自分の表現力が拙いか、愛し抜き方が足りないか、実感するんですよね〜。
「お前よくこんな趣味で心折れずにやってるね?辛くない?」
「辛いよ。誰よりも自分が下手で情けなくて嫌になる夜もある。でも何百回そういう思いしたとこで、結局書くのが好きって気持ちが強くて次回作を書いてしまうんだ」
そんな会話を交わすと、彼はふっと笑い、急に昔話を始めてくれました。
それはまだ出会って間もない頃、私がまだ嬢で向こうが客のとき。私はてっきり容姿に惚れたのかと思ってたのですが、もっと何気ない、私が発した一言に彼は惹かれたんだそうです。
「私ねー、この仕事やってんのには目的があるんだ。やりたいことやるためにやってる。だから全然仕事が苦じゃない」
このセリフを聞いて、彼は雷が落ちたような衝撃を受けたらしいんです。なんでも、その頃の彼は何もやりたいことがなく、ただ漠然と仕事をし、婚活をし、人生の空しさを埋めるためだけに風俗に通っていた。だから、その私の発言が輝いて見えた。その輝きをずっと傍で感じていたいと思ったんだそうです。(とはいえ同人活動のことだとは露ほども思ってなかったらしいですが)(なんせ同居してからはしばらくやめてしまってたので)(よってあの輝きはなんだったのかしばらく悩んでいたらしいです)
「俺と一緒にいるということはあなたの自由度を下げてしまい人生の幸福度を下げているのかもしれない。だってあなたは形に残るほどすごいものを作れる人なのだから。それでも俺は好きな物を作って輝いてるあなたが魅力的だと思う。やってみてはじめてわかった。もっと自信を持っていいよ」
…まー、これを言われたときは号泣しました。私は旦那のセンスを信頼してるので是非自カプ小説を書いて貰えたらなと思ってたのは事実ですが、それを差し置くくらい嬉しかったです。わりとこのときはじめて「この人に私をわかってもらえた」という感覚になりました。
世の中には色んな夫婦がいると思います。お互いの人格の完成度が高く、なんでも尊重し、協力しあえる夫婦。趣味や価値観は会わなくても、子供を架け橋に努力している夫婦。互いの趣味嗜好には立ち入らない距離感を正しく保てる夫婦。最初からそうだった人たちからすれば、最初のエントリーの私たちなんて機能不全夫婦もいいとこで、嬢をやってた社会不適合者とドケチ旦那のギスギス話なんて叩いてなんぼ、まともな人間はもっとまともな夫婦関係歩めるからね〜ウチみたいに…と、酒の肴に楽しむ人の不幸扱いされても仕方ないなと本気で思います。(傷付いてないわけではないのですこーしだけ悪意込めてしまいました、すみません)
私の想いは文章として私の手を離れた瞬間から人のものになります。その文章に記したドラマがどう思われるか、どう受け止められるかは受け取り手次第になる。たぶんあのころの私はとにかく辛くて、そんなことまで考えられないくらい捨て身で文章を書いた。だからこそこう何年経っても読まれてはバズってしまうような文章になったんだろうなと思います。誰かを気遣わない文章だからこそ、あの文章のなかの二年半前の私は時を経た今でも生々しく悩み、精神的DVを受け続けています。
受け取る側の精神状態にまで気を遣えるようになった私の今の気持ちは、分かり合えるか合えないかは自分の頑張りもあるけど、旦那も歩み寄るかどうかにかかってるから正解なんてないのだよ、ということです。
あの文章を読んだ人の中ではその後の私のの人生はあそこで止まってあとはただの評価場となりますが、あの文章を書いた私の人生はその後も続きます。
そこでどんな努力をするか、どう生き方を変えるか、パートナーを諦めるという選択肢もありました。人生自体を終わらせる選択肢だって。全部選んだのは私です。
その結果、私の「好き」は正しく相手に伝わりました。四年くらいかけてようやく届いた。それでよかったなぁと心から思います。
ちなみに、私が彼を好きだった理由は、名前で呼んでくれることと同人活動を気持ち悪がらなかったことでした。でも今ではそこに、私を正しく理解してくれることが加わりました。
彼は私の全てを知ってもなお好きでいてくれます。なんだかんだで、私の神様なのです。愛を持って私をある程度正しい人間へと導いてくれました。彼が完璧な人間かと言えばそうじゃないですが、私にとってはこの上なく必要な人だったのだと自信を持って思います。
また、最初のエントリーも私にとって大きな転機になりました。自分の人生が一般的でなかったことに気付くきっかけになり、びっくりする位批判とマウントをとられ、本当にショックでした。でもその悔しさは逆に、二度とあの世界に戻らないという誓いにもなりました。堕落した生活を送った過去は変えられないからこそ、正しく幸せを手に入れた人に叩かれたからこそ、何がなんでも幸せになってやると思いました。
今、自分がまともな人生を歩んでいるとも、素敵な旦那に恵まれて楽しく同人活動を継続できてますよとも言うつもりはありません。ここに至るまではご覧の通りです。沢山の苦しみや痛み、驕りや嫉妬、あと絶望があります。もっと器用に生きれるなら生きたかった。でもその度に私は自分でなんとかして生きてきました。だからこそこれだけは自信を持って言います。
自分が好きな物を諦めなければ、いくらでも人生は変わります。絶対。
好きを貫いたら、好きなことができるようになるのが人生。
結婚生活が破綻するかどうかはそれに付随する事象でしかなかったんです。
だから…結婚生活を無理に続ける必要もないし、同人の優先度が下がればやめてもいい。人生ってもっと気楽に、好きな物に忠実に生きて良いんだと思います。どうせ死ぬまで続くんだし。
努力したら分かり合える人もいるけど、努力してもわかり合えない人もいて、袖すり合いつつ生きていく。
結婚も同人も全部自分の人生の一部。どれが欠けても終わっても続いても、自分の人生自体は続いていくんだから大丈夫。
そう思うことで、とても楽になりました。
こういうこと書くと、また同人に対する重さとかのほうが取り沙汰されそうで心境的にはちょっと嫌だな。
あんまり深く考えないで、いかれた生き方している一個人の日記程度に留めてほしい。間違っても同人女の一般化なんかしようとは思ってないから。結婚こわくないよ。でも結果として別れるかどうかは運次第みたいなとこあるよ。
自分にとって何が一番人生を豊かにしてくれるのか、ぶれずに行動すれば必ず思ったように人生は回っていくと、それだけは言わせてください!
NHKで放送中のドラマ「昭和元禄落語心中」の主題歌である「マボロシ」である。
ゆずといえば「栄光の架け橋」や「虹」などの前向きな応援ソングや「夏色」や「飛べない鳥」などのフォーク色の強い爽やかな曲が多い中、「マボロシ」は公式サイトでも「これまでのゆずを手放した、幻想的なバラード」と記されてる通りあまり彼らの曲では聴き慣れないような曲調と歌詞になっている。
私はゆずのオタクなので(公式のファン名称である”ゆずっこ”の響きは私にとってはあまりにも明るくて爽やかでこっ恥ずかしいのでこう記す)PVが解禁され初めて聴いたときはとてもびっくりした。
まあとにかく暗い。オタクとして少し心配になった。ゆずの病み期とも言われたりするアルバム「トビラ」を聴いたときと同じ様な気持ちになった。
しかし「昭和元禄落語心中」の主題歌であり、作詞作曲の北川悠仁氏も原作を読み込み作成したとも言っているためこの暗さも納得できる。
個人的には新しいことに挑戦することはいいことだと思うし曲の感じエモエモのエモなのでこの曲はとても好きです。
しかし不満がある。この「マボロシ」は配信限定シングルなのである。一曲単体で配信されている。何が言いたいかというとこの曲にはB面の曲が存在しないのだ。
ゆずは2015年の「終わらない歌」を最後にB面のあるシングルを出していない。(先日発売された「マスカット」にはB面があるが元がA面の既存曲のため除く)昨年は20周年だのEP盤を出すだのしてたためしょうが無い気もする。それでももう3年B面のある曲が無いのだ。
オタクの戯言であるがこの曲にはB面が必要だったと思う。いくら「落語心中」の曲だとしてもオタクとしてはどうしても作り手の顔が浮かんでしまう。
岩沢厚治さん、この曲聴いたときどう思いましたか?歌ってなにを感じましたか?
B面だからといってA面への答えや対となるような曲が収録されるとは限らない。しかし必ずその曲がB面として収録された理由があるはずなのである。
その理由がある曲が欲しかった。彼らのバックボーンを知ってしまっているオタクにとって単体でこの曲を聴くにはあまりにも重すぎる。(…聴くけど)
この曲は北川悠仁氏の曲のため、今まで通りだったらB面は岩沢厚治氏の曲だろう。最近は発表数が少ない岩沢氏だが、「マボロシ」を歌って感化された部分とかなにか絶対にあったろうと思ってしまう。B面が路上時代のリメイクだったとしてもこの重くて強い曲のB面にする重くて強い理由があるはずだろう。
オタクはそれが知りたかった。聴きたかった。2曲を延々リピートし続けたかった。
やっぱりCDは売れなくて儲からないから作らなくなったのかしら。でもいくらお手軽に曲が買えるようになって便利になっても、変えちゃいけないところや減らしてはいけないところがあったのではないか。
それだけ
本土の人間として、引退した安室奈美恵やSPEEDなどの沖縄が生み出した文化は大好きだし今でも尊敬している。
しかしその一方で、普天間基地の辺野古移転をゴネる沖縄人に対しては「しょうもねえヤツらだ」という思いも持っている。
日本とアメリカの国家同士の契約を簡単にひっくりかえせるわけがないだろう。
そこまでゴネるなら琉球共和国として独立して中国共産党に併合されれば? 日本から出ていけば? という思いである。
この二つの思いは二律相反するように見えて、実はコインの表裏のような関係なのである。
本土人から見れば、唯一本土戦のあった沖縄に対して後ろめたい気持ちはあるし、安室奈美恵は音楽を通じて本土と沖縄をつなぐ架け橋みたいなものだった。
1990年代以降に、沖縄が本土人から見て魅力的な観光地になったのも、安室奈美恵の存在は大きかっただろう。
その一方で、辺野古移転問題の沖縄人を見ていると、いつまで被害者ヅラしているんだとも言いたくなる。
別に怒っているわけじゃないけど洋楽を中心として音楽のジャンルが多すぎるぞああn?」っって思ったりするときがあるくない?
いや音楽はすきですよ?でも正直ジャンルについてはあまりわからない。例えばロックって言われたらバンドの感じだし、ヒップホップって聞くとズンズン!って重低音とかイメージするんだけどこれで合ってるんですか?
じゃあポップスってなんだよ?お前らちゃんと説明できるのか?あn・・・
僕ですか?はい説明できませんよ。色々ひっくるめた感じですかね?
まあこのへんまでは良いんですよ?EDMとかR&Bも実はよくわかっていないけど自分が好きだなって思う曲はこのあたりのジャンルに多いんですよ。
ただオルタナティヴなんとかとかポストなんとかとかハウスなんとかとかなってくると本当に和わからない。ハウスとかR&Bとか調味料的なあれですかとかつまんねーから。なめんてんじゃねえぞああnあnあn…
結局俺が言いたいのは音楽を評価するのは自身の心であってジャンルなんてどうでも良いんだなってこととAVのジャンルってはっきりしていてわかりやすいよな~ってこと。そしてこの2つの共通点は鑑賞後に気持ちよくなれるかどうかなんだよ。名作って呼ばれる曲にも作品にもそんな力があるんだよ。
アダルト業界ってどうなってるんだろうな?って考えるときがある。
俺にとってAVは夢と現実をつなぐ架け橋のようなものだった…でもこの橋は信じられないほどに不完全だった。
ブラウン管に映る美竹涼子に匂いは無かった。喘ぎ声はスピーカーから…画面が手垢だらけになるまで触って感じる温度はブラウン管の熱…
でもそれで良かったと思う。
いいか?俺にとって童貞を捨てたあの瞬間は穴埋め問題の答え合わせだったんだ。AVをどれだけ見ても解けなかった疑問のな。
そして夢がかなった瞬間だった…
疑問の穴を1つ1つ埋めていく…
こうなっているのか…
おお…
なんという…
すごい…
感動があったんだ。どうしてかわかるか?
不完全だったからなんだよ…
それが今、変わろうとしている
より事前体験がリアルに近づき人々の感動は相対的なものになるだろう。
そして実際に食べて思うんだ。
口コミほどじゃなかったな…
答えを知る前に答えを知る…
俺はそいつを殴るだろう
僕達が思っているよりチンギュラリティはそこまで来ているのかもしれない。
わたし女子高生。渋谷区の端っこにある女子校でトキメキ☆スクールライフを送っています。今日は金曜日、バイトの日です。放課後のベルが鳴り終わるとオフィスに向かいます。女の子社会で生き残るための装備である仲良しグループの子達と、なんとなくフォローしてる同じ学校の子達のストーリーをババッとみて投稿にポポッと既読いいねしてDMを返していきます。バイトの連絡にはラインを使っていますが、ナウでヤングな女子高生達はインスタにシフトし終わってます。
オフィスに着きました。オフィスといってもただの待合室で、ビルの倉庫だった部屋を片付けてイスと机と鏡と電気ポットを置いただけのものです。奥の方にパーテーションがあって、その向こうには連絡と事務をしているお兄さんがいるらしいですがみた事はないし興味もない事です。時刻は午後4時、学校帰りでしょうか2人の女子高生が座っていました。一人は黒っぽいセーラー服で机に突っ伏しています。もう一人はセーターを腰に巻いていてクマチックな茶色い耳カバーをつけたスマホを超高速で連打しています。他の子たちはもう仕事場に行ったのでしょう、本指名上位の子達はシフトを入れるとすぐに埋まるのでここに来るのは間の時間ぐらいですが、わたしのような下位の人間は連番とか無指名を待つしかありません。特にすることもないのでここの話でもしましょうか。ここはいわゆる世間一般でいうリフレで、その中でもJKが付くやつで派遣型のやつです。なんたらたんたら法で当局が活動をしているせいで今時この業界では18歳以下を雇っている所なんてありませんが、つまりこれは希少価値がつくということでうちのように資本が限りなく#000に近いとこはこっそり雇ってたりして、ジェット気流の便りで知ったわたしのような人間が集まってくるわけです。もちろん現実はそう甘くなく単価は高いですが、だいたいお店が巻き上げてバックされるのはほんのちょっとで収入は相場より低いぐらいでちゅ。まぁコースによって単価とかバック率も変わってきますがわたしにはあまり関係のないことです。
仕事の音がしました。ラインを見ると指名で90分コースが入ったようです。指名!!!そういえばわたしにも3億年に一度ほど指名が入ることを忘れていましたね、まぁどうせネット指名でしょうが。とはいえこれはチャンスチャンスチャンス、本指名への架け橋。
仕事場に着くと大学生ぐらいの男の子がいました。紺のズボンに薄い青のシャツを着ています。ねぽりんぱぽりんの一見ただの大学生しかし素顔は異常性癖者!回に出てきそうな感じです。スイッチオン。「こんにちは!本日はご指名ありがとうございます!!███です!!!」「よ.....よろしくお願いしま..す...」ケッケッケこれはちょろい。色々遊べそうだ...と思っていると大学生がなんだか言いたそうにしています。「あの...」「はい!!!」「・・・・・」「・・・」「・・・大麻OPってありますかっ」オッオッオッこれは思わぬ展開。そんなものあるわけありませんがこれはキメセクチャンス。大麻取締法の時効は7年だったけなぁと思いながら言っちゃってみた「今できました!!!!!」