2020-11-23

ツイフェミ(総称)はなぜ自己矛盾してしまうのか、そしてなぜオタク対立してしまうのか

※ツイフェミとはTwitter上でフェミニズムチックな言動を行うが学問としてフェミニズムを勉強したことはなくリアル積極的活動しているわけでもない方々の総称です。

いわゆる"萌え絵"バッシングとはつまるところ、オタクが見て息を荒くしているのを想像すると気持ち悪いという生理的現象による不快感理由としているのは誰もが認めるところであるはずなのに、昨今は「公共空間に出すのが問題」「描かれた意図文脈問題」「TPO考えろ」「規制しろとは言っていない」「見えないところで勝手にやればいい」「表に出てくるな」という方向にシフトしてきている。もちろん旧来の「オタクキモい」「こんなの見たり描く奴は一生結婚できない童貞引き籠もり」「パブリックエネミーだ」式の批判を展開する御仁もいらっしゃる相対的には減ってしまったように見える。

差別糾弾する正義立場であるという自己認識邪魔をして心の奥底にある罵詈雑言を隠すための論理武装必要となり、本人ですら言語化できないマジックワード"性的消費"を武器したこと自己矛盾やツイフェミ間でさえ見解の相違を生んでしまっているのではないだろうか。「オタク人権は無い」「オタクなんて全員犯罪者予備軍だ」と週刊誌や口さがない方々が公言していた時代に比べれば随分と人権意識も向上したものだ。だが結果的にはこの杜撰論理武装が様々な軋轢定義が一意に定まらない用語を用いた議論不毛である)を生んでしまった。オタクとはとどのつまり変な理屈を見れば「いやそのりくつはおかしい」と早口で突っ込む動物なのだ。そして動物理屈など必要ない。ただ一言もっと素直に「オタクキモい!」と言えばいいのだ。それは半世紀近くも前から繰り返されてきた日常である太陽が東から昇り、西に沈むぐらいに自然なことだ。関西で言えば「儲かりまっか」に等しい挨拶だ。挨拶しただけで怒る人も世の中にはいるかも知れないが、殆どの人はにこやかに挨拶を交わすだろう。たったそれだけで不毛な争いはなくなる。挨拶は心の架け橋挨拶世界を救う。

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