はてなキーワード: YOUTUBEとは
日本はみんなが忙しくて、忙しくない暇人までなんか忙しく装ってないと申し訳ない感じがして、
あと、単に忙しいだけの仕事の中身がないような人まで、周囲の暇人を忙しくさせようとわざわざ仕事を作ったりするんで、
その点、最近の中国は昔のモーレツサラリーマン時代の日本みたいなもんだから、みんな忙しいわけだけど、
1日平均12時間労働、土曜休日なしだけど、暇人というか、なんか会社とか社会に拘束されながらもアホなことをやる余地があるように感じる
でも、そういう感じで日本寄りの発想だから、上記のアメリカレベルのイノベーションは起こらない
イノベーションというか、誉め言葉の意味でのあたまおかしい、が起こせるのは、暇というか、そもそも時間がないと不可能なわけで、
しかも、起こす人が頭良くないと、おまえあたまいいな、という周囲の評価も得られないわけで、
でも、日本みたいにみんなが忙しいと、誰かがおもしろいことやっても、誰もおまえあたまいいな評価さえする暇がないからスルーされてしまったりするわけで、
本記事を開いていただきありがとうございます。
前提となるイラストレーターかかげ先生の炎上を巡る騒動について、資料として簡単に共有させて頂きます。
概ね把握されている方は飛ばしてください。
本題に入る前にひどく長くなってしまいました、申し訳ありません。
彼個人については、私もあまり良い印象を抱けませんでしたので、やや乱暴な纏め方になってしまっているかと思います、ご容赦ください。
私が雑考したいのは、一連の騒動を追う内に頻繁に目に入ってきたフレーズである「かかげ先生の添削動画を見ているのは『本気』で絵が上手くなりたい人たち」は真か、という点です。
結論から言えば「そういう人もいるが、恐らくあなたはそうではない」というのが正直な考えです。
結論から言ったはずなのによく分かりませんね。順を追ってお話させていただければと思います。
では、そもそも「本気で絵が上手くなりたい人の行動」とは、どういった行動なのでしょうか?
「毎日毎日毎日毎日デッサンとクロッキーと模写を繰り返し、親に土下座でもなんでもして作業環境を一式整えて技術書で理論や技法をデジタルも含めて学び、毎日毎日毎日毎日デッサンとクロッキーと模写を繰り返し、親に土下座してでも専門的な学習ができる環境で添削してもらう」。
端的に、それが私の思う『本気』です。
更に覚悟が決まった人ならば専門の教育機関で勉強し、毎日毎日ノウミソを煮ながら作品制作に勤しむでしょう。
そこまでやってようやく画業の卵に成りうるのです。
もちろん環境的な要因もありますし、それが出来ないから本気ではないとは言いません。
しかし、絵にせよ、スポーツにせよ、勉強にせよ、仕事にせよ、『本気』とは大なり小なりそういうものです。
「やるべき事をやっているか」と言い換えても良いかもしれません。
それができているか否かは、きっと自分が一番良くわかるはずです。
真剣に向き合えば、「やったつもりになっている」というのは自分でもわかってしまうものですからね。
「自分はやるべき事をやったし、最低限の基礎に関しては習熟している」。
そう胸を張れる人ならば、かかげ先生の動画を見るのは非常に参考になると思います。
一家言あるだけに、かかげ先生の動画は「見栄えを良くする」「バズりやすくする」「いいねを貰いやすくする」という点に置いて非常に参考になります。
「今このキャラの二次創作を描いても伸びない」という余りにも明け透けすぎるアドバイスもありますが、なりふり構わず本気でやる上で必要なアドバイスである事に私も否やはありません。
かかげ先生に添削を依頼する方たちの水準は他の添削動画と比べてハイレベルに見えますし、モチベーションも高く、糧になるか、あるいは良い思い出になるでしょう。
繰り返しになってしまいますが、「かかげ先生の添削動画を見ているのは『本気』で絵が上手くなりたい人たち」とフレーズは、一連の騒動を追う内に頻繁に目に入ってきました。
そう言っている方々のアカウントのメディア欄を全て確認した訳ではありませんし、安易なレッテル貼りになってしまうのであまり言いたくはないのですが、あえてハッキリ言わせてもらうなら「やるべき事をやっている」とはとても思えない人達が非常に多い。
もし『本気』で絵が上手くなりたいのなら添削動画なんかを見ている場合ではない。
そういう方たちが、本当に多い。
これもぱっと見の主観になりますが、平均して年齢層も低く見えました(先だっての例に学生さんを想定した理由でもあります)。
なぜそういう方々が多いのか。
私も明け透けに言ってしまいますが、かかげ先生の動画は「本気でやってるつもりにしてくれるから」です。
かかげ先生の辛口、あるいは暴言と言い換えても良いですが、その口撃はファンサービスであり、むしろ糖衣なのです。
かかげ先生はデッサンが狂った絵を添削する時に「複雑骨折してる」「化物になっとるやん」「この絵は伸びへんよ」等々の言葉を使って、逐一「こうする」という訂正を行います。
私が思う辛口です。
「デッサンが出来てませんね、次」
終わりです。
適当なだけに思われるかもしれませんが、これは実際、合理的なのです。
そもそもデッサンが狂っている絵を逐一直した所で、その人のデッサン力が向上するわけではないからです。
言い換えるなら「根本的な基礎となるデッサンが狂っている以上どれだけ作品を直しても無駄です。評価する基準に達していません。出直してください」と暗に言われている訳ですね。
端的な事実の指摘というのは、下手な罵倒よりもよっぽど心を抉ります。
それと比べれば、なるほど、確かに「かかげ先生の辛口は愛のある辛口」「関西人なら分かる」という評価があったのも頷けます。
個人的には「関西人は毎度毎度テメーらの文化が全国に通じるモンと思い込んで当然のように全国ネットに脳死で流し込んでくるけど何で高々47都道府県のうち2府4県周辺しかないクソローカル文化にそんな影響力があると思ってんだクソ土人共が関東関西じゃねえよ全国ネットあんだから関西以外:関西で分かれるの理解して弁えろカス」とも思いますが、そこは一度置いておきましょう。
かかげ先生は本当に巧みな点は、まさにそこなのです。
意識的にやっているのかはともかく、「この動画を見ているあなたは本気でやっていますよ、正しいですよ」と思わせる雰囲気作りが非常に上手い。軽快な関西弁も一助を担っているのでしょう。
それが時に「オンラインサロンっぽい」とも揶揄される独特の空気感の正体です。
本当は薄っすら自分が「やるべき事」をやっていないのに気づいているし、
しかし、面白くもないデッサン模写クロッキーを毎日あらゆる娯楽を犠牲にして数時間繰り返すだけのモチベーションもない。
もっと単純にイキりたい、背伸びをしたいと見てもいいかもしれません。
そういった方々にとって、暴言じみた辛口で叱る動画は福音に見えるでしょう。
「こんな辛辣な動画をあえて見ている自分は『やるべき事』をやっている」と自分を誤魔化せるからです。
断言しますが、何にもなりません。
そういう方がやるべきは鉛筆を握ることで、動画を見ることではありません。
辛口の添削動画を見て何か成し遂げた気になるのは、例えるならサウナのようなものでしょうか。
私はサウナが好きでよく行くのですが、不思議なもので全身から汗を吹き出しながらサウナ室を出るとひどく何かを成し遂げたような心持ちになるのです。
その後に水風呂に浸かる時などは自分が苦行僧になった気さえしますし、外気浴の心地よさは今までの苦行の報酬のようにさえ思えます。
そうして整った帰りは心身がリフレッシュされて、健康になった気がします。
全て勘違いです。
健康になりたいのならば毎日運動して食事制限を行い酒を減らして煙草を絶ち規則正しい生活をすれば良いだけの話です。できやしません。
それなのに「サウナとは自分が気持ちよくなりたいから入るのだ」という自覚を忘れてしまう。
下手な例えで申し訳ありませんが、辛口の添削動画を見る時の怖さはそこにあります。
もしこれを読んでくださっている方の中に感ずる所があった方がいらっしゃるならば、その方に言いたいのは見ただけで自分が上等になれた気がする何かがあったならばそれは単なる勘違いであり、あなた自身の成長にとって害であるということです。
絵が本気で上手くなりたいなら、やるべき事は先程も申し上げた通りですし、 「人を描くのって楽しいね!」など、優良なサイトは世の中に沢山あります。
修了するのは中々高いハードルですが、もし本当に『本気』で絵が上手くなりたいのなら是非ご一考ください。
そして、ここまで長々と説教じみた話を繰り返しておきながら最後にちゃぶ台を返すようですが、絵を描くという事を趣味として楽しむことは何も悪いことではありません。
今は描けなくとも、20年後30年後に描けるようになればそれで良いというのが絵の良いところです。
何かを表現したいという意欲があるならば、たとえそれが趣味であったとしても『本気』に繋がると思います。
楽しんでください。
最後に、2009年の書き込みな上にやや畑違いではありますが、古のコピペを貼って締めさせていただきたいと思います。
どこの馬の骨とも知れぬオジサンの何の根拠もない雑考(というより半ばお説教になってしまいましたが)に長々とお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
よう、ニートども!
元気か。
今日はオレ様がお前ら腐れ豚でもアニメーターになれる方法を教えてやる。
鉛筆が無いやつは画材屋か文具店かホームセンターかスーパーで買ってこい。
ネット通販は駄目だ。
今すぐ買え。
Bを買え。
消しゴムは買うな。
必要ない。
紙はA4のコピー用紙だ。
これも手元に無い奴は今すぐ買いに行け。
用意ができたら描け。
すると手が慣れてくる。
緊張もほぐれる。
ウォーミングアップは終わりだ。
次に模写をやってもらう。
他の本では駄目だ。全く駄目だ。
消しゴムは使うな。
失敗した線を残したまま描き進めろ。
決して小さな絵を描いては駄目だ。
肩を動かして描け。
全身で描くんだ。
この模写が一冊分終わったらアニメーターになれる。
間違いない。
この模写が一冊分終わったらアニメーターになれる、というのは嘘だ。
理屈はその後でいい。
注文して買ってもらう。
その他の本は一切読まなくていい。
『ディズニーアニメーション生命を吹き込む魔法―TheIllusionofLife―』
も良書だが、
『アニメーターズ・サバイバルキット』は2~3日あれば読める。
もう一度読み直せ。
ただし今度は模写をしながら読め。
全ページ分の模写だ。
この再読&模写の作業が終了する頃にはありえないほどの自身が付く。
騙されたと思ってやってみろ。
ポイントは、教科書は『アニメーターズ・サバイバルキット』のみに
絞るということだ。
多少の違和感もあるだろうが、
勉強はまだまだ続くが、順番は守れ。
そうすればお前もアニメーターになれる。
上に挙げた2冊の模写が終わったら、『アニメーションの本』を注文しろ。
この本には、近藤善文が作った練習課題が載っているから、それをやれ。
2冊分の模写を終えた奴なら必ずできる課題だ。
だが、何の勉強もしていなくても、
そういう天才もいるが気にするな。
必ずだ。
巻末にある動きの実例集が役に立つ。
値段も安い。
動きの基礎が分かってきたら、今度は絵の練習をしてもらう。
絵は上手ければ上手いほどいい。
練習をしすぎるということはない。
たぶん、これはもう持っているだろう。
だが、持っていても、
全ページ分の模写をやった奴はそんなにいないだろう。
やれ。
ここで色々な本に手を出して、
この本を模写すると、
“あ、人間と~、動物って~、同じ~じゃん~”ということが分かるはずだ。
今のところは『やさしい人物画』で学べる内容で十分だ。
あせってマグの本に手を出すな。
以前は毎日YouTubeやまとめサイトを見ていたけど、それを止めた
その分時間ができて、気になっていた本を読んだり、好きな音楽とじっくり向き合う時間が生まれた
情報の断捨離は物に対する断捨離ぐらい大切な考えだと思うのに、なかなか見かけない
新聞とかに取り上げられたので、今まで騒動を追ってない人まで、話題に入ってくるようになったみたいなので、なぜここまで炎上しているのか箇条書きで書いてみる。備忘兼ねて。
・ゲーム内容がフィクションでファンタジー色強めであるにもかかわらず、史実に忠実であることをインタビュー等で強調してしまったこと
→結果的にファンタジーを史実であると言った状態になってしまった
・リサーチをちゃんとしたと言ったにもかかわらず、杜撰な日本描写で文化に対する扱いが粗雑
→季節外れの農作物や、おかしな畳、変な屋敷や城、鎧兜のおかしな描写、神道と仏教の混同、家紋の上下反転 etc...
・コンセプトアートがGoogle画像をトレースしたかAIで作成したかのような奇妙な作りであること
→ガードレールや軽トラックを描写、中国の仏像を左右反転で使用、日本にいない尻尾の長い猿、江戸時代ではなく明治の写真のトレース etc...
・コンセプトアートが盗用をしていること
→実在の現代の団体の旗模様を使用しているなど著作権を侵害している
・ジャパンエキスポのアサクリブースでAmazonや中国ECサイトで買った適当なものを陳列
ttps://togetter.com/id/laymans8/t/%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%BA
ttps://www.youtube.com/watch?v=FnYyYDpC00Y
ttps://www.youtube.com/watch?v=IgK8UsSZQ9c
ロックリー氏の発言はとにかく誇張が多すぎる上に、ロックリー氏があちこちで情報をばらまいているため収拾がつかなくなっている。
Wikipediaは言うまでもなく、BBC、CNN、Time、スミソニアン、日本在住の黒人Youtuberの動画インタビュー、ブリタニカ百科事典(Web版) etc..
誤解されがちだがロックリー氏の誇張は上記のBBCやCNNなどのWeb版での影響が非常に大きい。
そのため日本版の書籍を見てもよくわからないことが多い(後追いで入ってきた人は日本版の書籍ばかり見ていることが多い。
例えばwikipediaが間違っていると言うと、BBCやCNNに元ネタがあるという突っ込みが来ることがあるが、そもそもCNNの元ネタもロックリーである。
■黒人陰謀論(黒人中心主義、アフロセントリズム)と日本文化の伸張
そもそもの問題点として昔から黒人が日本で活躍したという陰謀論は存在した。
坂上田村麻呂黒人説がそうだが、このデマは100年前から存在している。
また、こちらはあまり知られていないが「日本の諺に、侍が勇敢であるためには、黒人の血が少し入っている必要がある」というデマも存在する。
黒人蔑視やアジア人蔑視として始まったものだが、今では黒人中心主義者のネタに使われているようだ。
もともとこれらの陰謀論は小規模ながら連綿と続いてきたものだが近年の日本のポップカルチャーの欧米での急激な浸透により明らかに陰謀論が拡張している節がある。
特にディズニー+のドラマSHOGUNの大ヒットあたりから急激に増えている印象がありこちらも収拾がつかなくなりつつある。
■ポリティカルコレクトネスの矛盾とアジア人軽視への抵抗とアジア人の透明化
アサクリ騒動を日本だけおっていると気づかないが、周辺メディアの油の注ぎ方もすさまじい。
海外のゲーム界隈はもはや右翼と左翼の闘争の場と化しており過激な発言や争いばかり起きている。
実はそもそも以前に似たような炎上が発生している。それはバイオハザード5が発売された当初、白人キャラが黒人を殺しまくるのは非常に問題があるとい主張であった。
これはシェバという黒人女性キャラをパートナーとして追加することで一先ず炎上を沈下させた経緯がある(ただ言っておくとすでに10年以上前の話である)
それに対して最近IGNは5は黒人差別の文脈からリメイクできないと記事を作っていた。
ところが似たようなポジションのアサクリは問題ないとしており、これも炎上の要因であった。
欧米のメディアがこの手の人種問題を取り上げるとき、基本的にアジア人は白人と一括りにされマジョリティなのでお前たちも差別の責任を負うべきだという論調であることが多い。
しかし実態としては日本人ならわかるだろうが、アジア人は実際には差別されており事件が起こる。
アジア人はアメリカの人権擁護の隙間に入り込んでしまっており意見を無視されることがしばしばだ。
今回の件でもアサクリに文句をつけているのは"白人であり日本人ではない"という主張が大勢を占めておりほとんど無視されていた。
UBIが今回謝罪したことで初めて日本人が抗議していることを認めた人も多い(ちなみにまだそう主張してる人はいっぱいいる)
今回の炎上騒動はこれらの争点がひとまとめになった結果起きたもので一面的な情報を追いかけてもなぜ炎上しているのか把握できない(ていうか多分俺も全部把握できてない)
日本のポップカルチャーはまだまだ産業的に伸びる気配が強く、また弥助の件についてもハリウッド映画化やブロードウェイミュージカルが発表されており収まる気配はない。
だという仮説を立ててみた。以前の都知事選挙における外山の演説のフレーズを石丸に置き換えてみた。
なお、外山恒一の政見放送は長くなるから,下記を見てほしい。政見放送には2種類あるから、どちらも見逃さないように。
▪️YouTube
https://youtu.be/P0Omi6wnqsQ?si=FoVjK0pDgE9zZ-ny
▪️書き起こし
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid265.html
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・改革なんて無駄だと思っている。政治改革だとか何とか改革とかには一切興味がない。こんな国はもう滅ぶしかないと思っている。
・多数派の「ヤツら」同士で決めた多数決は、我々にとってのものではない。「ヤツら」は我々のことを聞く気なんかない。
・選挙で何かが変わることはないと思っている。
その始まりがいつだったのか増田にはよくわからないが、少なくともスマホがある程度普及してからで、かつ初めは海外から始まった文化だったと思う。
いつからか個人で撮影したライブの様子がTwitterに、YouTubeにアップロードされるようになって、行ってないライブの様子を見られるようになった。
それはライブ体験をいつでも反芻することができるいい側面もあると思うが、やっぱり悪い側面が目立つよなという気が最近している。
かくいう増田もそのうちの一人であり、撮影可のライブで、好きな曲が演奏された時に、スマホを掲げカメラを演者に向けるときもあった。
ただ最近はめっきりやらない。なぜか。
単純に、何のためにライブに来てるのかが分からなくなったというか、手段と目的が逆転しているような気がしてならなくなったのと、演者へのリスペクトが足らないと思うようになったから。
昨日7月24日、増田は宇多田ヒカルのライブに行った。さいたまスーパーアリーナ公演の1日目だ。
さいたまスーパーアリーナの4階席で、肉眼では正直宇多田ヒカル本人のことは米粒程度にしか見えない。けれどもそれでもよかった。
個人的には宇多田ヒカル自体、アイドルみたいにビジュアルや踊りが武器ではなく、その力強く伸びのある歌声が最大の持ち味なわけだから
遠く離れていようとも、歌声が届いてくれればいいと思っている。
実際にライブはすごく見ごたえがあり、セットリストの並び順もこれまでの歌手人生を辿るような並びで、音源以上に力のある歌声を聴くことができた2時間半だった。
かなりの倍率の抽選で、しかもそれなりのチケット代だったが、むしろお安く感じられるほどに価値のあるライブだったと増田は思っている。
ただ1点、本人もライブの冒頭・曲と曲の合間の小休憩の際に、スマホの撮影に関する話題を何度も取り上げたのが気になった。
「撮影するのは大丈夫だけど、高く掲げすぎるなどの周りの迷惑にならないように」 「撮ってる人が多いと、盛り上がってるのか、楽しんでくれているのか(自分・バンドメンバーが)不安になる」
内容はおぼろげだが、こういう話を何度かしたのは記憶にある。
さらに言うと、有名な曲の最中の1番のサビ手前か2番のBメロからサビへの移行直前か、これも定かな記憶ではないが、「スマホ置いて楽しもうよ!」といった発言をしたのも覚えている。
こういった話を演者本人の口から直接聞くのは楽しみにしていた自分としてもとてもつらい。況や本人をや。
6年ぶりの大規模なコンサートで、折角来てくれる観客のためにもいいものにしようと、曲順や演出を考えているのに、観客の側がそれでどうすんのよと増田は思うわけです。
いつの間にか記録することが手段から目的にすり替わっているようであり、宇多田ヒカルのライブ映像をダシにSNSでインプ稼ぎ・承認されようとしているんじゃないの?
さっきスタッフのTwitter公式垢からも、とうとうSNS投稿に関する注意の投稿があった。
宇多田ヒカル本人はきっと善意で、スマホでの撮影を可としてくれていると思うが、今回の件もあって、そのうち撮影自体も禁止になるんじゃないかと思う。
個人的にはもうどのアーティストもライブの撮影は全面禁止にしたほうがいいと考えてる。
撮影している本人たちは、撮影しながら楽しめてるって言うんだろうけど、内心「アーティストがちゃんと画角に収まってるか」「音源・演出が漏らさず撮れているか」気になってしょうがないんじゃないかと思う。増田が何度か撮っていたときは自分がそうだった。記録映像として残すのに、観たまま聴いたままがそのままスマホに収まっているかが心のどこかで引っかかっていた。
楽しんでる風を装うことはできると思うけど、ブレた映像とか残したくないから動きも最小限になるだろうし。それって本当に心から楽しめてるんだろうか。
昨日のライブで前の列にいたカップルはスマホの撮影なんかしないで頭ブンブン振ってノリノリで楽しんでた。
【アサクリ問題】日本で昔から黒人奴隷が流行ってたとかほざいとるクソボケ共を日本と黒人のハーフである俺は絶対許さねぇ!! - YouTube
・はじめてのマツパ / 3338 回視聴 / 2 か月前
・ガチャガチャした / 674 回視聴 /1 か月前
・ごみ捨てた / 1732 回視聴 / 1 か月前
・垂れ乳ワイ、ブラを買う / 26万 回視聴 / 10 日前
Wikiを要約した程度の内容をゆっくりに喋らせる系の解説動画がYoutubeで軒並み抹殺されたことがあるけど、そうやって殺された奴らの亡霊がそろそろAIを武器に復活してきそう。
そしてAIは文体や口調を簡単に変えられる上に人力でWikiを要約するより遥かに短い時間で高品質な台本を用意できる。
多分、そう遠くない将来に合成音声に直接AI文章を流し込んで不自然に感じない程度に喋らせる機能も開発されるだろうし、なんなら実在の人間の音声を使って人間では聞き分けが難しいような動画もでてくるだろう。
自分で生成してないからアレだけど、他人が生成した楽曲はYouTubeにもう溢れてる
自分は老人なので古いメタルとかアニソンばかり聴いてるけど、AIが生成したメタルも推薦されてくるので冷やかし半分に聴いてみた
意外だった、結構聴ける
どっかで聴いたような歌詞に、よくあるコード進行に、目新しい点、斬新な点はまったくないんだけど、イージーリスニングだ、ちゃんと聴ける
演奏しやすいと思ったので、合わせてギターでリフを弾いてみた、いいんじゃないかこれ
さっきから、やたら弾ける、に拘るのは、十数年以上前にジャズを自動生成するソフトを試したことがあって、
そいつが生成した曲はコードトーンを重視しつつ、スケールをただなぞっているというか、非常に弾きづらい、メロディーとしてもどうよ?と思うデキのものだった
こういうリフやこういうソロが生成されるということは、元になった楽曲も、人間はこういう風に弾きがち、ということなんだろう
ギターもピアノも、楽器ってのは意外と制約があって、あとは奏者の手癖というのがあって、こういうの弾きがち、というのはよくあると思ってる
頭に思い付いた音を優先するべきなんだけど、なんというか手をこう動かした方が気持ちがいい、気分がいいみたいなのがある
ギターの凄い所はその制約のある運指と、美しいメロディーラインが合致しがちなところだろう
もちろん、美しいというのは、よくありがち、マンネリという意味でもあるので、わざとそれを外すときは変な運指を考えたりする
でも、変な音、外した音、みたいなのもAIはどんどん真似られるだろうし、
じゃあ既存の音楽にまったくない音楽、音楽理論を人間は目指すべきなのかというと、それはそれで実験的で面白いけど、普通の人が聴いて楽しめる楽曲ではなくなってしまう
悪貨が良貨を駆逐するじゃないけど、AIが生成したマンネリやパクリの絵とか曲がネットの中に溢れて、飽和していって、それをまたAIが食べて…
ウンコ出して、出したウンコ食って、またウンコ出して、みたいな末に何が生まれるんだろうな
それはそれで、ちょっと興味あるわ…
最近Youtubeで旅交同好会ってやつをヲチしてるけど、そいつがこんな感じだわ
小説家になりたい→出版社に持ち込んで編集から遠回しに距離を取られる→声優になりたい→声優事務所に通うも・・・→アニメの原作者になりたいんだ→Youtubeでオリジナルアニメ(笑)の投稿を始める
→アニメの原作者になるためにはYoutubeで話題にならなければ、そうだ「1年以内にチャンネル登録者数が10万人に到達しなかったらチャンネル削除します宣言をしよう」(2022年夏)
→2023年8月31日までにチャンネル登録者数が10万人に到達しなければチャンネル削除します→2023年8月31日以降、チャンネル削除宣言を無かったことにして活動を継続