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2023-09-04

Q:クィア理論ペドフィリア擁護起源を教えよう

トランスやQ:クィアペドフィリアを含んでいることは、クィア理論の支柱となった文献をみれば明白なんだよね。

以下はクィア文化人類学者ゲイルルービンGayle S. Rubinの「性を考える セクシュアリティ政治に関するラディカルな理論のための覚書」(1984)、クィアスタディーズにおける超重要文献から抜粋だ。ちなみにルービンはトランス教祖ジュディス・バトラーの師である

1950年代共産主義者同性愛者のように、小児性愛者は汚名を着せられているため、彼らのエロティック指向性はおろか、市民自由擁護者を見つけることも難しい。その結果、警察は彼らを食い物にしてきた。地方警察FBI、そして監視役の郵便局検査官が加わり、小児性愛者たちのコミュニティを一掃することだけを目的とした巨大な組織を作り上げた。20年かそこらで煙がある程度晴れれば、こうした男たちが野蛮で分不相応魔女狩り犠牲者であったことを示すのは、ずっと容易になるだろう。多くの人々がこの迫害に協力したことを恥ずかしく思うだろうが、獄中で一生を過ごした男たちのために良いことをするには遅すぎるだろう。

原文はこちら。

https://bpb-us-e2.wpmucdn.com/sites.middlebury.edu/dist/2/3378/files/2015/01/Rubin-Thinking-Sex.pdf

 

明らかにペドフィリア擁護しまくっており、同性愛と同等の位置に置いていることが分かる。

ペドフィリアをLGBTQに含むのは右翼陰謀なんかではなく、クィア理論の基本中の基本なのだ

2023-07-03

環境保護活動家粛清必須】グレタは火炙りにするべきカルト

ネオナチですね。

日本メディア学者有害悪魔ナチス

環境活動家グレタさん、キーウに ゼレンスキー大統領会談

6/30(金) 5:48

共同通信

ウクライナのゼレンスキー大統領(左から3番目)や、環境活動家グレタ・トゥンベリさん(右から3番目)らによる会合=29日、キーウ(ウクライナ大統領提供ロイター=共同)

 【キーウ共同】スウェーデン環境活動家グレタ・トゥンベリさん(20)が29日、ウクライナ首都キーウ(キエフ)を訪れ、ゼレンスキー大統領会談した。南部カホフカ水力発電所ダム決壊による環境への影響について意見交換した。

ロシアが核攻撃に踏み切ったらアメリカはどこに報復するか? 米政権内で行われていた机上演習の衝撃的な中身

 ゼレンスキー氏は、ダム決壊農業生態系に重大な損害を与えたと指摘。ロシア支配する地域では、避難が遅れて人的被害も大きかったと述べた。グレタさんは、戦争による環境への影響に注目する必要性を訴えた。

岡部芳彦

2日前

神戸学院大学経済学部教授/ウクライナ研究会会長

注目度の高いグレタさんなので「グレタ・ゼレンスキー会談」に注目が集まりがちですが、同席の訪問者も重要です。グレタさんは、スウェーデンの元副首相マルゴット・ヴァルストローム、欧州議会ハイジハウタラ副議長(フィンランド)、アイルランドメアリーロビンソン元大統領らの国際グループの一員としてキーウを訪問しました。カホフカダム破壊後、ゼレンスキー大統領は、グレタさんはじめ60人以上の世界政治家公人に対し、環境破壊の罪でロシア非難する事を呼び掛けました。グレタさんの反応は早く、6月9日にはツイッターで「ロシアによるいわれのない全面的ウクライナ侵略継続としてのこの環境破壊は、世界言葉を失うもう一つの残虐行為である。我々の目は再び、自らの犯罪責任を問われなければならないロシアに向けられている。」とコメントしています

高橋浩祐

2日前

外交安全保障専門オンライン誌「ディプロマット」東京特派員

グレタさんがゼレンスキー大統領と会うことで、世界中の若い環境保護家を中心に反プーチン網をぐっと強めるだろう。グレタさんとプーチン大統領確執は以前から世界中で知られているからだ。

グレタさんは2019年9月ニューヨークで開催された国連気候行動サミット温暖化対策を訴えた。サミットに合わせて若者らによる大規模なデモ行進も行われ、グレタさんは「各国のリーダー未来と今の世代を守る責任がある」と訴えた。これに対し、プーチン大統領は「世界が複雑で多様だと誰も教えていない」と述べ、グレタ氏をまるで世間知らずのように扱った。これに対し、グレタさんは「なぜ大人たちは子ども科学評価して勧めるのをあざ笑ったり、脅したりするのか、理解できない」と反論した経緯がある。

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三牧聖子

2日前

同志社大学大学院グローバルスタディーズ研究科准教授

ロシア侵略行動の影響は人間だけにとどまらず、自然環境にも甚大な影響を与えている。著名なZ世代環境活動家グレタ氏との面会は、ロシアの行動の環境破壊的な側面を、世界の人々、特に若い世代に伝える効果もあったのではないか。今月6日、ロシア占領下のウクライナ南部にあるカホウカ水力発電所の巨大ダム決壊し、多くの住民動植物が巻き込まれ生態系生物多様性にも大打撃を与えた。ロシアダム決壊への関与を否定しているが、いずれにせよ、一連のロシア侵略行為の中で起こったことだ。ウクライナは「エコサイド」と批判し、国際刑事裁判所ICC)や国際法事務所グローバルライツコンプライアンスとも連携して、実態の解明につとめてきた。昨今、「エコロジー」と「ジェノサイド」の合成語であるエコサイド(大規模な環境破壊)について、国際刑事裁判所ICC)で裁く犯罪に加えることを求める声も大きくなっている。

全員バカ

植物には二酸化炭素が必需で、熱帯や温帯のように暖かく湿潤であればあるほどよく育つことを学んでいないアスペルガー学習困難少女をいつまで野放しにしているのか。欧州の友人たちは異口同音に、『バカ餓鬼』と今や嫌悪をもって呼ぶ。紳士たちまでも。一友人は『昔はこんな餓鬼は、□□□を受けて当然だった。親ならそうしていた。そういう子はそうして痛みを体得し、矯正されたものだ』と深憂している。だがもはやその存在犯罪であるバンライナの核は環境破壊を引き起こさないと云う。劣化ウラン弾、今輸送であるクラスター弾もだ」

2022-10-05

anond:20221005153646

僕は"ヘテロ"なので、カルチュラルスタディーズ教養レベルしか知らんし興味ない。生理的には正直気持ちいから普及しないでいいと思ってるよ笑

2022-09-08

anond:20220908234441

色んな肌の色の人がサラダボウル状に交じり合うキャンパス多様性に富んだキャンパスといえる。

白:黒:黄:他=3:3:3:1ぐらいになるとマイノリティスタディーズ先生達も喜ぶ。

2022-01-22

5分でわかる・なぜ人文の学者が次々と反フェミ発言で自滅するのか?

バックラッシュフェミニズムへの反動)じゃない。そこにあるのは苛立ちです。

実は人文学には序列があります既存人文学トップ歴史です。理系で言えば物理学に当たる。

人文で一番偉いのは哲学だと思ってる人がいるかもしれませんが哲学一種不思議ちゃん理系では数学。そういうあたりから考えていくと、根幹にあるのは既存の人文(の大学教員枠)が学問モドキに食い荒らされてる、という苛立ちだとわかります

学問モドキって何か?

はい文学者とか歴史学者と見せかけても、既存人文学のどっかに取りついてマイノリティーの視点差し込むことで論文を量産するカルチュラルスタディーズ(略してカルスタだって例は多いんです。これは既存人文学とは全然違うものです。カルスタは要は既存人文学から見ればハメ技の学問モドキなんですよ。それが、大学院重点化と独法化と競争資金化の流れにマッチして大流行したのがこの20年です。

このなりたちを捉えてないと完全に見誤る。

そのときに使われる「マイノリティーの視点」の最たるものジェンダーだってのはわかりますよね。アメリカだと人種も大きいですが、日本だとジェンダーばかり出てきますアイデンティティーが焚き付けやすいからですね。

自滅してる人文学者がそういう既存人文学だってことに注目しましょう。

歴史学者は「社会学(これは厳密にはカルスタです)みたいな賑やかしのチンドン屋猿回しは失せろ」と思ってるのに、どういうわけかそのチンドン屋がのさばりでかい顔をしつづける。イラつきますよね。

歴史学者はでも、イラついても言えない。言ってしまうとあまりにも特権意識があからますぎてしまう。それでも不満は消えないから、ジェンダーなんて本当の人文学じゃない、という意識から余計なことを書いてしまう。それで、みんなただのジェンダー問題バックラッシュだと思ってしまうんだけど、実は全然違う。

既存人文学カルスタの間の戦争なんです。

2021-07-18

anond:20210716194522

金田淳子先生BL愛好家や腐女子代表・識者として扱われるのは、BL研究黎明期における貢献が大きいと思う。もちろん、だからと言って金田淳子先生BL無罪論な主張が正しいとは言えないし、BL研究という狭い領域以外ではその主張は通らないわけだが。

BL研究黎明期の貢献としては、金田淳子先生の論考が挙げられる。2020年に発行されたBL研究についての本「BL教科書」では、「これまで数多くの『BL論』が書かれるなかで、先行研究のまとめとして最も参照されてきたのが、金田淳子の論考である金田2007a, 2007b)」(p.88)とある。参照数が論考の評価とするなら、金田淳子先生の論考は、現在においてもBL研究においてかなりの影響力を持っていると言えるだろう。

また、「ユリイカ」でBLについて特集した回では、金田淳子先生名前が頻繁に登場する。ここから、「BLの識者のひとりと言えば金田淳子先生」というイメージができたと言えるのではないだろうか。

ユリイカ2007年6月臨時増刊号 総特集腐女子マンガ大系」(http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=2527):4回

ユリイカ2007年12月臨時増刊号 総特集=BLスタディーズ」(http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=2535):7回

ユリイカ2012年12月号 特集=BLオン・ザ・ラン!」(http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=2259):3回

2021-07-11

子持ち専業主婦日記で書き散らしてた冨樫義博周りの妄言を公開する

10:56

冨樫義博作家性って誰か書いてないのかな

あの人の話って(ないことにされてる)デビューから最新作まで、何かしら通じるテーマ、また一貫性がある

てんで性悪キューピットからレベルEまで、話のオチっておんなじなのよ

例えば幽遊白書なら、人間界妖怪世界、二つの世界生き方、また価値観の相違があって、その架け橋になるのが主人公たちなのよね

で、結局その二つの世界と“人々”が行き交い繋がり合うところで幕が降りる

先生白書のほうでは、元アシスタントさんが冨樫先生は、「子供たちを楽しませるために書く」って明言してた箇所がある

の子供を楽しませる、という言葉意味を深掘りしてみると、また違った読み方が可能になる

もちろん少年漫画としてのフォーマットで、緊迫のバトルシーン、また友情努力勝利理想的少年少女像も描かれる

とはいえ、あの人の描写大人が見てもえげつなさを感じるものが多々ある

児童心理学のほうでは、子供にとって最も恐ろしいのは、自分世界情報から遮断されてると感じること…なんて言われてる

あの人は子供を楽しませるために、の他に、また別の主題があるんじゃないだろうか

砂糖をまぶしたようなユートピア的なおもしろおかし漫画でなく、現実で実際に起こってる恐ろしい事件出来事ファンタジー世界に落とし込んで描く

彼は真に子供たちのためを思って、あえて大人でも重いテーマ、また描写を繰り返し描いてるんじゃないだろうか

最近特に多様性ブーム”、“LGBTブーム”だなんて言われてるけど、彼は90年代からトランスジェンダー高校生主人公スポーツ漫画を書こうとしていた

レベルEでは(おそらく)インターセクシャルキャラや、またレズビアンについて踏み込んだ一章がある

この世界があまりいいもんじゃないのも、人間関係なんてめんどくさいだけなのも、人生が惨めなのも、そんなことある一定の年を重ねれば皆分かってるよね

でもだからこそ、理想に向けて努力すること、お互いを尊重し合いながら対話を重ねることが重要視される

冨樫先生はかなり初期から文化多元主義ジェンダー論、クィアスタディーズ先進国途上国搾取してゴミ押し付けること(この辺りはバーゼル条約環境レイシズムとか、流星街辺りの問題かな)などなど、いろんな社会問題に切り込んで来た作家だと思う

その作風はきっと、この惨めで誰も救われない世界で、子供たちがなんとか問題に立ち向かって、また世界をより良くして行くための一助になる、そんな後押しをするためのものだったのかと思う

まぁあと、大人としての責任感という見方も出来るかな

だってこのいびつ社会を作ったのは他ならない私たち大人だもん

少年ジャンプターゲット層は小学生から30代ぐらいの大人だって聞いた

大人として読む(また創り描く)としたら、作品内での残酷描写は避けられないだろう

またその意思無視して読むとしたら、受け手として無礼じゃないかとも思う

12:26

蟻篇あとのヒソカ人気下落、あれって選挙篇辺りがつまらない…よりかは、蟻篇が突出してたからじゃないか

まず蟻篇だとメルエムコムギ本来“分かり合えない”者同士が友愛で結ばれる、またコムギのような視覚障害者が才能を発揮する…とか、大切な友達を助けるために自分の命も惜しまない、弱い者を助けるために強い者が立ち上がる、もし罪を犯したとしても更生することが出来る、どんな姿になり果てても親子の情愛は不変のもの、そういう至極まっとうだけどいざ自分でやるとなったら難しい物事、ある種の人類普遍理想を描いちゃったからじゃないか

その後でヒソカとイルミがキルアたちを追い掛ける話なんて読んだら、大の大人子供相手に何してんの?って感じられても仕方ない…

それにヒソカは確かにキャラだったけど、王様とか会長には敵わなさそうじゃん

その上会長がもう常人には理解不可能な域まで修行でイッちゃって、ヒソカより手強い狂人キャラが出て来ちゃったわけだもん

ヒソカサイコパス診断で測れるタイプだけど、会長のはもうヤバいとこ行きまくりで誰も理解出来ないでしょ、感謝の正拳突きとかマジで意味不明じゃん…

あと、ネット上で書き込んでる人たちが大人として成長したって見方も出来るかな

中高生ぐらいで読んでたら頭が切れてヤバいことなんでもやっちゃえて、世間の枠組みから外れてもたった一人で生きてける…そんなアウトサイダーに惹かれるのは当然だろうしさ

でも今メインでハンタ追ってるのってとっくに成人済みの人たちでしょ

身も蓋もないこと言えばあれ単に人殺しだもんな

最近ヒソカへの幻滅って、別に悪いことじゃないし、今後のエピソードに期待大って印象かな

体とか心壊してんなら仕方ないけど、ただ面倒なだけなら冨樫仕事しろ

2021-06-07

オッカム先生階級格差トロフィーワイフ同時通訳

オッカム先生はもともと、北海道の裕福でない家庭で生まれ育った自分境遇と、階級格差地域格差への怨嗟をたびたびつぶやかれていました。たとえばこれとか。オッカム先生にとっては、その境遇から脱出するための唯一のキャリアパスが、大学研究職になることだったということで、「うちには資産がなく告げる(sic)仕事もなく、もう大学組織に雇われるしかない。それで業績や大学の規模やステイタスに拘りました」とか、「私はガリガリ亡者のように(大学教員)職を求めていました」みたいな話はよく書かれてました。今回消されたツイートの中にも「大学に職を得られないなら死ぬつもりでした」というのがありました。地元dis・ご実家disについてはやや自虐芸が過ぎるようにも思ってましたが、それは個人的境遇についての説明モチベーションにつながる話でもありますし、自分もこういう文化資本を含めた階級格差地域格差アカデミアでのキャリア形成に及ぼす影響(再生産)というのは、充分考察検討に値する問題だと思っています

そういった背景のうえでの、件の炎上について。オッカム先生は、国際会議同時通訳をやれるほどの能力を持ちながら、研究もしていなければ常勤でもない既婚の女性達を見て、

北大助手時代に「東京は恐ろしい所だ」と思ったことが一度だけあります。国際会議のロジやっていた時、同時通訳派遣してもらいました。最初研究者なんだから通訳くらいできるだろうと思ってたのですが通訳は甘いものではなくまるでうまくいかなかったのです。まして同時通訳など訓練なしには無理。

アカデミアの国際会議でしたか専門用語だらけですが、事前に資料渡しておいたら、それはそれは見事な同時通訳がなされました。通訳者はすべて女性だったのですが、これが皆さん、専業主婦だったのです。東大ICU卒業した専業主婦です。セレブバイトだったのです。

東大ICUや東外大ICUや東外大大学院を駒場で修了してたりする人もいました)出身者が専業主婦やってるのです。ジェンダー問題は本件ではちょっとおいておきます。とにかく北北海道辺境出身の私にはあまりにもイカツイ学歴の持ち主が専業主婦やって、セレブバイトしている。衝撃と畏怖でした。

繰り返しますが、ジェンダー問題は専門外なのでおいておきます彼女らは比較的余裕で超一流大学に入り、普通に教養を積み、しかキャリアガリガリ重ねることには関心がなく、恐ろしく給料の高い旦那パートナーとして読書語学を磨き子育てしている。雲の上より私には高かったです。

あり得ないのです。あり得ない世界だったのです私には。研究者としては、彼女らの旦那(が研究者だった場合)を凌ぐことができるかもしれない。しかしあの高学歴語学力でキャリア志向のない妻を迎えることは想像もできなかった。つまり僕は絶対に勝てない。一体どんな世界なんだと背筋が凍りました。

という感想を抱かれました。当時その体験から受けた階級格差地域格差の衝撃、圧倒的な語学力を持ちながら自分が切望する大学研究職というキャリアパスには興味を持たずに暮らしている(暮らせる)方々が存在することの衝撃をそのまま言葉にした結果、一連のツイートには、当時のオッカム先生がお持ちだったジェンダー観も交錯した形になり、そこが批判対象になりました。

旦那との勝負トロフィーワイフについて

この「格差の衝撃」が、最終的に「自分彼女達の旦那との勝負」(同時通訳者達の配偶者男性のことは、それまで話題に一度も登場していないし、そもそも研究職かどうかもわかりません)になり、しかもその彼らに自分は「絶対に勝てない」と勝手に敗北感を抱いてしまう…というくだりについては、多くの方が「もしかしてオッカム先生は、『男性価値は、配偶者属性能力や、その配偶者専業主婦として養えるかどうかによって決まる』という価値観をお持ちなのではないか?」という風に読まれたようです(自分も、素直に読んだらこの文章意味はそうなってしまうように感じます)。そこで「トロフィー・ワイフ」という言葉を出して批判する方々も出てきましたが、オッカム先生は、この言葉を使ってオッカム先生批判する方々に対して「女性はモノじゃないでしょう」「私、思いつきもしませんでした」と非常に憤られています

もうさ、「トロフィー・ワイフ」という言葉がふっと思いついた人が2桁いるんですよ、確認した範囲で。どんな人生送ってきたんだと思うし、女性はモノじゃないでしょう。私、思いつきもしませんでした。

そして、「思いつきもしなかった」理由として、

思いつきもしない理由を考えてみました。

・「自分性別他者差別しない」からです。

私の出身北大では、東大が偉かった。アメリカンスタディーズはたぶん半分以上女性。実力の世界

あともう一つ、アメリカ研究では、人種ジェンダー研究が盛んです。だから、「男女差別が具体的にどう現れるか」の研究死ぬほど聞きます。だからジェンダーのことは置く」としたのは、自分のような政治史ジェンダー研究から見たら子供レベルからです。でも他分野の人よりは知ってます

と言っています。オッカム先生は、ご自分が「自分性別他者差別しない」方だと考えられています。なぜならアメリカンスタディーズは半分以上女性の、実力の世界だし、「男女差別が具体的にどう現れるか」の研究死ぬほど聞いているからです。これに説得力を感じるかどうかは読者の皆さんによって異なると思いますが、自分ちょっと、皆さんから指摘されていることの肝心な部分が伝わっていないのかな、と思いました。

同時通訳について

もうひとつ同時通訳という仕事について。同時通訳というのは、通訳翻訳界のひとつの頂点で、その中でも国際会議などの同時通訳案件を請けられるのは本当のトップクラス人材です。同時通訳というのは、どこに専門性があるかが誤解されがちな仕事で、語学力があればできる仕事…たとえば「米国から帰国子女で、英語日本語どっちも十分な語学力があれば、同時通訳ができる」という風に思われる方も多いようですが、実はそうではないのです。

英語を話される方なら「英語脳と日本語脳を切り替える」みたいなイメージは割と湧きやすいと思いますが、同時通訳というのはいちいち脳を切り替えてはダメで、「2つの言語モードを、脳のなかで同時並行で走らせる」という特殊な訓練が必要です。これは2言語ネイティブであってもなくても、練習なしには極めて難しいことです。

自分同時通訳なんてとてもできませんが、一時期フリーランス書籍翻訳をしていました。翻訳業界では「米語ネイティブ日本語も達者な人なのに、英日翻訳をやってもらったら商用出版に耐えないクオリティだった」ということをよく耳にします。頭が英語モードのまま日本語翻訳をすると「単語日本語に置き換えた英語」になりがちで、日本語ネイティブが読んだときに不自然だったり意味が通らなかったりすることが多いのです。だから頭を日本語モードに変えて、自分英語原文を知らないというつもりで読み直して、それでも意味が通るかどうかを検証しています

同時通訳者というのは、これをリアルタイムでやる仕事です。頭をフル回転させて、耳から入力された言語Aの内容に意識を研ぎ澄ませつつ、語り手の立場、聴き手の立場、その場の文脈などを加味して、最も適切な言語Bでの表現を選び出して、言葉として淀みなく紡ぎ続けるわけです(個人的には、同時通訳者さんの脳内では将棋囲碁などの知的ゲームトッププロ並の情報処理が行われていると思っています。「アスリートに近い」という人もいます)。想像していただければわかると思いますが、同時通訳は脳にかかる負荷がものすごいので、長時間はできません。国際会議などのように尺が長い場合は、複数同時通訳者をアサインして、15分交代でやります。休憩中はしっかり糖分を取る人も多いようです。業界トップクラス年収千万レベルの方々でも、持ち時間の終盤にさしかかってくると、徐々に言葉が途切れたり、不本意な倒置などが増えたりしてくることがあります。それほどハードな高度技術職なのです。日本トップクラスフリーランス同時通訳者の田中慶子さんのお話 日本トップクラスの同時通訳者が明かす、英語で困ったときの切り抜け方 - ログミーBiz)など読むと、その内実が伝わりやすいかもしれません(ちなみに田中さんは帰国子女ではなく、高校まで愛知で育った方です)。

また、担当分野に関する深い知識も当日までに身に付けなければいけません。通訳業界ではしばしば「その場にいる人の中では、通訳が一番話題に疎い人物」みたいな言われ方をします。商談でも政治交渉でも学術会議でも、母語は違っても同じテーマについて語りたい人達が集まって話す場なので、通訳以外の参加者達はテーマ自体については深く理解しているのです。その2者の橋渡しをするのがその場で一番アウェイ通訳だと考えれば、どれほどの事前準備が必要か、というのは想像に難くないと思います

こうした仕事性質上、企業常勤正社員で、毎日同時通訳ばかりしている方はあまりいないと思います契約社員などでの社内通訳というポジションもあるにはありますが、数は多くなく、そういう方々の中にも将来的なキャリア形成として、より高収入仕事も選びやすフリーランス通訳者を目指す方は多いようです。オッカム先生がおっしゃられている状況を考えると、会議にいらしたのは、おそらく首都圏サイマルインターナショナルなどにエージェント登録されているクラスA以上のフリーランス通訳者だと思います。おそらく全員が、事前に当該分野・当該テーマについての予習をみっちりして、前日に首都圏から北海道飛行機で前乗り込みして、複数人の体制ブースに入って、アカデミックな話題について原稿なしの同時通訳をやられたのではないかと思いますトータルの拘束時間は3日ぐらいかかっているのではないでしょうか。そういうプロフェッショナルの同時通訳者の方々が、その時はみなさん既婚の女性だった、という状況なわけですが、自分はこれを「キャリアに興味がない専業主婦セレブバイト」と呼ぶのは無理があるし、そう言いたくもないなあと思います。この表現には「有閑階級時間がある主婦からこそできる、暇つぶし趣味的な仕事」というニュアンスがどうしても漂いますが、仕事実態はとてもそんな風に軽々しく言えるものではないし、だからこその高給でもありますし、将来につながる立派なキャリア職でもあるからです。

炎上ツイートの冒頭を読むと、同時通訳が「訓練なしには無理」のハード仕事だということはオッカム先生認識されていたようなのですが、そういう高度技術職に携わっている既婚女性達が、〈既婚〉で〈女性〉という手がかりだけから比較的余裕で超一流大学に入り、普通に教養を積み、しかキャリアガリガリ重ねることには関心がなく、恐ろしく給料の高い旦那パートナーとして読書語学を磨き子育てしている」と推定して、「専業主婦セレブバイト」という評価に到ったのは、当時のオッカム先生同時通訳という業態についてそれほどお詳しくなかったこと、お話をされた同時通訳の方がご自分ステータスについて「専業主婦」と仰ったこと(どういう質問に対してこの答が出てきたのか、答えられた方がどういう思いでこの言葉を選んだのかはわかりませんが)、男女の性別役割に関して当時お持ちだった先入観が絡まり合っていたこと、の3つによるのではないか、と感じます

過去の物の見え方は物の見え方として、問題なのは帝京大学教授として後進指導にあたる立場になられたオッカム先生が、当時ご自分がお持ちになられたそうした印象をどう考えられているか…なのですが、今日までのつぶやきを拝見すると「当時の自分の物の見方には、今からしたら偏っていた部分もある」といった形でそれを相対化する振り返りは自分の見た限りではあまりなく、むしろ一部の批判に対しては訴訟をする決意を固められているようです。自分は正直、事態があまり好ましくない方向に向かっていると感じています

2021-03-07

anond:20210306213555

シグロ氏が言っているのはリアルポリティクスよりも社会学、とりわけカルチュラルスタディーズ的な意味においてだと思うよ。

ハマータウンの野郎ども」は読んだことある

2021-02-01

anond:20210131185208

言いたいことは分かるしその通りだとも思うんだけど、

社会学社会運動、言うまでもなく階級闘争に端を発するマイノリティによる運動と近接している。このマイノリティ被害者という立ち位置が他学会と違う所だろう。

そこで掲げられる(そして概ね正しい)社会正義の御旗が、目的手段をつい正当化してしまうということが、他学会よりもカジュアルになされてしまうのではないか

で、本来アカデミズムたる社会学は、そうした運動ファクトを以ってブレーキをかけるべき存在なんだろう。

カルチュラルスタディーズなんかはもう流行らないのだろうが、ポールウィリスの「ハマータウンの野郎ども」なんかは、決して統計的研究ではないけど、英国階級社会構造にかなり肉迫してる名著だ。

運動」に傾倒しすぎると、社会構造をまず静的に捉えようという姿勢が後退するのではないか

特にショーンKY氏とシカゴ教授のやり取りではそんなことを思った。

2019-11-09

anond:20191107140353

節子、それ社会学フェミニズムやない、文学理論フェミニズムや。フェミ違い。

何にでも「ジェンダー関係の不均衡」を見出して語る芸の一派でな。

他にも見出すべきネタによって、「階級闘争」(マルクス主義)、「統一のある経験可能性」(ニュークリティシズム)、「エディプス的葛藤」(精神分析)、「転覆的なエネルギーの封じ込め」(ニューヒストリシズム)、「テクスト自己脱構築的な性質」(ディコンストラクション)、「帝国主義の閉塞」(ポストコロニアル理論)、「ヘテロ・セクシュアルな基盤」(ゲイレズビアンスタディーズ)とかいろいろあるんや。

2019-05-13

増田ジェンダー系の話にイッチョカミカミしたがる奴らへ

増田ジェンダー系の話にイッチョカミカミしたがる奴らへ

とりあえず、

LGBTを読みとく: クィアスタディーズ入門』森山 至貴

くらい読んでみろ

完璧な本ではないが良くまとまっているし、ちょっとは話の流れが分かるようになるはずだ

2019-02-16

関係性を志向するファンダムのこれから 後

承前

https://anond.hatelabo.jp/20190216023228

3【オタクによって関係性を消費されるオタク

キャラクタ化するオタク

 本章では、オタク同士の関係性をテーマにした創作作品や、バーチャルYouTuber同士の関係性が消費されることについてより深く考察していく。

1章で述べたバーチャルYouTuber同士の関係性に視点を戻すが、バーチャルYouTuber現在6000人が活動している。その中で人気を得ている配信者こそ、関係性を構築し、バーチャル上での物語消費者提供しており、姿かたちや趣味嗜好こそ多様なものの、ひとくくりにいえば大体の生まれは「オタクである。つまり、「オタク」だからこそ萌えられるキャラクタ関係性をセルフプロデュースし、それをまた「オタク」が消費しているのだ。これがループのように連続することで、時には自らも憧れてバーチャル世界に踏み込んでいくためにバーチャルYouTuberは日々増え続けているのである自分人生趣味嗜好を、キャラクタというフィルターを通すことでシェアし、自らが創作物/キャラクタのものになるということは、自伝エッセイ執筆し、その読者と直接対談するようなことだ。「オタク人生」を物語として消費し、絶え間なく新たな物語関係性が発生していくというコンテンツに、オタク萌えることができる。たとえパーソンが基底現実においてどんな人物であったとしても、「生けるキャラクタ」としてのバーチャルオタクの魅力に、オタクシンパシーと巨大なエモーショナルを感じざるを得ないのだ。自分と近しい存在人生物語として消費することは、永久機関のような底の知れない魅力を持っている。

また、「このマンガがすごい!2019」*4 では、オンナ編第1位に鶴谷香央理「メタモルフォーゼの縁側」(2018)、第8位に町田 粥「マキとマミ」がランクインしており、この作品はどちらも腐女子同士の関係性を主題としたものである。2章で述べた「腐女子特有の親密さは、既に広く認知されており、さら創作物として女性からの支持を強く得ているということである。この背景にも、自らのオタク言動コミュニケーション「あるある」と思いながら読むような自伝エッセイ的な要素ももちろんのことだが、「腐女子特有の親密さへの愛着」や「登場する腐女子同士の関係性のリアリティに即した萌え」が確実に存在していると考えている。

・「関係性」の基底現実での実践

 上記のようにキャラクタ化したオタクや、親密さの自覚を持った腐女子は、基底現実においても関係するようになる。1章で述べた「バーチャルYouTuber同士が三次元で会った時の飲食物画像」や、腐女子特有の「なりきりアカウント文化の「背後交際」などが主な例だ。バーチャルYouTuberコラボ放送をしていた親密なパーソン同士が3次元でも会うようになり交際に至ったという例も、キャラクタとして表沙汰にならずとも存在する。また、腐女子コミュニティにおける「なりきりアカウント」とは、主にTwitterなどで作品キャラクタのロールプレイをし、自分の好きなカップリング相手ネット上で交際したり、同作品キャラクタ日常会話をする文化である。このアカウント運用主を「背後」と呼ぶのだが、彼女たちは基底現実でもオフ会をし、実際にロールプレイ交際していた相手現実でも交際に至ることがあるという。

 つまり関係性消費が加速し、自らもキャラクタ化したオタクは、パーソン同士としての基底現実でも「萌え関係性」を実践しているのである。この状況において、「わたしたち関係性は萌える」という自覚の有無はもはや必要ない。パーソンとキャラクタ境界あいまいになり、オタクは自らを自らで消費することが可能になっていくのだ。

4【関係性消費はどこに行きつくのか】

 本論では、関係性消費が牽引していくというトピックからオタクのものキャラクタ化、そして完全なる相互消費の永久機関にまで言説が行きついてしまった。しかし、現実での関係性消費において立ち上がってくる問題はやはりジェンダールッキズムである。これに対するアンサーは2つある。1つは、すべてのオタク理想バーチャルキャラクタとしての3Dモデルの肉体を手に入れることであるバーチャル空間での関係性の構築はYouTubeだけでなく、「VRchat」という果てしない多様性を持ったもう一つの世界ともいえるVR空間でも今まさに進行中だ。全オタク理想キャラクタとなり、主体的交流してその関係性すべてを消費することができれば、そこにはジェンダー格差ルッキズムによる格差存在しなくなるのではないだろうか。2つ目は、キャラクタ化しない、あるいは関係性に参入せずあくまでも傍観者としての消費・あるいは創作を貫く選択肢を選ぶことである。2章で述べたように、創作物と消費者セクシャリティ/あるいは創作物と作者のセクシャリティなどは分けて考えるべきというスタンスに基づく在り方である

これらの二つの未来像は両極端にも見えるが、しかしこれらが混じりあい議論が巻き起こっているのが現状であるしかし、バーチャル空間上でのルールマナー議論の末に整えば、それぞれが理想関係性を追い求めて基底現実バーチャル世界を横断していくようになるのではないだろうか。創作だけに留まらず、現実世界拡張現実侵食する「関係性消費」は、しか古典時代から物語として脈々と行われてきた文化であるオタク文化、双方がその形を変えて混じりあう瞬間に、今わたしは立ち会っていると思うと感慨深い。

関係性を志向するファンたちのこれからは、今後のオタク市場の動向と、バーチャル技術の発展にかかっていると感じた。これからジェンダーセクシャリティ論とカルチュラルスタディーズ、両方の視点からわたしも一当事者として今後の動向を研究していきたい。

引用文献】

*1 東園子,2015,「宝塚やおい、愛の読み替え 女性ポピュラーカルチャー社会学新曜社

*2 難波優輝,2018,「バーチャルYouTuberの3つの身体 パーソン、ペルソナキャラクタ」『ユリイカ』第50巻:117-125

*3 斎藤環,2009,「関係する女 所有する男」講談社現代新書

*4 このマンガがすごい!編集部,2018,「このマンガがすごい!2019」宝島社

【参考文献】

玉川博章,名藤多香子小林義寛,岡井孝之,東園子,辻泉,2007,「それぞれのファン研究 I am a fan」風塵社

吉澤夏子,2012,「『個人的もの』と想像力勁草書房

山岡重行,2016,「腐女子心理学 彼女たちはなぜBLを好むのか?」福村出版

塚田修一,松田聡平,2017,「アイドル論の教科書青弓社

2014,「ユリイカ 特集百合文化現在」第46巻第15号 青土社

2018,『ユリイカ 特集バーチャルYouTuber』第50巻第9号 青土社

美水かがみ,2004-,「らき☆すたKADOKAWA

なもり,2008-,「ゆるゆり一迅社

あとがき

期限ギリギリで提出したので粗も多いが、これをベースディスカッションできる地盤固めができたので良かったと思っている。オタク人生で遊んでいこうな!

2016-08-09

昨日朝日新聞朝刊の私の甲子園的なインタビューでバトル・スタディーズの作者がついてた

作者もPL学園だったんだね

絵はうまいといわれてたーって書かれてた

1巻を読んでみて、確かに絵はそれなりにうまいようにみえたけど、マンガとして読みづらくて、かつ面白くなくて読むのやめちゃったわ

2016-01-21

やきう好きな人気持ちがこれっぽっちもわからん

野球に興味が無い訳じゃなくて、むしろ高校野球やら、プロ野球マンガは読むの好きなんだよね。

今でも高校野球は見てるし、

マンガ作品でもラストイニングも錻力のアーチストもバトル・スタディーズめっちゃ好き。

でもプロ野球選手を一人ひとり知ろうという気が全くしない。

みんな、なんであんなにプロ野球見るのが好きなのかがわからない。

そういう人間プロ野球観戦の楽しみ方を教えてくれまいか。

2015-10-05

anond:20151005120131

エロマンガスタディーズ」の文庫版を読んで感想書いたら、今さらエロマンガスタディーズかよ、プークスクスみたいな扱いされたことがある。

エロマンガの界隈は老害が幅きかせてるから新規参入しにくいんじゃないかな。

2015-02-10

http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20150209/1423480872

不思議ものでこの手の人って自分立ち位置を問わなくてすむような言説なり議論なりを探してくるのにはそれなりの時間かけれるタイプって印象が強いんだよね。同じ手間で相手のことを理解できる資料探せばと思う。

フェミニズムジェンダー論、クィアスタディーズ問題にしてきたことや、そういう人たちと議論する際に指摘される(であろう)ことって、まさしくその瞬間になぜ自らを正当化する言説を採用するのか、というその点に関わる構造お話よ。そこを勉強しようとしないから「怒られ」ちゃうんだけど。

2008-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20081224091045

実際にそうなのかは知らないけど、もしそういう批判があるとするなら、

現実から乖離した難解なだけの言葉遊びに終始してる研究者とか、

サブカルチャーについてクソの役にも立たない自分主観を嬉々として語るオタクとか、

偏った政治信条を合理化するための擬似科学を展開する人とか、

そういう人らを十把ひとからげにして批判されてるんじゃね?

カルチュラルスタディーズの人の中でも、

きちんと文化人類学とか社会学とか心理学とか経済学とかのバックグランドがあって、無駄に難解な言葉も使わず、

統計やエスノグラフィで現実世界の仕組みを明らかにしようとしてる人たちも当然いるわけだから、

そういう人たちに対しては当てはまらない批判だけどね。

ところで前から疑問なんだけど

何で日本ではカルチュアル・スタディーズカルスタ(笑)揶揄されて

馬鹿文系大学生がハマるようなおままごとみたいに扱われてるんだろうか。

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