はてなキーワード: 語り部とは
ただ、主役級と言える人物が不在なので共感できる人がほとんどいない
つい先日退場した準主役は「怪我が悪化してライダーを失格になる」というかなり前代未聞の退場劇だった。
殺されるとか精神を壊されるとかライダーベルトを奪われるとか、そういうのじゃない。
いかにも怪我が治って記憶を取り戻したらライダーに返り咲きそうなんだが、問題は登場人物の中でほぼ唯一感情移入しやすいということ。
そして主人公が謎の存在なのに対して、退場したライダーは語り部かつ一般目線で俯瞰するという重要な立ち位置だった。それを10話も経たずに退場させるってのはどうにも不安要素しかない。
5話くらいしてまた復帰する可能性もあるけどさ。退場させる意義があんまりないんだよね。
主役であるギーツやそのライバル枠のバッファは、正直あまり映えない。
バッファは影があるため多少いいかもしれないけど、ギーツに関してはメタ貼り過ぎでなんかもう負けても勝ってもどうでも良さそう。というかこのゲームで勝利することに何の意味もないだろうってことが第一話あたりからわかっているため、ゲームが強いことに何の面白さも見えないんだよ。
嘘喰いのように、ゲーム外での陰謀なんかもありつつも、ゲーム自体は極めてシンプルで面白くどんでん返しもあるってパターンが定着しているよね。
ギーツのバトルは世界の存亡をかけているけど、それ自体はミニゲームで単に回数を重ねるためだけのものにすぎない。
地方少年野球のグダグダな予選リーグをひたすら見せられている感覚だ。
SFとしても面白いんだけど、自分の生きていない時代のはずなのに妙にノスタルジーを感じる緻密な描写が秀逸。
広瀬正は「小説のタイトルで損をしている」とよく言われるSF作家。故人。
1972年没だが著作権が死後50年から70年に延びたので、まだしばらくは無料では読めない。Kindle版あり。
俺はWeb版を読んだんだけど、仕掛け上書籍版で読むと大分違った印象になる気がする。
あんまり言うとネタバレになるけど、異世界転生ものとしてはかなりごった煮感がある。
村上春樹の作品は(俺はあまり読まないんだけど)、2人の主人公が章ごとに語り部を交代しながら物語を進めることがある。
この作品もその一つで、かつそれが上手く機能していると感じられる。
たとえば、一方の主人公は徹底して過去形を用いるのに対して、もう一方は頻繁に現在形を用いていて、その時制の違いが一種の舞台装置になっている。
https://mainichi.jp/articles/20220603/k00/00m/010/378000c
仕方がないんや。このころのおっちゃんの感性はもう修正できへんのや。
この人が20歳のころは、町の美女を盗撮するのはブームだったんや。
アクション・カメラ術―盗み撮りのエロチシズム (ワニの本) 単行本 – 1981/1/1
https://www.amazon.co.jp/dp/458400420X
https://3443-0505.at.webry.info/201811/article_1.html
1981年に 馬場健司(元・石川さゆりのマネージャーであり 元・夫)の「アクション・カメラ術 盗み撮りのエロチシズム」なるカメラ入門書がベストセラーになり…
当時 街のあちこちに 女性をターゲットにしたにわかカメラマンが出没していました
幼かった頃の記憶をたどるために購入。立ち読みをしていた近所の本屋の匂いまで思い出しました。盗撮の本じゃないかと、目くじらを立てずに壮大な冗談と思って呼んでいただきたい。現代のコンプライアンスから考えると絶対に出版できない内容です。この時代の男たちの元気の良さが気持ちよかったです。そしてみんながカメラを好きだったこともよくわかります。今読んでも素晴らしい。1981年1月初版で僕のところには1981年2月の64刷が届きました。販売も凄い部数だったのでしょうね。
こんな本が170万部のベストセラーになり、テレビでも特集が組まれてたような時代だったんや。
このころの性の感覚は終わってて、ガチで女は「性的なモノ」といって差し支えない状態だったんや。
だから、このころフェミニズムが頑張るのはめちゃくちゃよくわかるんや。
今も、西村はんみたいなことをいってるキモいおじさんがいたら思い切りぶっ叩いたらええ。
このころの自分が嫌な思いをしたという感性を引きずって50代のおばちゃんが
こういうおっちゃんを想定してるかのようなフェミニズムを振りかざしているの見ると
普段そんな本読まないけど折角のGWだからユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』を読んだ。
この本を知ったのは中田敦彦のyoutubeチャンネルに投稿されてた書籍解説動画が切っ掛け。
(URL:https://m.youtube.com/watch?v=fud4-L2lnqQ)←一時間で見れるよ。面白いから見よう!
流石に書籍の内容は難しく、読了までに丸5日はかかったけれどその価値はある体験だった。結構難解かつグロテスクな内容なので余裕があるときにおすすめ。
読了後、内容の復習も兼ねて前に見た中田敦彦の書籍解説動画をもう一度視聴した。
俺はあれだけの濃密で膨大な内容を3本1時間の動画にまとめた中田の手腕に感心したし、YOUTUBE大学のファンなのでこのチャンネルやオンラインサロンを否定するつもりではないと予め記しておく。
また今回見たのが上の動画だっただけでこれからする主張は他のチャンネルの動画にも当てはまる。
その上で、解説動画を見ることは読書をすることとは別物、言ってしまえば別格の体験だと感じた。
以下その理由。
なお『サピエンス全史』読んでない人には伝わらないところが多々あると思うがご容赦を。読んでくれ。
中田敦彦の動画も話に出すから見てない人は下に行く前に見てくれると嬉しい。
それでは。
動画内で解説されていた本の内容をものすごく短くまとめると次のようになる。
20万年前に東アフリカで誕生したホモサピエンスは、認知革命で得た「想像上のものを実際にあるかのように扱う」能力を以て他人類を絶滅させ地球の覇権を握った。
その後、得た認知能力を基盤として農業革命と科学革命に至り飛躍的に文明を発展させていった。
しかし発達した文明がもたらした幸福と自由は人間以外の生物の膨大な犠牲の上に成り立っている。
また生化学や工学等の科学の進歩によって人間はいつか人間以上の存在を創り出し、地球の頂点の座を取って変わられるかもしれない。
とこのようになる。
以下は動画内では触れられていなかった内容の一部殴り書き。(再三になるが読んでない人はマジで意味分からないので注意)
・狩猟採集時代のサピエンスが世界に進出することで他生態系に与えた破滅的影響
・食糧の増加とそれに伴って増える食い扶持を満たす農業の無限地獄
・脳の記憶能力を凌駕する膨大な生産物を管理するための記憶媒体、文字。
・認知革命の虚構によって成り立った団結と秩序、そして差別とヒエラルキー。
・”貨幣”という概念のヤバさ(普遍的な転換性と信頼性及び浸透力)
・帝国の拡張と科学の発展によって人類史上初めて築かれた将来への信頼
・国家と市場経済が個人を支配する過程で奪い、与えたもの。時間、地域コミュニティ、人権、職業、想像上のコミュニティ、平和。
・神になった動物が問われる「我々は何を望みたいのか?」
軽く書き連ねるだけでもこれだけの内容が動画の中では触れられていなかった。
繰り返しになるが認知革命を軸としてサピエンス全史をまとめきったこの動画のセンスには脱帽するし、この動画を見ることで俺の中で新しい発見も生まれた。
だがしかし、これは認知革命一本だけでまとめられる程度の内容ではなく、認知革命も一つとして含めた様々な要素が複雑に積み重なった壮大な本なのだ。
”帝国”についての事前の理解がなければ、その後に続く科学×帝国×資本主義の最強コンボの強さが分からない。
狩猟採集時代のサピエンスの生態系破壊を知らなければ、環境破壊は産業革命以後だけの近代の現象と勘違いしてしまう。
中田敦彦はサピエンス全史が読まれない理由として「話が長く、脱線するから」と言っていたがその脱線は後の章への伏線であり、その長さは意味のある長さなのだ。(中田自身はそのことを百も承知だろう、とは思うけど)
膨大な内容を動画に納めようとすると、どうしても内容に影響のある圧縮をしなければならない
だからその動画を見ることは読書にはなりえない。これが理由のひとつ。
どういうことか、俺の読書を例に取る。
まず俺は本を読んでいた5日間の中で50回以上google検索をした。
話についていく上でどうしても必要だった知識もあれば、本筋に関係ないけど興味本位で調べた単語もある。
前者は誰でも分かる平易な言葉に言い換えられていた。後者についてはそもそも出てこなかった。
ヒトラーやキリスト教の話は出てきても古代シュメール人や16世紀オランダの話が動画内になかったのは我々視聴者がそれを聞いてもピンと来ないからだろう。
シュメール人やオランダのことを知らなくても本の粗筋を頭に入れることはできる。
そういった”無駄”を削ぎ落とすことはは”わかりやすさ”への親切な最適化なのだ。
だがそれは同時に新たな知識との出会いの鍵を失うことを忘れてはならない。
だから解説動画を視聴者することは読書したことにはならない。理由のふたつめ。
俺は読書の途中で考えごとに耽ること度々があった。
食糧が増えることで人口が増加したのであれば(マルサスの人口法則というらしい)、食糧含め最低限度の生活が保証されている筈の先進国の少子化は何が原因なのか。教育コストや生活レベルの上昇によって現代人の考える”食い扶持”は昔のそれより遥かに大きくなったのか?
未来は好転するという思い込みが経済の好循環を創るのであれば悲観論が多数を占める日本の今後は?
↑これは悲観論を根拠に悲観論を唱えるマトリョーシカになって面白かった。
↑これを考えて結構自分なりに納得のいく結論が出たのでここに投稿している。
等々、本に関係のあることないこと色々なところに思考が飛んだ。
読破に5日もかかったのは難しかったのもあるが、この考える作業に時間を取られたのも大きい。
先ほど挙げた上2つはググったら同じことを言ってる人がいたし、多分これも探せば既出なのだろう。
というか当たり前のことをアホがドヤ顔でエウレカ!と叫んでいるだけなのかもしれない。恥ずかしくなってきた。
でも思索自体が楽しく脳味噌を鍛えられる体験だったし、その過程で更に洗練された他人の思考に出会うことができた。
何故なら動画は自分の思考が情報を受信することで一杯になってしまうからだ。
本を圧縮した密な情報を、語り部という他人のペースで受け取らなければいけないので脳の処理がそれ以外に使えなくなる。
文字という情報媒体は自分の読む速度に合わせて情報が入るので動画よりも、脳のメモリに余裕ができるのだ。
youtubeにも一時停止機能はあるが、手間で面倒なので考え事をするためにわざわざ動画を止める人は殆どいないのではないだろうか。
第一、書籍よりも情報が少ないのでそれを土台として思考するにも限られてしまう。
話は脱線するが中田のこの動画は「生物学」+「歴史」+「科学」をまとめた本書の外から見た独自性を動画の最初で触れたところが凄いと感じた。これのお陰で内容を理解する下地ができて、話がわかりやすくなっている。
持論になるが解説動画の価値、求められている「わかりやすさ」とは本の内容をいかに単純化するか、ではない。
その本に書かれていない情報を本の中身に追加し、不足を補うことで視聴者の理解の手助けをすることにあると思う。
またyoutubeの動画が視聴者と本の架け橋となるのは素晴らしいことだ。俺自身サピエンス全史を知ったのはこの動画が切っ掛けだ。
だから中田敦彦の動画は最高だ。それは揺るがない。あっちゃんありがとう。
ただコメント欄に動画を見ただけで終わってしまう人がいて、それが俺には物凄く勿体ないことだと感じた。
今回改めて気づいたのは読書という体験の複雑さと楽しさだ。作業ではなく体験として読書にはそこへ時間を注ぐだけの価値がある。
不思議に思うことがある。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kanaloco.jp/news/government/article-881257.html
左翼界隈はいまだに安部元首相が首相だと思っている。もしくはこの人を愛憎しているというしかないことがある。
右翼的にも、とくの昔に飽きられた人で、私や世間の感覚でいうと二代前の首相など記憶に薄れてくるころ合いなのだが、
左翼というかはてサの間ではまだあくる日の英雄譚を語るように、延々と二代前の首相を述べている。
おそらく来週首相が変わり、三大前の首相になろうと安倍元首相のことを語り続け、
twitterに書いてることを本として書けば良いと勧られた件で盛り上がってるけど、
自分としてはオッカム先生にぜひ普段ツイッターで書いてることを本にしてほしい。
北海道とか稚内とかの地域格差の話とか、自分史としてまとめたら普通に意義があるのではないか。
自分史的な構成で、ツイッターやってる大学の先生が書かれた本というと、最近出た中公新書にもそういうのはある。
普段からツイッターでいろいろと長い理論を書かれてるけど、それこそ本としてまとめたらいいのではって感じでしょ
地域格差関連は多分まとまった考えを持っている人による論考は多く求められるものだと思う。北海道という地域研究としても重要だろう。
まとめておけば、1つの資料として後世に対して有意義ではないか。
たぶん北大法学部関係の学界の話題とかも見るべきものがあると思うし、理科大長万部の話も有用と思うんよ。
「工学部ヒラノ教授」で大学で苦労した話を先生が語るって本はすでにある。
大学に入る経緯の点なども含めて、大学文化を語る上で重要な史料になりうるものだと思ったんよな。
ヒラノ教授の作者も「語り部」としての活動だといってた気がするし。同じような形で、教養部オッカム先生とかの本にできんかな。